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第四章俺と先輩と言えない気持ち

第四章俺と先輩と言えない気持ち


「はぁ?」

「だから、今日は用事があるから、もう帰るって」

 サークル活動に指定された日、紫藤に早々の帰宅を宣言すると、案の定、紫藤のご機嫌は、スキー場の最難関コース並みの急斜面になった。ほぼ直角降。ただし、落ちるのは俺。

「生徒会の仕事放り出して帰るの?」

「今日は用事があるんだよ。親に市役所への書類の提出を頼まれてな。今日はもう帰らないと窓口閉まっちゃうから」

「嘘だろ」

「いや、本当だって」

「じゃあ、どこの課に、なんの書類を提出に行くの?」

 紫藤の顔から、農民を見下す中世ヨーロッパの女王様の様な勝ち誇った笑みが溢れた。

「書類って言うか、通勤定期乗車券の割引証の更新に行かなきゃいけないんだよ」

 どうせそういうこと聞いてくると思ったよ。もう一年以上の付き合いだし。

「ふぅん」

 紫藤は無垢な赤子を愛でる母親の様な慈しみに満ちた笑顔になる。よし、上手く騙せた。そう思って俺の頬も緩んだ瞬間だった。

「やっぱり、嘘じゃねぇか!」

 椅子を吹き飛して立ち上がった紫藤は、聖母の面影をも吹き飛ばし、B級ホラー映画の殺人鬼のような顔に俺を見下ろしてきた。

「え!? なんで?」

 紫藤のあまりの迫力に、俺は、椅子ごと後ろに倒れる限界まで仰け反ってしまう。

「あんたさぁ、四月に入ったときにもう更新してたよねぇ?」

「えぇっ! なんで知ってるの?」

「変わってるの、見たからに決まってんじゃん」

「紫藤に見せたりしてないだろ」

 そう言った瞬間、紫藤さんが固まった気がした。だが、まるでREGのマップ移動のためのロード時間みたいな短い沈黙の後、直ぐに勢いを取り戻した。

「と、とにかく! 嘘を吐いてサボろうとしてんじゃねぇよ! 本当に見損なったわ! あんたってそんな奴だったっけ?」

 もうなんなんだよ・・・・・・。

「どうせ下らない用事なんでしょ? こっちを優先しろよ」

「勝手に決めつけんなよ。俺に取っては、もの凄く重大な用事なんだ」

「あんたには、今日中にこれを終わらせて貰わないと困るのよ」

「明日で良いだろ、な?」

「良くない! 明日にはもっと仕事増えるんだ、今日中にやって貰わないと困るの」

「明日、なんとか終わらせるって」

「明日は、明日の仕事があるのよ!」

 いや、それは酷いだろ?

「人に仕事押しつけまくってんじゃねぇ! 他の人にたまには割り振れって!」

 何でだろう? 俺がそう叫んだ瞬間、紫藤は息を呑んで黙ってしまった。紫藤らしくない弱々しい顔には、涙が浮かんでる様にも見えた。

「はいはぁ~い。そこまでだよぉ」

 俺が何か言おうとしたとき、倉庫の鉄扉が勢いよく開いた。

「駄目じゃなぁい、海渡君。女の子に酷い事言ったらぁ」

 肩下まで伸びる、ウェーブのかかった髪を後ろに払いのけながら、幼稚園児を諭す母親の様な声で会長は言う。だが、やっぱりその目は絶対的な冷気を帯びている。

「ははは・・・・・・。聞いてたんですか? やっぱり、会長って妖怪かなんかじゃないんですか? なんでどこからでも俺等の会が聞こえてるんです?」

「だってぇ、この部屋には隠しマイク設置してるもぉん」

「何てことしてんですか!」

 通りで俺等の会話が筒抜けてるわけだ。会長の耳への直通回路を持ってるようなものだ。

「まあ、じゃあ説明の必要も無いですよね? 今日は用事があるので、俺は帰ります!」

「ふぅーん。帰らないでってお願いしてる女の子を見捨てるんだぁ。それは無いんじゃないぁい?」

 後ろ髪を万力かなんかでホールドされるような重圧を振り切る。

「それでも、今日だけは行かせて下さい!」

「ちょっと待って」

「はい?」

 何かのレシートかと思い受け取ったその紙には、『カッター』『セロハンテープ』『ガムテープ(布)』等と書かれていた。

「これ、明日までに必要なんだぁ。買ってきてね」

「こんなにですか?」

「お願ぁい」

 これは・・・・・・逃がしてくれてる?

