外伝2 アマゾネスの村 ⑥
私の前には、緑色の体表をした人食い鬼が立ちふさがっていた。
武器は持ってはいなかったけれど、鍛え抜かれた身体はそれが凶器みたいなものだった。
分厚い胸板は鎧のように見え、鍛え上げられた腕や足は太くたくましい。
アマゾネスの村の中から飛び出した際に、人食い鬼に私とニット君の存在は認識されてしまっている。
逃げれない。
この人食い鬼を倒さなければ、街へ戻ることができない。
もう戦うしかなかった。
先手必勝で決める。
私は、腰の鞘から『聖剣エクスカリバー』を抜き放つ。
「え~い」
気合を込めて剣を振り下ろす。
緑色の体表をした人食い鬼は、身を逸らして躱していた。
小鬼程度であれば、この一撃で倒せていたはずだけれど、Cランククラスの魔物とあっては、Dランクの冒険者である私とニット君では苦戦は必至かもしれない。
「エアブレード」
ニット君が、小剣振るう。
刀身から三日月型の風の刃が勢いよく飛び出した。
人食い鬼は慌てた様子で身を屈めていた。
私の背後へと攻撃を仕掛けようとしていたけれど、ニット君の放った一撃に気づき、人食い鬼は屈むことで回避をしていた。
大柄の体格に似合わず、動きが素早いようだった。
人食い鬼は、拳を振り上げて襲い掛かって来た。
剣で受け止めようと身体が動き出したけれど、どう見ても防ぎきれるとは思えない。
身体を強引に捻って振り下ろされる拳を紙一重で躱せた。
顔の間近で、通り過ぎていく拳が巻き起こす拳圧が頬を撫でた。
「ひえっ!」
悲鳴にも似た声を上げて、私は冷や汗をかいていた。
何とか躱せたからよかったものの、直撃を受けていたら、どうなっていたかわからない。
無理な体勢を取ったことでバランスを崩し、私は人食い鬼の足元に転がる羽目になってしまった。
人食い鬼は足を持ち上げた。
私は慌てて、地面をゴロゴロと転がった。
情けない姿だけれど、人食い鬼に踏み潰されるよりかはマシだった。
「アテナ様」
ニット君が叫びながら、人食い鬼に向かって飛び掛かっていった。
ニット君の持つ小剣……『エアブレード』は刀身に刃がない。
だから、斬ることはできない。
しかし、その『エアブレード』の柄に埋め込まれた紫色の魔法石には風の精霊の肉体が封じられていた。
その風の精霊に気に入られてしまったニット君は、彼の魔力を消費することで精霊の力を借りることができた。
先ほど放った風の刃が、その精霊の力の一つだった。
今は、刃のない刀身にうっすらと風がまとわりついている。
その状態で攻撃を当てれば、どんなものでも切り裂くことができた。
反射的に反応したことだろう。
緑の人食い鬼は左腕を身体の前に突き出してニット君の小剣の攻撃を受け止めようとしていた。
刃がないと認識していての行動だったとすれば、この人食い鬼の観察眼は鋭いものだった。
けれど、それは大きな誤算だったことだろう。
刃のない刀身には風の精霊の力がまとわりついている。
その風の膜が、人食い鬼の左腕を豆腐のようにスパッと切り裂いた。
「ガァ?」
困惑したような声を上げた後、ひときわ大きな悲鳴を上げていた。
緑色の体液を垂れ流し、切り裂かれた左腕を人食い鬼は抑え、苦悶の表情を浮かべていた。
ニット君に向けて、憎悪に塗れた視線で睨めつけ、言葉にならない怒声を発していた。
「えい!」
私は、その人食い鬼の背後から『聖剣エクスカリバー』を力いっぱい突き刺した。
切れ味鋭い『聖剣エクスカリバー』の刀身は、すんなりと人食い鬼の肉を引き裂き、内臓を破り、お腹から刀身が突き抜けた。
後ろからの攻撃は卑怯かもしれない。
でも、そんなことを言っていたら、私にはこの人食い鬼に勝てる見込みはないのは自覚している。
どんな形であれ、勝たなければ生き残れはしない。
ゆっくりと人食い鬼が首を回して私を睨めつけてくる。
切り裂かれ、体液を垂れ流す左腕を振り上げてきた。
「エアブレード」
一瞬早く、ニット君が風の刃を放っていた。
