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【前編】コキン神話によろしく

今年の年末、世界は滅ぶらしい。マジかよ

 信じる者に救われたくって、こんなところまでやって来た。

 遥かな海を越え、猛き銀嶺を越え

 あの夜を越えてやって来た。

【神】という人造の尺度で語れば、人のスケールに落としてしまうことになるけれども、我らは彼を最上の者として、畏れ多くも【神】と呼ぶ。

 英雄になることは求めない。

 讃美歌は、彼方火天球には届かない。すべての願いは届かない。

 隔絶した絶対の存在。

 気づけば頭上に煌めく太陽のように、貴方の生存を照らします。

 それがコキン神なのです。



 ──────────・・・


 

 おねーさんにナンパされてウッキウキで喫茶店に入ると宗教勧誘であった。以上の根拠に基づいて世界はクソである。

 更におねーさんが言うには、今年の年末と同時に世界は破滅するらしい。なるほど律儀な破壊神だ。きっと生意気な親戚のガキにお年玉を払いたくないのだろう。俺と同じである。親近感湧いちゃうわね。



 店内のカレンダーに目をやれば、太字の【8】の隣にスイカとパラソルのイラストが置かれている。灼熱の真下、窓の向こうではアスファルトが焼け、打ち水が気化して霧を噴き上げていた。

 裏返った蝉が鳴く。血飛沫吹き上げスイカが割れる。流しそうめんが俺から逃げてゆく。夏だ。しかも絶望的な夏だ。

 どうも世界の終末までは、あと四か月の期間があった。なるほど何かを為すには短いが回顧するには長すぎる。

「えっと、なんで滅ぶんでしたっけ」

「はいぃ、欲に呑まれこの美しき世界を自分たちの為に破壊し資源を貪る人類にコキン神はお怒りになられたのですぅ」

「それはアレですか。ノアの……」

 別の神話を話題に出して変な逆鱗に触れるのも嫌だったので適当に流す。

「そノ、アの、洪水とかが、ばっしゃーん的な」

「いえ。温暖化で人類は炎に焼かれます」

「ほーん……」

 蝉しぐれが肌にペタペタ降り注ぐ。しゅわしゅわ弾ける。


 本日の最高気温は四十一度と誠に殺人的な夏だ。こうなってくると人体発火にもちょっと納得しそうになるが、しかし多分、人は燃える前に死ぬんじゃなかろうか。まだ北極の氷が溶けて海面上昇するとかの方が人を騙せる気がしないでもない。

 太陽を見上げればギラギラと白い。網膜に残る光の塊にくらくらしていると、おねーさんが追加でアイスコーヒーを注文した。

「喉乾いちゃいました」

「そら、そんだけ喋れば」

 俺も何か注文しようかとメニュー表をチラ見して、特製オムライスの値段だけ眺めて満足した。うん。お腹いっぱい。

 鳴る腹を貧乏ゆすりで慰める。時間だけ持て余すクソ大学生には金が無かった。財布を開ければ懐からの涼風が吹き、閑古鳥の鳴き声がアホーアホーと聴こえてくる。頭突っ込んで叫びたい。さぞ冷たかろう寒いかろう。

 おねーさんのアイスコーヒーをしばし待つ間、賜った聖書(的なアレ)を一緒に読み、課金神話なるものの設定(のつもりは無いのだろうけど)を学ぶ。

「コキン神話です」

「すみません」

 鈍器にしては頼りない程度の厚さを誇る教本には、おそらくコイツがコキン神であろう異形のクリーチャーが描かれている。唯一神にして太陽におわすコキン神は、鳥の頭と蛇の胴体、猫のしっぽを持つらしい。中々難儀な神である。


 片肘突いてパラパラめくれば、胡散臭い文章が次々と掘り起こされる。気分はゴッドハンドであった。

 コキン神は『人類創造の遥か昔より天に座しながら、この宇宙全体を見守っており、その慧眼を以て種々の愚行を見抜き、絶滅の罰を与える』らしい。

「なるほどねえ」

 肘に支えられた納得は軽い。

 こんなになるまで人類をほっとくとは、まったく確かに慧眼である。部屋にゴミ袋の溜まっていそうな神だ。なんだ、あまり俺と変わらんではないか。

 更におねーさんが言うには、種の絶滅のすべてには、このコキン神が関わっていたと言う。

「……まさか人間に滅ぼされた動植物は」

 おねーさんは神妙な面持ちで頷く。

「コキン神の意志です」

 マジかよ俺たちコキン神の手のひらの上だったのか。

 ゾッとして本に視線を落とす。あ手ぇ無いわコイツ。



 しばらくして店員さんがアイスコーヒーを持ってきた。

 おねーさんは慌てて聖書(仮称)を仕舞った。しかし俺がぬぼーっとしていると顔を赤くして「早く仕舞ってください」とあわあわなさる。果たして見られて恥ずかしいもんみたいな態度を取ってコキン神に怒られんのだろうか。


