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第二章俺と紫藤(しどう)と生徒会

第二章俺と紫藤(しどう)と生徒会


 高校に入ってから、俺は少女マンガの魅力に取り憑かれた。

 運命の出会いをして、運命に導かれるままに突っ走っていたら、理想のヒーロー、ヒロインと結ばれる。そんな夢みたいな世界に魅せられて、次から次へと少女マンガに手が伸びる。

男としてのプライドなんて軽く放棄した俺は、クラスの女子と漫画の交換までしている。そうしていつの間にか、有名タイトルを一通り押さえる少女マンガオタクに成り下がっていた。

でも、ラズベリーみたいに甘酸っぱくて温かい世界に触れていると、夏目に片想いしていた頃の胸の高鳴りが思い出されて、「やっぱり恋愛ってこういうものだよなぁ」と理想の恋愛ワールドに浸る事ができた。

「おっはよー!」

 嵐の前の静けさに包まれていた二年G組の教室に馬鹿みたいに明るい、黒髪の女子が入ってくる。いや、肩下まである艶やかな黒髪を振り回しつつ、クラスメイトの間を切り抜けて心臓部に切り込んでくる夏目の姿は、『乱入』という表現が正しいのかも知れない。

 いつものことだが、夏目が入ってくると一気にクラスの雰囲気が変わる。それまでの沼に沈みゆく鉛の様なテンションは、花火に火を点けたように一気に弾け、色取り取りの光を放ち始める。これを持って、この教室の夜明けだと言っても良い。

「おはよう、夏純(かすみ)

 そんな暴れん坊の女将軍様に声を掛けたのは、もちろん俺ではなく、鈴木だ。

「よっ、鈴太朗(りんたろう)!」

 鈴木の隣を通る時、夏目が鈴木の肩をパシン、と叩く。そうして夏目が後ろの席に座ると同時に、鈴木も振り返って、二人は一つの机を挟んで見つめ合い、誰も触れないというか、触りづらい二人だけの領土・領空を主張する。

カップルはクラスメイトからの独立宣言みたいなものだよな。

 夏目夏純と鈴木鈴太朗は、付き合っている。軽音学部の看板バンドのイケメンボーカル鈴木君と、テニス部の美少女エース夏目ちゃんという、ネームバリュー的にもビッグなお二人は、お雛様だとお内裏様とお雛様だ。

あまりにお似合いで、その上、人目を憚る事のないラブラブを見せ付けてくる二人は、学校中の認識ではもう夫婦。

「夏目さん? ああ、鈴太朗の彼女か」「鈴木君って、あのナッちゃんの彼君?」

 そんな感じに、どっちかを知ってれば、自動的にもう片方も知ってしまうみたいなさ。そりゃ、一日中一緒にいたらそうなるだろうよ。

「船越も、おはよ~」

 今日のリーダーの授業で暗唱することになっている英語の文字列を睨み付けながらも、今期のアニメのオープニングを聞いて燃料補給を絶やさない、生徒の本分を弁えた模範生徒と呼ばれて然るべき俺の肩を、夏目がぽんと叩いた。

「うっす」

 右耳のイヤホンを外して、なるべく迷惑そうに夏目に挨拶を返した。ここら辺は、鈴木への配慮である。

「相変わらず、ガリ勉だなぁ」

「うるせぇよ。別に良いだろ」

 夏目は、そう言う俺に苦笑を見せ、

「こいつ、中学の頃からこんなんでさぁ」

と、俺を話のネタにしつつ、すぐに二人だけの世界に戻っていった。

そしてそんな、朝の水色と白と山吹色の絵の具を適当にかき混ぜた様な光を受けて笑い合う二人を、クラスの奴等が微笑みを浮かべながら眺めている。

 最悪。マジで気分悪ぃ。

 二人とその周りの温かい空気や音が聞こえないように、俺はまた右耳にイヤホンを突っ込んだ。俺の無骨な掌に収ってしまうコミックに描かれる、ホットココアみたいに温かく甘い世界が、俺のすぐ右側で現実化している。だが俺は、二人の世界の背景であり、モブキャラだ。

