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剣王戦記  作者: 朧月 氷雨


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第29話 湖の主

 陽は完全に山の稜線りょうせんの向こう側へと沈み、夜闇に辺りは包まれ、静寂の一時が流れていた。

 第八番目の湖は、満月の月明かりに照らし出されて、水面がキラキラと時折、月明かりを反射させて輝きを見せている。

 優しく流れる風が、周囲の木々の葉を揺らし、湖面に幾筋もの波紋を描き、私たちの身体を撫でるようにすり抜けていく。

 枯れ木を集めて、セレスさんの炎の魔法で着火した焚火を私たちは、みんなで囲っていた。

 私の右手側にはニット君が寄り添うようにちょこんと座り、身体を預けてきている。

 そのニット君の右隣には、オルトスさんが陣取り、さらに右手側にマックスさん、そしてセレスさんの順で座り、焚火を囲って夕飯の準備をしていた。

「本当に大丈夫なんですよね?」

 先ほどから何度目かの同じ質問をオルトスさんは繰り返している。

「日が暮れる前に辺りの確認は十分にしたじゃないかい。ゴブリンの姿もなければ、虎頭人ウェアタイガーの姿もなかったからねぇ~」

「とりあえずは、大丈夫だろう」

 私たちは、もともとゴブリンの討伐を終えた後、そのまま街へ戻るつもりでいた。

 けれども、虎頭人ウェアタイガーの出現によって予定が大きく変わってしまったたため、とりあえず周囲の安全を確認したうえで、この湖のほとりで野宿することを決めて、今に至っていた。

 食料は余分には持っていなかったけれど、オルトスさんの背負っていた大きな背負い袋ナップザックには、十分なほどの食料があったので、それを分けてもらうことになった。

 でも、昼間のお肉を焼いたせいでゴブリンが集まってきてしまったことがトラウマになっているのか、オルトスさんはお肉を焼くことを躊躇ちゅうちょしていた。

「本当に焼きますよ」

 お肉の塊を火にかけた鍋に向けて近づけていくけれど、そこからが全く進まない。

「早くしな」

 セレスさんは、イライラした口調で怒鳴っていた。

 渋々、オルトスさんは、お肉の塊を鍋に落とす。

 ジュゥゥゥゥ……とお肉に火が通っていく音が心地よく響いた。

 お肉の焼ける臭いが、私たちの鼻腔をくすぐり、食欲をわかせてくれる。

「美味しそうな匂い」

 小さなお鼻をヒクヒクさせて、ニット君は生唾を飲み込んでいた。

 お肉が大好きなニット君には堪らない香りだったことだろう。

 両面に少し焼き目が付いたところでナイフで切り分けていく。

 岩塩を削って振り掛け、竹を削って作った太めの串で突き刺して、各々に配っていく。

「美味しそう~。食べていいの?」

 よだれを垂らしながら、今にも食いつこうとニット君はしていた。

「ああ、味わいながら食べな」

 セレスさんにそう言われ、「いただきます」と呟いてニット君は焼きたてのお肉の塊に食いついた。

 お腹が空いていたこともあるだろうけれど、お肉の香ばしい香りにはあらがえなかったみたい。

 無心でニット君は頬張っていた。

「いただきます」

 私も焼きたてのお肉を一口かじる。

 焼きたてのお肉は柔らかく、噛めば肉汁が溢れて口中に広がり、甘みを感じた。

 なんておいしいお肉なんだろう。

 これならば、ゴブリンたちがこぞって奪い合うのもわかる気がした。

「美味しいわね、ニット君」

「うん、美味しい」

 ニット君は、ご満悦の様子だった。

「明日は、街へと戻るよ」

 お肉を頬張りながらセレスさんが私たちを見回す。

「だが、その前にもう一度魔物がいないか確認は必要だな」

「確かに。そうだねぇ~」

 マックスさんの意見にセレスさんは頷いていた。

「もし、魔物がいたらどうするんですか?」

「その時は、その時で考えるだけだねぇ~。ゴブリンだったらとりあえず退治しなきゃならないし、あたいらの手に負えないような魔物だったら、逃げるって選択肢もあるからねぇ~」

