第六章俺と理想と妖艶なる悪女
第六章俺と理想と妖艶なる悪女
第四回、俺に取っては二回目のデートは、夏休みに入る直前の日曜日ということになった。部活に、生徒会活動に忙しくてデートの日取りが決められず、このまま夏休みまで開催できないとさすがの運営側も諦め掛けていたらしい。
だが、夏休みに入る前の生徒会の仕事も片付き、部活も熱中症を恐れて休み。そんなポッカリ空いた予定帳の隙間を目聡く見つけ出した運営は、メンバー全員の空白に予定をねじ込んだようだ。その執念、見習うべきところがある。
その頃には、俺がしたことになっていたミスも、結局は上手く行ったと言うことで、今となっては笑い事の領域まで熟れてくれていて、俺にはそのブランク期間が非情に有り難かった。
あの会議の直ぐ後にデートしろ、とか気まず過ぎて仕方なかっただろうし。
そのいざこざの発端となった夏目だが、
「本当に、うちはテニスコート使って良いなんて言ってないんだよ」
と、あの会議の翌日、夏目は、魔女狩りが流行っていた頃に魔女だと疑われた少女を連想させるほど必死の表情で俺に縋り付いてきた。
嘘なんだろうなと思いつつ、その嘘を俺に信じて貰いたくて躍起になっている姿を見てしまった俺は、心を鬼にすることができなかった。
「分かってるって。ちょっとした入れ違いだったんだろ」
だから、夏目にはそう言って、軽く微笑んでやった。ペテン師、八方美人、偽善者、俺を罵倒する言葉を数多く俺は知っていたが、それでもその言葉しか選べなかった。
でも、さすがに俺が本当に信じているなんて思わなかったにしろ、俺が信じている振りをするくらいに夏目の事を心配しているって事は伝わったらしく、たったそれだけの会話で、また夏目は普段通りに戻ってくれた。
そうして表面上はなにも変化なく、日の流れに身を任せていると、気付いた時にはデート当日。せっかくの休日だからということで、俺等はホームタウンを離れて池袋に集まっていた。
「今日はよろしくね」
ハーフアップにしたトレードマークの金髪を子犬の尻尾のように振りながら俺に話しかけてきたのは、あの日副会長と手を繋いでいたくるみ先輩だった。
清楚な感じのフリルの付いたブラウスに、茶色いショートパンツ。そして、そのショートパンツからは、俺が触れたりしたら汚れてしまうんじゃないかって思える程に白い足がすらりと伸びていた。
馬子にも衣装とは言うが、どんな衣装もくるみ先輩の魅力に勝つことはできないと思う。そういう場合は敢えて普通の格好をして、素の良さを前面に出すしかないんだろう。
そう、くるみ先輩の美貌の前には、どんな衣装も指輪のプラチナリングのようなものなんだ。
江宮先輩、確かにこれは厳しいですね。何というか、久米村先輩って芸能人も顔負けの美少女じゃないですか。こんなに綺麗な人、少なくとも僕は生まれて初めて見ましたよ。
でも、やっぱり夏目と一緒にいるときほどはドキドキしないなと思ってしまう俺が、未だに俺自身の片隅に居座っている。
「どこか行きたいところはありますか?」
「うーん。服見たいかな」
服、という単語に反応して、昨日調べ上げた池袋のファッションショップが洪水のようにあふれ出してくる。
「どこに行きたいとかあります?」
「適当に回ってみようよ」
『ファッションショップ+順番適当』で脳内検索した結果、池袋を一周回ってまた東口に戻ってくるルートが頭の中で構築される。
俺だって成長するさ。服、趣味、観光、靴、ジュエリー、文房具、本、スイーツパラダイス、ゲームセンター等々、考えつくワードは大体調べて、めぼしい店をチャックしておいた。
「じゃあ、行きましょうか」