 こんなことが有り得て堪るか。

本当は、夏目の隣には俺がいるはずだったんだ。あの日、中学の卒業式の日、夏目にちゃんと気持ちを伝えられていたら。

「なんで途中で逃げたの!」

 夏目の親友の女の子達と春休みにあった時、俺は散々に叱られた。

「前日に約束してたのに、夏目が帰ったから」

「帰ったから?」

「俺が嫌われてるから、言外に振られたんだと」

「馬鹿者・・・・・・」

「そんなの、恥ずかしかったからに決まってるじゃん!」

「そうなの!?」

「あー、もう本当に駄目だ、こいつ。大した男じゃない上に、意気地までねぇ」

「本当、最低だよね。あんなに待ってた夏純がやっと報われると思ったのに」

「最低じゃなきゃ、あんなにナッちゃんを苦しめたりしないって」

「それもそうか」

 あの時の『反省会』で、俺は何回『最低』のレッテルを貼られたかはもう覚えて無いが、胸と頭と腹が痛くて、もう死にそうだったのだけは覚えている。

「でもま、幸い同じ学校に通うんだから、次のチャンスは逃すなよ」

「入学式の時に告白する勢いで行け!」

「男を見せなよ!」

 赤ワイン製造過程の葡萄のように集団に踏みにじられ、赤い血を垂れ流していた俺の自尊心に、そんな有効数字二桁でも斬り捨てられそうなほど微量なフォローがなされて、あの日は終わった。

 だが、馬鹿なことに俺は、元同窓生達がそんな風に発破を掛けてくれたというのに、相も変わらず俺は呑気に構えていた。タイムマシンでもあったら、あの時の自分を張り倒して踏ん付けて、涙が涸れるまで殴り続けてやりたいよ。

そう、彼女達が言っていたように、俺は最初から猛攻撃すべきだったんだ。

 高校に入っても、新しい友達も作らず、新しい事も始めず、高校デビューなんて恥ずいし、リア充は恋愛を軽視しすぎ、高校生の今すべきことは将来の為のお勉強、と考えて、全力で現実からの逃避を繰り返していた俺は、夏目にハイエナが近付いている事に気付かなかった。

 恋愛管理システムなんかの下に一年間以上置かれていたら、夏目くらいの女が放置されている訳がないなんて、当たり前のことなのにさ。

 三〇歳までに結婚できる確率、九六%。

それがうちの高校の売りだという。高校受験に滑りに滑った結果、辛うじて引っかかった高校に進学しただけの俺に、入学式の後、隣の席になった奴がそう語ってくれた。

有名大学への合格実績とか、礼節に厳しい教育方針だとか、可愛い制服だとか、そういうのを誇りにするなら分かるが、そんなものを売りにして良いのか?

そんな俺の問題提起は、受験した時点で同意したとみなされるという理不尽な利用規約の下に敢えなく却下され、俺も学校の恋愛管理システムの下に置かれる事になった。

それに、恋愛管理システムと言ったって、大したものじゃない。

「容姿」「接しやすさ」等を異性に回答して貰い、異性にどれくらい良く思われているかを一〇〇点満点で数値化して、その平均値を恋愛係数として、本人にフィードバックする。

