第24話 ゴブリンとの遭遇
森を抜けた先には、大きな大きな水溜まりが広がっていた。
私が両腕を広げても足りないくらい大きい。
「ほぇ~……これが海っていうものなの?」
ニット君は、目の前に広がる巨大な水溜まりを物珍しそうに見つめながら、呟いた。
「違うよ、ボーヤ。これは湖っていうんだよ」
すかさずセレスさんが訂正する。
「湖?」
ニット君は首を傾げながら、陽の光を受けて輝く水面を眺めている。
よく見れば、湖の周囲には木々が立ち並び、緑豊かな森が広がっている。
ここは森の中にできた窪みに長い年月をかけて水が溜まって出来上がった湖の様に見える。
あくまで私の推測なので、本当にそうなのかは定かではないけれど。
「海はもっとでかいもんだ。それにしょっぱいんだぞ」
マックスさんが両手を広げて広大な海を表現しようとしている。
「海はもっと大きいんだね。僕、見たことないからわかんないや」
私も海を見たことはない。
私が暮らしていた場所は、鬱蒼と茂る森の中だったし、近場に海というものはなかった。
でも、この目の前の湖よりも小さい湖は見たことはあったので、湖という存在は知っていた。
生きていくための貴重な水源だったからだ。
「綺麗な湖ですね」
湖の中を覗き込むと、水は澄んでいて、魚が気持ちよさそうに泳いでいるのが見えた。
水草が生え、その水草に隠れるように小魚がたくさんいる。
貝や海老などの姿も見えた。
水産資源が豊富な湖なのかもしれない。
「湖もいいけれど、今日はあそこまで行く予定だから、サクサク行くよ」
セレスさんが指を指し示す。
その方向を見れば、やや高台の上に築かれたであろう大きな街が見えた。
石造りの堅牢な城壁に囲まれた街の様だった。
どこの街も大概、同じような造りになっている気がする。
街をぐるりと囲むように高い城壁で囲って外敵の侵入を防いでいる。
外敵とは、主に魔物だ。
魔物は、人々の生活を脅かす危険な存在のため、それらから身を守るためにはどうしても城壁などの壁を築いて自衛するしかない。
小さな村などは、木の柵や塀を築いて魔物の侵入に備えているけれど、こちらは焼け石に水状態だ。
木の柵などでは簡単に魔物に破られてしまったり、乗り越えられてしまったりする。
そのため、街は高い城壁で強固に守られているのだった。
私たちは湖の外周を少しだけ周り、再び森の中を通って高台方面に進んでいく。
街の周辺にはポツン、ポツンと寂し気に木が立ち並ぶ。
高台を登り切り、街を囲む城壁の入り口である門のそばまでやって来た。
どれくらい登って来たのか気になり、私は振り返って見下ろした。
「わぁ~……すごい。湖がいっぱいありますよ」
眼下に広がるのは、緑の木々と青い湖だった。
湖は一つだけではなかった。
十個ほど湖があった。
大きさはそれぞれ違うけれど、木々に囲まれた中に所々、湖がアクセントのようにその存在を主張していた。
その遥か先には、川のようなものが見えるけれど、森の木々に隠されているため気づきにくい。
「ほぇ~……本当だぁ~……水溜まりがいっぱいだ」
ニット君が感嘆の声を漏らす。
確かに、私たちがいる位置からだと、はるか遠くに湖があり、その大きさは水溜まり程度にしか感じられなかった。
けれど、この街に辿り着く前に見た湖はかなり広かった。
おそらく、あの湖と同じくらいの大きさのものが十個ほどとなると、一つ一つの湖はそれなりの大きさであることが伺えた。
陽の光を受けて煌めく水面は、まるでダイヤモンドのような輝きに見え、それはそれで絶景だった。
「こりゃ凄いねぇ~」
額に手を当てて、セレスさんも眼下に広がる光景を眺めていた。