「戦ってやっつけたりはしないの?」

 ニット君は、首を傾げながら尋ねていた。

 私も同じ考えだった。

「退治できる魔物だったら退治はする。だが、討伐依頼にはない魔物と無理に戦う必要はないからな。ただ、こいつが討伐しろって言うなら交渉次第ってことだな」

 左隣にいるオルトスさんを睨むようにマックスさんは見据えながら言う。

「街道に現れる迷惑なゴブリンをふたグループ掃除するのが今回の依頼です。ですが、虎頭人ウェアタイガーが現れ、イレギュラーが発生しました。イレギュラーに対応するのも冒険者の務めなのですが、その冒険者の能力に見合った魔物であれば、討伐の依頼は出します。しかし、虎頭人ウェアタイガーのような魔物だった場合には、さすがにあなたたち二人には依頼はしませんからご安心を」

 私とニット君に視線を向けながらオルトスさんが、そう言ってきた。

 虎頭人ウェアタイガーが相手ではDランクの私とニット君では荷が重い。

 いえ、どちらかと言えば、私には荷が重すぎる。

 ニット君は先の戦いで、オルトスさんに認められなかったけれど虎頭人ウェアタイガーを打倒しているので何とかできるかもしれない。

 けれど、できることなら戦ってほしくはないと思った。

 セレスさんとマックスさんでもやや苦戦していた感じだったので、ニット君が『エアブレード』の力を駆使して戦えば何とかなるだろうけれど、必ず勝てるという保証はないからだった。

