二十ニ話目 決戦の地
車を降りた私は、あの廃神社へと続く石段を再び登り始めた。
時刻はまだ昼過ぎだというのに、太陽は高く昇りきっているはずなのに、私の足取りは鉛のように重かった。一歩、また一歩と踏みしめるたびに、一連の記憶が甦る。
友が命を落とした場所。健児が自ら命を絶とうとした場所。そして、私が死害に襲われた場所……。様々な思いが、私の心と体を縛り付け、階段を登るたびに重くのしかかってきた。
ようやく最後の段を登りきると、神社の周囲で数人の人影が忙しなく作業をしているのが目に入った。彼らの一人がこちらに気づき、駆け寄ってきた。
「仙道さん!」
「おう!小宮。作業の方はどうだ?」
「もう、だいたい終わりですかね」
小宮と呼ばれた男性は、仙道さんと軽快に挨拶を交わすと、手振り身振りを交えながら現在の状況を説明し始めた。その間にも、桃花はまるで散歩でも楽しむかのように、神社の境内を気ままに歩き回っている。
「何してるの、あいつ……」
思わず呟いた私の声が、風に溶けて消えた。その時、仙道さんが「エリカさん」と私を手招きした。私は彼の元へ駆け寄ると、仙道さんは小宮さんに私を紹介する。「こいつは、私の宮司仲間の小宮くん。そしてこちらが今回の……」
小宮さんはヘルメットを脱ぎ、軽く頭を下げた。「この度は大変でしたね。これから照明の使い方や最終調整を行いますので、少しだけお付き合いください」丁寧な言葉遣いが、彼の真面目な人柄を物語っていた。
私は無言で頷き、仙道さんと共に彼の説明を聞き始めた。仙道さんは小宮さんと照明の設置場所や角度について熱心に話し合っていたが、私の意識はどこか上の空だった。
今夜、ここが「決戦の場」となる。
どんな結末が待っているのだろう。仙道さんは「大丈夫だ」と言っていたけれど、本当に無事に終わるのだろうか?そんな漠然とした不安と、言いようのない緊張が、私の全身を包み込んでいた。
しばらくすると、「小宮、ありがとう」という仙道さんの声が聞こえてきた。どうやら説明は終わったらしい。
「じゃあ僕たちはこれで!」
「ああ!すまなかったな。今度、酒でも飲みに行こう」
「はい!あと、それから神社の中に一応、簡単な食べ物と飲み物を用意しておきました。じゃあ、ご武運を!」
小宮さゆは仙道さんと固い握手を交わし、私にも笑顔で頭を下げると、作業員たちと一緒に帰っていった。
彼らを見送ると、いつの間にか散歩を終えていた桃花が、私たちの元に戻ってきていた。呑気な彼に文句の一つでも言ってやろうとしたその時、仙道さんらが「桃花くん、どうだい?」と問いかけた。
「ああ!いるね。死害の眷属たちが様子を見ていたよ」
桃花は静かに、しかし確信に満ちた声で答えた。散歩をしていたわけではなかったのだ。彼は、周囲を警戒していたのだ。
姿は見えない。だが、すでに囲まれているという事実に、私の心臓がドクリと大きく跳ねた。
「でも、良いんじゃない!これで、あの死害を引き寄せる手間が省けたよ。ヤツの眷属が知らせてくれたら、間違いなくヤツはここに来るからね」
桃花はあっけらかんと言い放つ。
「じゃあ、僕は一旦ここを離れて小夜と合流するよ。夕方には戻ってくるからね」
彼はそう告げると、この場を離れようとした。私は思わず、そんな彼を引き留めた。
「ねぇ、桃花。行っちゃうの?私たち、見張られているんでしょ?」
「うん!でも大丈夫だよ。多分、絶対に襲ってこないから。ヤツは絶対に自らの手でエリカさんに復讐するはずだからね。
ここにいるものを皆殺しにして、最後にエリカさんを襲う。アイツが考えていることなんて、そんなところじゃないかな?」
桃花は、さらりと恐ろしいことを口にした。デリカシーの欠片も感じさせない彼の言葉に、一瞬いらっとしたが、きっと桃花の言うとおりなのだろう。
私は「早く戻ってね」と、愛想なく答えるのが精一杯だった。
桃花が姿を消し、この場に残されたのは私と仙道さんのふたりだけだった。
何もせずにいると、時間が止まったようで落ち着かない。