 そんなシステムを構築した学校側が管理のために行うのは生徒に、その回答と本人への通知を行う為のアプリをスマホにインストールさせるだけだ。

 要は、異性にどう思われているかを眼前に叩きつけるだけ。結婚率が上昇したのは、絶望的なまでに低い恋愛係数を突き付けて、現実に向き合わせたからだとも噂されている。

 恋愛係数六二。

 平均六〇.一のギリギリ上。

それが客観的に見た俺の男としての価値らしい。つまり、俺は平均よりは上だが、良いとは全く言えない男という事になる。要は、モテないモブ童貞である。

「うるせぇよ。大きなお世話だ」

一向に増えようとしない恋愛係数に絶望して、俺はスマホを机に叩きつける。

「ははは、そんなに簡単に上がるわけ無いじゃん」

 その様子を見て、夏目が笑った。

「密かにファンクラブが結成されて、人気急上昇かもしれないだろうが」

「そういう子は、最初から恋愛係数高いの」

 そして、また二人の世界に戻っていく。こうして夏目は今日も、ヒットアンドアウェー。

夢と希望を根こそぎ破壊されてしまった俺は、底辺を這うような恋愛係数を抱きしめて、現実を生き続ける。

「こんな点数、意味無くねぇか?」

 アプリをインストールさせられた当初、夏目にぶつくさ文句を言ってみたが、全く共感して貰えなかった。

「ううん。こんなもんだよ、現実の恋なんてさ」

 売れっ子の女流作家が描く、疲れ果てた大人の女性が言うような台詞だった。俺達夢見る童貞を、完全に見下す台詞である。もしかしたら、恋愛係数が高い人間にも高い人間なりの苦労はあるのかもしれない。

 俺等モテないモブキャラに心的外傷を負わせるだけが恋愛管理システムの機能じゃない。

 年に一回、自分への評価がトップ3になっている人の名前をアプリは表示してくれる。その表示を参考に告白を考えてみたらいかが? という粋な機能が搭載されている。

 その開示が行われるのは、学園祭の三日間。

 去年の学園祭の一日目に、俺のアプリに表示されたのは、『夏目夏純』『紫藤葵』『一ノ瀬初華』の三件だった。夏目以外の二人は、俺が学園祭の準備を手伝った時に知り合った、同級生と生徒会長だ。

 二人にそんな好評価を受けているのを忘れるほどに、『夏目夏純』の表示を喜んだ。だから、学園祭の当日、今度こそは告白してやろうと思って登校した。

 他にもそう思っている男が二人はいるはずだ。だが、そんなモブキャラ二人は関係ない。だって、夏目と俺は九年以上の付き合いなんだ。

そう余裕綽々に構えていた俺の網膜はあの日、見てはならない光景を感知した――夏目と、誰か分からない男子が手を繋いで歩いているところを見てしまったんだ。

足の力が抜けて廊下に崩れ落ちた俺に、夏目に向かって笑いかける男の横顔が見えた。それは、案の定というかなんというか分からないけれど、とにかく鈴木だった。

 はっきり言って、好きな人というのは言った者勝ちである。俺あの娘が好きだ、と言ってしまえば、俺も、とすぐに言い出す奴がいない限り、絶対不可侵領域となる。

 そんな領域に夏目を入れることに成功した男が鈴木だった。鈴木は事ある毎に、「夏目さん最高」をシュプレヒコールの様に繰り返していた。クラスメイト達が温かい声援を送る中、俺は鈴木を可哀想に思っていた。夏目がお前なんかを好きになるわけ無いだろ、と。

 だが、頭が可哀想なのは、俺の方だった。

前夜祭の夜、運動場に燃え上がる炎を眺めながら、最高の雰囲気の下で鈴木は夏目に告白した。そして、学校中の好奇の視線を浴びながら、夏目はそれを承諾した。

 という話を、翌日夏目が嬉しそうに話してくれた。夏目の笑顔を見た時、自分の周りに厚い壁ができたような気がした。その外側の暖かい世界から隔絶され、もう温かい世界には行くことはできない。

俺は逃げ出そうとする足を両手で押さえて、夏目を祝福した。俺の口からは、キラキラした言葉が滝のように溢れ落ちて行き、そんな俺の心の籠もっていない空っぽの言葉を、夏目は喜んでくれた。

あの時の俺を支えていたのは、他の男の腕に抱かれた女を祝福することができる自分は寛大だな、という虚しい優越感だけだった。

 それでも、なんでよりにもよって鈴木なんだよ、と思ってしまう俺がいる。通知表に並ぶ数字は、体育以外は全部俺の方が上。顔や性格も俺の方が良いはずだ。それに、私服のセンスなら、絶対に負けていない。なんたって、あいつは普通の高校生って感じでダサい。

