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1 魔女の末裔

1 魔女の末裔


 その一、笑顔を忘れないこと。

 その二、ありがとうとごめんなさいを忘れないこと。

 その三、心はいつも自由であること。

 大好きな友達がくれた、三つの約束。

 弱虫な私が今日を生き抜くための、おまじない。


「ロード! そちらをお願いします!」


 白雪姫の迷宮の舞台は森と古い城からなっていた。

 ウォーロックの宝を守る迷宮は、どうしてかおとぎ話をモチーフにしたものが多い。

 外観は濃い霧に包まれた大きな城。

 一歩足を踏み入れれば舞台となるおとぎ話の世界が広がるのだ。けれど、間違っても遊園地のようなファンシーな世界観ではない。これをメルヘンと呼ぶのは無理があるだろう。

 森の木々のあちこちに刻まれた魔法陣から飛んでくるナイフを避けたヒメは、向かってくる斧とハンマー使いの七人の小人を横目で見る。

 ざっと見た限り難易度は中の上。

 斧とハンマーを扱う手つきはそこらのハンターよりもずっと様になっている。けれど、赤と黒のリボンドレスが裂けるなんてことはなさそうだ。大きなリボンでウエストをきゅっと締めて、頭にはお揃いの黒いリボンのカチューシャ。むき出しの肩も、ミニ丈で晒した脚も、ロードはあれこれ言うけれど、ヒメのテンションが上がるほど集中力も身のこなしも頭の回転すら同じように上がると知っているので無理にやめさせることはない。なんだかんだ、結局ロードもヒメには弱いし甘いのだ。

 愛情ゆえの甘さと小言が、ヒメには嬉しかった。 

「これは依頼が来るはずですね」

 斧を蹴り飛ばしたヒメが呟けば、向けられたハンマーが小人が振り上げた状態で砕ける。

 にっとわらったヒメが、ふわりとその場から飛び退けば、残り五本の斧とハンマーも同じように砕け散った。

「お嬢! ここらは片しました!」

「森に宝はなさそうですね」

 ありがとうとロードに言えば「お礼なんてそんなもったいないっす!」と首を振る。

「そんなに頭を振ったらほっぺが飛んでいっちゃいますよ」

「オイラの顔のことは言わないでくださいっす!」

「可愛いってことですよ」

 軽口を叩きながら城の扉に手をかければ、重たげな音を立てて扉が開く。舞踏会なんかがよく似合う広間に入れば、魔法陣から毒の塗られたナイフと矢が大盤振る舞いだ。

 ヒメは踊るように躱す。

 ロードが的確に撃ち落とす。


 二人は相手が誰でも何であろうと殺さないことを信条としている。


 迷宮の中に登場するおとぎ話の登場人物は、ゲームの中のキャラクターと変わらない。命も、心もない。迷宮の中だけで役割を果たし続けるだけのキャラクターだ。元になったおとぎ話おなじみのひとの良さが残っているものはいない。皆一様に挑戦者を追い返そうと武器や呪いを向けてくる。

 ウォーロックが――魔女が作ったものらしく、迷宮の中では魔法が当たり前のように使われている。

 魔法陣に、呪い、話す鏡に、冗談好きの猫にエトセトラ。


 いま現在、トレジャーハンターであるヒメとロードのポイントは一切減っていない。

 かすり傷ひとつ負っていないのだ。


 迷宮に侵入した挑戦者たちにはポイントが割り振られる。

 負傷したり、ふっかけられたなぞかけに答えられなければポイントは減っていく。ポイントがゼロになれば迷宮の外に放り出され、攻略失敗となる。再挑戦は何回でも、何名でも。

 迷宮内に痛覚はなく、腹に矢を喰らおうが、腕を切り落とされようが死ぬことはない。

 一歩踏み入れればほかのトレジャーハンターは迷宮に入ることはできなくなる。時間制限も人数制限もないが、割り振られるポイントは素人もプロも変わらない。致命傷を負えばポイントはゼロになると考えればちょうどいいところだ。

 つまり腕を切り落とされたらほぼおしまい。

 場所によっては腹に矢を喰らってもしばらくは動ける。


 クリアする方法はひとつだけ。

 おとぎ話の「おしまい」にたどり着くことだ。


 宝にたどり着くには鍵を探さなくてはならない。

 鍵は物語のラストシーン付近に隠されていることが多い。

 例えば白雪姫なら、王子のキス(もしくは的確な人工呼吸、あるいは柩を運んでいた召使いがつまづいたことによる揺れ)によって森で目を覚ましたところ――かと思ったのだが、どうやらこの迷宮は婚礼が行われる城だったらしい。

「お嬢!」

「頼みます、ヒメはその隙に二階へ向かいます!」

 毒リンゴ型の爆弾を降らせる継母の魔女は、狂ったようにわらいながら毒々しい赤色の爆弾を投げつけている。ロードは両手に構えた銃でひとつ残らず打ち砕いていく。正しくは、ひとつ爆発すれば誘爆されていくので、それらをすべて計算して最小限の銃撃で撃ち落としているのだ。

 階段を上り、曲がりくねった廊下を駆けるヒメは、リンゴ型の鈍器を避け、首を絞めんと絡み付いてくる飾り紐を飛び越え、広間をぐるりと囲む二階の観覧席に向かった。

「若いお妃は二階に向かったよ、若いお妃は二階に向かったよ」

 鏡がヒメの動きを逐一叫ぶ。迷宮では挑戦者が主人公に見立てられる。ハッピーエンドにたどり着いてみせろとでもいいたいのか、粋なのかからかっているのか、ウォーロックは何を考えて迷宮を作ったのか分からないことばかりだ。

 ヒメにはそんなこと、ちらりと頭をよぎるだけでどうだっていい。

 宝を手に入れられれば、それでいいのだ。

「……見つけたですよ!」

 広間の真上の鐘のなかに、きらりと光る鍵が浮かんでいる。

 魔女は鏡の声に壁をよじ登っている。

「ロード! 魔女の動きを止めてください、三十秒!」

「お望み通りにっす!」

 無茶すんなっていってもお嬢は聞いてくれませんからね、という小言は聞かなかったことにして、ヒメは観覧席の手すりに足をかけた。

 とん、と狙いを定めて身を躍らせる。

 ロードの悲鳴が聞こえたが、銃の軌道がずれやしないことなんてヒメはとうに知っている。

 鐘を鳴らす紐を掴んでぶら下がる。よじ登って、鐘の中に浮かぶ鍵に手を伸ばす。

「捕まえた、ですよ」

 手の中で光る金色の鍵はハッピーエンドへの鍵だ。

 扉に心当たりはひとつだけ。


 宝へ通じる扉は、物語から「外れた」行動を取っているものが文字通り鍵《key》となる。

「この場合、扉にあるのは鍵穴で、錠《lock》なのですけれどね」


 構うものか、とヒメは紐の中ほどまで降りると、勢いをつけて反対側に跳んだ。

 魔女が追ってくる足音と呪う声、ロードの悲鳴に重なる銃声。――そして、相変わらずヒメの動きを実況する魔法の鏡。

「若いお妃は鍵を手に入れたよ、若いお妃は鍵を手に入れたよ」

「ええ、手に入れましたよ。もうおしまいにしましょう」

「若いお妃は何をおしまいにするのかな? 何をおしまいにするのかな?」

「あなたの悲しみを」

 魔法の鏡がある限り、継母が死んでも、白雪姫と王子がいくら心根の正直な人間でも、惑わされる。鏡は正直なだけなのに、問いに答えれば答えるほど周囲は憎しみに満ちていく。

「教えてください、鍵穴はどこですか?」

「若いお妃は鏡の真ん中に鍵を差し込めばいいよ、鏡の真ん中に鍵を差し込めばいいよ」

 ヒメは鏡の真ん中に金色の鍵を差し込んだ。

「ありがとう、鏡さん」

 くるりと回せばかちりと錠のあく音がして、迷宮はみるみるうちに消えていく。

 鏡の声が、最後にヒメを包んだ。

「ありがとう、ありがとう、おひめさま」

 ――鏡はずっと、みんなの笑顔が見たかっただけなんだよ。


 ヒメはそっと微笑んで、もう一度ありがとうと囁いた。

「よし、お仕事終了です」

 鏡のあった場所、その向こうには金銀財宝が山のように積まれている。

 現金に純金、大きな宝石、総額は千人の大富豪が一生を豪遊したって玄孫やしゃごの代までも使い切れない額だ。大富豪の孫の孫の代まで豪遊するなんて実在したらろくでもない一族だと思うけれど。

「お嬢ー! あれっだけ無茶とパンチラ禁止って言ったじゃないすか!」

「……あちゃ」

 ヒメはお説教モードのロードの小言の合間に、依頼主に依頼の成功を電子コウモリで報告し、報酬である宝の三分の一を車に積んで帰路に着いた。

 電子コウモリはコウモリの形をしたロボットだ。ヒメはひとつだけだが、大抵のトレジャーハンターは複数保有している。赤い目で各迷宮の様子をライブ中継しており、持ち主は目星をつけた迷宮が攻略されていないか、攻略されたなら誰が攻略したのかを知ることができる。

