33話 アイドルとの間接キス
私は過去最速でコンビニから帰宅する。
流れるように買い物カゴに商品を入れていたら、店員さんに驚かれてしまった。
きっと私が篠崎凛奈だからというわけではなくそのスピードに目を開いたのだろう。
近くのコンビニでもちゃんとマスクはしているし帽子も被っている。見破られた心配はない。
急ぎ足で寝室へと戻った私は、マスクを顎に下げながら世奈ちゃんに声をかけた。
「ただいま」
「ん……おかえりなさい」
「起こしちゃった?」
「ボーっとしていたので大丈夫です」
「熱のせいね。まずはご飯食べて薬飲んで」
「はい」
私は世奈ちゃんの側に行って身体を起こしてあげる。やはり体温は変わっておらず、熱くて辛そうに見えた。
「凛奈のその姿、久しぶりに見た気がします」
「マスク姿?」
「そうです。あたしが地元で見た時は帽子被ってなかったけど」
「確かにあの時はマスクだけだったわね。そういえば庭園でお話ししたお年寄り覚えてる?」
「覚えてます。凛奈のマスク姿に心配していましたよね」
「ええ。あの時は喉が乾燥しやすいって誤魔化しちゃった。流石に篠崎凛奈だからなんて言えないし」
「もし知っていたら大騒ぎになっていたと思います」
大騒ぎを想像したのか世奈ちゃんは小さく笑う。そんな無邪気な笑顔を見て何だか悪戯心が生まれた。
私は、マスクと帽子を外して世奈ちゃんの頬に手を当てる。
「マスクと帽子被っている私と、いつも通りの私。どっちが良い?」
「え…?」
いつもの世奈ちゃんならしどろもどろになるはずだ。たまに私をからかう返答をするけど、それはごく稀と言っていい。
それに元々世奈ちゃんは私のファンだ。
私からグイグイ行けば顔を真っ赤にするのが通常だと認識している。
「い、言わなきゃダメなんですか?」
そうそう。こんな感じで私が折れてくれるのを待つのだ。
本当に意地悪な質問の時はこの時点で折れてあげる。でも今日はもう少し粘ってみようかな。
「どっち?」
「うう……。いっ」
「い?」
「いつもの、凛奈?」
「ふふっ。ありがとう」
今日は頑張って答えてくれる日のようだ。ご褒美にコンビニで買ってきた物を食べさせてあげよう。
満足になりながら袋に手を入れたその時だった。
「でも」
「ん?」
「あたしはどっちも良いと思います…。凛奈はなんでも似合うから」
袋を漁る手がピタリと止まる。
熱がある時って素直になりやすいとか聞いたことあるけど本当だったらしい。
私は抱きしめて頭を撫でたい衝動を抑えながらお礼を言う。ちょっと声が裏返ったけど世奈ちゃんは気にしてなさそうだ。
「では嬉しいことを言ってくれたご褒美にゼリーを差し上げます」
「あっ、桃のゼリーだ」
「結局何食べたいか聞きそびれちゃったから私の好みで選んだわ。食べれそう?」
「はい。ありがとうございます」
以前、私が熱を出した時に世奈ちゃんが買ってきてくれた桃のゼリー。同じ物が売っていたので迷うことなく購入した。
熱はあるがフラフラではないのでしっかりとスプーンを持って食べ始めている。
私はベッドに腰掛けてその様子を見守っていた。
「……食べますか?」
「えっ?いや、そんな意味で見ていたわけじゃないわ。世奈ちゃんが食べちゃって。ちゃっかり私の分も買ってあるし」
「そうですか」
世奈ちゃんは少し不機嫌そうに返事をする。もしかして貰っていた方が良かったのだろうか。
今日はいつもと違う反応が返ってくるから珍しく戸惑ってしまう。
そういえばあの時は私が無理矢理食べさせたんだっけ…。
「世奈ちゃん」
「はい」
「やっぱりひと口だけちょうだい。果肉じゃなくてゼリーの部分でも良いから」
「でも自分の分あるって」
「ダメ?」
「うっ…」
私は世奈ちゃんの弱点でもある首を傾げる仕草をした。卑怯かもしれないけど、これをすれば大体許されるのだ。
ただ単に軽く首を倒すだけなのにファンには刺さるらしい。
「あ」
軽く私は口を開ける。世奈ちゃんはプラスチック製のスプーンを持ち直した。
「……どうぞ」
わざわざ桃の部分を掬って私へと向けてくる。スプーンを持つ手が緊張したように揺れていた。そんな手を私は優しく掴みながら誘導する。
「ん」
「どう、ですか?」
「凄く美味しい」
相変わらず冷たい手だ。この手だけに触れていると熱を出していることを忘れてしまいそうになる。
そんな手から伸びる腕は、薄いアザが見え隠れしていた。
「美味しい」
再び同じことを言えば世奈ちゃんは嬉しそうに微笑んでいる。私の口に入っている桃の味がいつもより濃く感じた。