「し、仕方ないですねぇ。買ってきますよ」

 無くしても良いように、タブレットで紙を撮影する。

「ということだから、今日はごめんな、紫藤」

 俺がそう言うと、母親に叱られた幼稚園児のように拗ねてしまい、

「ちゃんと全部買って来いよ。買い忘れすんな」

と言って、プイッと俺から顔を背けた。なんだろう? この、ヤンキーママが愛おしい我が子に、初めてのお遣いを任せるみたいな感じ・・・・・・。

「はいはい。じゃあ、行ってきます」

 集合場所になっている、学校から駅とは逆に歩いた所にある公園に向かって歩きながら、不可解な事に気付いた。

 会長はなんで俺を助けてくれたんだ?

 会長も仕事をさっさと片付けて欲しいんだろうし、理由もなく仕事をサボろうとする後輩には、何かしらの小言を言っても良いような気がする。

 俺の後輩が、「えぇ? 今日仕事したくない気分なんで帰りたいっす。その分の仕事? 明日やりますよ、明日。明日から頑張れば良いっしょ?」とか言って仕事サボろうとしたら、絶対にぶん殴った上、椅子に縛り付けている。

 なんだかんだ言って、会長は後輩思いって事なんだろうな。

 普段は猫の仮面を被った屍食鬼(グール)みたいな人なのに、更にその内側には闇を晴らす太陽の様な温かさが隠れている。良いお母さんになる人って、案外ああいう人なのかもしれない。良いお嫁さんになる姿は、残念ながら全く想像できないけど。

 そんな感慨に身を浸しながら、足早に商店街を抜けると、公園の噴水の周りには、既に他のメンバー達は揃っていた。

「すみません。遅くなりました」

 手を振ってくれている鈴木に近付きながら、他の参加メンバーに一言謝る。

「大丈夫だよ。遅れて無いから」

 そう言って、俺に笑いかけてくれたのは生徒会の副会長だった。

「副会長もサークル活動ですか?」

 俺が訪ねると、副会長はばつが悪そうに苦笑いをした。

「高校三年間で彼女ゼロは嫌だろう?」

 確か副会長の恋愛係数は八九で、鈴木よりも良かったはずだ。それなのに彼女ができないのは、たが単に積極性がないからだと思う。

「君が、今日から鈴ちゃんの代わりをするって言う子?」

 茶色に染めてるくせに、艶やかに整った髪の毛を揺らしながら、メンバーの一人が訊いてきた。背丈は夏目と同じくらいで、夏目より胸は脹よかだ。そう言えばこの先輩、生徒会で見たことがあるな。役職は確か、会計か書記。

「では、これより第四二回のサークル活動を開始して下さい。職員が、持ち場に付いていますので、何かあったら直ぐに連絡して下さい」

 進行役の役員の人がそうい叫ぶと、男女が惹かれ会うようにペアを作って行く。

「ペアは分かるか?」

 相手が分からずおろおろしていると、副会長がさすがの気配りで俺に声を掛けて来てくれた。助かった、と思ってペアを教えて貰おうとした瞬間、肩を力強く叩かれた。

「今日のペアはうちだよ、船越くん」

 柑橘系の香りを漂わせて俺の隣に歩いて来たのは、最初に話しかけてくれた茶髪の先輩だった。長めの男子と変わらないくらいに切りそろえられた髪の毛のせいで、あっさりとした印象を受ける。

「あ、えぇっと、船越海渡です。今日は、よろしくお願いします」

「うん。よろしく」

 人懐っこい笑みを浮かべる先輩だった。話しやすそうな先輩で、俺は安心した。

「笑美、自己紹介、自己紹介」

と、いつの間にか隣に来ていた鈴木に言われて、自分が自己紹介をしていないことに気付いたらしい。あ、そっか、と溢してから、ニコッと笑って名前を教えてくれた。

江宮(えみや)笑美(えみ)ね。好きなように呼んで良いよ」

「では、江宮先輩で」

「うわぁー、味気ない!」

「あれ? 鈴木とかには何て呼ばれてるんですか?」

「笑美さん」

「下の名前・・・・・・お前、やっぱり浮気なんじゃねぇの?」

「んなわけないだろ」

 鈴木は呆れたように肩を竦めて言う。

「普通だろ、普通」

 俺には女子を下の名前で呼ぶのが普通だという感覚は全く理解できなかった。もはや別言語の領域だと言っても良い。

「で、うちのことなんて呼んでくれるのさ?」

「では、江宮先輩で」

「今までの流れ、全く関係ないのかい!」

 そんなツッコミを受けてみて思った。江宮先輩は、どこか夏目に似てる。

 夏目は鈴木と居る時、こんな風に笑うのかねぇ?

