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【完結】アイドルの君が死んだ後  作者: 雪村
12章 千秋楽
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71話 分岐点

アイドルだった君へ 〜松野世奈〜

「凛奈と結婚」


 凛奈の自宅のリビングであたしは呟く。何1つ音が無いこの家では小さな声も反響していた。


 あたしは自分の唇を人差し指でなぞってみる。もう凛奈の体温は消えているけれど、感触は皮膚に刻まれていた。


「最悪…」


 色々とタイミングが悪すぎた。せっかく決意したことも凛奈の言動によって簡単に揺らいでいる。


 凛奈から離れる。というより逃げる。そんな選択をプロポーズの予約で覆い被されてしまった。


「結婚、か」


 そんなこと全く考えなかった。むしろそんな未来があるとは思ってなかった。嬉しいのに苦しい。


 あたしはリビングのソファに座りながら空いている隣の席を撫でる。


「そういえばゲームもまだ途中だっけ」


 2人で交代しながら進めていたゲーム。確か中盤辺りで終わったきりだ。


「お互いゲームに慣れていないから進行度が遅かったんだよね…」


 凛奈はアイテムの使い方を全然覚えられないし、あたしは操作をすぐ間違えるしで何度失敗を笑ったことか。


 失敗を笑われることが嫌いでも、あの失敗を笑ってくれたのは楽しさに繋がった。


「………」


 凛奈の笑顔と優しく撫でてくれる手を思い出したあたしは身体が一気に熱くなる。それと同時に寂しさが襲ってきた。


 あたしは居ても立っても居られなくなり、スマホを持ってリビングを出て行く。


 向かう先は寝室。そしてクローゼット。


「ごめんなさい」


 誰にも聞かれないのに謝るあたしはクローゼットの扉を開けると、凛奈の服を取り出す。


 あたしと再会した夏に着ていたノースリーブのワンピース。そこに纏わりつく香りを吸い込むように鼻へ押し付けた。


 そうすれば瞬く間に力が抜けていく。床に座り込んだあたしは一心不乱に凛奈の香りを抱きしめた。


「やだよ、本当に嫌だ…」


 自然と出てしまう想いは何に対してなのか自分でもわからない。


 途中で凛奈の香りを感じられなくなったあたしは鼻から服を遠ざけて部屋の空気を吸った。


「しわくちゃになってるし」


 こうやって服を抱きしめるのは今回が初めてではない。寂しくなる度に同じ服を嗅いでいるせいでワンピースには皺がついていた。


「……もうこの服を着た凛奈は見れないんだよね」


 夏に着ることしかないノースリーブのワンピース。凛奈の服は色々と見てきたけど1番これが好きだった。


「案外覚悟は出来ているのかな」


 もうこのワンピースは見れない。そう思っている時点であたしは離れる選択を強く望んでいるのだろう。


 でもこの選択は確実に凛奈を傷つける。そしてあたしにも深い傷と後悔は残る。


 けれど未来を見据えた先にはきっとお互いの呪縛は消えているはずだ。


『凛奈と世奈さんは、離れた方が幸せになれる』


 聞こえてしまった凛奈とお母さんの会話。もしかしたらそれが1歩踏み出すきっかけになってくれたのかもしれない。


 今はプロポーズもどきで心が揺らいでいるけど、明日になれば離れる気持ちが大きくなるだろう。


「……もう少しだけ頑張ろう。あたしなら出来る」


 あたしは凛奈のワンピースをクローゼットへと戻し、持ってきたスマホを開く。


 メッセージアプリの個人トーク欄。受け持ったクラスメイトとの集合写真のアイコン。


 そのアカウントの持ち主である叔父さんへあたしは電話ボタンを押した。


「もしもし」

「世奈か。どうした?」

「今、大丈夫ですか?」

「ちょうど学校から帰ろうと車の中だ。何か話したいなら構わない」

「あたしが児童心理治療施設に入所する許可をください」

「……決めたのか?」

「はい。どういう施設かはこの前メッセージで話した通りです。後は保護者である叔父さんの許可さえあれば相談所に行けます」

「あっち側の人達にその話は?」

「まだしてません。でもお母さん達には叔父さんの許可が降り次第するつもりです。保護者である叔父さんと相談して決めたとなれば何も言われないと思います」

「篠崎凛奈さんには?」

「直前に話します」

「世奈はそれで良いのか?」

「それしかありません」


 何を今更と思ってしまう。元々は叔父さんが火を付けたようなものではないか。


 あたしは少し乾いた笑いを出しながら寝室のベッドに腰掛けた。


「今日、プロポーズされたんです。まぁ予約みたいなものですが。あたし凄く嬉しかったんです。嬉しかったんですけど……それはあたしの幸せには繋がらないって思いました」


 自分でも不思議に思うくらいスラスラと言葉が浮かんでくる。セリフなのか本心なのかもわからない言葉が。


「あたしにとっての幸せは凛奈の側から離れることなんです。やっぱり、根はちゃんとオタクですね。アイドルと結ばれるのを拒否している」


 涙は流れない。視界も潤むことはない。これは素のあたしなのだろうか。


「俺は世奈が施設に行くことは構わない。人様に預けるよりもよっぽど良い選択だ。けれど伝え方は間違えるなよ。相手は今、精神崩壊までとはいかないが1ミリでも間違ったら崩れるような状態だからな」

「わかってます」

「じゃあもう1回聞く。本当にこの選択で良いんだな?」

「はい。これは初めて自分で選んだ道です。後悔はしても自分で何とか出来ます」


 叔父さんからぶっきらぼうな返事が聞こえて一旦会話は止まる。もしかしてぶっきらぼうは松野の遺伝なのだろうか。


「次のカウンセリングはいつだ?」

「一応、明後日です」

「なら俺も参加する。まずは主治医に施設について詳しく聞いてからだ」

「でも平日ですよ?まだ高校は冬休み入ってないですよね?」

「気にするな。明後日の午前中にはそっちに行く。何かあったら連絡してくれ」

「…はい」

「それじゃあな。身体暖かくして寝ろよ」


 叔父さんが電話を切ったのを確認してあたしはスマホを閉じる。


 遂に言えた。言ってしまった。でも詰まっていたものがスッキリと流れ落ちたような気分になる。


 明後日、先生には焦りすぎと注意されるだろうか。別に怖くはない。だって1番怖いのは…


「どうやって説得させよう…」


 1ミリでも間違えば凛奈は壊れる。じゃあその1ミリに触れないようにはどうすれば良いのか。


 選ぶことは出来てもまだまだ問題は沢山あった。けれどもこれはあたしにとって夜明けが訪れたのと同じ。


 大人という錘を拒否して、自分の幸せを見つけるための分岐点だ。

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