第14話 風の精霊
柔らかな朝日を浴びて、私は目を覚ました。
「おはよう。起きたかい?」
女性の声が、意識が完全に目覚めていない私に問いかけてくる。
「おはようございます。セレスさん」
私は、眼を擦りながら上半身を起こす。
私の胸の中で寝息を立てている男の子は、気持ちよさそうにしている。
起こすのは可愛そうだけれど、このまま寝かしておいたらいつまでも起きそうになかった。
「ニット君。朝よ。起きて」
優しく身体を揺すって、彼を起こす。
大きな欠伸をした後、覗き込んでいた私の顔を眺めながらニット君は、「おはよう…アテナ様…」と寝ぼけながら挨拶をしてきた。
すでにセレスさんが、朝食の用意をしてくれている。
野宿のため、豪勢な食事ではないけれど、何も食べれないよりはいい。
「マックスが、イノシシを捕まえてきたからねぇ~」
パチパチと音を立てて、イノシシの肉が焼けるいい匂いが、私の鼻腔をくすぐり、食欲をわかせてくる。
そのため、意識もはっきりしだして、目が覚めた。
「良く捕まえられましたね」
「明け方に、見張りをしていた際に、見つけたらしい。今は、寝ているがね」
セレスさんとマックスさんは、野宿の際は見張りを交代でしてくれている。
二人は、Bランクのベテラン冒険者でもある。
魔物が近寄ってきたりすると気配とかで分かるみたい。
私には、そういったことはまだわからないので、眠ってしまったら朝まで熟睡してしまう。
その際に、魔物に襲われたらイチコロだ。
「マックス、起きな。飯にするよ」
良い感じにイノシシの肉が焼けたところで、セレスさんはやや乱暴にマックスさんを起こし、みんなで朝食をとった。
私たちは、長く滞在したシルフィスの街を出て、新たな街を目指して街道を西へと進んでいた。
この街道の先には、センティアーノの街があるらしい。
どんなところなのかは行ってみないとわからないけれど、とりあえず、その街を今は目指して街道を進んでいく。
街道の左右を覆っていた森の木々が次第になくなり、岩肌が剥き出しの岩山へと続いていく。
上り坂なので、なかなか大変だ。
ニット君の小さな手を繋いで、セレスさんとマックスさんの後を付いて行く。
街道は、やや開けた場所に出た。
岩が点在し、その陰に隠れることができるので、襲われやすい場所だ。
案の定、岩の陰から人影が現れた。
一人や二人ではない。
10人以上いる。
どの人も人相が悪い。
明らかに真っ当な仕事をしているとは思えないような人たち。
小剣や長剣を手にしている。
「ここを通りたければ、有り金全部置いて行きな」
「服や武器も全てだ」
「女たちは、俺たちと楽しい思いをさせてやるよ」
すんなりと通してくれそうにない。
「山賊かい?」
セレスさんが面倒くさそうに尋ねる。
「そうだ。素直になれば痛い思いをしないで済むぜ」
山賊のリーダーと思われる男の人が前に出た。
美味しいものをたらふく食べているみたいで、他の山賊たちと比べるとやや小太りでお腹が出ている。
やや錆びついた長剣を振り回しながら、私たちを威嚇している。
「面倒くさいねぇ~」
セレスさんは、ぼやきながら太ももに括り付けた鞘から短剣を抜いて両手で構える。
「少し運動でもするか」
マックスさんも背負っている巨剣『ドラゴンバスター』を鞘から引き抜いて構えると、山賊たちは一歩後ずさった。
さすがに、マックスさんが持つ大きな剣に驚いた様子だ。
私とニット君も剣を抜き放つと構えた。
ゴブリンとは違う。
人間が相手だ。
人間の方が悪賢い。
体格も子供程度のゴブリンとは違う。
