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「……イリー!……ライリー!」
目を覚ます。そこにはいつもの師匠の顔があった。心配そうに僕を見つめている
「大丈夫か!急に倒れたりなんかして……」
頭がズキズキと痛む。一度にいろんな情報が入ってきたせいだ。
「……幻覚で本の在処を見ました」
師匠の過去も、とは言い出せなかった。師匠が今まで黙ってたということは、隠したかったのか、言うタイミングを計ってたからなのだろう。ならば、あえて今尋ねたりしない。
「この噴水でそんなことが?」
エルヴィアは不思議そうに噴水を見つめた。ちゃぷちゃぷと触ってみても、彼女には何も起こらない。
「おそらく、目的の本はあのコアに関係があります。それにこんなやり取りが……」
僕は幻覚で見たことを事細かに師匠たちへ伝えた。師匠はそれについて思い当たることは無いと言った。
もっと情報を、ともう一度噴水に触れてみたが、もう何も起こることは無かった。となると、次にするべきはコアについての情報収集だ。話し合いの末、とりあえず近くまで行ってみようという結論になった。
再び大通りに出て、コアを目指して進む。日が昇りきっても、街は静かなままだった。通りがかるマギアンもだいたいがポケットに手を入れて、うつむいている。
師匠はこういう街での食事とか体験を楽しみにしてる節があるから、少しつまらなそうにしていた。だからといって黒人形に興味を示すのだけはやめてくれよ。
コア方面へは緩い上り坂が続いている。その坂を登っていくと、中腹あたりで高い石壁にぶち当たった。大きく四角い石がいくつも組み合わさってできた壁は、バフォルグの国の城壁を想起させる。抜け道もなさそうだったので、壁に沿って迂回すると1つの門があった。
門には両開きの鉄の扉がはめ込まれていて、立派なロングコートの軍服を着た衛兵が手を背に組んでそれを守っている。そしてそれを囲うように人だかりができている。
「俺らは今日の晩飯を確保するのにも必死なんだよ!」
「こっちに降りてくる食料はいくら何でも少なすぎる!」
「アンタらのお偉いさんはずいぶん溜め込んでるって噂じゃねぇか」
怒声が飛び交う。この街の無機質さにある種の不気味さを感じていた僕は、住民らが感情を表に出しているのを見て少し安心してしまう。口にしてる内容は活気というには程遠いが。
「事実無根だ。お引き取り願おう」
衛兵は眉1つ動かさずに言った。だがそれも住民たちの罵声にすぐかき消されてしまう。
「状況から察するに、この壁より先は身分の高い人たちの居住区かな」
人混みを遠巻きに眺めながら師匠は言う。
「軍のお偉いさんの方々でしょう。そしてその人たちが食料を独占してると。この国の食糧難は気候のせいだけじゃないみたいですね」
「やっぱり、どこの国もある程度大きくなってくると身分の差がハッキリしてくるのね……」
何を言われても同じ言葉しか繰り返さない衛兵に対し、住民の怒りはさらに加熱していく。そしてついには誰かが門に向かって蹴りを入れた。鉄扉が揺れ、低い音が響く。
すると、その騒ぎを聞きつけたのか、4,5体の黒い風船人形がどこからともなく表れた。黒人形は集団に突っ込み、住民の1人が人形に抱きかかえられる。
羽交い絞めのような体勢で持ち上げられた男は、自分の身体が浮き上がったことに驚いて足をジタバタさせた。だが彼は次の瞬間、2mほどある風船の胴体に、ぐにゅり、と沈み込んだ。
それを見た集団は悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らすように散らばる。逃げ遅れた何人かは、同じように風船人形の胴体に飲み込まれていった。
「ひっ……!」
エルヴィアは短い悲鳴を漏らした。
「騒ぎがあるとすぐに実力行使か……。恐ろしいな」
「コアはあの壁の先ですが、当然、入れてくれないでしょうね……」
下手すると、僕たちもあの人形に捕まってしまうかもしれない。もう捕まるのは勘弁願いたい。
「私ならネズミか何かに変身して向こう側に行けると思うけど……」
「それは最終手段にしておこう。壁の向こうに何があるか分からないし」
その後も壁の外周を回ってみたり、壁の中を一望できる場所が無いか探したが、どれも徒労に終わった。
それから数日間、ラディウスの家を拠点にしながら情報を集めた。思い切って住民への聞き込みも行ったが、基本彼らは不愛想で──それゆえに人間だと怪しまれることは無かったが──立ち話にも応じてくれなさそうであった。
他に起こった出来事といえば、大通りの中で開店していたのはだいたい洋服の専門店で、ウキウキで入った師匠が帽子とコートを脱がされそうになって慌てていたくらいか。
「……すまない。今日の夕食も多少我慢してもらうことになる」
ラディウスは帰宅する僕らを見るや否や、開口一番にそう言った。僕たちが外で獲ってきた食料を使い切った後、新たな食料の確保に苦しんでいた。彼が普段利用している市場も、数時間歩いた先の市場も、食料品はわずかであった。そしてこの状況は、この国の住人の大半に当てはまるようだった。
窓に雪が打ち付ける。日を増すごとに気温も低下していて、夜は眠れないほどに冷たくなる。薪が底をついてしまい、暖炉が使えないからだ。どうしても寒い時やわずかな料理を作る時には、古い机や、時には部屋の床材を剥がして燃やした。
夕食の支度はエルヴィアと師匠が担当してくれた。少ない食料で腹が膨れる様にと、色々な工夫を凝らしてくれた。僕は最近、もっぱら食べてばかりで申し訳ない。
「こんな状況になってまで、私たちを家においてくれて、ありがとう」
「そんなことでいちいち恩を感じることはない。君たちがいなければ私はもうこの世にはいなかったんだぞ」
ラディウスは、ほとんど塩味だけの透明なスープを飲みながら言った。彼はとても親切で、義理堅かった。
「そう! おねえちゃんたち、もっといてほしい!」
セラは以前エルヴィアと作ったあの人形を掲げた。彼女は食事の時も人形を肌身離さず持っていて、いつも明るく笑っていた。どうしても暗くなりがちな貧相な食卓を明るく保てているのは彼女のおかげもある。
「ライリーおにいちゃんも、もっとお話しきかせてほしい!」
セラには毎晩、寝る前に旅の話を聞かせていた。旅の記録を本にメモしているのがこんな所で役に立った。僕のつたない話を、セラはいつも興味津々で聞いてくれた。
「ありがとう、セラちゃん。お兄ちゃんたち、もう少しお世話になるよ」
セラの頭をポンと撫でると、彼女は恥ずかしそうに目を細めて笑った。




