四章 “エージェント”12
私は唾を飲み込んだ。チェチェの言ったことは嘘ではなかった。私は半袖の麻の服を着ていたのだが、いつの間にか肘から手首にかけて皮膚が青味がかっていた。暗闇の中だからチェチェの輝きに反射しているのかと思ったのだが、そうではなかった。服を脱ぐと、上腕も胸も腹も青くなっている。私はズボンの裾をたくし上げた。脛の真ん中までが、やはり青く光っていた。
「背中も顔も、すっかり青くなっているよ」
チェチェが言った。おかしなことに、彼の気配には畏怖心が漂っていた。それは私に向けたものではない。なにに対してそのような感情が芽生えたのか、彼自身にも説明できないことだった。
私の肌は、まぎれもなく発光していた。いまや全身が青に侵食されている。チェチェほど鮮明ではないが、それは透き通るようなライト・ブルーだ。暗闇がいっそう光沢を際立たせる。私は携帯した小型のナイフで、指先を切ってみた。赤い血が実体のおぼろげな指の腹を、すうっと滑り落ちた。
「まるでガラス細工だ。ガラス球を青く塗って、内部で明りを灯したら、こんなふうになるんじゃないかな」
ほとんど他人事のように私は言った。
「ぼくが青い肌になったときは、もっと動転したもんだけどなあ。やけに余裕があるのは、ぼくを見ているのと、一族の秘密を知ったせいかな」
そういうチェチェも落ち着きを取り戻していた。彼は私が取り乱さずにいることに、意外だという表情を浮かべた。
「というか、痛みもなにもないから、実感が湧かなくて。それに青い肌になったからといって、生活が不便になるわけでもないでしょう」
瞑想をしたばかりで、まだ夢のつづきのような気分でもあったが、私は青い肌になったことをどこかで安心していた。私という個の本質が、こうして証明されたのだ。一族の流れの途中に確固として存在していることが、滅亡種の私には救いだった。
「言われてみれば、ここでの暮らしはいままでと同じだね。ぼくが、そうだもの。もっともサピエンスがいた頃、ぼくは布を被って肌を隠していた。この肌じゃ彼らには刺激が強すぎるからね」
「おれも、布を被りたいですよ。コミューンに戻ったら、みんな驚くはずだし。注目されるのは得意じゃない」
私が言うと、チェチェは右腕を差し出した。私は自分の左腕をその横に並べた。青い腕が二本。チェチェは、しんみりとそれを眺めていた。
「こんなときになんだけど、君と会えてよかったよ。ぼくはやっと自分自身を受け入れられそうだ」
懸命に踏ん張る生命の律動。赤ん坊は外界を目指して、トンネルを突き進んでいた。
「はやく帰りましょう。おれも赤ん坊の顔を拝みたい」
誕生の気配が、私を急き立てていた。住人の出産など私と直接関係のない出来事なのに、どうしてだか無関心ではいられない。青い肌になった事実よりも、私はそちらのほうに気を奪われていた。
「たいした奴だな、君は。物事に全然動じてない」
チェチェは人差し指をすっと立て、得意のポーズを取った。
「瞑想して、おれの中でなにかが変わったんです。いまじゃ背中の荷物がなくなって、すごく楽になった」
私とチェチェは森を進んだ。ついさっき現実世界のあやふやさを知ったばかりなのに、いまは生命の誕生に高揚する自分がいる。だが、それでいい。私はまだこの世界の人間なのだから。
山道から、湖の上に浮かぶ三日月が見えた。きれいな、弓なりの月だ。チェチェは夜目が利くらしく、夜の森を昼と変わらないテンポで歩く。私は夢遊病の状態で森に入ったので、どんなルートを辿ったのか覚えていなかった。
「あなたが迎えに来てくれなければ、森で一夜を明かしたかもしれない。せめて松明くらい持ってきていれば」
私は石につまずきながら、愚痴をこぼした。
それから小一時間ほどしてコミューンに着いた。一軒の家を人垣が取り囲んでいる。ノウスのコミューンでは、出産がひとつのイベントなのだ。
そして我々が近づくと、唸るような驚嘆の声が上がった。赤ん坊が生まれたのではない。私の変化に対する人々の反応だった。
人垣には、マイケルも加わっていた。マイケルは棒立ちになって、しきりにチェチェと私を見比べる。精神が弛緩したように、黒目だけを左右に動かしていた。チェチェはその様子に噴き出しながら、私の背中を押した。
「おれたちは、間違いなく一本の川の支流だったよ」
ああ、とマイケルが声にならない声を漏らした。