「湖の上に船が浮いていないか?」
マックスさんは目を細めて呟く。
「ああ、確かに船らしきものが見えるねぇ~。魚介類でも取っているんじゃないかねぇ~」
ちょっと小さめの湖に何かが浮いているのが見えた。
船というと川を航行する帆船を思い起こすけれど、そんな感じには見えなかった。
「帆がないようですけど……」
「ハハハ……そういう船じゃないよ。手漕ぎの小型船舶だろうねぇ~」
「ボート?」
聞きなれない言葉に、私は首を傾げた。
オールという道具を使用して推進力を得て航行する人力の船だとセレスさんは説明してくれた。
私の知らないことがまだまだいっぱいあるんだと、思うと楽しくなってくる。
知らないことを知るのも、旅の醍醐味だろう。
「美味い魚とか食えそうだな」
マックスさんは、舌舐めずりをして呟く。
「まずは、冒険者ギルドに向かおうじゃないかい。お嬢ちゃんとボーヤの戦いの経験を増やすためにも、簡単な依頼を受けちまおうじゃないかい」
セレスさんの提案に異論はない。
私自身、強くならなければならないと思っているからだ。
ニット君も同じらしく頷いていた。
私たちは、門をくぐって街の中へと入っていった。
冒険者ギルドは、すぐに見つかった。
大きい街とあって、やはりその街の大きさに比例して冒険者ギルドの規模も大きいみたい。
「あそこに冒険者ギルドって書いてあるよ」
文字が読めるようになったニット君は、街の中を歩きながら看板を見つけては、「あれは、武器屋って書いてあるんだよね?」とか「あっちは病院って書いてあるよ」と指さしながら私に言って来る。
毎日ちょっとづつではあったけれど、文字の読み書きを覚えさせて良かったと私は思っている。
これがニット君の自信に繋がっていくだろうし、何よりも生きていくためには必要なことだと思ったから時間をかけて覚えさせていった。
その成果が出てくれて私は嬉しくなった。
「そうね。よく読めたわね」
私は、彼の頭を撫でて褒めてあげる。
ニット君は、嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。
「お嬢ちゃんもよく教え込んだもんだねぇ~。関心するよ」
「ニット君には絶対に必要なことだと思ったからですよ。それに徐々にですけれど、計算もできるようになってきているんですよ」
「そりゃすげぇな。この間までは数字を数えるのがやっと位だったじゃねぇか」
「ニット君が努力しているからですよ」
私は屈み込むとニット君の小さな身体を引き寄せて抱きしめる。
「教え込んでいるお嬢ちゃんの方も凄いと思うけどねぇ~」
ニット君の頬に私の頬を擦り付けて頬ずりしている私の姿を横目に、セレスさんがぼそりと呟いていた。
教えるのは大変だったけれど、それでもニット君が諦めずに頑張ってくれたことがこの結果につながったと思う。
私一人の力ではないのだ。
そうこうしているうちに、ギルドの前までやって来た。
レンガ造りの紅白の建物。
それが冒険者ギルドだった。
鉄製の扉は開け放たれており、冒険者と思われる鎧兜に身を包んだ人や杖や槍などの武器を携えた人が出入りをしていた。
私たちもギルドの中に足を踏み入れる。
まず向かったのは、壁際に設置されているリクエストボードと呼ばれる依頼書が貼り出されているボードの前だった。
ボードの上にはそれぞれランクが書いてあり、自分の身の丈に合った依頼をそこから探す仕組みだ。
私とニット君はDランクなので、Dランクと書かれたリクエストボードから依頼を探していく。
魔物の討伐系の依頼が数多くあるようにも思う。
