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剣王戦記  作者: 朧月 氷雨


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第53話 記憶の喪失⑨

 僕が頭を打ってから、三日目の朝がやって来た。

 ロザンナお姉ちゃんとの朝食も終わり、僕は自分の部屋の中にいた。

 何もすることがない。

 何をしていいのかがわからない。

 ベッドの上でゴロゴロするくらいしかやることがない。

 そんな時、部屋の中に佇む本棚が目に入った。

 本でも読もう。

 なぜ、そう思ったのかはわからないけれど、退屈をしのげればと本棚へと駆け寄った。

 本棚には、いくつもの本が納められていた。

 薄い本や分厚い本、表紙が立派なものなどいろいろな本があった。

 適当に引っ張り出して、ページをめくる。

 僕は、文字が読めた。

 だから、本を読むことができたんだけれど。

 記載されている内容が難しすぎて読んでも意味が分からない。

 投げ捨てるように、床に投げ飛ばして次の本を開く。

「面白くない……よくわかんない……」

 次々と本を引っ張り出しては開いて中を見ていくけれど、やっぱりどれもこれも同じようなものだった。

 文字ばかりが書かれていて、絵の一つすら描かれていない。

 僕の自室のはずなのに、絵本すらもなかった。

 絵本を買ってもらったことがあるような気がするんだけれど、それはここにはなかった。

 いつの間にか、床には投げ出した本で一杯になっていた。

 この惨状をブランディオーラが見たらなんて言うだろうか?

「つまんない……」

 開いていた本をさらに床へと投げ落とした。

『絵本、読んであげるわよ』

 頭の中に、いつもの女の人の声が響いた。

 その声が聞こえるだけで安心する。

「絵本……読んでほしいな」

 誰に言うでもなく、僕は声を出していた。

 返事など返ってはこない。

 僕の頭の中に響いた女の人の声に対して反応しただけなのだから。

 僕は、おもむろに立ち上がる。

 本棚から引っ張り出した本を片付けなければとも思ったけれど、やる気は起きなかった。

 そのまま、僕は窓の方へとヨロヨロと歩き寄った。

 窓から外を眺める。

 お屋敷から見える窓の外の光景は、すごく興味を引かれる。

 お庭の鉄格子の向こう側の街路を行き交う人たちの姿が羨ましく見えた。

 自由に行き来している。

 僕は、鍵を掛けられてしまい、この部屋から出ることもできない。

 自由がない。

 やることもない。

 退屈だ。

 こうやって、窓の外を眺めて羨ましく思うしかないのだろうか?

 ボォ~と、僕は外を眺めたままだった。

 同じ光景を見ていても、ただただ飽きてくる。

 窓の外を眺めるのをやめようかな?と思った時だった。

 僕の視線は、ある一点で止まった。

 僕がいるお屋敷の正門とも呼べる鉄格子の門のそばに一人の女の人がいた。

 見たことある人だった。

 紫色の服に身を包み、黒い髪を三つ編みにしているお姉さんだった。

 服装からして貴族ではないことは明白だ。

 貴族の女の人は皆、ド派手な色のドレスをこれ見よがしに着込んでいる。

 それにこの地区は貴族が住む地区なので、貴族以外の人はすごく目立つ。

 確か、僕が頭を打った日の夕方に会ったお姉さんだった。

 僕のことを『ニット君』と呼んでいた。

 何度も何度もその名を僕に向かって叫んでいた。

 そして、涙を零しながら大きな声を上げて泣いていた。

 そのお姉さんだった。

「あれ?」

 僕は不思議に思った。

 門の前にいるそのお姉さんの表情が、まるで間近で見ているかのように大きく見えた。

 お姉さんのそばを通り過ぎていく貴族の人たちの顔や表情なんて豆粒のように小さくてはっきりとはわからない。

 でも、三つ編みのお姉さんの表情だけは、僕にははっきりと見えた。

 それが不思議だった。

 お姉さんは、窓から外を眺める僕のことを見ているかのようだった。

 じっと視線を僕に向けていて外そうとはしない。

 何だか気になって、僕も視線を動かせなかった。

 しばらく、そんな状態が続いた時だった。

 三つ編みのお姉さんの瞳からポロポロと雫が頬を伝って零れ落ちた。

 僕は、びっくりしてしまった。

 突然のことだったので、僕は慌てた。

 どうして泣いているの?

 どこか痛いの?

 僕の視線は、三つ編みのお姉さんにいつしか釘付けになっていた。

 ただただ立ち尽くして、僕のことを見て泣いているように思う。

 考えすぎかもしれないけれど、そう思えてならない。

 何か悲しいことがあったの?

 泣かなければならないことがあったの?