 そう言えば、いろいろ見てない表情があるよな。夏目は帰り道で服を買う時の悩む顔とか、流行遅れの店に連れ込もうとした時の軽蔑する表情とか、彼氏とプリクラ撮るときの顔とか。

告白された時の表情とか。

「じゃあ行こうか、少年」

 そう言って歩き出す江宮先輩の後を急いで付いて行った。後を振り返ると、鈴木が面白そうに手を振ってくれていた。そんな鈴木に何か一言言いたかったが、クマを連想させる豪快な早足で闊歩する江宮先輩がどんどん進んで行ったせいで、俺は強制的にその場を後にさせられた。「何処に行こうか?」

「えぇっと、お任せします」

 自分でも情け無い事だが、女子と二人っきりという状況になるのは夏目以外では初めてで、当たり前のようにエスコートできなかった。

 そんな俺に苦笑いして、でもキツいことは何一つ言わずに江宮先輩は俺を引っ張ってくれた。

「じゃあ、うちに付き合って」

 そうして、江宮先輩の洋服選びとか、靴選びとか、参考書選びとかに駆り出される事になった。俺には江宮先輩が勝手に楽しんでくれるのが有り難かった。俺には江宮先輩を楽しませることなんてできなそうだったし。

 その道中、一応会話はした。

「得意な事ってある?」

「パソコン関連なら、大抵得意です」

 そう言ってみて、このデートでは全く使えない技量だと悟り、困ったように微笑む江宮先輩に取り敢えず、聞き返して場を和ませようとした。

「先輩は?」

「そうだなぁ、服選ぶのとか得意だよ。うちのセンス、そんなに悪くないと思うんだ」

 そんな発言に、「ああ、だからいつも綺麗なんですね」とか、「いつか私服も見てみたいです」とか、いくらでも返答はできたはずなんだ。それなのに、俺は何も言えなかった。

「趣味とかあるの?」

「IT系の資格を取ることですかね」

「なんか凄いね! どういう資格があるの?」

「ITパスポートを入り口として、基本情報技術者とか応用情報技術者とかが人気ですね。マイクロソフト系だとMOSとかが有名じゃないですか? あとは、パソコン検定とか」

「うーん。分からないかな」

 凄ぇ俺。屈託無く笑う江宮先輩の表情を引き攣らせてるよ。圧倒的だな、俺のコミュ力の低さ。ってか、俺が常識だと思ってたことが何一つ江宮先輩の中じゃ常識じゃないらしい。これをカルチャーショックというのだろう。

「先輩は?」

「え?」

「先輩は趣味あるのかなぁって」

「ああ、そういうこと。うーん。料理とかよくするけど」

「料理ですか、総菜が豊かになっている今、自分で作る必要ってあるんですか?」

「少年、喧嘩売ってんのかい?」

 茶色のパーカーと白いベストの組み合わせを試していた江宮先輩が、呆れた様に俺を見る。

「好きだから、で良いんじゃないか?」

「ITの勉強するのも、好きだからじゃ駄目なんですかね?」

「えぇ? だって、なんかオタクっぽい」

「オタクじゃ駄目なんですかね」

「あぁあああ! 面倒臭いなぁ。次。次行こ」

 江宮先輩は手に持っていた服をさっと元に戻して、店から足早に出て行ってしまった。ここまでされたら、さすがの俺も怒らせてしまったんだということに気付く。

「本当に、すみません」

 俺はそう一言謝って、江宮先輩の後を必死に追いかける。

・・・・・・。

・・・・・・。

暫く気まずい沈黙が続いた。周囲の喧噪は俺の耳には入って来ず、ただ江宮先輩が何も言葉を発さないということが、俺の心を沈ませた。

江宮先輩がゲーセンの前を通りかかった時、思い出したように俺の方を振り返った。

「オタクの子って、ゲーム得意だよね? 何か得意なものとかある?」

「生憎無いです」

 オタクが全員、ゲームが得意だと思ったら大間違いである。なにもできないオタクだっているんだ。

 江宮先輩は期待外れ、とでも言うように肩を落とした。コンビニの店長が売り切る事が絶望的な消費期限の迫った不良在庫を見るような目で俺を見て来て、急に眼が熱くなった。俺だって、不良在庫になんてなるつもりは無かったんですよ。