慎重に行かないと、私やニット君は簡単にやられてしまうかもしれない。
「てめーら、やる気か?容赦しねーぞ」
山賊のリーダーが、虚勢を張り上げる。
「こっちも手加減してやるつもりはないねぇ~」
セレスさんは、手にした白色の短剣『白銀の刃』に風の魔法をまとわせた。
それは渦を巻き、刀身を包み込む。
風の魔法が増幅され、腕を振り上げると刀身から扇状の風の刃が飛び出した。
「魔法使いか?」
セレスさんの風魔法に山賊が声を上げた。
「いいや、魔法使いだよ。こっちの方がカッコイイだろう?」
ニヤリと笑みを浮かべるセレスさんの放った風の刃は、山賊の一人を真っ二つに切り裂き、絶命させた。
それを合図にしたように、山賊たちは一斉に私たちに襲い掛かって来た。
『ドラゴンバスター』を片手で振り回して、一度に二人の男をあっさりと吹き飛ばす。
山賊の男たちは、痛みに顔を歪めながらもヨロヨロと立ち上がり、私とニット君に視線を向けると近寄って来た。
「小娘とガキか」
「ガキは、いらねえから殺しちまえ。女は殺すなよ」
二人の山賊は、いやらしい笑みを口元にたたえながら、私の身体を嘗め回すように見てくる。
ゾゾゾ…と私の背筋に悪寒が走る。
「アテナ様は、僕が守る」
ニット君は、呪文のように叫びながら、小剣を振りかざして山賊に立ち向かっていく。
ブンブンと振り回すけれど、山賊はスイスイと右に左にステップを踏みながら躱していく。
やはり、ゴブリン相手とは全く違う。
「そら!」
男が長剣を振り下ろした。
とっさにニット君は剣を横にして振り上げて受け止める。
けれど、腕力に違いがあった。
あっさりと弾き飛ばされて、尻もちをつく。
私は、すかさず走りこんで『聖剣エクスカリバー』を振るってけん制する。
「なんだ?そのへっぴり腰な剣は?素人か?」
剣の腕前は、山賊の男の方が上なのは間違いない。
私の剣撃をすべて受け止めている。
それも余裕の表情でだ。
自分自身、弱いことは自覚しているけれど、こうまでゴブリンと人間相手では違うということをまざまざと見せつけられる形になってしまった。
山賊の男は、私を弄ぶように剣を振るってくる。
私は、防戦一方だった。
攻撃に転じる余裕がない。
でも、山賊は私が弱いと油断している。
いつかチャンスは巡ってくるはずだ。
そう思いながら、私は山賊の攻撃を防ぐことに集中した。
「ガキと遊んでも面白くねえんだよ」
山賊の男が、ニット君のお腹を蹴飛ばした。
体重の軽いニット君は、蹴り上げられて地面の上を2~3回転がった。
お腹を押さえながら、痛みに顔を歪めつつも、山賊を睨みつけて起き上がろうとしている。
諦めてはいないみたい。
強い子だと改めて思う。
「何だ?その剣は?おもちゃか?刃もない剣で俺を殺そうってのか?やってみろよ」
山賊の男は、ニット君が手にしている小剣に刃がないことに気づき、両手を広げて無防備な姿をさらしながら彼を挑発していた。
攻撃を受けたところで、子供の腕力だからそんなに痛くもないだろうし、致命傷になることはない。
「ほらほら、どうした?」
負けることはないと確信しているからこその挑発だった。
「ぐぐぐ…この剣に刃があれば…この剣であんな悪い奴を切ることができれば…やっつけられるのに…」
悔しそうにニット君は、歯噛みしながら呟いた。
その時だった。
ニット君が不思議な動きを見せた。
何かを探すようなそぶりをして、あたりを見渡している。
「誰?」
微かにそんな言葉が、彼の口から洩れていた。
「剣を振ればいいんだね?」
誰と会話をしているの?
何と話しをしているの?