 そう尋ねたかったけれど、僕のいる場所から、そのお姉さんのいる場所まではかなりの距離があった。

 部屋には鍵がかけられている。

 部屋を出てお屋敷の外まで行って、門のそばにいるあのお姉さんの元までは行くことができない。

 だから、直接は聞けなかった。

 僕は何だか悲しい気持ちになった。

 心が痛い。

 そんな感覚に襲われた。

 僕の方を一点に見つめて涙を零しているお姉さんの姿を見ているだけで、胸が苦しくなった。

 どうしてだろう?

 何でこんなに苦しいの?

 僕は何かを忘れている?

 何かを思い出さなければいけない?

 そんな思いに駆られた。

 でも、何を思い出せばいいんだろう?

 そう考えだしたら、また頭が痛くなってきた。

「ううう……頭が……割れそう……」

 こん棒で何度も殴られたような衝撃が僕を襲う。

 今まで以上に頭が痛くなった。

 窓の外を眺めているのが辛くなり、僕はよろめいた。

 立っていることができない。

 ベッドに横になった方がいいと思い、ベッドの方へと歩み寄ろうとした。

 けれど、数歩歩いたところで僕は倒れこんでしまった。

 強烈な頭痛のせいで、しばらく冷たい床の上をのたうち回った。

 多分……僕はその後、気を失ったのかもしれない。

 目が覚めた時には、次の日の朝になっていたからだった。




 部屋に閉じ込められ、退屈な毎日を過ごす日々が数日過ぎ去った。

 その間、ほとんど毎日同じような繰り返しだった。

 朝起きて、ロザンナお姉ちゃんとの会話もほとんどない朝食を一緒に食べる。

 部屋に閉じ込められ、窓の外を眺める。

 お昼の時間になり、またロザンナお姉ちゃんと一緒に昼食をとるけれど、会話もなくただ食べるだけ。

 また部屋に閉じ込められ、窓の外を眺める。

 夕飯の時間になり、ロザンナお姉ちゃんと夕食をとる。

 ここでも会話はほぼない。

 そのあと、お風呂に入るけれど、広いお風呂にたった一人で入る。

 お風呂から出ると、また部屋に閉じ込められて、一人でベッドで寝る。

 この繰り返しだった。

 何も楽しくなかった。

 けれど、救いはあった。

 頭の中で響く、あの優しい声。

 誰かはわからないけれど、辛いと思った時に響いてくるあの声には安らぎを覚えた。

 それがなかったら、僕はすでに気が触れて、暴れ回っていたかもしれない。

 それともう一つ。

 窓の外を眺めていると、毎日、門のそばに佇んで僕のことを見詰めているお姉さんがいた。

 黒髪を三つ編みにしたお姉さんだ。

 そのお姉さんもいつも同じだった。

 窓の外を眺めている僕と視線が合うと、涙を零してずっと僕のことを見ていた。

 どうしてお姉さんは、僕のことを見て泣いているの?

 僕は何かあのお姉さんにしたのだろうか?

 泣かせるようなことをしでかしたんだろうか?

 考えても考えても、理由はわからなかった。

 考えるたびに頭が割れそうに痛くなる。

 でも、考えるのをやめなかった。

 やめてはいけないような気がして、頭が痛くなるけれど、僕は三つ編みのお姉さんを見据えながら、お姉さんが泣き続ける理由を考え続けた。

 でも、未だにその理由はわからなかった。

 空が夕焼け色に染まる頃になると、あのお姉さんは涙を拭って、肩を落としながら寂しそうに去っていく。

 それを見ている僕も辛かった。

 あのお姉さんが泣かないで済むようにしてあげたいと思うけれど、今の僕には何もできない。

 この部屋から出ることすらできないのだから。

 そばに歩み寄って、涙を拭いてあげることもできない。

「何で……あのお姉さんのことが、こんなに気になるんだろう?」

 赤の他人のはずなのに、なぜかものすごく気になった。

「なぜ?」

 自分自身に問いかけても答えは出てこない。

 代わりに、頭に激痛が走り、その痛みに耐えきれなくなって、僕はいつも倒れてばかりだった。

 今も頭が割れそうに痛む。

『大丈夫?』

 頭の中に響く女の人の声。

 その声を僕はどこかで聞いたことがあるはずなんだ。

 いったい、どこで聞いたんだろう?

 この声は、誰の声だろう?

 頭の中に浮かぶ、声の主ともいえるシルエットが徐々に鮮明になっていく。

 昨日までは、そのシルエットに濃い霧がかかったようになっていてほとんどわからなかったけれど、今日はその霧が薄い気がする。

 細身の女の人のようだ。

 どこかで見たことがあるような姿だと思った。

 光が差し込み、その女の人の顔を覆い隠す黒い影が消えそうだ。

 そう思った時。

 僕の意識はプツリと途切れた。

 あまりの激痛に耐え切れず、僕は床の上に倒れ込んだんだと思う。

 もう少しだったのに……。

 もう少しで、声の主が分かるかもしれなかったのに……。


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