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2 迷子の流れ星

2 迷子の流れ星


 いつ入っても真夜中のような暗い城の中を駆ける。

 曲がりくねった廊下は迷路のように入り組んでおり、下手に引き返せば道に迷うだけだ。そもそも構造自体が変わってしまえば意味がないので覚える必要もない。

 足元から有刺鉄線が巻き付こうとするのを跳んで躱す。

 階段を見つけて上の階へ向かう。白い煙のように見えるものを慎重に避ける。駆け出した途端に落ちてきたそれが階段を粉々に砕いた。

 時間の止まった城では何もかもが時を止めている。

 それは気体でも同じこと。

 空中で動きを止めているハエにぶつかればこちらが痛い目を見るのだ。

 上へ、上へ。

 一階分の螺旋階段を上りきったところで階段が砕け落ちる。次の階への階段はまた探さなくてはならない。その前にこの階の部屋を調べなければならない。隠し部屋も、仕掛け扉も呆れるくらいにたっぷりとある古い城。

 手の中の銀色の鍵を握り締める。

 カラカラと糸を紡ぐ音が響いている。

 城中に響いているのに。

「どこなんですか……!」

 ひゅっと空を裂く音に反射的に飛び退く。鋭利すぎるフォークが足を掠めてマイナス一ポイント。

 回転しながら投げつけられる皿は、腕くらい切り落としてしまうだろう。やたらと鋭いカトラリーは刃物と同じ。赤ん坊のお披露目パーティーに呼ばれなかった妖精の老婆が追いかけてくる。

 現在のヒメのポイントは残り三十八。

 ふら、と王子が通り過ぎていく。

 その後ろから毒蛇の群れが牙をむいてヒメに襲いかかる。

「挟み撃ち、ですか」

 窓の極端に少ない城は、壁に足場を確保することが難しい。蛇は避けても切りがない。老婆はヒメを殺さんと次から次へと皿やナイフを投げつけてくる。

 視界に止まったハエに向かって軽く跳ぶ。手をかけて群れごと飛び越える。

 動かないということは、そのまま何をしたって動かないということだ。ヒメはこれまでにも煙を足場に使ったりしてきた。何故だか動ける王子は攻撃してこないものの助けもしない。用心するに越したことはないけれど。

 飛び越えた群れと妖精の老婆のカトラリーがぶつかって相討ちになるだろう。

 フロアを駆けるヒメは小さな扉を覗き込んでは、飛び出してくる毒蛙や有刺鉄線を間一髪で避けて小部屋を探す。数段の階段を飛び越えて、枝分かれする通路をくまなく調べられるように印をつけていく。

 カラカラと、糸車の回る音が響いている。

 肌を引っ掻く有刺鉄線を蹴散らして、曲がり角の向こうが赤いと気づいたときにはもう遅かった。視界が眩んで身体が吹っ飛ばされる。

 ポイントは零。娘の身を案じて糸車を焼いた炎がヒメを襲ったのだ。

 カラカラと糸を紡ぐ音に舌打ちをして、意識が途切れる。握り締めた鍵が消えていく。

「糸車の小部屋の塔は、どこですか……!」

 カラカラ、カラカラと音だけが耳に残る。

 ヒメの八千四百五十六回目の挑戦が終わった。


 ★


「あ、エソラ。おはようございます」

「おはよう」

「おはようじぇねえ何見てんすかトサカー!!」

 風呂上がりでバスタオルを巻いただけのヒメに挨拶を返すエソラの後頭部に、ロードの蹴りが綺麗に決まる。

「着替えを部屋に忘れたのですよ」

「お嬢ー……そういうときは呼んでくださいって何度も言ってるじゃないっすか……」

 ロードの恨めしそうな声に「はいはーい」と答えて着替えに部屋に戻る。

 着替えも半分に、棚から出したノートを開いて記録を取る。魔宮の攻略を始めてからずっとつけているのだ。

 鍵となる、おそらく鍵穴のあるであろう場所はもう分かっていた。

 眠り姫が百年の眠りにつくきっかけとなった糸車の小部屋だ。

 糸車も音なら入った瞬間から響いているものの、どこを探しても見当たらないのだ。糸車と、その小部屋のある塔への入口をヒメはずっと探している。

「ここまで見つからないなら、間違いないはずなのですか……」

 しかし、あの王子の行動が未だにわからない。

 攻撃も、ヒントをくれるでもない、何をしても反応すら示さない王子はただふらふらと城の中をうろついている。一体眠り姫を探しに来たときの王子なのか、ペロー版の人喰いの母親から妻と子供を守った王子なのかも分からない。覇気のなさから前者ではないような気もするけれど。

 曲がり角を急いで曲がるのはどんなときでもやめるべきだ、と苦い失敗を記録してノートを閉じる。

 今日は忙しいのだ。

 お気に入りのドレスにパステルカラーのお気に入りのパーカーを羽織って出かける支度を済ませる。

「お嬢ー! 朝ごはんできたっすよー」

「……その前に朝ごはんでしたね」

 返事をして、部屋を出た。


 ごつくて黒い車を運転するのはヒメだ。

 助手席にはロードが、エソラは後部座席に座っている。

「どこに行くの?」

「コトリ小町のギンモクセイ市場です。買い出しですよ」

「どっかのトサカが大食らいっすからね」

「遠い?」

「二時間半くらいですかね、寝てていいですよ」

「無視っすか?!」

 ヒメは慣れた手つきで大きな車を転がしていく。

 防弾、防刃、耐寒、耐熱エトセトラ、何が来たって防いで耐えてくれるヒメの愛車は、ロードの過保護がプロデュースしたとんでもない装甲車だ。届いたときにはびっくりした。ちなみに届いてからも数回ロードが直しを入れたことにもさらに驚いた。

 もはやちょっとした凶器だね、とはこれから向かう街の友人の言葉だ。

「ケイト嬢、久しぶりっすね」

「そうですね」

 元気っすかね、と気を取り直したロードがとりとめのない話を振る。ヒメの退屈しのぎと万が一の眠気覚まし、そしてヒメが運転しているのに自分が寝るわけにはいかないというロード自身の意地だ。買うべきもの、新たに調達したほうがいいもの、買い物の予定をざっくりと話してバックミラーを見たヒメは小さく吹き出した。

 こっくりこっくり船を漕いでいたエソラが熟睡している。

 お出かけ日和と言わんばかりの晴天は、車の中をぽかぽかに暖めるから仕方ないだろう。

「ほんとにこいつアンドロイドっすか」

「まあまあ、可愛くっていいじゃないですか」


 ★


 賑やかな街は道路が整備されているのでそのまま車で入っていく。

 牡丹之手芸店ぼたんのしゅげいてん

 見事な達筆で書かれた看板の掲げられた、赤い屋根の店をくるりと回って裏に車を停める。その奥には工房と家を兼ねたとんがり屋根の建物がある。エソラを起こして、ブランケットをピンで留めてマント風に巻いてやる。寝起きはいいらしく目を開けたエソラは車から降りた途端、きょろきょろと辺りを見回している。

「俺、いつ寝た?」

「結構すぐに寝てましたよ?」

「……起きてたかった」

 子供のように口を尖らせるので、理由を聞けば「見たことないとこに行くから途中の道も見ておきたかった」と言う。ロードは呆れを隠さずにガキだと呟いてため息をついていた。帰りは起きていたかったら声かけてあげますよ、とヒメが言い終わる前に後ろから飛びつかれた。


「ヒメちゃーん! 会いたかったよん!」


 おかえり! ぎゅうぎゅうと抱きついて、尻尾があったらちぎれんばかりに振っているであろう歓迎をしてくれた相手はヒメより背が高い。相変わらずだなあと思いながらも元気そうで安心して名前を呼ぶ。

