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第3話 アテナ救出

 僕は、走った。

 ただただ走った。

 僕の右足につけられた足枷あしかせの鎖が長年の劣化などによって錆び、偶然にも奴隷商人から逃げることができた。

 でも、逃げる途中で見つかってしまった。

 捕まったら酷い目にあわされる。

 それは、わかっていた。

 だから、僕は無我夢中で走った。

 どこをどう走ったかは覚えていない。

 そんな僕は、わき道から飛び出した際に女の人とぶつかってしまった。

 多分…この街に住んでいる人ではないと思った。

 薄い紫色の簡素な服に身を包んでいて、短めのマントのようなものを羽織はおっている。

 旅の人かもしれない。

 腰には鞘に納められた金色の柄をした剣をぶら下げていた。

 この女の人には不釣り合いなものだと感じたけれど、神々しいような、ただならぬ気配を剣からは感じた。

 黒い髪を三つ編みにした綺麗な女の人だ。

 大きな黒い瞳は、宝石みたいに輝いているように見えた。

 すごく優しそうな人だと一目見て僕は、そう感じた。

 僕は、目の前の女の人から視線を逸らすことができず、じっと見入ってしまった。

 そんなことをしている場合じゃないのに。

「大丈夫?」

 三つ編みの女の人は、僕に優しい言葉をかけてくれる。

 ぶつかってごめんなさいと謝りたかったけれど、声が出せなかった。

 僕の後ろから、奴隷商人の二人が追いかけてくる声が耳に入ったからだった。

 僕は、怖くなって震えた。

 一度震え出したら、震えが止まらなくなってしまった。

 無意識にぶつかった女の人に、しがみついていた。

 助けてほしかったのかもしれない。

 この人なら助けてくれるかもしれないと、無意識に思ったのかもしれない。

「逃げなさい」

 女の人は、僕にそう言ってくれた。

 奴隷商人に引き渡そうとはせず、逃げろと僕の背を押してくれた。

 女の人の温かい手が僕の頬を優しく撫でてくれた。

 なんだか…優しくされて、すごく嬉しかった。

 僕は、女の人に背中を押された途端に走り出した。

 でも、あの人のことが気になった。

 だから、走りながら何度も振り返ってしまった。

「きゃあ!」

 女の人の悲鳴が聞こえた。

 足が止まりそうになったけれど、僕の足は止まらなかった。

 