ニット君は、誰かと話すような感じで独り言を口にしていた。
「ああ?何言ってんだ?このガキは。恐怖でおかしくなったか?」
そんなはずは、ないと思う。
ニット君の漆黒の瞳は、戦う強い意志をたたえ、山賊を睨み据えている。
「うりゃあぁぁぁぁ」
気合の入った声とともに、紫色の魔法石が埋め込まれた小剣を横一文字に振りぬいた。
山賊の男とは、3メートルほど離れている。
そんな位置から剣を振るっても、攻撃は届かない。
でも、ニット君を挑発していた山賊は、腹部から大量の鮮血を派手に地面にぶちまけた。
何が起きたのかわからないような顔をしている。
自分の腹部が鋭利なものでスパッと切り裂かれ、血がしたたり落ちていることを確認した途端、男は仰向けに倒れたまま動かなくなった。
その光景を目の当たりにした誰もが、何が起きたのかわからなかったはずだ。
山賊たちはもちろん、セレスさんもマックスさんも、もちろん私も何が起こったのか理解できなかった。
「切れた…本当に切れた!すごいや!」
ニット君だけが、自分が握る小剣を見つめながら喜びの雄たけびを上げていた。
「いったい…」
「何が起きたんだ?」
セレスさんとマックスさんの驚いた表情が、ニット君を見据えている。
「とりゃあぁぁぁぁ」
ニット君は、再び気合とともに剣を縦に振るった。
小剣の刀身から三日月型の何かが飛び出した。
それは、離れた場所にいた山賊の一人に当たると、まるで剣で切り裂いたように血が噴き出した。
お粗末な革の鎧が切れ、その中に着ていた服が切れ、肌までもが切れていた。
山賊は膝から崩れ落ちて、倒れたままになった。
「何しやがった、このガキ」
私と剣を打ち合っていた山賊が、ニット君に向かっていく。
紫色の魔法石が埋め込まれた小剣を振るうと、同じように刀身から三日月型の鋭利な刃のようなものが飛び出している。
近くにいた私には、風が渦巻くような音が微かに聞こえた。
いえ、風のようだけれど、鈴の音のような声ともいえるものが聞こえた。
それに対して、怖いという印象は受けなかった。
三日月型の鋭利な刃は、一撃で山賊の右肩から左わき腹にかけてを切り裂いた。
鮮血が地面を塗り替え、赤く染まる。
男は、自分に起きたことを理解できぬまま絶命した。
「この剣…すごいや」
ニット君は、小剣を愛おしそうに抱きしめている。
刃がないから、抱きしめても怪我をすることがないのでできることだ。
「なんだかわからないけれど、ニット君、すごいじゃない」
私は、驚きつつも歓声を上げていた。
「どんどん行くよ」
ニット君は、何度も剣を振る。
剣を振るたびに三日月型の刃が飛び出し、山賊を切り倒していった。
セレスさんとマックスさんは、その光景を目の当たりにして呆けている。
何が起きているのかさっぱりわからない様子だった。
私は、三日月型の刃を飛ばして山賊を次々に切り倒していくニット君のことに集中しすぎていて、自分のそばに近寄ってきていた人物のことに気が付かなかった。
背後から突然、首に腕を回され、羽交い絞めにされた。
突然のことに驚き「きゃあ!」と短く悲鳴を上げた。
セレスさん、マックスさん、そしてニット君が私の方を見る。
「アテナ様!」
山賊のリーダーである小太りの男に羽交い絞めにされながら、首筋に剣を私は突き付けられていた。
「よくも…俺の部下たちをやってくれたな」
リーダーの男の目は、怒りで血走っている。
山賊たちは倒され、残っているのはこのリーダーの男だけだった。
「お前ら全員動くなよ。変な動きを見せたらこの女を殺すぞ」
リーダーの男は、怒声を張り上げた。
「武器を捨てろ」
指示に従い、マックスさんは『ドラゴンバスター』を足元に放り投げる。
ズドン!と重量感ある音を響かせて、地面に転がる。
セレスさんも両手に持っていた『白銀の刃』と『黒鉄の刃』を地面の上に投げた。
「小僧も、とっとと剣を捨てろ」
私の首筋に剣を突き付けながら叫ぶ。
ニット君は、何かをぶつぶつと呟いている。
リーダーの男の声を聞いてはいない。
誰かと話をしているような感じがする。
でも、ニット君のそばには誰もいない。
「早くしないか、このガキ」
リーダーの男は、苛立った声を上げると剣を振り上げた。
「やめろぉぉぉぉ」
ニット君は、大きな声を上げ、剣を横に振るっていた。