それ以外だと、指定されたキノコの採取とか、他の街へ荷物を届けるとか、迷いネコの捜索なんてものもあった。
冒険者がするような仕事なのかしら?と首を傾げてしまいそうな依頼もあって、見ているだけでも楽しいかもしれない。
「ふ~む……これがいいかもしれないねぇ~」
セレスさんは、リクエストボードに貼り付けられていた依頼書の一枚を乱暴に剝がし取った。
「どんな依頼内容ですか?」
私は、セレスさんがどんな依頼を選んだのか気になり尋ねた。
「ゴブリンの討伐依頼だよ」
ゴブリンとなら何度か戦っている。
多少は勝手がわかっているつもりだ。
何とかなりそうと思ったけれど「二組のゴブリンの群れの討伐……二十匹と三十匹の群れらしい」とその詳細を聞いて、一抹の不安を覚えた。
「ゴッ……ゴブリン二十匹と三十匹の群れですか?」
合計で五十匹ものゴブリンを退治しなくてはならない。
ニット君が何も考えずに『エアブレード』を振り回して風の刃や風の壁を乱用し、魔力が尽きてしまうような状況に陥ってしまったら、私一人で立ち回らなければならなくなってしまう。
ニット君に魔力を温存させる戦い方をさせようとしているのかもしれないと思った。
「まあ、あたいらもいるし、戦況がやばくなったら手を出してあげるから心配する必要はないねぇ~」
「だけど、ボーズはちゃんと自分の魔力を把握して戦い方を考える必要があるぞ。魔力が尽きちまったら、嬢ちゃんが一人でゴブリンと戦う羽目になるからな。そういったことを考えながら立ち回る必要があるお誂え向きの依頼じゃないか」
「はあ……大丈夫かしら?」
チラリとニット君の方を私は見る。
「だっ……大丈夫だよ」
ドギマギしながらニット君は呟いた。
ゴブリン二十匹と三十匹の二つのグループを討伐する依頼は、あっさりと引き受けることができた。
ゴブリンの討伐というだけあって報奨金はそんなに高くはない。
合計で五十匹ものゴブリンを退治しても、労力に見合っただけの報酬を得られないため、誰も引き受け手がなくて困っていたらしかった。
ゴブリンたちが出没するのは、第七番目の湖と第八番目の湖の間を通る街道付近らしい。
湖の周辺にはゴブリンたちが住み着くには最適な岩場があり、その岩場の周辺に穴を掘って生息しているみたい。
街道を通る際にゴブリンの群れに襲撃され、商人の隊商は食料や武具などを奪われたとのこと。
それに味を占めたゴブリンたちは、街道を通りかかる人を頻繁に襲っているとギルドの職員が迷惑そうな顔をしながら話してくれた。
もうじき日が暮れてしまうので、明日の朝一出発する旨を伝えると、ギルド職員が一緒に同行すると告げられた。
第七番目の湖と第八番目の湖までは片道で半日はかかるらしいので、同行して討伐確認をしてくれるとのことだった。
依頼を引き受けた後、私たちは宿屋に向かい一泊する運びとなった。
次の日の朝。
宿屋の一階で食事をとった後に、私たちは冒険者ギルドに向かった。
カウンターの受付嬢に声を掛ける。
「ああ、二グループのゴブリンの群れの討伐ですね。同行者を呼んできますので、ちょっとお待ちください」と受付嬢は告げると、カウンターの奥へと立ち去って行った。
代わりにやや痩せ細った、ちょっと頼りなさげな男性が姿を現した。
丸眼鏡をかけた男性は、欠伸をしながら「お待たせしました」と言ってきた。
起きたばかりなのか、ボサボサでだらしない茶色い髪をポリポリと掻き毟っている。
何だか頼りなさそうな人だと思った。
「私は、このウォーティスの街の冒険者ギルド職員で、オルトスと申します」
オルトスと名乗ったこの男性は、背中に大きな背負い袋を背負っていた。
