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少年Aは孤独だけ 前

「しょうねんAはこどくだけ」。



・1


では、あらためて、一つ、舞台を頭の中に思い描いてほしい。


誰しも一度くらいは何か舞台を観たことがあるだろう?

ない? ふざけるなよ、ジェス。

例えば学生時代に芸術鑑賞という題目で観たような、内容を一切覚えていない県営劇団の舞台だとか、同じく隣で眠りこける同級生のいびきの方が高らかに聞こえた文化会館でのカルメンだとか、いつどんなきっかけで観に行ったのかも覚えていないような世界的だと誇大広告を打たれるパントマイマー達の公演だとか一つくらいはあるだろう?

いや、ジェス、お前はともかく、確かに一度も舞台を見たことがない人間がいて、そういった客に配慮しろって言いぐさもわかるけど、今、俺にとっての客は君だけなんだから少し黙っていてくれないか?

この話の中の君は舞台の上にいるんだ。俺の噺の中に現れる君を含めた登場人物は、彼らは、舞台の上に現れて、場面が終わればその都度、暗転と共にさっぱり壇上から消えていく。舞台の上思い思いに立ち回る彼らは色彩豊かな照明に照らされて、そのバックグラウンドでは常に音楽が流れている。

どんな音楽が流れているか? ね。

いや、今回は『Sing, Sing, Sing』じゃないよ。音響は俺の管轄ではないから、そうだな、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのベストアルバムじゃないか? タカが君たちの出会った町の気象台に置いていったものだからとかそんな理由で。シリアスリー、俺はマジで彼らの音楽が好きだったから、そうだったなら何の文句も言わない。

音響班との詳しい打ち合わせなんてしていないけれど、ひとつだけ確かなのはここで俺が人差し指を上に向けるとブザーの音が鳴ること。

ほらな、はじまりだけは稽古したんだ。

ブザーの音を合図に俺を照らしているピンスポットライトが消えて、舞台上が明るくなる。君の人生の中に居た人々がそれぞれの立ち位置についたまま時間でも止まったみたいで、皆セリフが回ってくるのを待っている。緞帳が上がり、拍手がやんだあと、舞台は君の前口上のような長ったらしいセリフから始まる。

いいはじまりだろう? ほら、拍手をしてくれ。

 

「故郷から見える海だけが、唯一僕の元に真っ当な物語を運んできた。海流に乗った世界中の本が浜辺に打ち上げられるようにして、僕らの生まれた港町に住む人々はいつでも物語を語って聞かせる。船乗りたちは映画に出てくる囚人たちなんかよりよほど雄弁に女性たちについて語り、カモメは季節と気候の変化を知らせ、漁師たちは海で出会った捕まえることのできなかった巨大な獲物についての話をする。タンカー船の船長は経済紙の世に出るよりも早くに景気を言い当て、輸送船がその景気を追いかけるようにいつの時代も様々な新しい物資を港へと運び込んできた。

客船は港に、人を、異国を旅した人々から生まれる物語を運んできて、少年に西洋への憧れを残した。海上保安官たちが密漁者よりも幽霊やUFOを怖がるのを聞いて僕らは笑い、同級生たちは対岸の港が異国の夜景のように光る税関の前で少女たちに愛の告白をした。そんな風に少年だった僕の日々はいつでも物語に溢れていた。海は詩人たちよりも激しく、小説家たちが一生をかけても書き切ることのできない程多くの物語を少年の下へ運んできた。なんの嘘もない、海辺の住人達による演劇祭。僕の故郷の港町はいつでも賑やかで、いつでも誰かが笑っていた」。


・2

山の麓から登山口にたどり着いた時から雪は風にあおられて横殴りに僕らの上に降り注いでいた。山を登っていくほどにそれはひどくなり、僕ら二人の行く手を阻むように白い壁となって押し寄せてくる『雪崩にでもなればいい』そんなことを思いながらにらみつけるように前を見る『そうしたらここで立ち止まっても、誰にうしろめたさを覚えることもないのに』と。

雨ならば、どんなに強い雨が降ろうともこの時間なら、見上げれば曇天の空はそこにあるというのに。この降雪の中ではどれだけ遠くを見つめようとしたところで、真っ白な雪が僕の視界を遮るばかりで、ろくに自分の進む道さえ見えやしなかった。

防寒着の上、ゴーグルの上、山への侵入を防ぐように絶えず雪は打ち付けてきて、僕らを押し返そうとする。登り始めてから時間がたてばたつほどに疲れから体の感覚が少しずつ希薄になってゆく。歩いているというよりも、掘り進んでいるという方に近い。なるべく後ろを歩いている先生に負担をかけないよう、重たい雪をかき分けながら進む。

真っ白な海を進む。ナイトダイビングのようだった。狭い視界の中、確かに彼らの腕は雪の壁を押し開け、自分の腕に力を込められているという実感もない中、ひたすら白い壁の中を進み続ける。徐々に頭がぼうっとしてきて。一瞬だけ、水中を漂っているような浮遊感を覚える。

視界の中に広がる、真っ暗な海中自分のライトだけを頼りに進み、昼間よりも活発に生き物の行き交う夜の海を観察して、海底でとどまりながら、ほんの出来心でライトを消してしまう。光を失って、上も下も分からない闇の中何も考えず波にゆられる。その時の自分自身は、何にも抵抗することのできない海の中にある一つの形でしかないとか、そんなことを考えながら、何百年も前に沈んだ船に積まれたヴィーナス像のように、全てを諦めて、ただ海底に刺さっている間、海はとても優しかった。

これから生まれてくる子を待つ母のように僕を甘やかしながら、ゆりかごのように揺られながら、僕を包んでいる。それでも海底の中にあったなんの事象も起きない安らかな暗闇が、突然牙をむいて僕を襲ってくるのではないか、僕はここでわけもわからないまま命を落としてしまうのではないか、と、そんな不安が芽生えてしまう。


同じようにこの吹雪の中で抵抗することを止めたのなら、たちまち降り続ける雪に生き埋めにされて、後世に残ることのない氷像になって、無残。この山に打ち捨てられただけで終わってしまう。それは言葉だけを並べた時、疲労を越えて歩き続けるよりも魅力的な誘いのようにも思えてしまう。このまま腕を動かす必要もなく、どこに進む必要もない。ただ目を閉じて暗闇の中吹雪に吹かれるだけで終わってしまう。

