24話 腐りかけの獣
幸い扉は外れることはなかった。それでもネジが緩んだように揺れている。
父親は顔を真っ赤にして髪を掻きむしった。
「世奈ぁ」
「な、何ですか?」
「お前のせいで台無しだ。俺はお前のために生きてきたんだ」
「はい…」
また始まった。父親はお酒を飲むと人が変わったように乱暴になる。
しかしアルコールを入れる前は冷静沈着な性格だ。その反動なのだろうか。
でもあたしが志望校に行けないとわかった時から冷静な父親は見てない。
常に手には酒を持っており、現実を受け入れないかのように流し込む。暴力を受ける時は決まって酒を飲み過ぎた時だった。
「あ゛!本当に嫌になる!!どれだけ苦労したと思って……」
あたしは今日も受け入れるしかない。昨日は軽い蹴りだけで終わったけど、今日は生ぬるいものでは終わらないはずだ。
横目で時計を見ると午後6時を回った頃。母親はまだ塾で仕事をしている。2人相手しないだけでもマシだと思おう。
まだ先日やられた脇腹の傷治ってないんだよな…。もう今更か。
「何処見てんだよ」
「ごめんなさい…」
「何処見てたんだって聞いてんだろ!!」
「い゛っ」
右足を振りかぶった父親にあたしは飛ばされる。机の足に背中を打ちつければ、置いてあった問題集が落ちてしまった。
父親はそれで収まるはずもなく怒り任せで蹴ってくる。我を忘れている獣と同じなのに、服で隠れる場所を蹴るのはだいぶテクニシャンだ。
約4年も手を出しているからそうなるのは必然なのかもしれない。
「うっ…」
あたしからすれば4年も経っているのに何故成長しないのだろうと嫌になってくる。こんな家、出ていくのに等しい。
警察署にさえ逃げ込めば痛みも苦しみも無くなるのは知っている。早く自分の中で区切りをつけなければいけない。
けれど、両親を見ているとこうなったのはあたしのせいだと思ってしまうから逃げ出すにも逃げ出せなかった。
「クッソ!!このゴミ娘が!俺らを裏切りやがった!」
何だか、今日はいつもより激しい。気のせいだろうか。
痛みで朦朧になる意識を保ちながら大人しく暴力を受ける。すると急に父親の蹴りが収まった。
終わってくれたのかと安心したのも束の間。父親はあたしの胸ぐらを掴んでくる。倒れていた身体を強制的に起こしたと思えば、殺すかのように頬を殴られた。
「っ……」
あたしは声が出ることなくベッドへと吹き飛んでいく。これが男と女の力の差か。
頬は千切れるのではないかと錯覚してしまうほど鋭い痛みを広がらせていた。頬を殴られたのはいつぶりだろう…。
もしかしたら最初の暴力が始まった時以来かもしれない。あの時は殴るというよりもビンタだったけど。
「痛い……っ」
この辛さを言葉で出さなければ、もっと痛くなる気がした。しかしそれを父親は気に入らない。
「誰が話せって言ったんだ!!」
机の上にあった辞書を手に取った父親は迷わずあたしに投げつける。角の部分が庇った腕に当たって涙が漏れた。
「イラつくイラつくイラつく…!!」
全てを吐き散らしたいと言わんばかりに暴れる父親。それを怯えながら抵抗できずにいる娘。
壊れた家庭がここにあった。
「お、お父さん…」
「あ?」
ぼんやりした頭であたしは父親を呼ぶ。面倒臭そうに応える返事は、冷酷な父親を思い出せないくらいに別人だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「チッ」
謝ったって聞く耳を持たないのはわかっている。それでもあたしは必死に謝罪を述べた。
暴力は慣れているはずなのに今日は涙が止まらない。心の中で誰かに助けを求め続けている。
もう辛い、やめたい。そう思った時だった。
「何だこれ」
父親があたしに向かって1歩踏み出した時、何か触れたようだ。あたしは顔の前で交差させている腕の隙間から父親の姿を覗き見る。
落ちた何かを取り上げた父親は目を細くしながら凝視した。
「そ、それは…!」
あたしは落ちていた何かの存在がわかる。父親は凛奈の卒業ライブで買った生写真を興味のなさそうな顔で持っていた。
時々思い出すように眺めていた生写真。いつもは机の中に隠してあるが、この前取り出してそのままにしていたみたいだ。
あたしが机にぶつかった衝撃で問題集のコピーと共に落ちたらしい。1番見られたくない人に見られてしまった。
「………」
父親は無言で凛奈の生写真を見つめた後、勢いよく破り出す。
「え……」
何回も破って顔の形さえも作れなくなった生写真は床にポロポロと落ちていった。
その光景にあたしは何も感じなくなってしまう。痛みも、苦しみも、悲しさも、辛さも全て。
父親は破れた生写真を強く踏みつけるとあたしを睨みつける。
「世奈ぁ。お前まさか」
何も返さないあたしに舌打ちした父親は背を向けてクローゼットへと向かい出した。
そっちに行ったらダメ。
頭の片隅では引き止めなきゃと思っている。
しかし全てが無に近くなった今、あたしは動くことなくバラバラになった凛奈の顔をベッド上から見下ろしていた。
「女に夢中になったんか?」