「ただいま、ケイト。久しぶりですね」

「ほんとだよー、連絡もらってからずっと待ってたよん」

「ケイト嬢! ご無沙汰してましたっす」

「ロッさんも元気そうでよかったー!」

 妙に気が合うロードとケイトは「よしっ!」と親指を立てて謎の意思の疎通を取っている。合図なのか分からないが仲が良くて何よりだと思う。

「およ?」

 ヒメを抱きしめたまま、ケイトがヒメに問うた。

「ときにヒメちゃん、こちらの赤髪さんはどちらさま?」

「エソラですよ。……それよりケイト、あなた店番はいいのですか?」

「あー!!」


「わたしは牡丹之手芸店、店員のケイトだよん」

 牡丹之手芸店はケイトの祖母、キヌが店主を務める文字通りの手芸店だ。

 裏の仕立て屋の仕事も祖母がほとんど請け負っている。手芸用品で揃わないものはないと言われる品揃えの豊富さと、店頭になくても取り寄せで希望を叶える繋がりの広さに、プロから母親に手芸サークルからも重宝されている人気店だ。加えて祖父母の仕立ての腕はシンプルな普段着のシャツから、丈つめ、着られなくなった服のリメイク、果てはウエディングドレスまで、注文されれば何でも受けた。いまはキヌが一人で受けているので数は減らしたが、デザイン画や希望の通りながらそれ以上に仕立て上げるので、いつも待ちが出ているくらい有名なのだ。

「ほら、ミトンも待ってたんだよ?」

 にゃーん、と電子ネコの手を持って、招き猫のように来い来いと動かしてみせるケイト。

 ヒメの電子コウモリには様々な種類があり、トレジャーハンターたちは主に電子コウモリを、街や村に暮らす人々は必要に応じて電子ネコや電子イヌ、電子オウムに電子ウサギなど好みに合わせた姿のものを持っている。

 ケイトの相棒、電子ネコのミトンはぶち猫だ。

 電子コウモリが連絡の文面が開いた翼に映し出されるのに対して、電子ネコは腹であったりと所々に違いがある。

 改めて自己紹介をしたケイトは、エソラに手を差し出した。意味が分からずぽけっとしているエソラに手を出すようにとひらひらと手を振ってみせる。ちらりとヒメを見るエソラに大丈夫だと頷いてみせると、おずおずと右手を差し出した。ケイトがその手をぎゅっと握る。

「これは、なんで?」

「ん? 友達の握手だよん」

「ともだち?」

 俺は機械的に言えばアンドロイドだけど、友達なの?

 そんなエソラに、ケイトはきょとんとしてから優しく目を細めて言った。

 彼女のこういうところが、ヒメは本当に好きだ。

「エソラ君が困ったときには、わたしが助けに行くってことだよん」

 エソラは目を丸くして、離した手をまじまじと見て頷いた。

「俺も助けに行けばいい?」

「どっちでも。来ても来なくてもいいから友達なのだ」

 そろそろお昼にしよっか、とケイトが店の扉に休憩中の看板を下げた。


「唐揚げ四つ大盛りと、お好み焼き六枚は肉とミックス半々で、焼きおむすび五つ、肉まん、ピザまん、あんまん四つずつと、カレーライスの甘口、中辛、激辛挑戦ぜーんぶ大盛りで。あ! あとこのチーズコロッケと肉じゃがコロッケとメンチコロッケ二つずつ。唐揚げはいっこハバネロで。辛子とマスタードとかいつもの貸してね」

 噴水のある大きな広場には和洋中、多国籍の様々な食べ物の屋台が軒を連ねている。

 商店街の中心に位置する広場はイベントなどの催しにも使われる、ギンモクセイ市場の名所兼名物といったところだ。屋台飯は食事からおやつまで、それぞれの店が工夫を凝らしているため平日でも半端な時間でも、それなりの人がいつもいる。

 嘘みたいな注文通り、どーんと積まれた山盛りの食べ物にケイトはうきうきと手を合わせる。

「さー、お腹すいたでしょ。召し上がれ!」

 おごりだよん、と自分の食事に香辛料をこれでもかとかけていく。

 イタダキマス、と気圧されながらヒメは唐揚げを頬張り、エソラは甘口のカレーを掬う。見かけは犬でもネギも玉ねぎもチョコレートも平気なロードはピザまんをかじっている。

「おいしい」

「でしょー? みんなでご飯は美味しいのだ」

「ケイトはそれ、味分かるんですか?」

「えー、美味しいよ? 最近はハバネロじゃないと刺激にもなんないけどね」

「それ麻痺じゃないっすか」

「匂いだけで、ピリピリする……」

 エソラが目をぱちぱちと瞬かせている。辛いものが苦手だと言ったのはあながち間違いではないらしく、ヒメの中辛カレーを一口食べて飛び上がっていた。子供舌なのですね、といえばむくれるので、思わず吹き出すともっとむくれる。

「だからガキなんすよ、そいつは」

「……先輩、可愛いくせに」

「んだとトサカ!!」

「まーまー、ほらご飯冷めちゃうよん」

 ロッさんが先輩なんだねえ、とケイトがケラケラわらう。

「あんまり辛いものばかり摂り過ぎないでくださいね」

「ごめんそれはヒメちゃんでも約束できない」

「正直者ですか」

 くすくすとヒメがわらえばケイトもわらう。

 牛乳を飲みながら、エソラがロードに尋ねる。

「先輩。ヒメとケイトは、ともだち?」

「そっすよ」

「家族みたい」

「ああ、まあ半分位はそうかもっすね。お嬢のまだ小さかった頃は、日帰りでなく何日かこの街に居て、ここから依頼先に出向いたりしてたっすから。そんなときはケイト嬢のところに泊めさせてもらってたんすよ」

「家族と、ともだちは、一緒になれるもの?」

 ロードはエソラをちらりと見て、さあと肩をすくめた。

「理想でいいなら、家族であり友人でありってのはなくもないんじゃないっすか。友達みたいな家族、とか、家族より家族らしい友達とか、そういえば結構そこらに転がってそうな話っす」

 お前は、どうなりたいんすか?

 エソラは虚をつかれたような顔をして、しばらく考えてから言った。

「わかんない」

 なれっこないから、と付け加えて。


「あー、お腹いっぱーい!」

「ごちそうさまでした。いつもいいのですか?」

「いーのいーの、ヒメちゃんはうちのお得意様だし、みーんなヒメちゃんにご馳走したいから口実がほしいのだからね」

 乗っかってたらふく食べてるのはわたしだもん、とケイトは綺麗に平らげた皿を満足そうに見つめる。

「ヒメちゃん、キヌばあのとこ行くのでしょ?」

 買い物分かってるなら代わりに行ってくるよん、とケイトが言ってくれたけれど、商店街のみんなにも会いたいからとあとで一緒に行ってもらうことにした。代わりにロードの銃の調整を兼ねてエソラに街の案内を頼んだ。

「キヌばあ?」

「ヒメの師匠ですよ」

「師匠?」

「わたしのばあちゃんだよん。ヒメちゃんの仕立ての師匠なのだ」

 ほう、とエソラが頷く。

「ケイトと一緒にいろいろ見て回ってくださいね」

「ヒメは?」

「後から行きますよ」

「何それヒメちゃんお母さんみたい」

「断固拒否っす」

 では大切なお子さんはしっかりとお預かり致しますよん、とおどけたケイトが手を振る。

 オイラたちもご挨拶したいので迎えに行くっすよ、とロードが中々動かないエソラを蹴っ飛ばして歩き出させる。

 また後で、と手を振ったヒメにエソラも手を振り返した。

 それがなんだかあまりにぎこちなくって、似合わないなあなんてヒメは思った。


 ★


「ロッさんの調整は結構かかるから待ってよっか」

 言ったものの、エソラの表情は晴れない。

 留守番してる子供みたいだとケイトは少し苦笑して、エソラの手を引いた。

 ケイトはエソラを連れて、移動式のアイス売りからソフトクリームを買った。

 エソラは「おお……」と感嘆の声で一口。ほんの少し目が輝いているように思えた。おいしい、とバニラとチョコレートのミックス味を危なっかしいながらも頬張る彼にケイトはコーヒーフロートを掬う。乗っているソフトクリームも無糖だ。意外と需要があるのだと、悪ふざけで作った友人がわらっていた。

