25話 人生の脱出
父親は壊す勢いでクローゼットを開ける。収納してある衣服を乱暴に投げ出すとまた動きが止まった。
「おかしいと思ったんだよなぁ」
あたしは感情を失ったような顔で視線を上げる。散らばった衣服を踏みながら立つ父親。
その奥には隠しておいた凛奈やスターラインのグッズが姿を見せていた。
「友達も作らなくて趣味も持たないお前が何で落ちぶれたのか。……なるほどなぁ。こいつは予想外だ」
父親は過去のあたしを辿っていくように話す。ふらつく身体を壁で支えながらまた頭を掻きむしった。
「そんな大事だったんか?勉強より女が大事だったんか?」
「……」
「世奈ぁ」
声を出す気力も無い。あたしは父親を見ずにグッズに焦点を当てる。
その目線に怒りの感情を吹き出した父親は舌打ちするとグッズに手を伸ばした。
「他の奴なんてどうだっていいだろ!!自分に目を向けろよ!結果出してからがお前の人生なんだぞ!?結果出さないお前は生きる価値なんてねぇんだよ!」
タオル、ポスター、アクリルスタンド。お年玉などのお小遣いでコツコツ貯めた物達。
それが簡単に我を失った獣によって壊される。凛奈の身体もメンバーの集合写真も全てが引き剥がされた。
「こんな女に何の価値がある!?お前の人生に必要ないだろ!!ブス!グズ!どうせ枕営業で成り上がったクソ女め!」
「は……?」
あたしの身体が浮いた感覚になる。首から後頭部にかけて熱が走った。
今までにない感情が心から溢れ出してギリッと歯を鳴らす。「何も知らないくせに」の文字があたしの脳内に纏わりつく。
ダメだ。こいつはダメだ。人間の皮を被った獣なんかじゃない。存在する必要のない物体だ。
あたしは近くにあった辞書を手に持って構える。
「殺してやる」
小声で呟いた言葉は意外にも震えてなかった。
防御が出来ない後頭部なら角を当てることが出来る。少なくとも脳は揺れる。良くて気絶だろう。その間にトドメを刺せばいい。
カッターもハサミもこの部屋にはある。あたしはこの状況に似合わない笑顔を浮かべた。
呑気に背中を向けてグッズを破壊しているよ。後ろであんたを殺そうとしている人間が居るのに。
あたしの好きな人を馬鹿にしたのが悪い。あたしの支えとなった人を破いたのが悪い。あたしをエリートの単語で束縛したあんたが悪い。
あたしは静かにベッドから降りる。片手には分厚い辞書。怒りで叫ぶ物体に興奮が止まらなかった。
「はぁ、はぁ……ふふっ」
獣のくせに近くで息を荒げているあたしに全く気付かない。何だかかくれんぼしているみたいだ。
確か小学校時に1度だけやった気がする。意外と楽しいなと思って終わってしまったかくへんぼがもう一度出来るなんて…!
どうせならもっと近づこう。投げるなんて勿体無い。せっかくなら殴ろう。1番近い距離で。
あたしはまた1歩、足を踏み出した。
すると床が軋む鈍い音が聞こえる。あたしの呼吸が止まった。
「何これ」
階段の下から母親の声がする。
「ビンの破片…?」
興奮していたはずの呼吸は一気に荒くなり、身体中から冷や汗が流れ出した。父親は母親の声に気付いたようでクローゼットに向けていた顔を動かす。
目が、合ってしまった。
「っ、何してんだ!?」
振り返り際に腕を回される。勢いよく飛んできた拳はあたしの頭へとぶつかった。
その瞬間、視界が揺らいで目眩を起こす。持っていた辞書は衝撃によって落としてしまった。
あたしは床に倒れ込む。逆転出来たと喜んだのは間違いだったらしい。
「世奈ちゃーん居るの?パパは?」
わかっているくせに母親は階段下から声をかけてくる。返事が出来ないあたしに構わず何度も名前を呼んできた。
肌に染み渡る拳の痛み。耳に届く嫌味な声。自分の身は自分で守らなきゃいけないのに、殺すことも出来ないあたしは泣くしかなかった。
もしかしたら殺されるのはあたしかもしれない。
目の前には顔を真っ赤にする父親が居る。母親は2階に登ってくる気配はない。多分、いつものだと軽く思っているのだろう。
「世奈ぁ」
「世奈ちゃーん?」
鼓膜を捨てたい。眼球も消したい。もう何も知りたくない。縮こまるあたしがしゃくり上げた時だった。
「え……?」
床に投げてあったあたしのスマホが鳴る。メッセージの通知ではなく電話の音。
滲む視界で目を細めながら画面を見た。
【篠崎凛奈】
時が止まったようだった。あたしは痛い身体を起こしてスマホを手に取る。
父親は助けを求められるかと思ったのか慌てたように声を荒げた。しかしあたしは電話に応答することなく、スマホをベッドの下へと滑り込ませた。
まだ死なない。
立ち上がったあたしは膝を震わせながら父親の横をすり抜けて部屋から出る。
「おい世奈!!」
電話の音は絶えず鳴り響く。それが今のあたしを生かす支えだった。
階段の前にくると母親が見上げながら名前を呼ぶ。
「世奈ちゃ…」
「うるさい!退いて!」
母親はあたしの暴言に理解出来なかったらしく、間抜け顔で軽く口を開ける。父親は怒鳴りながらアルコールが回る身体でこちらに向かってきた。
階段は思った通り酒瓶の破片だらけ。一瞬怯んでしまいそうになるけど、あたしは階段に足をつけた。
降りるたびに破片が刺さって痛い。靴下を履いていても貫通してくるガラスはあたしの顔を歪ませた。
「世奈ちゃん何して…」
「黙って!退いて!」
足の裏が痛い。でもこんなの殴られるよりはマシだ。
母親は口角を引き攣らせながら階段下で立っている。残り2段になった時、あたしは飛んで1階の床に着地した。痛い。でも止まってられない。
「捕まえろ!!」
父親はビビっているのか階段を降りようとはしない。その代わり母親に捕まえる指示を出した。
しかしあたしの方が早く母親に手を伸ばす。横に突き飛ばせば簡単に壁へと退いた。
玄関にあったサンダルに足を滑り込ませて家を脱出する。後ろからは獣達があたしの名前を叫んでいた。
「はぁはぁ、ははっ」
絶望しているのに笑っている。でも足が痛くて上手く走れない。
そんな時、あたしの目線の先に幻覚が見えた。後ろ姿だった女性はあたしの足音と呼吸に気付いたように振り向く。
触れたい。触れても良いからあたしを遠くに連れて行って。追いかけるから、ボロボロの身体を動かさせて。
「凛奈」
少しでも遠くに行けるようにあたしは凛奈の幻覚に飛び込んだ。




