第4話 二人での旅立ち
セレスさん、マックスさん、ニット君と私の4人で、その日は宿屋の同じ一室に泊まることになった。
私は、ニット君を連れて宿屋のお風呂にやってくる。
腰のあたりまで伸びた黒い髪の毛はボサボサで、ちょっと汚らしい。
なので、私はニット君の髪の毛を短く切ってあげた。
他人の髪の毛を切るのは初めてなので、うまく切れなかったけれど、無造作に伸ばされた髪は短くなり、ちょっと野暮ったい感じから可愛らしい印象に変わった。
お風呂場には、私たち以外は誰もいなかったので、排水溝に切った髪の毛を流す。
排水溝が詰まったりしたら怒られそうだ。
「うまく切れなくて、ごめんね。でも、短くなって、可愛いと思うわ」
私が微笑むと、ニット君は恥ずかしそうに俯いた。
「お湯の出し方とかわかるかな?」
私が尋ねると、こんなお風呂入ったことがないという。
いったい、いつから奴隷として扱いを受けていたのか気になるけれど、あまり根掘り葉掘り聞くのは可哀想な気がして、私は聞くのをためらった。
「じゃあ、使い方を教えてあげるわね」
私は、ニット君を椅子に座らせる。
その後ろに、バスタオルを身体に巻いた私が陣取る。
さすがに7~8歳の子供だけれど、男の子だ。
裸を見られるのは恥ずかしいので、バスタオルでしっかりと隠している。
洗い場の目の前の壁には前後に押し込んだり、引き出したりできる取っ手が四つある。
一つは、水を出したり止めたりできる取っ手だ。
手前に引っ張ると水が出てくる。
逆に取っ手を押し込むと止まる仕組みになっている。
もう一つは、お湯が出てくる取っ手だ。
使い方は水と同じで、引っ張ればお湯が出て、押し込むと止まる仕組みで変わらない。
三つ目と四つ目の取っ手は、上下に並んで設置されていて、洗い場の壁の低い位置にある水の出口と頭上にあるシャワーを切り替えるための取っ手だ。
下側の取っ手を手前に引くと、低い位置にある水の出口から水が出てくる。
押し込むと止まる。
上側の取っ手は、手前に引くと頭上に固定で設置されているシャワーから水が出てくる。
押し込むと止まる。
この四つの取っ手を押したり引いたりすることで、水の出口を変えたり、お湯や水の出てくる量を調節して湯加減を変えることができる。
宿屋のお風呂は、どこに行っても同じ仕組みになっている。
使い方はすごく簡単なものなので、覚えてしまえばどうということはない。
最初は、気を付けないと熱いお湯が出てきて火傷をすることもあるので注意が必要だ。
私は取っ手を操作してシャワーから適温のお湯を出す。
「どう?熱くない?大丈夫?」
頭から少量のお湯を浴びて、ニット君は戸惑っている。
「熱くないけれど、雨が降ってる?」
「雨じゃなくて、シャワーよ」
私は、シャワーを止めると、「頭を洗うから、目をしっかりと瞑っていてね」と指示をしてから、石鹸を泡立てて短く切ったニット君の髪の毛を洗い始めた。
「また、温かい雨が出るけれど驚かないでね」
そう声をかけてシャワーのお湯をかけて泡を流してあげる。
シャワーを止めると、「ぷはぁ~」とニット君は大きく息をついた。
どうやら、シャワーのお湯を浴びている間中、息を止めていたみたい。
初めての経験だから、シャワーのお湯を浴びている間、どうしたらいいのかわからなかったみたいね。
こればかりは仕方ない。
何度か経験すれば、どうすればいいか判断できるはず。
「じゃあ、今度は身体を洗うわね。そのまま立ち上がってじっとしていてね」
私の指示に従って、立ち上がる。