そう言って、俺が歩き始めると、それに合わせて久米村先輩も歩き始めた。女性を置いて先に歩くのはマズかったかと一瞬思ったが、気付いたら直ぐ隣に久米村先輩はいてくれた。
「海渡君って、週末はいつも何してるの?」
当然、店を渡り歩く間に問われるこういう質問が、ただの時間稼ぎだってことも学習済みだ。自分にゆとりができたからか、どことなく久米村先輩は話しやすい感じがして、俺の口も軽々と動いてくれた。
「IT系の資格をとるために勉強してます」
「IT系って、パソコンとか?」
「そうですね、プログラミングとか、ソフトの使い方とか、そういうのです。3Dの絵を描いたりとかもしますよ」
「なんでそういうこと勉強してるの?」
「月並みな言葉ですが、知識は力だと思うんですよ。特に今はパソコンで多くのことを済ませる時代ですから、パソコンのことをより多く知っていた方が有利です」
「でも、私はいいかな。ちょっと難しそうだし」
「いいんじゃないですか? そういう人のために、俺みたいな人間がいるんですから」
「知らなくても良いって言われると、それはそれで微妙かも」
「あ、なんかすみません。無理しなくて良いって言ったつもりでした」
「ならもっと、言い方に気を付けてよ」
「はい、気を付けます」
会話は滞りなく流れていった。江宮先輩の時は、一言一言に注意しすぎていたんだと思う。もっと適当に、乱射する感じで良いんだ。当たったらしめたものだし、痛いところに当たってしまったのなら、直ぐに謝れば十分だ。
一度きりの関係なんてそんなんで十分だろ。そのことを江宮先輩との一期一会で知ったと言ったら、どんな反応をされるのだろうか?
ファッションショップを周りながら、俺の用事も回収させて貰った。生徒会の仕事で足りなくなっていた文房具を、百均を通りかかった時に買った。
一通り選んでレジに並ぼうとしたら、レジが異常に混雑していて愕然とし、
「じゃあ、支払いしてますから、隣の服やでも見ていて下さい」
と言って、別行動を取ろうとしたら、久米村先輩に止められた。
「ちょっと、ナチュラルに置いてかないでよ」
あれ? 久米村先輩ってそんなに寂しがり屋だったのか? 結構可愛いところもあるじゃん。とか一瞬思ってしまったのは気の迷いだ。もちろんそんなことはない。
「私一人だと、男の人に声かけられて大変なんだよぉ」
驚き呆れる、という古文単語の現代語訳の意味が、この瞬間はっきりと分かった。そこまでモテるのかよと『驚い』たし、モテすぎて声を掛けられちゃうと怯える彼女に『呆れ』た。
久米村先輩の神がかった容姿の破壊力を目の当たりにしながら、少なくとも『池袋一美人』な女の子の隣を歩くという、何かのビデオのどっきり映像みたいな経験を楽しませてもらった。
「このサークルに参加させて頂いたようなものなんですよ。色んな人の考え方を知っておきたいなって、思ったんです」
一通りファッションショップを回って再集合の時刻になるのを、近くにあった喫茶店チェーンで待とうという話になる頃には、そもそもなんでこのサークルに参加することにしたのか、なんていうところまで会話は進んでいた。
俺がコーヒーカップを口元に運ぶと、久米村先輩も俺には名前が分からない甘そうな液体を口に運んだ。
「大丈夫だよ、海渡君もきっと直ぐに良い人見つかるって」
俺の事を思って気休めを吐いてくれていた先輩には非情に申し訳無かったけど、このチャンスに食い付かせて頂くことにした。
「久米村先輩って、もの凄い美人ですけど、付き合ってる人かいないんですか?」
「うーん、そうだな。フクちゃん、結構良いよね」
会話が数段階跳んでいた。余りの展開の速さに唖然としてソファーに身体を預けた俺に、同じように座り直した久米村先輩がフォローを入れてくれる。