「俺と鈴木、どちらと付き合いたいか?」という街頭アンケートをとったら、俺が圧倒的多数で勝利を収める自信だってある。

 だが、夏目が選んだのは、鈴木だった。もしかしたら、俺は選択肢の中にも入っていなかったのかもしれない。

 あれから既に半年以上経って、夏休みまであと僅か。クラスメイトの予定帳やカレンダーアプリが、予定でびっしり詰まっていく中、俺は特に仲の良い友達もできず、当然の様に彼女もできないまま、文化祭実行委員のヘルプとしての仕事に蝕まれた、残りカスのような夏休みとの正面衝突に怯えながら毎日を見送っていた。

まあ良いか。空き時間は勉強しよう。良い大学入って、今度こそ夏目を振り返らせよ。

俺は夏目を信じている。いつになるかは分からないけどいつか、「やっぱり、船越の方が良いや。ねぇ船越、うちと付き合ってくんない?」と言ってくれるって、そう信じている。

 そうして結局何も変わらぬまま、変える気も起きないまま、休み時間をトイレと勉強に費やして、今日も放課後を迎える。

「今日も仕事?」

 鈴木はいつもの勝ち組人間特有の余裕の微笑を浮かべている。何で負け組の人間って、勝ち組の人間の顔がこんなにもムカついてしまうものなのかね?

「鈴木は夏目とデート?」

 苛立ちを必死に押さえながら、俺は鈴木に適当な話を流した。

「ああ。駅前の服屋に、今週末のデート用の服を二人で買いに行くんだ」

「それ、デートの為のデートじゃねぇかよ」

「良いじゃん、楽しいんだから」

 思いっきり叩きつけたスーパーボールのように弾んだ声が、また一つ、俺の柔らかい部分に傷を付けた。そう、いつだってこいつらリア充の青春はバラ色だ。

「ま、船越も生徒会の仕事頑張れよ葵ちゃんと仲良くな」

「仲良くできたらな。まぁ、無理だけど」

 鈴木は俺と紫藤に何かあると思ってるんだろうが、あの紫藤と俺がそんな距離になるわけが無い。ドライアイスと恋愛なんてできるか。

「はいはい。生徒の皆様の幸福の為に、今日も一肌脱ぎますよ」

 軽く手を振って教室から出ると、ドアのガラス越しに、早速仲良く話している夏目と鈴木が見えて、また自分のどこかが傷付いたように感じた。

 教室にいると、無数の言葉の断片が鑢のように俺を削っていく。それから逃れるように、俺は三階の階段下倉庫に急いだ。

 多分、俺は羨ましいんだ。二色刷の単語帳を眺める俺は、色取り取りの服に身を包むリア充達の事が。だって、俺等はもう知っている。どんなに良い大学に行ったところで、輝く太陽の下では、いつだって俺達は影の中に縛られてしまうんだってことを。

 うちの学校の生徒会室は三階の中央階段上がってすぐの所にある。だが、俺と紫藤が仕事をするのは、何故か三階と四階を結ぶ東階段の階段下倉庫、生徒会倉庫である。

 生徒会室では、生徒会長とその他役員が仕事をしていて、紫藤と俺だけがこっちに隔離されている。生徒会室が手狭で、何カ所かにばらけさせたいのは分かるけど、明らかに比率が奇怪しい。

 階段下倉庫の厚い鉄の扉を開けると、もう蝉が鳴いているというのに、ひんやりとした冷気に包まれた。気温が低いわけではない。中庭に向かって開かれた窓からの風が無いと死んでしまうような気温である。ただ、体感温度が氷は作れそうな位ってだけ。

「うっす」

「遅い。あんた、時間通りに来ることすらできないの?」

 いつも通り、紫藤葵さんが倉庫中央に置かれた六人掛けのテーブルで、何かの紙束を読んでいた。この人の周りじゃ、怖くて分子の動きも止まってしまうんじゃ無いかって程に、彼女の周りは静かで、冷たい。