寒く痩せた土地で作られる白いアイスワインの甘い風味が口の中に蘇った。

そうやって犬死できるチャンスは実はそう多くはない。悪くない話だ。

例えばバイクで走る中、もう避けられない衝突が目の前に差し迫った時に思い切りアクセルを開いたところで、月面歩行のように宙を舞い、ヒキガエルのように地面にたたきつけられたところで、死ぬことは出来ず、何事もなかったように起き上がるだけだ。

『今回は違う。諦めればそれだけで終わることが出来る』もちろん、その結末を選ぶつもりはなかい。捨てることの出来ない目的と、ここに来る前に先生とした破ることのできない約束がある。

僕は後ろにいる老人をどんな形であれ故郷へとかえさなければならない。それだけは誰にも託すことができない、もしもこの吹雪の中で僕が倒れてしまったのなら、誰がその願いをかなえてやれるというのだろう? ここで二人とも倒れてしまえば、誰もこの山で僕らが遭難したなどということは知る由もなく、僕の死体も先生の死体も、次の夏が終わるまで誰に、きっと腐ってなくなってしまう。

そんな不義理を僕は自分に許したくはない。

先生何も文句を言わずに歩き続けているのに、自分が止まれる理由はない。

僕らは故郷を同じくした。同じ、雪の降らない温暖な港町で幼少から青年になるまでを過ごした。準備はしてきたものの雪の中を歩くことには不慣れだ、だからと言って泣きごとなど言ってはいられない。雪中行軍のようにひたすら前へと進むしかない。


歩き始めてどれくらいの時間が過ぎたのだろう?

いつしか長い歩行がたたり、先生は左足を半ば痛めていた。引きずりながら自力で歩くことも困難なほど痛めており途中からは僕のほうにその体重のほとんどを預け、それでも必要以上の負担はかけまいと。残ったほうの足に渾身の力を込めて雪中を進んだ。

気の遠くなるほど歩いた。

僕の足も限界が近いのか小刻みに震え続けており、踏み出す一歩の長さを間違えたら足がつるか肉離れでもしてその場に倒れ込むしかなくなる程に疲労がたまっている。もう意志を貫こうという思いだけでどうにもなりそうもない……と、いよいよもって限界にたどり着こうという頃になって、ようやく視界が開けた。

打ち付けていた吹雪は弱まっていき、真っ白な壁を掘り進んでいるようだったな視界も見通しのきくようになってきた。雪は完全にやんだわけではいないが、見上げると雲の切れ間から青空が見える。

いるのは、大きな岩のゴロゴロと転がる高原のようだ。平坦で、傾斜のある斜面とは違い歩きやすい。大きな岩は、影に入れば雪と風をしのぐことが出来そうだ「先生、あそこで休憩できるかもしれません」そう言うと、僕に体重を預ける先生は無言で岩を指し、僕にそこへ行くように指示をする。


体を必死に動かしながら、高原の中を歩く。先生の示した岩は4メートルを超えていそうな大きな物で、自然に生まれたというよりも石切り場の中、取り残され、放置されたような、綺麗な切り口の台形をしていた。

と、その場所にたどり着こうかというとき、先生が何か口を開く。先ほどまで言葉も発しようとはしなかったが、何度も口を動かして何かを伝えようとしている。だが雪は弱くなっていようと標高の高いせいで風が強く、僕は必死に師の言葉を聞きとろうとするが、何か言葉を発するたびにその音ごと横にさらわれ、どうしても聞き取ることができない。


ようやくその岩陰にたどり着くことができた。風も遮れ、会話もいくらかはできそうであった「なんていったんだ? 先生?」この山にたどり着くまでに大方、必要な話は終えているのだが、何かを今になって言おうというのなら、聞いておきたい。思い声を張り上げて聞き返す。

風は岩にぶつかると低いうなりを上げ雪原の向こうへと消えていった。老人の口が開くたび、風はうねりを上げ、いつまでたってもその言葉は耳へと届かない。いくら耳に手を当てても、その音は消えることがなく僕らの周りを駆け巡るようにして、その場に留まり続けた。

そんな僕の様子に、自分の言葉が届いていないことを知った先生は半ば胸ぐらをつかむようにして僕を自分のほうへと引き寄せた。耳の近くまで顔を持っていゆき、まだ整わない息の中、どうにか言葉を伝えようと一番底から空気を絞り上げるように声を出す。

「ここでいいと僕は言ったんだ。わかるな? タカ」

いつもの艶のある、客席の奥まで通るような声を出す体力はもうどこにもないのだろう。

洞窟の奥から風が抜けてくるかのようなかわいた声で短くそういうと、僕を突き放そうとする。僕の肩を突き放すように押しながら開こうとした先生のこぶしを、僕は上から握った。

「先生、なんといいましょうか」言い残した言葉がある。

あるはずなのだが、後に続く言葉を見つけ出すことが出来ず、目の前で僕の吐いた息が、煙草の煙のように空気の流動に飲まれて消えてゆく。思い当たる言葉をいくつも頭の中に浮かべるたび、それは違う、と、消し、言うべき言葉を探し続ける。

今まで幾度となく語り続けてきたはずなのに言いたいことが多すぎる。今この瞬間に言うべき一番大切なものなど選べるはずがない。感謝は、今言うべきではない。やはりここで彼を説得して山の麓まで連れ戻すべきだろうか……万感の思いをもって目の前の老人を見つめていた。

「春に」

(そんな彼の逡巡が手に取るようにわかるからこそ、老人は沈黙を破らなければならなかった。後進たるこの青年をここにとどまらせておくわけにはいかない。

自信の言葉をもってして彼を遠ざけねば、自分についてきたこの愚かな若輩を自分がいなくなった後にも一人で歩んでいけるように、迷いなく前だけを向くことが出来るように導かなければ、そのために彼に言葉を送らなければ)。

「春になったら迎えに来てくれ。そうして必ず私を故郷の海へとかえしておくれ」

(その状況の中に在って、老人は短くも力強くかつての自分自身に対してそう告げた)。



「ありがとう」

老人の言いつけ通りに振り返らずに来た道を戻る青年のその姿を満足そうに見つめていた。やがてその姿も見えなくなると雪の上に座り込み大きく息を吸い込む。ずいぶんと体は疲れていたが反面その心持ちは穏やかで、なぜだか高校の卒業式を終え、一つ明確に人生に区切りがついたと実感しながら、帰り道晴れ渡る空の下、川沿いの桜並木を自転車で進んだ時のことを思い出した。