泡立てた石鹸を身体に塗り付けるとスポンジでゴシゴシと優しく洗ってあげる。
「はい、お股を開いて」
指示通りに股を広げてくれる。
「アテナ様、くすぐったいよ」
「すぐに洗い終わるからじっとしていて」
私は手早くスポンジで、全身を洗うと、シャワーからお湯を出して泡を洗い流した。
薄汚れていた肌が綺麗になる。
そんなニット君の肌に細かい傷があるのが私の目に飛び込んできた。
やや浅黒い肌は長い間虐待を受けたためなのか、背中や肩、腕や足などの至る所に小さな傷痕が無数にあった。
鞭で打たれたりした傷痕が残ってしまったみたい。
私は可哀想になってしまい、手でその傷を撫でてあげた。
私が撫でたところで、その傷痕が消えるわけではないけれど、これまで受けてきた苦痛が少しでも和らいでほしいという思いを込めてそんな行動に出ていた。
「アテナ様?」
ニット君が首をかしげながら、後ろの私に振り向いてきた。
「ああっ…ごめんね…背中や肩に傷痕がいっぱいあったから…ずいぶんと酷い目にあわされてきたんだなって思ったら可哀想に思っちゃって…」
「あぅ~…」
ニット君は、小さく息を漏らすと俯いてしまった。
「私は、こんな酷いことはしないから安心して。もう、怖い思いをして怯えなくてもいいんだからね」
そっと背後からニット君の小さな身体を抱きしめた。
「ありがとう…アテナ様」
小さな呟きが返ってきた。
その彼の瞳には、涙のようなものが滲んでいたけれど、シャワーのお湯がかかったものなのかは判別できなかった。
私とニット君は、女湯から出ると部屋に戻る。
「戻ったかい。なら、今度はあたいらが風呂に行くとするかねぇ~」
セレスさんは、腰かけていたベッドから立ち上がった。
マックスさんも立ち上がる。
「えっ?まさか、セレスさんとマックスさんは、一緒のお風呂に入るんですか?」
二人が立ち上がって部屋を出ていこうとするので、私は思わず尋ねてしまった。
「それはいいかもな」
冗談ぽくマックスさんが言い、笑う。
「一緒の風呂に入るわけないだろう。男女別々だよ」
呆れた顔をしながら、セレスさんは部屋を出ていった。
しばらくすると、セレスさんとマックスさんは別々に戻って来た。
「今のところ、不審な人物とかは居そうになかったから、今のうちに休んでおこうかねぇ~」
すでに日は沈み夜になっているけれど、寝るには少し早いかな?という時間帯だ。
ニット君は、眠そうにしている。
彼の洋服はないので、乾いたバスタオルを身体に巻いて洋服代わりにしている。
明日は、洋服を購入してあげないと、裸のまま連れ回すわけにもいかない。
ちょっと懐事情が気になるところだけれど、こればかりは致し方ない。
「そうですね、休めるときに休んでおいた方がいいかもしれませんね」
私は、ニット君を抱き上げると、ベッドに横たわらせる。
そして、同じベッドに私も横たわる。
「ほえ?一緒に寝るの?」
驚いたような顔をしてニット君は私を見つめてくる。
「何か変かしら?」
「ぼっ…僕は床で寝るよ」
ニット君は、そんなことを言い出した。
「君は、もう奴隷じゃないのよ。普通の男の子よ。ベッドで寝ていいの。それに一人で寝るのは寂しいでしょう?それとも、私と一緒に寝るのは嫌?」
「嫌じゃ…ない」
小さな声で答えながら、首を横に振るってくる。
私は、すかさずニット君を逃がさないように腕で抱きしめる。
私と同じベッドで寝ることになったニット君は戸惑っている。
なんだか、可愛らしい。
弟がいたらこんな感じなのかしら?