 電子コウモリは電話、メール機能も備えたロボットなので、懐いたり、個々に性格を持っている。単に通信機器とみなすか、一個人としてみなすかで、電子コウモリは様々な成長を見せる。

 言葉こそ話さないものの、頷いたりの仕草や目で意思の疎通は充分できる。ヒメの電子コウモリは懐こくて可愛いのでキュートとヒメが名前をつけた。

 元々好奇心旺盛で、賢かったのもあり、いまでは情報収集までこなしてくれる心強い味方である。

「あら、キュート。おかえりなさい」

 特別仕様の防弾防刃、耐寒耐熱、桁違いの強度と衝撃吸収でどんな攻撃を受けても壊れない、傷をつけるのにも一苦労の大きな黒い愛車を運転するのはヒメだ。ロードも補助をつければ足が届くので運転できるが、ヒメは車が好きなので、ほとんどヒメだ。まっすぐに伸びる道を運転していると、窓からするりと入ってきて、キュートがヒメの肩に降りて、ただいまと言うように頬ずりした。

「コウモリ風情が馴れ馴れしいっすよ」

 いって! 言うやいなやキュートが助手席のロードに噛み付く。

 本気で噛むことはないけれど、スナイパーのパグと情報通のコウモリはじゃれるように喧嘩ばかりしている。

「ほらほら、そんなに威嚇しな――あれ?」

「お嬢?」

 どうかしたの? とロードと同じように首を傾げたキュートに、ヒメは前方を指さした。


「乱闘でしょうか? あれ、誰か絡まれてません?」


 ★


 名前しか分かっていない、その名ひとつだけが伝えられている伝説の魔女。

 戦争に《war》鍵をかけた魔女《lock》――ウォーロック。


 数百年前、世界は終わろうとしていた。

 異常気象が日常化して、科学の発展が行き過ぎてたどり着いて、嫌が応にも終わりが使いことを認めなければならなくなっていた。警鐘を鳴らす者はいたけれど、都合の悪いことを言うものは嘘吐き呼ばわりして、誰も彼もが自分の都合のいいように世界を見ていた。


 そんな折、月が凍りついた。

 巨大な水晶玉のような変わり果てた姿で、ときには近すぎて怖くなるような距離にまで接近してきた。


 世界は終わると誰もが口々に叫んだ。

 月が凍ったのを皮切りに、生き残りをかけた戦いが始まった。

 誰も何の意味があるのか分からないまま、人間は小さなものから大きなものまでありとらゆる戦争を繰り広げた。

 たくさんの人が死に、だから戦争が終わることはなかった。

 たくさんの人間は死ぬけれど、たくさんの悲しみと憎しみが生まれるけれど、どうしてそんな不毛なものが世界から無くならないかといえば、単純な話。

 お金になるからだ。

 だから、戦争を望まない人間の命ばかりが消えていき、恐怖が空にべったりと張り付き、飢えがそこいら中に転がって、希望なんて言葉は幻になっていった。


 そんなとき、錠の落ちる音が世界中に響き渡った。

 銃も爆弾もありとあらゆる兵器は金銀の砂になって消え去った。

 warlock――戦争に鍵をかけた魔女の手によって。


 張り付いた恐怖を裂いて、夜空を流星のような無数の光がきらめく。

 空から降るのは飢えを満たす甘くて優しい砂糖菓子に、落ちてきた流れ星はたくさんの金貨。

 夜空に姿を見せたウォーロックは世界中に宝をばらまいた。

 戦争に鍵をかけた魔女は、戦争がないと生きていかれないものがいることも知っていた。


 だから、魔女は世界中に宝をばらまいた。


 鍵をかけた錠は、ウォーロックにしか見えず、魔女の鍵でないと開くことはできない。

 夜空から恐怖が拭われると、忘れ去られていた月の光が地上に届いた。慈しむように地上に光を届ける月の姿は、変わらずずっと夜空に在ったのだ。

 ウォーロックにより戦争という手段を取り上げられた人間は、それでもしっかりと生きている。

 戦争なんかしなくても、生きていけたのだ。

 世界中にばらまかれた魔女の宝ありきだったかもしれないけれど、宝は迷宮に守られており、行けば手に入るというほど易しくも、優しくもない。

 それでも、ウォーロックの宝に夢を見て、たくさんのトレジャーハンターが生まれた。徒党を組んで盗賊になることも珍しくなかった。ウォーロックの宝は難易度もさまざまで、あっさり手に入る物もあれば、相当難しいものもある。人間一人に、魔女の宝は手に負えない。それでも、ウォーロックの宝は攻略されることを前提としてそこに在るので、どうにもならない代物はない。

 戦争なんてしなくても生きていける。

 そんなことをするくらいなら、宝を手に入れるために頭をひねったほうがいい。


 ウォーロックのかけた鍵は数百年経ったいまも錠が落ちたまま。

 いま生きているものたちは、資料でしか戦争を知らない。


 ★


 ヒメは争いごとは好きではない。嫌いだ。

 大きな声で怒鳴る大人の声も、小声で囁く子供の声も、ひそひそ笑いのあの顔も、大嫌いだ。

 いくら伝説の魔女ウォーロックといえど、その効力にはちゃちなチンピラの小競り合いなんて入っていないのだろう。死人が出るような規模になれば権力争いや勢力争いでも鍵が掛かると噂に聞いたけれど。

 いま、この喧嘩は戦争には含まれないらしい。

「何をしてるですか?」

 ロードが背後で銃を構えるのが分かる。

 銃の威力はおもちゃ同然。それでも彼には十分だから、安心して背中を任せられる。

 相手の数は四十弱。武器所有。

 プロはなし。金目当てのチンピラ崩れ。

「な、なんでそんな強い……」

「! お前らまさか……!」

 土台無理なのだ、争いのない世界なんて。

「魔女の、まつえ――」

 それでも、ヒメはウォーロックの考えは嫌いじゃない。

「ええ、そうですよ。ヒメたちは『魔女の末裔』です」


「大丈夫ですか?」

 全員伸びているのを一山にして、武器は没収。

 絡まれていた赤毛の少女に駆け寄ると、げほげほ咳き込みながらぼさぼさの髪の隙間からこちらを見上げてきた。長い髪はせっかく色鮮やかなのに、伸ばし放題なのか絡まってすごいことになっている。

 服までぼろぼろで、上半身が大きくはだけている。

「服! あいつらにされたのですか? いま服を持って……」

 きょとんと首を傾げた、瞳は夜空の色。

 はだけた服が痛々しい――と、そこでヒメは気がついた。

 大きくはだけた胸元が、ぺったんこというには筋肉質であること。

 左胸に埋め込まれた、ハート型の何か。

「服、何もされてないよ?」

 ぼさぼさの頭をふるふると振って、不思議そうにヒメを見上げた。


「機械的に言えば、俺はアンドロイド。助けなくても平気だったのに」


 エソラと名乗った少年は、小さな子供みたいに首を傾げた。

「……アンドロイド?」

「そう、機械的に言えば、俺は機械だ」

「ほっぺた、血が出てますよ?」

「博士の意向。凝り性なんだよ」

 多少の怪我は再現できるようになってる。

 淡々と答えていくアンドロイド。彼はエソラと名乗った。

「痛いでしょう?」

「痛覚もあるから痛みはある。でも、だからって何にも変わらない」

 うーん、とヒメはハンカチをエソラの頬に当てる。滲みたのか小さく声がして、やっぱり痛いんじゃないかとため息をつく。

「目に見える怪我だけが傷じゃあないですよ」

「……なんで?」

「さっきから聞いてりゃお嬢になんてこと言ってんだお前!!」

「いでっ」

 あ、と止める間もなくエソラの頭が揺れる。

「お嬢に謝れや!! さっきから聞いてりゃ何て口利いてんだ!」

 全身から怒りを立ち上らせたロードの飛び蹴りが炸裂する。ヒメに蹴り技を仕込んだだけあって、身体は小さくともキック力とセンスは相当のものだ。頭をさするエソラは目をパチパチと瞬かせて、呟いた。

「……犬?」

「犬だったらなんかわりーのか? あ?」

 喧嘩腰が高じてチンピラのようになっているロードに怯むことなく、エソラはまじまじとロードを見ている。

 仕方のないことではある。

 なにせロードはスーツをクールに着こなしたパグなのだ。

 サングラスも相まって、見た目はハードボイルドなガンマン候なのだが、いかんせん性格が喧嘩っ早いので口を開けばクールなガンマンはいなくなる。

「……犬って、こんなんだったっけ」

「なんだてめーこらっ」

「ロード、それくらいにしなさい」

「……はいっス、お嬢」

 しぶしぶといった様子で引き下がったロードは隙あらば飛び蹴りを繰り出す気が満々らしい。サングラスの奥からエソラを睨んでいるのが見なくても分かった。

 それでもエソラは気にも留めていないらしい。動じもしないし、怖がったり笑ったりしない。

 けれど、ヒメには受け入れているのとは違うように見えた。

「ほかに怪我はないです? 再現でも怪我は怪我です」

「大丈夫……」

 だって、痛くても痛覚が働いているだけで――だから何だって言うんだ?

