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闇に咲く桃花  作者: しんいち
一章 勝又 江利香

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二十四話目 終焉

桃花の刀が、じわりと健児の喉元を指した。


その瞬間、健児の動きが明らかに変わった。表情までは読めなかったが、肩の動きと足取りで分かる。あれは……怯えだ。


一歩近付けば一歩退き、さらに詰めれば、また一歩後退する。まるで、目の前の桃花を一歩たりとも近付けまいとするかのように。


それが警戒なのか、それとも、もはや戦意すら残っていないのか……。


だが次の瞬間、健児の視線がわずかに逸れた。桃花ではない。森の方角……逃げ道を探る目。


「……ふっ」


桃花が鼻で笑った。冷ややかで、どこか楽しげな笑みだった。


「健児くん、もしかして逃げる気? でも、もう手遅れだよ」


ゆっくりと、言葉の刃を突きつける。


「ここはね、もう『結界』の中なんだ。君が来るより先に、仙道さんが張ったのさ。

外から入ることはできても、中からは出られない……、そんな一方通行の鳥かごだよ。エリカさんをエサにして、君たちをおびき寄せたってわけさ」


桃花は一歩、また一歩と前へ出る。そのたびに健児の肩が小さく揺れる。


「さあ、どうする? 結界を抜ける方法は一つだけ。……僕たちを『殺して』出るしかないんだ」


その言葉に健児の足が止まり。足も手も微かに震えている。

桃花はしばし彼を見つめ、そして小さく溜め息をつく。


「……ああ、なるほど。そうか、怖かったんだね。この刀が」


桃花はそう言うと、自らの愛刀を逆手にし、音もなく地面に突き立てた。


「いいよ。君がそれで萎縮してたなら、やめよう。僕も素手でやるよ、健児くん。

ほら、これでイーブンだろ?」


両腕を大きく広げ、手のひらを見せる。挑発は明らかだった。


だが、それでも健児の動きは鈍い。目の奥に葛藤の色が浮かび、迷いが、その場に縫い付けているようだった。


「せ、仙道さん……桃花、大丈夫なの? 武器まで捨てて……。さすがにアイツ相手に素手じゃ……」


思わず漏れた私の声に、仙道さんは小さく笑って答えた。


「ああ、大丈夫だよ、エリカさん。……ゆっくり見ててごらん。きっと面白いものが見られる」


その言葉には焦りの欠片もなかった。

まるで……すでに勝負の行方など、決まり切っているとでも言うように。


すると、地鳴りのような咆哮が空気を震わせた。


「グオアァァァァッ!!」


言葉を交わしていた仙道さんと私の間に割り込むように、健児の巨体が桃花へ飛びかかった。全身をバネのようにしならせた猛突進。土煙が爆ぜ、地面には深々とした爪痕が刻まれる。


「そうこなくっちゃ!」


桃花は軽やかに身を翻し、挑発的な笑みを浮かべる。黒髪が弧を描き、紙一重で鋭利な爪を避けていく。健児の攻撃は止まらない。振り下ろされる剛拳、跳び蹴り、獣のように振り回される爪。だが、桃花はまるで風だ。そこにいるはずなのに、まるで捉えられない。


「ほらほら~、こっちだよ!」


体操選手のように跳ね、回り、宙を舞う。しまいには「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」と、楽しげに嘯いた。


健児の顔が怒りで歪む。剥き出しになった歯。一度動きを止めたかと思うと、次の瞬間、拳に隠していた土を桃花の目へと投げつけた!


「ッ――!」


土煙が視界を塞ぎ、桃花の姿が霞む。その間隙を縫って、健児が突進する!全身をぶつけるような巨体のタックル!

だが。


「……甘いよっ」


ズガァッ!!!


轟音とともに、健児の巨体が横へ吹き飛んだ。三メートルを超える肉塊が宙を舞い、木の幹をへし折り、地面に叩きつけられる。桃花の右足がゆっくりと地面に降ろされた。ただ一撃の蹴り。それだけで、あの巨体を吹き飛ばしたのだ。


健児は呻きながらもすぐに立ち上がり、咆哮とともに体勢を立て直す。その様子を見て、桃花は悪戯っ子のように笑った。


「健児くん、今のはなかなかだったよ。油断させておいて目潰しとは……うん、センスある。でもね……」


彼は一歩前へ出る。


「……ちょっと単純すぎたね」


その声は優しげでありながら、明確な『各』の差を突きつけていた。


桃花の言葉に怯むことなく、健児は咆哮とともに地を蹴った。

その巨体が放った一撃は、まるで地面ごと抉る礫を伴い、爆風のように桃花へと迫る。


「ッ……!」


桃花はひらりと横へ跳び、礫をかわす。だが次の瞬間……


「グオオオオオオッ!!」


健児の姿が霞のように消えた。

瞬きする間もなく、先ほどを上回る速さで桃花の間合いに入り込んでいた。


鋭利な爪の突きが、真っ直ぐに桃花の胸元を狙う。もはや回避は間に合わない!