私はポケットからスマホを取り出し、無意味に画面をスライドさせた。だが、その視線の先に誰かの気配を感じると、指先が自然と止まった。見張られている……そんな意識が、じわりと心を蝕んでくる。
その時、不意に仙道さんの声が神社の静寂を破った。
「おっ、小宮のヤツ、気が利くな」
何事かと顔を上げ、神社の奥に視線を送ると、仙道さんが差し入れの袋を覗き込みながらにやけていた。その手にあるのは、まさかの缶ビール。思わず眉をひそめる。
……こんな状況でも、呑気な人はいるものだ。
「飲むの?」
そう声をかけようとした矢先、すでにプシュッという小気味よい音が辺りに響いた。仙道さんは、気まずそうに肩をすくめながら缶を傾けた。
「ほら、気付け薬だから。こういうのもたまには大事なんだよ」
ぐびぐびと喉を鳴らす音がやけに大きく聞こえる。私は呆れてものも言えなかった。
そんな私の視線を感じ取ったのか、仙道さんは笑いながら袋からもう一つの差し入れを取り出し、私の手にそっと渡してきた。
「エリカさんにはこれ。ポッキー。甘いものでも食べて、ちょっと肩の力抜いた方がいい。今から気を張ってると、持たないよ。寝ちゃっても大丈夫。ちゃんと見張っててあげるから」
「……こんな時間にお酒飲んでる人に言われてもね」
そう小さく呟いて、私は仕方なくポッキーの袋を開けた。
中から一本取り出し、無意識のうちに口にくわえる。
空はまだ明るく、黄昏には遠い。
私はポッキーを噛みながら、仙道さんとふたり、袋の中を覗き込んだ。
缶チューハイに乾き物、チョコ、菓子パン……。思っていたよりも小宮さんの気遣いは細かい。そんな中で、不安と緊張をほんの少しだけ忘れている自分に気づいた。
あと二時間ほど……
陽が沈み、黄昏が訪れる頃。
あの死害が、動き出す時間が迫っていた。
そして時間は夕方の六時を回っていた。
傾きかけた陽が、神社の森の奥へと沈んでいく。鳥居をくぐる光は、いまや血のような紅に染まり、あたりを不穏な色で包み込んでいた。
桃花と小夜は、少し前に戻ってきており、すでにそれぞれの準備に取り掛かっている。仙道さんもまた、懐から取り出した御札を、無言で境内の周囲に張り巡らせていた。
その真剣な横顔は、これから始まるであろう戦いの厳しさを物語っている。
ただ一人、やることの無い私は、仙道さんの指示を受けて、神社の前に据えられた鉄の籠に薪を積めていた。どうやらかがり火を焚くらしい。
その無骨な作業を進める私の手は、微かに震えていた。私はそんな自分を叱咤するように、両の拳をぎゅっと握り締め、作業を続ける。何かしていないと、この張り詰めたような緊張に、押し潰されてしまいそうだったから。
やがて、完全に日が落ちた。
闇が、すべてを覆い尽くす時間が始まったのだ。
神社の境内には設置された照明が煌々と灯り、そして、籠いっぱいに積まれた薪に火がつけられた。
パチパチと音を立てて燃え上がる炎が、周囲を赤々と照らし出す。焦げた木材の匂いが、夜の空気に混じって漂い、煙は、どこまでも暗い夜空へと吸い込まれて消えていく。
桃花の話では、あの死害……いや、健児は、すでにこちらに向かっているとのことだった。いつ、あの忌まわしい存在が現れてもおかしくはない。
日が落ちてから一時間ほどが過ぎた頃だろうか。籠の中に新たな薪を補充している、その時だった。
「来たよ!」
桃花が、張り詰めた静寂を破るように、しかし、抑えた声で告げた。
仙道さんが素早く懐中電灯の明かりを、鳥居をくぐって現れた一つの人影に当てた。
「和也!」
私はその人物を見て、驚愕に目を見開いた。そこに立っていたのは、最初に井戸に引きずり込まれたはずの、和也だったのだ。
だが、それが『まやかし』であることは、すぐに理解できた。目の前にいるのは、和也の皮を被った死害……『加藤健児』だ。あいつは、美弥の時と同じように、和也の姿を借りて私を動揺させ、どこまでも追い詰めるつもりなのだ。
「ふざけんな! 健児! 正体分かってるんだよ! 姿現せ!」
私の怒号が夜の闇に響き渡る中、和也の姿をした死害の目は、ぞっとするほど赤く光り、そして、不気味にニヤリと笑った。




