そらみみ
ボクは生まれつき天気が見えない。正確には空が見えないんだけど。
ボクは空の定義なんて知らないから、テレビとかに映る青い空を空と定義している。つまりボクの目には空が青く映らない。
じゃあどうゆう風に見えるのかと聞かれれば、答えるのは簡単じゃない。みんなが、空をどうゆう風に見えているのかが分からないから、答え方に困るんだ。ボクが見上げると空は黒く見える。
黒く見えると行っても、真っ黒じゃなくて、例えるなら、月から宇宙を見たときの周りの黒さが一番近い。ボクは宇宙が見えていると言ってもいいかもしれない。
だから、みんなが、今日はいい天気だ、とか、雨が降りそうな雲だ、とか、夕焼けが綺麗だ、とか言ってもボクには何のことかさっぱりわからない。
だからボクはつい最近まで天気なんかどうでもいいと思っていた。けれど、一度だけテレビで見たにじ、というものをこの眼で直接見てみたいと思った。
ボクはいつも通り学校に行って、屋上から見えるはずのない空を見上げる。小学校の頃からのボクの日課だ。見えないとわかっていても、いつかは見えるんじゃないかと淡い希望を胸に抱き寝転ぶのだ。
ヒンヤリとした無粋なコンクリートが、朝の気温と混じって背中を拒む。
今日のいつも通りはいつも通りじゃなかった。屋上に来客だ。錆び付いたドアが不快な金属音を奏でてくれる。上がってきた彼女はボクに気付かずに給水タンクに登り始めた。
「あー、委員長?
もし死ぬ気なら死に場所は選んだ方がいい、ここは立ち入り禁止だから。それと、あー、……その下着が見えてる」
彼女は赤くなり梯子から手を離した。ストンと見事に着地し、ボクの方に振り向く。
「あなた何でこんな所にいるの? いつも時間ギリギリに教室に入ってくるくせに。それにここは立ち入り禁止よ」
「それさっきボクが言ったよね」
「う、うるさい。こんな所であなた何してるの?」
「空を見てた。いつもと変わらないただの空。ボクは違った空が見たいんだ」
「何言ってるか解らないし、今日は一週間振りに雨が降るって天気予報で言ってたわ」
「雨が降る時って空が雲で覆われるんだよね?」
「なに当たり前の事言ってるのよ、頭でも打ったの?」
「……当たり前か」
「私は先に戻るわ、あなたも遅刻しないように」
彼女が屋上からいなくなってから予鈴がなるまでボクは寝転がっていた。
教室に入ると、ボクの幼なじみと委員長が何やら言い合っていた。幼なじみは残念ながら女の子じゃないけど、唯一ボクが空を見えない事を知っている。
「どうしたの?」
「何でもない」
幼なじみはぶっきらぼうにそう言って、席に着いた。きっと、ボクの頭がおかしいとでも言って幼なじみを怒らせたんだろう。昔からボクが空のことを言うとほぼ間違いなくこうなる。
「にじが見たいんだけどどうすればいいと思う?」
「いきなりどうした? 空の事には興味なかったのに」
「にじをこの目で見たくなって」
「そりゃ協力したいけどさ、空が青く見えないのに無理じゃないか?」
「やっぱりか。いや、いいんだよ。ボクが諦めればいいだけだから」
ボクは机に顔を伏せると、幼なじみに襟首を引っ張られて、危うく椅子から落ちそうになった。
「行くぞ」
「どこに?」
「物理のおじいちゃんのとこ。
にじって要は光じゃん、だから物理だろ」
「えっ、授業は?」
「サボれ。大丈夫だ、優等生はサボっても咎められない」
「ボクは赤点常連なんだけど」
ボクの訴えは無視され、物理教師が棲息する物理準備室へと連行された。昔っから幼なじみはお節介だ。でも、それだけ優しい事を知っている。
幼なじみは物理準備室の扉をこじ開け、椅子に座り船を漕いでいるハゲ頭をぺしぺしと叩いた。先生は状況が把握出来てないようで、目をパシパシと開いていた。
「先生、にじってどうやったら見えますか?」
「虹ならプリズムに白色光、つまり蛍光灯の光や太陽の光を当てれば見ることが出来る。まあ厳密にはちと違うが。やってみるか?」
先生が何か準備をするために実験室に入っていった。
ボクは幼なじみの腕を引っ張って廊下に出る。授業のない先生に見つかり面倒なことになるのを避けるために、職員室から一番離れた階段を上って屋上の扉を開ける。
「どうした、にじは良いのか?」
幼なじみは頭にハテナマークを浮かべている。
「もういい。今まで通り、空は気にしない。授業も終わる頃だし、ボクは戻るよ」
ボクはそれだけ言って踵を返し、屋上の扉を力任せに閉めた。
ボクが教室に戻っても、幼なじみはしつこくつきまとって来た。それは教室全体の空気を重くするには十分な出来事だ。その中で流石は委員長、クラスをよくすべくボク達の間に入ってきた。
「あなた達、一体どうしたのよ?」
「どうもこうも、コイツがにじを見たいって言うから手伝ってんのに、もういいって言うんだよ」
委員長だけでなく、クラス全体でワケがわからないといった顔をした。
ボクは、もういいと叫び、机に突っ伏した。
「でも虹は見ようとして見れるようなものでもないし、見るなら神頼みじゃない?」
「なんなら、今日の夜の流星群にでも願えば? 流れ星とは少し違うけど」
クラスメイトの一人が口を挟んだ。
「もういいんだってば! それ以上喋るな。にじを見ることがボクにとってどんな事か知らない癖に……」
ボクは鞄を持って教室から出て行った。
今日はもうあんな所に居たくない。
「子供みたいに拗ねやがって」
幼なじみが呟いた言葉はボクの耳には届かなかった。
その日の夜、雨が降る中で二つの人影が屋上にあった。
「なんで、委員長までここにいるのかなぁ?」
「あなた達が喧嘩してるとクラスの雰囲気が悪くなるから、その行く末を見届けるためよ」
「嘘付け、お前アイツの事が気になるだけだろ」
「ち、ちがっ、違う。好きとかそんなんじゃなくて、別に……」
「そんな事はどうでもいいから、何でここがわかった?」
「そんな事はどうでもいいじゃない」
「よくねえよ」
ボクは屋上の扉を開けた。そこでは幼なじみと委員長が空を見ていた。雨は止んでいた。
幼なじみがこっちを見て、遅かったな、と笑った。ボクは、雨がやむのを待ってたんだ、と笑い返した。
雲の切れ間から光が一筋舞い降りる。それに続いて幾筋もの星が尾をひいた。繰り返し繰り返し、降り注ぐ。
ボクは、にじが見えますように、と燃え散る大量の岩屑に願った。そして絶対に見ると決意した。
流れ星、空を見上げればいつでも見える炎。ボクが毎日見ている炎。ボクだけの焔。この焔は消しちゃいけない、そんな気がする。
空未だ見ずで、そらみみ。
いかがでしたでしょうか?
5分企画用に書いたのですが、納得がいかなかったので普通に公開です。