第九章俺と紫藤とこの世界
第九章俺と紫藤とこの世界
「ムカつく! 恋愛係数八九の分際で、私を振るんじゃないわよ!」
翌日、いつも通り生徒会の仕事を片付けていると、久米村先輩が生徒会室に乱入してきて、一気に二人分相当の椅子と机を占領。事態を俺等が把握する前に、いきなり泣き始めた。
「え? 久米村先輩、振られたんですか? 副会長に?」
「そうよ! あいつ、好きな人ができたとか言って、私と付き合えないって言うんだよ! それもあいつが選んだのは、笑美よ、笑美! 恋愛係数がたったの七二の娘になんで私が負けんのよぉ!」
「副会長に告白した時の江宮先輩は、瞬間最大恋愛係数一二〇くらいの可愛さでしたからね。九三じゃ足下にも及びませんよ」
「へぇ、海渡君、盗み見してたんだぁ」
「あ、ヤベ」
「ふぅん。悪い子にはぁ、お姉さんがお仕置きしてあげるよぉ」
「く、久米村先輩、相手が悪ですね。あんな娘と両思いになれるんだったら、久米村先輩に勝ち目は無いですよ。ただ、評判が良いだけですもん、先輩は。水族館のペンギンとか、動物園のパンダみたいに、可愛いぃ~って皆に言われて、それでお終いです」
「話を逸らしても、駄目だよぉ~」
「酷いなぁ~、海渡君は。それが振られた女の子に言う言葉?」
「すみません。今、俺はもの凄くスッキリしてるんで。むしろ、悪代官を懲らしめる剣豪みたいに爽快な気分です」
「こらぁ、人の話を聞きなさいよぉ」
「くっそ! じゃあ、次は海渡君を落として、乗り換えようっと」
そう言った瞬間、イテテテテテ! と江宮先輩の絶叫が轟いた。同時に、俺の頭にも電撃的な痛みが走り抜ける。
いつの間にか俺と久米村先輩は会長に背後を取られ、頭をがっちり掴まれていた。皮膚に普通に指が陥入している気がする。会長の華奢な身体の一体どこにこんな力があるんだ?
「痴女ちゃん、家の子に手を出さないで貰えるかなぁ」
「スイマセン、スイマセン」
「海渡君もぉ、二度と好奇心で他人の告白シーンとか見ちゃ駄目だよぉ? 次やったらどうなるか分かってるよねぇ?」
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」
余りの恐怖に片言しか発せなくなっている俺と久米村先輩の頭から、やっと会長は手を離す。そしてそのまま、今度は久米村先輩の腕を掴んで引きずり始めた。まるで不要品回収業者がゴミを持って行くような手際の良さで、生徒会倉庫から江宮先輩が回収されて行く。
「船越って最近、久米村先輩と仲良いね。身の程を弁えろよ」
「別にそういうのが目的で仲が良くなったわけじゃないさ」
「恋愛サークルで、女子と無理矢理遊んだんだって?」
「そういうまとめ方だと、犯罪臭が香るな。ってか、それって会長に聞いたの?」
「詳しいところまで色々と教えてくれたぞ。江宮先輩にべた惚れだったとか、久米村先輩の前で顔を真っ赤にしていたとか」
「それ、会長による誇張が大分含まれてるから。むしろ、誇張の方が大きくなってそうだな」
「あんなこと、船越がしてるなんて思って無かった」
「あんなことが何を指しているのかは分からないけど、もう終わった」
「振られた? 自分の魅力の無さに気付いた?」
「いや、最初から五回までっていう話だったんだよ」
「振られたのに、そんな風に思い込もうとするのは見苦しいよ」
「ああ、そうだよ。選ばれなかったよ、俺は。でもさ、そこまで言うことないんじゃないか? 俺、実は今結構傷ついてるぞ」
「現実をちゃんと受け入れないからだよ」
「それに、俺があれに参加したのは、女子のことも色々と知っておきたかったからだし。その目標はある程度満たされたから良いと思ってる」
「知っておきたい? 同じような事言って、パソコンの勉強もしてるよな? なんで、そんなに色々な事に手を出してんだよ?」
「知識はあるだけ良いだろうが」
「学校の勉強だけに絞れば良いんじゃない? そうすればもうちょっとマシな成績取れるんじゃないの?」
「それでも良いけど、それじゃあ何もできないじゃないか。学校の勉強ができたところで、日常生活にも、生徒会活動にも役に立たないだろうが」
「学校の勉強がしたくないからって、言い訳しているようにしか思えないんだけど」
「じゃあ、俺の超恥ずかしい話をしよう」
真面目な調子で俺が言ったというのに、紫藤は露骨に嫌そうな顔になって半歩下がった。
「そんなに変な話はしねぇよ。ちゃんと聞け」
尚も紫藤は仰け反りながら、軽蔑するような視線をまだ何も言っていない俺に向けてきたが、その誤解を解くのは不可能だと判断して話を続けた。
「俺、小学校の時、最低のミスをしたんだ」
「いつも最低だろ」
「そう言うのは良いから・・・・・・」
なんで一言一言会話がストップするんだよ。前に進ませてくれ。