「エソラ君、口べたべた」

 あーあ、とエプロンからハンカチを出して拭ってやる。

 ほんとに小さい子供みたいだとヒメからの連絡を思い出す。

「……それ、ケイトの名前?」

「ん? ああ、そうだよん」

「糸、出てる」

「わっ、ほんとだ」

 ケイトのエプロンにはピンク色の糸でKEITOと刺繍が入っている。刺繍は問題ないものの、エプロンのポケットの縁から糸が出てしまっている。これではほつれてしまうだろう。

「あちゃー、応急処置だけしよっかな」

 すぐ近くの小さな公園に入り、ブランコに腰掛けてスカートのポケットから裁縫セットを取り出す。幸い縁が何かの拍子に引っ張られただけらしく、応急処置だけでどうにかなりそうだ。

 ゆらゆらとブランコを揺らしているエソラが気になるのか手元を覗き込んでは、目の前を蝶が横切ればそちらを、移動式の屋台の音楽が聞こえればそちらを見て、またケイトの手元に視線を戻すのが面白い。

「このエプロン、ヒメちゃんが作ってくれたんだよ」

「ヒメが?」

「そー、仲良くなったしるしにくれたのだ」

 ――あれは、まだヒメちゃんの髪が短かった頃だったなあ。

 ケイトは昔から今と変わらない性格をしていた。

 両親を早くに亡くしたケイトを気遣うことはあっても、それで何か言われたことはなかった。

 本当にそれが恵まれていたんだと分かったのは、思い知ったのはずっと後のことだ。

 ずっと、いつも視界のどこかにあった「それ」をケイトは特別意識したことはなかった。目に留まっても見えなかったように自然に、不自然に視線と意識を、目も耳も閉ざして自分の日常に戻る。

 それが本能だったのだと思い知ったのは「あちら側」に行ったときだった。


 自分が、狩られる側になったとき。


 圧倒的弱者になって初めて知る。――ああ、これは関わっちゃいけないものだ。

 世界は反転して、誰とも目の合わない低い低い場所。だからと言って他が高いわけでもないけれど、自分がそこにいないのは確かだった。自分がいなくても世界が回ることだって残酷なほどに確かで、かつての「トモダチ」はあっさりとケイトをいないものにした。

 当然だ。

 これは死に直結する。

 子供なら尚更、避けるべきものだ。

 子供だから、本能で切り捨てる。

 いじめのターゲットになることは、本能的に避けるべきことだから。

 それでも知っている。

 ターゲットになんて誰でもなりうることを――随分とあとになってからのヒメの言葉を借りれば、すべて「逆接」だ。

『人気者だからこそいじめられる。外れものだからこそいじめられる。頭がいいからこそいじめられる。馬鹿だからこそいじめられる。可愛いからこそいじめられる。不細工だからこそいじめられる。友達が多いからこそいじめられる、友達がいないからこそいじめられる。両親健在だからこそいじめられる。片親だからこそいじめられる。両親がいないからこそいじめられる。――理由なんて、何だっていいのですよ。みなしごでも優しくても格好良くても素直でも口が悪くても年上でも年下でも、だからこそいじめられるです』

 ただそこにいただけで、いなかっただけで理由なんて十分。

 むかついたとか好きだからとか目に付いたとか、ほどんど運だと言い切った横顔が、自分とそこまで歳も変わらないのに凛としていたのを憶えている。いまも焼き付いている。

 憧れた。

 何も知らなかったから、憧れた。

 知ったいまでも、憧れは焼き付いたまま変わらない。

「きっと、ヒメちゃんだからわたしに気づいてくれたんだと思うの」

 ヒーローみたいだった。――ケイトにとってはヒーローだ。

 颯爽と現れて、助けてくれた。

「ヒメ、俺のことも助けてくれた」

 そうなんだ、とエソラに答えて空を見上げる。

「でもねえ、はずかしかったなあ」

「はずかしい?」

「うん。だって、格好悪いからさ。しかも見られたのが格好いいヒーローみたいなヒメちゃんだもん……でも、嬉しかった。ほんとうに、嬉しかったんだ」

 ――ともだちになってくれる?

 ヒメは去るもの追わずなのだろうと思っていた。だからこそ、何にでも理由になると言い切ったヒメは、きっと誰に裏切られてもいいように始めから距離を取っている。

 それならこちらもいつ嫌われてもいいように。傷つかなくていいように。

 そんなケイトの臆病な心を、ヒメはあっさりと越えた。

『これ、ケイトにあげます。もらってくれますか?』

 さしだされた包みを開くと、フリルのついたエプロンが入っていた。ポケットが付いていて、すみっこにKEITOと可愛いピンク色の糸で刺繍が入っている。ケイトに似合うように考えて作ってくれたのだ。

 ああ、馬鹿だ。

 彼女が大好きだと心から思った。

 傷ついたって構うものか、好きになったなら傷ついても当然のことじゃないか。

「だからこれは、わたしの宝物なのだ」

 できたーっとエプロンを付け直す。

「……それからは、いじめられなかった?」

「うん。それでも、けっこう色々あったけどね」 

 気が付けば、学校時代は記憶になっていた。

 ウォーロックの宝と直接の関係のなかったコトリ小町は学校という制度が存在し続けている。

 それは平和なことで、ありがたいことなのだと思う。

 けれど、いまもあの狭い教室の中には地獄と日常が隣り合わせに座っているのだろう。

 ケイトは時々、手芸店の前で青空教室風に開く。

 ただ話を聞いて、お茶を出して、裁縫を教えるだけ。

「ここでだけ泣けるんだって子もいる。でも、全部はね、どうにも出来ない。子供にも選ぶ権利も好き嫌いだってある。だから、ここを選んでくれたなら助けられるわけじゃないけど、お守りくらいにはなれたらって、思うのだ」

 ――背負うな。アンタやアタシが背負い出したらキリがない。切り捨てろというのじゃないのは、ケイトなら分かるだろ。肩入れしてもいいが、背負うな。それだけは憶えておいで。

 キヌはそれだけ言って、好きにしなとにやっとわらった。

「機械的に言えば、俺の手は右しかないから、作れない」

 左手は金色の銃だと、聞いてはいたが見れば見るほど義手のようにぴったりだと思った。

「エソラ君、お守りってものだけじゃないよ?」

「なんで?」

「一緒にいたって記憶が、お守りにもなるのだ」

「……なんで?」

「ひとりじゃなかったって記憶は、宝物にだってなるからだよん」

 首を傾げたエソラに、そのうち分かるさとケイトはわらって、ロードを迎えに行って、ヒメを迎えに行こうと手を引いた。

 ヒメからミトンに送られてきた連絡メールを思い出しながら。


『こんばんは、ケイト。身体を壊していませんか?

 毎回急で申し訳ないのですが、明後日の昼頃そっちに行きます。

 新入りさんが入ったので食料が予定外に減ったのです。

 あとロードも銃の調整に行きたいそうなので。

 師匠に仕立ての相談をしたいのですが、大丈夫でしょうか?

 食料はまた一緒に買い物したいのですが、ケイトの予定はいかがですか?

 布地も切れそうなので、あれば用意しておいてもらえると助かります。

 ボタンやリボンもお願いします。縫い糸とミシン糸も一緒にデータで送ります。

 発注はケイトの仕事でしたよね?

 この前送った写真のものに似たボタンと、レースリボンの新作が出ていたらそれもお願いします。 

 いつもの薬も。いつもお願いしてすみません』


『新入りさんですか?