「先輩は?」

「は?」

 居たたまれなくなって江宮先輩の話題に戻そうとすると、江宮先輩が露骨に不機嫌そうな顔になる。

「あるわけないじゃん。うち、オタクじゃないし」

 それに、と江宮先輩は続ける。

「さっきからそればっかり! 『先輩は?』で逃げすぎ。なんか無いの? 面白いこと」

そう言えば、俺の魅力ってなんなんだ? 俺が他人よりも優れてる事ってなに?

勉強・・・・・・は、うちの学校でも俺より頭の良い奴は十人近くいる。

ITの知識・・・・・・は、オタクっぽいし、学校生活ではほとんど使う事ないやつだな。

 そう考えると、女子に対して誇れるものなんて何も無いことにようやく気付く。

 遅ぇよ、俺。

「まだ集合時刻まで一時間以上あるし、お茶でも飲んで待ってよ」

 俯いて黙ってしまった俺を、江宮先輩は強引に近くの喫茶店に連れて入る。自動ドアを潜ると、コーヒーの香りが腹の底をゆっくりと撫でて、少し抱け落ち着いた気分になれた。

俺も江宮先輩も、互いに自分の分のコーヒーを買って二人掛けの席に座る。女子の分は男が持つものだと思っていたが、江宮先輩が自然に自分の分を買ったので、そこに強引に割り込むことが憚られ、結局自動的に割り勘ということになってしまった。

「会話もアピールポイントなんだから、ちゃんと相手の興味を惹くような事を言いなよね」

座って開口一番、江宮先輩は気怠そうにそう言った。

「すみません」

 言えれば言ってますよ、と内心で毒づきながらも素直に謝る俺の頬を、江宮先輩の溜息が撫でる。

「なんか、消極的だよね。そんなにうち、魅力無かった?」

 説教が始まるんだとばかりに思っていた俺は、その言葉を聞いて、一瞬何を言われているのか分からなかった。そして、このときやっと分かった。江宮先輩は、自分に魅力がないから俺ががっついていないんだと思っていたということを。

「そんなことありません。今日すれ違った男共を見てなかったんですか? 皆先輩の所で止まっていたじゃないですか」

「じゃあ、海渡君はうちのこと、良いかなって思ってはくれたんだ」

「俺は、というより代替の人は、良いかなって思うと思います」

「そっか、安心したわ」

 ははは、という江宮先輩の笑い声には、心なしか元気が戻っている気がした。

「なら、さ。なんでこれに参加したの?」

「鈴木の代わりです」

「まさか、本当にそれだけ?」

 信じられないとでも言いたげにそう訊いてくる江宮先輩に、俺は俺と夏目と鈴木の事を話した。いつもなら、絶対に言わないことだ。それなのに言ってしまうなんて、俺はこのとき、自暴自棄になっていたのだろう。

「悪いけど、その娘も鈴木君を選んで良かったと思うわ」

 話を全部聞いて、その解答として江宮先輩が選んだのは、そんな言葉だった。

「ちょっと、なんで泣くのさ」

 言われて手を頬に当てると、温かい水が指先に触れた。

「自分では、納得していたつもりだったんですけどね。他の人に言われると、やっぱりショックみたいです」

 多分俺は、誰かに鈴木よりもお前の方が良いよ、と言って欲しかったんだと思う。そして、そう言ってくれると信じていたんだ。

「うちが言いたいのは、諦めてさっさと次に行きなよってこと」

「そんな事できませんよ。少なくとも今は、できるような気がしません」

「諦めなきゃ駄目なんだよ」

 何かを拒絶するような響きを持ったその一言は、何故かとても弱々しかった。

 傷ついた小鳥の様に震える江宮先輩に、温かい言葉を掛けたかったが、冷たい俺の中にそんなものがあるわけ無く、ただ首を傾げることしかできなかった。

 だけど、それで十分だったみたいだ。ぽつり、ぽつり、と江宮先輩は物語を紡いでくれた。

「だって、うちも諦めようって、諦めなきゃいけないって、思ってるし」

「諦めるって、挑戦もせずに手を引くって事ですよね」

「挑戦はしたよ。このサークルに参加したのだって、最初はその人が参加するって言ったから、うちも参加する事にしたんだもん」

「そこまでしたなら、告白まですれば良いじゃないですか」

「それがね、うち分かっちゃったんだ。その人は、他の人の事が好きなの。本当にその娘のことが大好きで、その娘もその気持ちに気付いてる。それが分かって見てみるとさ、どう考えてもお似合いの二人なんだよね、困った事にさ。仕方ないから、うちはそれに協力しなきゃなって思ってんの」

