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第15話 歌

「ララァ~…ラ~…」

 小高い丘の上で、私は歌う。

「ラ~…ラララ~」

 ただただ声を出して歌う。

 幼いころに聞いた歌を思い出しながら。

「私は~あなたを愛しています~」

 風が私の頬をそっと撫でるように吹き抜けていく。

 私の声も風に乗って流れていく。

「いつでも…いつまでも…」

 感情は一切、こもっていない。

 ただただ歌いたかった。

 声を出したかった。

 だから、最後まで歌った。

「あなたのことを…」

 歌い切った後、私は「ふぅ~」と溜め息を漏らした。

 パチパチパチ…と唐突に私の背後から小さな拍手が聞こえた。

「えっ?」

 私は、驚いて振り向く。

 視線の先には、地面に座り込んで、拍手をしている男の子の姿があった。

「ニット君?いつから、そこに?」

「結構、前からいたよ。アテナ様、お歌上手なんだね?」

 純真無垢な瞳が私を見つめてくる。

「あんまり上手じゃないわよ。私なんかよりも、歌がうまい人はたくさんいるわ」

「でも、アテナ様のお歌、僕好きだよ。すごく綺麗な声だったよ」

 ニット君は、本心で言ってくれているみたい。

 なんだか恥ずかしくなってきてしまう。

「ボーヤの言う通り、いい声しているじゃないかい。酒場で歌えば、おひねりがたくさん飛んできそうだけどねぇ~」

 少し離れた場所から、セレスさんとマックスさんが歩み寄って来た。

「まさか…セレスさんとマックスさんも聞いていたんですか?」

「聞いていたも何も、風に乗って歌声が聞こえてきたからな。嬢ちゃんが歌っているとは思わなかったがな」

「みんなに聞かれていたなんて、恥ずかしいですよ」

 私の顔は真っ赤になっていたと思う。

 私のへたくそな歌を誰も聞いていないと思って、歌っていたので余計に恥ずかしい。

「恥ずかしがる必要はないよ。かなり、うまいと思うけどねぇ~」

「ああ、お世辞じゃないからな。それに、今の歌…どこかで聞いたことがあるようなメロディーなんだが…何の歌なんだ?」

「歌のタイトルは、わかりません…幼いころによく聞いていた歌です。ただ…うろ覚えなので、歌詞の所々ははっきりとは思い出せないので、ごまかして歌っていますけど…」

 幼いころに何度も聞いた歌だけど、虫食いのように歌詞の所々が思い出せない。

 ただ、メロディーだけはわかる。

 歌詞の一部分から、誰かをお思いやる歌ではないかと思う。

「マックスも聞いたことがあるのかい?あたいもどこかで聞いたことがある歌だと思ったんだけど、どこで聞いたのかが思い出せない。かなり昔に聞いたような気がするんだけどねぇ~」

