18話 親子なのに親子じゃない
8月も中旬に入り夏の暑さはより厳しくなっていた。
けれどバイト先の本屋は空調が効いているから、外で活動するよりは楽だと思う。そして今日も今日とてお客様は少ないので気も楽だった。
あれからあたしは凛奈と会ってない。会う以前に連絡さえも取ってない。
だから今凛奈が何処で何をしているかなんてわかるはずがなかった。
「そういえばこの前あった花火大会、凄い人だったね。松野さんは行ったの?」
「いえ」
「そっか。じゃあこれ見てみる?松野さんに見せようと思ってたんだけどついつい忘れちゃって。昨日も一昨日も会っていたのにね。うちは子供と行ったんだけど、その時撮った花火の写真が綺麗に撮れたの」
そんなことを考えながら作業をしていると店長から話しかけられる。こんなあたしを気にかけてくれるのはいつも通り。
でも花火大会の話題はやめて欲しかった。
「ほら、凄い綺麗に写ってるでしょ?会場の所で撮ったから」
「そうですね」
「子供はどっちかって言うと花火よりも屋台だったかな。やっぱり誰しも子供の頃はそうだよね〜」
「……はい」
「それじゃあ引き続きここの作業お願いしても良い?私書庫の清掃しているから」
「わかりました」
スマホをしまった店長はにこやかに笑いながら書庫へと行く。
やっと1人になれた。いや、いつも1人の方が多いのだけど。
こうやって店長と話していると凛奈の前でのあたしは、凄いくらいにテンションが上がっていたと自覚する。
そう考えるとあたしも素がわからないのかもしれない。凛奈の前のあたしが本当なのか、凛奈以外のあたしが本当なのか……。
でも他人にぶっきらぼうになるのは凛奈に会う前からだ。
「凛奈と出会ったのは12歳の時……ってことは結構推していたんだ」
初めて凛奈を見た時は衝撃が走ったのを覚えている。多分あれを一目惚れって言うのかもしれない。
でももう一目惚れの相手はあたしの手が届く範囲にはいない。だってあたしから離れたのだから。
あたしはしゃがみ込んで誰にも見られないように服の中に手を入れてみる。そして、昨日つけられた傷を撫でた。
「いっ…」
当たり前だけど痛い。すぐに服から手を出して目を強く瞑った。
「店員さん。ちょっと良い?」
「えっ?」
しかしすぐに後ろから声をかけられて目が開く。
聞き覚えのある声はあたしの肩を大きく跳ね上がらせた。咄嗟に振り向くと呼吸が止まる。
なんで貴方がここに居るの?
あたしの身体から冷や汗が滲み始めた。
「お、お母さん?」
「お疲れ様世奈ちゃん。お仕事頑張ってる?」
「はい…」
しゃがむあたしは後ろに立つ人を見上げる。そこにはバッチリとメイクを決めて綺麗な服装を見に纏う獣が居た。
あたしは立ち上がってエプロンを整えると恐る恐る母親と目を合わせる。さっきの店長のように笑みを浮かべているお母さん。
同じ表情なのに怖くて仕方ないのはきっと今までのことがあるからだ。
でもここはバイト先の本屋。何かされる可能性は低い。
近くの書庫には店長も居る。ここで手を出される心配はないだろう。
「えっと、どうしたんですか?バイト先に来るなんて…」
「娘のバイト先には来ちゃいけないの?」
「ち、違います!その、今日はお仕事だったと思って」
「お仕事だったよ?世奈ちゃんが頑張っているからママも頑張ったの。でも今日は早めに終わったから来ちゃった。ねぇ後どれくらいで終わる?」
「終わるのはもう少しで…」
「何分?詳しく言わないとママわからないな」
「にじゅ、23分です」
「そっか。それならママ外で時間潰しているから一緒に帰ろう?」
「一緒に…?」
「何?嫌なの?」
「嫌じゃないです…!終わったら、連絡します」
「うん。じゃあまた後でね」
母親あたしに手を振ると背中を向けて本屋から出ていく。冷や汗が上半身を伝って気持ち悪かった。
母親が完全に見えなくなれば、やっと呼吸が出来るようになる。
何気に初めてバイト先に来られた。本当に早く仕事が終わっただけなのだろうか。
「松野さん」
「は、はい!」
すると今度は書庫から戻った店長に声をかけられる。あたしを驚かせてしまったと思った店長は謝りながら隣に来た。
「さっきのお客様は知り合い?」
「あっ、母です」
「お母さん?そうなの?」
「はい」
「なんとなく雰囲気が親子っぽく感じなかったから何かクレーム言われているのかと思っちゃった。書庫だと話し声が聞き取りにくいから余計ね」
「クレームとかでは無いので大丈夫です」
「……本当に?」
「え?」
「ごめんなさい。ちょっと違和感感じたらなんかね。クレームじゃないのはわかった。でも松野さん、大丈夫?」
「大丈夫です。別に至って普通の会話をしていたので」
「けれど顔色が」
「これはいつも通りです。あたしのことは気にしないでください」
腑に落ちない顔であたしを見る店長。お子さんが居る母親でもあるから何かに勘付いてしまったのかもしれない。
でも本当に気にかけないで欲しい。気にかけられる方が辛い。
「わかった。何かあったらすぐ言ってね」
「はい」
これ以上踏み込まないでくれオーラが伝わったのか、店長はそれだけ言ってまた書庫に入っていく。
別に掃除が終わったわけじゃなくて本当に心配で来てくれたらしい。やっぱり店長は優しい性格の人だ。
バイトを始めて1年経ったからこそそう思う。もし、店長があたしの母親だったら……。
「やめようそんな妄想…」
あたしは胸に手を当てて脈を落ち着かせる。後20分でバイトが終わる時間だ。
終わるなら早く終わって欲しい。待つ時間がこんなに苦痛なのは久しぶりに味わった。
凛奈の握手会やスターラインのライブでは待つ時間さえも楽しかったけど、相手が相手だからだろう。
あたしは手を下ろして本屋の出入り口を眺める。もう今日のバイトが終わるまでは誰も来ないはずだ。
「………来ないか」
あたしが凛奈を突き放して数日が経つ。花火大会の日以降バイトには毎日顔を出していた。
だからこそ出入り口を頻繁に見つめてしまう。凛奈ならあの時のようにひょっこり現れるのではないのかと微かな期待を持ったまま。
しかし今日も来なかった。
あたしの中で、1週間経ったら凛奈が完全にこの場所から居なくなったと切り捨てるつもりだ。
でも簡単に切り捨てられるだろうか。
あたしは出入り口から顔を逸らして積み上げられた新刊に手を伸ばす。
そこにはトップアイドルグループ、スターラインの特集雑誌も置いてあった。
彼女達は9月下旬に30枚目のシングルを発売すると発表したらしい。