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一晩ほど洞窟で休んだだけで、ラディウスの体調はみるみる回復していった。暖かい食事に加え、国に帰れるという希望が彼に力をみなぎらせていた。
ちょうど次の日の早朝、吹雪が止んでいた。その一瞬の隙間を縫って、歩みを進める。
目的の国には、思ったよりも早く着いた。胸から下げたペンダントが強く光る。間違いない。僕たちが目指していたのもこの国だ。
魔界の国には珍しく、国境に柵や仕切りなどは設けられていなかった。それゆえに、門というものも存在しない。いつも僕たちを苦しめてきた入国審査なるものを、今回ばかりは味わう必要はないらしい。
国の外周には背の高い針葉樹が多く生えていた。それがいつしかまばらになって、雪の地面は徐々に石畳の地面へと変貌していく。ラディウスは喜びをかみしめながら、その石畳を踏みしめた。
街の中央に向かって緩やかな坂が続き、それに沿って灰色の石レンガで作られた四角い住居が並んでいる。オルグやトリトニアンの集落と比べるとかなり人類の街寄りだ。
「あれはなに……?」
師匠は街の中央、少し上空あたりを指差した。そこには、煌々と輝く太陽があった。いつも僕たちが空高くに見上げている太陽ではない。巨大な火球が、街の上空で赤々と燃えている。
「あれは……端的に言えば加熱器だ。魔力を熱に変えて、この国を守ってる。あれがなきゃ、今頃この国はカチコチに凍っている」
ラディウスの言う通り、この国に近づくにつれて厳しい寒さが薄れるのを感じていた。街にそこまで雪が積もっていないのは、外周の木々が雪と風を遮断しているからと思ったが、どうやらあの太陽が原因らしい。
「自宅に向かおう。良かったら君たちも来てくれ。早朝だから今は誰もいないけど、その恰好じゃ少し目立ちすぎる」
僕らはラディウスの好意に甘えることにした。
この辺りの住居はもぬけの殻のようで、魔族の気配すら感じなかった。綺麗に整っているように見えた道も、その実は入り組んでいて、高低差も激しかった。細い裏道を抜け、階段を何度も上り下りした後に、彼の自宅についたようだった。
寂れた細い通りで、人通りはない。彼の家の他には、いくつか住居らしき建物があったが、ここもとても中に誰かいるとは感じさせないほど静まり返っていた。
彼はサビた鉄鍵を使って錠を開け、古びた木製の扉を開けた。
「セラ! 帰ったぞ……!」
「おとうさん……?」
中には、幼い少女がいた。ラディウスと違って角がとても短く、丸みを帯びている。かすかに縮れた金色の毛髪は、彼とそっくりだ。彼女はラディウスを見ると頬を高揚させて彼に飛びついた。
彼女はひとしきり父の抱擁を堪能していたが、背後の僕たちに気が付くと、そそくさとラディウスの陰に隠れた。
「紹介しよう。私の一人娘セラだ。今年で5歳になる」
ラディウスはセラの小さな手をそっと握って、前に出るよう促した。
「僕はライリー。こっちが師匠のカサンドラで、こっちがエルヴィア」
僕はかがんで、彼女の目線に立った。だが彼女にとってその行為は警戒を打ち破るには至らず、またすぐにラディウスの背後へと隠れてしまった。
「許してくれ、人見知りなんだ。さあ、君たちも中に入って」
僕たちはラディウスに促されるまま、部屋へと入った。
部屋の中も人類のとあまり変わらないようだ。オルグやエントのほど原始的ではないし、バフォルグのほど発展してもいない。彼は荷物を降ろして分厚いコートを脱ぐと、僕たちにもそうするよう促した。
「助けてくれたお礼にはならないが、この家なら自由に使ってくれて構わない。私はこれから相方の家族に会ってくる。彼の死を伝えなければ」
「まだ無理しない方が……」
「体調なら問題ない。また帰ってきてから休むことにするよ」
ラディウスはさっき来ていたものよりも薄手のコートを羽織った。彼はセラに、もう少しだけ大人しくしてるんだぞ、と言って頭をポンと叩くと外へ出た。
風が窓をガタガタと揺らす。薄暗い部屋には小さな油灯だけが灯っている。燃料が切れかけているのか、灯は最小限に抑えられていた。
セラは窓の傍で小さく縮こまっていた。猟師である父ラディウスは、数日間にわたって家を空けることはよくあるのだろう。彼女の小さく丸まった姿は、父がいないときにいつもそうして暇をつぶしているのだろうと感じさせた。
「セラちゃん? 良かったら、お姉ちゃんたちと遊ばない……?」
そんなセラに声をかけたのはエルヴィアであった。セラは無言でエルヴィアの方を向く。
「ほら、私、手袋を作った時に余った毛皮と布がいっぱいあるの。これでお人形でも作ってみない?」
エルヴィアは白色に茶色の混じった毛皮をバックから取り出した。
「お人形……」
セラはそう呟きながら、てくてくとエルヴィアの元へ歩いてきた。彼女は毛皮に触れると、きもちいい、と声を漏らした。
人形が完成に近づくにつれ、セラは次第にエルヴィアに心を開いていった。エルヴィアは器用なもので、彼女の作った人形は限られた資材でかなりのクオリティを保っていた。
「完成よ! セラちゃんのお人形!」
人型、もっと言えばマギアン型の小さな人形が完成した。角までしっかりと再現されている。右腕と右足はセラが担当したらしく、その部分だけ大きさがちぐはぐになっていた。セラは人形を受け取って、目を輝かせた。初めておもちゃを買ってもらった子供みたいに、それをぎゅっと抱きしめた。