無意識に振るったのかまではわからないけれど、私と山賊のリーダーの男に向かって三日月型の刃が迫る。
山賊たちは、この三日月の刃によって斬られ、絶命していたところを私は見ている。
私も同じように死ぬんだ。
そう思ったら、なんだか悲しくなった。
いろいろなことが思い返され、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
ニット君と出会い、一緒に旅をし始めて、セレスさんとマックスさんとも一緒に行動し、冒険者にもなった。
ゴブリン退治も一緒にした。
もう少し、一緒に旅をしたかったな…という思いがあふれて悲しくなった。
死は、もう目の前まで迫っていた。
さようなら、ニット君…元気でね…
私は心の中で、彼にお別れを告げた。
三日月型の刃は、私ともどもリーダーの男を襲った。
霧のように鮮血が宙を舞い、私の視界を真っ赤に染める。
私と山賊の男の身体は、ゆっくりと仰向けに倒れていく。
「アテナ様ぁぁぁぁぁ」
ニット君の悲痛な叫び声が最後に私の耳に聞こえた。
倒れていく私の視線の先には、大粒の涙を零しながら、私に向かって駆け寄ってくる小さな男の子の姿がある。
私に向かって手を伸ばして駆けてくる。
その手を掴むことはなかった。
私は、痛みすら感じずに仰向けに倒れ伏した。
頬に生温かい雫がいくつも落ちてくる。
「アテナ様ぁ~…」
涙で顔をくしゃくしゃにしたニット君が滝のように涙を零している。
それは、とめどなく溢れていた。
そっと私は、右手で彼の頬に触れて、優しく微笑む。
君は悪くない。
そう言ってあげたかったけれど、言葉が出なかった。
最後に君の笑顔を見たかった。
私は、瞳をゆっくりと閉じた。
私の意識は…
………
………
………
いつまで経っても途切れることはなかった。
ゆっくりと目を開けてみる。
「アテナ様!」
驚いたような顔でニット君の叫び声が耳元でした。
「私…死んでない?」
確かめるように、切られたはずのお腹周りに手を当ててみる。
切れている感触もなければ、血が出ている感じもしない。
ゆっくりと上半身を起こす。
「アテナ様!良かったぁぁぁぁぁ」
ニット君が私の胸に抱き着いて、大きな声でワンワンと泣き出した。
私には訳が分からなかった。
「私…生きていますか?」
誰に問いかけるでもなく呟いた。
セレスさんとマックスさんは、ともに驚いた表情をしていたけれど、肯定ともとれる頷きをしている。
私の背後に目を向けると、山賊のリーダーである小太りの男は、腹部から大量の血を垂れ流して絶命していた。
確かに、私の身体にもあの三日月形の刃が当たったと思う。
でなければ、リーダーの男だけが血を流して死んでいるということは不可解なことだった。
「何が起きたんでしょうか?」
多分、問いかけても誰も答えられないとわかっていたけれど、問わずにはいられなかった。
「わからん」
「けれど、お嬢ちゃんは生きているよ」
わからないなりにもマックスさんとセレスさんが声をかけてくれた。
いまだに大きな声で泣き喚くニット君の頭を優しく撫でながら、なだめると次第に泣き止んでくれた。
「何が起きたのか、ニット君にはわかる?」
私は、彼の目にたまる大粒の涙を指で拭いながら尋ねた。
「この娘が…アテナ様を助けたいなら、剣を振れって言ったから…振ったんだよ…」
言葉に詰まりながら、ニット君は言葉を紡ぐ。
「この娘?」
意味が分からず、首をかしげると、私の目の前に小さな女の子がいた。
驚いて私は「きゃあ!」と悲鳴に近い声を上げていた。
「どうしたんだい?」
私の悲鳴に驚いた様子で、セレスさんが私の肩に手を置いた。
「目の前に小さな女の子がいて、驚いただけです」
セレスさんとマックスさんは、私の言葉の意味が分からないのか顔を見合わせている。
「女の子って…どこにいるんだい?」
辺りをきょろきょろと見まわしている。
「ここにいますよ」
私が掌を差し出すと、女の子は私の手にちょこんと着地した。
私の掌の上には、体長10センチほどの可愛らしい女の子がいる。
どこかで見覚えがある女の子だと私は思った。
美しい金色の髪は足元まで伸びている。
目は細く、微笑みを絶やさない優しい雰囲気の女の子。
耳は、やや尖っているように見える。
服装は…服は着ていないのかしら?