「女子のさ、白い体操服に血が付いているのを見ちゃったんだよ」
「大丈夫? 大丈夫? って騒ぎ回っちゃってさ」
「最低だな」
「分かってるよ。それ以降、俺は女子の身体についての本を読みまくった。友達には変態だって言われたし、女子にはキモいって言われて散々だったけど、それでも調べたよ。調べ続けた」
「だから今でも、変態って言われたりしてるの?」
「鈴木とか夏目にしか呼ばれてねぇよ。でも、よく知ってんなぁ」
「でも、船越は別に悪くはないんじゃねぇの」
珍しく俺を擁護する発言に驚いて顔を上げると、紫藤は恥ずかしそうに眼を逸らしていた。
「船越は、悪気があったわけじゃないだろ」
「そうだな。だから、無知は人を傷付けるって言ってんだよ」
「それは、向こうの問題だろうが。むしろ、船越はその娘の事を心配してやったんだからさ。それを酷い事だって騒ぎ立てた奴等の方がよっぽど悪いじゃねぇかよ」
「じゃあ百歩譲って、あれは両方とも悪かったとする。でも、何をするにも知っておくに超したことはないんだ」
「そりゃそうだろ。今言ってんのは、必要無い情報もあるってことだ」
「必要無い情報なんて無いだろうが」
「あるだろたくさん。そんなの知っててなんになるんだよってことなんて」
「それは、自分にとって価値がないってだけだ。知らない事を肯定した時点で終わりだろ」
不服そうにジト目で俺を見続ける紫藤に、追加で説明してやる。
「サークルで一番最初にデートした江宮先輩との最初のデートが最悪になっちゃってさ」
「もっと女子への付き合い方とか、女子の好きな物とか、女子が気に入りそうなおすすめのスポットとかを知っていれば、あんな事にはならなかったと思うんだよ」
「それだって、相手が自分から行きたい場所を言わなかったのが悪いんだろ。船越は自分で抱え込み過ぎなんだよ」
「いや、俺の頑張りでもっと良くなった気がする」
「それは、ないな」
「何も、本当に楽しませる事ができたなんて言ってない」
「自己満足はできたってことか? 結局、自分本位なんだな」
「二人ともつまらないよりは、どちらか一方でも満足できた方が良いだろ?」
「まあ、まだましだけど――って、なに笑ってんだよ、気持ち悪ぃなぁ」
「いや、俺を糾弾したいのか、俺を庇いたいのか分からなくてさ」
ほんの少しだけ身を引いた紫藤の顔はリンゴみたいに真っ赤になっていた。
「うっせぇよ! どっちでも良いだろ!」
「まあ、良いんだけどさ」
そんないつも通り適当に会話をしているうちに、今日の仕事も片付いた。
「じゃあ、帰るわ」
「おう」
こうしてみる紫藤さんは、元気に振る舞おうとしているのだろうか、それとも、本当に元気でいてくれているんだろうか?
「紫藤、この前は悪かったな」
「いいよ、もう」
「良くないんだ。紫藤への罪悪感で、もう俺の頭の中は一杯だよ。だからさ――」
まさか、俺が平気な顔してこんな事を言うことになろうとはな。どこか客観的に自分を見ている自分がいた。
「どっか行かない? 二人で」
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花火大会から一週空けて、商店街で祭りが行われる。逆に言うと、それ以外に大きなイベントもなく、必然的にその日に俺等はデート・・・・・・なのか?・・・・・・をすることになった。
学校の最寄り駅、時計台の下で待ち合わせていた俺達は、色気もなにもなく、同時に時計台に到着した。
「よう」「ああ」
そう会話を交わしたのは、午後一時三十分。つまり約束の三十分前である。
「『ごめん、待ってた?』『ううん。今来たとこ』、なんて流れ、普通ないわな」
「『もの凄く待ってたわぁ。お詫びに何か奢れ』は有り得ると思うんだけどね」
「その為に早く来たのかよ・・・・・・」
早速の残念なカミングアウトに肩を落としつつ、一回り低くなった肩を並べて二人で歩き始める。
周りにいる人もお祭り気分のようで、いつもは頭の中に隠している軽そうな部分を外界に表出している。そう見えるのは多分、道行く人道行く人が色取り取りの和服に包まれているからだろう。
「一応言っとくけど、かなり似合ってるぞ」
「最初に言えよな」
隣を歩く少女に顔を逸らしながら言うと、周りの喧噪にかき消されそうなまでにか細い声が聞こえてきた。朱色に包まれた彼女は、気怠い現実から切り離された彼女だけの世界を創り出しており、綺麗に見えた。
「もう一言言っておくと、これは社交辞令じゃねぇよ。やっぱ、恋愛係数一〇〇の人間は違うなぁって思う」
「もう一〇〇じゃない」
「は?」
「今は、七一くらいだよ」
「いつから?」
「夏休み前の生徒会の時から。あれで、一気に色んな人が私の評価をしてくれたみたい」