 俺が本を卓の下に仕舞うと、おねーさんは胸を撫でおろして店員さんからアイスコーヒーを受け取った。卓上の角砂糖とミルクを全部入れて嬉しそうに飲む。混ぜるスプーンがじゃりっと鳴った。甘党さんらしい。

 おねーさんの長い黒髪は自由落下運動によってストンと落ちて、その端は全てばっさり断たれている。ヘアスタイルとして整えていると言うよりはお洒落に興味が無いように見えた。白とブルーの服も淡白に清廉である。


 どうも宗教に傾倒し、じゃんばらやじゃんばらやーなどと大麻おおぬさを振り回しているようには思えない。艶やかな唇も澄んだ肌も、一見して普通のおねーさんであった。なんなら美人な方である。

 そんな彼女が、なに故斯様な宗教にお嵌りになられ腐ったのか、果たして世界は不条理だ。

 宗教とは人の心を救うもので、全世界的に見れば普遍的な文化概念である。

 しかし此処日本において、新興宗教の印象が悪いのはしょうがない。未知に対しての先入観と偏見は、身を守るための普段着兼鎧である。これも我らの生存戦略なのだ。

 果たしておねーさん達コキン教徒が、衆愚にどのような教えを伝授してくださるのかは存じ上げない。【幸せになれる方法】【死後天国へ行く方法】(コキン神のお近くに行く方法かもしれない)なんぞを、お幾ら万円で吹き込んでくださるのか、今はまだ不明だ。


 みんな幸せになりたい。

 それを否定してしまっては、人には何も残らない。

 ただ、『幸せになりたい』と『何もしたくない』は両立するわけで。

 これからおねーさんがどれだけ甘言を並べようと、こっちの水へと誘おうと、俺はまるで樹木のように──ただし根を張る大樹ではなく、水中に腐り朽ちた古木のように──動くことはない。不動である。ただし不動なる意思はない。

 動かないことと動きたくないことは違っていて、俺は完全に怠惰なる後者だ。

 己の愚かさに自覚的になると、彗と意識は垂れ下がった。あらゆる意欲が萎えてゆく。


 熱を忘れた心地のまま、おねーさんを見やる。アイスコーヒーのグラスは、美人に口付けられて嬉しそうに結露を流した。そして件の美女は幸せそうにニッコニコだった。

「旨いすか?」

「めっちゃ美味しいです」

「おーそれは……」

『良かった』と。続ける前に。

 ぱりんと皿が割れるみたいに、何処かで激しく風鈴が打ち付けた。

 それは脳のスイッチを切り替える危機的な音だった。

『旨いアイスコーヒーでは、この人は満足できないのだろうか?』

『こんな無為な時間で別のことに打ち込んでいれば、おねーさんは神なんぞ関係なく、瞬く間に幸福になれるのではなかろうか?』

 フと思って、心中首を振る。俺にそんなことを宣う資格は無い。

 腐るほどの時間を持て余し、しかし金が無いことを行動しない理由に据えるこんな愚か者が、自らの尺度で他人を語るなど在ってはならない。

 これが彼女の幸せなのだ。

 コキン神の設定ではないを必死に語るおねーさんは、若干の舌足らずながらも饒舌だった。


 元々口数が多いタイプでないのは肌で理解された。俺も同じタイプだからだ。俺がこのおねーさんにノコノコ付いて来てしまったのは、同類であるという予感があったからなのかもしれない。

 違ったらヒロイック性皆無のあっぱらぱーであることがバレてしまうので是非そうであって欲しい。

 おねーさんは、きっとマジで好きなのだ。飢饉神が。

「コキン神です」

「マジすんません」

 結局世界などというものは、自分の視点でしか見ることは叶わないのだから、俺が事実だと思っていれば事実だし、嘘だと思えば嘘だ。


 しかし『嘘であろうと救われるならそれでもええじゃないか』と笑える奴こそが、結果的に幸福になれるのではなかろうか。世間は現実逃避と謗るものの、救ってくれない現実に縋っていて、何が変わると言うのだ。

 嘘では駄目で、事実でしか幸せになれないなどという──信仰は、真面目なのではない。ただ頑固なだけだ。

 心とは、信じられる物体Aと、信じられない物体Qで出来ている。そしてその両方は不実在性のシステムだ。

 故に心を救うのは、やっぱり不実在のアンサーだけで、それは時に【信仰】という言葉となって俺たちに降り注ぐ。

 大事なのは信仰だ。

 奇しくも、信仰なのだ。

 心という天秤は、信じられない世界の中で、唯一と輝く信じられる貴方を探す。

 誰もが絶対的な神を探している。諦める理由を探している。

 おねーさんの手元を見やる。砂糖とミルクにかさ増しされたアイスコーヒーは、まだまだその体積を無くさない。

 暇な時間は、もう少し続くようだ。






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