 痛みがあったら、何だ?

 傷があったら、何だ?

 エソラの言葉に、ヒメは仕方ないなと言いたげなため息をもうひとつこぼした。 

「……見えない傷もあるですよ、そもそも痛みは目に見えないでしょう?」

「……?」

 エソラを見て、苦くわらう。大きな子供みたいだと思った。

 服は砂にまみれているだけだったので払い、頬と胸元の傷の手当てをする。幸い擦り傷だけで、お金も持っていなかったので何も取られていないとのこと。

 しかしながら。

「……せっかくの赤毛が勿体ないですね」

 ぼさぼさで伸ばし放題とはいえ、エソラの見事な赤い髪は自毛にしては綺麗な赤色だ。

 真っ赤、深紅、レッド、目を引く美しい、長くて赤い髪。

「運命の色ですね」

「……赤い糸?」

「よく知ってますね、案外ロマンチストさんなのですか?」

 首をかしげて見上げてくる夜空の瞳は、どこか頼りない。

 行くとこは、と尋ねれば「ない」とだけ答えた。


「それじゃあ、ヒメのとこに来たらいいですよ」


 うちにおいで、と気づけばヒメは手を引いていた。

「そんな犬猫拾うみたいに?!」

「あなたもわんこでしょうに」

 素っ頓狂な声でロードが叫ぶけれど、エソラは相変わらずぼんやりと取られた手を眺めている。

「どの道泥だらけですし、まずはお風呂ですね」

「お嬢?!」


 ★


「ぜーったい白シャツが似合うと思ったのですけれど、こんな感じですかね」

 帰宅して、エソラと一緒にお風呂に入ったヒメは、エソラをまるっと洗った。文字通りまるっと。エソラは終止されるがままだったけれど、服を脱ぐのだけは絶対無理だと頑として譲らなかったので、服を着たまま湯船に放り込んだ。泥だらけの身体を洗って、絡まり放題の髪を丁寧に解いて梳かした。エソラの服と髪を乾かして、そのまま髪を少し整えて、とさかのように立ててセットしたヒメは、鼻唄交じりに鏡に向かって頷いてみせた。自毛だという赤い髪は洗ったことでさらに鮮やかさを増したように見える。

「……心臓、見える」

「嫌ですか?」

「気持ち悪くないの?」

 真っ赤な髪に、風変わりなぴかぴかの衣装を着たエソラは物語の主人公のようだ。怪盗や冒険物の主人公かなとヒメは自分の見立てに満足していたのだが、そわそわと落ち着かないエソラは不安そうな顔で呟いた。

「気持ち悪くなんかないですよ」

「なんで?」

「まあ、その格好じゃ、絡まれても仕方ないとは思いますけれど」

 舞台や映画、物語の中ならいいだろうけれど、エソラの格好は目立ち過ぎる。

 真っ赤な髪が目を引くのに、ぴったりとしたツナギのような藍色の服は腰の辺りと胸元が大きく開いており、左胸には心臓の位置に淡いピンク色のハートが埋め込まれている。周りにはひび割れのような亀裂模様。

 左手の代わりに金色の銃。

 腰には金色の鍵を三つ通した金の輪と、もうひとつ黒い銃を忍ばせている。

「このご時世じゃ、絡んでくれって言ってるようなものです」

「なんで?」

「物騒ですし、今時銃を持っているのはトレジャーハンターくらいのものですから」

 エソラが絡まれていたのは、ヒメとロードが依頼を受けて攻略したウォーロックの宝のある街のすぐ手前だった。

 依頼達成率は百パーセント、ついた二つ名は「魔女の末裔」。

 まるで魔女のことを知り尽くしたかのようにどんな難易度の迷宮も攻略していくヒメとロードは、報酬こそ宝の三分の一とお高いが、達成率百パーセントとなれば、確実に宝の三分の二が手に入るので依頼人は後を絶たない。 

 気持ち悪くなんかないと言っても浮かない顔のエソラに気に入らなかったのかと聞けば、こぼれたつぶやきは変わらない。気持ち悪くないの? 繰り返す声と、見上げる瞳は子供のようだとヒメは思った。

 寂しがりの、迷子の子供のようだと。

「綺麗ですよ、そのハート」

「きれい?」

「ええ、綺麗です」

 自分の濡れた髪をタオルで乾かしながら、ぽつぽつと言葉を交わす。

 ヒメの長い髪が乾くには時間がかかる。金色の長い髪は気に入っているので、傷まないように手入れには気を使っているのだ。

「何であんなに強いの?」

「現代っ子としてのたしなみですよ」

「げんだいっこ?」

 ヒメはにっこりと垂れ目を細めた。

「護身術はロードに仕込んでもらったものですし、他人の心を多少読むことなんて顔色伺って生きていれば誰にだってできます」

「魔法じゃないの?」

 魔法じゃないです、とヒメはくすくすとわらう。

 微笑んだままで、言葉を並べていく。

「いつでもどこかで死にたがっていたり、終わりの見えないいじめの相手はクラスメイトに教師や先輩後輩、見ず知らずのたくさんからの理不尽な扱いに耐えていたり、裏切りも、過干渉も、無視も、軽蔑も、理不尽も、上っ面も、溺愛も、言葉の暴力も、そのままの暴力も、もちろん嗜んでいますよ。でなければこんなご時世、現代っ子なんてやってられません」

「……でも、ウォーロックが鍵をかけたんだろ?」

 エソラが首をかしげる。癖なのだろうかと思いながらヒメは続けた。

 伝説の魔女、ウォーロック。

 戦争に鍵をかけた魔女。

「それは戦争だけでしょう? 暴力も略奪も、そこらじゅうで起きてるいじめや虐待なんて戦争には含まれません。やたらめったら人が死ぬことがなくなったのも、洗脳みたいに人を殺すことがなくなったのは本当にいいことです。――でも、戦場はどこにでもあるのですよ。家が戦場だって子供なら、十把一絡げの一山いくらで溢れかえっています」

「家が、戦場……?」

「爆弾や銃がなくたって、戦場は戦場です。防弾チョッキもろくな装備も持ち物もないままで、矢面に立たされるのが子供ばかりってのは実際の戦争と似たようなようなものですかね」

「似てるなら、どうして鍵がかからなかったんだ?」

「似てるから、ですよ。似てるは『違う』ですから。同じではないです」

 驚いているエソラに、驚いたのはヒメだった。

「エソラは、幸せな家を持っているのですね」

「……わかんない」

 忘れた、と宙をしばらく見つめてからエソラは呟く。

「一緒に暮らしてたひとは?」

「博士なら、もう死んじゃったからいない」

「それからずっと、ひとりだったのですか?」

「……わかんない」

 エソラは首を振る。

 そんな仕草が幼く見えて、ヒメはなんとなくわかった気がした。

 エソラがロードの姿に何も言わなかった理由。

 興味がないのだ。

 周囲にも、きっと、自分にも――それなら、誰を思っているのだろう。

「忘れちゃだめですよ」

「?」

 それでも、エソラの思う「家」が幸福であることには変わらない。エソラの「普通」は、きっと幸せなものだ。エソラにとってどうだったのかは知らないけれど、好きだと思えるものだったらいいとヒメは思った。

 ヒメは絆創膏で覆った頬を、ぷにっとつつく。

「エソラの普通は、誰かにとっての叶いもしない幻想ゆめなんです」

 世界はそんなもので溢れてる。

 誰かが誰かを羨んで、羨まれた誰かも誰かを羨んで。

「……だから、流れ星が迷子になるのですよ」

「迷子?」

「そうですよ、願われたことを忘れられたら、流れ星はどうしていいかわからなくなっちゃいますから」

 流れ星は星の最期。

 どうして自分が死ぬときに流れ星が願いを叶えるのか。

「きっと、寂しいからだと思うのです」

「?」

 こてん、と首をかしげるエソラにヒメは微笑む。

 ああ、なんだか似ていると。

 この子は迷子の流れ星みたいだな、を思った。

「死んでしまったあとに、帰る場所がほしいのですよ。星は夜空にたくさんあるから、見上げて綺麗だなんて言っても、どれがどれかなんて分からないですもん。だから、見つけてほしくて、最後に自分の身体を燃やし尽くしてでも見つけてもらおうとするのですよ。そして誰かが見つけれくれたなら、そのひとの願いを叶えて、そのひとの心に住まわせてもらおうとしたのではって、ヒメは思うのです。帰れたら、居場所をもらえたらって、そうして流れ星は輝くのです」