「だったら、その友達から奪ってやれば良いじゃないですか」

「そんなの無理だよ。恋愛係数なんて一〇も違うし、なによりその娘、うちの友達だもん」

「じゃあ、そんなに辛そうな顔しないでくださいよ。未練たっぷりなんじゃないんですか?」

 江宮先輩が、コクリと頷いて言葉が続く。

「あーあ、認めちゃった。絶対に認めないつもりだったんだけどな」

 そう呟いたときの江宮先輩の顔は茶色い前髪に隠れて見えず、コーヒーの液面が寂しそうに揺れているのをただ眺めていた。その沈んだ様子にどことなく違和感があった。

「まあ、高校生の内は恋愛なんかしないで勉強しろって言うけどさ、多感な高校生のうちに恋愛できて良かったと思うよ」

 無理に笑おうとしている江宮先輩の顔を見て、違和感の正体に気付いた。そう、この人は闘おうとせず、逃げだそうとしているんだ。これじゃあ、諦めてさえいない。

「先輩、絶対に自分の気持ちを伝えた方が良いです」

「やだよ。そんなの。格好悪いし、空気読めて無いじゃん」

「それでもです、先輩。今、どうせ他の男直ぐに見つかるとか思ってるでしょう? そんなもんじゃないですから。その友達が毎日毎日、惚気話を聞かせてくるんですよ? それを、何でも無い振りしてずっと聞いてないといけないんですよ? 他の男の人と一緒にいても、ああ、ここあの人に似てるなぁとか思って過ごさなきゃいけなくなるんですよ? その苦しみが想像できますか? できないでしょうね。できていれば、告白が恥ずかしいとか、相手に迷惑だとか考えられなくなるはずですから」

「自分だって、逃げたんじゃんよ!」

「だから言ってるんです! 絶対に、自分の気持ちは伝えた方が良いです!」

 叫び散らす俺に驚いた様に、他の客が俺の方を振り返り、店員が止めようかどうか逡巡しているのを感じた。だが、そんなことはどうでも良い。

 目の前の不幸に成り行く少女を、正しい道に導いてやらなくてはならない。

「五回のデートが終わったら、最後に遊園地でしたっけ?」

「そうだけど」

「だったら五回目のデートの時、先輩とその人を二人っきりにしますから、絶対にそこで自分の気持ちを伝えて下さい」

「絶対に、嫌」

「なんでですか? 一対一になれれば、あとは自分の心を見える形にするだけじゃないですか。俺みたいに、逃げていく人を無理矢理捕まえなきゃいけないんじゃないんです。すごいチャンスですよ」

「そんな状況になんてなんないし。なったとしても、やっぱり嫌」

 強情だ、と思った。『自分から不幸になろうとする人間は、誰も救うことができない』という言葉は真理だな、とこんな時に思ってしまった。

「分かりました。じゃあ、その機会はどう使って頂こうと構いません。ですが、例え一瞬でも先輩の前にチャンスを作ってみせます。でも、一瞬でも構いませんよね? 『好きです』なんて一秒もかかりません。結局、自分の気持ちを伝えるのに、時間なんて必要無いですから」

