ヴィーナスの誕生
ヴィーナスの誕生
「ヴィーナス様はどちらに参られたのだ。リンゴの樹の下でマーキュリーらとお戯れになっておいでだったではないか。マーキュリー様は伝言の神というに全く頼りないことよのう。この世には救いというものがなかろうか。おーい、ヴィーナス様。ヴィーナス様。私にはどちらへ行かれたのか全く見当がつかんよ。ほれ、そこにパン様が通られてゆくではないか。パン様パン様ぁ。ヴィーナス様をもしやお見かけになられませんでしたでしょうか。私はもうゼウス様にキツく叱られやしまいかと気が気ではありませんよ。どちらかでヴィーナス様をご覧になられませんでしたか。私は今の今までヴィーナス様のお守り役を任されていたキューピッドでございます。パン様のご存知のことがございましたらマーキュリー様をしてすぐ私目のところに速達の使者をお出ししてくださいまし。お願いいたしますよ。では。私は一足先にゼウス様の所へ向かいお妃様のレダ様にこのことを申し上げてレダ様に白鳥のお姿となってヴィーナス様をお探し頂けませんでしょうかとお尋ねしてみるつもりです。私のこの背中の羽根をこんなことに使うのは少し惜しい気もいたしますが私はゼウス様のお怒りを買うくらいならとこう考えておるのでございますよ。それでは失礼頂します。パン様もくれぐれもパンドラ様にあの箱のことをお伝えしておいてくださいましよ。私はその間にレダ様のところへ行って参りますから。私目のところに必ずや使いをよこしてくださいまし。ではまた。私はこれで失礼いたします。私はいつだってヴィーナス様の召し使いのようなものですから。私はいつだってヴィーナス様のことしか頭にないのです。ヴィーナス様にはいつだって泣かされてばかりいるのですから。私はヴィーナス様のお守り役として精一杯のことをしてきたつもりです。私はヴィーナス様がお可愛想でなりませんよ。」
キューピッドはそう言うと天高く垂直にとびあがってレダの元へと向かった。
「私はいつだってこんな目にばかりあっている。私はいつだって⋯私は私は私は
ヴィーナスはその頃ヘビ使い座の若者とお戯れになっていらっしゃいましたところ1人のまだ年若い娘が牛にまたがってさも可愛らしい様子でこちらへとやってくるではありませんか。エウロパです。エウロパは真っ白な肌に純白の衣装を身につけてこちらへとやってくるではありませんか。ヴィーナスはムラムラと嫉妬の情がわきあがってくるのを感じました。ヴィーナスは嫌な思いを打ち消すためにエウロパを恥ずかしめてやろうと思い、火打ち石で周りの草にボッと火をつけてエウロパの困る様子を楽しんでやろうと思いました。ヴィーナスは火打ち石がないのに気付いて自分の髪の毛をこすり合わせて泡をつくり、その泡から火の出るのを待ちました。エウロパはその間にも牛をとうに先の方へ進めています。可愛らしい後ろ姿が増す増すヴィーナスの憎しみを買いました。ヴィーナスは火をつけることをあきらめエウロパを追いかける為にそりを見つけてきました。そりには2つベルがついていて1つが鳴るともう1つが、もう1つが鳴ると1つが鳴るようになっているのでした。ヴィーナスはそのそりでエウロパを追いかけすぐに捕まえてエウロパを牛からそりへとひきずり出して無理矢理にのせて走り去ってしまいました。
エウロパは「あ」と小さな声を出して抵抗しましたがヴィーナスは無視してエウロパを連れ去ってしまいました。
その頃パンドラは例の箱を小脇に抱え森へと続く道を一直線に歩いていると、パンが森の林の中から出てきてパンドラの行く手を防ぎました。パンは好色な男です。パンドラはすぐに向きをかえて走り出しましたが半馬身のパンの脚力にはとうてい及ばずパンドラはすぐにまた行く手を防がれてしまいました。
「パンドラ様、その箱を開けてはなりません。開けたが最後絶対に閉められないのがその箱ですから。」パンはヘッヘッと卑しそうに笑ってパンドラの顔をじっと見ていました。
パンドラは「でもこれはゼウス様からの大切なお預かりものです。絶対に開けたりしません。ゼウス様ももうすぐ引き取りに来られます。私を1人にさせてください。お願いですから1人にさせてください。私はお父上の所へゆかなければなりません。ですから1人にさせてください。お願いします。1人にさせて
パンはパンドラをじっとみてヘッとまたいやらしい笑いを1つしてからヴィーナスを探しに駆けてゆきました。
パンドラは命拾いしたつもりでまた森の方へと歩いてゆきました。ヴィーナスはその頃エウロパをどうしてやろうかと思案しておりましたが彼方に森のあるのを見つけるとその森へそりを向かわせました。ヴィーナスは全速力で森の中の道へとそりを駆り立てました。
ヴィーナスは森の途中まで来てパンドラが向こうから歩いてくるのにきがつきました。しかし速度を落とせばエウロパは通りがかりのパンドラに助けを求めるに違いありません。パンドラは速度を速めて迫ってくるそりを避けようと道端に立ってそりを見送ろうとしたその時そりのベルの1つがパンドラの持っていた箱をしたたかに打ちつけパンドラは勢い余って手にしていた箱を手から落としてしまい、地面に着地した瞬間、箱が開いて中のものが全て外に出てしまいました。
中から出て来たのは3つの小物でした。ヴィーナスはそりを止め、エウロパも出てきて3人はパンドラの箱からでてきた3つの小物にクギづけとなりました。パンドラはゼウスに悪いという気持ちも忘れてパンドラの箱から出て来た3つの小物を拾い集めるとそれぞれ興味深くながめてからまた箱に戻そうとしましたが箱には中ぶたがしてあるのを発見してパンドラはそのふたを取ろうとした時、ヴィーナスがその手を白魚のような手で制して言いました。「そのフタをとることはゆるしません。あなたが自分で中になにが入っているか想像しなさい。さエウロパ行くわよとヴィーナスはエウロパを連れてまたそりを走らせ気違い染みた様子で走り去っていきました。ただ1人取り残されたパンドラは中に何が入っているのかを小首を傾て考えていましたがわかるはずもないとあきらめてまたまた元の小道を歩いていきました。
パンドラの歩く後にはポタポタと水滴が落ちています。その水滴はギリシャの朝の光を浴びて輝きながら少しずつ小さくなってやがて消えてしまいました。