 そんな僕は、前を見ていなかったため、何かにぶつかった。

 僕は、はじき返されて転んだ。

 見上げると熊のように大きな体格の男の人にぶつかったみたいだった。

 背中に大きな剣を背負っている。

 腕や足の筋肉が鍛え上げられた戦士という風貌ふうぼうをより強く見せていた。

 でも、その人は僕のことなんて見ていない。

 僕の背後の方に視線が行っている。

「きゃああぁ」

 女の人の悲鳴が微かに聞こえた。

 さっき僕に逃げろと言ってくれた女の人の声だということは、すぐに分かった。

 女の人は、奴隷商人に何度か鞭で打たれ、連れていかれてしまった。

「ああ…」

 それを僕は目の当たりにし、小さく声を漏らすしかできなかった。

 なぜだかわからないけれど、涙が出てきた。

 僕に優しくしてくれた人が連れていかれてしまった。

 どんな目にあわされるのか想像がつく。

 だからなのか、それとも悔しかったのかわからないけれど涙があふれて止まらなかった。

「どうする?マックス。ありゃあ、奴隷商人だよねぇ~?」

「そのようだな。あの嬢ちゃんと一緒に聖剣まで持っていかれちまうのはな…」

 連れていかれてしまった女の人を遠目に見ながら、男女の二人はそんなことを話していた。

「ん?ボーヤ、あんた、あの奴隷商人のところの子かい?」

 黒い短めの髪の毛の女の人が、僕に尋ねてくる。

 身体にぴったりと密着した漆黒の服に身を包んでいて、左右の太ももにはそれぞれ一本づつ短剣をくくり付けていた。

 ちょっと切れ長の目つきが怖そうな感じの女の人だ。

 僕は、涙をこぼしながらうなずくことしかできなかった。

「そうかい…なら…」

 女の人は、携帯していた右の太ももに括り付けられていた鞘から短剣を取り出す。

 黒い刀身が不気味に光る。

 それを僕に向けてくる。

 殺される。

 そう思ったら怖くなって震えが止まらなくなった。

 その場から一歩も動けなくなってしまった。

 女の人の握った短剣の黒い刀身が何かに包まれている。

 多分、何かの魔法を短剣の刀身にまとわりつかせているみたいだ。

 この女の人は、魔法が使えるみたいだ。

 魔法戦士と呼ばれる人かもしれない。

 魔法をまとわせた短剣が、僕を狙う。

「大人しくしていな」

 短剣が振り下ろされる。

 僕の足首に着けられていた足枷あしかせが切れて地面に転がった。

「たっ…助けてくれるの?」

 震える声で、僕は言葉を絞り出す。

「ボーヤの代わりに連れて行かれちまったお嬢ちゃんを取り返したいんでね。自由にしてやったんだから、あの奴隷商人の居場所を教えてくれるかい?」

「あの女の人を助けに行くの?」

「まあ…結果的には助けるってことになるのかねぇ~?マックス」

 女の人は、隣の熊のような体格の男の人…マックスと呼ばれた人に話しかける。

「そういうことだな。これで自由になれたんだ。セレスに感謝しな」

 男の人は腕組みをしたまま、足元の僕を見下ろしている。

 セレスって言うのは、僕の足枷を外してくれた魔法戦士の女の人のことかな?。

「ぼっ…僕も行く…」

 なぜか、僕はそんなことを言っていた。

「あのお姉さんを…助けてあげたい」

「そうかい。なら、案内を頼むよ」

 セレスさんは、そう言うと歩き出す。

 僕は、両手で涙をぬぐって案内をするように二人の前を歩き出した。

 怖いという思いはなかった。

 優しくしてくれた女の人を助けたいという思いだけが、この時の僕を揺り動かしていた。


 奴隷商人がアジトにしていたのは、川沿いの道からいくつかわき道に入ったわかりにくい場所だ。

 ちょっと古びたレンガ造りの倉庫だ。

 その倉庫の周辺にはガラの悪い男たちがたむろしている。

 奴隷商人が雇った手下たちだ。

 腰に剣やナイフなどを装備し、周囲に警戒の目を向けている。

 一階から建物内に侵入するのは難しい。

 何人の手下がいるのか正確にはわからないけれど、かなりたくさんの手下を雇っている。

 それをすべて相手にして中に入るにはかなりのリスクがある。

 だけど、二階は別だ。

 二階は奴隷商人が使用している部屋がいくつかあるだけなので、手下もそんなに多くはいないはずだ。

 レンガ造りの倉庫の外には、いくつもの木箱が無造作に置かれてる。

 身を隠しながら移動するのはたやすい。

 それに、その木箱は階段状に積み上げられているので、登ろうと思えば二階の窓までは簡単に行ける。

 まあ、その木箱を登って行こうと考えるような人はいないので、警戒はほとんどされていなかった。

 僕とセレスさん、マックスさんの三人は、木箱の上に登って二階の窓へと近寄る。

 そこから中を覗き込む。

 二階には三つ部屋があり、それぞれを覗き込んでみると真ん中の部屋に奴隷商人の小太りの男とやせ細った男の二人とあの三つ編みの女の人がいた。

 黒い三つ編みの女の人は、口に布を噛ませられ、しゃべれないようにされていて、手も後ろ手に縄できつく縛られていた。

 床の上に頭を押し付けられて、強制的にしゃがまされている。

 小太りとやせ細った奴隷商人を睨みつけている。

「あのお嬢ちゃんと奴隷商人の二人だけのようだねえ~」

「一階には、いっぱい悪い人たちがいるよ」

「まあ、嬢ちゃんを救出して逃げるだけだから、問題ないだろう」

「でも、あいつらは人を簡単に殺しちゃうんだ…」

 僕は、窓よりかかりながら、室内を見つめる。

 男たちは、三つ編みの女の人に何かを言っているようだけれど、声までは聞こえてはこない。

 小太りの奴隷商人が鞭を取り出した。

 三つ編みのお姉ちゃんを殴るつもりみたいだ。

 それを目にした瞬間。

 僕は、身の乗り出しすぎてしまった。

 ガシャン!

