第9話 経験を重ねて
シルフィスの街に滞在し始めてから一週間が過ぎていた。
ニット君は、セレスさんからプレゼントしてもらった小剣でマックスさんと剣のお稽古に励んでいた。
やはり、木の棒でお稽古をしていた時とは違い、小剣でのお稽古だと迫力が違う気がする。
ニット君の剣は、刀身に刃がない。
だから、紙すらも切れない。
ニット君の腕力からすると、この剣がマックスさんに当たっても怪我をすることはないと思う。
けれど、マックスさんは『ドラゴンバスター』という巨大な剣、しかも刃がある剣を使用しているので、もし何かのはずみでニット君に刃が触れたらニット君は大怪我をしてしまうかもしれない。
そう思うと、見ている私はハラハラしっぱなしだった。
マックスさんは、かなりの剣の使い手だから、うまい具合に寸止めなどしてくれてニット君にケガを負わさないようにしてくれているとは思うけれど、心配にはなってしまう。
「よし。今日の稽古は、ここまでだ」
「え?もう終わりなの?」
ニット君は、物足りないといった表情をしている。
小剣をもらったことで、今まで以上にやる気を出している。
「すまないな、ボーズ。このあと少しだけやることがあるんだ。その後で良ければ、いいぞ」
「うん」
鞘に剣を収めながら、二人が私の方へ戻ってくる。
「嬢ちゃん、セレスが宿屋で昼飯を頼んでくれているから、飯は宿屋で食いな。そのあとは自由だ。用事が済んだら、稽古の続きは見てやるよ」
「はい…その時は、お手柔らかによろしくお願いします」
用事があるマックスさんとその場で別れ、私とニット君は街へと戻っていく。
もうじき、お昼になる頃合いだ。
宿屋に戻ると二人分の食事が用意されていた。
マックスさんが言った通り、セレスさんがあらかじめ注文していてくれたみたいだ。
私とニット君は、お昼ご飯をありがたくいただくことにする。
昼食後、部屋で休んでいると、ニット君がそわそわしている。
「どうしたの?」
尋ねる私に「早く剣の稽古したいなぁ~」と、小剣を鞘から抜いたり戻したりしながら、眺めていた。
「じゃあ、私と剣のお稽古しましょうか?」
私の言葉にニット君は驚いた顔をしている。
これでも、ニット君よりかは剣の腕前はあるはずよ。
「アテナ様、いいの?」
「ええ、マックスさんみたいに指導はできないけれど、少し打ち合いする程度ならできるわよ。行きましょう?」
私はニット君に向かって手を差し出す。
「うん」と元気よくニット君は返事をして、私の手を握った。
私とニット君は、午前中にマックスさんとともに剣のお稽古をしていた場所に来ていた。
いつも同じ場所でお稽古はしている。
街の外に出る際に、ゴブリンの群れが街道に出没しているという話を耳にした。
私たちが今いる場所は、街道から少し離れた場所で街にほど近いので、ゴブリンも現れることはないと思う。
「打ち込んできて、いいわよ」
私は『聖剣エクスカリバー』を鞘から抜くと構える。
ニット君も鞘から小剣を引き抜いて構える。
気合とともに小剣を振り下ろしてくるけれど、マックスさんとお稽古しているときとちょっと違う気がする。
勢いがない。
何かを躊躇っているようにも感じられた。
「どうしたの?ニット君?」
数度、剣を打ち合わせて私は尋ねる。
「えっと…その…」
答えずらそうに口ごもる。
「何を躊躇っているのかしら?」
「それは…アテナ様に怪我とかさせたらどうしようって思ったら…その…」
「ニット君よりは、私の方が強いはずよ。遠慮しないで打ち込んできていいわよ」
「でも…」
私に怪我をさせたくないという理由のようだけれど、嘗めてもらっては困る。
ニット君に負けるつもりは私にはない。
「ニット君が来ないなら、私の方から行くわよ」
剣を振りかぶって見せた時だった。
突然、木々の合間から何かが飛び出してきた。
「ゴブリン!」
私は、叫んでいた。
子どもくらいの体格で、頭に1~3本程度の小さな角を生やしている魔物だ。
人相はかなり悪く、長めの牙が生えている個体もある。
腰を覆う様に動物の毛皮を巻いている。
手には小型のナイフを持ち、集団で行動をすることが多い。
悪知恵が働き、家畜などを襲ったり、野宿している人を襲ったりすることもある。
特に自分より弱い相手には強気で、一人相手に集団で襲い掛かったりする卑怯者でもある。
でもこの時は、2匹が私たちのそばに飛び出してきた。
群れから、はぐれたのかもしれない。
私たちの姿を見つけると、舌なめずりをして様子をうかがっている。
「ニット君、気を付けて」
私は、ニット君の前に位置取り、『聖剣エクスカリバー』を構えた。
「僕だって戦えるよ」
背後からニット君の強気な発言が聞こえた。
彼は、私の脇をすり抜けるとゴブリンめがけて突っ込んでいった。
大振りした剣は、空を切る。
ゴブリンは、あっさりと躱す。
今の動きで、ニット君が弱いとすぐに悟ったみたい。
二匹のゴブリンは、頷き合った後、同時にニット君に向かって飛び掛かっていった。
私は、すかさず駆け出す。
飛び掛かってくるゴブリンから横に大きく飛び跳ねてニット君は地面を転がる。
着地したゴブリンがニット君に向かって再度、飛び掛かろうとした。
そのうちの一匹の背中に私の蹴りが命中した。
威力は大したことないけれど、一匹の動きは止めることができた。
もう一匹は、ニット君に飛び掛かっていた。