「こんな形してるとさ、周りの色恋沙汰には敏感になるんだよ。だって、そんな気無いのに近付いて、せっかく作って来た人間関係を壊しちゃうなんて勿体ないじゃない」
「フクちゃんって、もしかして副会長ですか?」
以前、副会長を呼ぶときに三年生がそう言ってたような気がして、久米村先輩に聞いてみた。
「そうだよ。副会長の福田君だから、もう一年近くフクちゃんって呼ばれてるみたい」
「じゃあ、副会長が久米村先輩の事を想ってるってこと、知ってたんですか」
「うん。周りの人達も私とくっつけようとしてるみたいだし、バレバレだよね」
ステルス機さえも見つけ出すレーダーを備え付けているような久米村先輩の前に、秘め事なんていうものは存在し得ないのかも知れない。そう考えると、背筋がひやっとした。
「うーん。フクちゃんか。結構良い感じだし、付き合ってあげても良いかもね」
なんでもない風に言った久米村先輩の言葉に、俺は内心がっかりした。この人も、人を一人の男性としてではなく、男性の一人という風にしか見ていないんだと分かったから。
「そんな簡単に、付き合う、付き合わないを決めないで下さい」
「別に良くない? フクちゃんも喜ぶし」
太陽は東から昇るでしょ、とでも言うようにそう言った久米村先輩に、俺はもの凄い違和感を覚えてしまう。
「久米村先輩と副会長が付き合うことで、先輩に選ばれなかった人、副会長に選ばれなかった人ってのが必ず生まれるんです。そういう人達の為に、軽い気持ちで付き合ったりしないで欲しいかなって」
「でも、その分私だって頑張ってるんだから良いじゃない」
「NLPとかですか?」
「あ、分かっちゃった? ちょっと大袈裟すぎたかな」
気まずそうに久米村先輩は舌を覗かせた。
「最初は気付きませんでしたよ。むしろ、自分の会話スキルが上がったんじゃないかって思っちゃいましたし」
NLPっていうのは、会話が弾んでいる人達は無意識の内に同じような行動をしている。だったら、同じような行動を相手に気付かれないでやれば会話を弾ませる事ができるんじゃないかとかそういう理論だ。
キャバ嬢とか、セールスマンが勉強してるっていう、胡散臭いプチ催眠術である。気になった人がいたら、グーグル先生にでも訊いてみてくれ。ただし、変なサイトに流れていくなよ。
「NLPって本当に意味があるんですか?」
「私、これまで全然モテなかったのに、今では勝率九割だよ」
「NLPをやって自分に自信が付いたから、周りの人が惹かれ始めたとは考えないんですか?」
「どっちでも良いじゃない。私がモテる様になったのは本当なんだから。恋愛係数も八〇代後半で止まってたのに、今では九三よ」
「まさか、自分の恋愛係数を上げたくて、色んな男に手を出してるんですか?」
「だって、最高の人と付き合っていたいんだもん」
「久米村先輩の言う最高の人って、恋愛係数高い人の事ですか?」
「そうなるかなぁ」
「じゃあ、恋愛係数がもっと高い人に会えたらどうするんですか?」
「もちろん、フクちゃんには悪いけど、乗り換えるよ。勿体ないじゃない」
「久米村先輩にとって、人との付き合いってそんなもんなんですか?」
「そうだよ。悪い?」
「それで、面白いんですか?」
「楽しいよ。だって、どんな子でも私の言う事聞いてくれるんだもん」
「男の人が、自分の言う事を聞いてくれてるから、楽しいんですか?」
「まあまあ格好良い子と一緒にいるのも、悪くないって思えるしさ」
「本当に、人を好きになった事ってあるんですか?」
「何言ってるの? 好きでもないのに、付き合ったりなんかしないよ」