 体重をかけすぎたのか、窓枠が外れかかっていたのかはわからないけれど、窓が外れて床に落ち、激しい音を立てた。

「誰だ?」

 奴隷商人の小太りの男が、窓の外の僕たちを見つけて睨みつけてきた。

「マックス、行くよ」

 短い髪の女の人セレスさんは、躊躇ためらいもせずに窓から室内に滑り込む。

 黒い服に包まれた細い身体は、すんなりと窓を通り抜けていく。

「ああ、いっちょ暴れてやろうぜ、セレス。下から来る連中は、俺に任せろ」

 大柄の体格の男の人マックスさんも無理やり窓から入ろうとするけど、狭くて入れない。

 しかも、背中に大きな剣を背負っているので余計に窓を通り抜けることができなかった。

「狭い窓だ」

 背中に背負っている大きな剣を引き抜くと窓のあたりのレンガに力いっぱい叩きつけた。

 レンガが砕け、破片が室内へと向かって飛んでいき、窓が広くなった。

 そこから室内に飛び込んでいく。

 僕も入ろうかどうしようか迷ったけれど、意を決して室内に飛び込んだ。

 だけど、飛び込んだ僕は何も武器らしいものは持ち合わせていない。

 何も出来ないことに気づき、僕は慌てて室中の物陰に身を潜めた。

 自分的には勇ましく室内に入ってみたものの、やっぱり、怖い。

 そんな思いに駆られて、身を隠すことしかできなかった。

「何者だ?貴様らは?」

 小太りの奴隷商人が、セレスさんとマックスさんに怒鳴りつける。

「誰だって、いいだろう?そのお嬢ちゃんをもらっていくよ」

 三つ編みの女の人を指さして、そう宣言する。

「ひひっ!この女もいい女じゃないですか?高く売れそうですよ」

 やせ細った男が、いやらしい目をしながらボディラインを強調した黒い服に身を包んだセレスさんをめ回すように下から上へと値踏みするかのように見つめていた。

「ふん、気色の悪い、ゲス野郎が」

 セレスさんは、太ももに巻き付けていた鞘に入れていた短剣を両手に持ち、構えた。

 二つの短剣は同じ形をしているけれど、色は白と黒で違う。

 白い短剣は、刀身から柄までがすべて白く、非常に美しい。しかも、柄の端には赤い宝石のようなものが埋め込まれている。よく見ると、刀身部分にもすごく小さな黄色と青い丸い宝石が埋め込まれている。

