64話 初めて告げた少女の想い
「はじめまして。どうぞ座って良いですよ」
「…はい」
番号札が呼ばれてあたしはお父さんお母さんと別れる。そして個室の扉を開けばふくよかな男性がにこやかに微笑んでいた。
「松野世奈さんですね」
「はい」
「本日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
意識しなくてもあたしのぶっきらぼうは発動する。これから悩みを打ち明けるというのに反抗的な態度を取ってしまった。
それでも先生は笑みを崩すことなくパソコンとあたしを眺めている。
「17歳。高校生かな?」
「…学校には行ってないです」
「そっか。最近はよく眠れている?」
「まぁ、はい」
「ご飯は食べれてる?」
「はい」
ダメだ。喋ろうと思ってもどうしたら良いかわからない。
どのタイミングで何を話そうかと考えていると逆に頭が白く染まり出す。
まずは自分のことを考える。そう言い聞かせても頭の中は凛奈で埋め尽くされていた。
「一応、30分以上の時間はあるからゆっくり喋ろうか。でも無理して喋らなくて良いよ。辛くなったら遠慮なく終わりたいって言ってもらっても構わないし、話したくなったら僕の言葉遮っても良いからね」
「わかりました…」
先生は子供に言い聞かせるように話してくれる。ここでも子供扱いか。
いや、心療内科の先生って誰しもがこんな感じなのかな?お母さんに勧められなければ縁のないものだったので何もわからない。
「松野さんは凄いね。ちゃんと受け応えが出来るんだから」
「えっ?」
「中には喋れなくて無言の人も居るんだよ。それが悪いわけじゃないけど、受け応えしてもらえた方が話す側としては安心するよね」
先生はパソコンをカタカタといじりながらあたしを褒めてくれる。
視線は画面と行ったり来たりだが、ちゃんとあたしの目を見てくれているのがわかった。
「……あたし、ぶっきらぼうですよね」
「ぶっきらぼう?そうかな?」
「そう思います」
自分でも自然とこちらから話したことに驚いた。しかし先生はそんなあたしをすんなり受け入れるように返事をしてくれる。
この人はプロだ。ならもう少し頑張って話してみよう。早く解決させるためにはこの時間を無駄にしたくない。
「ちなみにどういうところがぶっきらぼう?」
「話す時とか…」
「声のトーン?」
「トーンとか態度とか…」
「なるほどね。感じ取り方は人それぞれだけど、自分自身がそう思っているならそうなのかもしれないね。僕以外でもぶっきらぼうになる?」
「はい」
「初対面の人は苦手?」
「初対面っていうか、特定の人以外と関わるのが苦手です」
「そっかそっか。特定の人のこと聞いても良いかな?」
「………好きな人とその家族です」
少し俯きながら先生に教えると納得したように頷いてくれる。改めて好きな人と口にするのは恥ずかしくなるが間違ったことではない。
「その好きな人とは上手くいっている?」
「……」
人間関係で考えれば順調だ。喧嘩なんて未だにしたことないし、最近は久しぶりにキスしてくれた。
でもすぐに答えられなかったあたしの中には何か突っかかるものがある。
「その…」
「時間は沢山かけて良いよ。言葉にするのが出来なくても、自分の想いを認識するだけで凄いことだからね」
先生はそう言うけど、認識は既にしているはず。なら後は伝えるだけ。
口の中は乾き始めて視線があちこちに動いてしまう。
それでもあたしは、この現状を変えたくてここに来たんだと思い出す。お母さんに勧められて始まったことだけど、ここで逃げたら何も変わらない。
勉強も両親からも逃げてきたあたし。でも凛奈のことでは逃げたくない。
膝の上で強く手を握りしめて先生の目を見た。
「迷惑、かけてると思います」
「例えば?」
「あたしのこれからのことについて沢山悩ませてしまいました。だから昨日倒れちゃったんです。今はこの病院で入院しています」
「なるほどね。ちなみに今日ここに来てくれたのは誰かの紹介?」
「お付き合いしている方のお母さんに教えてもらいました。どれくらいあたしのことを知っているかはわからないけど、とても心配してくれているので」
「素敵な人だね」
ずっとにこやかに微笑んでくれる先生にあたしは強まる力を抜いていく。
柔らかい雰囲気は凛奈とは違う安心感を与えてくれて、いつの間にか敵意のようなものも消えていた。
「松野さんはこの先の人生をどんな感じで描いている?」
「わかりません。学校も途中から行ってないし、人と関わることも怖いです。でも……」
「うん」
「その人とは離れなきゃいけないって考え始めてます」
言ってしまったと直後に思った。
でもずっと喉につっかえていた想いを口にした時、あたしの心は途端に軽くなったのだ。
それと同時に涙が数滴頬を伝う。泣きたい感情なんて無いのに静かに目から溢れ出た。
「ずっと悩んでいたんだね」
「はい」
「辛かったね。頑張った。今日、ここで松野さんと出会えて僕は嬉しいよ」
「はい」
変に喋ると声さえも出なくなりそうだ。先生が差し出してくれたティッシュで涙を拭きながらあたしは首を縦に振っていた。
「でもね。そんなに焦る必要はないんじゃないかな?」
「え…?」
「相手のことを考えると早く早くってなっちゃう気持ちは十分にわかる。けれどその人と離れるにしても、一緒に居るにしてもある程度の時間は必要だ」
「……」
「今日はとりあえず、これをやってみよう」
すると先生はテーブルの上に置いてあった紙とペンをあたしの前に置く。真っ白な紙は線1つ書かれていない。
「ここに今の想いを書いてみて。文字でも良いし絵でも構わない。汚くても綺麗でも良いから自分の頭に浮かぶことを書いて欲しい」
あたしは先生と紙を交互に見た後、導かれるようにペンを持つ。
そして震えそうになる手で抑えながら紙の上にペンを走らせた。
【どうしたらいいかわからない】
「そうそう。そんな感じで書いてみて。自分の想いに素直になって」
「はい…」
残された時間であたしは自分の想いをひたすら綴った。
初めてのカウンセリングは良い結果になったと言える。その証拠にあたしの心は凛奈が目覚めた時よりも穏やかになっていた。