 ニット君は時々、調子に乗ってしまうこともあったから、怪我などをしないか私は心配だった。

「もしも、虎頭人ウェアタイガーと遭遇してしまったら、討伐をお願いしますね」

 オルトスさんは、セレスさんとマックスさんの方に顔を向けて頭を下げていた。

「そう何匹も遭遇する魔物じゃないからねぇ~」

「次は、ちゃんと見ておけよ。ビビッて隠れるのは勝手だが、自分の仕事はちゃんとしろよな」

 マックスさんにビシッと言われ、「はい……」と力なくオルトスさんは応えていた。

 明日の私たちの行動は、これで決まった。

 起きたら周囲を探索して魔物がいないかを確認。

 もしも魔物がいたら、その魔物によっては退治するか、または別の冒険者に依頼として出すかをオルトスさんが判断してくれる。

 魔物がいなければ、私とニット君が受けたゴブリン退治の依頼は達成となり、街への帰路につくこととなる。

「いたたたた……」

 私は、左肩が痛み、つい声を漏らしてしまった。

「アテナ様、大丈夫?」

 ニット君が心配そうな表情で私の顔を見つめてくる。

「大丈夫よ。傷はセレスさんが魔法で治してくれたからね。でも、時々痛みが来るから……」

 苦痛に私の表情が歪む。

 ニット君は、すごく心配そうな顔をしていた。

「ボーヤ、安心しな。お嬢ちゃんの傷は完全に塞がっているから大丈夫だよ。ただ、痛みだけは暫く残るだけだから、そこまではあたいの魔法じゃあ対応できないだけだよ」

 ニット君の不安を払拭するようにセレスさんがそう言ってくれるけれど、ニット君としては心配なのだろう。

 私はできるだけ、痛みを感じても声を上げないように努めようと思った。

 ニット君は、過度に心配するようなところもあるから。

「本当に大丈夫よ」

 彼を安心させるために地面に座り込んでいる私の膝の上に座らせ、後ろから抱きしめた。

「心配してくれて、ありがとうね」

 ニット君の耳元で囁きかける。

 私の吐息がくすぐったかったようで、ニット君は私の膝の上で身をよじっていた。

 ザザザ……。

 湖の水面が揺れ、心地の良い水音が聞こえてきた。

 さわやかな風が、湖面を吹き抜け、水面を揺らしているようだった。

「ほえ?アテナ様、あれなあに?」

 ニット君が突然、湖の中心の方を指さして呟いた。

 私だけではなく、セレスさんもマックスさんもオルトスさんも反射的に湖の中心の方に顔を向けていた。

 ボコボコボコ……と湖面の一部が泡立っている。

「水が湧きだしているのかねぇ~?」

 セレスさんが、そんなことを呟く。

 でも、つい先ほどまでは湖面はあんな風に泡立っていなかったように思う。

 ボコボコボコボコ……と泡立つ音がより一層大きくなっているように感じられた。

 泡立つ勢いも増している。

 何か変だ。

 そう思った時だった。

 月明かりに照らし出された湖の湖面に黒い影のようなものが映り、私たちの視線がそこに集中する。

「何かいるぞ」

 マックスさんが声を張り上げていた。

 立ち上がりながら、幅広の大剣グレイトソード……『ドラゴンバスター』を引き抜いて構えていた。

 セレスさんも立ち上がって太ももにくくり付けていた二本の短剣ダガー……『白銀しろがねやいば』と『黒鉄くろがねの刃』を引き抜いて戦闘態勢をとっていた。

 私とニット君も慌てて立ち上がる。

 ニット君は地面に置いていた小剣ショートソード……『エアブレード』を鞘ごと拾い上げると、右手で柄を握って引き抜いた。

 そのまま自分の真正面に来るように剣を構え、攻撃に備えて防御の構えをとっていた。

 私も地面に置いていた鞘に収まる長剣ロングソードの金色の柄に手をかけた。

 鞘から白銀の刀身を持つ『聖剣エクスカリバー』を抜く。

 金色の柄に埋め込まれた真紅の魔法石が月明かりを浴びてきらりと光った。

 白銀の美しい刀身も月明かりを受けて照り返している。

 オルトスさんだけは、地面に座り込んだまま湖の方を凝視していた。

 武器すら持っていないし、戦いはできないらしいので仕方がない。

 湖面の泡立ちがより一層激しくなっていく。

「魔物は、いないんじゃなかったのかい?」

 セレスさんが、オルトスさんに向かって怒鳴る。

「いえ、もしかしたら未確認の魔物かもしれません」

 引きった表情でオルトスさんは叫び返していた。

 ザバァァァァァァ……と湖の湖面を持ち上げるように、水が天高くそそり立っていく。

 水しぶきが周囲に飛び散り、湖のほとりにいる私たちの方にもわずかながら飛沫しぶきが霧となって降りかかって来た。

「おっ……大きい!」

 私は、目を見開いて湖の中から現れたものを凝視した。

「ドラゴンか?」

 マックスさんが、そんなことを呟いた。

「えっ?ドラゴン?」

 ニット君が嬉しそうな声を上げていた。

 月明かりに照らし出されながら湖の中から姿を現したのは、大きな蛇のような長い首を持つ怪物だった。

 月明かりを背にしているのでわかりにくかったけれど、純白の鱗に覆われた巨大な蛇のような頭に長い首、トカゲのような胴体が湖から生え出ている。

 下半身は湖の中なのでどんな姿なのはわからない。

 白い鱗で全身を覆われているその表面を水滴が滑り落ちていく。

 目の前の怪物は恐ろしい姿ではあるけれど、その姿はとても神々しい雰囲気をまとい、美しいとさえ私は感じていた。

「リトルクイーンドラゴンかい?」

 セレスさんの口から驚きに塗れた声が飛び出した。

「リトルクイーンドラゴン?」

 私は思わず聞き返していた。

「攻撃するんじゃないよ」

 セレスさんは、ひときわ大きな声で叫んでいた。

 見上げるくらい大きくて長い蛇の首を持つ胴体がトカゲのような化け物……リトルクイーンドラゴン。

 巨大なその姿は、鋭く尖った塔のようにも見える。

 セレスさんは、ゆっくりと手にしていた短剣ダガーを鞘に戻していく。

 戦う意思がないことを見せるためなのかしら?

