十二話目 前日
あれから二日ほどが過ぎたが、状況は何ひとつ変わらなかった。
山の暮らしには、さすがに少し慣れてきた。今の俺は、桃花に教わった薪割りの練習をしながら、額の汗をぬぐっている。
桃花とはあれからよく話した。
YouTubeの話、高校生活の話――そして妙に多かったのが大学の話だ。
「高校生も悪くないんですけどね。みんなでお酒飲みに行ったり、大人の女性を彼女にしてみたり……あと講義室で、彼女が隣で真面目にノート取ってるのを横目に見るとか。ああいうの、憧れるんですよ。」
どう聞いても動機は不純だ。
だが、そんな夢を語る桃花はどう見ても普通の男子高校生そのもので、思わず笑ってしまう。
そして夜になると、山小屋の中で桃花はまるで怪談会のように「死害」の話を語ってくれる。
もちろん、すべて実話だ。だから恐怖も段違いだった。
今も、薪割りをしながらその話の続きだ。
「『呪縛』ねぇ。」
「はい。死害が獲物に“印”をつける呪いの一種ですね。星型が多いんですけど、格子模様や名前を刻むものもいます。……ちなみにコウジさんには無かったですよ。ほら、一緒にお風呂に入った時に確認しましたし。」
妙に堂々と言われ、思わず顔が熱くなる。
同時に、ほんの少し安心した。
「でも呪縛にかかると厄介なんです。専門職じゃないと解けませんし、死害を倒しても呪いは残ります。ひどい場合は……呪縛を受けた人に“成り代わる”こともある。」
「生まれ変わる……転生ってことか?」
「まあ、そんな感じです。」
聞けば聞くほど、俺が狙われている状況の異常さを思い知らされる。
大きく息をつき、斧の柄に体重を預ける。
木々の隙間からこぼれる光が地面を照らし、俺は都会では吸えないほど澄んだ空気を肺いっぱいに取り込んだ。
――このまま山の中で暮らせたら。
束の間の平穏は、確かに心地よい。
だが桃花は言った。
死害は、絶対に諦めない。
不死に近い肉体。
人と違う時間の感覚。何年でも、何十年でも追い続けてくる。
ここで暮らし続けても、それはただ――山という牢獄で怯えて老いていくだけだ。
桃花だって、いつまでも俺に付き合ってくれるわけじゃない。
どのみち、終わらせるしかない。
佳菜を――あの化物を。
「桃花様」
不意に声がして、俺は振り向いた。
気配もなく、小夜が俺たちの背後に立っていた。
「おお、小夜。久しぶり。ってことは……見つかったのかい?」
「はい。」
静かに、短く答える。
“見つかった”。
その意味を、俺は理解した。
――佳菜と戦う場所が決まったということだ。
俺の心臓は、いつまでも落ち着く気配を見せなかった。
緊張で身体がこわばり、胸の奥がぎゅっと縮む。だが、もう覚悟を決めなくてはならない。運命は、立ち止まる俺を待ってはくれない。
気合いを入れるため、自分の頬をパンパンと叩く。
……よし。
作業を切り上げ、桃花と小夜の元へ歩み寄る。
決戦の場は、ここから少し離れた廃工場だという。小夜の話では、潰れて日は浅く、建物の規模も大きい。しかも、人里から遠い。
新しめの廃墟ゆえ、ガラスや鏡もほとんど割られず残っているらしい。
「でも、佳菜……あの死害からしたら、割れてたほうが誘いやすいんじゃないのか? いろんな所から現れやすいだろ」
俺が疑問を投げると、小夜はあっさり頷いた。
「はい。ですので、割っておきましたわ。鏡も、別の場所から大量に運んできて散らしてあります。エサが食いつきやすいように」
彼女はにこやかに、まるで料理の仕込みでも語るように言った。
――エサ。
間違いなく、俺のことだ。
顔が引きつる俺の横で、桃花が質問を投げた。
「それで、“例の仕掛け”は?」
「はい、もう少しで完了します。量が多くて手間取っていますが、今日中には」
(……仕掛け?)
聞かされていないが、桃花の不敵な笑みを見る限り、万全の策なのだろう。
深く考えるのはやめた。俺はただ、エサとしての役割を果たせばいい。
「それで、俺は……どう動けばいいんだ」
覚悟を腹の底で押し固め、二人に問う。
――作戦会議を終えた俺は、一足先に風呂へ入った。
黒い影――狒々王が作ったという、即席の露天風呂だ。
川辺に石を積み、焼けた石を沈めて湯をつくる簡易風呂。お湯は少しぬるいが、川に直接入るよりは天国だ。
西の空が、夕暮れの気配を帯びはじめていた。
俺はぬるい湯で顔を何度も洗い、明日の作戦を頭の中で反芻する。
決行は明日の夜。
工場の外で待ち伏せし、怨鬼たちが集まったら、俺が工場内へ逃げ込む。
そこからは――。
「コウジさん」
背後から、桃花の声が落ちてきた。
「小夜は帰ったのか」
「うん。さっきね。明日は現地で待つってさ」
「……そうか」
遠くを見つめながら、息のようにつぶやいた。
「緊張してる?」
桃花の問いに、俺は黙って頷いた。
「大丈夫。明日は作戦どおりにやればいけるよ。僕もいるし、狒々王も応援に来てくれるからね。バッチリさ」
胸を張ってどや顔をする桃花。
その無邪気さに、少しだけ肩の力が抜けた。
「ねぇ、お湯、ぬるくない?」
桃花が湯に手を入れ、眉をしかめた。
「ぬるいよ」
「やだ、熱くしようよ。僕、熱いの好きなんだから」
「ああ、そうしよう。最後の夜だしな。思い切り、グツグツにしてやるか」
俺は笑い、彼の提案にうなずいた。
――そして、最後の晩餐。
といっても、カップラーメンと残ったお菓子、そして一本だけ残っていた缶ビールだ。
桃花は小夜に頼んでいたらしいジンジャーエールのキャップを開ける。
それに合わせ、俺も缶ビールのプルタブをプシュと開け、桃花の前に差し出す。
「明日は……よろしくな」
「了解!」
桃花は明るくペットボトルを掲げ、缶にコツンと合わせた。
夜の帳が降り始め、山を包む気配が深くなる。
焚き火の火の粉がぱらぱらとはじけて、暗い空へと消えていった。
――この静かな山の夜も、今日で終わりだ。
俺は、揺れる炎を眺めながら、
明日訪れる決戦の影を、胸の奥でそっと抱きしめた。