気持ちを切り変えるため、老人は氷点下の外気を肺いっぱいに吸い込んだ。肺が広がり、感覚が鋭くなっていく。自分の体が震えているのがわかる。疲れ切った体とは関係なしに頭だけがどんどんさえてくる。心臓が聞いたことのない音をたてて脈打っていて太鼓の音のように聞こえる。視野が広がっていく……老人のその瞳は痩せた土地に巣食う猫のよう今にも倒れそうなその姿とは裏腹に力をもって煌々と光っていて、降っている雪の一粒一粒粒でさえはっきりと視界の中に捉えることが出来るほど意識はさえわたっていた。老人は立ち上がり、背後にあった岩を登りはじめる。その上には音が何もない無音の空間が目の前に広がっていて、今まで、何千、何万と語り手として過ごしたその時間を思い出したながら、自分自身の人生を全うしようと、声を張り上げた。自分の声がどのように響くのか、今の自分のか姿が観客にどんな風に見えるのかそれがわかる。

観客など一人もいない。誰もこの場所には来ない。

客席の一番前で彼を見ているのは彼自身だ。自分がどんな姿をしていて、どんな声で語っているのかがわかる。彼は嬉しくてうれしくて仕方がなかった。そこにいるたった一人の観客に自分の訴えを届けるために、自分がいかに愚かであさましい人間であったのかを伝えるため、自分の人生が一体何のためにあったのかを語るため、彼は声を張り上げる。


青年は唸りをあげて自信を追って斜面を下ってくる風の中、自らの師の声を聴いた気がして一度だけ振り返った。もしかしたら老人が自分を追ってきたのかもしれない。と、だが立ち止まり目を凝らすもそこに師の姿はない。それを確認するとまたすぐに山を下りはじめた『春に必ず帰ってきます』と、心の中で呟いて、彼は遥か彼方に消えた雪原を背に風の音だけを聞いて進んだ。






・3

上手舞台袖から現れた男が中央へ向かっていく。

目鼻立ちの整った老齢の男。頭髪が少し寂しくはあるが、白髪の隙間に地肌がところどころ見えている程度でまだ禿の目立つほどということはない。ぱすっ、ぱすっ、と空気を抜くようにして木目を靴下のなぞる音がしては聴衆のいない客席の綿布の隙間に消えてゆく。

それが僕の走馬灯の果てに観た光景だった。

「やあ、ジェス。まずは頭の中に一つ、舞台を想像してみてくれ、得意だろう? そういうの?」

一目見ただけではわからなかったが、声を聞いてそれが僕の高校時代の学友だと気が付く。

長い間会っていないはずなのに、僕の過ごしたのと同じ分年を取っている彼の姿に驚いた。

「得意、不得意、以前になぜそんなことをならなければならない?」

「これから、話をするうえでその方がイメージしやすいからだ」

「そう言うのは語りで相手に想像させんだ。マクラの部分で引き入れるんだよ。へたくそ」

「ジェス。頼むよ。俺からしたらこうして畏まって話すこと自体久しいんだ」

「映像なんてものに逃げていたからだろ」

「いや、そもそも俺と君は目指していたものが違うからね、逃げていたわけじゃない」

「そういうのを言い訳って言うんだ。僕はどっちにも本気だった」

「君はいつでも不器用なんだよ。ジェス。昔っからそうだ」

「お前は昔から器用貧乏なんだよ。昔から逃げるのだけがクソみたいに下手だ」

「下手も何も俺は何かから逃げたことなんて、一度もないからね」

「そういうところが貧乏なんだよ。認めちまえば楽なのに、普段から練習しないから、結局、最後も逃げられず潰されることになるんだ」

「まあ、それは残念に思うよ。あの時は必死に逃げようとはしたけれど無理だったね、そのせいで君の最後の作品を観ることは叶わなかった」

「それは今からながすぞ、こっち来て座れ」

「いや、それとは別のやつだ。俺が死んだ年に封切りしたやつ。故郷の、清水の映画館で君と並んで観たかったな」

「いやだよ。何が楽しくてジジイが二人で里帰りした挙句に並んで映画観なきゃいけないんだよ」

「いいじゃないか、何にも拘らずに高校生の時みたいに気楽にさ……それが出来なかったから、こんなだだっ広いホールの中に二人だけになってしまったのかもしれないね。俺の未練なのか、君の未練なのか、なんにせよ会えたのは僥倖だった」

「本当にな、なんでこんなところにいるんだろうな、というかこっちに降りて来いよ。話すにしても遠い」

「会えるかどうかはわからなかったけれど、確かに俺は君を待っていたんだよ。ジェス。この場所で君が来るのをずっと待っていた。君に、君の噺を聞かせるために」

高校三年生の春の夕暮れ。校舎三階、職員室の上にあたる場所のルーフバルコニーでベンチに寝転び文庫本を読んでいたこの男の姿を思い出した。

「今日のお前は取り立てて変だな。僕の噺?」

「そう、ジェスの噺」

「待っていてくれたというのなら悪いが、今更僕の噺なんか聞きたくないぞ、それにどうでもいいけれど、僕のことをジェスって呼ぶのやめてくれねえか? 僕まで西洋かぶれしているみたいで嫌なんだよ」

「いいじゃないか呼び方くらいは俺の好きにさせてくれ、君のことをそう呼ぶのは俺だけなんだから、俺といるときくらい我慢してくれよ」

「西洋かぶれしているみたいだってのもあるけど、久しぶりに会った幼馴染に変なあだ名で呼ばれるみたいでこそばゆいんだよな、そう呼ばれるのはいつ以来だ? タカに初対面の時に呼ばれたのが最後か、あれも何年前だったか思い出せない程昔だ」

「いいから聞いてくれよジェス。君の噺だ」

「いやだよ。何で僕の噺を僕自身が聞かなけりゃならないんだ。そしてなぜお前が、その僕の噺を語るんだ?」

「君の話を君が聞かなければならないのは君にとって必要なことだからだ。そして、こうして俺が話すのは、こうして舞台に立つことこそが叶わなかった俺の子どもの頃からの夢だからだよ」

舞台上に立つ男はどこまでも自分勝手な暴論をぶつけてきて譲ろうとはしない。自分の過去を知る人物と自分の知らない場所にいて、ずっと前に死んだはずの彼がなぜか僕と同じくらいの老けた姿で目の前に立っている。出来損ないの明晰夢をみているみたいだと、どこか楽しく思えた。その夢が一体どこへ向かうのか僕は成り行きに身を任せることにした。どうせもう目を覚ますことはないのだから。

