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あの山小屋から離れるにつれ、恐怖よりも、憎悪の感情が強まるのを感じた。なんて横暴な奴らだ。助けを乞うのに、なぜ脅しが必要なのか。
考えても仕方ない。結局どうあれ、人間と魔族が相容れぬ存在であることに変わりはない。
だって──。
脳裏によぎるのは、ごうごうとした火炎。その火の熱さも、子供の悲鳴も、藁の屋根が焼ける匂いも全てがこびりついて、離れない。
戦争下で、僕の村を焼き尽くしたのは、オルグの軍隊だった。女も男も、親も子も、大勢が殺された。
──そんなこと、今思い出している場合ではない。自分に言い聞かせる。
あの特徴的な症状は、どこの村でも治療法を知っているくらい有名な病だ。人間界で流行った際、一時は猛威を振るったといえ、治療法が確立されてからは、ほとんどが根絶されている。
その治療法も実に簡単だ。どこにでも自生している3つの薬草を混ぜ合わせて飲ませるだけでいい。
幸い、探し始めてすぐ最初の1つが見つかった。これが一番見つけるのに苦労すると思っていた。なぜならこの薬草は動物のフンの近くに生えるからだ。通常なら、まず獣の通り道とそのフンを探すところから始めなければならないが、この辺りにはフンらしき黒い塊と、そばで生い茂る薬草が山のようにあった。
若芽から根っこごと引き抜き、バッグに突っ込む。
あらかた採り終わると、浅いくぼみが目についた。薬草のせいで隠れていたのだろう、確かに魔獣の足跡だ。狼のような、3本の大きな爪跡もくっきりと残っている。
周囲一帯にそのくぼみがあり、どれもが同じ方向に続いているようだった。
おそらくこのフンの主だろうが、こんなところで獣に絡まれたらたまったものではない。バッグを肩にかけなおすと、その足跡とは逆の方へと向かった。
2つ目は、鋭い斜面の中腹あたりに生えていた。バッグを漁り、1本の太いロープを取り出す。今朝の買い物がもう役立った。
近くの一番頑丈そうな木に硬く結びつけ、それを命綱替わりに斜面へ垂らす。ぐっと引っ張ると、体重を任せられそうなほどには安定していた。
ロープを伝って、ゆっくりと斜面を降りていく。
そして目当ての薬草にまで接近すると、思い切り右手を伸ばす。ぎりぎり届くかどうかの距離だ。
指の先までピンと張って、なんとか掴みこむ。
その瞬間、ずるり、と嫌な感覚が足裏に伝わった。湿気でぬかるんだ土で、踏ん張りが効かない。
支えを失った体はあっという間に倒れ、ごろごろと転がり落ちる。天地が目まぐるしく回る。鈍い音と衝撃が背中に伝わって、ようやく停止したようだった。
右手に目を落とすと、そこにはしっかりと薬草が握られていた。我ながら、良い根性している。
眼前には急斜面。転がってきた跡が一直線に残っている。ここを上るのは難しそうだ。迂回するしかないだろう
痛みを訴える体を気にも留めず、歩みを進める。
難関は3つ目の薬草であった。探せど探せど、痕跡すらもさっぱり見つからないのである。人間界では年中どこにでもあるような、珍しいモノではない。やはりこの森には自生していないのか……?
嫌な予感が頭をよぎる。
辺りが一層暗くなる。曇り空で太陽は良く見えないが、日没までは体感であと1時間ほどだろう。
冷たい汗が脇を流れる。焦るな、焦るな。まだ探せばきっと見つかるはず。
一度大きく場所を変えてみるか、そんな風に考えていると、
──ザッザッザッ。
聞き覚えのある足音が聞こえた。
「お、オイオイオイ」
「ヒューーッ、今日はなんて幸運な日だ!」
遠くから迫ってくるのは、あの2匹のオルグ。手に持ったナイフをくるくると回している。小屋に入る前、外に追い出された奴らだ。
「ニンゲン1匹森に放って狩りごっこかぁ? いい趣味してるぜアイツも」
「じゃあ、俺らが先に殺っちまってもいいってことだよなぁ! 自然界は早い者勝ちだろぉ」
大股で踏み込みながら、ずんずんと近づいてくる。
「違う! 僕はヤツに薬草を取ってくるよう頼まれた。僕を殺すと、ヤツの子供は助からないぞ」
精一杯、強気な声を出す。
「コドモ……? ああ、あのガキか! ちょうど病気で寝込んでるっつー」
「まだ生きてんのか? 早いとこ家畜に食わせたのかと思ってたぜ」
ギャハハハ!!
2匹は大きく口を開けて笑った。
「アイツもよぉ、堅っ苦しくて昔から気に入らなかったんだ。だからアイツのガキが死のうがどうでもいいってことだ!」
彼らは堰を切ったかのように走り出してくる。話し合いなんてできるわけないと思ってたけど、まさかここまでとは。
いなして逃げ切るしかない。即座に頭を戦闘モードに切り替える。警戒するべきは右手に持ったナイフ。はたき落として足を払う。
彼らは想像以上に足が速く、一瞬のうちに間合いに入る。先に迫った1匹が大きくナイフを振りかぶる。
まずは1匹!
まっすぐ振り下ろされた右手のナイフに意識を集中させる。
切っ先をギリギリで避け、手の甲に思い切り掌打を打ち付ける。予想外の反撃にオルグは思わずのけ反ってナイフを手放す。
すかさず足払い──。身をかがめようとした瞬間だった。
みぞおちに大きな衝撃。踏ん張っていた足がいとも簡単に外れ、体が宙に舞う。
死角から……!ボディーブロー……。
それが理解できた時には、さっきまで立っていた場所からすでに数メートルは吹っ飛ばされていた。
内臓が逆転する。胃液がこみ上げ、乾いた土にぶちまける。
「ンンー? ニンゲンってこんなに脆かったか?」
「そりゃ軍隊と一緒にしちゃぁダメだろ」
軍隊……。こいつら、明らかに戦い慣れしてる。
「オイオイつまんねぇだろっ! もっと惨めに逃げ惑えっ!」
再度開いた距離を、3歩で詰めてくる。横たわっている僕を、今度はサッカーボールでも蹴るみたいに、大きく蹴飛ばした。
呼吸ができない。血と胃の内容物が混ざった塊を無様に吐き出して、ようやく空気を取り込む。
勝てない。殺される。その言葉が脳裏によぎる。
足……足を動かせ……。何とか逃げ切れ……。
思考がぐるぐると回る。
「イイなぁ、そのプルプルした足どり! 狩りはこうでなくちゃ!」
何度もよろけ、倒れ、蹴飛ばされながら。それでも足を動かし続ける。もう一体何のために逃げているのか分からなくなってきた頃に、ついに力尽きてしまった。その場にどさっと崩れ落ちる。土がひんやりと冷たい。
もはや立ち上がろうとする意志さえも、残されていなかった。それでも最後の力を振り絞って、重たい瞼をこじ開けると、そこには綺麗な1輪の花があった。
これは……。
地面にはいつくばって、ようやく見つけた。探していた最後の薬草が目と鼻の先にそっとたたずんでいた。




