第一章俺と夏目と片想い
第一章俺と夏目と片想い
アニメや漫画のように、俺は普通に生きてさえいれば、いつかは誰かと結婚できるって思ってた。飛び切りの美人じゃないにしても気が合う人と恋をして、いつか子供が生まれて、お嫁さんと子供達に囲まれて、裕福じゃないにしても幸福な家庭を築くんだろうな、なんて夢物語を信じていたんだ。
あんたもそう思ってるんじゃないだろうか。例えば今、好きな人がいるというのに、その人を想っている時の温かい愉悦に満足して、なんの行動も起こさない根性無しは、きっと心のどこかでそう思っているはずだ。
俺はそんなチキン野郎じゃない。天高く飛翔する俺は鷲であり、地上を闊歩する白ウサギちゃん達を狙いまくってるぜ。
そう意気がる肉食系な方々の嘲笑の的になるかもしれないが、少なくとも俺は、そんな妄想を抱えて生きていたんだ。そんな夢のように温かい気持ちを、一人の女の子に貰って。
俺と夏目は小学校の頃から一緒の学校だった。家も自転車で十分も漕げば着く位置にあって、放課後も週末も、よく一緒に遊んでいた。
夏目は、勉強も、運動も、図工も、音楽も何でもそつなくこなしていた。そのくせ、どんな人にも優しく接するという小学生とはとても思えない人格供えており、そういう奴が大抵そうであるように、クラスのリーダー格として崇められていた。
一方で、身体が小さく、インドア派だった俺は、いじめられっ子の地位に甘んじていた。
俺はいつも夏目にバレないように、土に汚れた上履きや、落書きで一杯になった教科書を隠していた。
「それ、誰にやられたの!」
ひとたび見つかると、夏目は手が付けられないくらいに怒り、泥まみれになったランドセルを抱えて、やった奴等に怒鳴り込みに行ってしまうのだった。
「うちが守ってあげるから」
そう言われる度に、俺がいたたまれなくなっていたなんて、あの時の夏目は知らなかっただろう。
『将来の夢』というありきたりの題材で書かされた作文に、夏目は『将来の夢は弁護士です。虐められてしまう人達を、私が守ってあげたいです』と書いていた。本当に良くできたお子さんだった。そして、その虐められてしまう人には、俺が入っていることを、俺も、クラスの他の奴等もなんとなく分かっていたとは思う。
対する俺の夢は、『コックさん』。恥も外聞も無く『いつも助けてくれる人にお礼がしたいから』と書いてしまったのは、もう俺の黒歴史である。自立しようなんて意識は無く、対価を払えば良いと小学生の頃から思っていたとは、親も相当困った事だろう。
ガキ大将といじめられっ子。
そんな唾棄すべき関係は中学に上がって暫くすると自然に消失した。
夏目の成長が鈍くなり、腕力ではなくその容姿や声を武器にし始めた頃、夏目はいつの間にか女の子になっていた。
そして、今までの停滞は何だったのかと言いたくなるくらいの勢いで成長を始めた俺は、気付いた頃には夏目の身長を遥かに超えて普通の男の子になり、いつの間にか虐めも無くなっていた。
今まで二人で過ごしていた放課後は、夏目はテニス部、俺はパソコン室で別々に、別々の
奴等と過ごすようになり、滅多に合わなくなってしまった。
時折夏目から来るLINEに返信して、区切りの良いところで止める。それを繰り返し、夏には花火大会に行き、冬には初詣に行ったりする位の関係になっていた。
それが変わったのが中学二年の時か。
中学二年の時、俺と夏目はまた同じクラスになった。
「おいおい、弁護士なるんだったら、もっと勉強しなきゃ駄目でしょ」
模試の成績表を見せ合ったときに、俺がそう言うとプイッとむくれ、
「ねぇねぇ、船越って今はこんなに威張ってるけど、昔はさぁ」
と夏目が俺の過去の闇をクラスメイトに暴露してしまった時、俺は恥ずかしさに悶絶するあまりに呼吸を忘れ、危うくそのまま窒息死するところだった。