 男の子というか、アンドロイドみたいですよ。

 真っ赤な髪に、心臓を埋め込まれたひび割れた身体。

 右手は手だけれど、左手は義手なのか金色の銃です。

 突飛な服を着ていて……見れば分かります。

 マント代わりにブランケット巻いていきます。目立って仕方ないので。

 格好いいとかではなく、加減を知らないので危なっかしいです。

 エソラというのですが、とにかく食べっぷりがすごくて。

 マイペースで、おっきな子供みたいですよ。

 新入りのうちのファミリーは、優しい男の子です。』


 ★

「もうそれ、おまけがほとんどになってない?」

 ちゃっかり試食の魚を頬張るケイトがにやにやわらっている。

 買い出しの荷物を積んだ山盛りのリヤカーは途中で引きたいと言い出したエソラがケイトに代わって引いている。

「エソラ、重くないですか?」

「機械的に言えば、俺はアンドロイド。重くなんかないよ」

「格好いいねえ」

「ガキがカッコつけてるだけっすよ」

「なんか、いっぱいもらった」

 エソラの口には試食と思しき食べかすがくっついていて、ヒメは仕方ないなあと拭ってやる。きょとんとしたエソラと目が合って、少し近い距離に驚いてしまう。どうしたというのか。

「ヒメ、ケイトと似てる」

「え?」

「ああ、ソフトクリーム食べた時に私も拭いたげたんだ」

「あら、ごめんなさいケイト」

「だからヒメお母さんみたいだって」

「ブランコも乗ったし、滑り台とジャングルジムも登った」

「よかったですね、お礼は言いました?」

「いやだからヒメはエソラ君のお母さんなの?」

「ヒメの話、聞かせてもらったよ」

「え?」

「あ、それは内緒だよー!」

 ケイトが珍しく慌てたような声を上げてエソラの口を塞ぐ。

 何やら耳打ちして「絶対言っちゃダメだよ?」と言い聞かせている。

 一体何を話したというのか。

「ん? そりゃあわたしのヒメちゃんへの愛をね、吹き込んどいたのだよん」

「ほんとに何の話をしてたんです?」

 ロードが買い物リストの確認を終えて顔を上げた。

「米に乾麺、缶詰に、肉と魚と野菜も充分っすね。あとはケイト嬢のところで生地選んで買い出しは完了っす」

「……ビスケット買っちゃだめですか?」

「ヒメちゃん? 主食にはしないよね? あれは補助だからって分かってる?」

「お嬢ー……さすがに往生際が悪いっすよ?」

 返す言葉がない。

 それでも、粘りに粘って「あくまでおやつ」と約束してならと許可をもらい店に向かう。

「今度新製品のアップルパイ味がでるのです。レーズン入りなのですよ」

「それアップルパイじゃダメなの?」

「カロリーメルトのアップルパイ味だから意味があるのです」

「それスイートポテト味のときにも言ってたよね」

「あれ何種類あるんすか? たまにとんでもない味ありますよね」

「お好みソース味の、けっこういけた……」

「なにそれ?!」

「お好みソースは限定ものですよ? ヒメはベリーミックスとか甘いほうがいいですね」

 カロリーメルトのフレーバーは豊富だ。プレーン、チーズ、ココア、メイプル、ごま、オレンジ、カレー、ベリーミックス、抹茶、ポテト、バジル&チーズ、コーン、ストロベリーをメインに、限定フレーバーとして登場したことがあるのはお好みソース、チャーハン、ホワイトチョコ、デミグラス、味噌(赤・合わせ・白)、ハニージンジャー、冷やし中華、あずき、タルタルソース、エビチリ、塩キャラメル、スイートポテト。

 限定からメインへ出世したのは、今のところスイートポテトとあずき、味噌(赤)だが、今回のアップルパイ(レーズン入り)はほとんど新フレーバー扱いなのでヒメの期待は大きい。

「タルタルソースも具入りだったのですけれど、賛否が分かれましたね……」

「それ以前の問題だと思うなー」

「同感っす」

「でも新発売なのですよ」

「……おやつとしてっすよ」

「主食ではないからね?」

「……分かりましたよ」

 渋々頷くとケイトが「えらいえらい」と頭を撫でてくれる。子供扱いじゃないですか、と言いながらも戯れあうのが楽しかった。

 だから、気を抜いた。


「あれ、カグヤ?」


 やっぱりカグヤじゃん、と数名のグループが近づいてくる。

「ヒメ?」

 エソラが「カグヤ?」と首をかしげてヒメを見るけれど――きっと見てるのだろうけれど、動けない。わからない。

 怖い。こわい。嫌だ。

 ケイトとロードの動きは早かった。

 ヒメとグループの間に割り込むようにして視線を遮り、そのまま人混みにまぎれるようにケイトがヒメとエソラを誘導する。

「エソラ君、ヒメちゃんをお願い」

 ヒメの手がひんやりとした何かに包まれた。

「お願い?」

「そう、いまはエソラ君にしか頼めない」

 言ったでしょ、どこにだって駆けつけるし、助けに行く。

「助けたいんだけど、ヒメちゃんは呼ばないから」

 でも、とケイトがヒメの手をエソラに託す。真っ青な顔のヒメは目の焦点もあっていない。

「ヒメちゃんを、今度はわたしが守りたいのだ」

 頼んだよん、エソラくん。

 遠くで道順を説明するケイトの声を聞いていたけれど、言葉として聞こえていなくて、目も違う場所ばかり映すから、ヒメは一瞬であの頃に引き戻された。

 怖い。やめて。嫌だ。いやだ。ほっといて。一人にして。誰か、たすけて。

 嘘。

 助かれないからいらない。上手に助かってあげられない。元気になれない。前向きになれない。友達も作れない。いらない。要らない。

 ――私なんか、要らなかったのに。


「Random shooter」

 ――Bullet of trick

 ぽんっと軽い音とともに、ヒメの視界に花が咲く。白を基調に、オレンジや緑のあしらわれた暖かい色味の花。

「あげる」

「えそら……?」

「うん、俺はエソラ。ヒメはヒメ」

「……ここは?」

「ケイトの店の中だよ」

 ヒメは見慣れたケイトの家の中で座っていた。

 ぼうっとしていて、どうしてここにいるのかと気付いて思い出す。

『ヒメはヒメ』

 エソラが何気なしに口にした言葉が、痛い。

「……ほんとうは、違う」

「ヒメ?」

「……ちが、う。でも、でも、」

「この花、すき?」

 ぼふっと鼻先が埋まる。花の香りが強くなって「ここ」に戻ってこられた気がした。

「ヒメ、聞いてる?」

 エソラはヒメを連れて、ケイトに言われた道をたどったのだろう。初めて訪れた街で、迷わなかったろうかと思ったが、自分が役立たずだったので何も言えずに黙り込むと、俯いた先に花が揺れる。