 黒い短剣は、白いものと同じで刀身から柄までが真っ黒だ。柄の端には紫色の宝石が埋め込まれている。こっちも刀身に白色と緑色の宝石が埋め込まれていた。

 埋め込まれている宝石は、『魔法石マジックストーン』と呼ばれるものかもしれない。

 使用者の魔力を増幅させる効果があるって聞いたことがある。

 僕の足枷を切ったときみたいに、短剣の刀身部分が何かの魔法で包まれる。

 その短剣を振り回すと、短剣から風の刃みたいなものが飛び出した。

 一瞬のことで、かわすことはできなかったようだ。

 やせ細った男の人の身体に当たると、血しぶきが舞った。

 やせ細った男は、そのまま仰向けに倒れると動かなくなった。

「このアマ

 小太りの奴隷商人は、そばでひざまづかせていた三つ編みの女の人の首に手を回し、引きずり立たせるとそのまま盾にした。

 これじゃあ、あの短剣から打ち出される風の刃では攻撃できない。

 三つ編みの女の人は逃れようとして、身を揺らすが奴隷商人は離さない。

「その短剣で攻撃してみろよ。この助けようとしている女がこうなるぞ」

 床に倒れ伏す血まみれのやせ細った仲間の男を足で小突こづいた。

 このままだと魔法でセレスさんが攻撃できない。

 その様子を物陰て見ていた僕は、必死に奴隷商人の手から逃れようと藻掻もがいている三つ編みの女の人をどうしても助けたい衝動にかられた。

 僕を奴隷商人から逃がしてくれた。

 そのせいで捕まってしまい、こんな目にあっている。

 僕のせいだ。

 だから、僕がやらなきゃ。

 僕が、今度は助けなきゃ。

 僕は、意を決して物陰から飛び出した。

 もう、無我夢中だった。

 三つ編みの女の人を助けたい。

 その一心だった。

 だから、小太りの男の太ももに思いっきり嚙みついてやった。

「いたたたたたた」

 小太りの男が悲鳴を上げ、怒りに満ちた目で、噛みついている僕を睨みつけてくる。

 僕に向かって振り下ろすべく、鞭を振り上げた。

「ボーヤ、よくやった」

 短い黒髪を揺らしながら、セレスさんは短剣を一振りした。

 短剣の切っ先から風の刃が飛び出す。

 それは、奴隷商人の鞭を持った右腕を肘から切り落とした。

「ぎゃああああああ」

 大きな悲鳴を上げてうずくまる。

 三つ編みの女の人は身をよじって奴隷商人の魔の手から逃れる。

 僕はすかさず、口にあてがわれていた布を取り外し、後ろ手に縛られている縄を解こうとしたけれど、縄はきつく縛られていてほどけない。

「あたいに任せな」

 セレスさんの短剣があっさりと縄を切ってほどく。

「マックス。逃げるよ」

 部屋の入り口のドアから騒ぎを駆けつけて次々にやってくる奴隷商人の手下たちを大きな剣で殴りつけているマックスさんに声をかける。

「先に行け」

「ボーヤ、お嬢ちゃん、早く行きな」

 僕と三つ編みの女の人は、窓から出るようにうながされ、素直に従う。

 そのあとに、セレスさんが窓から外に出て、部屋の入り口にやってくる手下の男たちに風の刃をいくつも放つ。

 手下たちの悲鳴が次々に上がる。

 その隙に、マックスさんは窓まで駆け寄ると外に飛び出した。


 僕たちは、奴隷商人のアジトから脱出したあと、川にかかる橋を渡って川向こうの街に移動した。

 見つかると面倒なので、街の出入り口付近にある宿屋に逃げ込み、身をひそめた。

 僕たちは、同じ宿の同じ部屋に4人でいるところだ。

「助けてくれてありがとうございます」

 三つ編みの女の人が、深々と頭を下げた。

「別に礼には及ばないさ。ただ、その『聖剣エクスカリバー』を譲り渡してくれさえすればいいだけだよ」

 セレスさんは、三つ編みの女の人の腰にぶら下がる金色の柄をした剣を指さした。

「確か…この街に来る前に出会った方ですよね?え~と…」

「あたいは、セレス。セレス・セレナだよ。これでも魔法剣士なんだよ」

 セレスさんは名乗り、太ももに巻き付けていた鞘から短剣を抜き放つと、その刀身に炎の魔法を帯びさせた。

 刀身を炎が包み込んで燃えている。

 短剣を軽く振ると、炎は消え去った。

 多分、奴隷商人の腕を切り裂いた風の魔法と同じで、刀身に様々な魔法をまとわせることができるみたい。

 魔法が使えることをアピールした後、短剣を鞘に戻した。

「こっちは…」

「マックス・ディアーだ」

 セレスさんが紹介しようとした熊のように大きな体格をした男の人は、自ら名乗った。

「俺は、剣士だ。こいつは、愛用している『ドラゴンバスター』だ。ドラゴンの堅い鱗でも豆腐のように切れるっていう剣だ。セレスの『白銀しろがねやいば』と『黒鉄くろがねやいば』みたいに魔法をまとわせたりはできないが、ドラゴンでも楽々叩き切れるぜ」