ニット君は、小剣でゴブリンのナイフを受け止めていた。
剣のお稽古の成果が出ているようにも感じられる。
ゴブリンとニット君の体格は、ニット君の方がほんの少しだけ大きいように見える。
かといって有利になる要素はない。
一匹のゴブリンを片付けて、ニット君を襲っているゴブリンをなんとかしないと、手遅れになってしまうかもしれない。
私は、立ち上がったゴブリンに向かって剣を振るう。
一撃目と二撃目を躱された。
一旦、攻撃をやめて後ろに下がるしぐさを見せた。
ゴブリンがチャンスとばかりに地を蹴って飛び掛かってくる。
私の誘いにゴブリンがかかった。
『聖剣エクスカリバー』を力いっぱい横なぎに切り払うと、ゴブリンの胸に刃が食い込み血飛沫を散らす。
地面に転がったゴブリンは、起き上がるしぐさを見せたけれど、自らの身体から溢れ出た赤い湖の中でうつぶせのまま動かなくなった。
一匹は始末した。
もう一匹は、ニット君と鍔迫り合いをしていた。
「このぉ~」
気合とともに、ニット君はゴブリンを押し返した。
筋力トレーニングなどの効果が出ているみたい。
でも、体勢を崩して、尻もちをついてしまった。
ゴブリンはすぐさま、ニット君に飛び掛かる。
尻もちをついてしまったニット君は体勢が悪い。
「うおおおおおお」
ニット君は、何とか上体を引き起こして踏ん張りながら小剣を思いっきり突き出した。
ゴブリンのナイフよりも、ニット君の持つ小剣の方が攻撃範囲がはるかに長い。
ゴブリンの胸元に小剣の切っ先が突き刺さる。
いえ、刃がないので胸元に当たっても突き刺さることはなかった。
体重をかけてのしかかってくるゴブリンの突進に負けて、ニット君は押し倒されてしまった。
ゴブリンは勝ち誇った声を上げてナイフを大きく振り上げた。
斬!
私の剣が一閃する。
ゴブリンの振り上げた腕と頭部を切り裂いた。
絶命したゴブリンは、地面に転がると身体をビクビクと痙攣させた後、動かなくなった。
「ニット君、大丈夫?」
私は、呆けているニット君に手を差し伸べる。
ニット君は、仰向けになったまま動かない。
しばらく、そのまま思いつめたような顔で虚空を見つめていた。
「もう大丈夫よ?」
私がもう一度声をかけると、しくしくと泣き出してしまった。
相当、怖かったみたいね。
初めてゴブリンと戦ったんだもの。
怖くない方がおかしいくらい。
「勝てなかった…」
ニット君のすすり泣く声に交じって、小さな呟きが私の耳に入った。
「勝てていたわよ。ニット君の剣の切っ先がゴブリンの胸に当たっていたもの」
「でも、倒せなかった…」
「それは…ニット君の剣には刃がないから…刃があったら倒せていたわよ」
「この剣が…ゴブリンを切ることができれば…勝てたのに…」
恨めしそうな瞳でニット君は自分の小剣を見つめている。
紫色の魔法石が悲し気に一瞬だけ光ったように見えた。
また、見間違いかしら?
ニット君は横になったまま、すすり泣いていた。
私の言葉では、ニット君を立ち直らせてあげることができない。
自分の不甲斐なさを痛感させられるとともに、自分に対する悔しさがこみあげてくる。
私にもっと剣の腕があれば、彼に納得のいく評価をしてあげられるのに。
それが私には出来ない。
どうしたらいいの?
そんな時、「大丈夫かい?」と聞き覚えのある声がかけられた。
振り返ると、そこにはセレスさんとマックスさんがいた。
「セレスさん、マックスさん。どうしたんですか?」
尋ねる私に「あたい達は、ゴブリン退治の依頼を受けていてね。仕事中だったのさ」とセレスさんが答えた。
「しかし、ボーズ。よくやったな」
「ああ、驚いたよ。剣を使って初めてゴブリンと戦ったんだろう?あそこまでやれるとは思いもしなかったよ」
二人からの意外な言葉に、すすり泣いていたニット君は、驚いた顔をしながら上半身を起こした。
「見ていたの?」
「ああ、見ていた。手を出そうか悩んだがな」
「最後は、お嬢ちゃんの方が早かったけどねぇ~」
よく見れば、セレスさんは白い短剣の『白銀の刃』を手にしていた。
私が攻撃しなかったら、セレスさんが魔法で攻撃していたかもしれなかった。
「その剣に刃があれば、確実にボーヤが仕留めていたよ」
「いい戦いだったぞ」
二人からのお褒めの言葉に、ニット君の顔がパッと明るくなる。
「良かったね、ニット君。セレスさんとマックスさんが褒めてくれているわよ」
私がそう言うと、満面の笑顔を見せてくれた。
褒められたことが、よほど嬉しかったみたい。
けれど、私としてはちょっと悲しい気持ちかな。
私の言葉で、ニット君を笑顔にしてあげたかったという思いがあったからだった。
「でも、この剣が魔物や悪い人を切れるような剣だったらなぁ~。そうすれば、やっつけられたのに…」
ニット君は、少しだけ悔しそうにしながら、手にしていた小剣を眺めていた。
その小剣の紫色の魔法石が一瞬、光った。
やっぱり見間違いじゃない。
何かに反応して光っている感じがする。
でも、何に反応しているのかがわからない。
セレスさんも気づいていないみたいだから、ここでは黙っておくことにしよう。
「そういえば、ゴブリン退治の依頼って言ってましたけど、どういうことなんですか?」
私は首をかしげながら尋ねた。
「あたいらは、冒険者もやっているんだよ」
「冒険者?」
聞きなれない言葉に、私とニット君は同時に首をかしげていた。