「そうか、わかった。聞いてやるよ」

自分のわからないものを知れることはいくつになっても楽しい。決意のうちにたどり着いたこの夢の生末がどこになるのか僕は興味があった。積み上げてきた自分の生が僕に何を見せてくれるのか、ただただ期待だけをして僕は客席の中、ふんぞり返って舞台を見上げた。

・3

置かれたマイクの前に立ったタカは、君のたった一人の弟子は、目の前広げた式辞用紙に目を落とした。俺が一度も見たことのない礼服姿で弔問客の注目を集める彼は間をとるために両の手で支えるようにして持った紙を確認するフリを念入りにしてから顔を上げる。

 何があるわけでもない空間、幽霊でもいるかのように、タカだけが見える誰かがいるかのように一点だけを見つめる。その瞳の先にはきっとジェス君がいるんだろう。

「まったく、言語のつたなさとはそのまま幼さだな。

先生の口癖の一つでありました。私が先生に巡り合ってからどんな噺を覚えるよりもどんな作法を盗み取るよりも先にその言葉について考えるようになりました」

君は早くして若さを失おうとしたのに、タカはそれには習わなかったな。君の周りに居たのに誠実で純粋で濁りなく清んだままで出会った少年の時と何も変わっていない。

顔を上げ、言葉を紡いでゆく彼は、書かれた文字を読んでいるわけではなく記憶の中に在るものを呼び起こしているだけのようで、手の中で開いた紙に目を落とすことはなかった。

「先生はため息でも吐くかのようによくそんな言葉を口にしていまして、酔いの席で煙草を吸いながらなんの話題も見つけることがかなわない時の穴埋めに、何かの会合終わり心底疲れた顔のまま乗り込んだタクシーの車内で愚痴でも漏らすように、出番前の舞台袖こなれた風を装いながら何度も体を揺らしているのを私に見られて、照れ隠しのように……それは所場面を問わず、私が最後にあった日にも。

頭の片隅に残っているお気に入りのメロディーを口ずさむようなものだったのかもしれませんが、最期までその言葉は私と先生の周りをついて回り続けていました。出会って最初の五年間、教えを乞うために彼の傍をついて回った私は何度も何度も先生がその言葉をつぶやくのを聞いて『ああ、また言っているな』と、聞く度、意識して、言葉の意味を考えるのです。ただ、当時の私にはまるで意味が解りませんでした。その言葉にどれほどの意味があるのか、なぜ先生がそんなことを口にし続けるのか、自分の中で答えを出すだけなのに私は随分と長い時間をかけてしまいました。

なにせ貴方はつかみどころのない人でしたし、私と出会う以前の事は結局、断片的に聞くばかりでそれを知るであろう誰かも先生の周りにはおらず……先生のそう言った性質もあって、どう言った意味合いでそれを言っているのか知る術はなく。単に言葉の意味を理解するにも当時の私は若すぎました。それでも何度も口にするものですから真面目な私は何か芸をするうえで重大な意味を含んだ言葉なのではないかと思案しておりました。

五年間、何もない時間に聞かされ続けたからでしょうか、先生のもとを離れ一人で仕事をする機会の増えた後になっても、あなたの癖が移ってしまったようで、なんでもない隙間の時間が生まれるたび、何もない無音の時間が訪れるたび、先生の声が頭の中に浮かんできて、ずっとその言葉の意味を考え続けていました。解けない物事について考え続けるというのはなかなかに楽しくはあったのですが、ある時、ふと、貴方はずっと何かを悔いていたのだとそんな考えに至ったのです『先生はずっと自分自身をせめ続けているのではないだろうか』とそんな仮説が私の中に生まれて『自分が発しなかった言葉のせいで達成できなかった事柄に対する後悔があるのだ』と。そんな意味を孕んだ言葉なのではないか? と、そんなことを思いました。

何百何千と人前で言葉を紡ぎ、とても数えることの出来ない程多くの人間と関わった後になって実感として得られたものを言葉の意味としてあてはめた時、すとんと私の胸に落ちてきたのがその説でした。本当に伝えるべき時に伝えられなかった言葉こそ、先生の心の隅に残っているもので、先生はその何かを思い出すたびに自分自身を責めていたのではないか? と。名前もつかないような罪状を過去の自分自身に言い渡して、そのことに対して思いをはせていたのではないか? と。

その言葉に対して……最後に顔を合わせたその時まで、先生は同じ言葉を口にしましたが、私にとっての後悔は自分なりに答えを出したことを先生に一度も言わなかったことです。確かめて、もし私の考えが正しかったとして、その言葉を否定するため、真っすぐ感謝を述べるということをしなかったことです。

いつでも、貴方は私を正しい方へと導いてくれました。私が生きるための目標でした。落ち込んでいる時や道に迷った時、くれる言葉の一つ一つが私にとっての救いでした。貴方のくれた言葉がどれほど私の助けになったのかわかりません。ふざけているようで、おちょくっているようで、時には腹を立てることもありましたが、先生が間違ったことを言ったことなどただの一度もありませんでした。

貴方の瞳はいつも真っすぐ正しい方だけを見つめていました。決してブレることなく、どこまでも強く。そんな貴方についていたこの十数年がどれだけ幸せだったのか、そんなの、言葉で表せるものではありません。どれほど感謝を述べようと与えてくれた幸せを返しきれるはずがありません。だから、貴方の最後の我儘を聞こうと決めたのです。

もし先生が最期まで囚われ続けた過去とそれでようやく向き合えるのなら、何も言わずその背中を押そうと、私はそう決めたのです。

しっかりと送り出せたのかどうか、いまでも私には分かりません。

先生が旅立ってしまう前に言うべき言葉はいくつもあったと思います。

それを言い切ることが出来なかったことこそ、それこそが私のつたなさです。

ですが……それでも、先生、貴方に出会ってから私の人生はずっと幸せの中にありました。先生との出会いを、過ごした日々をこの先に何度も思い出す度、私はそれを実感するでしょう。貴方に出会えて私は本当に幸せでした。どこを切って思い出しても貴方には感謝しかありません。本当にありがとうございました。