「ゆっくりと武器を仕舞いな」

 真剣な表情をしていたセレスさんの様子に、私は従った。

 ゆっくりと屈み込んで足元にある鞘に『聖剣エクスカリバー』を納めて、そのままにする。

 ニット君は、私の顔を見回している。

 武器を仕舞ってもよいのか戸惑っているみたいだった。

「ニット君。セレスさんの指示に従って」

 そっと声を掛けると、ニット君は渋々といった様子で鞘に『エアブレード』を納め、私と同じように地面に置いた。

「マックスも剣を仕舞いな」

「だが、相手はドラゴンだぞ」

 マックスさんが手にしている剣は『ドラゴンバスター』と呼ばれる幅広の大剣グレイトソード

 ドラゴンの強固な鱗をも紙のように切り裂けるという剣らしい。

 マックスさんが自分でそう言っていたけれど、実際にドラゴンと戦ったことがあるのかはわからないし、そんなにもすごい切れ味なのかは不明だった。

 けれど、その切れ味が本物であるのならば、目の前に現れたドラゴンに対しては一番有効な武器と言える。

「リトルクイーンドラゴンは、悪い魔物なんかじゃないよ。どちらかというと、聖獣としてまつられるような存在だよ」

 さとすようにセレスさんが呟く。

 よく見れば、上半身だけでも二階建てくらいの家と同じ大きさの体躯だけれど、その瞳は凶暴で凶悪とはかけ離れた感じがした。

 どことなく優し気で、暖かな感じを私は受けた。

「おそらく、このリトルクイーンドラゴンは、この湖の守り神的な存在だよ」

「守り神?」

 オルトスさんは、信じられないとばかりに首を傾げていた。

「あたいは別の土地で、こいつと同じリトルクイーンドラゴンを見たことがあるよ。湖に住む主的な存在だったねぇ~。リトルクイーンドラゴンは、湖を浄化し豊かにしてくれる存在なんだよ。だから、ここの土地の湖は水が綺麗だろう?魚などの資源が豊富だろう?」

「確かにそうです。魚や貝などがたくさんれますし、湖の中に凶悪な魔物が現れることとかもなかったです」

 オルトスさんが、呟く。

「このリトルクイーンドラゴンのおかげだねぇ~。だから悪い魔物じゃあないよ。たまたまここに現れただけだろうねぇ~。敵意を見せなければ襲ってはこないさ」

「わかった」

 マックスさんは、構えを解いて『ドラゴンバスター』を背に背負った鞘にゆっくりとした動作で戻した。

 リトルクイーンドラゴンは、しばらく私たちを値踏みするかのように微動だにせず眺めていた。

 私たちもうかつに動けず、膠着した状態が続く。

 どれくらいその状態が続いたのかはわからないけれど、リトルクイーンドラゴンはゆっくりとその巨体を湖の中に沈めていく。

 何もせずに湖の中にその巨体を沈めると、湖の湖面は静まり返ったように波一つ立たず、月の光を受けてキラキラと輝いていた。

「一体……何だったんだ?」

 マックスさんの呟きに「おそらく、夜にそれぞれの湖を見回っていたんだろうねぇ~。そしたらあたいらと遭遇した。どうしたもんかと様子を見ていただけだと思うねぇ~」とセレスさんは、安堵にも似た溜め息を吐いていた。

「もしも戦っていたら?」

 オルトスさんが、そんなことを呟いた。

「相手は、あれでもドラゴンだよ。あたいらで勝てるわけないじゃないかい。それに下手をすれば街にまで危害を加えることだってあり得たからねぇ~」

 高台にある街の方を見ながら、セレスさんは顎をしゃくった。

「放っておいて大丈夫なのか?セレス」

「こちらから手を出さなければ、何も心配はないさ。この湖を綺麗で豊かにしてくれる存在があのリトルクイーンドラゴンだよ。あながち、湖同士が繋がっているって言うのは本当かもしれないねぇ~」

 感慨深げにセレスさんは呟いていた。

「ほぇ~あれがドラゴンなんだ~。凄ぉ~い。おっきいし、かっこよかったなぁ~」

 ニット君は、念願のドラゴンを一目見れて感動すらしている様子だった。

「良かったわね。ドラゴンが見れて」

「うん」

 ニット君の頭に手を乗せて撫でてあげると、彼は嬉しそうに私の方を見て微笑んだ。

「あんなものがいたなんて……本当にいるなんて……」

 オルトスさんは、腰が抜けたのか座り込んだままだった。

「あんた、馬鹿なことを考えるんじゃないよ。あのドラゴンを討伐しようとかしたら、この湖は今のように豊かではなくなっちまうだろうし、街もどうなるかわからないよ」

「でも、危険じゃないんですか?」

「自分の縄張りを見回っていただけだろうねぇ~。あたいらが手を出さなかったら、大人しく引き上げていっただろう?ドラゴンは知能も高く賢い生き物なんだよ。怒らせれば、あたいら人間なんてひとたまりもないからねぇ~」