……そう思った、その瞬間だった。


「……え?」


突きの軌道が、なぜか逸れた。

寸前で桃花を外れ、空を裂くように通過する。


健児はすぐさま二撃目を叩き込む。

だがそれも、ただ突っ立っているだけの桃花の身体を外れて、地面を穿つ。


何が起きているのか、まるで意味が分からない。

桃花は一歩も動いていない。にもかかわらず、健児の攻撃は当たらない。


「……グルル……ッ!」


苛立ちを露わにした健児は、後方へ飛び、距離を取る。そして桃花を睨みつけながら、呼吸を荒げた。


そのとき、桃花がニコリと笑った。

両手をパッと開いて、まるで子供を挑発するような仕草。


「ねえ、ほら。攻撃してよ? 僕、なにもしてないからさあ」


……舐めているの?


そう思った瞬間、健児は爆発するように動いた。吼えながら何度も爪を振り、拳を打ち込み、蹴りを叩きつける!


だが……すべて外れる。


桃花はまったく動かない。ただ、そこに『いる』だけだ。


それでも当たらない。

いや……、攻撃が、勝手に逸れていく。


「……っ!?」


健児の猛攻が、桃花の周囲で空を切る。

まるで、彼の周囲だけ空間そのものが歪んでいるかのように。


私は思わず隣の仙道さんに問いかけていた。


「仙道さん……なんで? なんで当たらないの? 桃花、なにもしてない……よね?」


仙道さんは肩を竦めると、静かに答えた。


「それは違うよ。桃花くんは、ちゃんと攻撃を避けてるんだ」


「え……? でも今、動いてな……」


「正確にはね、弾いてるんだよ。攻撃そのものを、軽く触れるだけで、上下左右どちらかに軌道を反らしてる」


「バリア……みたいな?」


「いや、もっと繊細だ。防いでるんじゃない。『逸らしてる』んだ。攻撃にくる腕や脚、その動きの根元に、わずかに触れて流してるんだよ。


あれを見せられたら相手は焦るだろうね。

ちゃんと狙っているはずなのに勝手に攻撃が避けていくんだ。

焦って攻撃に力やスピードをを速めるほど、ほんの少し触れただけで簡単に避けていく。

相手は何をされているのか分からず、さらに沼にはまっていくんだ」


私は言葉を失った。

まさか、あの速度の攻撃を……受けずに弾くなど……


それはもう、反応や技術の領域じゃない。

もはやそれは、『異能』だ。


そして何より、桃花の表情が物語っていた。

まるで、遊んでいるかのように……。


「エリカさん、綺麗だと思わないかい?」


戦いの最中、仙道さんの声が響く。


「……綺麗?なにが?」


疑問を返す私の横で、彼はうっとりと目を細め、戦いを見つめていた。


「水の流れだよ。力を受け流し、無駄なく、最小の動きで軌道を逸らす。あれはもう……芸術の域だ」


そう言う仙道の横顔には、戦いに酔いしれるような狂気が宿っていた。思わず背筋に冷たい汗が伝う。

……この人も、どこかおかしい。

そう思った瞬間、彼はポツリと呟いた。


「そろそろ、決着かな」


その言葉に、私は再び戦場へ視線を戻す。


健児が咆哮を上げた。

咆哮とともに踏み込み、渾身の拳を桃花へと叩き込む。


「ヴオオオオオオオッ!!」


だが次の瞬間……

桃花の姿が、ふいに闇へと溶けた。


健児の拳は空を裂き、誰もいない地面に叩きつけられた。その瞬間、爆ぜるように土煙が巻き上がる。

視界が揺らぎ、耳に土砂の衝突音が響いたその刹那……


桃花が、いつの間にか健児の左脇に現れていた。

その動きは音も影もなく、まるで幻影のよう。彼はがら空きになった健児の脇腹に、静かに手を添える。


空気が凍りつく。

時が止まったような一瞬。

沈黙の闇に、雷鳴のような一声が轟いた。


「波動ッ!!」


「ドォンッ!!」


轟音。質量を持った音が地を揺るがせ、次の瞬間、目には見えない衝撃波が、私たちのもとへ襲いかかってきた。


「キャアアアッ!!」


叫び声とともに、夜の境内が爆風に包まれる。舞い上がる土、吹き飛びそうな身体、そして……

爆心地を中心に、世界が一度弾けたかのような錯覚に陥った。


私は踏ん張りながら、目の前の破壊の光景を必死に凝視した。

爆弾でも落ちたのかと思えるような衝撃。煙が渦を巻き、あたり一帯が土煙で見えなくなった。


「ねぇ、どうなったの……!?」


仙道さんに尋ねるも、彼は顔を片手で覆いながら、ただ無言で戦場を見据えていた。


やがて……

土煙が少しずつ晴れていく。視界がクリアになるにつれ、二人の姿が現れた。


桃花は、静かに、悠然と立っていた。傷一つなく、衣一つ乱さぬまま。

一方、健児は……


全身を覆っていた禍々しい黒い霧は既に消え去り、両腕を失い、左足も根元から消え、右膝で地に這いつくばっている。

肉は剥がれ落ち、白く蒸気のようなものが全身から立ち昇っていた。


桃花の視線が、虚ろな目で自分を見上げる健児へと向けられる。

その健児の目には、もはや赤い輝きも、戦意も、何もない。ただ、『死』を受け入れるしかない者の絶望だけが残っていた。


桃花が、止めを刺すために、ゆっくりと手を上げた……

その瞬間、私は叫んでいた。


「桃花、ちょっと待って!!」


私の声が、静まり返った夜の境内に、切なく響き渡った。




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