人食い鬼の左腕が私の脳天に振り下ろされるよりも早く、三日月型の風の刃は胸元を引き裂いていた。
口惜しそうな声を漏らして、人食い鬼はその場に頽れた。
「アテナ様、大丈夫?」
慌てた様子で、ニット君が駆け寄ってきてくれた。
「ありがとう、ニット君」
勇敢な男の子に感謝を述べて、そっと抱きしめた。
彼は嬉しそうに微笑んだ。
「お嬢ちゃん、ボーヤ。なかなかやるじゃないかい。頼もしくなったねぇ~」
嬉しそうな声を上げながら、セレスさんが駆け寄って来た。
セレスさんにそう言われて、人食い鬼を倒したんだという実感が湧いて来た。
けれど、背後から攻撃を仕掛けたから、やっぱり卑怯かな?という気持ちは少なからずあった。
「これで、障害はなくなったからねぇ~。街まで走るよ」
セレスさんは、私のお尻をパンと叩いて走るように促してきた。
私は街へと続く街道を走りだす。
ニット君も私の後に続いて走る。
「マックス、殿を頼むよ」
村の出口である門のそばでアマゾネスの村の女性たちと剣を交えているマックスさんに向けてセレスさんは声を張り上げた。
「任せとけ。先に行け」
マックスさんから返事が返ってくる。
声の様子から、切迫した様子は感じられなかった。
余裕とまではいかないまでも、アマゾネスの村の女性たち相手に立ち回り、退けられる自信があるように感じられた。
私たちはマックスさんの無事を信じ、街へと向けて足早に駆け抜けた。
アマゾネスの村から、それなりの距離を離れた場所で私たちは休憩をとっていた。
ちょうど街道と川が並走するように横並びになっている場所辺りでだ。
街と村のだいたい中間あたりだった。
「そう言えば、ニット君。どうして男の子だってばれちゃったの?」
私は疑問に思っていたことをニット君に尋ねた。
「う~ん……よくわからないんだけれど……僕、おしっこしたくなって、家の陰でおしっこしていたら村の女の人が来て、囲まれちゃって……追いかけ回されることになったの……」
ニット君のつたない説明だったけれど、だいたいが察することができた。
それはセレスさんも同じようで、「くっくっくっ……」と忍び笑いを漏らしていた。
「まさか、おしっこをしたところを見られてばれるとはねぇ~。さすがに、それは考えもしなかったよ」
セレスさんは楽し気に呟いているけれど、私としては呆れてものが言えなかった。
セレスさん同様にそんなことでばれてしまうとは考えられなかったけれど、ニット君が自ら男の子だとばらしたわけじゃないので怒るわけにもいかなかった。
ニット君に悪気はないし、こういった想定ができなかったのは私とセレスさんの落ち度ではある。
何とか逃げられたからよかったものの、冷や冷やものだ。
「マックスさんは、大丈夫でしょうか?」
未だに追いついてこないマックスさんのことが心配になってしまう。
「大丈夫さ、あの程度の相手ならね。そのうち、ひょっこりと……」
「おう、こんなところにいたのか?」
セレスさんの言葉を遮るように、茂みをかき分けてマックスさんが飛び出してきた。
怪我をしている様子もないので、無事に逃げ切ってきたようだった。
「ご苦労さん、マックス」
「ありがとうございます。マックスさん」
労いと感謝の言葉を告げると「いいってことよ」とマックスさんは言って疲れた身体を休めるように、その場に座り込んだ。
「目的の物は買えたのか?」
「ああ、バッチリだよ」
セレスさんは、背中の背負い袋を自慢げに指さした。
「しかし、薬を買うだけなのに何であんなことになっていたんだ?」
やっぱり、疑問に思いますよね。
セレスさんが、簡潔にザックリと事の顛末を話していた。
「かっかっかっ……そりゃおもしれぇ~な」
ニット君のおしっこが原因だと知れると、マックスさんは豪快に笑い声を上げていた。
「女どもに見せつけてやったか」
ニット君の頭に手を乗せて、髪をクシャクシャっと乱暴に撫でていた。
見せつけたって、何をですか?