なんてことを思ってしまう。
毛布を掛けると、ニット君は観念したのか、ジタバタするのをやめた。
「お休み、ニット君」
「おっ…おやすみなさい…アテナ様」
私は目を閉じて眠りについた。
次の日の朝。
私たち4人は、宿屋の一階で朝食を取り、その後、セレスさんとマックスさんとは別れることになった。
「宿代と朝食代、ありがとうございます」
私は、セレスさんとマックスさんに、お礼を言った。
二人は、気前良くお金を出してくれた。
まあ、この後、ニット君の洋服を購入しなければならなかったので、助かった。
私は、ニット君の服を購入するために二人でお洋服屋さんに向かった。
ニット君の身体には、私が身に着けていた短いマントを洋服に見えるように巻き付けて、その状態でお洋服屋さんまで抱えるようにして行った。
お洋服屋さんの店員さんに不審な目で見られたけれど、何とかニット君の服を購入することができた。
Tシャツにズボンと靴という組み合わせだ。
私にとっては思わぬ痛い出費だけど、こればかりは仕方ないと諦める。
靴も履かず、裸のままでいさせるわけにもいかないし、私のマントで全身をくるんでおくわけにもいかなかったので、安いお洋服だけど購入を決意した。
それから、私とニット君は街を出た。
「アテナ様。これから、どこに行くの?」
不安そうな表情で、私の顔を見上げてくる。
「どこって…行先は決めていないわ。気ままに旅をしているだけだから」
何も決めてはいない。
目的地などもない。
今まで住んでいた地を離れる決心をして、旅に出た。
ただ、それだけだった。
最近は、『聖剣エクスカリバー』を欲しがる人に追いかけまわされて逃げる日々だったから、目的地なんて決めていなかった。
まあ、最初から目指すべき明確な目的があったわけじゃないけれど。
「とりあえず、ここから離れた別の街を目指しましょう」
私は言って、ニット君の手を握って歩き出す。
ニット君も小さい歩幅ながら、チョコチョコと可愛らしく付いてくる。
街を離れ、山道を登っていく。
山道の道幅は、馬車同士がすれ違いが余裕でできるくらいの広さがある。
右手側は岩壁に遮られているけれど、左手側は崖になっている。
その崖の下には、鬱蒼とした森が広がっているのが見える。
街からは、だいぶ離れた。
もしも、昨日の奴隷商人たちが追いかけてきたとしても、追いついては来れないと思う。
「ニット君、疲れてない?少し休憩にしましょうか」
そう声をかけると、ニット君は足を止めて小さく溜め息をついていた。
ちょっと急ぎ足だったので、疲れているような様子だった。
崖の上から眼下に広がる光景を見下ろす。
森の木々が青々としていて、その先には川が見える。
あの街から続いている川は、さらに遠くまで続いている。
「こんなところから落ちたら危ないね」
崖下を覗き込みながら、彼は呟いた。
かなりの高さがある。
崖下には背の高い木々が林立しているけれど、落ちたら命はないと思う。
「落ちないように気を付けてね」
私の言葉に、四つん這いで後退りしてニット君は崖から離れる。
そっと頬を撫でるように風が通り過ぎていく。
少しだけ汗をかいたので、心地の良い風を感じられる。
「そろそろ行こうか」
休憩を終えて、歩き出そうとした時だった。
「くひひひ…会えてよかったぞ」
聞き覚えのある声が私の耳に飛び込んできた。
振り返ると、そこには昨日の小太りの奴隷商人がいた。
それだけじゃあない。
手下と思われる人相の悪い男の人たちが十数にいる。
「なぜここに!」
私は、思わず声を上げていた。
「お前たちを探していたんだよ。この山道を通るかもしれないと思って先まで行ったが、見つからなかったんで諦めて、引き返して来たらちょうど見つけたってわけだ」
憎悪に満ちた相貌が私を睨め付けてくる。
セレスさんの魔法である風の刃で切り落とされた右腕には痛々しそうに包帯が巻いてあり、血が滲んでいる。
「あの魔法使いの女は、どこだ?」
「知らないわ。あの二人とは街で別れたもの」
セレスさんのことを尋ねられてもわからない。
宿屋で別れたあとに、どこへ行ったかも知らない。
「あの女には、この腕の礼をたっぷりとしてやらんとな。隠し立てするなら、お前のその身体に聞けばいいだけだ」
下品な笑みを浮かべる小太りの奴隷商人。
気色の悪い笑みは嫌悪感を催す。
私は、腰にぶら下げていた『聖剣エクスカリバー』を抜き放つ。
細かい装飾が施された金色の柄に埋め込まれた真紅の宝玉が目を引く。