 喉元まで出かかっているけれど、出てこないことをもどかしそうにしている。

「僕は、初めて聞いたよ。何だか…ちょっと悲しい感じのお歌にも聞こえたけど…」

 ニット君の感性は、鋭いのかもしれない。

 私は、感情を乗せないように歌っていたつもりだったけれど、悲しい感情がこもっていたのかもしれない。

 この歌には、悲しい思い出がある。

 忘れようと思っても、心のどこかで忘れてはいけないと思っている自分がいるはず。

 だから…時々、思い出したように歌ってしまうのかもしれない。

 思い出を忘れないために。

 忘れてはいけない人を思い出すために…

 ちょっと涙が出そうになって、私はグッとこらえた。

「アテナ様…」

 悲しそうな表情でニット君が私を見上げてくる。

 足元に擦り寄って来た。

「そんなに悲しそうな顔をしないで。もう、この歌は歌わないから…」

 私は、ニット君の頭に手を置くと優しく撫でた。

「ううん、アテナ様の綺麗な声のお歌は、また聞きたいよ。だから、歌ってほしい」

「そう…そう言ってくれると、嬉しいわ。ありがとうね、ニット君」

 私はひざまずくと、彼の小さな身体をそっと抱きしめた。

 彼も私の背に手を回すと、抱きしめ返してきた。

 歌…

 それは、私にとっては忘れられないもの。

 歌…

 それは…悲しい思い出を呼び起こすもの。

 歌…

 それは…私が生きている限り、のがれられないもの…



 日は傾き、山の稜線りょうせんにその姿を隠そうとしていた。

 もうすぐ夜がやってくる。

 私たちは、森のそばを流れる小川の近くで野宿することになった。

 澄んだ綺麗な川には、魚が群れを成して泳いでいる。

 岩場にニット君が追い込み、私が捕まえる。

 私とニット君で協力して、川魚を八匹ほど取ることができた。

「お魚さん、いっぱい取れたね」

 取れた川魚を満足げな表情でニット君は見つめていた。

「ニット君が頑張ってくれたからね」

 私は、ウインクをして見せる。

「えへへへへ」と照れるニット君の姿は、可愛らしかった。

「夕飯に焼いて食べましょう」

 私とニット君で両手に川魚を持ってセレスさんたちの元へと向かう。

「見て見て。お魚たくさん捕まえたよ」

 自慢気にニット君は見せびらかしている。

「ボーヤ、すごいじゃないかい」

 セレスさんに褒められて、嬉しそうにしている。

 無邪気な姿を見ていると、微笑ほほえましく思え、頬が緩んでしまう。

「ボーズがとってきた魚だ。焼いて食おう」

「うん、焼いて」

 魚に木の棒を刺して焚火たきびの周りで焼き始める。

 マックスさんは、森の中で取って来た木の実と果物を広げた。

「ほら、ボーヤ。焼けたよ。熱いから気を付けな」

 焼けた魚をセレスさんから受け取る。

「たっ…食べていいの?」

 私たちを見回しながら、ニット君はよだれらしている。

 焼き魚の焼けたいい匂いが食欲をそそってくる。

「ニット君が取ったお魚さんよ。食べていいのよ」

 私がそう言うと、ニット君は焼き魚にかぶりついた。

「美味しい!」

 嬉しそうにムシャムシャと食べていく。

「慌てて食べると、喉に詰まらせてしまうわよ」

 落ち着くように、彼の背をそっと撫でる。

 ニット君は、私の顔をちらっと見た後、ゆっくりと食べだした。

 魚や木の実、果物を分け合って私たちは夕飯を取る。

 ある程度、食事を終えた頃だった。

「そういえば…お嬢ちゃんは、何で旅をしているんだい?」

 唐突にセレスさんが尋ねてきた。

「なんでって…その…」

 私は、言いよどむ。

 旅の目的。

 一応、あるにはある。

 でも、人に言うほどのことではない。

 本当にくだらない目的のために、私は旅を始めている。

 話すほどのことではない。

 だから言い淀んでしまった。

「何か言えないような目的があるのかい」

 聞いてはいけないようなことを聞いてしまったのかといったような表情をセレスさんがしていた。

「別に…言えないような目的ではないです。ただ、あまりにもくだらないと笑われるような目的で旅を始めたので…」

「くだらない目的ってなんだ?」

 マックスさんが首をかしげている。

「あの…私の旅の目的は…」

 皆の視線が私に集まっている。

 言うのは、すごく恥ずかしい。

 本当にくだらない目的だから。

「…お友達をたくさん作りたいからです…」

 正直に私は答えた。

 笑われると思った。

 こんな変な目的で旅をするような人がいるんだと馬鹿にされるかもと思った。

「友達をたくさん作りたい?」

 意外にもセレスさんが不思議そうな声を上げた。

「嬢ちゃんだったら、友達なんてたくさんできるだろう?」

 マックスさんもセレスさんも笑わなかった。

 当然、ニット君もだ。

「変な目的ですよね?」

「別に変だとは思わないけどねぇ~。旅の目的は人それぞれだからねぇ~」

「なんで友達をたくさん作りたいんだ?故郷に友達はいなかったのか?」

「それは…その…」

 答えにくい。

 故郷…友達…

 思い出したくないと私の感情が悲鳴を上げている。

 頭の中をいろいろなものが駆け巡り、暴れている。

「どうしたんだい?」

「大丈夫か?」

「アテナ様?」

 みんな、不安げな表情で私を見つめている。

「だっ…大丈夫です…ただ…私の過去を話さないといけないのかな?と思って…」