「すごい……! エルヴィアおねえちゃん……!」
その賛辞を聞いたエルヴィアはふふんと鼻を高くしてふんぞり返った。
──コン、コン、コン。
扉が鳴った。
「どうも、“助け愛の会”のものですが……」
しわがれた女性の声。セラが扉に近づくのを、師匠が手で制した。
「家主のラディウスは先ほど出かけてしまった。伝言があるなら私が聞こう」
師匠が扉の外の声に応えた。
「……じゃあコレだけ」
玄関の小さな投函口に、四つ折りのチラシがねじ込まれる。僕がそれを受け取ると、声の主は足早に去っていった。
「今の声、知ってる人?」
師匠がセラに尋ねると、彼女は首を横に振った。
チラシには手書きの温かみある文字で、『助け愛』とか『お悩み相談』といった文言が書かれている。それに子供が書いたであろう落書きのような丸顔の似顔絵が隅にくっついていた。
ほどなくして、ガチャリと鍵の開く音がしてラディウスが帰宅した。ぱあっと明るくなるセラの顔とは対照的に、彼は暗くうつむいていた。きっと遺族の悲しみを一身に受けたのだろう。
ラディウスはセラを抱きかかえ、ため息交じりに、少し休む、と言ってベッドに寝ころんだ。数分もしないうちに、2人の寝息が聞こえ始めた。
僕たちも最近寒さで満足に眠れなかったことを思い出す。寝静まった彼らの寝顔を見ていると、次第に眠気に襲われ、椅子の上や床の上、それぞれの場所で眠りに落ちた。
目を覚ますと、師匠とエルヴィアは台所にいた。セラとラディウスはまだ眠っているようだ。窓外の空は雲で覆われていたので正確な時間は分からなかったが、眠る前よりも若干明るくなっていたので、おそらく昼過ぎだろう。
師匠とエルヴィアは、僕たちが持っていた食料を使って料理を作っているらしかった。しばらくして、ほのかな暖気と香ばしい匂いで、ラディウスたちも目を覚ました。
塗装の禿げた木製の机に暖かな料理が並べられる度、ラディウスは師匠たちに手を合わせて特大の感謝を示した。
セラは自分の身長と同じくらいの椅子によじ登ると、目をキラキラさせて、器に盛られた肉から目を離さなかった。エルヴィアがどうぞ、と微笑みかけると、小さな口を精一杯に開けて肉をほおばった。
「本当にありがとう。君たちには感謝が尽きないな」
「いいんだよ、ラディウス。私たちも宿を確保できて助かってる」
「最近は吹雪のせいで交易品が届かなくて、食料と燃料がすさまじく高騰してるんだ」
「本当か。さっき火のために薪を数本使ってしまった、そうとは知らずすまない」
「いや、そういうことを言いたかったわけじゃない。セラにはいつも味気ない保存食で我慢してもらってた。それがこんな良い食事を食べさせてやれるなんて、もうなんとお礼を言ったらいいか……」
ラディウスは食べ盛りの娘を横目に涙を浮かべた。彼が悪天候の中、狩猟に出かけた理由はこれかもしれない。きっと食料を確保してセラに満足させてあげたかったのだろう。
「あんな猛吹雪は日常茶飯事なのか?」
僕はラディウスに尋ねた。
「吹雪になることはままあるが、ここまで長引くことはめったにない。幸いこの国はコアで守られているけど、それも昔に比べたらかなり小さくなってる。それと今回の猛吹雪が重なって、国の大半の農作物が枯れ、輸入も滞ってるらしい」
「コア?」
「あ、ああ。街の中心にある巨大な火球だよ。今朝説明したやつさ。前はもっと大きくて、国中に花が咲くくらいには暖かかった」
街の中央に浮いていた太陽。コアという名らしい。
「花? こんな雪国で花が咲くなんて珍しいことね」
エルヴィアは木製のスプーンを口にくわえたまま喋った。
「はは、驚くのも無理はない。今では植生もすっかり変わってしまったからね。私が子供の頃なんて、肌着で郊外の森へ虫取りに繰り出していたさ」
「なんでそのコアは小さくなってしまったの?」
「事情は色々あるが……戦争が原因の1つなのは間違いない。私もあまり詳しくないが、固定砲台みたいな、超大規模な遠距離魔法の魔力をコアから流用してたらしいね。あ、いやいや、君たちには関係ないことだよ」
ラディウスは両手を顔の前で振って、戦争の話題を出したことに悪気が無いのを強調した。でも僕は、また戦争か、とは思わずにはいられなかった。今まで通ってきた国々は全て、人類との戦争が深い因果を残している。一概に悪い影響だけとは言えないが、その戦争が終結して十数年もの月日が経っているのに、その傷跡は未だ残り続けている。
「この話は止めだ。せっかくの食事に水を差すことになってしまう。それより、君たち本を探してると言ったね。明日、街の知の泉に行くと良い。あそこなら欲しいものの知識は手に入るから、何か手掛かりが見つかるかもしれない」
ラディウスは深い器に入ったクリーム状のスープを飲みながら言った。その機転に感謝しつつ、僕もスープを飲む。
「知の泉……。そんな神秘的なものがあるのか。この国には」
「君たちの国には無いのかい? そうだ、よかったら私にもニンゲンの国の話を聞かせてくれ。国外旅行なんてしたことないんだ」
ラディウスは椅子を机にぐっと寄せる。旅行、その言葉に反応したのか、食事が落ち着いたセラも興味津々といった顔で僕たちを見つめた。