 あたたかい、小さな花束。

「きらい?」

「……好きですよ、エソラの手品は素敵ですね」

 エソラの金色の銃が動いたのを見るのは二度目だが、色は違えど雰囲気は変わらない。今回のほうが柔らかい、暖色の多い気はするけれど、根っこは変わらない気がした。

「そういえば、何て言ったんですか?」

 初めて見たときも、金色の銃を撃つときには何か囁いていた気がする。

「Random shooter――でたらめピストル、だよ」

「でたらめ?」

「博士がくれた。機械の俺の機能のひとつ」

 種も仕掛けもございません、ってやつだよ。

 エソラは淡々と銃を撫でる。

 いいなあ、と気付けば口からこぼれていた。

「エソラの花束は、優しいって『見えないもの』を形にしたみたいですね」

 いいなあ。誰かに優しくできて。

 どうして私はいつも何もうまく出来ないのだろう。


 その後すぐにケイトとロードが戻ってきて、ヒメに大丈夫かと息を切らして駆け寄ってきた。

「平気ですよ」

「……そっか。エソラ君も迷わなくてよかったのだ」

「ちゃんと着いたよ」

 ありがとう、と言ったケイトは頼んでいた生地やボタンなどの小物を出してきた。注文の品と、見つけたら取り寄せてくれと頼んだものとをきっちり全部。

「さすがっすね、ケイト嬢の仕事はいつもきっちりしてるっす」

「やだロッさんたら褒めてもロハには出来ないけどいいかしら?」

「オイラそんなつもりじゃないんすけど?!」

 その後デザイン画を見ながら相談して、追加する生地や小物を選ぶ。先にデザイン画をデータ送信しておいて良かった。

 いま、ナイトの描いたデザイン画を開くことなんて出来ないから。

「ヒメちゃん?」

「何ですか?」

「……んーん、何でもないよん」

 ケイトは何も言わないでいてくれた。情けないなと思う。

 それでも――それでも。

 それから荷物を車に運んでいく。食材は常温でも平気なものばかりだが、クーラーボックスにいれるものは分けて何とか蓋をして、大量の荷物を積み込む。

 車のドアを開ければキュートが飛びついてきて、頬ずりをしてヒメにくっついて離れない。

 何も言葉を発するわけではないけれど、キュートは人の感情に敏感だ。

 言葉を話さない分、気が楽な時もあり、ヒメは何度も救われてきた。

「ほんとに晩ご飯いいの?」

 食べていけばいいのにー、とケイトは口を尖らせるけれど、ヒメはわらって首を振った。

「また今度ゆっくり来た時にご馳走になります」

「……あんま、無理しちゃだめ。ご飯はちゃんとしたもの食べること」

 今度はロッさんに連絡もらってキヌばあにお説教してもらうからね、と脅されてはたまらない。

 怖いのではなくて、心配されていることが、くすぐったい。

「分かりました。新入りさんを少し見習うことにします」

「またいつでもおいでね、いつだって待ってるよん」

「ありがとう、師匠にもよろしくです」

「ああ、それならほら」

 ケイトが工房の窓を指さすと、キヌがひらひらと手を振っていた。

 ヒメも振り返して、ケイトからまたねのハグを受けて車に乗り込んだ。

 ロードが自分が運転していくと言ったけれど、ヒメが運転席に座る。キュートが肩にそっと降りてきた。

「今日は楽しかったよん、ヒメちゃんに会えて嬉しかった。ロッさんとエソラ君も、またね」

 ひらりと手を上げて、ヒメは車を出した。

 帰り道に依頼を一つ片付けていかなくてはいけないのだ。

 そう難しいと思うような内容ではなさそうなので、すぐ片付くだろうと帰るまでの時間をざっと計算する。

 早く帰りたいと思った、気がした。

 ケイトは車が小さくなって見えなくなるまでミトンを抱いて、ずっと、ずっと手を振っていた。


 ★

 

 かちかち山はうさぎの報復劇だ。

 たぬきに背負わせた薪に火を点け、負わせた火傷に薬だと辛子味噌を塗りこみ、最後には泥船で溺死させる。

 いささか過激であるうさぎの報復に賛否の声が聞かれる、目を取られがちにならざるを得ないほどのうさぎによる怒りの復讐劇。

 では、そもそもたぬきは何をしでかしたのか。

 教育上の配慮か、はたまた残酷であるからなのかぼかされていることが多い。それゆえバリエーションが生まれ、死人が出ないものや、最後には改心するたぬきのいる「かちかち山」まで存在する。

 きっかけこそが残酷そのものであるのに。

 それではうさぎがただただ残酷なだけなのに。

「……だいたい潔癖症が多すぎるんですよ」

 教育に悪いものを排除したら、最後には学校なんてなくなるのに。

 大人を排除して。

 偉い人を排除して。

 アニメも漫画も純文学も排除して。

 スポーツも武術も排除して。

 家族も愛も恋も友人も排除して。


 最後には、世界なんてなくなるのに。


「どうして分からないのでしょうね」

 もこもこのファーのチューブトップに、同じ真っ白いファーのショートパンツにはうさぎのしっぽが付いている。雪のような真っ白いうさぎの耳をつけた髪がさらりとなびく。耳はロップイヤーなどに見られる垂れ耳だ。手にはもこもこのうさぎグローブを付けて、足元は大きな後ろ足を象ったブーツ。そんな真っ白なうさぎの衣装に身を包んだヒメは、無造作に魔法陣を砕く。香辛料ボムを次から次へと放り投げていた古い民家が音を立てて崩れた。

「お嬢?!」

 驚いたロードの声に答えて、頷く。ゴーグルの向こうは火の海と泥沼。

「ヒメは、大丈夫です」

 依頼された迷宮のかちかち山、舞台は山奥の相当な田舎だ。山と田んぼと池、申し訳程度の古い民家が数軒あるだけの、風景だけならのどかな舞台だが、繰り広げられるのは憎悪の復讐劇なのだから台無しである。

 魔法陣からは炎が吹き出し、ヒメの握りこぶしくらいの香辛料ボムが放り投げられる。

 鍵と鍵穴を探すヒメのサポートをロードが、魔法陣の破壊とイレギュラー探しをエソラが担当する――はずだった。

 火炎放射器を構えた白うさぎが獣のように唸っている。

 まあ、わからなくもないとヒメは思う。

 このうさぎは大好きなおばあさんをたぬきに撲殺され、挙句そのたぬきはおばあさんの肉で作った汁をおじいさんに食べさせたのだから。

 これが省略されたらただうさぎが狂っているみたいじゃないか。

「お嬢?!」

 思い切りうさぎの顔面に拳をお見舞いする。

『バニーも可愛いと思うけど、ヒメはバニーじゃないと思うんだよなあ』

 ナイトの声が蘇る。

 暇さえあれば、起きている間中スケッチブックを開いてデザインを描いていたナイト。

 バニーガールの衣装を却下して、鉛筆を走らせながら、にいっとわらった。

『狩られるだけのバニーちゃんじゃないだろ、お前は』

 火炎放射器を振り回して、憎悪の炎で周囲を焼き尽くさんとうさぎが吠える。

『知ってるか? あのうさぎって激情のままに、強かにカワイコぶってたぬきに薪とか背負わせたり辛子塗りつけたり泥船造らせたりすんだぜ。だから可愛いお前はさ、可愛いからそんなふうにだってなれんだぜ』

 うさぎは火炎放射機の他に、濃硫酸らしき薬品を構えたうさぎに、殴り殺すための鉄パイプを手にしたうさぎも現れた。一斉に襲いかかってくるうさぎを蹴り飛ばし、殴り飛ばす。

 可愛くなんてなりたくなかった。

 可愛がられたくなんてなかった。

 望んでこんな顔に生まれたんじゃない。

 それを贅沢というなら――じゃあ、悲しむことも排除するのか?

