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闇に咲く桃花  作者: しんいち
一章 勝又 江利香

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十九話 決意

はっと意識が浮上した。耳をくすぐるのは、誰かの話し声。その最中、「痛っ!」という鋭い痛みが腕に走り、私はがばりと身を起こした。


どうやら、「名乗りの儀式」が終わった直後、私は気を失っていたらしい。腕の痛みもさることながら、身体を起こした直後のめまいが、視界をぐらつかせる。


こめかみを指で軽く揉みほぐしながら周囲を見渡すと、桃花たちと仙道さんが談笑しているのが目に飛び込んできた。


私が目を覚ましたことに気づいた桃花が、ぱっとこちらを向いて「エリカさん、おはよう」と手を上げ、柔らかな声で呼びかけてくる。


その様子に仙道さんも気づき、「エリカさん、大丈夫ですか?」と声をかけながら近づいてきた。


「儀式が終わった直後に気を失ってしまってね。そのまま休んでもらってたんだよ。気分はどうかな?」


「頭痛い、最悪……」


こめかみを抑えながら絞り出した私の言葉に、仙道さんと桃花はにこやかに顔を見合わせた。


「でも、儀式の方は無事に終わったんだ。腕を見てごらん」仙道さんに促され、私は呪縛が刻まれていたはずの腕を確認した。


ない……。


あの忌まわしい星形の傷が、跡形もなく消えている。まだ鈍い痛みは残るものの、傷跡は完全に消え去っていた。呪いが解けた……という、身が軽くなるような感覚はない。むしろ、どっと疲れが押し寄せてきたかのように身体は重く、痛みもまだ残っている。


だが、この感覚こそが、「名取り」が無事に終わり、死害の呪いから解放された証なのであろう。私はそう、静かに確信していた。



そして、仙道さんの声が、まだ眠気の残る私の耳に、鋭く突き刺さった。


「エリカさん、起きたばかりで悪いんだけど、今、桃花くんとこれからのことについて話していたんだ」


その言葉に、私の意識は急速に覚醒した。続く仙道さんの言葉が、胸の奥に重く響く。


「桃花くんには、エリカさんとあの死害、『加藤健児』との関係を話したけど、問題ないかな?」


私は、こくりと静かに頷いた。返事をするための言葉は、喉の奥にへばりついて出てこなかった。


「うん……、それでね。あの死害は今、『狒々王』が見張っていて、どうやらあの神社にいるらしい。それも、相当数の怨鬼を従えてね」


仙道さんの声は、静かでありながらも、確かな決意を帯びていた。


「ただ、この問題は、身を隠して解決できるようなものではない。奴を捕捉しているうちに、決着をつけておきたいんだ」


彼は私の目をまっすぐに見つめた。その眼差しは、一切の妥協を許さない、強い意志を宿している。


「君とあの死害の関係性から考えても、奴は決して君のことを諦めないだろう。下手にここで逃がして闇に潜まれると、非常に厄介なんだ。


奴は必ず君を狙ってくる。そして、最も残酷な方法で君を殺そうとするだろう。それが一週間後なのか、十年後なのか、あるいは二十年後なのか、全く予測がつかない」


仙道さんの言葉は、未来への不安を具体的に形作った。安心した頃、あるいは私が最も幸福な瞬間に、あの死害は現れるかもしれない。その想像が、背筋を凍らせた。


「あれは、滅ぼさない限り、不死に近い存在なんだ。私たち人間とは時間の概念が違う。『もう諦めただろう』なんて、通用する相手じゃない」


だから、と仙道さんは続けた。その声には、冷徹なまでの覚悟が宿っていた。


「だから今、討っておきたい。明日……、あの場所で、あの死害を討つ」


そして、彼の視線が、再び私の心を縛り付けた。


「エリカさんは、その『囮』になってもらう。いいかい?」


仙道さんの言葉は、私に選択の余地を与えなかった。呪いを祓ったところで、逃れる術はない。彼はそう、明確に告げていた。


もう私に残された選択肢は、もう頷くこと以外に道はなかった。そして、私がこの苦境を生き残る唯一の道は……桃花の力にかかっていた。


私の視線は、無意識のうちに桃花へ向けられた。

「ねぇ桃花……、死害を……、『加藤健児』を殺せるの?」


その名を口にするたび、胸の奥で何かが疼く。加藤健児。彼は、私が苛め、あのような姿になってしまった、私の罪の証……。しかし同時に、私の大切な友達を殺した憎むべき存在でもある。仇を、とって欲しい。私の心に、沸々と怒りの炎が灯り始めた。


彼に対しての罪悪感は、勿論ある。仲間を殺した彼を怨む気持ちも、確かに存在した。だが、それ以上に、この苛めという地獄の元凶である私を、最後まで生かし、苦しめ続ける奴への、抑えきれない怒りがこみ上げてきていた。