そんな風に、素の自分を晒しても受け入れて貰える奴が夏目だけだったからだろう。いつかの授業中、自分が夏目の姿ばかりを見てしまっているのに気付いた。そして、夏目がそれに気付いて笑い返してくれた時、夏目の姿を追ってしまうのは、夏目が好きだからろうと言うことに、やっと気付いた。
それからの俺は大変だった。
夏目への気持ちには気付けたものの、気付いたら俺と夏目は全く釣り合わないんだ。才色兼備の美少女と、勉強くらいしか人並みにできるもののない根暗。
だから俺は死ぬ気で勉強した。
「有り得ないことを可能にするのは、有り得ないことが出来る奴であり、有り得ないことができる奴は、有り得ない努力をする奴だ」
そんな担任の先生の口癖を信じ込み、『夏目と付き合う』という有り得ないことを実現するために、有り得ないほどの勉強をすることにした。
「どうしたの船越? 最近、ガリ勉じゃん」
学校の休み時間も休み無く英単語暗記をしていた俺に、頭がおかしくなった知り合いを見るような顔で、いつか夏目が訊いてきた。
「いや、ちょっと都内の私立目指そうと思って」
俺が挙げた私立高校の名前に、夏目は眼を丸くしていた。
「あそこじゃないの? そんな遠くにわざわざ行かなくても」
あそことは、うちの中学に近い、と言うことは家からも徒歩圏内にある、一応県内で一番良いと言う事になっている高校だ。
「遠くって言っても、往復で一時間変わるか変わらないかじゃないか」
「そっか。馬鹿だね、うち。同じ高校に行けるって思ってたわ」
「馬鹿だな」
「馬鹿だね」
寂しげに、力なく笑う夏目に俺は心の中だけで宣言する。
――もし受かったら、その時はちゃんと告白する。だから待ってろよ。
夏目の後ろ姿と告白シーンを妄想する。ただそれだけを心の支えに、俺は全国順位を少しずつ、少しずつ上げていった。
模試の成績表にEという不吉な文字がドミノのように広がって、俺の計画もドミノ倒し的に総崩れかと思っていたが、最後にはA判定、B判定が踊るまでになっていた。そのことには、塾の先生さえも眼を剥いた。
ってか、お前等。生徒の力を信じて無かったのかよ・・・・・・。
いける、と思った。いくつかあるトップ校の内、どれか一つでも受かることができれば、俺は堂々と夏目に告れる。金色に光り輝く未来は、もう俺の手中にあった。
俺と夏目の間の障害は、高校が離れていること。だがそれも俺達の愛の下では微々たる問題だと、路傍を蠢く芋虫なみに俺の人生とは関係ないものだと思えた。
気分は道長、「欠けたることも なしと思へば」。俺はスターを取ったマ〇オのように光り輝いて、目の前の障害を吹き飛ばして行った。
だが、俺は落ちた。
綺麗さっぱり落ちきって、公立では良い方という程度の高校に行く羽目になった。
その公立高校は、夏目の第一志望であり、当然の様に受かった夏目とまた同じ高校に行くことになったのは、神様がまたチャンスをくれたというより、俺に手の届かない宝石を眺めさせて愉しんでいるんじゃないかって思えた。いつの時代も神は残酷である。
だが、計画は頓挫しても俺はどうしても諦められず、中学校の卒業式の前日に夏目へとこんなメールを送りつけた。
――明日、卒業式が終わったら、僕に少しだけ時間を下さい。
もちろん、直接会って告白するつもりで。
多分夏目も、なんとなく察してくれてはいたと思う。
――オッケー、分かった!
だから、メールが返信されて来たときの喜びは筆舌に尽くしがたく、綺麗さっぱり肉体を捨てて、天高く舞い上がれるような気さえした。
そんな純粋な少年の喜びを返して欲しい。非情なことに夏目は翌日、卒業式が終わると俺を待たずに帰ってしまった。まるで、俺の告白から逃げる様に。
――あ、ごめん。忘れてた(^0^;)
それが、あの卒業式の日の夕方に俺に突き付けられた夏目の答えだった。