ニット君は、訳が分からないようで首を傾げていた。
「でもまあ、目的の物は手に入れられたし、みんな無事だったし、良しとしようじゃないかい。あとは、このまま街まで戻ろうかねぇ~」
セレスさんは、立ち上がった。
あまり、ここに長居は無用かもしれない。
アマゾネスの村の人たちが追いかけてくるかもしれない。
私たちは、立ち上がると街へと向けて足を延ばした。
アマゾネスの村の女性たちに追いかけられることなく街へと戻ってこれた。
そのまま冒険者ギルドへと向かう。
冒険者ギルドのカウンターで、受注した依頼書を差し出し、依頼の達成報告を行った。
「アマゾネスの村で目的の物は購入できたんですね?」
受付嬢に尋ねられ、セレスさんは背負っていた背負い袋から木箱を取り出すと蓋を開く。
私も同じように背負っていた背負い袋から一回り小さめの木箱を取り出してカウンターに置いた。
受付嬢は、木箱の中の仕切り板で仕切られた枠の中に理路整然と並べられた小瓶を一つ一つ手に取って確認していた。
「こんなにたくさん購入してきたんですね。依頼の納品数量は四十個ですから、十分に達成していますね」
確か、セレスさんの木箱には六十個入っていたはず。
私の方には四十五個だ。
「納品数以上は追加報酬対象になります。あっ!?」
受付嬢は、一本の小瓶を持ち上げると声を上げた。
「これは割れてしまって、中身が入っていないですね」
確かに小瓶が割れて中身が零れてしまっているものが一本あった。
「これはダメですね。あ~……こっちのはヒビが入っていますね」
私の運んできた木箱に入っていた小瓶の内、三本に小さな亀裂が入っていた。
多分、人食い鬼との戦いのときに地面を転がったので、その際に割れたり、ひびが入ってしまったのかもしれない。
「すみません、セレスさん」
申し訳なくなり、私は頭を下げた。
「気にすることはないよ。人食い鬼と一戦交えたんだから、仕方ないさ。むしろ、これだけで済んだのはラッキーと言っていいねぇ~」
セレスさんは、あまり気にした様子はなかった。
「百五本中、五本にひびが入っていました。一本が割れていたので、納品数は九十九本ですね。少々お待ちくださいね」
受付嬢は、私とセレスさんが持ち帰った美人薬という名の薬品が入った小瓶をギルドカウンターの奥へと持って行った。
「予定納品数が四十本だったから、五十九本分は追加報酬としてもらえるはずだからねぇ~」
セレスさんは、報酬金額を頭の中で計算して、思った以上にもらえそうなので嬉しそうだった。
「お待たせしました」
カウンターの奥へと小瓶を仕舞いに行っていた受付嬢は、空になった木箱を私とセレスさんに返してくれた。
「先ほどのヒビが入ってしまった小瓶ですが、依頼主が中身が無事であるならば半額で引き取ると言っていますが、どうしますか?」
「半額でも、追加報酬がもらえるなら貰うよ」
「わかりました。それで処理させてもらいます」
受付嬢は、てきぱきと仕事をこなしていく。
私とセレスさんの『冒険者登録証明書』に今回の依頼の内容と納品数などを書き込んでいた。
「では、これが今回の報酬となります。お納めください」
受付嬢は、カウンターに報酬の入った皮袋を二つ置いた。
「均等に入れてくれたかい?」
「はい、そのようにしてあります」
受付嬢の返答に頷き、セレスさんは皮袋の一つを私に手渡してきた。
「これはお嬢ちゃんの取り分だよ。受け取りな」
ズシリと重い感触が私の両手の上にのしかかった。
今までもらったことのない大金であることがすぐに分かった。
「あの……こんなに?いいんですか?」
困惑する私に「良いも何も、一緒にアマゾネスの村まで行って持ち帰って来たんだから、お嬢ちゃんには報酬を受け取る権利があるんだよ。そいつは、お嬢ちゃんの分だよ」
もう一つの皮袋をカウンターから受け取りながらセレスさんは言った。
「医薬品を運んでくるだけで、そんなにもらえるのか?」
セレスさんの手の中にある皮袋を見つめながら、マックスさんは驚いたような声を上げていた。
「納品数量をはるかに超える量を持ち帰ったからねぇ~。そいつが追加報酬となって、この有様さ」
今回の報奨金を手にし、その重みを感じながら、セレスさんは嬉しそうにしている。
予想以上のお金が手に入ったのだから、セレスさんのように普通は喜ぶはずだ。
けれど、私は諸手を上げて喜べなかった。
今まで受け取ったことがないような大金が私の手の中にある。
それは素直に嬉しい。
けれど、これを手にするために、アマゾネスの村に迷惑をかけてしまった。
迷惑を掛けたくてかけたわけではない。
男性は立ち入り禁止なのを無視して、男の子であるニット君を連れ込んでしまい、それがばれてしまった。
ニット君は追いかけ回され、私とセレスさんは一緒に逃げるために、村の女性たちに対して攻撃をしてしまう羽目になってしまった。
誰も怪我はしていないと思う。
直接攻撃を当てたりはしていなかった。
けれど、マックスさんが村の門を破壊して飛び込んできた際に人食い鬼が村の中に侵入してしまった。
ニット君が仕留めてくれたけれど、大いに迷惑が掛かってしまった。
村の周辺には、人食い鬼が生息しているようだった。
今も村の門は壊れたままなのだろうか?
