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【完結】アイドルの君が死んだ後  作者: 雪村
6章 不幸に見えて幸せな人 〜松野世奈〜
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41話 壊れた自分が死んだ後

 あたしはお父さんの質問に答えることが出来なかった。曖昧な返事さえも口から出なかったのだ。


 無言になってしまったあたしを見て、お父さんが話を切り上げてくれたのが10分程前のこと。


 シメ無しの鍋を食べ終わったあたしは、お母さんに教えてもらった洗面所の前に立っている。


 あの強烈なニンニクの香りは歯磨きだけで収まってくれるだろうか。


 無表情のまま歯ブラシを動かす。久しぶりに自分のこんな顔を見た気がした。


「大丈夫かな?」


 歯磨きを終えたあたしはニンニクの香りを気にしながら立ち去る。後は凛奈が居る部屋に戻って寝るだけだ。


 途中、リビングに顔を出せばお父さんとお母さんが後片付けをやっている姿が目に入った。


「何か手伝うことはありますか?」

「ああ、歯磨き終わった?手伝うことは無いから大丈夫だよ。私と父さんに任せちゃって」

「世奈さん。おやすみ」

「わかりました。おやすみなさい。お父さん、お母さん」


 凛奈以外に「おやすみ」を言うのは久しぶりだ。2人は笑顔で頷いてくれる。


 それでも心が温まった時間は一瞬だけだった。


 リビングの扉を閉めて暗い廊下を歩いて行く。


 幸せな空間のはずだ。暴力も罵声も無い家庭。美味しいご飯も綺麗な服も出せる安定さ。そして何よりお互いを人間と認めて支えている。


 でもこの幸せはあたしのものではない。例え凛奈の恋人だとしても部外者と等しい存在だ。


「捻くれすぎ…」


 幸せな空間に迎え入れてくれたことを素直に受け取れば良い。なのに、あたしはどうしても悲観的に捉えてしまう。


 行き場のない想いを消化するように頬をつねった。


「凛奈?」


 教えて貰った凛奈の部屋に到着したあたしは静かに扉を開く。起こさないようにと顔を覗き込めばベッドでぐっすり寝ている凛奈が見えた。


 お父さんの言う通り、多少騒いでも起きなそうだ。


 凛奈が寝転ぶベッドの下には布団が敷いてある。きっとあたしが寝るためにお母さんが用意してくれたものだと思うのだが……。


「一緒に寝ようと思ってるのかな?」


 シングルベッドで寝る凛奈は異様なくらいに身体を端に寄せている。まるであたしの場所を確保しているかのように。


 勝手な思い込みかもしれないが、あたしは空いたベッドに腰を下ろした。


 いつも一緒に寝ているからお互いに寝顔は沢山見ている。でも今日の凛奈の寝顔は普段より幼く感じた。


「……甘えん坊で、泣き虫で、かまってちゃんなんですか?」


 小さな声で問いかけてみる。勿論、何も返ってはこない。規則正しい寝息だけが聞こえた。


 あたしは仰向けに寝る凛奈の肩に触れる。


 アイドルを卒業してから少し太ったと本人は言っていたけど全くわからない。むしろあたしの方が太っている気がする。東京に来る前は今よりも痩せていた。


 そんなあたしを太らせようと凛奈が沢山料理を作ってくれたので、体重は少しずつ上がっているのが現状だ。外出せずに家で過ごす日々も関係していると思う。


 でもそれは全部あたしのためにやってくれたこと。過去は支えてもらい、現在は尽くしてもらっている。


「ねぇ、凛奈」


 あたしは肩から手を離して頬へ添える。


「あたしこれからどうすれば良いと思う?」


 高校に通っていない17歳。人とのコミュニケーションもぶっきらぼうでまともに出来ない。


 勉強も頑張れなかった人だし、それを補える取り柄さえも何もなかった。


 そんなあたしがこれからどうやって社会で生きていけば良い?


「あのね。凛奈に連れ出された時点であたしの人生は幸せだって思えたの。もう暴力を振るわれることもないし誰かの理想に縛られることもないから。でも、さ……」


 情けなく言葉が途切れつつある。でも凛奈は寝ていた。これは寝たふりなんかではなくちゃんと夢の世界に入っている。


 なら全て言ってしまおう。言葉にして吐き出さないともっと辛くなる。


 凛奈が起きないことを良いようにあたしは口を動かした。


「結局、終わった後が地獄なんだね…。楽になったと思えばまたひと回り大きい壁が出てくる。凛奈もそうだったの…?」


 凛奈は元々死ぬつもりで地元に来ていた。あたしに会わなければきっともうこの世界には居なかっただろう。


 あたしは凛奈の命を引き留めた。良いように聞こえるけど、命が長引くということは凛奈が苦しむ時間を増やすことと同じ。


 もしかしたら今も次の壁に当たっているのかもしれない。


「ごめんなさい…。やっぱりあたし、負担かな?」


 起きて欲しくないのに心の何処かでは起きて欲しいと願ってしまう。


 でも凛奈は起きなくて気持ち良さそうに寝ていた。


 あたしはそんな可愛い姿に口角が上がる。凛奈の頬に置いていた手を離して、代わりに唇をつけた。


「おやすみなさい。凛奈」


 ベッドから降りたあたしは敷かれている布団へ横になる。


 目を瞑れば小さなあたしに身を寄せる2人の男女の姿が浮かんできた。17年間共に過ごしたのだ。簡単に消えてくれるわけがない。


 それでも思い出したくなくて大好きな恋人の姿を考えようとする。


「………不安定じゃん、あたし」


 おかしいな。凛奈の顔が思い浮かべられない。


 さっきまでずっと見ていたはずなのに、両親の記憶が上書きされることはなかった。


 滲んでくる涙を拭ったあたしは縮こまるように身体を丸める。未来への怖さに怯える夜を久しぶりに迎えるのだった。


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