 だからヒメは、生半な願い事はしないのです。

 と、言い終えてからじっとこちらを見ているエソラと目が合って、ヒメは少し恥ずかしくなった。

「男の子にはロマンチックすぎましたかね」

「……ヒメは、何を願うの?」

「え?」

「心からの願い事なら、ヒメは、星に何を願うの?」

 ヒメはそっと微笑んだ。

「秘密ですよ、女の子の願い事なんて」

 いいな。

 エソラが呟いた。

「俺はない、願い事。……でも、それはかなしいんだって、誰かが言ってた」

「かなしい?」

「願い事が、ないこと」

 でも、機械には重たいよ。誰かの命は。

 背負うのも抱えるのも、重たいし、どう扱っていいか分からない。

 エソラは相変わらずぼんやりとした口調だったけれど、そう言った。

 この子はとても優しいんだとヒメは気づいた。

 淡々としているし、アンドロイドだけれど、ヒメの言葉に耳を傾けて、ロードをわらったりしなくて、こんなにも優しい。

「優しいですね、エソラは」

「機械的に言えば、俺はアンドロイドなんだから優しさなんて知らないよ」

「ヒメには、優しく見えるのですよ」

「なんで?」

「エソラが優しいから」

 変なの、とエソラはそっぽを向いた。小さな男の子みたいな仕草が可愛くて、ヒメは赤い髪をわしゃわしゃとなでた。


「なあーにいちゃついてんっすかあ!!」


 ドアを蹴破る勢いで部屋に入ってきたのはロードだ。

「嫁入り前の娘が見知らぬ男と二人きりなんて許さないっすよ! 危険極まりないっす!」

「……過保護すぎません?」

「いーえ!」

 ふと、ヒメはエソラの左手を見た。

 左手の場所で輝く金色の銃は、見ただけで不思議なものだと好奇心をくすぐる。

 好奇心は猫をも殺すというけれど、好奇心でもなけりゃこんな終わりかけた世界で生きてられない。

「エソラの銃は空気砲ですか? ゴム弾でしょうか?」

 そっと手を伸ばして問うてみる。

 義手とはまた違うようなそれは、澄んだ水色の炎のようなものが揺らめいている。

「触るな!」

「え」

 左手の金色の銃に手を伸ばしたヒメから、エソラは素早く手を引っ込めた。

 目を丸くしたヒメの後ろから、ロードがすぐにでも飛び蹴りをお見舞いせんと膝を緩めて構えている。ちらりと振り返って目線でたしなめた。

「ごめんなさいです。綺麗だったから、つい」

「……悪かった。驚いただけだから」

 これは銃なんかじゃないよ。

 小さく囁く声がして、ぽんっと軽い音。ヒメの目の前に小さな花束が現れた。

「ただの手品の道具」

「……可愛いです」

「あげる」

 水色のリボンがかけられた花は、白や黄色の優しい色合いで愛らしい。

「ありがとうです」

 ふふーっと鼻唄交じりに小さな花束を抱きしめる。

「手品が得意なのですか?」

「大道芸、みたいなのでお金もらったりしてきた」

 どんなのか尋ねれば、その場でくるりと宙返り。「玉乗りも、綱渡りも、だいたいのことは出来る」とエソラは指折り数えた。

「誰に教わったのですか?」

「……たぶん、博士が組み込んだだけ」

 すごいすごいとヒメが問えば、曖昧な返答を寄越した。

「機械的に言えばただのプログラムだよ」

「でも、その通りに動けるエソラはすごいですよ」

 それから話はエソラのここまでの道中に移った。

「マントとか、羽織るものは?」

「持って、ない」

「夜は寒くなかったんですか?」

「俺は、アンドロイドだから平気」

 淡々と答えるエソラに「夜は冷えるっていうのに」と呆れながら、ヒメはゆるくわらった。


「そもそもお前、どこに行くつもりなんすか?」

「ツクヨミ街」

「……ツクヨミ街?」

 予想外の答えに思わず声のトーンが下がった。

 お前もはっきり答えろっすと言いながら、ヒメを気遣ったロードが間に入る。

「服のセンス以外も変わったガキっすね。ほんとに何の用っすか?」

「……魔女の、魔宮の宝を探してる」

「ウォーロックのですか。どうして迷宮でなく魔宮なんです?」

 ウォーロックの宝は迷宮が守っている。

 しかし、そのうちのいくつかは魔女の魔力がその土地で暴走して「魔宮」と化していた。難易度も危険も段違いに跳ね上がる。

「宝自体は迷宮も魔宮もそう違いはないっすよ」

「ですよ。どうしてあなたは魔宮を選ぶんです?」

「機械的に言えば、魔宮にしか、俺の探し物はないから」

 エソラは左胸に手を当てた。


「俺は心臓の代替品を探してる」


 エソラは心臓を撫でた。

 本当なら心臓があるはずの場所に埋め込まれた、偽物の心臓を。

「宝箱の中に、俺の命があるんだって、博士が言ったんだ」

「魔宮の、宝箱?」

「そう言ってた。機械的に言えば燃料とか、電池」

「どうして博士は魔宮の宝を知ってるのですか?」

「さあ、わかんない。でも、なんでも知ってるひとだったよ」

 もういないから理由は聞けないけど、とエソラは淡々と呟いた。

「博士が、地図を遺してくれた。魔宮にしかないのも、調べておいてくれた」

 左手の銃に揺らめく炎に手をかざすと、炎と同じ色、澄んだブルーの線で地図が浮かび上がる。

 ロードが思わず感嘆の声を上げ、ヒメも目を瞬いた。

「それ、地図ですか……?」

「うん、なんで?」

 聞き返しながら、エソラは右手の指でタッチパネルを操るように光の線に触れる。

 途端、炎と同じ淡いブルーの線で、空中に地図が現れる。いくつか星印のアイコンが点在しており、そのうちのひとつを含む「Tsukuyomi city」と表示された街の名前に触れれば、今度は縮小された街の立体映像が現れる。

「これ、地図……?」

「そうだよ?」

 精密な立体地図は、かつてのツクヨミ街を見事に映し出している。

 ヒメにとって懐かしい景色が広がる。

 ただし全て黒くぼやけているけれど、ヒメはただ、見つめていた。

 資料でしかタッチパネル式の地図なんて見たことがないと言えば、エソラは不思議そうにヒメを見る。

「こういうの、ないの?」

「あったはありましたよ? でも、使いこなすどころか、人間が言いなりになってしまったので、いっそ自我を機械に持って適度なところで制限してもらおうってなったのです」

 情けない話だとヒメは思う。扱えもしない機械を作るだなんて。

 ロードは、そんなものっすと言うけれど。

「でも、おかげでキュートに出会えたのでヒメはいいのですけれどね」

 そっか、とエソラはヒメの話を聞き終えると地図の画面に戻り、アイコンの意味などをあれこれ説明していく。淡々と操作していくエソラの指先で、美しく、正確な地図が展開されていく。

 すごいですね、と思わず言葉がこぼれた。

「機械的に言えばすごいのは博士だよ。機械の俺に、博士がくれた機能」

 機械同士、俺とこいつは相性がいいんだよとエソラは言って、指をさした。

「この地図の点滅してる星印は、俺の探してる宝箱の位置を示してる。だけど、わからないことがある」

 星印のアイコンは街を覆うように点滅していた。

 精密な立体映像は黒くぼやけてほとんど見えない。

「エラーは考えづらいけど、分からない。魔宮ってのは、そんなに大きいの?」

「……その地図、すごいですね」

 ヒメはぽつりと呟いた。

 ロードが心配そうに見ているのは分かっていたけれど、正確すぎて、わらってもぐちゃぐちゃになることは分かってた。

「それで、合ってますよ」

「何が?」

「魔宮です。星印が街全体を覆っているのでしょう?」

 正確に魔宮の大きさは分かりません。

 そもそも迷宮、魔宮ともに、外から見た大きさと内側の広さは全く違う。外からは六畳一間ほどに見えても、入れば巨大な城が広がっているような、物理法則なんて軽やかに飛び越えた、でたらめな代物が魔女の宝を守っている魔宮なのだ。

 ある程度の差はあれど、小さなもので六畳ほど、大きくても直径五十メートルくらいの広さがこれまで見つかった迷宮、魔宮の広さに当てはまる。内側にはその倍ではきかない広さで物語の世界が再現されている。攻略が目的で、あとには残らないため、誰も危険を犯してまで広さを確かめたものはいないけれど、百人の盗賊が一斉に入って方々を探し回っても、誰ひとり行き止まりにぶつかることはないのだという。人数がそこからどう増えても変わらない。

「でも、その地図は正解です」

 ツクヨミ街の魔宮だけは、これまでの広さに当てはまらない。

 砂漠にできたものだって、もっと小さいのに。

「迷宮も多少影響はあるそうですが、魔宮はその土地をはっきりと狂わせるのですよ――いまのツクヨミ街は、街全体が魔宮と化しているのです」

「全体が?」

 エソラの言葉をそっと逸らして、ヒメは問う。

「それで、魔宮の宝がエソラの必要なものなのですか?」

 エソラは首を振って、先程と同じ台詞を繰り返した。

「魔宮にだけある宝箱。それに、俺の命の代替品が入ってる」

「代替品?」

「俺はアンドロイドだから心臓がない。だから、心臓が止まることはない。――心臓がないから、死ねない」

 でも、身体にガタは来る。ひび割れがその証拠。

「不老不死って、不死に限っては中身の魂を別の身体移し替えていく方法なら、希望はあるんでしょ? でも不老は不可能に近いって。ひとつの身体で何百年、何千年を生きようとすれば、時間旅行でも出来るようにならないと夢のまた夢。身体の時間を止めてやらないと、無理」