 悲しむことも自分で決めてはいけないというのか。

 骨が砕ける。だからどうした。

 腕が消えた。だからどうした。

 火炎放射器の炎が目の前に迫る。

 だからどうした。


「ヒメ、終わり」

 足を払われて倒れ込めば、エソラが相変わらず表情の読めない顔でヒメを見下ろしていた。

 炎は髪すら掠めることなくあさっての方向に飛んでいく。

「チビ!」

「先輩」

「こっちっす!」

 そのままエソラの手から放り投げられたのは、金色の鍵。足を払われたときにポケットから抜き取られていたようだ。受け取ったロードがだんっとおじいさんの家に鍵を叩きつければ――錠の開く音。

 ヒメにも見当はついていた。

 うさぎはたぬきを憎んだけれど、おじいさんは一人になって、そばにいて欲しかったのではないだろうか。

 敵討ちより、生きて、自分を愛してくれる誰かの悲しみに寄り添うことだって出来たのではないだろうか。

 それこそ、ほんとうにやらなければならないことだったのではないだろうか。

 物語の中では何も言わなかったおじいさんは、迷宮の中ではずっとうさぎを見ていた。

 うさぎがはっとした様子でおじいさんの家を振り向いたけれど、もうそこに家も、おじいさんもいない。ウォーロックの宝が、きらきらと輝きながら姿を現す。

 憎んでよかったのはおじいさんのはずだとうさぎが武器を手にしたのなら、なんて悲しい擦れ違いだろう。

 消えゆく迷宮を見上げながら、エソラが口を開く。

 珍しく、責めるような口調だった。

「なんで?」

「……ある程度は道を踏み外しておくのも、お利口な現代っ子のたしなみです」

「先輩、怒るよ? きっともう怒ってる」

 機械的に言えばアンドロイドなのに、俺も、少し怒ってる。

「……」

 黙りこくったヒメだって分かっていた。

 心配されていることも、分かっていた。

 ロードは何も言わずに依頼達成の報告を済ませると言って、先に車へ向かった。

 そのまま有無を言わせず帰路のハンドルを取り、ヒメを助手席に押し込んだ。

 ツクヨミ街へ帰るまで、ロードはヒメにパーカーを着せて毛布を巻き付けると、あたたかいココアを渡して、飲んだら少し眠るようにと言った。眠れるはずもないけれど目を閉じれば、意識がすうっと沈んでいった。

「ヒメ、着いたよ」

 エソラに起こされて、手を引かれて家へ戻る。

「あの、エソラ?」

「何?」

「その、この手は?」

「ケイトの真似。ヒメもいつもするから」

「そ、ですか……」

 車に戻れば案の定ロードがエソラを蹴っ飛ばした。


「とりあえず着替えて……お嬢は先に風呂入ってきちゃってくださいっす」

 スーツの上着を脱いだ上にエプロンをつけたロードに放り込まれるようにして、湯船に浸かる。いい香りの湯で身体が芯まで暖まっていくのが分かる。

 お風呂を上がれば背中を押されるようにして部屋に連れて行かれて、布団に押し込まれる。

「お腹すいたらいつでも起こしてくださいっす。何もなくても呼んでくれればすぐ飛んでくるっすよ」

 てきぱきとあれこれ口を動かしながら手を動かして、上着を手の届くところに置いたり、額に手を当てるロードは世話焼きの母親のように見えた。

 腕を持ち上げれて、包帯を巻かれる。

「ロード?」

「……痛覚も、出れば消える怪我でも、お嬢の身体に傷が付くのは嫌っす」

 許せません。自分が。

 迷宮で放り出した左腕は、まっさらで傷一つない。ロードはそこに包帯を巻いていく。

「今日は仕方ないっす。でも、あんな発散するくらいなら、泣き喚いてくれた方がオイラは安心っすよ」

 ものに当たってもいいっす、窓割ったって直しますから。

「だから、自分を蔑ろには、もうしないでほしいっす」

 もうお嬢は、ひとりじゃないんすから。

 俯いて、サングラス越しに呟かれた言葉に答えるべき言葉を、ヒメは知らない。

 けれど、腕に巻かれた包帯に安心した。

「……ごめんなさい」

「謝ってほしいわけじゃないんすけどね、オイラこそ申し訳ないっす」

 寝かされて、額に冷えペタが貼られる。

「……熱、ないですよ?」

「気分っすよ、お守りみたいなもんっす」

 ゆっくり休んで、何かあったら呼んでくださいねと念を押して、ロードが部屋の扉を閉める。

 帰り道に眠ったからそんなに眠れないと思ったけれど、ぼうっとしているうちに、うつらうつらして眠ってしまった。


 ★


「ヒメ、寝たの?」

「寝たっすよ」

 眠れていないみたいな顔をしていたけれど、今頃もう眠ってしまっているだろう。あれだけ真っ青な顔をしておいて、自暴自棄になっておいて、何でもないみたいに振舞うのはいい加減やめたらいいのにと思うが、身体に染み付いた習慣が中々治りも消えもしないのは、ロードもよく知っていた。

 ヒメがスカートでなくパンツスタイルを選ぶときはろくでもない戦い方をする。分かっていたけれど止められなかった。いまも、眠ってはいるけれど休息にはなっていないのだろう。

「先輩」

「なんすか?」

 ヒメが魔宮に入り浸るようになってから一週間が過ぎた頃、エソラが問うた。

 こいつも十分訳ありっぽいなと思いながら答える。

「カグヤって、なに?」

 ごちそうさま、と言ってもそのまま座っていたエソラが聞く。

「聞くんすか、それ」

 聞かれるとは思っていた。

『エソラ君なら大丈夫だよん』

 やたらとエソラを買っていたケイトの言葉を鵜呑みにはできないけれど、ヒメの幸せを願う気持ちはケイトも同じ。そんな彼女が言うのであれば、とは思う。

 どうしようかな、と考えながら様子を伺う。

「あれからヒメ、おかしい」

「おめーにしちゃよく気づいたっすね」

 さてどうしようとロードは思考を巡らせた。そもそも、ロードはエソラを拾うことに反対だった。拾っても、ここに置くことには反対していた。少し手を組んだらケイトに頼んでギンモクセイ市場のどこかに置いてもらおうと思っていたのだ。あの街は明るいけれど、どんなものも受け入れられる強さを持っているから。

 気に食わないのはそうだけれど、ロードの理由はいつだってヒメだ。

 そのヒメが言うから、今に至るが――正直なところ、信用はしても信頼は微妙。

 この狭い、小さな古い家はロードがヒメに拾われたときからヒメの住み処だった。

 今日もふらふらで帰ってきたヒメは、しばらく起きないだろう。

「お嬢は、頑固っすから」

 だから少しだけ、話してやることにした。

「……お嬢の、本当の名前がカグヤなんすよ」

「本当の?」

「細かい経緯は知らないっす。でも相当辛い目にあったから、だからヒメは友達にもらったっていう『ヒメ』の名を名乗ってるんすよ」

 少しぼかして、本当のことを織り交ぜる。

 自分が全部話すのは、違う気がした。

 辛くても、いつかヒメが自分の口で話すなら、それが一番いいとロードは思った。

 いつかのように、ロードの話を聞いてくれたヒメだから。話すことが、自分を癒すことにもなると、きっと彼女は知っているから。

「トレジャーハンターなんてやろうって人間は、まず集団を作るんすよ。魔女に人間が一人で向かっていくなんてのは正直なところ正気の沙汰じゃないっすから。でも、お嬢はずっと一人で迷宮どころか魔宮に挑んで、組んでもオイラだけっす。お前は予想外もいいとこなんすよ」

「なんで?」

「人間の形をしてるからっす」

 アンドロイドは、人間の形をしたロボットだ。人間のように話し、動き、人間のように振舞うロボット。

 だから、ロードは反対した。

「お嬢は、人間が怖いんすよ」

「なんで?」

「だーから細かいとこはオイラと出会う前のことっすから知らないんすよ。ただ、お嬢は同年代の人間が苦手なんす。よっぽど歳の離れたじーさんばーさんは平気でも、ガキは軒並みアウトっす。赤ん坊なら平気だったっすけど。そもそも人間自体が怖いってなってんすから」

「ケイトは?」

「ケイト嬢は別っすよ。特別枠っす」

「ヒメをヒメにしたのは、ケイト?」

「違うっすよ。それはナイトっす」

「ナイト?」

「お嬢のヒーローみたいな存在らしいっすよ」

「誰?」

「お嬢の服をデザインした奴っすよ。お嬢と同じでツクヨミ街の出身らしいんすけど、病気の治療のために遠くの病院に移ったそうで、魔宮はその直後に現れたらしいっす」

「それが、ヒメの約束?」

「そうみたいっすよ」

 もう十年も経つのに、とは言わなかった。

 病気がちでずっと入院していて、ほんの少し学校に行くことはあれど数日程度。ほとんどの時間を病院で過ごして、悪化したからと治療のために遠方の病院に移り、必ず帰るからと約束して、十年音沙汰がない。