 時計を見ると、再集合時刻十分前だった。今からあの公園まで歩けば、丁度良い時間に着けるだろう。

「じゃあ、五回目のデートの時までに考えておいてください」

 そう言って、俺は先輩の空のコップもまとめて返却口に片付けて店を出た。先輩はじっと黙ってしまい、俺の言葉を聞こうとなんてしなかった。

 公園に着く頃には、もう五ペアくらいが集合していた。やはり、可も無く不可も無くという時間に着けたという事だろう。

 余りに気まずかったのか、公園で友達を見つけると、さっとそっちの方に行ってしまった。

 取り残された俺は何もする事無く、ただスマホを取り出し、英単語アプリをやっていた。

「じゃあ、今日はこれで終了」

 全員が集まるのを確認して役員の人がそう言ったのを合図に、今度は帰るために駅へ向かって歩き始めた。

「おぉい、船越」

 すると、俺を呼び止める声が上から振ってきた。振り返ると、大きな胸板がそこにあった。

上を見上げると、副会長だった。

「ああ、副会長。どうしました?」

「今日はどうだった?」

 その笑顔には、『下級生にまで気を使える俺、凄ぇ』というような、意識高い系の様な醜い成分が全く無く、純粋に俺を気にしてくれているのが分かった。

 その屈託のない笑顔を見て思う。

 そりゃあモテるわ、と。

「江宮先輩のお陰で、楽しめました」

「そっか、良かった」

「俺が江宮先輩を楽しませる事ができたとは思えませんが」

「良いんだよ、最初は。先ずは自分が楽しまないとな。じゃ、俺、人を待たせてるから」

 そう言って駆け出す副会長に、一応お礼は言っておいた。忠実な僕役に徹することが、こういう縦社会では重要。心のなかで実際はどう思っていようが、関係ないのである。

「はい。また宜しくお願いします」

 副会長の駆け抜ける方向に、すらりと背の高い、金色に染めた髪をハーフアップにまとめた、天使の様な少女が立っていた。副会長の至福の笑顔、天使のはにかんだ表情。それを見る限り、副会長はその天使の事が好きなんだろう。

 自分の無力感だとか、先輩の恋の行方だとかに想いを馳せながら駅まで歩き、改札を潜ろうとしたところで、声がかかった。

「今日は楽しかったよ、少年! ありがとね!」

 落ち込んでいた気分を何処に吹き飛ばしたやら、目の前に立っている江宮先輩は向日葵の様に大きく笑っている。

「俺も、先輩のお陰で色々、女の人の醜いところ見れました。ありがとうございました」

「ひ、酷いな、少年。そういう時は、褒めておくものだよ」

「ご忠告ありがとうございます。以降気を付けます」

「・・・・・・本当に気を付ける気があるのかなぁ」

 江宮先輩は、大袈裟にガックリと肩を落としてしまった。洗練されていないその仕草は、返って自然に感じる。どういう風に見せるかを考えてる会長と違って、自分がその瞬間したいと思った通りに行動しているんだって分かるから。

「嘘ですって。先輩の魅力も十分分かりましたから」

 全回復系の蘇生術を受けたかのような、有り得ない程の回復速度で、ガバッと顔を上げて、江宮先輩らしく快活に笑う。

「でしょ、でしょ!」

 あー、言うんじゃなかった。

「それにしても、どうしたんですか?」

「うちの好きな人、良い人でしょ?」

「このタイミングでって・・・・・・まさか、副会長の事ですか?」

 そう言うと、頬をちょっと赤らめる。

「馬鹿、声がでかいよ」

「じゃあ、さっき隣にいた天使が、江宮先輩の友達ですか?」

「そう。久米村くるみちゃん」

「確かに、あれは強敵ですね。でも諦めちゃ駄目ですよ、江宮先輩」

「くるみちゃんの容姿を見て、まだそれを言える男子がいるとは・・・・・・、夏目ちゃんの容姿を見慣れているからなのかな?」

 呆れた様に俺の顔を眺めた。

「違います。俺には勝機があると思うんですよ」

「お世辞は気付かれないように言うんだぞ」

「そうですね。だからこれは、お世辞じゃありません」

 江宮先輩が小さく息を呑むのが分かった。

「俺から見た真実です。江宮先輩がちゃんとその胸にくすぶる気持ちを伝える事ができたら、大丈夫ですよ」

そう言うと暫くぼうっとしていたが、はっと我に返った様に跳び上がると、江宮先輩はスカートをふわりと舞わせてくるりと振り返った。

「冗談が過ぎるよ、少年。でもま、頑張ってね。海渡君の次のデートの相手は、くるみちゃんだから!」

 江宮先輩は、定期券を改札に叩きつけ勢いよく構内に突進しながらとんでもないことを言い残して行った。ってか、もっと早く言えよな。あの人と話せって? 無理だろ。なんかサキュバスみたいに色々と吸い尽くされる気がするんですけど。