 確かに、あの巨体で襲い掛かられたらひとたまりもないことは、簡単に想像できた。

 さすがに戦いたいとは、私は思わない。

 でも、中にはドラゴンを退治して有名になりたいとか考える人がいるかもしれない。

「いいかい。このことは秘密にしておきな。今のこの豊かな湖を失いたくなかったらね。今住んでいる街を失いたくなかったらね。あのドラゴンを怒らせるんじゃないよ」

 戒めのようにセレスさんは、オルトスさんに言い聞かせていた。

「もしも怒らせてしまったら……?」

「何度言わす気だい?あんたの住んでいるあの街は、しかばね瓦礫ガレキの山に変わることだろうねぇ~」

 あの純白の鱗を持つ美しいドラゴンは、優し気な眼差しをしていた。

 初めてドラゴンという存在を目の当たりにしたので、全てのドラゴンが同じなのかはわからないけれど、あのドラゴンはセレスさんが言う様にこちらから手出しさえしなければ何もしてこないと思う。

 そんな気がしただけなので、確証はない。

 ただ、怒らせてしまって大暴れされたとしたらと考えてみたら、怖くなってしまう。

 あんなにも巨大な存在に立ち向かって勝てる見込みはないに等しいと思う。

「あなたはまるで、あのドラゴンが暴れたさまを見たことがあるような言い方をしますね」

 オルトスさんの指摘に「あるさ。だからこそ、あんたに何度も言っているんだよ」とセレスさんは怒気を含んだ声で応えていた。

「いったい、どこで見たというんですか?」

 オルトスさんが尋ねる。

 セレスさんは、苦虫を嚙み潰したような表情を一瞬見せたような気がした。

 拳が強く握られた。

 その握られた拳が微かに震えている。

 恐怖……とかではなさそうな気がする。

 何か怒りのようなものを押し殺そうとしているようだった。

 暫しの沈黙後。

「神聖王国ツイスト……」

 ポツリとセレスさんは、呟いた。

 神聖王国ツイスト?

 聞いたことない国の名前だった。

 剣国ソードアタック領内以外にある国の名前なのかしら?

「神聖王国……ツイスト……って、数年前に天変地異か何かで滅んだと噂が立った国じゃないですか?まさか……ドラゴンに滅ぼされたとでも言うんですか?」

 驚きの表情に塗れたオルトスさんの言葉に「うるさい。それ以上、聞くんじゃないよ」とセレスさんは怒声を張り上げた。

 こんなにも取り乱したセレスさんは、初めて見たかもしれない。

 セレスさんの大きな声に、ニット君は驚いて私の背後に隠れるようにして抱き着いてきた。

 明らかにセレスさんの様子は、おかしかった。

 その表情から、怒りに塗れていることがわかる。

 神聖王国ツイストという国でセレスさんに何かあったことは想像できたけれど、思い起こしたくない記憶のためか、その表情は険しかった。

「セレス……そのことは思い出すな」

 マックスさんが、セレスさんにゆっくりと歩み寄る。

 そっとセレスさんの華奢な身体をマックスさんの剛腕が抱きしめた。

「ああ……そうだねぇ~……」

 強く握りしめられていた拳は、力が抜けてダラリと垂れ下がる。

 マックスさんに身体を預けるように項垂うなだれていた。

 セレスさんの瞳から一筋の雫が零れた。

 泣いている?

 セレスさんが?

 私は、どうしていいかわからなかった。

 かける言葉も見つからない。

 聞くわけにもいかないと思った。

 あんなにも取り乱すくらい辛い体験をしたのではないかと想像すると聞けなかった。

「もう休め」

 マックスさんは優しげな声で囁く。

「ああ……」

 セレスさんは、消え入りそうな声で頷いた。

「あの……」

 オルトスさんが何かを言おうと口を開いた。

「お前は、もう何もしゃべるな。ぶっ飛ばすぞ」

 明らかに怒っているとわかる声でオルトスさんに向かってマックスさんは怒鳴っていた。

 その剣幕に恐れおののき、オルトスさんは両手で口を塞ぎ、コクコクと首を縦に振って頷いた。

「私たちも休みましょう?」

 私のお尻にしがみついているニット君にそっと声を掛ける。

「うっ……うん……」

 ちょっとビビり散らかした様子で私の顔を見上げてくる。

「セレスさんにもいろいろあるのよ。詮索はしちゃだめよ」

 小さな声でニット君に耳打ちする。

「僕はしないよ。怒られたくないもん」

 ニット君も小さな声で返してきた。

 毛布で彼の小さな身体をくるむ。

 地面に横になったニット君の身体を背後から抱きかかえるようにして、私も毛布で身体を包んで横になる。

 もしも、神聖王国ツイストという国がセレスさんの故郷で、先ほどのリトルクイーンドラゴンに滅ぼされたとしたら。

 悔しいと思うのかしら?