「久米村先輩が言ってる、好き、って言うのは、何が好きなんですか? 俺には、その人自身じゃなくて、その周りの飾りみたいなものしか見ていない様に聞こえます」
「あー! もぅ、うっさいなぁ!」
久米村先輩が、荒々しくストローの袋を丸め始める。
「君みたいな子って、本当に無理。童貞こじらせて、変に理想ばっかり高くて。気持ち悪い」
「じゃあなんで、俺なんかを誘ったんですか?」
「初華のお気に入りの男の子がどんな子か気になっただけ」
「久米村先輩みたいな人でも、会長は気になるんですか?」
意外だった。久米村先輩レベルになると、他の女子なんて全く気にならないと思っていた。
「うん。悔しいけど、あの娘には勝てないから」
「久米村先輩でも、会長には勝てないと思うんですね」
「だって、恋愛係数九六よ。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、おまけに生徒会長までこなしちゃうなんて、どうやって勝てば良いのよ」
気持ちを落ち着けるためか、久米村先輩は飲み物を啜ったが、その口から離されたストローは歯で潰されてペシャンコになっていた。
「君は笑美ちゃんのこと気にしてるんでしょ?」
「そこまで分かってるんですか」
もう恋愛関係でこの人が知らない事なんて無いんじゃないだろうか。少なくとも俺にはそう思わせるだけの何かが、この人の中にうごめいているように感じた。
「可哀想だけどさ、フクちゃんは笑美ちゃんの事、どうとも思ってないよ。生徒会の仲間くらい。それも、背景程度にしか思って無い」
久米村先輩の口から流れ落ちる言葉の冷たさから、江宮先輩を見下しているのが分かった。
「笑美ちゃんって、たった72でしょ? ウケるぅ! 無理でしょ、あの娘じゃ。身の程を知れって感じだよね」
「先輩、言い過ぎです」
「NLPとか、恋愛心理学とかの勉強もせずに、ただ相手を想っているだけで振り向いて貰おうなんて馬鹿だよね、あの娘」
「今の先輩の本音を聞いたら、圧倒的に江宮先輩の方が可愛いと思えます」
「それがどうしたのぉ? どんな温かい想いも、伝わらなきゃ意味ないの。そんな気がなくても、ちょっと気のある仕草をしただけで男なんて引っかかるのにね」
さっきまで俺の前にいた天使はどこへ行ったのやら、今目の前にいる人間はどこからどうみても、CTスキャンでどの断面をとっても、悪女だった。
「良い? 恋愛は技術なのよ」
「洗練されて美しい恋よりも、泥まみれで不器用な恋の方が、俺はしてみたいです」
そういう俺の言葉を、久米村先輩は鼻で笑う。
「だからあんたは六二なのよ」
「どんなに恋愛係数が低くても、俺は俺に好意を持ってくれる人を大切にしたいです」
「自分を磨こうとは思わないの? 気持ち悪い子だね」
「俺は、みんなの90点になるより、1人の91点になりたいので」
「まあ、君がどう思ってようと構わないけど、笑美ちゃんはフクちゃんにとって、そういう特別な存在ですらないよ。ただのモブキャラ。君は笑美ちゃんを応援するより、笑美ちゃんにそれを伝えてあげた方が良いんじゃないの」
「酷い事言いますね」
「酷い事じゃ無いよ。本当の事」
「それでも、言って良いことと悪いことがあるんじゃ無いですか?」
「夢を見せるのって、ザンコクじゃない?」
「夢を見せない方が残酷だと俺は思いますよ。だって、夢が現実になる事だって、確かにあるんですから」
「そうかなぁ。ありえないとは言わないけど、そんなこと滅多にないよ」
「やっぱり、久米村先輩はお互いの心に惹かれ会って結ばれる二人というのは、夢物語だと思いますか?」
「そうだね。そんなのは、現実を知らない人間達の戯れ言よ」