 押し寄せる感情の波に逆らいながら、言葉をつむぎ出す。

「無理に話す必要はないよ」

「そうだ。聞かれたくないことだってあるだろうからな。無理をする必要はない」

 セレスさんもマックスさんも、そう言ってくれた。

 でも、ここまで来たら、話しておくのもいいかもしれない。

 誰かに話せば、少しは楽になるような気がした。

「あの…つまらない話ですけど…聞いてもらえますか…?」

 絞り出すように声を出した。

「……………」

 沈黙が流れる。

「話せるんだったら聞くよ」

 セレスさんが、短く応えた。

 私は、みんなの顔を見渡すと、頷いて話し始めた。




 十二年前。

 当時の私は、六歳だった。

 やんちゃ盛りで、同い年の男の子と一緒になって遊ぶこともあった。

 私が住んでいたのは、『剣国ソードアタック』の中にある『中央国ブレード』の街の一つ。

 中央国の国王が住むバスタード城があるその城下町バスタルというところだ。

 バスタード城を中央に置き、その北部に城下町アスティール、南西部に城下町レスタル、そして東部に城下町バスタルの三つの城下町があった。

 バスタルの北東部から南部までは広大な森が広がっている。

 緑豊かな城下町ともいえる。

 私の住んでいた家は、バスタード城からほど近い場所だった。

 城下町バスタルの西部のはずれの方だ。

 なぜ、バスタード城に近かったのかというと、私の父親は騎士団の団長をしていた。

 聖銀剣シルヴァリオン騎士団の第一騎士大隊の団長だ。

 名前をアルファリオ・アテレーデ。

 父は、何かあるたびに城へとおもむかなければならなかったので、このような場所に居を構えていた。

 父は、滅多に家に帰ってはこなかった。

 仕事が忙しく、帰ってきてもあまり遊ぶこともできなかった。

 それでも、父が家にいるときは、いっぱい甘えた。

「お父様。おひげが痛いよ」

 抱きしめられて頬ずりされるたびの毎度恒例のやり取りだった。

「すまんな、アテナ」

 謝りながらも私に頬ずりするのをやめない。

「あなた、アテナが嫌がっていますよ」

 母のこの言葉もいつものものだった。

 笑いながら、そう言うのだ。

 家族三人で仲睦なかむつまじく暮らしていた。

 この時は、幸せだった。

 それは…今、思えばだ。

 その当時は、当たり前すぎて幸せとは思っていなかった。

 

 何周年目だったかは覚えていない。

 この年に『剣国生誕記念祭』というものが開催された。

 十年ごとに開催される剣国の生誕をお祝いするお祭りが盛大に開催された。

 多くの人がバスタード城を囲むように集まり、各城下町でも様々な催し物が開催されていた。

 一か月もの長い期間行われる生誕祭は、大いに賑わっていた。

 その中のイベントで盛り上がったのは、歌姫による歌唱だった。

 『中央国ブレード』には五人の歌姫がいた。

 その歌姫たちの歌声は、どんな人をも魅了し、魔物でも聞き惚れてしまうとまで言われるほどのものだった。

 それぞれの歌姫たちが、大衆の前でその美声を披露する。

 誰もが、歌姫たちの美しい歌声に聞き入っていた。

 私の母親も、その歌姫の一人だった。

 名をフィリシア・フェルミュエル。

 中央国ブレードの最高の歌姫と言われた人だった。

 長く美しい黒髪に純白のドレスを身に纏い、妖艶な舞を舞いながら歌を披露した。

 誰もが聞きほれ、その場にいた人々は見入っていた。

 私も母の歌を間近で見ていた。

 父とともに母の歌に魅了され、食い入るように見つめていた。

 母の歌が終わると、拍手喝采はくしゅかっさいと歓声が沸き起こった。

 何千、もしかしたら何万という人が集まっていたと思う。

 人々の歓声は大気を震わせ、母の歌がどれだけの人の心を掴んだかをまざまざと見せつけてきた。

 母は、満足そうにしていた。

 自分の歌を聞いてくれた人々に対して手を振り、その歓声に応えていた。

 私も歌姫になりたい。

 母のような歌姫に。

 その時は、そう思った。

 母の姿を見て、自分もなれると思っていた。

 あんなことが起きるまでは…


 ある日。

 突然、父が騎士団の団長をやめさせられてしまった。

 無実の罪を着せられ、失脚させられたのだ。

 父は無実を訴えたが、騎士団長の座を粛々しゅくしゅくと狙っていた者の仕業にまんまとめられてしまった。

 そのため、母も歌姫としておおやけの場で歌えなくなってしまった。

 私たち家族は、引っ越しを余儀なくされた。

 もう、騎士団長でもなければ、歌姫でもないのだ。

 今までのような生活はできなくなっていた。

 このことで、私にも変化が起きた。

 今まで仲よく遊んでいた子達にいじめられるようになった。

 最初は、仲間外れにされる程度だった。

 でも、次第にいじめはエスカレートしていった。

 石を投げつけられ、怪我をして家に逃げ帰った。

 父も母も、私に石を投げつけた子供たちの親に文句を言いに行ってくれた。

 それがさらにエスカレートする引き金になってしまった。

 私が街の中を歩いていると、突き飛ばされた。

 今まで仲良くしていた子たちに。

 それだけではなかった。

 殴られたり、蹴られたりすることがあった。

 私は、泣きながら家に帰った。

 父と母は、私に謝りながら手当てをしてくれた。

 なぜ、私がこんな目に合わなければいけないの?