どうか安らにお休みください。

202x年 2月3日 柳葉隆人」。

一礼、黙とう。

『貴方が自分自身の過去と正面から向き合えることを祈っております』と、タカは心の中でそう君に語りかける。とはいえこれはタカが表向きにそう言っただけだ。

俺たちがこの言葉の続きを聞くことが出来るのはその日付から数か月が過ぎた春の日のことで

「この先生という人物は、まるで信仰心など持たない人でしたから、それはなぜそんな人間が仕事とはいえとある宗教の聖地ともいえるような場所にいたというのが、不思議なんです。単に街並みが綺麗だからそこに行くことを選んだと言えばそれまでですが。それどこか心に引っかかっているんですよね。そこに行く前に先生の胸中に何か変化でも生じる出来事でもあったのかと疑問に思っておりました。それは都市伝説の中で語られる多くのピラミッドの謎ように明らかにされることのない疑問だけを孕んで、今なお私について回っているのですよ。

きっと大した理由などないのだろうし、正しい答えすらない物なのかもしれませんが、それを聞くことを忘れてしまったからこそやはりどこかすっきりとしないんです。何気なくでいいから聞いておくべきでした。先生がその町に居たのと同じ時期、若さからくる青さと言おうか、私自身が色々と自分自身で答えを出すことの出来ない思いに悩んでいたこともあって、話を振ってまで思い出したくはなかったのです。

いつかその理由を聞こうと思って忘れていた。その理由に対して不確ながらに関心のようなものが湧いたのは先生が初めて私に自分作った噺の一つを教えてくれた時のことで……少しそれにお付き合いをいただければと思います」。

タカは舞台の上でそんなことを語る。喫茶店で友人と話でもするように、さっきとはうって変わって気楽なものだ。気楽に言葉を紡ぐ。

「まず、この物語の一番初めに舞台に立つのは少女です。

言語のつたなさとはそのまま幼さである、と常々思う。

何の引用でもなく作者そのままの言葉でした。そしてそのままこの言葉を頭に添えた後、彼はこの物語から失踪しました。作者不在の物語は何処までも自由。末広がりに青天井。と、何の形にとどまることはなく。多くの人間が横柄闊歩、勝手気ままに動いているようで、ただ風に揺られて飛んで飛行船のようで一体、何処に行くのか?と


でも、行方は一つでした。


作者の手を離れた、何処にでもいけるはずだったこの物語は結局、予定された通りにひとりの少女のために。と、そんな形を選びました。

色彩も、悲しみもその音と彼女とともにあれたのなら、作者不在となってなお最後までその形だけは保たれました。どこにでも行くことはできた。登場人物たちも物語の行方も、できただけでなく、そうするべきだったのです。始まる前にここから離れるべきであったのに」。


少女の目線の先くたびれた様子の男が現れます。


『できたからと言って、そうするべきだったからと言って、ただの背景の楽団の一員である、僕はその場で楽器を置いて、始まってしまった楽曲を投げ出して、観客の目を振り切って、そのホールを離れる度胸なんてありはしなかったんだ』と、意味を持たない注釈のような文字列を口にしまう。

そこから物語は始まりました。

十代のころに作ったと本人がいう通りに、恥ずかしい詩作のような鼻につくオープニングです。先生、どうか貴方のいないこの場所にて先生を辱めることをどうかお許しくださいな、元はと言えば私の中にそんなものを遺すから悪いのです。燃やして捨ててしまえばどこにも遺らなかったのに、これも私にとってはこの場で人に語りたい絆の一つなのです」。


「これは元々からしておかしなところの多い話ではあるのです。思わず笑い声をあげてしまうような類のおかしさでなく。話として成立していない発展途上の物だといったような。聞いている途中で妙に気になってしまい。その場でこれは一体どういう話であるのか、と、私は先生に尋ねました。先生はいつも通りの落ち着き払った表情で、これは自分が若い時分に練り上げたものだ、本当のところは自分自身にもよくわからない。ただ何年も生きてくるとこうして若いころに思っただけの話が、積み重ねてきた経験のせいで、ただがむしゃらに練り上げただけの文字列が、急に自明の理のように誰の手も離れたところで完成された物語のように口をついてでてくる。物語自体が語りはじめるのだ、と。先生は最初にその部分を私に教えておきたかったとそう言いました。いつか私が書いたなんでもない文章が、時間を積み重ねた先、勝手に私の手を逃れ、自身の内面にて物語として舞台の上に現れるのだと。

『これはただの素だ。月日を重ねて別の物に変わっていった』。

その時の私はそれを一つの精神論や与太話の一つとしてしかとらえることは無かったんですが、今ならばわかります。こうしてここで話す思い出ですら先生と一緒に積み上げてきた物語の一つなのですから。


・5

老人は一人、声を張り上げ続ける。発するその声に共鳴するかのようにどこからか風が起こって、積もったばかり誰にも踏み固められていない雪が風と一緒に野山を駆けていく。

「それにしても困るのはこの話自体のことで、全く何人もの制作者がバラバラに過去を語ったものだから、俺の手に負えるところではなくなってしまっていることだ。登場してくる誰もが、主観と偏見をもってして、互いを見て、各々の記憶の中の過去を語るものだから、伝言ゲームでもしているみたい、物語が進む度に少しずつ少しずつ何かがずれていってしまうんだよ。ショービジネスだから、ジェス、観客である君に楽しんでもらえればそれでいいとは思うのだがね。君の友人二人を含めた周りの奴らが厄介だ。こいつらは誰もが主役を張ろうと舞台の中央に立って大げさにアピールしてくる。少しでも観客から目立つことをしようと、言葉尻を取りセリフを合い潰しあいながら立ちまわる。一番まいったのはそれだ。なんとか仲を取り持とうとしたけれど、結局は力及ばず。君が異国で出会った女の子を忘れないために書いた15分の文書は、ジェス、ただの君自身の物語となった。愛されていたんだなお前は。そうして脚色をされた物語はもう誰も止めることはできず、行方知れず、突き抜けていったよ」。

 一人、雪原にて楽しそうに叫ぶ彼は全くの別人に見えた。

「老人は広い劇場の中にひとりぼっち。赤い布張りの客席に腰かけていた。

じっと舞台の緞帳を見つめる彼は落ち着き払っていて。リビングルーム、カウチに腰かけた老人がそこを自分の終の居場所と決め、もう動くものかと居座るような態度で、放っておいたのなら窓から降りる陽だまりの中ゆっくりと老衰してそのまま眠るように天国にでも旅してゆくんじゃないか? と、思えてくるような佇まい。