水や食料など必要なものが入っているはずで、私たちが同行者の食事などを用意する必要はないので気が楽ではある。
「よろしくお願いします」
私とニット君は、オルトスさんに頭を下げた。
「え~と……Bランクの冒険者さんも一緒に行動すると聞いていますけれど……」
オルトスさんの視線が私とニット君から、セレスさんとマックスさんに向かう。
「ああ、あたいらがそうだよ」
セレスさんは自分を指さした後、マックスさんを指さして示す。
「あなた方が、Bランクの冒険者ですか?ゴブリンの討伐になぜあなた方が一緒についてくるのです?Dランクの依頼であなた方にはメリットはないと思いますが……」
まあ、もっともな疑問だと思う。
「別にメリット云々はどうでもいいんだよ。その二人に実戦を経験させて成長させるのが目的だからねぇ~」
セレスさんが、そんなことを言ってくれている。
ありがたいことだと思う。
「成長ですか……」
オルトスさんは、顎に指を当てながら、私とニット君を交互に見やる。
何か言いたげな表情をしているけれど、オルトスさんが口を開く前に「さっさと行こうぜ。ゴブリンが出没する場所まで案内してくれ」とマックスさんが声を発した。
「では、行きましょう」
オルトスさんは、ギルドの入り口の扉を目指して歩みを進める。
私たち四人は、その後を追随するようについて行った。
城壁に囲まれた堅牢な街……ウォーティスの街の門から外へ出て、高台から眼下の森に向かって下っていく。
「あのあたりが第七と第八の湖になります」
森の木々の合間から見える十個ほどの湖。
そのうちの二つが横並びに近く並んだ湖を指し示す。
「結構、遠いですね」
私の呟きに「早くても半日はかかりますからね」とズレた眼鏡のポジションを直しながら声を漏らす。
「頑張れば、往復で一日で戻ってこれそうだねぇ~」
ゴブリンの群れがすぐに見つかって、私とニット君が手早く処理をすれば何とか戻ってこれそうだと思うけれど、あっさりとゴブリンの群れが見つかるとは思っていない。
合計で五十匹ものゴブリンを私とニット君だけで討伐できるのか、私は不安な面持ちでいた。
「おい、お前は戦うことはできるのか?」
マックスさんは、唐突にぶっきらぼうな態度でオルトスさんに尋ねた。
「私ですか?私は戦いなんてしたことはありません」
オルトスさんは、胸を張って言う。
「はぁ?」
呆れたような声がセレスさんの口から洩れた。
「私は元冒険者などではなく、一般人です。それに今回はBランクの冒険者さんが付いてくるということだったので、私は引き受けました。何かあった際は守ってくださいね」
オルトスさんは他力本願な様子だった。
「全く……ゴブリン程度だからいいが……自分の身は自分で守ることくらいしてほしいもんだな」
マックスさんの辛辣な呟きが耳に入る。
「Bランク冒険者の方が守ってくれるという話しだったので、私は引き受けたのですが……」
「まあ、ゴブリン程度の相手からなら守ってやるよ」
投げやりな態度でセレスさんは呟いた。
「当てにしてますんで、よろしくお願いします」
オルトスさんは、セレスさんとマックスさんに対して頭を下げていた。
この人は武器すら携帯していない。
旅用のギルドの制服を身に着けている程度なので、本当に戦う気はないみたい。
「しかし、何だってこんなにも湖がいっぱいあるんだい?」
セレスさんは高台から眼下に見える森を見下ろして、その森の所々に陽光を受けて煌めく湖の数々を顎でしゃくる。
「ああ、あの湖たちは、元々巨大な川だったらしいですよ」
オルトスさんが答える。
「川だったんですか?あの湖が……?」
にわかに信じられず、私は声を張り上げていた。