 それが、どういう意味なのか。

 帰って来られるように一番好きなものを断つよと「ヒメ断ち」をしていったそうだ。ヒメはナイトがどこの病院に行ったのかも知らないし、街がああなってしまった以上、知りようもない。

「ヒメは、ナイトのため?」

「さあ、どうっすかね。自分のためでもあるんじゃないすか」

「両方もできるの?」

「人の為は偽物、っすか? それでも、自分も嬉しくなれるんなら、偽善だろうが偽物だろうがオイラは他人からどう見えるかなんてどうだっていいっすけどね――お嬢がここにいるなら、オイラが支える理由になるっすから」

 救われたのは、ロードのほう。

 ヒメは自分だと言い張るけれど、違うのだ。

「……ヒメは、ヒトが怖い?」

 言葉を選ぶような、珍しく考えているような口調でエソラが口を開く。

「そうっすね。好き嫌いでなく、怖いんだと思うっすよ」

「ヒメも、ヒトなのに?」

「そっすね、同じ人間だから怖いってこともあるんじゃないすか」

 ヒメはきっと、自分も嫌いだろうけれど。

 それは今話すことではないから、ロードは言わない。

「怖いの思い出して、今日みたいになった?」

「そっすね。中々嫌な記憶ってのは消えないっす」


「でも、それ、ヒメは悪くない」


 怯えても、やけになっても、怖い思いをしたことに、ヒメに非はない。

「怖かったなら、怖がって当たり前だと思う」

「……お嬢にはやっぱ敵わないっすね」 

「なんで?」

「オイラもまだ修行不足ってことっす」

 さて、片付けるっすよ。おめーも手伝うっす。

 立ち上がって、ほったらかしにしてしまった皿洗いを始める。

「先輩、これは?」

「燃料は玄関でいいっす。お嬢が起きるからなるべく静かに運ぶっすよ」

「……」

「いやおめー返事はしろっす」

 そんなやり取りを、悪くないと思える自分がいた。

 エソラには不思議なところがあるのだ。

 素直だから、子供みたいだから――それよりもっと、別のところに。 


「……」

 ヒメは、布団の中で涙をこぼしていた。

 ナイトの名前が出た辺りで目を覚ましたヒメは、話を聞いていた。

 この家は古くて、昔ながらの造りは隙間から風が入るようになっているので、各部屋に壁はあれど一階の話し声は二階に筒抜けだ。

 ロードがうまくぼかしてくれているのが分かって、自分を情けなく思った。

 もう一度寝てしまおうかと思いながら布団に潜り込むと、エソラの声が聞こえた。

『……ヒメは、ヒトが怖い?』

 そうですよ、ヒトが怖いんです。私を知っている人間は、怖いんです。

『ヒメも、ヒトなのに?』

 そうですね。でも、ヒメは人が怖くて、そんな自分が大嫌いです。

『怖いの思い出して、今日みたいになった?』

 そうですよ、いまだに忘れられないんです。格好悪いでしょう?

『でも』

 でも?

『それ、ヒメは悪くない』 

 ヒメは悪くない――布団に潜り込んで、こぼれる涙を袖で拭う。どうしても後から後からこぼれて止まらなかった。

 嬉しかった。

 嬉しかったのだ。

 エソラが何を思って言ったのかはわからない。でも、きっと迷惑だったであろう怯えて使い物にならない自分をケイトの店まで連れて行ってくれたエソラが、ああなった自分を、それでもいいよと、許してくれたようで。

 違っても、そんな気がして、嬉しかった。

 ロードがくれた優しさが、左腕に巻かれたままの包帯に残っている。

 役立たずでも、いいのだろうか――なんてことは、聞けないけれど。

 エソラが変わらず「ヒメ」と呼んでくれることが、嬉しかった。

 気を遣わせてしまったことが申し訳なく思えて、それでも涙が止まらなかった。


 目覚まし時計をいつもより早めに合わせる。

 役立たずでも、出来ることはゼロじゃない。

 今度は目を閉じれば真っ暗闇ではなくて、優しい夜の色が見えた。

 久しぶりに暗闇でない、光を包み込んだ夜に眠った。


 ★


「じゃーん!」

「お嬢?」

「おかえりなさいです!」

 早朝の魔宮への挑戦はまた失敗したけれど、シャワーを浴びて着替えて、ロードが用意してくれていた朝ごはんのホットサンドを食べた。食べるかもしれないと作りおいてくれていたのだ。ふわふわのたまごはヒメの好物だ。温かいかぼちゃのスープがお腹に優しい。

 それから台所で昼食作りに取り掛かった。

 本当は晩ご飯のほうがそれらしい気もしたけれど、せっかくなのだからお昼でもいいかなと思ったのだ。

 思い立ったが吉日、というやつです。

 誰にともなく呟いて作業を進めていく。少しだけ遅めの昼食になってしまったが、エソラの顔を見て嬉しくなった。

 飾り付けた居間には、色紙で作った輪っかの飾りと「WELCOME ESORA」と書かれたカラフルなボード。

 机の上には、山積みのおむすびと、目玉焼きの乗ったハンバーグ。そのほかポテトサラダに具だくさんのシチュー、ピザ。焼き網の上では餅がぷくうっと膨らんでいる。大量のサンドイッチはデザートも兼ねたフルーツサンドだ。ホールのデコレーションケーキにも壁のボードと同じように「Welcome ESORA」と書かれたチョコレートのプレートが乗っている。

「おお……!」

 珍しく嬉しそうに口元を綻ばせた顔が、エソラの一番嬉しいときの顔だとヒメは知っている。

「お嬢の料理久しぶりっす!」

 身体は平気っすか? 食事はとれるっすか? どこか痛むところは?

 帰るなりすっ飛んできてヒメにあれこれ聞いてきたロードは「大丈夫です」とわらってみせると「ならいいっす」と優しい声で頷いて、テーブルに腰掛けた。

「遅くなってしまいましたが、エソラの歓迎パーティーです」

 えい、とロードと鳴らしたクラッカーは、楽しげな音で爆ぜた。色とりどりのテープを髪に絡ませたエソラが、きょとんと目を丸くしている。

「『魔女の末裔』に、ようこそ!」

「……ありが、とう?」

「なんで疑問なんすか」

「何て言えばいいか、わかんない」

「嬉しかったら、ありがとうでいいのですよ」

 もしも「嬉しい」がわからなかったら?

 それなら簡単なことだ。

「さあ、ご飯にしましょう」 

 お腹いっぱい、きっと詰め込んだものは「嬉しい」だ。

 美味しい、と餅やおむすび、ハンバーグにシチューにピザを片っ端から頬張っていくエソラに、ヒメは思わずほっこりと微笑んだ。ロードはチーズたっぷりのピザを絶賛している。全品絶賛してくれているが、ロードはピザが好物なのだ。

 ようく煮込んだシチューをつつきながら、食べ損ねていたケイトにもらった肉巻きおむすびを食べる。ロードが冷凍しておいてくれたそうだ。甘辛い味付けに生姜が効いていて美味しい。六つも残してあったのでエソラにも分けてあげた。