「その理屈はきいたことあるっすよ」

 実際理にかなってる、とロードが呟いた。

 でも、とヒメは口を開く。

「死ねないって、エソラはどれだけ生きているんですか?」

「さあ。でも、身体のほうはけっこう限界みたい」

 言葉を失うヒメとロードに、エソラは呟いた。

「ひび割れが広がると、限界が近いんだって。もう、こんなだから」

「どれくらい保つとか、分からねーんすか?」

 分からない、と答えてエソラは胸を撫でた。

「だから、宝箱を見つけなきゃならない」

 あ、とヒメはある噂を思い出して口を開いた。 

「もしかして、それって財宝の中に紛れ込んでいる小さな開かずの宝箱ですか?」

「たぶんそれ。なんで?」

「もういくつかはウォーロックの宝は見つかっていますから。そもそも見つかるようにウォーロックは宝をばらまいたのでしょう? 攻略された過去の魔宮の情報は少ないですが、それでも金銀財宝に紛れて、小さな宝箱が時々入っているってことは聞いています。何をどうしても開かないって聞きました」

「それっていまどこにある?!」

 ヒメの肩を掴むエソラをロードが蹴り戻して「おとなしく座ってろチビ」とサングラス越しに睨む。ごろんと転がったエソラの手を引いて起こしながら「わかりません」と申し訳なく思いながらヒメは答える。

「なんで?」

「これも噂でしかないのですが、宝箱は一ヶ所に集まっているらしいのです」

「どこに?」

「わかりません。でも、その小さな宝箱にしか興味を持たない魔術師だか研究者だかペテン師だか、そんなあやふやなひとがいるとか。そのひとがいままで見つかった宝箱をすべて持っているそうです」

 ペテン師。

 エソラはその一言にぴくりと反応した。

「エソラ?」

「……何でもない、どこにいるかはわかんないの?」

「これでも一応情報収集だってしますけれど、一向に不明なのですよね……」

 ごめんなさいと苦笑いするヒメに、エソラは「これでもって?」と聞いた。

「ヒメたちはトレジャーハンターなのですよ。ウォーロックの宝専門の。『魔女の末裔』ってのが通り名です。同業者間でも情報収集はわりと密にやり取りされてますから」

「その、宝箱を集めてる男の名前って分かる?」

「オズ」

 ハートだけ集めてる変わり者の名前はオズっすよ。

 ロードが答えると、エソラはその名を繰り返した。

「……オズ」

「もしかして、オズを知ってるですか?」

 ヒメがふと見れば、エソラは顔面蒼白で明らかに様子がおかしい。

「エソラ? エソラ?」

 肩を揺さぶって、名前を呼べば、冷や汗をかいて呼吸も荒いながらに、目の焦点がヒメに合う。

「大丈夫ですか?」

「機械的に言えば、俺はアンドロイドだって、言った」

 若干呼吸の乱れているエソラは、淡々と変わらない口調だが、ヒメはエソラに毛布をかけた。

 果たしてアンドロイドが取り乱すのかはさておき、何かに怯えているように見えたから。寒くしてはいけないと思ったのだ。

「いらないよ?」

「いいからかぶっておきなさい。何か食べましょう」

 食べ物は普通の食事で大丈夫かと聞けば頷くので、ヒメが立ち上がろうとしたが、ロードが自分がと台所に向かった。

 寒いこと。

 お腹がすいていること。

 ひとりでいること。

 この三つはそのままにしてはいけないことだと、ヒメは思っている。

「機械だから、放っといていいのに。ツクヨミ街の宝箱はまだあるの?」

 毛布に包まったままのエソラに、放っといていいなんて言わないのとヒメがたしなめる。

「いま、ツクヨミ街はその地図の通り、黒い霧に覆われています」

「なんで?」

「魔宮になったから、ですね」

 迷宮は白い霧に覆われて、痛覚はなく、ポイントがゼロになれば失敗。攻略するには、物語のラストシーンに隠されている金色の鍵を探し出さなければならない。

 対して魔宮は、黒い霧に覆われて、その土地を狂わせる。魔宮でもポイントがゼロになれば失敗という条件は変わらないが、痛覚はある。死にはしないけれど。攻略の鍵は銀色の鍵だが、ラストシーンに隠されているわけではなく、その都度隠し場所がランダムに変わる。

「だから、黒くぼやけてるのか」

「そうです。エラーどころか正確ですよ。……ありますよ、たぶん」

「何が?」

「魔宮の宝ですよ。見つかってないのです。魔宮が消えないので、たぶんどこかにまだあるはずです」

 もう十年もさがしているのに、とヒメはこぼした。

「十年?」

「そう、十年です。ロードと一緒に探し始めたのは、もう六、七年になりますね」

 ――なんで、そんなに探したいの?

 口を開こうとして、ためらっているとロードがほかほかと湯気の立つスープを運んできた。

「美味しそうです、さすがロードですね」

「ありがとうっす! お嬢のお世話はオイラの幸せっす!」

 ぼーっとしていたエソラは、不思議そうに呟いた。

「……ごは、ん?」

「え、スープとカロリーメルトですよ?」

「かろ……?」

 ほかほかと湯気もいい香りの、具だくさんのコーンクリームスープに、バランス栄養食のビスケット、カロリーメルトのプレーン味。ロードの作る食事は栄養バランスも絶品で美味しいし、何か苦手なものでもあったのだろうか。

「……これ、ごはん?」

「ほーら、アンドロイドも驚いてるっすよ」

「カロリーメルトはごはんです」

 いただきます、と手を合わせる。

 エソラも慣れた様子で「いただきます」と手を合わせた。視線に気付いたらしいエソラがヒメのほうを向く。

「博士にちゃんとしなさいって、言われてるから」

「そうですか、素敵な方なんですね」

 なんだか母親と息子みたいだとヒメは思ったけれど、なんとなくそれは口に出さなかった。

「……おいしい」

 スープに口をつけたエソラが、ほう、と息をつく。

「当然っす、オイラの料理はお嬢のためのものっすから」

「ロードの作るものはご飯もお菓子も美味しいのですよ」

「ありがとうございます、お嬢!」

 エソラの顔に赤みが差して、顔色が元に戻っていく。なんだ人間と変わらないじゃないかと思って、博士はどんな理由でエソラをこんなふうに作ったのだろうかとヒメは思った。それほどの技術を持っていれば、名前くらい残っているのではとエソラに聞いてみる。

「博士の名前? アリスだよ」

「アリス……聞かない名っすね」

 ロードはそれだけ言って食事に戻った。後からキュートのデータも調べたけれど見つからなかった。

 こわばった身体から力が抜けたのか、そのあとエソラがとんでもない大食らいだと発覚したのはまた別の話。そりゃ炭水化物が好物のはずっすよ、と三日分の食料を平らげられてしまったロードがため息をついた。

 食べるだけ食べたエソラは、電池が切れたようにぱたりと眠ってしまった。

「お嬢にも見習ってほしいですね、そこだけは」

 洗い物を片付けながら、常日頃からきちんとした食事をヒメに摂らせたがっているロードが、やんわりとため息をつく。

「あのトサカの喰いっぷりに触発されると多少は役に立つんすけど」

「見てるだけでお腹いっぱいになりましたよ」

「逆効果じゃないすか」

 にしても、とエソラを見る。

「……なかなか、事情が複雑そうですね」

「事情なんて持ってるだけで複雑なもんっす」

「何が?」

「あら、起きたんですか?」

 ぽやあっとした顔で身体を起こしたエソラがくありと欠伸をこぼす。

「ごちそうさまでした」

「あー、お粗末さまでしたっす」

「素直ですね、エソラは」

 はて、と首をかしげるエソラにわらいかける。

 彼が何かおかしなことを言ったわけではないのだ。

「似たり寄ったり、誰でも事情は持っているっていいますけれど、ね」

 ヒメは座ったままのエソラに手を差し出した。


「行くところも予定もないなら、ヒメたちと手を組みませんか?」


 首をかしげるエソラに、渋い顔のロードを見てくすりとわらう。

「いえ、今すぐ答えは要りません。ただ、ヒメたちの目的は魔宮を攻略することにあるので、宝箱があってもほしくはないのです。だから、エソラにあげます」

「くれるの?」

「おい聞け話を。手を組むんだからおめーも働くんだよ」

「お手伝いをお願いしたいってところですかね」

 もしよければ、ですけれど。

「いいよ?」

 そのまま答えるエソラを「待ちなさい」とヒメが苦笑いで抑える。

 見てから決めてほしいし、体験して決めてほしいのですよと言っても、いいのに、と少しむくれた顔をする。本当に子供みたいだと笑みがこぼれて、ヒメはもう一度手を差し出した。