 私は、みんなに何もしていないのに。

 どうして?

 そのことをいじめてきた子たちに問いただした。

「今まで、お前の父親が騎士団長だったから仲良くしていただけだ」

「お前と仲良くすると、俺の親父も騎士をやめさせられちまうから、かかわるな」

「お前なんかとは、もう遊ばねぇ~よ」

 口々に罵声を浴びせかけられて、また殴られたり、蹴られたりした。

 殺されなかっただけ、マシだったのかもしれない。

 私は、ズタボロの大怪我をした状態で家に帰っていった。

 そんな私の姿を見て、父も母も涙を零しながら何度も何度も私に謝って来た。

 一体…何が悪かったの?

 私は手当てをしてもらいながら、泣いていた。

 悔しくて泣いていた。

 声を上げて泣いていた。


 そんなことがあって、父は城下町バスタルを離れると言い出した。

 これ以上、この街にいたら私がもっと酷い目にあわされるのではないかと懸念したからだった。

 母も父の考えに賛成していた。

 私は、街を離れたくはなかった。

 私をいじめてきた子達と再び仲良く遊びたかった。

 もう一度仲良くなれるはずだと、思い込みたかった。

 けれど、私の意見に父と母は首を横に振るった。

「お前の気持ちもわかる。だが、父さんはアテナのことが心配だ。この街を離れよう」

「アテナ。あなたが怪我をして帰ってくるたびに私たちの心は張り裂けそうになるのよ。わかってくれるわよね」

 泣きそうな母の顔を見たら、「うん」と言わざるを得なかった。

 私たち家族三人は、城下町バスタルの東にある森の中に住むことにした。

 いつか、私が街に戻ることを考えてのことだった。

 父は木を切り、家を建てる。

 家と呼べるようなものではなかった。

 木を組み上げただけのお粗末なもの。

 けれど、三人で協力して作り上げた家だ。

 雨風がしのげれば、それでいい。

 そんな家だった。

 そこで私は、父から剣術を教わった。

 元騎士団長の父は、私が自分の身を守れるように護身術の一つとして教えてくれた。

 私は遊びの一環として剣術を学んだ。

 実戦経験はなく、父と剣を交えるだけだった。

 森の中では、時々魔物が襲ってくることもある。

 そのたびに父が守ってくれた。

 森の中は怖い場所だった。

 けれど、自然豊かで多くの恵みを与えてくれた。

 木の実や果実を取り、キノコを採取し、薬草から傷薬を作ったり、森を切り開いて小さな畑を作ったりもした。

 川では魚を取ったり、釣りをしたりしながら、生きていくすべを学んでいった。

 母からは、文字の読み書きやお金の使い方などを教えてもらった。

 勉強は苦手だったけれど、文字が読めるようになり、書けるようになると楽しくなってくる。

 自分の視野が広くなったような気がした。

 お金を使うために数字を覚えたり、計算も教えてもらった。

 時々、歌も歌ってもらった。

 母は、この『中央国ブレード』で最高の歌姫だった。

 私は今でも母が最高の歌姫だと思っている。

 母以上の歌姫はいないと。

 その母が、いつも歌ってくれていた。

 私は、その歌を子守唄代わりに聞きながら眠りについていた。

 どんな意味を持っているのか?

 どんな思いが込められているのか?

 そんなことは考えたこともなかった。

 ただただ、母の歌ってくれる歌が…歌声が心地良かった。

 歌声を聞いているだけで、幸せな気分になっていた。

 城下町で生活していた時よりも、今の方が充実した日々を送っているように感じられた。

 父がそばにいて、母がそばにいる。

 毎日の生活は大変だったけれど、笑顔で楽しく暮らしていた。

 この時は、もう街への未練はなかった。

 このまま家族三人で暮らしていけるなら、街に行く必要なんてない。

 友達なんて、もういらない。

 そんな風に思う様になっていた。

 