だってさ、と久米村先輩は意地悪く笑う。それは、世界中の夢見る童貞達に対する戦線布告の様に俺には感じられた。
「どんなに惹かれ会って付き合い始めたって言う二人もさ、私が近付いたら簡単に壊れちゃうんだもん。笑っちゃうよね」
くすくすと本当に笑っている久米村先輩を見ながら思った。そうか、先輩は夢物語から醒める瞬間ばかり見て来たから、夢物語に酔うことができないんだなって。
「じゃあ、その夢物語を先輩にお見せしますよ」
久米村先輩は、そう言う俺を空虚な夢を語る男子を見下す女子特有の、あの冷めた瞳でしばらく見据えてから、煽るように言った。
「それなら、私がそんな夢物語なんて、ただの夢だってことを教えてあげるよ」
その時、俺と久米村先輩の間で弾けた火花は、童貞の理想とリア充の現実の拒絶反応だったのかもしれない。
そんな感じに理想と現実をぶつけ合わせていると、ふと気付いたときには再集合時間になっていた。喫茶店を出て、久米村先輩を追う視線と、俺を品定めする視線をかいくぐりながら再び池袋東口に着く頃には、俺はもうぐったりだった。
こんな美人と付き合える奴って、絶対にナルシストだろ。自分に自信がないと、あんな冷たい視線に耐えられないって。
「じゃあ、今日も解散」
今回もそんな運営スタッフの一言で解散となり、俺はやっと不躾な視線から解放された。
そんな身体が浮かぶような開放感を堪能しつつ、あと一回になったデートに想いを馳せていると、不意に聞き慣れた声が俺の右耳を撫でた。
「・・・・・・船越?」
「うわぁ!」
急に名前を呼ばれたのに驚いて振り返ると、見慣れた黒くて長い髪が目に入った。
「な、夏目・・・・・・」
改札で誰かに掴まること多くね? 俺、まさか待ち伏せされてる? そんな因も果もない馬鹿みたいなことを考えていた俺は、実はそれが最も可能性が高いことだって言う事に気付けていなかった。
だが、軽くパニックになっていた俺にも、夏目が口だけで笑っていて、まるで落ち込んだ犬のように目元が歪んでいるのには気付いていた。
「あの人、誰?」
「久米村先輩。生徒会で色々とお世話になってさ」
実際、久米村先輩と仕事をしたことなんてなかったけど、夏目は生徒会活動にほとんど関係ないから別に良いだろう。
「何してたの? 仕事?」
「いや、ちょっとね」
「デート?」
なに、この流れ? この間、俺が先輩とデートをしていた鈴木に声を掛けたときと同じ流れじゃないか。
背中を氷のように冷たい汗が撫でるのが分かった。何かを言おうとして夏目の眼を見ると、その悲しみに沈んだような深い深い黒に心を掻き乱される。
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい。
吹雪の中の雪山の様に、真っ白に染まっていく頭にも分かる事はあった。それは、ここに居たのが俺で本当に良かったってこと。鈴木だったら、夏目にどんな傷を付けてしまったことか。
そこまで考えて、自分が夏目に負い目を感じる必要が無いということを、やっと思い出した。
「普通にいくつか店回っただけだよ」
「女の先輩と、普通に商店街回れるようになったんだ」
「それだけ聞くと、ただの女ったらしみたいだな!」
「ははは、本当だねぇ」
「じゃあね」
「おい! 待てぇい!」
くるりと向きを変えて、足早に立ち去ろうとしたが、袖を思いっきり捕まれてしまった。
「なんでしょうか?」
「どうして先輩とデートなんてしてたの?」
ちょっと、そういうサークルで、なんて口が裂けても言えないだろう? そんな地獄への片道切符をここで切るような奴は、真の勇者か救いようのない愚者だ。