「私はヒメ、こっちは相棒のロードです」

「ヒメと、ロード?」

「呼び捨てしてんな、先輩と呼べっす」

 エソラが素直に「先輩」と呼べば、用もないのに呼ぶなと一喝している。

 二人のやり取りを見ていたヒメが堪えきれずに吹き出した。

「こーら、あんまり新人さんをいじめないでください、ロード」

 エソラは子供のように首をかしげる。

「……ヒメは、魔女?」

「違います。確かに魔女だの何だのって言われてはいますけれど――あれくらい、現代っ子として当然の嗜みですよ」

「現代っ子……? 魔法じゃなくて?」

「多少の護身術も、かじったくらいの読心術も、魔法じゃないです。こんなご時世の現代っ子には必須なのですよ」

「魔法じゃないの?」

「魔法じゃないです。現代っ子として当然の嗜みです」

 支度は上着だけでいいだろう。

 エソラに黒っぽいチェック柄のブランケットをマント代わりに巻きつけてやる。

「さて、立ってください。行きますよ、連れてってあげます」

 それから答えは聞きますよ、と言うヒメにエソラが不思議そうな顔をする。

「どこに?」

「魔宮にですよ。――ここは、ツクヨミ街の隣、ホシミ村ですから」

 ツクヨミ街まで自転車で十分です、と言えばエソラが首を傾げた。


 ★


「エソラ? しっかり捕まってくださいね」

「てめー変なとこ触ったら即! 蜂の巣にしてやるっすよ」

 うん、とたぶん両方に返事をしたらしいエソラは、後ろの荷台にちゃんと座って小さな子供のようにヒメの腰にしがみついている。

 ロードは不服そうだが仕方ない。というのも、出かけるときにひと悶着あったのだ。

『初めて見た』

 エソラはそう言って、荷台に危なげなく立ってみたり、ハンドルの上を歩いてカゴを覗き込んだりと、大道芸で路銀を稼いだ身体能力と、子供のような好奇心をわかりやすく披露してくれた。

 その身体能力なら荷台にただ座っているのは、椅子に座っているのと変わらないだろうけれど、不意に何に興味をそそられて動くか分からないので、しっかりお腹に手を回してしがみつくように言い聞かせることで落ち着いたのだ。

「すみませんお嬢……オイラがこんな身体なばかりに」

「こーら、それは言わない約束です。それにヒメはロードが近いのでこの感じ好きですよ」

「お嬢! ありがとうございます!」

 濃い赤のボア付きパーカーを羽織ったヒメは、自転車の後ろにエソラを、前かごにロードを乗せて、信号機なんてありはしない夜道を走る。月が凍った頃には世界から四季なんて失われていた。国や地域によるけれど、元々そうであった所を除けば、幸い極寒や酷暑になったという地域はなく、ヒメのいる辺りは昼も夜もそれなりに過ごしやすい気候だ。ロードはバスローブを着る以外はかっちりとスーツを着ており、ヒメはざっくりと大きめのパーカーを羽織るのを好んでいる。エソラにはマント代わりにブランケットをピンで留めてやった。

 それなりに大きな道路だが、エソラの乗ったヒメの運転する自転車しかいない。

「誰もいないの?」

「この道はツクヨミ街にしか通じていないですから、誰も来ませんよ」

 この十年ですっかりそうなってしまったです。

「ツクヨミ街、ってエソラ言いましたよね?」

 ヒメは皮肉っぽくわらった。いまあの街をそう呼ぶひとはほとんどいないです。

「でも、あの街は」

「ええ、ツクヨミ街です。月がよく見えるから、毎年中秋の名月にはお月見のお祭りが開かれていて、活気のある街で有名でした。街の中心には大きな教会があって、月夜に結婚式を挙げようとたくさんのひとが訪れていました。日中だって空が綺麗に見えますから、たくさんのひとが結婚式を挙げに訪れる街でした」

 ヒメは思い出をなぞるように空を見上げる。

 凍りついた巨大な月の輝く空が、自転車で進む一行を照らしている。

「病院でさえ、陰気ではなかったくらいです」

「なんで、いまは誰も呼ばないの?」

「だって、月がありませんから」

 エソラが後ろで空を見上げる気配がした。

「あるよ?」

 凍りついた月がきらきらと輝いている。巨大な、夜空を埋め尽くすような光。

 強烈な存在感。

「ですね、でも、見れば分かりますよ」

「お嬢……」

 心配そうに見つめるロードに感謝や大丈夫だとか、色んな気持ちを込めて微笑む。ヒメの住んでいる家からツクヨミ街までは自転車で十分ほどだ。もう少ししたら着きますよと声をかけて、ヒメはエソラに尋ねた。

「初めての自転車、楽しいですか?」

 エソラがお腹に回した腕に、少し力を込めた。

「楽しい」

「それはよかったです」

 ――ほんとうに、よかったです。

 いつだって囁きを聞き逃さないロードが、たくさんの気持ちを込めた目でちらりとヒメを見た。サングラス越しだって、ヒメとロードの間には関係なかった。


「着きましたよ」

 かたん、と自転車のスタンドを立てる。ママチャリの丈夫なこと。

 そして、魔宮だというのに誰もいないのも変わらない。電子コウモリたちが赤い目を光らせている。その中に一匹、エメラルドのような緑色の目が一対。

「エソラ、あの緑色の電子コウモリがオズのものです」

「目の色だけ、違うの?」

 特徴的な緑色の目は、他にはない。ただどの迷宮にも魔宮にもオズの電子コウモリはいる。すべてのウォーロックの宝を見張っている。ほかには見た目に違いはないけれど、どこかへ移動するのを見たこともなければ、下手に尾行しようとして攻撃されたという噂もある。人語を話したとか噂には本当に事欠かないのだが、とどのつまりは何をしているのか分からない。宝箱を躍起になって収集しているのも盗賊を雇っているらしいが、誰も姿を見たことがない。それがオズだった。

「……機械的に言えば、オズだけ目の色が、違うんだね」

「エソラ?」

 ううん、とエソラはオズの電子コウモリから視線を外した。

「このアーチの向こう側はツクヨミ街です。いまではここは魔宮への入口ですから、一歩でも足を踏み入れたら挑戦者とみなされますので気をつけてくださいね」

 死ぬことはありませんけれど、痛覚は存在しますので。

 言葉を失うエソラに、ヒメはツクヨミ街が「こう」なるまでを語った。

「月が凍ったくらいでは、何も変わりませんでした」

 ツクヨミ街はすぐに衰えたわけではなかった。

 幻想的な金銀の月明かりは、月が凍って失われてしまったけれど、怖いくらい大きな月を背景に挙げる結婚式の人気は、こんなご時世だからこそと、むしろ街ぐるみで活気づいたくらいだった。水晶玉のような月をモチーフにした指輪が作られたり、料理を月を模した氷の器で出したりと、恐ろしさではなく凍ってもなお美しい月を街の人々は愛した。

「けれど、ウォーロックの宝が現れて状況は変わりました」

 TSUKUYOMI CITY と大きなアーチに書かれた看板は朽ちて、寂しそうに揺れている。

 教会も何も見当たらない。

 巨大な黒い霧が街をすっぽりと覆っている。

 けれどそれも、ひとつの不在の前では霞んでしまう。


 エソラが目を見開く。

 どうやったって月がどこにも見えない、がらんどうの夜空。


「宝と、魔宮が現れてから数年かけて、街に住む人はどんどん活気を失っていきました」

 ヒメは錆びたアーチを見上げた。

 まるで吸血鬼に生命力を吸われるように、どんどん覇気がなくなって、笑顔がなくなって、原因不明の病に伏せるようになり、最後には病院さえ機能しなくなって、人々は街を離れざるを得なくなった。

 月が失われても諦めようとしなかった人々を、病は容赦なく襲った。

「いまはもう、ヒメしかいません」

 ヒメはそこでちいさくわらった。自嘲するように。

 どうなったと思います? どうって? 街の人ですよ、出て行った人達。

「……死んだ?」

「みんな、元に戻ったのですよ」

 最悪の事態を口にしたであろうエソラに、ヒメは答えた。

 さらに最悪ともいえる事実を。

「街から離れると、治った?」

「そうです。でも、戻ってくるとまた吸い取られるようにして床に伏せるのですよ。その繰り返しで、誰もいなくなってしまいました。――住めなくなってしまった、と言ったほうが正しのでしょうね」

 最後まで、街の人々はこの地に留まろうとした。

 けれどこのままでは死んでしまうところまでくれば、病院に連れて行かれる手を振り払うこともできない。

 生きてほしい、死んでほしくないのだと愛するものに縋られれば断れるものがいるだろうか。

 だからヒメは責めるつもりなんて毛頭ない。一緒に頑張ってほしかったなんて思わないし、思えない。ヒメは残りたいと思って、思ったように残ることができたというだけのことだ。