 再び、『剣国生誕記念祭』が開催される時が近づいてきていた。

 前回の記念祭から十年の歳月が経っていた。

 私は、十六歳になっていた。

 身長もそれなりに延び、身体つきも母には劣るけれど、女らしくなってきたと思う。

 『剣国生誕記念祭』のために多くの人たちがバスタード城を目指してやってくる。

 城下町も大いに賑わっているはずだ。

 だけど、私は興味がなかった。

 母は、もうあの記念祭で歌うことはない。

 歌姫ではないのだ。

「お母様の歌を…また聞きたかったな…」

 私が、ぼそりと呟いた。

「いつもいろいろな歌を歌ってあげているでしょう?」

「でも、昔見た、あの記念祭でのステージを忘れられないの。あの時のお母様はすごかった。みんなの視線を独り占めして、誰もが聞き入っていたわ」

「そうだな。あの時のフィリシアは神々こうごうしかった。それに、誇らしかった。こんなに素晴らしい人が俺の妻だと思ったら…」

 父は、母の身体を抱き寄せていた。

 二人は見つめ合った後、唇を重ね合わせていた。

 私の前では、やめてほしい。

 見ているこっちが恥ずかしくなってしまう。

 私の視線に気づいて、二人はそそくさと離れる。

 ちょっと気まずい。

「外で、一曲歌いましょうか?」

 母は、そう言って家の戸を開ける。

「間近で最高の歌姫の歌を聞けるなんて、役得だな」

 父も外へと向かった。

 私も遅れて家の外に出た。

 家の周りは、鬱蒼うっそうと茂る木々に囲まれている。

 街からはかなり離れているので、騒いでも誰にも迷惑をかけることはない。

 雲一つない晴天に恵まれ、母が歌いだす。

 鈴の音のような美しい声。

 心地良い歌声が生きているという実感を与えてくれた。

 私も父もその歌声に耳を傾け、そして聞き入っていた。

 母の歌が終わり、私も父も拍手喝采はくしゅかっさいする。

 こんなにも間近で、剣国一の歌姫と言われていた母の歌を聞ける私は、幸せ者だと感じていた。

 そんな私たち家族の間に突如として、割り込んでくる邪魔者がいた。

 足音を響かせ、近づいてくる。

「何だ?」

 父は、腰にぶら下げていた剣を抜き放った。

 時折、魔物が出ることがある。

 だけど、この時は規格外の魔物が現れた。

 木々をなぎ倒し、姿を現したのは、巨人だった。

 全身毛むくじゃらの巨人。

 私たちの倍近くの背丈の巨漢の魔物。

 極太の腕と足以外は贅肉の塊のような醜い姿の魔物だった。

「ギガントロルか?何でこんな魔物がここにいる?」

 父が焦ったように、叫んだ。

 普段は、この周辺には生息していない大型の魔物だった。

 母の歌声にいざなわれて来てしまったのだろうか?