 そんな、デフォルトでキレているこの部屋の主様の前に、不屈の従者たる俺は座る。

「すみませんでした。で、今日は何をすれば宜しいのでしょうか?」

「自分で考えろよ」

「情報がゼロじゃ、自分で考えるって言わない。そういうのは、直感って呼ぶんだ」

「誰が口を動かせって言った?」

「自由なコミュニケーションは、円滑な仕事を促すらしいよ。もっとフランクに行こ」

「下らない事言ってないで、ホームページの更新して貰える?」

「俺は助っ人の筈なのに、なんでこんな扱いを受けてるんだよ」

 俺の提案を、下らない事、と斬り捨てた紫藤の台詞に若干の憤りを覚えつつ、俺が怒ったところで紫藤がキレたら一瞬で殺されてしまいそうなので、文句を言うに止める。

「追加して欲しい内容は、これ」

 俺の抵抗を無視して、紫藤はテーブルに紙束を乗せた。その厚さ、世界史の教科書ほど。

「俺の話を聞け! それに、この量は奇怪しいだろ! 昨日一日で何があったってんだよ」

「文化祭に出店する団体の説明文よ。団体が出揃ったから、広告を載せて欲しいんだって。いつものアドレス宛にデータは送って貰ってるから、後はその紙に書いてある構成に従ってホームページ化するだけ」

