33ページ目-5章-
ペンダントは相変わらず北の方をまっすぐと示していた。
光の示された方へと歩みを続けると、ついに雪が降ってきた。柔らかくて、触れればすぐに溶けてしまうような粉雪だった。ある朝目が覚めて、周りが一面真っ白に覆われていた時は、どこか別の場所に来てしまったのではないかと疑ったほどだ。
エルヴィアは初めて雪を見たらしく、犬のようにはしゃぎまわっていた。そこから北へ進めば進むほど、雪は重さと密度を増していった。
そしてある日、ついに吹雪へと変貌を遂げた。特に日が沈んでからは、強風にあおられた雪が視界を真っ白に覆いつくすので、ろくに歩くこともできなかった。
一晩程度であれば洞窟に避難して、夜通し焚き木を続けることで耐え抜いていたが、ここ最近は全く風が収まらない。たとえ止んだとしても、膝まで積もった雪をかき分けて進むのはかなりの体力を要した。
「しばらくはここで耐えるしかなさそうですね……」
薄暗い洞窟の中を、焚き火が照らす。火を絶やせばここは完全な闇に包まれてしまうだろう。
「今日も大荒れだ。季節が原因なのか、年中こうなのかで今後の方針が変わるな」
師匠は小さな岩の隙間から、外を覗き込んだ。激しい風音と共に、雪が吹き荒れている。幸いこの洞窟は、入口は狭いが内部は広く、風が多少入り込むぐらいで野営には最適だ。
「さ、できたわよ!食べて体をあっためましょ!」
焚き火の上で鍋を手にしたエルヴィアが言った。まだ天候が穏やかだったころ、時折、キツネのような野生動物を見かけることがあった。僕たちはそれを捕まえ、食すことで日々をまかなっていた。この気温では、食料が腐る心配をしなくていいのは助かる。
だがここ最近はもう生物すら見当たらない。残りの食料にまだ余裕はあるが、いずれ対策を講じなければならないだろう。
「ねえ、みてみて。動物たちの皮で作ってみたの」
エルヴィアはゆでた肉をほおばりながら、手袋のようなものを出した。手袋と言うより、楕円の中身をくりぬいたような見た目だが、白くフワフワとしていて、とても暖かそうだ。
「すごいな。よくできてる。エルちゃんも逞しくなったなあ」
師匠は感心した。最初は動物を締めるのも怖がっていたエルヴィアだが、慣れと言うのはすごい。もう皮の加工までやってのけるとは。
「材料も知識も乏しいから、あんまり付け心地は良くないけどね」
エルヴィアは手袋をはめて、手をぐっと握りしめた。
──ざり、ざり、ざり。
吹雪の音に、何か異質なものが混ざっているを感じ取った。もしかしたら動物かもしれない。運が良ければ食料を確保する絶好の機会だ。
僕はそっと立ち上がり、石の隙間から外を覗いた。そのほとんどは真っ白に覆われていたが、遠くの方にぼんやりと明かりが灯っているのを発見した。
その明かりはしばらく揺れ動いていたが、雪に埋まるように、ふっと消えてしまった。
「……明かりが見えました。今はもう消えてしまいましたけど」
「何……? もしかしたら、魔族じゃないか? この近くに集落があるのかも」
「少し様子を見てきます。何かあったらすぐ引き返すので、師匠とエルヴィアはここから監視しといてください」
僕は雪蓑を羽織り、吹雪が吹き荒れる外の世界へと足を踏み出した。雪は腰のあたりまで積もっていて、全身で雪をかき分けながら進む。
さっき明かりが見えたのは確かこの辺だった。だが辺りを周回しても、特に異常は見当たらなかった。
「気のせいか……?」
そう思って引き返そうとした時、ぐに、と何かを踏んだ感触があった。
慌てて足をどける。そこには、毛皮の分厚いコートを身にまとった、人体のようなものがうつ伏せに倒れていた。右手には、火の消えた油灯が握られている。僕は恐怖のあまり声を上げると、その人体は腕をピクリと動かした。まだ生きている……?
洞窟の方に向かって手を振り、師匠に信号を伝える。するとそれに気づいた師匠が、僕の元へとやってきた。
2人でその人体を支え、引き起こす。その顔は、僕たち人間のオスのようであった。しかし、細部が少しずつ違う。丸く高い鼻に、薄い青色の肌、そして縮れた金色の髪。なにより象徴的なのは額に生えたヤギのような角である。
男は大きくくぼんだ目をピクピクとさせた。
「意識が無い。とりあえず彼を温めよう」
師匠はそう言って、彼の肩を担いだ。
洞窟に戻って、焚き火の近くに寝かせる。明るいところで改めて顔を見ても、やはり彼は人間と似ていた。
エルヴィアが彼のひび割れた唇に湯を流しこむと、男はゲホとせき込んで、目を覚ました。
「ここは……」
彼は起き上がり、辺りを見回した。瞳の中に小さな四角い瞳孔が開いている。
「洞窟の中だ。君が倒れてたのを偶然発見して、ここまで運んできた」
「あなたたちは……」
「人間だ。魔界を旅している。……まあ、まず君のことを教えてくれ」
彼は頭を整理するように目をつむる。エルヴィアがカップに入ったお湯を差し出すと、両手でそれを受け取って、ゆっくりと飲み干した。そうして、低くしわがれた声で話し始める。
「……私はラディウス。まずは救助していただいたこと、深く感謝する」
彼は丁寧に頭を下げた。そしてため息をつきながら続ける。
「私は猟師でね。相方の1人と狩猟に出かけてたんだが、突然の吹雪で遭難してしまった。相方は途中で力尽きて……。遺体はその場に置いてきた。私一人じゃ到底持ち運べない」
彼はただ現実を述べるかのように、淡々としゃべった。
「……辛かったな。ここは吹雪も入ってこないし、水も食料もある。十分休んでくれ」
「ありがとう、命の恩人だ。それで……次は君たちのことも教えてくれないか」
最初に人間だと答えた以上、彼がそれについて知りたがるのも当然であった。僕たちの名前や目的を伝え、今は北方の国を目指している事を話すと、彼は目を丸くした。こんな辺鄙な場所にあるのは、彼の住んでいる国ただ一つだけであると言った。
「君たちに同行させてもらえないだろうか。私も家に帰りたい……」
「もちろんだとも。ちなみにラディウスの国って、どんな国なんだい」
「魔法国アズラトゥル。私たち山羊頭族が暮らす国だ」