やや太めの長い刀身は、古代文字のようなものがうっすらと浮かび上がり、とても美しい。
その美しい見た目とは裏腹に、女性の私が扱うには少し大きい感じの剣だ。
「お嬢ちゃん、そんな大きな剣を振り回せるのかい?」
手下の男の人が私を馬鹿にしたような目で見つめてくる。
「試してみたらどうですか?」
言って、私はその手下の男に向かって飛び掛かっていった。
『聖剣エクスカリバー』は、私にとっては軽く感じられる。
羽のように軽い。
いえ、もっと正確に言うのであれば、自分の腕を振り回しているのと同じ感覚で、剣の重さを一切感じない。
だから、この男は私の剣のスピードを見誤った。
躱すことも、剣で受け止めることもできずに、私の剣が男の胴を横なぎに切り裂いた。
血しぶきを舞い上がらせて、その男は声を上げることもなく、その場に倒れ伏した。
私は、剣の扱いが得意というわけではない。
かといって、魔法が使えるわけでもない。
素人に毛が生えた程度の剣の実力しかない。
相手が油断していたので、一人目は難なく倒すことができた。
でも、まだ十人以上いる。
「アテナ様…」
震える小さな声が背後から聞こえる。
ニット君が、怯えて震えている。
「大丈夫よ。私が君を守ってあげるから」
私は、気丈に振舞って彼に笑顔を見せる。
少しでも安心してほしかった。
だからと言って、彼を守りながらこの状況を打破できるとは思っていない。
多勢に無勢だし、一人目を切り殺したことで、他の人たちは油断をしてくれなくなった。
戦って勝つのは無理だと、私は悟っていた。
けれど、負けたくはないという思いは強くあった。
彼を守らなければいけない。
私が一緒に来る?と安易に誘ってしまった責任がある。
たとえ、私が死んだとしても、ニット君は絶対に守ると自分に暗示をかけるように強く念じた。
状況を好転させる方法を私は探す。
私の前方は奴隷商人とその手下に囲まれている。
山道を登ることも戻ることもできそうにない。
私の後ろには、ニット君がいる。
そのすぐ後ろは崖だ。
落ちたら命はない。
背水の陣だ。
逃げ道だけでも切り開くことができれば、彼を逃がすことはできる。
でも、それを実行できるだけの実力が私にはない。
無意識に唇を噛みながら、男たちを睨みつける。
男たちは、じりじりと私に詰め寄ってくる。
これ以上、近寄られたら崖下に飛び込むしかなくなってしまう。
私は、意を決して手近にいた男に切りかかった。
実力の差は明確だった。
打ち込んだ剣をあっさりとはじかれた。
私の手から『聖剣エクスカリバー』が離れ、弧を描いて崖下にその姿を消した。
「剣が…」
崖の下へ落ちていく剣を視線で追っていると、ニット君がゆっくりと後退りしているのが目に入った。
「それ以上下がっちゃダメ」
私の声は、少しだけ遅かった。
崖のギリギリにいたニット君の足元が少しだけ崩れ、彼はバランスを崩して崖下に落ちそうになる。
私は、とっさに手を伸ばした。
左手でニット君の小さな手を掴んだ。
そのまま私も崖下に落ちそうになる。
反射的に伸ばした右手が、崖の縁にかかった。
崖から落ちることは免れたが、状況はいたって最悪だった。
なんとか私の右手が崖の縁を掴んでぶら下がっている。
私の左手をニット君が小さな両手で必死に掴まっている。
「ニット君。絶対に手を放しちゃだめよ」
私は声をかける。
彼は恐怖に震えながら、小さく何度も頷いていた。
「人の心配なんてしている場合じゃないだろう?」
崖の上から、小太りの奴隷商人が覗き込んでくる。
「命乞いをすれば助けてやらんことはないぞ」
そう言って、私の右手を足で踏みつけた。
「くううう…」
悔しさと痛みに声が漏れる。
「もしくは、そのガキの手を離せば助けてやる。それとも一生この俺様に奉仕をするっていうなら、ガキともども助けてやってもいいぞ」
優位な状況に立ち、この奴隷商人は好き勝手言ってくる。
こんな人の言いなりになんか絶対になりたくない。
私は、ニット君の手をより強く握る。
「アテナ様…」
か細い声を漏らして、不安そうにニット君が見上げてくる。
「絶対に離しちゃだめよ。しっかりと私の手を握って」
彼に強く声をかける。
ニット君の手が強く握り返してくれる。
「どうするんだ?」
下卑た声を漏らしいながら、奴隷商人は踏みつけている私の右手をグリグリと力を込めて痛めつけてくる。
断続的に与えられる痛みに、心が折れそうになってくる。
でも、負けたくない。
私は、何があっても諦めるわけにはいかない。
「アテナ様…僕の手を放して…」
ニット君が、か細く声を発する。