「そんなの、各団体にやらせろよ」

「出来ない人もいるんだ。可哀想じゃん」

「じゃあ、そいつらの分なんて載せるなよ」

「あんたならできるでしょ? その唯一残された存在意義を使わないでどうするの? 本当のゴミに成り下がりたいの?」

「俺に可哀想って気持ちは湧いたりしないの?」

「全くしない」

「せめて、手伝おうかな、なんて気持ちは湧いたりしないの?」

「仕事を割り振るのが、私の仕事。それを実行するのが、あんたの仕事」

「あぁ~! 電気貰うよ」

 クソムカつく。でも、無駄な抵抗は止めましょうか。エネルギーは友好利用しなきゃいけませんし。

「学校のコンセント、勝手に使うな」

「学校の業務に必要なんだから良いだろ」

 タブレットを弄ることに集中して必死に深呼吸を繰り返しながら、頭がズキズキするような怒りを抑えようとしていると、ポンと小さなビニール袋が机の上に置かれた。

「この前言ってたマンガ」

「あぁ、最新刊出たってやつ? ありがとう!」

 遠慮無く袋へと伸ばした手を紫藤が掴む。顔を紫藤へと上げると、冷たい視線で射貫かれた。

「この前貸したやつ、角がちょっと折れてた」

「ごめんなさい」

 いつもさばさばしているけど、こういう所は女の子らしいと思う。そう思えるから、俺にはこういう紫藤はかえって好印象である。

「今度は気を付けろよ」

「気を付けます」

 今度こそマンガを借り受けた俺は、マンガ用のプラスチックケースを取り出して、紫藤の前で丁寧に閉まった。気を付けてますよ、アピールがこういう時は一番効果的。

そうして今日も元気に処世術に勤しんでいると、バァン! と勢いよくドアが開いた。

「お疲れぇ~! 仕事進んでるぅ?」

 俺に一方的に仕事を押しつけた諸悪の根源、生徒会長の登場だった。

「はい、なんとか」

 紫藤は『良い後輩』感を撒き散らしながら、明るく元気よく答えた。明らかに俺と扱いが違う。目上の人に媚びるこの性格、きっと将来出世するよ。

海渡(かいと)君はぁ?」

「めっちゃ大変ですよ。死にたくなります。だから、仕事減らして下さい」

「ごめんねぇ。仕事たくさん押しつけちゃってぇ」

「良いんですよ、初華(ういか)先輩。こいつ、こういうの大好きですから」

「好きじゃねぇよ。どこの世界に、金にならない仕事押しつけられて喜ぶ人間がいるんだよ」

「でも、本当に助かってるよ。やっぱり、パソコン部からも引き抜いて良かったぁ」

「引き抜いたんじゃなくて、奪い取ったんでしょう? 来年度の部活の予算をちらつかせて」

 何より最低なのは、うちの部長だ。予算に目が眩んだからって、じゃんけんに負けた後輩を生徒会なんかに売り払いやがって。

「でもぉ、海渡君だけだよぉ、文句言うのは。文芸部の子も、美術部の子も、軽音学部の子も、他の部活の子達も、楽しそうにやってくれてるもん」

「俺が楽しくやるためには、労働環境を大幅に変えて貰う必要がありますよ」

「そぉかなぁ~?」

「パンフレットの校正、ホームページの作成、広報用Facebookの更新、協賛団体の広告の作成、ポスター印刷、各種文書作成、職員会議用パワーポイントの作成、その他パソコン関連の雑務全般。これって明らかに俺の仕事多くないですか?」

「そぉ~かも~」

「そぉ~かも~、じゃないでしょ! 最初、ホームページ作ってくれれば良いよぉ~、とか言ってませんでした?」

「だってぇ、パンフレットは同人誌用の製本会社の方が安いとか、Facebookで広報した方が客が集まるとか、協賛団体の広告はもっと本気で作らないと失礼だとか言って、全部自分で始めたんじゃない」

「助言しただけのつもりだったんです。それなのに、言い出しっぺがやれ、みたいな空気になって・・・・・・。その仕事を振り分けるのだって、会長の仕事でしょう?」

「でもぉ、海渡君なら全部任せられるって葵ちゃんが言ったからさぁ」

 お前のせいかぁ! と威勢良く紫藤の方を向いたが、紫藤に睨み返され、俺の心中の小さな勇者は敢えなく撃退された。

「で、いつになったら解放してくれるんですか?」

「うーん。海渡君は仕事ができるから手放したくないなぁ。ねぇ、やっぱり、次の生徒会長になってくれない?」

「何度言われても同じです。嫌です。それに、次の会長なら、紫藤の方がよっぽど適任だと思いますよ」

 そう言うと、紫藤がぴくっと震えたのが分かった。

「えぇ~、なんでそう思うのぉ?」

 声はおちゃらけているが、目付きは飢えた鷹のように獰猛だ。こんな風に、たまに会長は俺を獲物の様に見ることがある。だから、物腰は柔らかくても、俺はこの先輩が怖い。

「真面目ですし、仕事できますし、少々キツい性格も、他人を統率する上ではプラスに働くと思います」

 適当に思ったことを口にして誤魔化すことにした。結局、俺も自分に仕事が押しつけられなければ良いのである。自分自信というのは、眼に入れても痛くないほど可愛い。

「ふーん」

 会長は、罠にかかったネズミを見る猫のような嗜虐的な表情で、俺の顔を覗き込む。

「でもさぁ、組織のトップって、やっぱり容姿も良くないといけないんだよぉ」

「関係なくないですか? それに、それって自分の見てくれが良いって自分で言ってるようなものですよ?」

 なんでイギリスの首相と同じようなセレクションを、生徒会長ごときが受けなきゃいけないんだよ。

「えぇ~、良いでしょ?」

「良いですけど・・・・・・」

 綺麗な二重まぶたに装飾された瞳を、おっとりと細めて会長は微笑んでみせる。その、男子がどうすれば胸をときめかせるかを知り尽くしたような表情に、不甲斐なくもドキリとしてしまった。