「ええ、天変地異などが起きた際に地面が隆起したり、陥没して川が堰き止められて湖になったと聞いたことがあります。ほら、湖があるさらに向こう側に川が見えるでしょう?」
一番遠くにある十番目の湖のさらに先に森の木々に隠れて見えずらいけれど、右手側から左手側へと流れていく細長い川が見えた。
十番目の湖の先を行ったところ辺りで、その川が三つの支流に分かれていた。
それから察するに、かなり大きな川だったことが見て取れる。
「それぞれの湖の底には穴があって繋がっているという話しもありますね。確認した人がいるわけじゃないけれど、そんなことを言う人もいます。それぞれの湖には魚介類が豊富に生息しているので、我々にとっては水産資源豊富な命の湖ですよ」
そう言えば、宿屋の食事にはお魚や貝類が多く出されていた。
どれも新鮮で美味しかったことを思い出す。
ゴブリンの討伐が終わったら、この街に戻ってきてまたお魚を食べたいかも。
「あの湖の中には魔物はいないのか?」
ふと、疑問に思ったのか、マックスさんが声を上げた。
「十番目の湖にいると噂されていますね」
「噂?」
セレスさんが首を傾げた。
「ええ、遠目で巨大な生物を見たという報告はいくつもあるんですけれど、どんな魔物なのか詳細は誰にもわからないんですよ。だから、いるんじゃないかと噂されているだけですね」
十個も湖があれば、そのうちの一つくらいは魔物がいても不思議ではないかもしれない。
いえ、一つにしかいないって方が不思議かも知れない。
「ただ、先ほども言ったように湖の底には穴があって繋がっているんじゃないかって言われているのも、十番目の湖で目撃された巨大な生物が時々違う湖で目撃されたりしているので、そんな風に予測されているんですよね」
巨大な魔物が他の湖に移動できるとしたら、湖の底には大きな穴があることは間違いないことかもしれない。
「討伐はしないのかい?」
「直接的な被害がないですし、あくまでも目撃されただけなので……それにいつ現れるのかもわかりませんし、水の中ではわれわれ人間は無力ですよ。戦いたいという暇人で無謀な人は、なかなかいませんよ」
噂程度の魔物を討伐する依頼をギルドが出すわけがない。
実害があり、その存在をギルドが確認して把握していないと討伐系の依頼は成立しない。
噂だけで実在しない魔物を討伐することは誰にもできない。
ゆえに討伐依頼が出されることはない。
「この先の場所で、ゴブリンたちに襲撃を受けた報告が上がっています」
話をしている間に目的地付近までやってきてしまった。
「そうかい。それなら、ここいらで休憩をとって昼飯にしようかねぇ~」
「そうだな。ゴブリンどもに襲撃されたら落ち着いて飯も食っていられそうにないからな」
「賛成です」
「僕もお腹空いたよ」
ニット君は、お腹をクゥ~と鳴らして手で押さえていた。
「このパン、柔らかくて美味しいね」
ウォーティスの街で購入しておいたパンを頬張りながら、ニット君は美味しそうにムシャムシャと一心不乱に食べている。
よほどお腹が空いていたのかもしれない。
「確かに美味しいパンね」
焼きたてを売ってもらったけれど、さすがに時間が経ってしまったので冷めてしまっているが、モチモチでフワフワのパンは美味しい。
普段は日持ちさせるためにできるだけ水分を飛ばした硬いパンを齧ることが多いけれど、今日はゴブリンを討伐して街に戻るつもりなので、日持ちのことなど考えずに購入したのだった。
「この先にゴブリンが出るって話だから気を抜くんじゃないよ。それと、ボーヤは魔力を温存しながら戦うことを心掛けな。でないと、お嬢ちゃんが一人で戦う羽目になっちまうからねぇ~」