それであれば、魔物がそこから侵入して村を襲っているかもしれない。
その状況を作り出してしまったのは、私たちである。
そんなことを考えたら、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
「どうしたんだい?お嬢ちゃん?浮かない顔をして?」
セレスさんが、私の顔を覗き込むように見つめてきた。
「いえ、その……村の女性たちは大丈夫かな?と思いまして……」
「んっ?どういうことだい?」
「マックスさんが村の門を壊してしまったから、村が魔物に襲われたりしていないかなって思ってしまって……」
呆れたような顔でセレスさんに見られてしまった。
「気にする必要はないよ。村の連中を見ただろう?どいつもこいつも村の中で鎧を身に着け、武器を携帯していた。それって、常日頃から戦う必要があるからだよ。そうでなけりゃ、この街の連中のように武器や鎧を身に着けていない状態で生活なんてしていないよ」
この街に住む人たちは、武器や鎧を身に着けてはいない。
冒険者や警備の兵士くらいだ。
それは戦う必要がないから身に着けてはいない。
安全が警備兵や冒険者によって保たれているからということはわかる。
「あの村に住む連中は、村の中にいても危険だってことが分かっていてあそこに住んでいるんだよ。だから、すぐに戦えるように武装していたのさ」
確かに、セレスさんの言う通りかもしれない。
「嬢ちゃんが気にすることはない。あの村だけじゃない。どこにいたって危険はついて回る。完全に安全な場所なんてどこにもないぞ」
横で私たちの会話を聞いていたマックスさんが腕組しながら、口を挟んできた。
「今回は、たまたまあんな大騒動になっちまっただけだよ。このボーヤのおかげでねぇ~」
セレスさんは、ニット君の頭に手を乗せるとクシャクシャっと髪を乱暴にかき上げた。
突然のことにニット君は、あわあわしていた。
「まあ、ただ薬を買って帰ってくるだけよりも、スリリングで楽しめたけれどねぇ~」
ニット君のおかげで大騒動になったけれど、セレスさんはあまり気にしていなさそうだった。
怒っている感じもなかった。
ニット君が自分から男の子だとばらしてしまったわけではないし、たまたまおしっこをしているところを村の女性に見られてしまっただけなのだから、これは仕方ないと思ってくれているようだった。
私としても、彼を責める気はない。
駄々をこねたニット君を連れて行こうとしたのは私だから、彼に対して文句を言う資格はない。
「金も手に入ったことだし、美味いもんでも食おうじゃないかい」
セレスさんは、そう言って私の背を押した。
どういう生き方をするのかは、人それぞれだ。
アマゾネスの村に住む女性たちは、男の人たちを拒絶して暮らすことにしたため、女性たちだけで暮らしている。
セレスさんは、自分らしく生きることを選んでいるみたい。
自分の信じる道を進んでいく生き方の様だ。
私は、どう生きていくべきだろうか?
そう考えた時に、綺麗ごとに縛られているような気がした。
人食い鬼に対して後ろから攻撃することは卑怯かもしれないと思ったけれど、そうでもしなければ勝てなかっただろうし、こうして生きて街に戻っては来れなかったかもしれない。
アマゾネスの村の女性たちに迷惑をかけてしまって申し訳ないという気持ちはあれど、再び、あの村に行って謝罪を行う勇気はなかった。
村を混乱させ、危険にさらしたので、どんな目にあわされるかわからない。
そんな済んでしまったことを気にして、後悔ばかりしていては、良い人生など送れるはずもない。
セレスさんのような生き方がいいのかは疑問だけれど、ちょっとうらやましくも感じた。
ネガティブな考えに縛られるのは、やめようと思う。
少しでもいい。
ポジティブに考えて生きてみよう。
なんか、そんな風に思ってみた。
だから、私はこう言ってみた。
「今日は、私が奢りますよ」と。
「くっくっくっ……じゃあ、お言葉に甘えようかねぇ~」
セレスさんが、そう返事を返してくれた。