 私たちを見つけると、手にしていた木の棒を振り回してきた。

 突然のことに私たちは逃げ惑う。

 逃げる際に母は転んでしまい、足首をひねってしまった。

 父は、母のそばに寄り添い、魔物に向かって剣を突き付ける。

「アテナ。お前は街に逃げろ。今、街には大勢の人がいる。助けてもらえるはずだ」

 父は私に向かって叫びながら、果敢に剣を振り回して巨人に斬りかかっていった。

「でも…」

「アテナ。あなただけでも逃げて。あなただけでも生きて。生きるのよ」

 母は叫んでいた。

 まるで、自分の死を覚悟しているかのようだったと今になって思う。

「早く行け、アテナ」

 父の声に押されて、私は走り出す。

「街に行って、助けを呼んでくるから。お父様、お母様。絶対に死なないで」

 二人は、笑顔を私に向けていた。

 私は、走った。

 木の根に足を取られて、何度も転んだけれど、夢中で走った。

 一分でも、一秒でも早く街に向かい、魔物を倒せる人を呼んでこなければ。

 その思いだけで、私は走った。

 城下町は、多くの人でごった返していた。

「助けてください。だれか、助けてください。森の中で、私のお父様とお母様が魔物に襲われているんです。助けてください」

 私は、泣きながら叫んでいた。

 でも、誰も私にかかわろうとはしなかった。

 何度も転んだせいで服は泥で汚れ、みすぼらしい姿をしていた。

 そんな姿の私を浮浪者か何かだろうと思ったのかもしれない。

「何を騒いでいるんだ」

 兵士らしき人が近づいてきた。

「お父様とお母様が森の中で魔物に襲われているんです。助けてください」

 必死に訴えかけるけれど、兵士の人は困ったような表情をするばかりだった。

 そこへ、男の人がやって来た。

 騎士の格好をしている。

 見覚えのある顔だった。

「お前!アテナか?まだ、この街にいたのか?」

 私に向かって怒鳴って来た。

 彼は、私が小さいころにいじめてきた男の子の一人だった。

「お願い。助けて」

「知らん、知らん。お前とかかわりたくないんだよ。お前らも、持ち場に戻れ」

 兵士の人たちに指示を出している。

「私のお父様とお母様を助けて」

 私の必死の訴えも、フンと鼻を鳴らしてきびすを返して去っていく。

 私は、血の味がするほど唇を噛んでいた。

「もう頼まないわ」

 私は絶叫して走り出す。

 父と母も元へと引き返した。

 引き返したところで何もできない。

 けれど、戻らなければ。

 泣きながら、私は走った。

 涙で前が見えないけれど、走った。

 足がもつれて転んだ。

 口の中に土の味がする。

 吐き出して、立ち上がろうとした。

 地面を微かに揺るがす足音がする。

 あの巨人の足音?

 私は、身を低くしたまま、見上げた。

 そう、あの巨人が街の方へと歩いていくのが見えた。

 その瞬間、私の心は絶望に打ちのめされ、握り潰されたように締め付けられた。

 最悪の結末が頭をよぎる。

「お父様…お母様…」

 小さな声を漏らしながら、走り出す。

 無事でいてと願う。

 願いとは裏腹に、現実は残酷だった。

 倒れ伏す母に覆いかぶさるようにして父は亡くなっていた。

 動けなくなった母を身をていして守ろうとしていたことが容易にうかがえた。

 実に父らしい最後だと思った。

「お父様…」

 父の身体に手を触れる。

 まだ温かい。

 だけど、背中を叩き潰されていて、返事はなかった。

「お母様…」

 父の下でうつぶせになっている母に手を伸ばす。

 母も返事は返してはくれなかった。

 私は絶望しながら、大きな声で泣き叫んだ。

 あの巨人が戻ってきても構わなかった。

 私は、大粒の涙を零し、声を上げて泣いた。

 もう、父も母も笑いかけてくれない。

 抱きしめてもくれない。

 歌も聞けない。

 私は、両親の遺体の前で泣き崩れるしかなかった。


 どれくらい泣いたのかわからない。

 涙が枯れ果てるくらい泣いた。

 もう、どうでもよかった。

 私も一緒に死ねばよかった。

 そうすれば、こんな思いをしなくて済んだのに…

 私は無残な姿の両親を抱きかかえた。

 このまま、ここに残していくわけにはいかない。

 私は、近くに花畑があることを思い出し、そこへと二人を運んだ。

 二人を埋葬するための穴を掘る。

 魔物や動物などに食い散らかされて、より無残な姿になるくらいなら、私の手で埋葬してあげよう。

 それがせめてもの、父と母に対する恩返しなのだと自分に言い聞かせながら穴を掘った。

 そうしなければ踏ん切りがつかなかった。

 穴の中に父と母を抱き合わせるようにして置き、二人の手をしっかりと握らせた。

 生まれ変わったらもう一度出会って、再び私があなたたちの娘となれるように祈りを込めて土をかけた。

 この綺麗なお花畑であれば、両親も寂しくはないはず。

 埋めた後、墓標を立てた。


 私は、毎日欠かさず、両親の元へとやってくる。

「私は、今日も元気です」

 三人で暮らした森の中の家。

 父と母と私で建てたおんぼろな家。

 そこで私は時を過ごし、毎日お墓参りをする日々を送っていた。

 ただ、生きているだけだった。

 何をしていいのか、わからない。

 何をするべきなのか、わからない。

 どうして、私だけが生き残ってしまったのかわからない。

 母が歌ってくれた歌を口ずさむ。

 涙が溢れて歌えない。

 声が震え、死にたくなる。

 でも、死ねない。

 そんな勇気は私にはない。

 それに母は、私に『生きろ』と言った。

「お母様…私は、どう生きたらいいのですか?何をしたらいいのですか?」

 墓前で問うが、答えは返ってこない。

 何も答えが出せないまま、時は過ぎていった。


 十八歳になったとき。

 私は、思い立つ。

 このままここにいていいのか?

 今の私は、生きているのだろうか?

 ただ生きているだけで、死んでいるのと同じではないだろうかと。

 寂しい。

 父も母も亡くなり、それからずっと独りぼっちだった。

 誰かと一緒にいたい。

 でも、私と一緒にいてくれる人なんているの?