「ふるーつさんど?」

「そうそう、ヒメの好物です」

「ケーキも美味しいっすよ」

 料理が平らげられて、デザートも綺麗に無くなった頃、ヒメは椅子の後ろから包みを取り出した。

「これあげます」

「何?」

「まず言うことがあるっすよね?」

「ありがとう」

「はい、どういたしまして」

 無理強いもどうかと思うが、ロードのそういう礼儀作法に厳しいのはいまに始まったことではない。

 エソラは包みを開けて、目を丸くした。

「羽織ってみますか?」

「これ、俺の?」

「そうですよ、エソラにあげたんですから」

 広げたそれは、マントだった。

 真っ黒で、襟が高く、フードの付いたマントは、所々に金銀の飾りが付けられているクールなデザインだ。

「さすがお嬢の仕立てっす、馬子にも衣装っすね」

「ヒメが作ったの?」

 丈はちょうど、エソラのブーツがちらりと覗くくらい。

「そうですよ、いつまでもブランケット巻いてるわけにはいきませんからね」

 キヌのところへはエソラのマントの仕上げの相談に行ったのだ。長く使えるような工夫と、どの場面で着ていてもおかしくないようなデザインで、動きやすく。金銀の装飾はごてごてしすぎず、寂しすぎず。事前に知らせておいたのでキヌも喜んで協力してくれた。紙の輪っかもキヌと作ったものだ。懐かしいと言って楽しそうにわらってくれた。

 ――珍しいからね、お願いなんて。

 おかげで、とてもいいものが出来たと自信を持てるマントが出来上がった。

 姿見を持ってきて、エソラに着た姿を見せてやる。どこか直すならいまのうちにと思って腕を上げたりと動いてもらう。

「どこかきついとか、動きづらいとかありませんか?」

「ヒメ」

「何ですか?」

「……ありがとう、ヒメ」

 心から、そんな言葉を鏡越しに目を合わせたエソラが口にした。 

「ありがとう」

「ええ、どういたしまして」

 ほころんだ表情は、口の端を上げた、エソラが一番嬉しい時の顔だった。


「帰ってきてから、ごめんなさいでした」

 口を開いたのは、食後のお茶を出してからだった。

「そんな、お嬢が謝ることなんてないっすよ!」

 ヒメはどれだけ心配させたか、自覚はあるのでゆるくわらうしかできない。

「ヒメは、なんにも悪くないよ」

「そっすよ、お嬢が気にすることなんてなーんもないんすから!」

「先輩、ご飯とか心配してたのに」

「いま言うことじゃねーから黙っとけっす」

「……ヒメは、」

 こんなに、あったかい場所にいられることが、現実に思えない。

 それでも、夢ならさめないように。

 無くさないように。

 出来る限り大切にできるように。

「幸せ者ですね」

 ありがとう、と言えばロードがわらって、エソラが口を開いた。

「ありがとうは、俺が言うことだよ」


 ★


 目を覚まして、訓練を繰り返して、そして廃棄が決まった。

 世界は四角い施設と、銃の的だけ。

 ロードはその頃名前もなく、服もなく、番号と武器、その知識と扱いだけを与えられていた。

 ロードの専門は銃で、スナイパーとして、遠距離、近距離と両方の技術を叩き込まれた。体術は基礎として全員に教え込まれ、ナイフや銃、あらゆる武器と殺人の術を網羅し、秀でたものを徹底的に伸ばす。

 ロードの銃の腕は施設でもトップクラスだった。

 近距離、遠距離ともに秀でていた。それでもただの動物としての振る舞い方も、奇襲に用いるために演習が行われた。


 保健所で一年に殺処分される犬は新しい方のデータで約四万頭。猫は約十三万匹。

 持ち込まれた犬と猫の二十万のうち、合計十七万の命が毎日「処分」されている。

 それでも犬は減少傾向にあり、猫はおおよそ横ばいだ。倍以上の殺処分が行われていた頃だってつい最近の話。

 その処分の方法は、安楽死といわれる二酸化炭素ガスによる殺処分。麻酔と薬品を一頭ずつに打つところもあるけれど、ほとんどが二酸化炭素ガスでの「安楽死」だ。――決して「安楽」死ではないとだけ言っておこう。

 どうやっても減らない殺処分される動物たちに、国は「役割」を用意した。


 殺処分されるすべての動物たちを、兵器化すること。


 保健所で殺処分される動物たちに、自発思考のプログラムを埋め込んで軍事用の兵器「SA」にする。そのあらすじくらいは民間人も知っていることだった。「殺されるのは可哀想だから」とは言っても、それを聞いたロードは「さすがにあんまりな再利用リサイクルだろう」と思ったのを覚えている。

 動物を人間の言語を解し、話し、意思の疎通を可能にするプログラムを、生き物としては必要とされなくなった動物たちに埋め込み、武器を持たせて訓練施設に詰め込んだ。

 犬なら嗅覚、猫なら身体能力、またはそれらをベースとした何かしらの能力を持った動物たち。

 国を守るために死を約束された動物たち。


 SA――securityセキュリティ animalアニマル

 軍事用に開発された、特殊能力を持つ獣。


 それが、ロードの生まれた理由。ロードの過去。


 空中戦、地上戦、水中戦、対人戦、対獣戦にいたるまで彼らは勝利をもたらす――はずだった。

 月が姿を変えてしまったあの日、「上」はただ保身に走って国をすら捨てた。

 当然、SAを気にかけるものはいなかった。

 ただSAを元の通りの野良犬、野良猫にするにはあまりに危険だと判断したのだろう。

 反乱を恐れてか即刻廃棄の命令が下り、訓練舎ごとガスに包まれた。もがき苦しむ仲間たちと倒れ込みながらも、彼は未だに自分でもわからないのだが、――どうしてか死にたくないと必死で起き上がった。そして体当たりで窓を突き破って駆けた。二足歩行なんて思い出すまもなく、犬として獣としての本能のまま四本足で地面を蹴って必死で逃げて逃げて逃げた。

 ほの暗く、薄汚れた場所でなら彼は生きることができた。

 皮肉なことに、SAとしての能力がロードを生かした。力さえあれば食べていける世界においては、姿が奇異だろうと存在が奇特だろうと、与えられた仕事を全うする力さえあれば、小さな身体も使い勝手のいい道具だった。SAの噂はあれど都市伝説のようなもので、電子動物が普及した現代では、ロードは適当にごまかして技術を隠せば電子イヌ兼番犬なのだと言えば通った。

 目深にかぶった帽子は見た目で舐められないようにだ。仲間にも散々からかわれた。

『お前ほんっとつぶらな瞳だなァ』

『まともな服着て黙ってたら王子様みたいだよな』

『パグとはいえ、ホラ俺チワワだけど吊り目だぜ?』

 うるっせーな、好きでこんな見た目じゃないっすよ――なんて軽口を叩いた、かつての仲間がいまどうしているかは分からない。探そうともしなかった。考えようともしなかった。

 自分の存在さえ忘れようとしていた。

 そうして感情は、心は静かに死んでいった。

 結局使い捨てじゃないかと気付いて、それでもいいやと「何で生きてるのか?」なんて考える余裕もなく、久しぶりに痛みを投げつけられて、嘲笑いに蹴り飛ばされて、それでも売り飛ばされてたまるかと逃げた。

 ふざけんな、オイラだって生きてんだ。

 それならお前の命はいくらっすか?

 いくらなら売ってもいいんすか?

 そして思いのほか深かった傷に意識を失いかけたとき、ヒメに拾われて、ロードはロードになった。


 こんなに穏やかな場所に来られるなんて思わなかったなとマルゲリータのピザをかじる。

 エソラは相変わらずだが、出会った頃より表に出す感情が増えたように見える。だからこそ、やっぱりロードはエソラを信頼出来ない。

『博士の名前? アリスだよ』

 エソラはそう言った。

 あのときロードは気にもとめない振りをした。ヒメがキュートで調べても見つからないことは分かっていた。

 忘れもしない、ロードにとっては忘れられない名前だった。

 資料でしか見たことのない、その名前。

 アリスがエソラを造ったのなら、ただの機械的なアンドロイドであるはずがないのだ。

 科学と魔法を操る天才科学者――人呼んで、魔法使いのアリス。


 それは、SAのプログラムを作った科学者の名前なのだから。



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