表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇に咲く桃花  作者: しんいち
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/38

二話目 佳菜

 桃花の言葉に、思わず息を呑んだ。

 胸の奥がざわりと波打つ。――思い当たることがあったのだ。


 あの夢のこと。

 あの出来事のこと。

 そして、あの“女”のこと……。


 唐突に胸の奥を抉るような記憶が浮かび上がり、喉の奥がひりつく。

 返す言葉が見つからない。


 ふと春香に目をやると、彼女はじっと俺を見つめていた。

 その表情は言葉を発さずともはっきりしている。

 ――「話したの?」と。


 俺は小さく首を振った。

 そんな話をした覚えはない。

 だが、たとえ助けてくれた相手でも、このことを口にするつもりなどなかった。

 どうせ信じてもらえない。そんな確信があった。


 沈黙が落ちる。

 春の穏やかな風が、何も知らぬように花びらを運んでいく。


 気まずさを感じ取ったのだろう。

 桃花が頭を掻きながら、慌てたように口を開いた。


「す、すみません。変なこと言って……。

 僕、たまにそういうのを“感じる”というか……。匂いっていうのかな、雰囲気っていうのかな。お兄さんから、ちょっとそんな気配がしたから、つい……。

 話しづらかったら、無理に答えなくて大丈夫です。」


 言い訳のように早口で言いながら、桃花はしどろもどろになっていた。

 その必死な様子に、少しだけ胸の緊張が緩む。


「……霊感みたいなもの?」

 春香が警戒を隠さず、静かに問い返した。


「うーん……まぁ、そんな感じ、かな。ちょっと違うけど。」


 桃花は苦笑を浮かべ、言葉を濁した。

 その曖昧な笑顔に、春の光が差し込む。

 けれどその影の奥で、何か得体の知れないものが確かに動いている気がした。


そんな桃花に、春香は短く「ふぅん」と鼻を鳴らした。

 その声音には、あからさまな疑いの色が滲んでいる。


 だが、次に口を開いた春香の言葉は、意外なものだった。


「――話してみたら?」


 俺は思わず顔を上げる。

「……えっ、話すのか?」


「いいじゃん。どうせ、誰に言ってもまともに取り合ってもらえなかったんでしょ? 私以外は。」

 春香は肩をすくめ、少し得意げな笑みを浮かべた。

「それに、“霊感がある”なんて人、そうそういないじゃない。試しに話してみなよ。もしかして――ってこと、あるかも。」


 軽い調子。けれどその瞳の奥には、ほんの僅かに真剣な色が宿っていた。

 彼女なりに俺を気遣ってくれているのだろう。


 前向きというか、楽観的というか……。

 けれど確かに、春香の言うことも一理あった。


 誰にも話せず、胸の奥で燻り続けていたこの出来事を、そろそろ外に出したかった。

 少しでも、楽になれるのなら――。


 俺は深く息を吸い、桃花の方へ向き直った。


「……分かった。ちょっと、聞いてくれ。」


 そう言って、俺は腹を決めた。

 胸の奥に溜まっていた、あの重たい塊を吐き出すように。


 膝の上に腕を置き、少しだけ前のめりになる。

 春香は隣のベンチに腰を下ろし、黙って俺の横顔を見つめていた。

 桃花は姿勢を正し、真剣な面持ちで耳を傾ける。


 その視線を感じながら、俺はゆっくりと口を開いた。


「……実は、前の彼女のことなんだ。」


 言葉を選ぶように、ゆっくりと。

 心の奥に沈めていた記憶を、一枚ずつ掘り起こすように。


 ――彼女の名前は、樋口佳菜。


 出会いは、俺が大学に入って間もない春の頃だった。

 同期の友人に「合コンしようぜ」と誘われて、半ば流れで参加した飲み会。

 その席で、たまたま隣に座ったのが佳菜だった。


 第一印象は――正直、良かった。

 栗色の髪をゆるく巻き、光を受けるたびに艶めく。

 大きな二重の瞳は笑うたびに少し細くなり、少し厚めの唇からは、快活で人懐っこい声がこぼれた。

 メイクも服装もきっちりしていて、場慣れした雰囲気を漂わせていたが、それでもどこか無邪気な笑顔を見せる時があった。


 その夜、自然と隣同士で話をしていた。

 話が途切れることはほとんどなく、気づけば笑い合っていた。


 彼女は旅行が好きだと言った。

 「一人でも行っちゃうんです。気分転換になるから。」

 そう言って、指先でグラスの氷を揺らしながら微笑んだ。


 行動力のある人だと思った。

 俺も高校の頃、内緒で原付の免許を取り、友達と泊まり掛けで遠出したりしていたから、その自由さにどこか惹かれたのかもしれない。


 飲み会のあとも、何度か顔を合わせて話す機会があった。

 気づけば連絡を取り合うようになり――そして、自然と付き合うようになっていた。


 いや、「自然と」なんて言い方はずるいか。

 一応、俺の方から告白した。

 けれどその時の彼女の笑顔があまりにも自然で、まるで最初からそうなることが決まっていたみたいに思えたんだ。


正式に付き合いはじめた俺と佳菜の関係は、最初のうちは順調だった。