その瞳は縋るように私を見つめてきている。
絶対に本心でそんなことを言っているとは思えない。
私が手を離したら、彼は崖下に落ちてしまう。
自分が助かりたいから、彼の手を放すなんてことは絶対にしたくない。
この奴隷商人の言う通りになんて従いたくはない。
「私は絶対に離さない。ニット君のこの手だけは死んでも離さない」
私は、彼に言う様に、そして諦めかけている自分自身に言う様に声を張り上げた。
「じゃあ、死ぬか?」
奴隷商人が不愉快だと言わんばかりの声を漏らし、私を睨みつける。
私の右手を踏む足を大きく上げる。
その足を振り下ろされたら、私の右手は耐えられず、ニット君と一緒に崖下に落ちていくことだろう。
「ごめんね、ニット君…」
私は小さく呟いた。
ドン!という衝撃とともに悲鳴が上がった。
私の悲鳴ではない。
奴隷商人の悲鳴だった。
「お前が、ここから飛んで見せろ」
聞き覚えのある声が聞こえた。
崖の上を見上げる。
そこには、熊のような大きな体格の男性が、足を突き出した形でそこに佇んでいた。
その様子から、小太りの奴隷商人を崖下に蹴り落したようだった。
「マックスさん」
見知った顔に驚きの声を上げていた。
「よう、また会ったな。嬢ちゃん。いま、引っ張り上げてやる」
マックスさんは、片手で私の右腕を掴むと軽々と私とニット君を崖の上に引っ張り上げてくれた。
腕の筋肉がパンパンで、強そうな見た目通りの膂力の持ち主みたい。
「ありがとうございます、マックスさん」
私は、その場にへたり込んだまま、見上げる格好でお礼を言っていた。
「あっ…ありがとう…」
震える声でニット君も感謝を述べていた。
「いいってことよ」
マックスさんは、ニッとさわやかな笑みを向けてくる。
「何だ?てめーは?」
奴隷商人の手下たちは、突然乱入してきたマックスさんに驚き戸惑っている。
「昨日、お前たちのアジトで顔を合わせた奴もいるよな?」
「!?…俺たちのアジトに侵入してきた奴か」
手下の男たちは、一斉に武器を手に取ると戦闘態勢をとる。
マックスさんは、背中に背負っている幅広の巨大な剣を引き抜いた。
たしか『ドラゴンバスター』っていう名の武器と昨日自己紹介した時に聞いたことがあった。
ドラゴンの堅い鱗も切り裂けると本人が言っていたけれど、本当にそんなことができるのかはわからない。
ドラゴンという存在自体、おとぎ話で聞いたことがある程度だ。
実在するのかすらもわからない。
そんな大型の剣を振り回して手下たちを次々になぎ倒していく。
強い。
手下たちは、手も足も出ない。
マックスさんの脇をすり抜けて、私の方に向かってくる手下が数人いる。
私には、剣がない。
崖下に落としてしまった。
何もできない。
ドン!
衝撃音と微かに熱いと感じられる熱風が私の間近で炸裂した。
「あたいもいるよ」
自分の存在を主張するように、少し離れた位置の高い場所に短い黒髪に鉢巻のようなものを巻いた女性が立っていた。
身体にぴったりと密着した漆黒の服は、豊かな胸を強調するかのようだ。
その女性は、両手に短剣を握っていた。
白と黒の短剣。
その短剣の刀身部分が燃えている。
「セレスさん」
セレスさんは、刃が燃える短剣を振り回す。
すると、短剣から炎の塊が飛び出して、手下の男たちを襲った。
炎の塊は、触れると爆発するみたい。
数人の手下が直撃を受けて吹き飛ばされ、その場に倒れこんだり、崖のそばにいた人は崖下に転落していった。
「アテナ様!」
不意にニット君の声が響いた。
セレスさんとマックスさんの戦いに気を取られていて、ニット君のことをおろそかにしてしまった。
手下の一人がニット君に向けて剣を振り上げていた。
助けようにも間に合わない。
エクスカリバーがあれば…届く距離なのに…
そう思った時だった。
崖下から光が飛び上がり、一瞬にして私の手元に飛び込んできた。
崖下に落下したエクスカリバーが、私の手の中にあった。
手下の剣を『聖剣エクスカリバー』の刀身が受け止める。
そのまま、力いっぱいに押し返した。
男は、バランスを崩して崖下に転落していった。
「ニット君、怪我はない?」
私は、震えるニット君の小さな身体を抱きしめた。
「こっ…怖かった…」
震える声で小さく彼は呟く。
「ごめんね…」
ニット君は、首を横に振りながら、私にしがみつく。
その小さな手に、ギュッと力がこもった。
気が付くと、奴隷商人の手下たちは、セレスさんとマックスさんによって全員倒されていた。
「また、助けてもらいましたね。ありがとうございます」
