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んん、どこだここは……。何とか小屋までたどりついたことまでは覚えている。それから気を失ったのか、僕は。
明るい日の光が差し込む。
そうだ、師匠は!
ガバっと上体を起こす。急な動きについてこられなかった体が痛みを訴える。
ベッドの上にいる。普通の3倍はあろうかという、大きなベッドだ。ふと足元をみると、師匠が顔をうずめるようにして突っ伏していた。
「師匠!」
手を伸ばす。
「オイ小僧、その女は寝てるだけだ。いずれ起きる」
寝室の先、簡素な椅子にオルグは腰かけていた。
「……説明しろ」
彼は僕の問いかけを無視する。その代わりに、ふと別のところに目線をやった。その先には、小さなベッド。その中で子供のオルグが、すやすやと眠っていた。
「こんなに安らかな寝顔を見るのは久しぶりだ………」
彼は目を伏せて言った。
きっと師匠が薬草を飲ませたんだ。
「オレは出ていく。1週間だ。1週間はココに戻らねぇ」
彼は立ち上がり、息子を抱きかかえた。
「最後に聞く。アイツらが帰らねぇんだ、何か知らねぇか」
彼は言った。アイツらとは、あの2匹のオルグのことだろう。
「……僕をひとしきり嬲った後、魔獣に喰われたよ」
彼は少しだけ立ち止まり、そうか、とだけ言うと、ガチャリと扉を開けて、外に出て行ってしまった。
静寂。体が鉛のように重い。少しだけ、ほんの少しだけ横になろう。そう思っていると、やはり睡魔には抗えず、泥のように眠った。
次に目が覚めた時には、辺りは暗闇に包まれていた。唯一、月明りだけが窓から差し込む。
ほとんど半日近く眠っていたらしい。起きるとすぐに師匠と目が合った。
目が合ったとたん、師匠は僕に抱き着いてきた。
「心配したぞ、ライリー」
「師匠こそ、心配したんですよ」
慈愛のような、暖かな抱擁だった。柔らかな時間に身を任せた後、僕は事の顛末を話した。
「そうか、辛かったな。本当に、こんなことに巻き込んですまない」
「いえ、師匠のおかげで助かりましたから。大丈夫です」
「何を言ってるんだ! 君がいなかったら私は既にオルグの腹の中だ。……謝るよりも先に言うことがあったね。……本当にありがとう、ライリー」
師匠はまっすぐに僕を見た。正面を向いてこうも直球に感謝を伝えられたのはいつぶりだろう。少し照れてしまって、目を背ける。
「彼は1週間、ここを貸してくれるんだろう? 幸いこの小屋には食料もあるみたいだし、体を休めたら君を人間界まで送り届けよう」
「そうしたとして、その後師匠はどうするんですか?」
「私は……私はまた魔界を巡るよ」
師匠は少し考えてそう言った。
「送り届けなくても大丈夫です。……また師匠についていっても、良いでしょうか」
「ライリー……?」
「本のことも気になりますけど……僕も知りたくなりました。魔族がどんなふうに生きるのかって」
自分でも意外だった。
師匠は眉を跳ね上げた後、にっこりと笑った。
僕が体を休めている間、師匠はしきりに街へ出て、やれあの商品が欲しいだの、やれ殴り合いを見ただのを、ベッドで寝ている僕に力説した。
そして1週間後の早朝、山小屋を後にした。まだ体に痛みは残るが、歩けないというほどではない。
「それでな、毎日あの工房まで行ってみたんだけど、クラッジィには会えなかったよ」
師匠は少し悲しそうに言った。
むしろその方が助かる。もし会っていたら、なん声を掛ければいいか。
「そういえばあの日、何をしようとしてたんですか?」
クラッジィが情報を漏らさなければ、あのオルグたちに絡まれることも無かったはずだ。
「あの日、彼に本のことで何か知らないか聞いてみたんだ。すると幸いなことに、彼はかつて本を収集してたと言った。この集落では紙媒体の記録書は珍しいから、見つけ次第確保してたんだって。それを見せてくれと頼んだら、もういらないから石箱に詰めて空き地に埋めたんだとさ」
「それを掘り出しに行く途中だったんですね。それで、何か手掛かりはありました?」
師匠は後日、改めて空き地に行っていた。
「10冊ほどしかなかったから、一通り目を通してみたけど、どれも民謡とか論述だったりで、目当ての物はなかったよ。ただ、1つよく分からないものを見つけてね」
師匠はそう言うと一冊の本を取り出した。装丁はされておらず、なんならタイトルすらも書かれていない質素な本だ。
「これ、全くの白紙なんだ」
師匠はパラパラとページをめくって見せた。確かに何も書かれていない。真っ白なページだけが続いていく
突然、ペンダントが輝き始める。明らかにこの本に反応しているようだ。
まさか、これが目当ての物なのか……!?
そう思ったのも束の間、ペンダントはすぐに輝きを失ってしまった。もう集落に入った時の熱すら持っていない。だが完全に冷め切ってはいない。代わりに、今度はまた別の遠くの場所を示しているようだった
「……あっはっはっは!もしやと思ったが、そう簡単にいかないな」
「とんでもない欠陥品じゃないですか、このペンダント。全くあてにならない!」
「いいじゃないか、アテにならない方が! 実はこの集落で旅が終わっていたら、全然物足りないと思っていたんだ。また次の街に行こうじゃないか!」
師匠は腰に手を当てて、ペンダントの示す方向を指差した。……ここが魔界でなかったら、僕も際限なく胸を高鳴らせることができたのに。
「そうだ。この白紙の本なんだが、折角だから執筆をしてみないか、ライリー。魔界で体験したことを書いていくのさ」
「旅の記録、ですか……?」
「ふふ。これからの旅路をこの本に記すんだ。そして人間界に持ち帰って、出版でもして大勢にこの体験を共有してもらう。これこそが、人類と魔族が分かり合える、第一歩になるんだ」
良い目標だろ?と師匠は屈託なく笑う。
素直に、面白そうだと思った。
「もし出版するとなると……タイトルは何がいいと思う、ライリー?」
「無難にいくなら、そうですね………」
───魔界旅行記。
「わはは、実にひねりの無い名前だ!」
「なら自分で考えてくださいよ……」
◇◇◇
森の中には大きな血の跡が2つ、まだくっきりと残っていた。そしてそれを隠すように毒草が茂り、揺れる。まるで、喜びのダンスを踊っているようだった。
なぜなら生存競争において宿敵の、姿かたちのよく似た薬草をあらかた誰かが持って行ってくれたからだ。
その誰かは、毒草だけを綺麗に避けて、摘んでいってくれたのだった。