「それでぇ、海渡君的にはどうなの? 葵ちゃんは?」

 残念なことに俺は、二人っきりで階段下倉庫に押し込まれて、事ある毎に紫藤を推してくる会長の意図が分からない程には鈍感でも、馬鹿でもない。

 ここで理由もなく紫藤を傷付ける必要はない。それに友好感を上げておくチャンスでもあると判断した俺は、ありったけの美辞麗句を込めて言う。

「会長の目は腐ってるんですか? 紫藤の容姿の何処に減点要素があるんです?」

「ははは! ベタ褒めだねぇ~」

「事実を言ったまでです」

「そうだよねぇ、だって、葵ちゃんは恋愛係数一〇〇だもんねぇ。海渡君が夢中になっても仕方ないってもんだよ」

「一〇〇? 嘘でしょ?」

「嘘吐くわけないじゃぁん。ほら葵ちゃん、見せてあげて」

露骨に不愉快そうな顔で紫藤が突き付けてきた4.6インチのディスプレイには、本当に一〇〇と表示されていた。

「マジかよ・・・・・・」

俺は紫藤の顔をじっと見詰めてしまった。うん、見てくれが良いのは認めてやる。だが、問題は性格だ。この得点を付けた奴等は、こいつの中身を知ってるのか? この得点を付けた奴等みたいな人間が、キャッチセールスとか結婚詐欺とかの餌食になるんだろうよ。

「あぁ! 信じて無いない顔してるぅ」

「信じられないんですよ」

「まあ、良いけどさ」

 そう言えば、俺はまだ紫藤の評価をしてないことに気付いた。余りに近すぎて、紫藤に評価を付けるのは俺達の人間関係に点数を点けるみたいで嫌だったんだ。

 じゃあ、一〇〇というのも一人だけが勝手に最高点を点けて、他の人達が評価をしてないからかもしれない。それはそれで寂しい気がしたが、今更俺が点数を付けて評価を下げるのも躊躇われた。

 いつか誰かが紫藤の点数を点けてくれる事を祈るばかりである。

「でもぉ、私は海渡君に生徒会長になって貰いたいなぁ」

 生徒会と全く関係ない事を考えていた俺の視界を、会長のどアップが大きく占領した。その迫力に一歩引きながら、鬼に豆をぶつけるように、山姥にお札を投げ付けるように、必死に言葉を叩きつける。

「俺が生徒会長ですか? 有り得ませんよ。俺は一時的な助っ人なんです。俺が協力している間に先輩方にはやり方を全部覚えて貰って、もうパソコン部に雑用を押しつけないようになって欲しいものですよ」