私は丁寧に頭を下げる。
「別にいいさ」
「でも、どうしてお二人がこんなところにいるんですか?」
私の問いかけに、二人は困ったような顔を一瞬だけ見合わせていた。
言わなくてもわかる。
私のことを…『聖剣エクスカリバー』のことを追いかけてきたのだろう。
「これが欲しいんですか?」
私は、エクスカリバーを地面に軽く突き立てた。
「ああ、喉から手が出るほど欲しいさ」
「けれど、俺達には持ち上げることができない」
「それならば、諦めてもらうしかありません。エクスカリバーは私の手を離れても、私の元に戻ってきてしまいます。けれど、持ち上げることができれば、所有権が変わると思いますが…」
確証はない。
なぜ、私が『剣と慈愛の女神ブレーディア』が所有していた『聖剣エクスカリバー』を所持できるのか、さっぱりわからない。
私には、世界を救うような力はないし、そんなことをするつもりもない。
「あたいたちには、エクスカリバーを持ち運ぶことはできない。けれど、いつ他の奴の手に渡るかわからない」
「他の奴らには渡したくないのさ。かといって、嬢ちゃんから奪い取ることもできない。持ち上げることができないんだからな」
「だから、お嬢ちゃんのそばで、エクスカリバーの秘密を探りたい」
「そして、その秘密がわかれば、俺たちもエクスカリバーを持ち上げられるかもしれないってことだ」
「つまり…エクスカリバーの秘密を知りたい。その秘密を知るまでは、私に付きまとうってことですか?」
「そういうことだねぇ~」
あっけらかんとした様子でセレスさんが肯定してくる。
「はぁ~…わかりました…何度も助けてもらったこともありますし、コソコソ付け回されるのは嫌なので、お二人が良ければ一緒に行きますか?」
私の提案に、「ああ、近くにいれば、エクスカリバーの秘密も知れるってもんさ」と嬉しそうにセレスさんは言って、エクスカリバーを見つめる。
「コソコソ付け回すのも面倒だからな。それに近くにいた方が、エクスカリバーを狙ってくる奴を追い払いやすい」
護衛をしてくれるっていう意味なのかしら?
いえ、ただ単にエクスカリバーを他の人に奪われたくないっていうだけみたい。
「ところで、さっき崖下からエクスカリバーが飛んできたように見えたけれど…あれは?」
セレスさんが不思議そうに尋ねてくる。
「このエクスカリバーは、私の手を離れても勝手に戻ってくるんです。見ててください」
地面に突き刺したエクスカリバーを引き抜くと、私は振りかぶって崖下へと投げ捨てた。
「ああっ」
私以外の三人が、驚きの声を上げた。
剣は弧を描いて崖下の木々の中に消えていった。
普通だったら、崖の下に降りて拾いに行かなければならない。
でも、勝手に私の元にあの剣は戻ってきてしまう。
何度も捨てたのに、そのたびに戻ってくる。
私は、手を崖下の方に向けてかざす。
「エクスカリバー」
小さな声で剣を呼ぶ。
崖下の木々の合間から光が飛び出し、それは私の突き出した手の中に飛び込んできた。
次の瞬間、私の手の中には『聖剣エクスカリバー』があった。
私以外の三人は、その光景を見て、ポカンと口を開けている。
普通ではありえないことが、目の前で起きた。
信じられなくても仕方がない。
「本当に戻ってきやがった」
「そんなことがあるんだねぇ~」
感嘆の声が漏れる。
「私は、さっきまで…この剣は呪われたものだとばかり考えていました。毎日、いろんな人に剣を譲ってくれとか、襲われたりして散々な目にあってきました。でも、今…考えを変えました。今からは、私にとって必要なものだと思います。私には守るものができました」
エクスカリバーを鞘に納めてから、ニット君をそっと抱きしめる。
「この子を守るためには力が必要です。今の私には、このエクスカリバーが必要なんです。だから…この剣の秘密がわかってもすぐには渡せませんよ。エクスカリバーを振るう必要がなくなったとき…その時はセレスさんたちに譲るという形でもいいですか?」
「まあ、それでいいさ」
「その剣の秘密が簡単に分かるとは思っていないからな」
二人は同意してくれた。
本当にいつになるのかはわからない。
なぜ、私だけがこの『聖剣エクスカリバー』を自在に扱えるのか。
その答えを…その意味を私はいつか知ることになるのだろうか?
でも、今は…この剣をありがたく使わせてもらおうと思う。
この子を私が守るために。
私はもう一度、ニット君の小さな身体を抱きしめた。
彼は、安堵したような表情で微かに微笑んでくれた。