そりゃ、劇場に日の入るような窓なんてありませんが。収まりがよさそうに見えた。

安らかに消え去ってしまいそうにみえた。今すぐ旅立ってしまいそうに見えて、まあ、老後の楽しみで旅をするのに金も体力も浪費しないのですから、天国ほどいいところはないですな。家族も喜んで送ってくれましょう。

放っておけばきっとそのまま消えていくのだろうとわかって。

本来なら止めるべきではなかったんでしょうが。

でも私は尋ねたかったんだ。それでいいのか? お前が語るべきことはもうないのか? と、なんでだか、彼に今一度聞いてみたかったのです」。

 老人の目はブレもせずに一点だけを見つめている。そこに声を届けるべき対象でもいるかのように。話す度表情を変え、身振り手振り動きながら、それでも視線だけはそこから動くことはない。

「いや、ね。本来ならたどり着くはずのないエクストラステージの様なものですし、聞いたはいいけれど彼にとって説明する必要なんてないんですよ。彼はそりゃ立派に生きましたから、約束通り幸せな結末を迎えるんでしょうがね、私が知りたかったんです。彼の事を。私と、それからもう二人。いや、私の願望も含みますがね、きっと彼も知りたいはずですよ。すっきりしておきたいはずだ。私とそれからもう二人。

いいや、思えば彼なりに整理はついている事なんでしょうが、いいじゃないですか、せっかく場があるんですから、付き合ってくれたって」。

・6

今から十数年ほど前だ。若かりしタカは秋葉原の小さな小屋で舞台に立っていた。キャパシティーは30ほど、駅から徒歩五分ほどの有名なコーヒーチェーンの隣に建つ古びたビルの地下。

ジェスと出会ってから三年たっても彼は先の見えない生活……というか自分の目指しているものが何か具体的には分からないまま、とにかくライブシーンを盛り上げることに若さを燃やしていた。演劇もしたしスタンダップコメディの真似事の様な事もした。コンテも舞踏も踏んだしタップダンスなんかも習ってみた。

「次に覚えた話の中で一人の偏屈な男が出てきた。先生の作る話の中、物語の外側を宇宙遊泳のように全く別の視点から自由に闊歩する人物が時々いる『彼らは現実にここにいるわけではないから、君がもしこの話を公にするようなことがあったとして、何かの事情があって改変をするのなら、彼らのことは忘れ去ってしまっても構わない。彼らはただの観客で、物語の進行には一切関与しないのだから。ただのナレーターか狂言回しのようなものだ』と、先生は彼らをそう評す」。

その日は現代口語というか、どこかで観たような形式の会話劇をしていて、これはひどく退屈だった。

「偏屈な男は退屈を嫌う。初めて登場した彼は横浜の劇場で草の影に映る獲物を見逃すまいとする狩人のように鋭い目つきをもって緞帳の上がらない舞台をにらんでいる。何かが始まる前の劇場に霧散する意味をもたない聴衆が生む感情の霞の中で異質な存在感をもってそこに居る。主人公はそんな彼の事など気にはしない。

やがて開演のブザーが鳴って、沈黙を切り裂くように劇場に音が響く。音は和弦楽器であるが曲はパガニーニのヴァイオリン協奏曲『ラ・カンパネラ』である。十代最後の誕生日にたった一人の友人からもらった本に登場する年老いた博士が異常なまでにラヴェルのボレロを好んだように、先生はこの曲が大好きだ。本当にありとあらゆる話の中にこの曲は登場する。しかし、物語の結末を知っている身からすると……出てくる男が何のために研鑽しここで何を語ろうとするのかを知る私には、幸福の鐘という題の中で登場させられる彼がいくらか哀れに見える。先生は何を思ってこの曲を選んだんだろうかってそんなことをついつい考える」

劇も中盤を超えたところでタカの役どころはそんなことを語る。劇の中で現実の話をしていた。知らない人間からすればあくまで演劇の中のことで彼が演じる役が勝手にいっていること、その男の作るフィクションの上塗りなのだとあえて強調する。

「偏屈な男はステージの中央に登場した男に目を向けていた。彼の姿を観るために観客席に腰かけているのだから当然だ。舞台に立つ金蘭の友。彼の聴衆としてその場に存在するために金を払った。舞台に立つ友人の姿を偏屈な男がじっと見つめている。私はこのシーンが好きだ。先生の話の中でろくに語られることのない。たった一言で片づけられる二人の関係が好きなんだ。例え先生がそうしろと言ったところで彼らを物語から決してしまうことなんてできない」

舞台の上に老人が登場するけれど。と、続けて。

「でも初めに語りだすのは舞台の上に登場した老人でも、その偏屈な男でもなく主人公だ」

タカがそう言い終わるよりも早く少年のセリフが始まる。

「とある海沿い、白い建物だけがずらっと立並ぶ白い町。そこに少年は一人きりで立っている。彼の他には誰もいないのに、空っぽに向けて話し続ける。その言葉が黒板に書かれたチョークの粉が夏の教室、開けっ放しの窓から飛び去って行くように、海風にどこか遠くへと消えていった(黒板に残る文字とは違い、飛び散る粉には何の意味もないんだ)。

言葉を放つたび記憶だけは夏の盆の終わりに現れる蛍のよう。不確かな軌跡を描いて少年の周りを揺蕩って……ついつい、そんな風に優しく光る昔の思い出に手を伸ばして捕まえてみたくはなるけれども(そんな思い出にすがりたくなるけれども)」。

同じ舞台の上、君の書いた言葉をどことも知らない少年が話すのをタカは聞いて。

「捕まえてしまえば蛍はたちまち弱ってしんでしまう。と、少年は手をひっこめるんだ。彼の放つ言葉は夏の海風に巻かれて遠くまで届くのに、その本当の意味は消えてしまう。

膝を折ってその場で泣き崩れたいのに、そんな気持ちを抑えて一人で立っているしかなかった。そんな風に佇む彼に私は出会った。

そんな言葉を改めて聞いて、どことなく悲しくなるのは、だよ。大人になって教室を離れてしまった今、鼻先なのか海馬なのか、どこかにあったはずの残り香さえ消えてしまったからだろうな……ジェス。君の物語の中、白い町に一人残って話す少年の言葉に偏った思想なんてなかったが情熱はあったよ。

感情豊かに話す彼の視線の先には誰もいない。きっと彼がその姿を忘れたふりをしているから、いつか着るだろう、と、クローゼットの中に仕舞い込んだ思い出の服についぞ袖を通すことがなかったような……覚えているのに、胸の内に確かにいたはずなのに目を向けたりはしなかったんだ。所詮そんなものかもね、例えば高校時代の友人であの時の屋上? 校舎の半屋上のような場所で話した俺との話すら君は別の物に作り替えようとした。しまい込んだ本当の言葉を全部吐き出そうとはしない人間だった。