身体に何かの緑色の文字ような、模様のようなものが貼りついているとしか表現できない格好をしている。
全身がやや透けて見えているのが不思議なところだ。
「どこにいるんだ?」
「あたいにも見えないんだけれど…」
二人は、私の掌の上を見つめるけれど、この女の子の姿を認識できないみたい。
「ここにいるよ。凄く可愛い女の子が」
ニット君が恐る恐る人差し指で女の子の頬をチョンチョンと突く。
女の子は、恥ずかしそうにニット君の指にそっと触れて頬ずりしている。
間違いなく、ニット君にもこの可愛い女の子の姿が見えている。
「ニット君には見えているのね?」
「うん、アテナ様も見えるでしょう?」
「ええ、だって、今、私の掌の上にいるんですもの」
小さな女の子を不思議そうな表情で私は見つめた。
「掌の上?」
セレスさんが、ゆっくりと探るように私の掌の上に手を伸ばしてくる。
「!?」
突然、驚いたようにセレスさんは手を引っ込めた。
「何かある。お嬢ちゃんの掌の上に何かあるよ。それも、強い魔力の波動を感じたよ」
セレスさんには見えないけれど、女の子の存在…何かいるということだけは感じ取れたみたい。
「いったい何がいるんだ?その女の子ってなんだ?」
私の掌の上をじっと目を細めながら、マックスさんは見つめているけれど、何も見えないし、感じ取れないみたい。
「髪の毛の長い女の子だよ。ここにいる女の子と同じだよ」
ニット君は、セレスさんからもらった小剣の紫色の魔法石を指さした。
そうだ。
この女の子の姿は、その剣の魔法石の中に封じ込められている女の子と同じ姿をしている。
「それって…」
セレスさんが驚いた顔をしている。
「ワタシハ…カゼノセイレイ…シルフ…」
そんな声が私の耳の奥に響いてきた。
風の振動によって伝わってきているような気がした。
鈴の音のような心地よい声だった。
「風の精霊、シルフって言っているよ」
この女の子の声は、ニット君にも聞こえているみたい。
私にも聞こえたことと同じことをセレスさんに伝えている。
「やっぱり…風の精霊シルフかい。だから、ボーヤはこの剣から風の刃を打ち出すことができたってわけだねぇ~。ってことは、風の精霊がボーヤが斬りたいと思ったこの悪党だけを斬り裂き、お嬢ちゃんのことは斬らなかったってことなのかねぇ~。だから、お嬢ちゃんは助かった…なるほど…」
一人納得したような感じだ。
「ワタシノ…ナハ…シルフィード・シルフィーユ…ワタシノ…チカラガ…ヒツヨウナトキハ…イツデモヨンデネ…」
女の子…風の精霊シルフは、そう告げると一陣の風と化して私の掌から消えた。
「シルフィード・シルフィーユ?」
私は、風の精霊の女の子が残した言葉を口に出して呟いていた。
「お嬢ちゃん、今、なんて言ったんだい?」
「えっ?あの…精霊の女の子が、シルフィード・シルフィーユと名乗っていました…」
私の言葉に、セレスさんは頭を抱え込むと、次には声を張り上げて笑い出した。
私たちは、セレスさんが上げる笑い声の意味が分からず、顔を見合わせながら首をかしげてしまった。
「あはは…ボーヤは、とんでもない風の精霊に気に入られたようだねぇ~」
ひとしきり笑い終わった後、ニット君の頭を乱暴に撫でながら、セレスさんは羨望の眼差しともとれるような表情で彼を真っ向から見つめた。
「風の精霊シルフの女王…その名をシルフィード・シルフィーユ。ボーヤは、風の精霊の女王に気に入られたようだ。これはとんでもないことだよ」