 それとも家族や知り合いなどが殺されたりして、復讐をしたいと思うのかしら?

 いろいろと考えてみた。

 でも、復讐はないと思った。

 そのつもりだったら、セレスさんはあのリトルクイーンドラゴンに攻撃をしていたはず。

 何か怒りを覚えるようなことと悲しいことがあったのではないかとしか考えられなかった。

 あの剣幕は、ただ事ではないと思う。

 でも、それを聞くことはできない。

 セレスさんを苦しめることになるような気がするから。

 でも、いつかは話してくれるかしら?

 聞いたから何かができるとは思わない。

 人に話せば少し楽になる場合もある。

 それは人それぞれだ。

 今は何も聞かずにいよう。

 それが一番良いような気がした。

「アテナ様?寝れないの?」

 考え事をしていたので、ニット君の不意の声にびっくりして声を張り上げてしまいそうになったけれど、私はこらえた。

「ちょっと考え事をしていただけよ。お休み、ニット君」

 私は、彼の額に唇をそっと当てて微笑む。

「おやすみなさい、アテナ様」

 ニット君は、嬉しそうな表情を見せると小さく呟き、目を閉じた。

 私も眠りにつくために、そっと瞳を閉じていった。

 セレスさんに寄り添うようにマックスさんが横になるのが視界の隅に入った。

 セレスさんとマックスさんの関係も気になるなぁ~なんて考えているうちに、私はいつの間にか夢の中へと誘われていた。



 夜は明けて、朝日が湖のほとりで休む私たちを揺り起こすように降り注いでいた。

 私はゆっくりと身体を起こす。

 ニット君はまだ寝息を立てて気持ちよさそうに眠っているので、起こさないように抱き起す。

 湖の方に視線を向けると、朝日を照り返して水面がキラキラと輝きを放っていた。

 昨夜は、純白の鱗を持つドラゴンがこの湖から現れた。

 けれど、それが夢だったのではないかと思うくら穏やかだった。

「お嬢ちゃん、起きたのかい?」

 不意に背後から声を掛けられ、ちょっとびっくりしながら私は振り返った。

「おはようございます。セレスさん」

 昨夜はあんなにも取り乱していたけれど、今はそんな様子は一切感じられなかった。

「昨日の夜はすまなかったねぇ~……恥ずかしい姿を見せちまったよ」

 頬を指先でかきながら、うつむきつつ恥ずかしそうに呟いていた。

「いえ……そんなこと……」

 ちょっとの間、私とセレスさんの間に沈黙が流れた。

「あの……一つだけ聞いても良いですか?」

「何だい?」

 答えてくれないかもしれないと思いつつも私は尋ねてみた。

「神聖王国ツイストってどこにあった国なんですか?聞いたことない国の名前だったので……」

 たぶん、セレスさん自身のことを聞いても答えてはくれないだろうと思った。

 でも、神聖王国ツイストって国のことなら答えてもらえるかな?と思って聞いてみた。

「この剣国ソードアタックの中にあった小さな小さな国だよ。今は龍王国ドラゴンキングダム領になっちまっているけどねぇ~」

「剣国内にあった国だったんですね……全然知らなかったです」

「とても小さな国だったからねぇ~。でも、数年前まではあったんだよ……あの時までは……」

 セレスさんの表情が悲しげなものに変わった。

「すまないねぇ~、お嬢ちゃん。これ以上は答えられないよ。あたいも気持ちがまだ整理できていないんでねぇ~」

 セレスさんは、これ以上聞かれるのを嫌がったのか私に背を向けた。

「いつか……聞かせてもらうことはできますか?」

「話す必要があるならば……ってことで、勘弁しておくれ」

 振り返りもせずにそう言うと、セレスさんは足早に逃げるように歩き去っていった。

 聞かれたくない何かがある。

 過去のセレスさんに何かがあったことはわかるけれど、興味半分で聞くようなことではない気がする。

 思い返したくないことなどもあるだろう。

 気にはなるけれど、いつか話してくれることを私は待とうと思う。