君には語るべき相手が必要だったのかもしれない。だから俺がここにいるのかもしれない」。

舞台の上に立つタカはぼんやりと宙を見つめるようにして、そんなことを言うんだ。


・7

「その舞台の中でタカはそんなことを言っていた。まだ出会って長い年月が経っていたわけでもないのに、タカはそのあたりの事にはちゃんと気が付いていたんだよな。そういうところに関してアイツは子供の頃から良い目を持っていた。それは君も認めているところだろうけれど、もっとしっかり面と向かって褒めてもよかったんじゃないか?」

舞台の上で話す男がそう言って、老人の言葉を待った。

「いちいち話しかけてくるな。脱線ばかりしないで早く続けろ」

客席から彼を見上げる老人はそう悪態をついた。

「しかしね、ジェス。君は今目の前にいる俺のことを白昼夢か走馬灯か限界状態で観る幻覚の類だとでも思っていて、本当は雪山の中に一人寂しく、誰にも話すことの出来なかった思いを大声で語っているとでも思い込んでいるのかもしれないけれど実は違うよ? このタカの演劇にしたって君は観ていないはずだし、俺はお前に噺をするためにちゃんとここにいるんだぜ? いい加減にそれぐらいは認めてくれてもいいじゃないか? お前は本当に不器用というか融通が利かないというか……そうなってくると果たして自分に厳しいのか、自分を痛めつけるのが好きなのか、どっちかわからなくなってくるな。


まあ、なんにせよ次か……舞台上から老人は客席を見渡す。横浜の大ホール、誰も観客のいない館内。老人はほとんど怒鳴り声。日本ではあまり見慣れないようなそり立つように、迫りくる波のように広がる赤い布張りの客席が不気味に見える。自分の想いを語りたい場所と自分自身のたどり着いた場所の違いを彼は心の中で笑う。


『なんにでも、忘れられない思い出というものがございまして。とはいってもなんでか自分にとっていいことってのを私はすぐに忘れてしまう立のようで、改めて思い返すと悔しさばかりが残っているんです。中にはそれがひどい人間もいましてね、負けず嫌い? そういうもんでいでもないのでしょうが、悔しさ以外にも人への恨みをずっと残している。どんな瞬間にでもその恨みが頭の中をよぎって、この世からこの身が消えようともそこに関与した人間に遺恨だけは残してやるって位の人がおりましてね。

私はそこまでの物を持ったことがないけれどこうなるとひどいですな。でも、現状が幸せなはずなのに悔恨やなんやに囚われて印象が強すぎて、それを忘れてしまうってのはおろかですね。ひとしきり嫌なことを考えた後に残った搾りかすのようなものが愛情だった、とか気づければいいですけれどそれが出来ないとドツボにはまる。忘れちまえばいいとわかっていてもそうもならない時がある……同じ忘れるにしても賭場に入り浸る人ってのは不思議なもので自分の賭け事の負けってのはすぐに忘れるんですよ。それでいて、自分は勝っていると思い込もうとしている。それが果たしてそれが幸せなのかと問われると答えに窮してしまいますが、くだらない後悔をいつまでも引きずるよりは余程いいのではないかとそんなことを思いますね。

いつまでも年を食っただけの子どもみたいに前に進めなくなって、いつか後悔をする羽目になると』。

ジェス。君はある時こんなことを言っていた。なんてことのないその後に続く話へのつなぎの部分だけれど、俺は君がそう言ったことが印象に残っている。

俺がこうしてここにいるのは単に夢をかなえたかっただけだけど。いろんな思いがあった。俺は君ともう一度向かい合わせで酒を飲みたかったし。酒なんてなくても、少年の頃のようにくだらないことを語り合いたかった。君が最後にあの海沿いの町でとった映画を観てみたかった。

それは素直な俺の想いなんだよ」。

自分だってそうだったと老人は言いかけてやめた。それを言ったところでなんの意味もないと「知らねえよ。お前が勝手にくたばったんだ」代わりに吐き捨てるようにそんな言葉を口にするが、舞台上の男には届いていないのだろう。彼は老人の言葉など何も気にせずに話を続けた。


・8

タカは外苑前にあるカフェの中にいた。彼の向かいの席にはスーツ姿の男女が腰かけていて。テーブルの上に置かれたボイスレコーダーとにこやかに笑う女性、事あるごとに手帳にペンを走らせるその男性に対峙し、タカは他愛のない話を続ける。見開き2ページのインタビュー記事を雑誌に掲載してくれるという2人がその日の客だった。タカは旅の話をしていた。旅の話というよりか、ジェス、君と出会った時の話だ。あの町にたどり着くそれまでの話。

「出会いのきっかけが何だったのかといえば徹頭徹尾の偶然で、たまたま縁があっただけです。偶然同じ人の死に心を痛めていたことと、偶然同じタイミングで同じ場所にいたことと、故郷を同じくしたこと。

ええ、現実から逃げるために旅をしていたんですよ。自分探しってやつです。

二十歳、当時大学生だった家族や友人に何も言わずに姿を消した。きっかけは子供のころからずっと私によくしてくれた教授が交通事故で亡くなってしまったことでした。彼の死それ自体に悲しんだのもそうですけど、それに付随するようにして身の回りに起こったいくつかの出来事に嫌気がさしてしまって、不条理……というにはあまりに些細な、日常によくあること、きっと教授がなくなっていなければ簡単に飲み込むことのできる事柄に嫌になってしまったんですよ。潔癖になったかのように、些細なことが許せなくなってしまった。そんな状態でいつも通りの生活をして、勉学に励んだところでいい方向には向かわないような気がして、落ち着くまでの間は、大学だとか、家族だとか、そういう小さい枠組みから逃げてしまおうと、教授の告別式が終わるとすぐに荷物をまとめて旅に出ました。でも、今なら絶対にそんな選択はしないでしょうね、きちんと大学の講義に出席してきちんと勉強をして、個人的な感情なんて表には出さず淡々と日々を過ごすことを選ぶでしょう。一時の衝動に任せて行動しても何もなくならないって信じていたんですよ。若かった。