「だからもう、だれもいないのです」

 ウォーロックの宝は、魔女の力を帯びているから、その土地に多少影響を及ぼすこともある。

 でも、見つけさえすればその異常は元に戻る。それは昔からいわれていることだ。

 ――でも。

「こんなの、多少じゃないです」

「お嬢……」

 そっと靴に触れるロードに、ヒメは微笑む。と、エソラが問うた。

「ヒメは、なんでここの宝を狙うの?」

「ここがヒメの生まれ故郷だからです」

「……」

「……」

「……だけ?」

「だけとはなんです」

 エソラにとっては予想外の回答だったらしい。ヒメは腰に手を当てる。

「ヒメにとってこの街は、宝物ですから」

 約束も、好きも、思い出も、たくさん詰まっているのだ。

 それに、元に戻すとヒメは誓った。

「約束したんです。だから、叶えなきゃならないんです」

「約束?」

「ええ、大切な友達と約束したのですよ」

 約束、とエソラは考えるような素振りをして、問うた。

「それは、ヒメの、願い事?」

「ヒメは流れ星じゃなくて、自分で叶えますよ」

「そっか」

 俺には、そういうもの、わかんない。

「ヒメは、流れ星みたいだね」

 叶いますように、とエソラが真っ黒い空を見上げた。


「魔宮、入らないの?」

「下手なプロでも魔宮は危険なんすよ」

 ですよ、と帰り道の自転車をこぎながらヒメは説明した。

「痛覚があるのでトラウマになることもありますから。いくら実際にはかすり傷ひとつ負わないにしたって、精神的に危険なのですよ」

「俺は機械的に言えばアンドロイドだから、精神なんてないのに」

 エソラは意外と好戦的なのか、すでにやる気だったらしい。

「でも、魔宮の難易度は正体不明なんです」

「なんで?」

「知るかっす。でも、この街がこうなったのは、ウォーロックの宝が来て、かなり時間が経ってからなんすよ」

「迷宮は、宝と同時のはずでしょ?」

 首を傾げるエソラにヒメが答えた。

「宝が現れたのは、ずっと後も後の、十年と少し前です」

 ウォーロックの趣味なのか、迷宮は童話を舞台にしていることが多い。

 通常、街の一角に現れる迷宮はおどろおどろしい様子なんて微塵もない。

 登場するキャラクターは攻撃性が高いけれど、建物や景色は美しい。そもそも迷宮はウォーロックにとって攻略してほしいものだ。痛覚がない時点で甘くしてもらっている予想はつく。白雪姫の迷宮だって、城は調度品まで細やかな細工の施されたもので揃えられていて、森は緑豊かで木々も花も美しかった。

 魔宮であれど、もとは迷宮だ。

 魔力の暴走で魔宮になった迷宮というだけのこと。

 だから元になっているのがおとぎ話というのは変わらないのだ。

「とある魔宮に狂わされた村に幽霊村、なんて呼ばれていた地域がありました。昼も夜もなくなって、太陽の光さえも届かなくなって、生き物の住める環境ではなくなってしまっていたそうです」

 その村は魔宮を攻略したら元に戻ったという。もう百年近く前の話で、もうその村には幽霊なんていなくて、人も住んでおり、作物も豊かに実る。

「だから、この街だって宝を見つければ元に戻るはずです」

 ヒメはハンドルをぐっと握って月を見上げた。ツクヨミ街からだけ消えた月。

 取り戻す前にどうか世界が終わらないでほしい、ヒメは切に願っている。

「あの魔宮は『眠り姫』です」


 ★


 朝早く、まだうつらうつらしているエソラを乗せてヒメは黒くてごつい愛車を転がしている。

 目指すは依頼された迷宮だ。

「でもお嬢、そもそもこいつ使えるんすか?」

 ロードが助手席で仏頂面のままちらりと後ろを見る。

 そもそも彼はヒメがエソラを拾ったことについても心配していたのだ。それは仕方がないとヒメは自分の過去から分かっているけれど。

「それを決めるのは、ロードの役目でしょう?」

 答えれば、う、と言葉を詰まらせた。昨晩、自転車での帰り道でロードが言いだしたのだから仕方ないことではあるのだ。


『だいだい生半なやつじゃトラウマになるだけっすよ?』

 足を引っ張る云々と、おかんモード炸裂のロードにヒメが提案したのだ。

『じゃあ、ロードに任せます』

『え?』

『は?』

『エソラは宝箱、欲しいのですよね? ロードが認めたら手を組みましょう』

『手を、組む』

『え、ちょ、お嬢?』

『ヒメは宝箱に興味はありません。手に入ったらエソラにあげます。ヒメは魔宮が消えて街が元に戻って、ツクヨミ街の再興のための資金が集まればそれでいいです』

 迷宮は宝を見つければ消滅する。こじれたとはいえ魔宮も同じだ。 

 宝の三分の一を依頼料に迷宮を攻略しているヒメたちはすでに相当稼いでいるので、資金面での心配はほとんどない。依頼を受ける過程で人間関係のパイプも築いている。

 魔宮が消えれば、元通りのツクヨミ街にしてみせる。月も夜空に戻ってくるとヒメは信じているのだ。

 エソラのことは足手まといにならなければいい、それくらいにしか思っていなかった。


 依頼された魔宮は「赤ずきん」だった。

 ヒメはミニスカートに赤いポンチョの赤ずきんを模した服に身を包み、髪はツインテールに結っている。

 絶対無理はしないでください、と迷宮に入る前に散々言い聞かせた。

 赤ずきんの舞台は、森と花畑におばあさんの家だ。

 森の木々の魔法陣からは鋭いハサミが蝶の群れのように飛び出してくる。ほかには大小さまざまな岩が狙いを定めて落ちてくるは転がってくるはで気が抜けない。花畑にはゴシックロリータファッションに身を包んだ狼が潜んでおり、大きな身体でフリルを揺らしながらものすごいスピードで牙をむいて追いかけてくる。

 それらに気を取られて地面の魔法陣を作動させれば、足元が落とし穴のように抜けて井戸に落っこちるか、水柱に捕らわれる。

 森にはライフルを装備した猟師が狼を狙いつつ、こちらにも容赦のない弾丸を見舞ってくる――のだが。

「ちょ、お前何して?!」

「? だって、飛んできたから」

 エソラはハサミの群れを左手のでも、黒い銃でもなく、腕で払った。

 刃物の群れを受けた腕は、服にさえ傷一つついていない。通常なら腕が吹き飛んでいるはずだ。

 エソラは落とし穴の魔法陣を幾度となく作動させながら、落ちても十メートル以上の深さから飛び上がって戻ってくる。水柱のときも避けきれなければ、そのまま力任せに突破した。

 魔法陣は撃って壊せば作動しなくなるので、ロードは見つけ次第撃っていく。

 それを聞いたエソラは、でたらめだった。

 森の木々そのものをなぎ倒しながら進んでいく。遭遇した猟師や狼から逃げようとするのもほんの少しのこと。飛びかかられて噛み付かれるも倒れない。不思議そうにゴシックロリータファッションの狼を見て、首根っこを掴んで放り投げる。銃弾を浴びせようとする猟師をロードがすんでのところで仕留めた。

「お前いい加減にしろっすよ!!」

 死ぬっすよ?! とロードの怒声が響く。

「ありませんね……」

 鍵はあった。金色の鍵はおばあさんの家の井戸の中に浮かんでいた。

 しかし鍵穴がない。

「とすると……」

 難易度は中のやや甘めといったところだが、赤ずきんのエンディングは二パターンある。 

 赤ずきんとおばあさんが狼に食べられておしまいのお話。

 食べられた二人を猟師が狼の腹を切り開いて助けられるお話。

 ちなみに後者はそのあと赤ずきんとおばあさんの代わりに石を詰め込まれた狼が水を飲みに川もしくは井戸に行き、腹の重みに水の中へ落っこちて溺れ死ぬ。大概ついてない狼だな、とヒメは思う。人間を食べた狼はそこまでの仕打ちを受けるべきなのだろうかと。

 思考を戻して家を出れば、目の前におばあさんが転がっていた。

「え?」

「魔法陣も破壊済みっすよ」

 ロードがエソラをちらと振り返る。

 一ポイントも減っていないどころか、全キャラクターを倒した上に魔法陣も破壊した?

「お嬢、鍵は?」

「ありました、でも鍵穴が見つからないのでもう一度森を……」

「あっち、家がもうひとつある」

 ヒメの赤いポンチョをくいと引いて、エソラが指さした。森の向こう、おばあさんの家と反対方向だ。

「なんでわかるんすか?」

「機械的に言えば、機能。目がいいから」

 赤ずきんに家は一軒しか出てこない。なら誰の家だと考えて、ヒメは駆け出した。

「エソラ、もうひとつの家に案内してください」

「お嬢?」

「二人とも来てください、鍵穴はきっとその家です!」

 森を駆けて行けば、新たなエリアに入ったことで作動した魔法陣を避けるたびに「お嬢! だからパンチラ厳禁ですってば!」とロードが叫ぶが気にしていられない。

 ハサミの群れは蝶のようにまとわりついてくる。そんなものをお上品に避けていたらポイントなんてあっという間に減ってしまう。聞こえない振りで先を急いだが、後で恒例のお説教は免れさなさそうだ。エソラは狙っているのかというくらいに的確にトラップを作動させては、すべて受ける。見たところ無傷なので相当頑丈なのだろう。避けるときには身のこなしが人間離れしていて、そういえばアンドロイドだったなとヒメは思った。