 噴射口の壊れた噴水のような凄まじい勢いで、不平、不満、苦情が噴き出して来たが、俺はなんとか口からこぼれ落ちるのを抑えた。

だって、駆けて行く江宮先輩にはもう迷いが無いように感じられて、そんな彼女には罵倒よりも祝福の方が似合うと思ってしまったからさ。

後は俺が約束通り、二人を引き合わせるだけか。

「楽しかったぁ? 海渡君」

 せっかく、ちょっと遅れめの春の予感に胸を温かくしていたのに、美しさの盛りに固められてしまったドライフラワーのように無機質な声が俺の右耳に侵入してきた。

「会長・・・・・・」

 優しそうな包装紙に包んで、こんなに危険な爆弾を送り込んでくる人は、俺は一人しか知らない。

「あ、あのこれは。江宮先輩とデートしてたとかではなく」

 喰われそうになる鹿が、足下の泥を駄目元でライオンにかけまくるように、俺も必死に身を守る言葉を探して会長に浴びせかける。

 だが、拍子抜けするほど落ち着いた声で会長は言った。

「慌てなくても良いよぉ。知ってるもん」

「知ってる?」

「あのサークルに副会長も参加してるって知ってるでしょ? 副会長が仕事を休むときくらいは把握してるよ」

「ああ・・・・・・」

「それで、なんでこんなのに参加してるのかなぁ?」

「会長には関係ないですよ」

「あるよぉ。また一人、優秀な人材が仕事してくれなくなっちゃたんだもん」

「また思っても無い事を。それに、思っていたとしても、それは俺に仕事を押しつけようって言う下心が深すぎて、全然嬉しくありません」

 いつも通り、本音をほんの少しだけブレンドした、他愛も無い会話を続けている。ただそれだけのはずだった。

「ねぇ、止めてよ」

 だが、次の瞬間会長が発したこの言葉は、もの凄い重みを誇っていた。

「何でですか?」

「分からないかなぁ?」

「俺は、分かってることをわざと訊くほど、会話術に長けてません」

「余計悪いよ、それは。じゃあさ、一つだけ教えてよ。なんで参加することにしたの?」

「友達に頼まれたからです」

「嘘だぁ。海渡君って、そんなに優しい子じゃないじゃなぁい」

 本当の事ではあるが、こうも堂々と言われると非情に腹立たしい。

「どうせ、夏目ちゃんが絡んでるんでしょ? 夏目ちゃんに、彼氏である鈴木君が他の女の子と遊んでいる所を見せたく無かったんでしょ?」

「分かってるんじゃないですか」

「もう一年以上一緒にいるんだもん、それくらい分かるよ」

 そうして、諭すように俺に言った。

「私が他の男の子を見つけてあげるから、こんなこと止めなよ」

 江宮先輩と約束していないうちだったら、俺は直ぐにそれの提案に飛びついただろう。だが、そんな『たられば』は空想上のものであり、副会長と江宮先輩を二人っきりにするという約束が俺の手元にはあった。

 そして、その約束を果たすためには、俺はサークルから抜けるわけにはいかなかった。

「あと二回です。生徒会の方には、迷惑はお掛けしません」

「結局、海渡君も女の子と仲良くなりたいの?」

「そりゃあ、そうですよ」

「まあ、いっか。どうせ海渡君が葵ちゃん意外に好かれる訳がないんだし」

「もの凄く辛辣な事を言ってるの、気付いてます?」

「ただし、葵ちゃんには内緒だよ。絶対にバレないようにね」

「分かってますよ。バレたら死んじゃいますし」

「違うよ、葵ちゃんが傷付くから。分かってるでしょぉ?」

 相変わらずゴミを見るような眼で俺をなめ回すように見る。

「なんで会長は、そんなふうに俺達をくっつけようとするんです?」

「だってぇ、私は恋のキューピット様だから」

「キューピット様ってなんですか? 様って?」

 随分と偉そうなキューピットがいたものである。そんな高圧的に矢を射られたら、そりゃあ諦めてくっつきますよ。もちろん、自分の身を守るために。

「まあ、頼んでおいた買い物はよろしくね」

 そう言われて、初めて百均での買い物を思い出した。うわぁ、お遣いがあること自体を忘れるとか、初めてお遣いする幼稚園児以下じゃねぇか・・・・・・。

「領収書、ちゃんと貰っておくこと」

「はい、了解です」

 そうして俺は、商店街の百均を目指して、足早にその場を去った。会長の威圧感から一刻も早く逃れたかった、というのが多分一番大きな理由。

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