市場で購入していた新鮮なリンゴを齧りながら、ニット君に注意を促すセレスさん。
「うっ……うん……」
パンをごくりと飲み込みながらニット君は頷いていた。
「相手はゴブリンだ。できる限り剣で戦って、どうしてもって時にその剣の力を使うってくらいで何とかなるはずだ」
ニット君の腰に吊るされている小剣……『エアブレード』を指さしながら、マックスさんもリンゴに齧りついている。
ゴブリンと戦うのは私とニット君の二人だけ。
ギルドの討伐依頼を受けたのは私とニット君なのだから。
セレスさんもマックスさんも今回のゴブリン討伐には手出しする気はないと言っている。
けれど、よほど危険な場合には助けてくれるとも言っているけれど、ゴブリン相手に助けられていてはこれから先、冒険者としてやっていけない気がしてしまう。
何としても、私とニット君の二人だけでやり遂げなければならない。
そのためには、ニット君が魔力を使いすぎて戦えなくなることだけは避けなければならない。
だから、セレスさんもマックスさんもニット君に念押しをしてくれていた。
「ほぇ?いい匂いがする」
パンを食べ終えたニット君が鼻をヒクヒクさせながら、匂いの出所を探し求めて顔が宙を泳ぐ。
その匂いの出所はすぐそばだった。
私たち四人からちょっとだけ離れた場所で、一人ポツンと食事の用意をしている人がいる。
ギルドの職員のオルトスさんだ。
彼は、使い古した鍋を火にかけてお肉を焼いていた。
厚めに切られたお肉だった。
ジュゥゥゥ……と焼ける音を伴い、香ばしい香りが私たちの鼻腔をくすぐる。
とても美味しそうな匂いが辺りに漂っている。
ニット君は羨ましそうな瞳でオルトスさんの方を見つめている。
お肉が大好きなニット君には堪らないだろう。
こんなにもいい匂いをばらまかれたら、私もお肉を食べたくなってきてしまう。
「馬鹿!何やってんだい!」
セレスさんの罵声が飛ぶ。
「何って、私のお昼ご飯のお肉を焼いているんですよ」
口を尖らせて抗議の声をオルトスさんは上げていた。
「そんな匂いを漂わせていたら……」
マックスさんの声が途切れた。
背中に背負っていた大剣……『ドラゴンバスター』を引き抜いて立ち上がっていた。
ええっ?お肉を焼いただけなのにオルトスさんを切り伏せる気ですか?
そんなことを私は思ったけれど、違った。
オルトスさんが焼いたお肉の匂いに誘われて招かれざる者たちが現れたからだった。
「ゴブリンだ」
ニット君は驚きの声を上げると、飛び跳ねて立ち上がった。
私もすぐさま立ち上がって腰に帯びていた剣を引き抜く。
真紅の魔法石が埋め込まれた金色の柄を握りしめて、白銀の曇り一つない刀身が陽光を受けて光を放つ。
『聖剣エクスカリバー』を構えて、いつでも戦えるようにゴブリンに向かい合う。
「なっ!?何でゴブリンが……」
ワラワラと木々の合間から姿を現す薄茶色い肌をした子どもくらいの体格の害獣と言われる存在。
小鬼たちは、口元から涎を垂らしながらオルトスさんの方を凝視している。
「なんでって……お前が肉なんか焼くから、その匂いに誘われてゴブリンどもが来ちまっただけだろう」
マックスさんが怒鳴った。
「ええっ?私のせいですか?」
「当り前だろう。少しはものを考えて行動しな」
セレスさんも憤慨していた。
ゴブリンが現れるのはもう少し先の街道ということだった。
けれど、あんなにもいい匂いがしたら……。
ゴブリンたちがあの匂いを嗅ぎつけたのなら……。
ここにやってきても不思議ではない。
「ひゃあ!」
オルトスさんが悲鳴を上げて、私たちの方へと駆け寄ってくる。
ゴブリンの一匹が襲い掛かったからだ。