「そうか」
「なに? ガッカリした?」
「そりゃあ、ガッカリしたよ。新しく評価した奴らは、紫藤の何を思ってそんな低い点を点けてんのかって思うとさ」
「お前に、私の係数なんて関係ないだろ」
「関係はないけど、高いと良いなぁって思うんだよ」
「やっぱ、あんたって馬鹿だよ」
「そうかもな」
時計台から祭りの会場に向かう途中、紫藤と身体が触れる度、気の強い紫藤の身体が弱々しく感じた。その発見に、俺はまたドキリとしてしまう。
「で、どこに行くんだ?」
「決めてない」
「一応、これはデートなんでしょ?」
「祭りなんだから、適当に歩くで良いんじゃねぇの?」
「まあ、そうだけど」
「だからさ、そんなに緊張せずに、いつも通りのノリで行こ」
「う、うん」
うーん、イマイチ紫藤の緊張が解けてないな。
「あ、りんご飴下さい」
赤い飴が林立している店の小父さんに言ってお金を渡すと、その内の一本を渡してくれる。
受け取ったそれを、俺の隣でぽかんと口を開けて間抜け面の女の口に突っ込んだ。
「はごぉ!」
顔を背けて必死にリンゴ飴の襲撃を回避しようとしている紫藤に合わせて俺もリンゴ飴を動かし、逃がさない。
店の人や通りすがりの人が、呆れた様な微笑みを浮かべて流れていく。
性懲りもなく遊んでいると、紫藤は俺の手からリンゴ飴の握り手を強引に奪った。
「止へろって」
「止めろって言えてないぞ」
「うっさいなぁ!」
「痛ってぇ!」
爪先という足で一番か弱い部分を、一番固いだろう踵で踏みやがった。せめて爪先で蹴って来いよ。大ダメージなんですけど。
「まあでも、ありがと」
紫藤はズルい。
さすがに足を踏みつけるのはやり過ぎだろだとか、女子なんだから飴全部口の中に入れるなだとか、言いたい事が山ほどある。それなのに俺は、顔を飴のように赤く染めて、反対側の屋台を見ている振りをして顔を背けている姿を見ると、何も言えやしない。
自意識過剰と言いたい方は言えば良い。だけど多分、紫藤は俺に好意を持ってくれている。それが不器用で荒々しい紫藤の仕草から伝わってくる。
――あ、ごめん。忘れてた(^0^;)
あの日の夏目はこんな気分だったのか。たった一人からでも、その好意を受け止めるのは重く、不安な気持ちで一杯になる。
それでも、俺は誤魔化すことなく真剣に、全力でぶつかって行きたい。
「おっと」
足下の石に躓いてよろけた俺の右手を、紫藤が咄嗟に掴んで支えてくれた。
「危ねぇよ、馬鹿」
「悪い」
俺が元通り歩き始めたと言うのに、紫藤は手を離そうとはしなかった。振り払うのも躊躇われ、俺はそのまま手を差し出し続ける。意図せず、手を繋いだみたいになってしまった俺達。
何度繰り返しても下手なまま、俺等の恋は成長せずに続いていく。
嫉み合い、僻み合って、啀み合い、読み合って、いつの間にか隣にいて欲しい人が決まっていく。
恋愛係数七一か。俺ならそれよりも良い点数を点けられる気がする。さすがに一〇〇点にはならないだろうが、八〇点後半にはなるだろう。だがそれは、俺が十何点ぶんか、紫藤が嫌いってことじゃない。
容姿は満点じゃないが、それが良い。
性格は破綻しているが、愛おしい。
威張ってるくせにそれほど勉強はできないが、それが可愛い。
そんな風に、俺の減点一点一点には色んな気持ちが籠もっている。こうやって減点にまで愛情を持てたとき、それはその人の事を好きって事なのかもしれない。なぁんて、思ってみたりして。
だから俺は、夏休み中に夏目にもう一度会って言おうと思う。
小学校の頃から、ずっと夏目の事が好きだったって。
でもそれ以上に、好きな人ができたんだって。
だから、夏目とは付き合えないんだって。
そうしてやっと、俺は十年以上続いた初恋を終わらせて、今感じている右手の温かさを本物にする事ができる。
その時やっと、今手にしている気持ちが俺の求めていた理想なんだと、俺は求めていた者を手に入れたんだと、実感できるだろう。
赤い提灯に照らされた道に色取り取りの屋台が建ち並び、十人十色の衣に身を包んだ老若男女がその間を埋め尽くす。一人一人の小指に結ばれた赤い糸は、互いに絡まり交錯し、誰と繋がっているかは分からない。
大切なものは目に見えず、赤い糸なんて当然見えるわけがない。
だけどそれでも、すれ違いゆくカップルは自分達の小指が赤い糸で結ばれているのを信じているのだろうし、一人の奴らも誰かに繋がっているときっと信じている。
信じることしかできなくても、その運命をたぐり寄せるのに莫大な努力が必要なのだとしても、やっと掴んだ運命がほどけてしまうのが怖くても、俺達はずっとたぐり寄せて行かなければならない。
そう。きっと俺等は赤い糸なんて柔なもんじゃなく、不自由で窮屈で、でも、温かくて心地良い赤い鎖に繋がれているのだから。