 背中に背負っている幅広の大きな剣を自慢そうに引き抜くと見せてくれた。

 かなり大きな剣ですごく重そうだけど、マックスさんは片手で軽々と持ち上げている。

 切れ味がよさそうで、柄のあたりに大きめの緑色の宝石が埋まっていて、その左右には小さめの赤と青の宝石が埋め込まれていた。

 刀身部分には、文字のようなものが刻み込まれているけれど、文字が読めない僕にはなんて書いてあるのかはわからなかった。

 狭い宿の部屋の中で、こんなにも大きな剣を抜き放つ必要はないと思うんだけど。

 それと、セレスさんの二本の短剣は『白銀しろがねやいば』と『黒鉄くろがねの刃』というらしい。

 てことは、白い短剣の方が『白銀の刃』で、黒い方が『黒鉄の刃』ってことかな。

「私は、アテナ。アテナ・アテレーデです」

 艶やかな黒い三つ編みの女の人が名乗った。

「私を助けてくれたのは、この『聖剣エクスカリバー』が欲しかったからですか?」

「そうだよ。それ以外に助ける理由はないよ」

「でも、この間…引き抜くことができたら渡すという条件で挑戦して、抜けなかったと思いますが…」

「それでも、あたい達は、その剣が欲しい」

「わかりました。では、こうしましょう。このエクスカリバーを机の上に置きます。手に取り、持つことができたら差し上げます。できなかったら、諦めてくださいね」

 アテナと名乗った三つ編みのお姉さんは、腰の剣を引き抜き、テーブルの上にゆっくりと置いた。

 小さなテーブルのため、剣の柄と切っ先の部分がテーブルから、はみ出している。

「いいだろう、挑戦させてもらうよ」

 セレスさんは、ゆっくりと柄に手をかけて力をめる。

「何?何で動かないんだい?」

 顔を真っ赤にして持ち上げようとしているけれど、剣はびくともしない。

 テーブルの上に置いてあるだけなのに、貼りついてしまったように動かない。

「おいおい、セレス。何、冗談やってんだよ。地面に突き刺さっていないんだぞ。テーブルに置いてあるだけだぞ」

「動かないんだよ。なんでこんなに重いのに、テーブルが壊れないのか不思議でならないよ」

 セレスさんは、困惑した表情で剣を見下ろしていた。

「俺がやる」

 今度はマックスさんが、剣の柄を握った。

 マックスさんくらい大きな体格で筋肉がある人であれば持ち上げるのなんて簡単にできそうだ。

 だけど、セレスさんの時と同じく全く動かなかった。

「何だ?どうしてだ?テーブルに置いてあるだけなのに動かない」

 何度持ち上げようとしても持ちあがらず、マックスさんも諦めたようだった。

「これで諦めてもらえますよね?」

 確認するように、尋ねられてもセレスさんとマックスさんは納得いかないような表情をしていた。

 僕は、そんなに重い剣なのかな?と気になって、こっそりと剣の柄に近寄ると手をかけた。

 テーブルは、僕の身長よりもちょっとだけ高い。

 なので、僕の頭よりも上に剣がある。

 下から上に力を籠める。

「ふぃ~…重い…」

 僕がやっても剣は動かなかった。

「あら?君は…奴隷商人の…」

 この時、ようやく気が付いたみたいだ。

 三つ編みの女の人は、僕を見つけ、屈んで僕と同じ目線に立ってくれる。

「君のお名前は?」

 にっこりと微笑みながら尋ねられたので、僕は少し恥ずかしくなってしまった。

 照れながら「ニット」とだけつぶやいた。

「ニット君ね。君はもう自由よ。君のおうちに帰りなさい。ご両親も心配しているんじゃないかしら」

 僕の頭に手を乗せて優しく撫でてくれる。

「僕…お家ない…親もいないの…だから…帰る場所はない…」

 僕は、急に悲しくなった。

 奴隷商人から解放されたけれど、僕には何もなかった。

 服すらない。

 腰にぼろ切れを巻いているだけだ。

「じゃあ、独りぼっちなのね?」

 尋ねられ、僕はゆっくりとうなずいた。

「なら、私と一緒ね。私も両親はいないし、今は独りぼっちだから…一緒に来る?」

 僕に向かって微笑むと手を差し伸べてくる。

「いいの?」

 恐る恐る尋ねる。

 僕一人では、生きてはいけない。

 どうすれば生きていけるのかわからない。

 何をすればいいのかもわからない。

 助けてもらえるのなら…僕はすがるような思いで女の人の手を握った。

「独りぼっちは寂しいけれど、二人でいれば寂しくはないわよね。よろしくね、ニット君」

 ギュッと握り返してきてくれた。

「よっ…よろしくお願いします…あっ…アテナ様」

 僕は、三つ編みの綺麗な女の人の吸い込まれるような黒い瞳を見つめながら頭を下げた。

「アテナでいいわよ。私はすごく偉い人ではないから、『さま』なんてつけなくていいんだから」

 アテナ様は、ウインクして見せた。

 でも、僕は…出会った時に思ったことがあったんだ。

 僕が、わき道から飛び出してぶつかったにもかかわらず、優しい言葉をかけられたときに。

『女神様だ!』って、この人のことをそう思ったんだ。

 だから、僕にとっては、この人は女神様なんだ。

 女神様なんだから、『さま』をつけるのは当たり前。

「アテナ様」

 もう一度、名前を呼ぶ。

 アテナ様は、困ったような顔をしている。

 困らせたくはない。

 でも、僕はこの人のことを『女神様アテナさま』と呼びたいんだ。

「もぅ~…しょうがないわね。君が私のことを『様』付けで呼ぶなら、私はその間はニット君って『君』付けで呼ぶからね」

 ちょっぴり頬を膨らませながら、アテナ様はそう言ってくるけれど、怒っている感じはしない。

「それと、敬語は必要ないからね。子供は子供らしくするのがいいと私は思うの」

 アテナ様は、優しく微笑んでくれる。

 その笑顔は、やっぱり女神様その人だ。

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