一章 サピエンスを求めて 9
翌日、我々はオアシスにあるコミューンに辿り着いた。気持ちがふっきれたお陰でマイケルが本来の調子を取り戻し、コミューンの正確な位置を感知できたからだ。
コミューンの住人は我々が砂漠で迷っているのを知っていたそうだが、マイケルの精神が乱れていてこちらの位置を特定できなかったため、救助に来られなかったのだという。
「こんな不毛の土地でも、水や食料は工夫すれば手に入る。でも、交信という唯一の命綱が切れたら終わりだ。昨日までのような状態で砂漠を渡ってはいけない。助かったのはなによりだが、あなたたちは無謀すぎる」
コミューンの人々は口々にそう言った。
聞いてみれば、ふつうは二日もあればオアシスに着くのだそうだ。我々はそこを五日もかかったのだから、彼らにたしなめられるも当然だった。実際、あと一日到着が遅れていたら、私もマイケルも行き倒れていたに違いない。
せめてラクダでもいれば別だが、いまの時代にはラクダや馬は野生化してしまって、滅多に姿を現わさない。小人数で、規模が拡大しないノウスのコミューンでは、動物を労役に使う必要がないからだ。稀に牛に田畑を耕させたり、犬を狩猟用に調教するコミューンもあるが、ほとんどの場合は羊や豚を家畜として飼うにすぎない。ましてや交易もせず、旅の習慣のないノウスの時代には、乗馬という言葉すら廃れてしまった。
ナツメヤシが生い茂るオアシスのはずれには、トラックが砂に埋もれていた。車体は錆びと砂風でぼろぼろになっているが、屋根に近い部分だけが、わずかに完全な埋没を免れている。オアシスに残された、たったひとつの工業製品。どんなエンジン音を立てて、どんな荷物を運んでいたのだろうか。時速百キロとは、どれほどの速さなのだろうか。いくら空想を膨らませても、もう砂漠に轍ができることはない。
我々はオアシスのコミューンに数日滞在し、水と食料を恵んでもらうと、再びマドラスを目指した。
マドラス--。
いま、ようやく私はそこで過ごした日々を客観的な出来事として語れるようになった。客観的とは、自らの心臓に針を刺しながらも、事実をありのまま伝えるという意味だ。
私はマドラスで、マイケルに大きな心の傷を負わせることにもなった。その受難は、彼の中で風化しないでいるにも関わらず、それでも彼は一度たりとも私を責めたことはない。マドラスでのことを意識的に遠ざけてきたのは、自分でも気付かぬうちに、その寛容さに引け目を感じていたせいもあるだろう。
だが、そのことはどうでもいい。
私は一人の女について、語ってみよう。
彼女の名は、シャクティ。
(二章につづく)