 どこに?

 人を求めるのが怖かった。

 また、小さいころのようにいじめられるのではないかといった思いが湧いて出てきた。

 それが私の足枷あしかせとなっている。

 両親の墓前に行き、私は決意を固める。

「お父様…お母様…私は、旅に出ようと思います。これ以上、独りぼっちは寂しいです。お父様とお母様を置いてゆくのは心苦しいのですが…許してくれますよね?」

 私は、語り掛けるように言葉を吐き出した。

 優しい風が頬を撫でる。

 まるで両親が「行きなさい」と言っているかのように感じられた。

 私の心は決まった。

「私は…信頼できる友達をたくさん作りたい。そして、いつの日かその人たちとともにここに戻ってきます。だから…その時まで、私を見守っていてください」

 両親に別れを告げる。

 いつ戻ってこれるかわからない。

 二度と戻ってこれないかもしれない。

 それでも、ここにいるよりは寂しくはないかもしれない。

 私は希望をもって、立ち上がる。

 私の背中を押すように風が強く吹いた。

 両親も背中を押してくれている。

 行くなら今しかない。

「お父様、お母様。アテナは行きます。生きて、生きて、生き抜いて見せます」

 私は、力強く宣言した。

「行ってきます」

 二人の墓前に深く頭を下げ、私はその場を後にした。

 振り返らなかった。

 振り返ったら決心が鈍ってしまう。

 だから、振り返らずに歩いた。

 涙が零れてきたけれど、私はそのまま歩いた。

 今が、旅立ちの時だ。




「そのあとは、『聖剣エクスカリバー』を手に入れて、ニット君と出会って、セレスさんとマックスさんと出会って…そんな感じです」

 私は話し終え、顔を上げた。

 セレスさんもマックスさんも黙ったまま聞いてくれていた。

「うう…うっ…」

 私の隣でうめき声がした。

 見れば、ニット君が大粒の涙を零していた。

「どっ…どうしたの?ニット君?お腹でも痛いの?」

 私は慌てて彼に声をかける。

 彼は、首を横に振るった。

「じゃあ、どうしたの?」

 尋ねる私に涙声でニット君は答えた。

「アテナ様…可哀想…ううう…可哀想だよ…うわ~ん…」

 ニット君は、声を上げて泣き出してしまった。

 私は戸惑ってしまった。

「何も…ニット君が泣かなくてもいいじゃない」

「でも…アテナ様が…可哀想だよ…」

 私に抱き着いて、ワンワンと声を上げてニット君は大泣きしている。

 まさか、私の過去の話を聞いてこんなにも泣かれるとは思わなかった。

 やはり、この子は感受性が高いみたい。

「私は、大丈夫だから」

 ニット君の小さな身体を抱きしめる。

 暖かなぬくもりが伝わってくる。

「でも、ありがとう…」

 いとおしくなり、強く抱きしめる。

 しばらく、ニット君は声を上げて泣き続けた。

 その間、しっかりと彼の小さな身体を抱きしめて、頭を撫でてあげた。

「うう…う…」

 ようやく泣き止んでくれたみたい。

 涙でくしゃくしゃになった顔を上げて、私の顔を見上げてくる。

 私は、優しく微笑む。

 彼は、安心したような笑みを返してくれた。

 ニット君が大人しくなったのを見計らったようにセレスさんが口を開いた。

「お嬢ちゃん…聞きたいことがいくつかあるんだけどいいかい?」

「はい、何でしょう?」

「あんたの母親は、『中央国ブレード』の歌姫だったって言っていたけれど、もう一度名前を聞いてもいいかい?」

「お母様の名前ですか?フィリシア・フェルミュエルです」

 私が母の名を答えると、セレスさんとマックスさんは絶句しているような表情を見せた。

 私には、二人の表情が何を意味しているのか分からなかった。

「この国の最高の歌姫と呼ばれていた人が母親だったとはねぇ~。お嬢ちゃんの歌声が良いのは母親譲りってわけかい」

「そんな…私の歌は、お母様の歌に比べたら、足元にも及びません…」

謙遜けんそんすることはない。母親には及ばずとも、他の歌姫には引けを取らないと思うがな」

「でも…歌詞だって、ちゃんと覚えていないし…あの歌は…」

「お嬢ちゃんが昼間歌っていた歌は、母親が歌っていた歌…あの『剣国生誕記念祭』で歌われた歌ってわけだねぇ~」

「だから、聞いたことがあるメロディーだって思ったんだな。あの歌はすごかった。歌い手も驚くほどの美人だったからな」