「えぇ~、なにその言い方ぁ。生徒会の仕事がつまらないみたいじゃなぁい」

「つまらないですよ。なんで俺が、こんな雑用ばっかり」

「じゃあ、今すぐにでも止めたいってこと?」

「ええ。止めたいですね。今すぐにでも止めたいです」

「へぇ、そんなこと言うんだぁ。そっか、じゃあ仕方ないね」

 お、これは自由にして貰える奴か? 明日から、半帰宅部に戻れる奴か? そんな俺の眼前に開けた自由への期待は、一瞬で破壊されてしまう。

「じゃあ、これのブックマークをバラすしかないね」

 会長がそう言ってコツコツ叩いているのは、俺のタブレットだ。

「えい」

 会長のネイルに彩られた白い人差し指が、俺のタブレットの本来触られてはいけないデリケートな部分をタップする。

「止めて下さい!」

 桃色の画像が表示された瞬間、俺は自分の身体でタブレットの画面を覆い隠した。

「言い訳は聞かないよぉ、青少年君。ブックマークに入ってる時点で、うっかり見ちゃったって状態じゃ無いのは分かるから」

 見上げると、会長の顔が人間を地獄に突き落とすのを愉しむ閻魔様のような、人をゴミとしてしか見ていない猟奇的な何かで歪んでいた。

「・・・・・・ました」

「えぇー? なに? 聞こえないんだけどぉ~」

「分かりました。仕事します。いえ、仕事させて下さい」

「そっかぁ、海渡君もぉ、生徒会の仕事の面白さに気付いてくれたかぁ」

「はい、面白いですねぇ・・・・・・」

 唸りを上げる涙腺を必死に縛り上げながら、俺はタブレットの画面をホームページ作成画面に切り替えた。

「まったく、そんなに女の子のスカートの中が見たいなら、葵ちゃんに見せて貰えば良いのに」

 紫藤がプリントを捲る手が、一瞬止まったのが分かった。

「ふざけないで下さい! 本人いるんですよ!」

「わぁ~、海渡君が葵ちゃんに嫌われそうになって焦ってるぅ~」

「ち、違います。俺の人としての尊厳が損なわれそうになっていることに焦ってるんです」

 チラッと紫藤の方を覗き見ると、紫藤が透き通るような白い頬をヒクヒクと震わせてるのが分かった。これは、怒っているやつである。

「海渡君はぁ、葵ちゃんとくっついちゃえば良いと思うよ」

「だから、本人がいるんですってば。そう言う事、当事者の心情を考えずに言っちゃいけないと俺は思います」

「お姉ぇさん、もの凄く考えてるよぉ。ねぇ、葵ちゃんも良いでしょう?」

 会長が紫藤の方を向いてそう言ったが、紫藤は顔も上げずに即答する。

「嫌です」

 そんな紫藤の姿と、繊細なハートに深く棘が刺さって悶絶している俺を交互に見て、会長は大声で笑い始める。

「はっははははっ! 二人とも、素直じゃないんだから」

「かなり、素直な方だと自負してますけどね」

 俺の言葉は、火に花火をくべたような結果になって、会長は更に一発どっかんと噴き出した。

 はははははははははははははははははははは!

 何が面白いのか全く分からず、俺と紫藤が沈黙を暫く会長の爆笑が切り裂き続けた。

 はぁ、はぁ、はぁ、とやっと呼吸を落ち着かせた会長が、息も絶え絶えに口を開いた。そんなに苦しいなら、もう何も話さなくて良いのに。どうせ、ろくなこと言わないんだし。

「もうそろそろ一学期も終わりだしぃ、彼女作っても良い頃じゃ無ぁい? 候補はいるのかなぁ?」

 そう言われて、ふっと思い浮かんだのはやっぱり夏目の馬鹿みたいに明るい笑顔だった。

「俺は、大学に入ってからゆっくり恋人見つけますよ。学力と容姿に恵まれた、紫藤とは違って優しさに満ちあふれた、聖母マリア様のような人を」

「良かったね、葵ちゃん。葵ちゃんは、海渡君の好みのタイプだって」

「言ってないでしょ、そんなこと!」

「将来の事、将来の事って言うのは、余り感心しないなぁ。パンツが見たいなら、見ちゃえば良いじゃない。葵ちゃんのは、今しか見れないのよ? 数年語の幸福を掴むより、目先の快楽に溺れなくてどうするのぉ?」

 美人な先輩の痴女的発言にどう答えようかと、大して丸くもない頭をくるくる回していると、ドン! と、思わず跳び上がってしまうような破裂音が、倉庫内の空気を震わせた。

「好い加減、黙って頂けますか?」

 紫藤は小さい身体を震わせて、肩で息をしていた。荒い呼吸が、その中にくすぶる怒りの熱さを物語っている。

「うわぁ~ん。葵ちゃんが怒ったぁ~」

 とわざとらしい泣き顔を作って、会長は倉庫を出て行く、というより逃げ出した。

「海渡くぅん、後よろしくねぇ~」

 後処理まで押しつけるのかよ。ったく、なんであの人ここに来たんだよ。そう思った瞬間、またドアが開いた。一瞬前まで泣く振りをしていたと言うのに、もうケロッとしている。

「忘れてた。これもホームページに追加しておいて。じゃぁね」

 俺の手に、学校の沿革とか、理念とか、学園祭に向けての各委員の抱負だとかが書かれた紙を乗せると、また思い出したように泣く振りをしながら出て行った。

 俺が取り残された倉庫内は紫藤の発するピリピリとした空気に満たされている。会長、一体これをどうしろって言うんですか?

「サイテー」

 結局、会長が出て行った後に紫藤が発したのは、その一言だけだった。

 登校したら好きな人が他の男子といちゃついているのを見せ付けられ、休み時間は少女マンガを読み漁り、放課後は暴言を吐かれながらも健気に働く。

 まあ、こうして高校生活が終わるのも俺らしい。実に自分に合った豊かな高校生活だったと振り返ることができるだろう。

 そんな言い訳をしないとやってられないくらい、俺は疲弊していた。

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