 たどり着いた家は、ごく普通の家だった。

 扉は閉まっている。鍵穴は見えない。

 魔法陣をロードとエソラに任せて、ヒメは鍵穴を確認しようと家の敷地内に足を踏み入れた。

 瞬間、ぴりっと肌に緊張が走る。

 咄嗟に避けた、さっきまでヒメの立っていた場所に、牙をむいた狼が現れる。

「どうして帰ってきたの?」

 閉じたままの扉の前から、あとからあとから狼が現れる。その後ろから、やつれた女性がふらふらと出てきた。

「どうして帰ってくるの?」

 繰り返す言葉はそれだけ。

「……ここが家だからでしょう」

 ヒメは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

 向かってくる狼を避けて、蹴り飛ばし、ヒメは確信を持って閉ざされたままの扉へ向かう。

「お嬢!」

「大丈夫です!」

 あれは赤ずきんの家と、母親だ。

 狼のいる森に、どうしてお使いなんて頼めるのだろう。

 それは単に帰ってきてほしくないからだろう。

 愛せないからか、憎いからか、気に入らないからか、理由はわからないけれど、要らないのならいっそ捨てればいいとヒメは思う。

 親はなくとも子は育つのだから。

 繋がりさえ見つけられれば、愛されることを知らずに育っても、学んでいくことはできる。

 愛することだって、できる。

 愛せないから殺すなら、捨てればいいのだ。

 子供はそんなにやわではない。

「どうして帰ってきたの?」

 跳んで着地したヒメに、声とともに振り下ろされたのは葡萄酒の瓶だ。

 そういえばお使いで葡萄酒持たせていたっけ。

 蹴り上げようとしたそのとき、目の前に赤い髪が割り込んだ。

「エソラ?!」

「危ないよ」

 そのまま右手で受けるどころか掴み、取り戻そうと躍起になる母親ごと家の敷地の外に投げる。ごきん、と嫌な音がしておかしな方向に首の折れた母親がぐったりと倒れている。エソラに飛びかかる狼をロードが撃つ。

 ヒメは扉に駆け寄り調べて、ドアノブもない一枚板のようなそれに鍵穴を発見した。

 かちり、と小さな小さな錠の開く音と共に迷宮は消え去った。

 赤ずきんの帰る家がなくなったあとには、金銀財宝が山と積まれて現れた。


 車と留守を任せていたキュートに依頼主への連絡を頼み、報酬として宝の三分の一を受け取る。

 電子コウモリたちは攻略されるやいなや持ち主のもとへ飛び去っていった。

 緑色の目をした電子コウモリだけは、なぜかヒメたちが出発するまでずっと動かなかったけれど。


 ★


「ごーかくっす」

 渋々といった、面白くないと言っているような声でロードが口を開いた。

「身体能力は申し分ないっす。そのセンスも、プログラムだとしても使いこなせている。銃の腕前はそれなりっすね。片手だし不慣れみたいだから経験でそこそこになりそうなくらいっすけど、精々サブっすね。メインは身体能力っす。咄嗟の判断、そのセンスも悪くない。加減を知らないのが難点っすけど、幸い迷宮、魔宮なら相手が死ぬことはないっすから。お嬢の方針としてはなるべく殺さない、傷つけないっすから、そこら辺はおぼえさせなきゃっすけど」

 加減を知らない。

 それはヒメも見ていて思っていたことだった。

 久しぶりにクロワッサン食べるなあ、と温め直してほかほかのクロワッサンをかじる。美味しい。

「エソラはポイントどれくらい減りました?」

「残り一だよ」

「は?」

 聞けば外傷こそ受けていなかったものの、相当のダメージを受けていたらしい。九十九ポイントを喪失する負傷の痛みは、痛覚があれば意識を失ってもおかしくない。残り一ポイントで顔色一つ変えずにいたエソラにヒメとロードは深々とため息をついた。

「……加減、おぼえてもらいましょうか」

「そっすね、自爆されたらオイラたちが困るっす」

「かげん?」

「まずは、攻撃を避けることですかね」

 ふむ、とエソラが考え込むのでヒメはわらった。

「ようこそ、エソラ。『魔女の末裔』はあなたを歓迎しますよ」

 もぐもぐとパンを頬張ったエソラが、こっくり頷いた。

「俺、がんばる」

「まずはロードに加減とか教わってくださいね」

「丸投げっすか?!」

 そういえばお嬢また見せパン着なかったでしょう?!

 始まった小言にヒメは苦笑いしてエソラを見る。

「俺は、いいと思う」

「お前は何言ってんすか?!」

 ヒメがいいならいいと思う、という意味だと分かるまで三十分かかった。

 意思の疎通も教えたほうがいいかなあ、とぎゃんぎゃん騒ぐロードを見ながら、ヒメはキュートと顔を見合わせた。

「おやすみなさい」

「おやすみっす」

「おやすみ」

 夜も更けて部屋に戻ったヒメは、ふと閃いて自分やロードの服の材料のしまってある箱を開けた。

 ヒメのドレスも戦闘服であるコスプレ衣装も、デザインこそヒメではないが、仕立てはすべてヒメが自分で行っている。家事のいろはは完璧なのだ。放っておけばカロリーメルトしか食べないが、料理をきちんと作れば相当の腕前なのだ。

 確かここにあったような、と大きな箱を調べながら、これはそろそろ買い出しに行かないといけないなと食料や燃料を数える。大食らいの新人のおかげで食料が特に大打撃なのだ。

「あ、あった」

 夜ふかし防止に目覚まし時計をかけて、ヒメは作業に取り掛かった。


 ★


『あなた、ひとりなのですか?』

 意識を失いかけたロードの視界に映ったのは、優しく光る金の髪。

 あっという間に二十人弱を伸した少女はロードを抱き上げた。

 離せ、構うな、意識が半分失せながらも、暴れて、引っかきもした。噛みつきもしたかもしれない。

 それでも、その子供は離そうとしなかった。

 それが、ヒメとロードの出会いだった。

「ヒメは怪我をしていたから拾っただけです」

「ヒメ?」

「ヒメの名前です」

「オヒメサマにゃ見えねーっす」

「知ってるですよ」

 手当てをしながら答えて、わらった。

 食事だと言って、コーン味のカロリーメルトとかいうビスケットみたいなものを渡された。

 ちゃんとメシ食えよと言えば、これがちゃんとした食事だと言い返された。

 これが噂の現代っ子ってやつかと呆れた。

「なんで助けたんすか」

「……」

「オイラは死んでもよかったんすよ!」

「……」

「聞いてんのかてめ、ぐえ!」

 唐突にぐらりと倒れてきた身体と布団に挟まれる。

「あっつ!」

 異常に熱い身体に荒い呼吸。

 やつれた痩せっぽちの、傷だらけの身体には左肩に真新しい傷があった。

 明らかに先ほど、ロードを庇ってついた傷だった。

「あーもう!!」

 打撲や何かで軽傷だったロードはそのまま高熱で寝込んだヒメを介抱した。

 短い髪に、サイズオーバーのパーカーに、裾を折り返している同じくサイズオーバーであろうカーゴパンツにスニーカー。ひどくボーイッシュな服装をしていたが、顔を見ればひと目で少女とわかる可愛らしい顔立ちをしていた。ただ、痩せっぽちでひどいクマが痛々しい。

 よく見れば手も傷だらけで、昨日ロードが引っ掻いて噛んだ痕であろう傷もあった。全身も薄い傷痕だらけだった。

 魔宮に毎日入っていると言っていた。

 頭がおかしいと嘲笑い、友達だってとっくに忘れていると言い放った。

 人の為なんて偽物だと、信じようともしなかった。

「ほんとに、魔宮に入ってんすか……?」

 半日眠り続けて、少女は目を覚ました。

「……あれ、わんこさん」

「だからメシ食えって言ったっすよ」

「ごめんなさい」

「……なあ、」

「?」

「ひとりで魔宮、攻略できるんすか?」


 ヒメは空っぽの彼に、小さな君主という意味だと、ロード《Lord》という名前と、スーツとサングラスをくれた。ハードボイルドなガンマンみたいでよく似合うとわらって。

 そうして手を組んで、ロードはヒメの左肩に残った傷の上にタトゥーを贈った。

『嫁入り前の娘に傷を残したなんて寝覚めが悪いっす』

 口ではそう言ったけれど、傷があるからどうこう言う輩がいたら蹴り飛ばそうと決めていた。

 タトゥーを見るたび思い出すのは、ヒメへの誓い。

 小さな身体で必死に闘っていながらも、手を差し伸べてくれたヒメを、今度こそ守れるように。

 背中だって任されたい。

「お荷物は嫌っす」

 ロードは家族ですよとやわく頭を叩かれて、それでも粘るロードを、ヒメは止めなかった。大丈夫ですか? と、一度聞いただけ。ロードの過去を知っているからこその、一言だった。

「お嬢に二度と怪我はさせません。オイラが守るっす」

 大嫌いだった銃に、ロードはもう一度手を伸ばした。

 誰もが恐れるガンマンと、恐ろしく綺麗な少女のコンビは迷宮攻略達成率百パーセントという驚異の強さで、いつしか『魔女の末裔』と呼ばれるようになった。

 今日もロードはヒメの仕立てたスーツに身を包み、憎んですらいた銃を握る。

 今度は自分の意思で、愛するひとを守るために。


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