38話 恋人は父親似
「凛奈、おかえり」
約1時間かけて凛奈の実家に辿り着いた時、お母さんは優しくそう言った。
凛奈が小さな声で「ただいま」と返事をすれば、あたしも何だか嬉しくなってしまう。
凛奈の実家はオシャレな一軒家であたしの古びた実家とは比べ物にならない。
車から降りた2人の後を着いて行くあたしは色んなことにビビって小さくなっていた。
「父さーん!凛奈帰ってきたよ〜!」
玄関の戸を開けたお母さんは家中に響かせるかのように声を出す。
「凛奈。お母さんって歌の先生でした…?」
「音楽には全く無関係よ。単純に声が大きいだけ」
家の中に入った凛奈は解放されるかのように帽子とマスクを外す。
すると家の奥から大きな足音が聞こえてきた。あたしは過去がフラッシュバックするかのように肩を震わせる。
しかし玄関に居るあたし達の前にやって来たのは獣とは程遠い、柔らかな表情をした男性だった。
「凛奈!おかえり!」
「お父さん。久しぶりの再会なのはわかるけどもう少し静かにして。世奈ちゃんが驚くじゃない」
「ああ、ごめんごめん。貴方が世奈さんかな?はじめまして。凛奈の父です」
「はじめまして。松野世奈です」
「色々と大変だったようだね。また若いのに……痛っ」
「父さん」
凛奈のお父さんは話の途中でお母さんに足を踏まれる。きっとあたしの話題を止めてくれたのだろう。
「ご、ごめん!忘れてくれ。車移動疲れただろう?リビングはこっちだ。どうぞ」
「お邪魔します…」
とても賑やかな家族だ。凛奈は呆れたような態度を取っているが満更でもなさそう。
きっと久しぶりに家族に会えて嬉しいのだと思う。本当にあたしの家族とは正反対。篠崎家はみんな輝いて見える。
そんな光に圧倒されながらあたしはリビングへと入っていった。
「なんか凄く良い香りがします」
「わかるかい?夕飯の鍋を仕込んでいたんだ。凛奈はこれが大好きでね。貴重な帰省の時には必ず作るんだよ」
「アイドルの人間が食べるには程遠い鍋なのだけど」
「とか言いながら毎回嬉しそうにシメまで食べてるじゃない。だから父さんが張り切って年々量が増えているのよ」
お母さんに反撃された凛奈は何も言えなくなって拗ねた表情になる。さっきから全然知らない凛奈を見ている気がした。
それにしても凛奈が好きな鍋か…。レシピ教えて貰ったら作ってあげられるかな。
でもそうしたら凛奈が実家に帰った時の感動が薄れてしまう。ここは敢えて何も聞かないでおこう。
「世奈さんはそこに座って休んでいて。凛奈、あんたはお母さんと一緒に自分の部屋の掃除。春に送ってきた衣服類、ダンボールのまま放置してあるのよ」
「えっ?でも」
「あたしは大丈夫ですよ」
「………そう。ならお母さんと一緒にやってくるわ。でも何かあったらすぐに呼んでね」
「もし父さんに何かされたら叫んでちょうだい。お母さんすぐに世奈さんを助けにいくから」
あたしが笑って返事をすれば凛奈はお母さんと共にリビングから出ていく。
きっとお母さんが2人で話をしたくて片付けを提案したのだろう。ならあたしは邪魔者にならないために大人しくしているべきだ。
凛奈のお父さんは自分が悪者扱いされたことに凹んでいる。
それでも喧嘩にならないのは3人の仲の良さが表れていた。
「そういえば世奈さんはニンニク食べれるかい?嫌いなものがあれば今のうちに言ってくれ」
「特に無いです。お気遣いありがとうございます」
「ハハッ、随分と他人行儀だね。まぁ初対面だから仕方ないか。でも俺に気を遣わなくてもいい。きっと母さんもそう思っている」
「わ、わかりました」
「ちなみに」
「はい…?」
「お父さん呼びはまだ早いかな?」
恥ずかしそうに照れる、お父さん。その姿が凛奈そっくりで心が温かくなった。
あたしは首を横に振ってから呼んでみれば、花が咲いたように笑顔を見せてくれる。凛奈はどっちかというとお父さん似なのかもしれない。
父親からの暴力を受けていたあたしは少しだけ凛奈のお父さんに会うのを恐れていた。
でもそんな恐れは必要なかったらしい。
他人に近いはずなのにこんなに優しくしてくれるお父さんとお母さん。そしてあたしに沢山の愛を伝えてくれる凛奈。
幸せすぎて涙が出そうだ。
あたしはリビングのソファに座って幸せを噛み締める。この家族にもっと早く会いたかった、と思いながら。




