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薄汚れた肌着を纏ったゴブリンに言われるがまま、街の中心部を抜けると、開けた場所に一棟の工房があった。工房、といっても至る所に金属片が散乱しているだけの広場である。もはやゴミの山に等しい。到着するや否や、彼はその汚山に頭を突っ込みガラガラと何かを探し始めた。
「そこで待っテろ、ニンゲン」
彼は後ろも振り返らずに言う。
ゴブリンの実験台だなんて、死ぬより恐ろしい。アイツが背を向けている今がチャンスだ。このまま逃げ出してしまおう。
師匠に目をやると、彼女はのほほんとした顔で、既にくつろぎ始めていた。
彼女には危機感というモノが存在しないのだろうか。寄りにも寄って、こんな魔族だらけの街にいるのによく警戒心を解くことができるな。
ゴブリンはしばらくするとお目当ての物を見つけたらしく、全身でギョロリと振り返る。
……僕の人生もここで終わりか。
「おいニンゲンの、オスの方。コイツを振るってみロ」
絶望にさいなまれていると、彼は大きな戦斧を持ってきた。いくつもの金属がつなぎ合わさった刃が、麻ひもで強引にまとめられている。持ち手には太い木がそのまま刺さっているようで、斧というよりは棍棒に近い。
臓器でもほじくり出されると思っていたから、彼の要求には少しほっとした。だが警戒が解けたわけではない。
斧を持ち上げると、ずっしりとした重さが腕に伝わる。
「振るうって、どうやって……」
「地面に振り下ろせばいいギャろ。ガリ骨小僧は斧も持ったことがナいのか?」
もういっそのことコイツの脳天をカチ割ってでも逃げたい衝動をぐっとこらえ、指示に従う。騒ぎを起こすのは今一番やってはいけないことだ。
しかしこの斧、かなり重い。両手を使って何とか頭上まで持ち上げ、重力に任せて振り下ろした。
──ズガァンッ!
赤い火花が飛び散ちり、まばゆい閃光に目を奪われる。
ようやく視力を取り戻すと、地面に空いた大きな穴に、刃がボロボロと崩れ落ちていった。
「ギィャギャ、破壊力は十分だギャ、ちと強すぎルな」
一歩間違えれば腕ごと消し飛んでいた破壊力に、開いた口が塞がらない。
「次だギャ。さっさと持テ、小僧」
大きな杖。先ほどの斧と似たような雰囲気がプンプンする。まさかコレがずっと続くのか……?
助けを求めるように師匠を見る。彼女は爆風で舞い上がった長い髪を気にもせず、キラキラとした瞳で見つめ返す。もっとやってくれ、とでも言いたげだった。
──大きな爆発、小さな爆発。それらが静まり返ったころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
「ギィギャギャ。久しブりに良いデータが取レた。ワシの筋力じゃ扱えんカラな」
ゴブリンは何やら上機嫌な様子で、吹き飛んだガラクタをかき集めている。
軽い火傷で済んだのは奇跡だ。人生において五体満足であることをここまで感謝した日はない。
「……ところで、お前ら旅をしてルとか言ってたな。それがどレだけイカれたことか分かってルのか?他の奴らに見つカったら、今頃どうなってイたか」
またもや彼は振り返らずに言う。
彼の言う通りだと思った。確かに彼はゴブリンではあるが、話の通じる方であろう。しかし他の魔族もそうである保証はない。事実、この集落に入る時もオルグたちに明らかに目の敵にされていた。その本拠地に足を踏み入れるなど、自殺行為に等しい。
煤で汚れた服を払いのけ、今まで沈黙を貫いてきた師匠が声を上げた。
「とある本を探していてね。貴重な物なんだ。魔界にあるってことは知ってるんだけど、それ以上は分からなくて。だからこうして直接探しに来たのさ」
本探しと聞いた時には、無謀だと思った。探知方法はあるにしても、広大な土地でたった1つの本を見つけるなど不可能に等しい。しかもこのペンダント、やけに精度が悪いようで、本の正確な位置までは分からないときた。
何日もかけて精一杯反対したのだが、師匠は譲らなかった。だが僕は知っている。そういう時は決まって、もう1つ別の大事な目的がある時だ。
師匠はにこりと笑って続ける。
「私は魔族のことをほとんど知らない。知らないのに、恐ろしいものだと決めつけるのは、おかしいと思わないか? だから私はもっと魔族のことを知りたい」
表裏のない、純粋な笑顔。
「ちなみに私はカサンドラ、こっちは弟子のライリーだ」
師匠は僕の方まで歩いてきて、頭をぽんぽんと叩いた。
「ギャサンドラ……、ラィイリー……」
ゴブリンはぎこちない発音で反芻する。
「ワシも十分異端だと思っていたギャ……。くだラん理由で死地に飛び込むアホゥがいるとはな」
彼は棘のような歯を見せて、ギィギャギャと笑う。
「ワシの名はクラッジィ。ニンゲンに名乗るのはこレが初めテだ」
「光栄に思うよ、クラッジィ」
師匠はクラッジィに手を差し伸べる。小さな師匠の手よりも、さらに一回り小さい手がその上に重ねられた。異種族同士、それも異端者同士の握手は柔らかであった。
「腹が減ったダろう。簡単なモンしかないギャ、食わせテやる。少し待ってロ」
彼はそう言い残すと、さっさとガラクタ山の向こうへ行ってしまった。
「ふふ、ゴブリンの飯だ。楽しみだな」
師匠は僕の真横にストンと座って耳打ちした。
「……逃げるなら今のうちですよ」
「ははは、そう心配するな。何かあったら私が守ってやるさ」
無責任なような、そうでないような。それでいて、このゆったりとした口調は、初めて会ったときから何も変わっていない。魔界に訪れてから緊張の糸を張りっぱなしの僕は、そんな母のような温かさに、いつのまにか身をゆだねてしまっていた。
日は完全に沈んだ。冷たい夜風が吹き始める時間だ。月明りは雲に隠れ、遠くにある篝火だけがゆらゆらと揺れている。
しばらくして3本の串焼きを手に持ったクラッジィが戻ってきた。
黒焦げになったヤモリがドロッとした蜜でコーティングされている。リンゴ飴ならぬ、ヤモリ飴だ。かすかに漂う腐臭は、食欲を減退させるには十分だった。
「うまいぞ、さっサと食え」
彼はヤモリの腹にガジガジとかみついた。
僕と師匠は目を見合わせて、ゴクリと唾を飲み込む。さすがの師匠も、事態の深刻さを認識したようだ。
……だから言ったじゃないですか。逃げるなら今のうちだって。