「だから言ったじゃないか。生徒会の仕事でさ」
「嘘吐き」
「いやぁ、これが本当なんだって」
「だって、久米村先輩、生徒会じゃないもん」
「え?」
なんで分かったんだ? 面識がなければ、こんなのバレようがないはずなのに。
「テニス部の元部長だよ、久米村先輩。あんな感じだけど、めちゃくちゃ上手いんだ」
「・・・・・・テニス部? 部長?」
めっちゃバレバレじゃないか、俺の嘘。
「どしたの? もの凄く悔しそうな顔してるけど」
「いや、ちょっと。世界の偶然に上手く嵌められた気がしてさ」
「なにそれ?」
俺の言葉の意味が本当に分からなかったのだろう。怪訝そうな顔になった夏目に俺は、「なんでもない」とだけ言っておいた。
だが、俺は言葉を呑み込んだというのに、夏目は遠慮なく巨大な砲弾を撃ち込んできた。
「まあ、実は知ってたんだけどね」
「誰に聞いた?」
「うん? 会長だよ。十四時に池袋東口に船越達が集まって男女で遊ぶってことも、会長が教えてくれた」
会長よ、よりにもよって夏目に言うなよ、とか、それを聞いて本当に見に来たのかよ、夏目、君はどんだけ暇なんだよ、とか色々な考えが扇風機くらいの速さで回転し、俺は何も言葉を発することができなかった。突っ込みどころが多すぎる、とはこういうことなのだろうか。
「一応行っとくけど、船越似合わないことは止めた方が良いんじゃない? 疲れるし、無理しても、良いことないし。本当に好きな娘ができてからにすれば?」
「彼女を作りたいからやってるわけじゃねぇよ。使命感とか、義務感とかそういう奴だ」
「そっか・・・・・・彼女が欲しいんじゃないんだ」
「ああ。そう言うのは、俺にはまだ早いと思う。特に今日久米村先輩と話してて強く思った」
「中学の時とか、頑張ってたじゃん」
「いや、早いというのは年齢の話じゃなくて、夢に酔える程好きになる人が現れるまでまたななきゃなってこと」
「そっか、今はもうそんなに強くは想ってくれてないんだ」
夏目の震える視線が俺の目を必死に捉えていた。
「夏目には鈴木がいるだろ? ちゃんと一緒に幸せになれよな。キープしておこうったって、そうはいかねぇよ」
精一杯あどけて、そんな風に夏目に笑いかける。
「ああ。あと、今日の事、紫藤には内緒な」
「・・・・・・え?」
「知ってるだろ、紫藤のこと。俺がいつも生徒会の仕事を一緒にやってる奴。あいつには内緒にしてくれ」
「はぁ!? なんで?」
「なんでって、知られたくないからだろ」
会長も言わないって約束してくれたのに、ここでこいつにバラされたら意味がねぇ。バレたら絶対に殺される。殺されないにしても、死ぬ以上に過酷な事をやらされるに決まってる。
各団体の申請書類の印刷とか、その記入方法説明とか、記入事項の確認とか、会場設営の人員配置とか、生徒会の当日の仕事分担とか・・・・・・。
生徒会倉庫の長机に積まれる仕事の山を想像して、俺の意識は一瞬跳びかけた。
「へぇ・・・・・・そっか、そういうことなんだ」
「さすが夏目、察しが良いな。宜しく頼む」
喜んだもつかの間、そのまま唾でも吹きかけてきそうな険しい表情になった。
「ははは。どうでもいいけどさ、妥協だけはしないでよ。妥協すると、後悔するからさ」
「俺が後悔するわけないだろ」
「馬ぁ鹿!」
余りに大きな声に、通行人が皆、俺達の方を振り向いた。そして、そんな注目を浴びながらも、夏目はゴツゴツと革靴を床に叩きつけながら足早に去って行く。
「意味分かんねぇ」とか、「なんで怒ってんだよ」とか、色々と言うべき事はあったのかも知れない。でも、「夏目って、あんな表情もできたんだ」という驚きが余りにも大きくて、俺は一歩も動くことができなかった。