お門違いな感情であることは、十分に理解していた。それでも、どうしても許せなかった。


私の問いかけに、桃花は力強く、迷いのない声で答えた。


「エリカさん、任せておいて!僕は人を助け、死害を倒すのが使命だからね。エリカさんには指一本触れさせないよ」


彼の言葉は、まるで暗闇に差し込む一条の光のように、私の心に温かさをもたらした。その力強い言葉に、私は、確かに勇気を貰った気がした。

彼ならば、きっと……。


私は小さく、しかし確かに、心の底から願いを込めて告げた。


「お願いします」


桃花のやり取りを黙ってみていた仙道さんが安心したように私に言った。


「じゃあ、今晩はゆっくり休んで。と言ってもここで野宿みたいになってしまうけど、申し訳ない。


一番ここが安全だし、これからまた山から降りてホテルに行くには時間掛かっちゃうからねぇ」


彼は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


私は小さく首を振った。


「大丈夫です。キャンプみたいで楽しそうだから」


そう答えた声は、自分でも驚くほど明るかったけれど、それが精一杯の作り笑いだった。


そして、「その代わり、ちょっとお願いがあるんだけど……」と、図々しいお願いを口にする。仙道さんは、私の言葉を最後まで聞きき、にこやかな笑顔で了承してくれた。


横になり、じっと天井を見上げる。明日、いよいよ決着がつく。その事実が、私の胸を高鳴らせ、なかなか寝付けずにいた。


スマートフォンでもいじって気分を紛らわせようかと思ったが、ここはピラミッドの内部。やはり電波は全く届かない。


「ちっ!うーん……」


肝心な時に役に立たないスマートフォンに、ほんの少し苛立ちを覚えたその時、ふいに桃花が私の顔を上から覗き込んできた。


「なに!」


驚きとともに、見下ろされていることにわずかな苛立ちを感じ、桃花を睨みつける。しかし彼は、そんなことなど気にする様子もなく、ただまっすぐに私を見つめ、「眠れないの?」と尋ねてきた。


「見ればわかるじゃん……。ちょっと気持ちが落ち着かないだけ。すぐに寝るわよ。」


私の声は少し尖っていた。自分でも分かるほど、イライラが滲んでいた。

まるで急かされているように感じて、私はつい、目の前の桃花に当たってしまった。


けれど彼は、まるで何も気にしていないかのように穏やかな笑顔を崩さず、優しく言った。


「いいよ、別に。エリカさん、ちょっと気持ちが高ぶってるみたいだから、寝られないでしょ。……じゃあさ、少しだけ僕と話でもしようか?」


言うが早いか、桃花は勝手に私の隣に腰を下ろした。

ちょこん、という音が聞こえてきそうな軽やかさだった。


「……え?話するなんて、一言も言ってないんだけど?」


私はわざと意地悪くそう返した。すると桃花は、猫のように目を細めてじっと私を見つめ、「いいじゃん」と、にこやかにプレッシャーをかけてきた。


「もう……仕方ないなぁ」


私は小さくため息をついて、身体を起こす。

どこか負けた気がして、ちょっとだけ悔しかった。


ふと辺りを見渡すと、気づけば小夜の姿がなかった。

いつも桃花の影のように寄り添っている、あの無口な少女がいない。


「ねぇ……。あの愛想のない女は?」


「ん?ああ、小夜のこと?」


桃花は私の質問に少し考えるような素振りを見せてから、さらりと答えた。


「小夜なら、明日、現地集合なんだ。ここなら、襲われる心配もないしね。先行って狒々王と一緒に見張ってもらってるんだ。人混みに紛れても、小夜ならすぐに追えるからね。」


「……現地集合?まさか、あの鳥にでも乗せてもらったわけ?」


「いや、たぶん走って行ったんじゃないかな。小夜の足なら、1時間もあれば着くと思うよ?」


「……は?」


私は思わず口を開けた。

だってここ、車で2時間かかった場所だ。

それを走って1時間……。言葉が喉まで出かかったが、もう無意味だと悟った。


小夜は、あの『怨鬼』という化け物を、無表情のまま次々に切り刻んでいた。

その光景はいまも脳裏に焼き付いている。あれは……人の所業ではなかった。


私は静かにため息をついた。

この人たちは、私の常識の外側に生きているのだ。

そう思えば、何もかもが腑に落ちる気がした。


「……あんた、小夜がいなくなって、話し相手がいなくなったから私に近づいたでしょ?」


からかうように問いかけると、桃花は一瞬きょとんとしたあと、すぐに笑った。


「うーん、ばれた? まあ、いいじゃん。それより、エリカさんのこと、教えてくれない?」


「……私のこと?」


「うん。仙道さんから話は聞いたんだけどさ。中学生のとき、何かあったんでしょ? その話、聞いてみたいんだ」


その言葉に、胸の奥にしまい込んでいた『何か』が、ゆっくりと揺れ動いた。

無神経にも思えるその問いかけに、私は一瞬イラッとした。


だけど……。


桃花の笑顔はどこか無邪気で、どこか憎めなかった。

その曇りのないまなざしに、私はふと、すべてを吐き出したくなった。


「……はぁ、まあ、いいけど」


小さな吐息とともに、私は口を開いた。

あの日のことを……ずっと封じていた、過去の扉を。


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