1話
人里から車で約2時間、更に2時間歩くような山奥に今でも妖ものがひっそりと住んでいる。
「私にこんな小僧の面倒を押し付けようと言うのか?断る。」
そう告げた声は晩秋の山林を吹き抜ける風と同じくらい冷ややかだった。
一方、こんな小僧呼ばわりされた方は、すぐさま抗議の声を上げた。
「はあぁ?!ガキ扱いすんな!このオッサンが!勝手に連れてきただけで俺だってこんな山奥に用は無えんだよ!」
”オッサン”は2人よりもずっと大柄な男だったが、対面早々睨み合う両者を見て、今は縮こまり困惑した表情を浮かべていた。
「断られると思っていたが、そこを何とか頼むよぉ、癸析殿。この子、璃遠は街中で妖術を使ってちょいとモメ事を起こしたんだが……ケケお婆が癸析殿と同じ性質を視たんだと。んで、それを聞いた会長の提案なのだぞぉ、お主に弟子入りさせる事は!」
「私が弟子はとらんのは会長もご存じのはずだが……勿論お前も知っているだろう? 伐赫」
その金色の双眸は咎めるような視線をバッカクへ向けながら鼻を指し示した。
「それに、『ちょいと』だと?」
バッカクは元より赤髪赤肌なのだが、真新しい赤い傷跡が3すじ、鼻の頭を横切っていた。
「言っとくけど、先に絡んできたのはオッサンの方だから」と、リオンが吐き捨てるように言い、バッカクはバツが悪そうに鼻を押さえた。
「……会長は、弟子の件を引き受けてくれるなら、お主が以前断念した『捜索願』を受理すると仰っていたぞ」
思わぬ提案が返ってきたためにキセキは天を仰ぎ見、「彼奴が見つかるだろうか……」と呟いた。腕組みしたまま微動だにせず思案する間、淡い翡翠色の毛先と衣服の裾だけが風に揺れ動く。
しばらくして、とうとう大きなため息と共に答えた。
「会長がそこまで言うのなら断るわけにはいくまい。引き受けよう。」
それを聞いたバッカクは、先ほどまでとはうって変わって、ぱっと笑顔になった。
「おぉ、おぉ、そうか!引き受けてくれると信じてたぞ!いやぁ良かったな!!――アリャ!?」
慌てて周りを見回したが、いつの間にかリオンは忽然と姿を消していた。
「はぁ……逃げたな。」
キセキは再びため息をついた。
「何処に逃げようってんだぁ?……万が一、晴無渓谷に入ったらマズイよなぁ?」
「この山で私から逃れられるものは居らんよ。すぐ連れ戻す!」
言い切るが早いか、バッカクの目の前からキセキが消えた。さながら翠色の疾風のようだとバッカクは内心思った。
◇◆◇
森の中を枯れ葉を散らして駆け、木の枝から枝へ軽々と飛び移ると、驚いた鳥や小動物は方々へ身を隠した。
木の根だろうが茂みだろうが、振り返らず疾走するリオンの障害物にはならない。
「こんな所に居られるか!俺は街に帰るって、痛ぁっ!?」
唐突に何かにぶつかったリオンは転げた。身体を起こしながら目を凝らすと、背丈とほぼ同じ大きさの、うっすら白い半透明の六角形が浮かんでいた。そっと触れると硬く、押してみても頑丈な壁のようにびくともしない。
「何だ…?」
六角形の壁は左右にもある。下がろうとすると背中に硬い感触がぶつかった。
――囲まれている!
その時、ガサガサと枯れ葉が鳴る音が耳に届いた。木々の向こう側から翠色の疾風が追い付いてきたのだ。
「話がまとまった故、私がお前に力の扱い方を教え――」
「舐め、んな!!」
「!」
たちまち、リオンの変化が始まった。全身は影に覆われていくかのようにより黒く、更にはより大きく。
獣のような四つ足、鋭い爪は大地を掴む。後ろへ向かって長い尾が伸びてうねる。
そして瞳は爛、と青い光を宿し、目の前の相手に鋭い敵意を向けていた。
様子を注意深く観察していたキセキは悟った。
(妖術による変化ではない……妖と人、2つの血を引く半妖の子か。)
「俺の居場所はここじゃない……街に、砂浦に帰るんだ!!」
取り囲んでいた壁が砕け散った。
素早く振り下ろしたリオンの爪を、キセキはさっと躱した。二撃目はキセキの眼前で壁に阻まれて届かない。衝撃でバチンと鋭い音が響いた。
「邪魔すんな!」
再びリオンの動きを封じこめようと接近してきた壁は、打撃と蹴りで叩き割った。
攻撃を繰り出しては反転、跳躍して距離をとるとすぐさま背後へ回り込んで仕掛ける。止められる。しかし、すぐにまた離れる。周囲の木すら足場に利用して接近攻撃と離脱を繰り返す。
「ぐぁっ……!」
死角から狙った蹴りを躱され、反撃を浴びたリオンは呻き声を漏らした。
(クソ、妙な壁抜きにしてもコイツ強ぇ…!?)
バッカクと比べると細身の体格で、戦いの中でもさほど力を籠めていないように見えるのに隙がない。
「仕舞だ」
掌を地面に向けてゆっくりと下ろすと直接触れていないはずの背中に押さえつけられるような重さがのしかかった。
「う、ぐっ……!?」
ちら、と見やると六角形の壁が幾つも積み重なって圧し掛かっている。リオンは負けじと両腕で壁を押し上げて踏ん張る。
術で圧をかけ続けるキセキとそれに抗い続けるリオンの両者はそのまましばらく膠着したが、最終的に音を上げたのはリオンの方だった。
「ク、ソっ……それ、ズリィぞ……」
その場に倒れ伏したリオンの姿はざわざわと人の姿に戻った。
(この年令で完全変化を制御しているのか。悪くない)
キセキも壁を消して、リオンに近寄ると起き上がるのを助けるため手を差し伸べた。
「これは私の妖術・甲。そして同じ力の素質がお前にもある。……まったく、とんだやんちゃ小僧だ。先が思いやられるな」
「小僧じゃねえ……璃遠だ。覚えとけ」
「私の名は癸析。妖と人間の共存を掲げる、羅針盤会所属の番人だ」
リオンはまだ苛立った表情のまま、差し伸べられた手とキセキの顔を交互に見てーー
すかさずその場から離れようとした。
「脱ッッ!」
「逃げるなッ!」
一瞬で首ねっこを捕まえ、今度は真正面から向き合う。
「帰ること、俺はあきらめねーぞ」
「……反抗的でも構わないが、これだけはちゃんと聞け。そして必ず守ること!」
「森の奥の、晴無渓谷には絶対に近付いてはいけない」
「…………フン!」
聞いているのかいないのか、リオンは当てつけとばかりにそっぽを向いてしまった。