セレスさんの様子から、すごいことだと私にも伝わってくる。
あのセレスさんが、興奮気味に話しているからだ。
「そういえば、いなくなる前に…私の力が必要な時は、いつでも呼んでねって言っていましたよ」
「やっぱり、風の精霊に気に入られたんだ。ボーヤは、風の精霊を味方につけちまったんだよ。ボーヤ、すごいじゃないかい」
そう言われても実感が湧かないのかニット君は戸惑った表情をしていた。
「風の精霊を呼べるってことは、ボーヤには魔力があるってことだ」
「じゃあ、僕も魔法を使えるの?」
「精霊魔法を使えると言っても過言ではないよ」
魔法が使えると言われて、ニット君は大喜びして小躍りしている。
その様は実に可愛らしくて、私はクスリと笑みを零した。
「ただし、闇雲に風の精霊を呼ぶんじゃないよ。ボーヤの魔力がどのくらいあるかまだ分からないからねぇ~。精霊魔法は莫大な魔力を消費するって聞くから、一気に魔力を奪われて最悪の場合は死ぬこともあるから、気を付けなよ」
「死ぬの?」
「精霊に魔力をすべて奪われた最悪の場合の話だよ。協力を申し出てくれた風の精霊が、そこまでするとは思えないけれど、そういったことも起きる可能性があるから注意しなって話しさ」
「うっ…うん…」
ちょっと怖がりながら、ニット君は頷いた。
「まさか、この剣の魔法石の中に風の精霊の女王が封じ込められていたとはねぇ~。あたいは、偶然とんでもない剣を手に入れていたんだねぇ~」
ニット君の小剣を手に取り、誇らしげにセレスさんは掲げ上げた。
「ん?なんだい、こりゃあ?」
掲げ上げた小剣の刀身部分を覗き込んでいる。
「エアブレード?いつの間にこんなもんが浮き出てきたんだい。購入した時にはこんな文字は刻まれていなかったはずだよ」
紫色の魔法石がはめ込まれた柄の先に延びる刀身に古代文字のようなものがうっすらと浮かび上がっている。
「この剣、『エアブレード』って言うの?」
「そのようだねぇ~」
「カッコいいかも」
セレスさんの手から小剣を取り返して、ニット君は『エアブレード』を愛おしそうに見つめていた。
ニット君は、一度に新たな力を手に入れてしまった。
『エアブレード』と呼ばれる剣の刀身から風の刃が打ち出せるようなったことと風の精霊シルフさんという頼もしい存在の二つを。
この力は、うまく使えばニット君に大きな力をもたらすことになると思う。
けれど、一歩使い方を間違えたら大変なことになりそうな気はしていた。
私たちは、倒した山賊の遺体からお金になりそうなものや武器などをもらい、セレスさんの魔法で遺体は処理をした。
ここにこのまま山賊たちの遺体を残しておいてもハゲタカが啄みに来るだけで、誰も処理せずそのままになってしまうためだった。
山賊や盗賊は、旅人や行商人の金品などを奪う。
返り討ちにあえば、山賊の持ち物はその場に残されることになる。
誰かが処理をしなければならない。
ならば、もらえるものはもらい、売れるものはお金に換えてしまうのが当たり前らしい。
私は、良心的に抵抗があってできなかったけれど、セレスさんとマックスさんはさも当たり前のように手際よく行っていた。
こんなことが普通に行われている。
旅に出るまでは、そんなこと何も知らなかった。
楽しい旅を夢見ていたけれど、現実は甘くない。
私は納得できなかったけれど、こういうものなんだと…半ば諦めのような気持ちで受け入れようとしていた。
センティアーノの街までの道のりは、まだまだ遠かった。