「もしかして…セレスさんもマックスさんも記念祭で私のお母様を見たことがあるんですか?」

 私が尋ねると、二人は頷いた。

「二人一緒にですか?」

「いいや、その時はまだマックスとは知り合ってもいなかったからねぇ~。あたいは別の人と見ていたよ」

「俺は、一般人として見物していたな」

「まさか、セレスさんもマックスさんもあの場にいたなんて…」

 もしかしたら、すれ違ったりしているかもしれない。

「あの時聞いた歌は衝撃的だったねぇ~。声量もさることながら、声の美しさには聞き惚れたよ。その人物の美貌にもね」

「私は…お母様に似ていませんから…声も…容姿も…」

 母のことを褒められて嬉しいけれど、比較されたら私なんてと落ち込んでしまいそうになる。

「そんなに自分のことを卑下ひげにすることはないよ。ボーヤ、お嬢ちゃんのことは好きかい?」

 突然、セレスさんは唐突な質問をニット君に投げかける。

「うん、アテナ様は、美人ですごく優しいから、大好きだよ。僕の女神様だもん」

 ニット君は、鼻をすすりながら私の顔を見上げてくる。

 大きな瞳は、じっと私のことを見据えている。

 そんな目で見つめられたら恥ずかしくなってしまう。

「私のこと…美人だなんて…それに女神様って…」

 困惑する私に「僕にとって、アテナ様は女神様だよ」と彼は強い口調で言って、ギュッと抱きついてきた。

「ありがとう、ニット君」

 彼の頬に頬ずりする。

 私の意外な行動に、ニット君は恥ずかしそうにしていた。

「嬢ちゃん、親父さんは騎士団長をしていたって言っていたな?」

「はい…でも、失脚させられてしまいました…」

「名前は、アルファリオ…だったか?」

「はい、アルファリオ・アテレーデです」

 父の名前を答えると、マックスさんが微かに笑ったように見えた。

「道理で、嬢ちゃんの剣は騎士が扱う剣技に似ていると思っていたが、そういうことか…」

 一人で、納得するように頷いている。

「親父さんに教えてもらったことを思い出せ。そうすれば、嬢ちゃんは強くなれるはずだ。基礎がしっかりと身についているからな」

「お父様に教えてもらったこと…はい、今でも教えてもらったことは昨日のことのように思い出せます。何度も何度も教えてもらったので…」

「俺が教えるよりも、その方がいいと思う」

 マックスさんに言われて、私は頷いた。

「そういえば…魔物はどうなったんだい?ギガントロル…?だったかねぇ~?」

「あの魔物は…記念祭に沸き立つ城下町バスタルで暴れたみたいです。記念祭に来ていた多くの人が亡くなったと聞いています。街に近づくことすらしなかったので、詳しいことまでは知りません…」

「そうかい…」

 セレスさんは短く応え、そのまま黙り込んでしまった。

「アテナ様…」

 申し訳なさそうにニット君が呟いた。

「どうしたの?」

「お歌…歌ってほしいな…」

「歌?でも…」

「ダメなの?」

 小首をかしげて可愛らしい上目遣いで尋ねられたら、嫌とは言えない。

「一曲だけよ」

「うん、アテナ様のお歌、聞きたい」

 ニット君の要望に応えて、私は歌った。

 母が歌ってくれたあの歌を。

 思い出のあの歌を。

 今では、歌詞もちゃんと覚えていない歌を。

 私は、涙を零しながら歌っていた。

 どうして涙が出たんだろう?

 歌い続ける私の頬を濡らす涙にニット君の小さな手が触れる。

 そうか…

 私は…

 一人じゃなくなったんだ。

 この子がいる。

 ニット君がいてくれる。

 一人じゃない。

 セレスさんがいてくれる。

 もう、一人じゃない。

 マックスさんもいてくれる。

 私は、独りぼっちじゃない。

 それが実感できたから、涙が出たのかもしれない。

 お父様…お母様…あの時に旅に出てよかった。

 あの時、旅立つ決心をしていなかったら、この人たちとは出会えていなかったはずだ。

 背中を押してくれた、お父様とお母様に感謝をしながら、私は歌った。

 もう、私は独りぼっちじゃない。

 だから、安心してくださいと心の中で祈りながら、私は歌った。

 歌は…

 私とお父様とお母様を繋ぐ絆だから。

 私は、声を震わせながら歌った。

 いつまでも…

 いつまでも…

 歌を…

 歌い続けた。

 

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