いえ、オルトスさんが焼いていたお肉に向かって襲いかかった。
それを見た他のゴブリンもお肉に群がる。
焼きたてのお肉を口にしたゴブリンは、口の中を火傷したのか慌ててお肉を吐き出していた。
そのお肉をゴブリンたちが取り合っている。
「お嬢ちゃん、ボーヤ。今のうちにやっちまいな」
お肉を取り合って卑しく仲間割れしているゴブリンたち。
「えぇ?いいんですか?」
「ゴブリンなんかに遠慮する必要はないよ。どっちみち、討伐しなきゃならなんだからねぇ~」
それはそうだ。
律儀にお肉を食べ終わるのを待ってから戦うことはない。
「ニット君、行くわよ」
声を掛けて私はゴブリンの群れへと駆け出す。
「うん」
元気よく返事を返して、ニット君も走り出す。
少ないお肉を取り合いしているゴブリンたちには、私とニット君の存在は目に入っていないみたいだった。
「えい」
気合とともに力いっぱい剣を振るう。
密集しているゴブリンの岩肌のようなゴツゴツとした身体に『聖剣エクスカリバー』の刃が閃く。
胴を薙ぎ、血飛沫を上げて枯れ枝のような腕が宙を飛ぶ。
「うりゃあああ」
ニット君も『エアブレード』を振り下ろす。
手近にいたゴブリンの後頭部に刀身が半ばまで食い込む。
そのゴブリンの背に右足を押し付けて力を籠める。
後頭部から刀身が抜け、フラフラと千鳥足で二、三歩歩んだのちに力なく倒れ伏す。
仲間がそんな状態になっても、ゴブリンたちは我関せずでお肉を取り合っている。
取り合っているお肉は、引きちぎられ、細切れになっているが、その希少なお肉を勝ち取ったゴブリンは勝ち誇ったように口に頬張っていた。
そんなゴブリンには申し訳ないと思うけれど、私の『聖剣エクスカリバー』が背後から突き刺さる。
深々と貫く刀身が胸から飛び出し、それを認識したゴブリンの頭がゆっくりと私の方に振り向く。
悍ましき表情に私は嫌悪感を覚え、一気に刀身を引き抜いた。
ゴクリとお肉を飲み込んだゴブリンは、そのままうつぶせに倒れ込んだ。
それが彼の最後の晩餐となった。
お肉の取り合いをしていたところを襲い掛かったので、数匹は難なく退治できた。
でも、まだゴブリンたちは残っている。
私とニット君の存在を認識したゴブリンたちは、手に武器を取り、身構え始める。
そのうちの一匹はナイフを手にして奇声を発し、威嚇しているみたい。
ゴブリンたちの中には、体格に見合っていないアンバランスな武器を手にしているゴブリンが数匹いた。
そういえば、隊商が襲われて武具が奪われたと聞いている。
その奪われた武器かもしれない。
人間が扱うために作られた武器なのだから、体格の小さなゴブリンには大きすぎるようだ。
明らかにゴブリンが扱うには不向きな大きさの長剣を無理やり抱えている。
ゴブリンたちは、様子を窺っているようだった。
それならばと、先制の攻撃を仕掛けるのみ。
長剣を持ったゴブリンへと向かって突進していく。
迎え撃とうとゴブリンが長剣をよろけながらも一振りする。
長剣の大きさに振り回されて、狙いの定まらない攻撃は虚しく刀身が地面を叩く。
私は下から掬い上げるように鋭い一撃を放つ。
ゴブリンの胸元から顎がスパッと斬れ、赤黒い飛沫が花を咲かせ、地面を彩る。
踏み込みが甘かった。
ギョロリとゴブリンの視線が私に向けられた。
ゴブリンの長剣が再び振り回されるよりも早く、私の剣線がゴブリンを確実に捉えた。
口惜しそうに喉を鳴らしながら、地面に突っ伏し、そのまま動かなくなった。
「次は?」
すぐさま次の標的を探す。
何匹いるのか数えている暇はない。
今はとにかくゴブリンの数を減らすのが先決だった。
ズルズルと地面の上を何かを引きずる音が耳に入った。