 ……最初のうちだけは。


 付き合う前よりも頻繁に会うようになり、食事に行ったり、休日はどちらかの部屋で映画を観たり、時には日帰り旅行までした。

 その頃の佳菜は、明るくて、よく笑って、少しわがままだけど愛嬌のある普通の女の子だった。


 けれど、少しずつ、何かが変わっていった。


 最初はほんの些細なことだった。

 「今、何してるの?」

 「誰といるの?」

 「何時に帰るの?」

 そんなメールや電話が、日に何度も届くようになった。


 最初のうちは、恋人同士ならそんなものだと自分に言い聞かせていた。

 俺もちゃんと返信していたし、電話にも出ていた。

 だが、次第にその回数は増えていき、ある日には一日で四十件近くのメッセージが届いていた。


 内容はどれも同じ――俺の所在を確かめるものばかり。

 返信が少しでも遅れると、「どうして返さないの」「誰といるの」と、矢継ぎ早に問い詰めるような文面が並んだ。


 いつの間にか、携帯が鳴るたびに胸がざわつくようになっていた。

 佳菜を嫌いになったわけじゃない。

 けれど、あの頃の俺は確かに、彼女の存在が息苦しくなっていた。


 ――そして、あの“決定的なこと”が起こったのは、その頃だった。


 「借金の肩代わりですか?」


 俺の話を聞いていた桃花が、目を丸くして声を上げた。

 春香はというと、あきれたようにため息を漏らし、少しだけ唇を歪める。


 俺は慌てて言い訳のように口を開いた。


「いや、借金って言っても……バイクを買う時の話なんだ。

 俺のアパート、家賃は安いんだけど周りに何もなくてさ。コンビニ一つ行くにも歩きで二、三十分かかる。

だから今流行りのスクーター型バイクってやつを買おうと思って、ちょうど良い値段の中古のバイクを見つけてさ、バイト代をあてにしてローンを組もうとしてたんだ。」


 そこまで話すと、桃花が黙って頷いた。

 俺は続けた。


「その時に佳菜が言ったんだ。

 『ローンなんて組まなくていいよ。私が払ってあげる。浩二くんは少しずつ私に返してくれればいいから』って。」


 彼女の家は春香と同じく裕福らしく、仕送りも多かったらしい。

 余ったお金は貯金しているとも言っていた。

 その“優しさ”を素直に受け取った俺は、深く考えずにその申し出を受けてしまった。


 ――それが、間違いの始まりだった。


 それを境に、佳菜の束縛はさらに強くなっていった。

 まるで、バイクだけでなく俺の自由までも買い取ったかのように。



 事あるごとに、佳菜はあの“バイクのこと”を持ち出すようになっていった。

 「私が払ってあげたのよ」

 ――まるでその言葉が、俺を縛る呪文のようだった。


 最初は冗談めかして言っていたのが、次第に責めるような口調に変わり、

 そのたびに俺の中に小さな違和感が積もっていった。

 あの頃からだと思う。

 俺が佳菜との別れを意識しはじめたのは。


 そんな時に出会ったのが、春香だった。


 「そんな人、別れた方がいいんじゃないの?」

 「あといくら払うの? 少しだったら出してあげようか。」


 年下なのに、妙に大人びた言い方をする彼女に、俺は少しずつ救われていった。

 話を聞いてもらううちに、心が軽くなっていくのを感じた。


 ――そして、バイクの代金をすべて返し終えたある日。

 俺は佳菜に、別れを切り出した。


 当然、佳菜は激しく取り乱した。

 「どうしてよ。理由を言ってよ!」

 「私、あなたにあれだけしてあげたじゃない!」


 金切り声で泣き喚く彼女に、俺は何度も冷静に話そうとした。

 だが、言葉は通じなかった。

 怒り、涙、罵声。

 あの時の彼女の顔は、もう俺の知っている佳菜ではなかった。


 それからの彼女は――ストーカーになった。


 電話とメールは一日に百件近く。

 留守電には泣き声や、意味の分からない独り言が延々と録音されていた。

 夜遅くアパートに帰ると、廊下の向こうに人影が立っていることもあった。

 彼女は何度も俺の部屋を訪れ、口論になった。


 そして、あの夜。


 バイトを終えてアパートに戻ると、玄関の扉がわずかに開いていた。

 「閉め忘れたのか……?」

 そう思いながら中に入ると――佳菜がいた。


 部屋の真ん中に立ち、包丁を握って。


 目が合った瞬間、全身が凍りついた。

 何も言えず、何も考えられず、気づけば俺は裸足のまま外に飛び出していた。

 背後で「待ってよ!」と叫ぶ声。

 振り返ると、髪を振り乱した佳菜が包丁を手に追いかけてきた。


 通りがかった近所の人が悲鳴を上げ、すぐに警察が来てくれた。

 俺は無我夢中で泣きながら事情を話した。


 ――その二日後。

 佳菜は、自ら命を絶った。

 崖から飛び降りたらしい。


 その知らせを聞いた時、何も感じられなかった。

 悲しみも、怒りも、安堵さえも。

 ただ、心のどこかで“終わった”と思った。


 だが――違った。


 ここからが始まりだった。

 俺にとっての、本当の恐怖は……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