「う~ん……ほぇ?アテナ様?」

 ニット君が寝ぼけ眼を擦りながら、私の顔を見上げてきていた。

「おはよう、ニット君」

「おはよう、アテナ様」

 大きな欠伸をしながら、両腕を伸ばしてニット君は伸びをした。

 今日はこれから朝食を食べて、湖の周囲を探索して、街に戻らなければならない。

「ニット君、毛布を片付けたら、朝食の準備をお手伝いするわよ」

「うん、お手伝いするよ」

 私とニット君は、毛布を片付けた後、朝食の準備をしているセレスさんとマックスさんのお手伝いをするために小走りに向かって行った。



 皆で朝食をとり、周辺に魔物の痕跡などがないかを調べて歩いたけれど、何も見つからなかった。

 そのため、私とニット君が請け負ったふたグループのゴブリン討伐の依頼はとりあえず達成とみなされた。

 オルトスさんがそう判断を下したので、私たちは高台にある街……ウォーティスの街へと戻って来た。

 街に戻り、すぐさまギルドにセレスさんとマックスさんは乗り込んでいった。

 今回の依頼に対しての文句を言うためだった。

 オルトスさんの失態や仕事ぶりに対しての苦情。

 魔物の生態の把握が不十分だったこと。

 ギルドの対応など不満をぶちまけていた。

 そのため、ギルドに一部混乱をもたらしていたけれど、二人曰く、これは必要な苦情だとのことだった。

 セレスさんとマックスさんがいなかったら、私とニット君はゴブリンの討伐などできはしなかったことだろう。

 突如として現れた虎頭人ウェアタイガーによって命を落としていたと思う。

 当然、オルトスさんもその巻き沿いを喰らい、全滅という形で終止符を打っていたかもしれない。

 ひとしきり不満をぶちまけた後。

 ギルドからの報奨金を受け取ることができた。

 と、言ってもゴブリン退治に対する報奨金が出ただけだった。

 虎頭人ウェアタイガーの出現はイレギュラーだったけれど、この討伐に対してはBランク冒険者が勝手について行って遭遇し、退治をしただけという判断をギルドは下していた。

 私とニット君が虎頭人ウェアタイガーを討伐していたのならば、イレギュラー対応として認められ、迷惑料という名の追加報酬を貰えたらしかった。

 あと、虎頭人ウェアタイガーの素材は、何かに使えるわけではないため、ギルドは素材としての買取も拒否していた。

 まあ、セレスさんの雷の魔法で丸焦げになってしまった虎頭人ウェアタイガーは、素材としての価値もなかったので当然と言えば当然だったかもしれない判断だと思う。

「あの……この報奨金で何か美味しいものでも食べに行きませんか?」

 怒りおさまらずといった感じのセレスさんとマックスさんに恐る恐る私は声を掛けた。

「はぁ~……腹が空いているからイライラするのかねぇ~」

「かもしれね~な」

 延々とセレスさんとマックスさんの苦情を聞き続けていたギルドの受付嬢は、やっと解放されるといった様子で安堵の表情を浮かべ、小さく溜め息を吐いていた。

「何を食べましょうか?」

「お肉食べたい」

 ニット君が手を上げて宣言した。

「良いねぇ~」

「美味い肉でも食おうぜ」

「うん、お肉。お肉ぅ~」

 ニット君のお肉宣言にセレスさんもマックスさんも乗っかった。

 私は小さく溜め息を吐く。

 今貰った報奨金で足りるかしら?

「アテナ様、早く。早くぅ~」

 ギルドの入り口へ向かって小走りに駆けていくニット君が私に手招きをしている。

「はい、はい、今行くわよ」

 私は、セレスさんとマックスさんを追いかけ、入り口のドア付近で佇むニット君の小さな手を握った。

 お金が足りなくなったら、またギルドで依頼を受ければいいだけよね。

 その時は、またイレギュラーなことが起きないことを私は切に願った。

 だって、私の手に負えない魔物の討伐なんて、怖いんだもの。

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