視線を向ける。
明らかにその体格では振り回すのは無理と思われる斧を武器にしようとしているゴブリンがいた。
引きずるのが精いっぱいの様子だった。
私と目が合う。
慌てた様子でゴブリンは斧を持ち上げようとしているけれど、持ち上がる気配はない。
迫る私の姿を大きく見開いた眼で凝視している。
「やあ!」
私は一目散に駆け寄り、『聖剣エクスカリバー』を力の限り叩きつけた。
身の丈に合わない武器を扱えず、そのゴブリンは断末魔を上げて倒れ伏した。
どうしてそんなにも大きな武器を使おうとしたのか理解できない。
そういえば、セレスさんがゴブリンの知能はかなり低いと言っていたことが思い起こされた。
こういうことなんだと思えば理解できた。
「とりゃあ!」
気合とともに『エアブレード』を横に薙ぎ払う。
砕いて作ったと思われる鋭利な石ころを武器として手にしていたゴブリンとニット君が対峙していた。
そのゴブリンの鋭利な石ころは、『エアブレード』の刀身が振れると、紙のように脆くも真っ二つになった。
ゴブリンの首元に赤黒い線が刻まれる。
頼りの武器が失われ、ダラダラと赤黒い体液が胸元を染めていくゴブリンは、膝を突き倒れ伏す。
ニット君の『エアブレード』の刀身には刃はなかったはず。
刃がないのに何故斬れたの?
良く見れば、『エアブレード』の刀身を包み込むように風が渦巻いていた。
もしかしてとは思うけれど、これも魔力を消費している原因の一つなのではないかとふと思った。
風の刃や風の壁が魔力を消費しているだけではないのかもしれない。
けれど、常に風が刀身を覆っているわけではなさそうだった。
ゴブリンと切り結ぶ際に薄氷のように刀身を風が包み込んでいた。
魔力の消費は少ないかもしれないけれど、長期戦になれば魔力の消費は大きくなりそうだった。
手ごろな鉄製のナイフを構えたゴブリンがニット君に襲いかかる。
二度、三度と小剣とナイフがぶつかり合う。
ニット君はうまくゴブリンの攻撃を受け止めていた。
マックスさんとの剣のお稽古の成果が出ているようだった。
小剣でナイフを受け止めたニット君は、そのまま腕を一瞬だけ引いた。
押し込もうとしていたゴブリンは、前のめりに体勢を崩す。
ニット君は横に身をずらしながら腕をぐるりと小さく回して、ナイフをそのまま掬い上げる。
ゴブリンの手からナイフが零れ落ちて跳ね上げた。
体勢を崩されたゴブリンは、そのまま派手に地面に顔面から倒れ込んだ。
そのゴブリンの後頭部に『エアブレード』を突き立てる。
その一撃が止めとなり、ゴブリンは動かぬ物となり果てた。
跳ね上げられたナイフは、クルクルと中空で回転しながら落下してくる。
不釣り合いな大きさの鉄兜をかぶり、ニット君に飛び掛かろうとしていたゴブリンの脳天に向かって落下した。
実に運の良いゴブリンだった。
鉄兜をかぶっていなかったら、頭に突き刺さっていたことだと思う。
鉄兜に受けた衝撃に驚き、そのゴブリンは動きを止めた。
「エアブレード!」
ニット君の叫び声が木霊する。
彼の持つ小剣から発せられた風の刃がゴブリンを襲った。
鉄兜ごと縦に綺麗に引き裂く。
結局、運のなかったゴブリンは、遺骸となって無残な姿を地面の上にさらすことになった。
「他には?」
ニット君は周囲を見渡している。
「今ので最後みたいよ」
私は小走りにニット君に駆け寄って声を掛けた。
「ふぃ~……疲れたぁ~」
緊張の糸が途切れたようで、へなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
それなりに魔力を消耗しているかのように私には見えた。