若かった私は胸中の小さなほころびに正面から向き合わないためなのか、なるべく人里離れた場所を選んで住み込みの仕事いくつか渡り歩きました。幸い海沿いや山沿いの辺境には旅館があり、農園があり、工場があり、住み込みの仕事には困ることがなかったので私が旅に困ることは一度もなく、また、それぞれの場所で働くことにやりがいと単純な労働の喜びを見出すことができたのもあって生活自体に苦はありませんでした。そうした派遣形式のアルバイトは期間が決まっているのも多く、大した理由がなくとも三か月すれば引き留められずに次の土地へと旅を続けることができたのも都合がよかった。

少しでもとどまると自分の過去が、その幼稚な抵抗をあきらめて日常に戻った後で感じるだろう心の敗北というか、後に何度も振り返ることになるだろう先の後悔につかまってしまうような気がして、一つのところに長くはとどまらず、疾く疾くと決められた期間が終わった後は逃げるように別の土地へと向かった。


そんな生活を半年近く続けた頃に海外に出てみようと思い立ったんです」。


きっかけは一時期を過ごした農場で私と同じように派遣の仕事に来ていた青年がオーストラリアを旅した時の話をしてくれたことだった。彼の話を聞いて特に深く考えず、この機会に海外に出てみるのもいいかもしれないと思った。

「二十五のときに会社を辞めて、ワーキングホリデーのビザでオーストラリア旅してさビザを延長させるために農場で何か月か働いたんだ。日に当たって作物の世話をするってだけでなれるまで、毎日滅茶苦茶疲れるんだけれど、充実していたんだよ。終わった後でふと空なんか見ると達成感があるんだよな、子供のころ日が暮れるまで遊んで家に帰るときとか、部活帰りにくたくたになりながら歩いた中学時代とかそんなときに経験したような体の疲れも心地よく思えて、デスクワークばっかりだったそれまでの仕事よりも性に合っている気がしたんだ。楽しかった。朝早くに起きて、農場に行って、午後はのんびり過ごす。帰ってからもそんな仕事がしたくてね、だから今農業の勉強してるんだ」ってそんな話を聞いた。それから彼の話を詳しく聞いていく間に、今まで意識すらしていなかった海外渡航ってものが急に現実を帯びてきた。働き詰めだった一年間のおかげで旅費としては十分な貯えがあって、自分自身を納得させるための言葉がいくつも頭の中で浮かんで、そうなると途端に行かない理由がないように思えた。幼少期にタンカー船や大型船舶を故郷の港で眺めて遠い海の向こうに憧れた記憶がよみがえってきた。教授がなくなってからの一年、前向きに次のことを考えることが出来たのはその時が初めてだった。

そこからすんなりと事が運ぶ。二か月後、その農場の同僚から必要な手続きの仕方や情報、お金の話などを聞き出し、いざ出発するときには初めのころ感じていた不安のほとんどは消え去っていた。

「でも、いったいどうして?」と最後に会ったときに彼は私に疑問を投げかけた。けれどやっぱりそこでも自分の本当の想いは言わなかった。自分で勝手に不貞腐れて若いながらに追っているはずの親や周りの人間に対して負っている責任から逃げているだけだなんてとても恰好悪いことだとは理解していたんだよ。

私は農場での仕事が終わるとトビウオが海面を跳ねるよりも早く成田へと向かい、そのまま日本を背に飛び立った。

今まで見たことのない文化に触れ、名前を聞いたこともない町で暮らす。なれない言葉を使って書類の手続きや仕事探しをしている間に、自分の中に燻っていたものがどんどん流れて過去に変わっていく気がした。沖に向かって真っすぐに進む船がいつの間にか水平線の向うへ消えてしまうように次第に落ち着いていった。


数ヵ国をめぐる旅をした。冬の長い北国の夏、日の暮れていかない山間の町と、大陸の西端、せり出した半島の山に隠れるような港町、古くから残る宗教の聖地そのほかにもいくつかの場所を回った。

北欧で私は初めて夜の来ないことの怖さを知った。四方を山に囲まれる自然の作り出す強固な牢獄のような土地で上手に眠ることが出来なかった。時間を問わず空に居座り続ける日の光のせいでなぜか常に舞台の上で照明に晒されているような気になった。夜の時間になるとベッドに入って、遮光カーテンをおろしはするがそのカーテンの隙間からも日光は漏れ出て、逃げるわけにはいかない客前を後ろから照らすような光の中、自分の持つ感覚のすべてを研ぎ澄ませながら言葉を紡ぐその舞台上が目をつむる度に浮かんで、深く眠ることが出来なかった。白夜が終わるまで約一か月、常に意識がさえわたっていて、頭の中でずっと自分がどうすればいいのか考え続け、短い睡眠時間に入ったとしても、夢の中、舞台の上でひたすら話を続けていた。

ほとんどの指名手配犯があたたかい地方に逃げるという話に、なるほどと思った。冬の寒さや昼の長い場所というのは逃げるのにはむいていないな、と。冬の寒さのせいで春を待たずして衰弱してしまう病床の老人であるとか、生まれながらに体を弱くして母猫に見捨てられてしまった子猫が一晩で死んでしまうのと同じように、精神と肉体に対して優しい場所ではない。

ふと鏡を見ると随分と体の衰えが見えた、眠れぬ夜が続き、ものを食べる量が減り、やせ細り、目は血走っていって、回り続けたレコード盤の針がいつしかすり減ってしまうように私の肉体は健全さを失っていた。暖かさのピークを越えてまた夜が少しずつ長くなり、眠ることが出来るようになってからも体は痩せたままだった


通常通りに眠れるようになると、眠るたび港町の夢を見た。


煌々と照る日光の下、タンカー船や大型船舶の地ならしを踏むような汽笛を聞きながら何も疑いもせず、自身の目の前にある問題にだけ挑んだ少年の私が海を見ている夢だった。暮れ行く夕日の向こうに広がる駿河湾に向かっていたかと思えば、鳥になって太平洋を飛ぶ。飛んだと思えば、離岸流に乗って海を漂っていて、航海中の船へと引き上げられる。船の乗組員となった私は何人もの魅力的な大人たちから生きることへの喜びを教えられた。毎晩のように私は船に乗っていて多くの場合、彼等は自分がどれだけ海の仕事を愛しているのか言葉を多くして私へと語ってくれた。

カツオ漁船の船長からどれだけ多くの恵みがそこからもたらされるかと魚の一番うまい食べ方と彼が家族をどれだけ愛しているのかを聞いた。時代錯誤な木造船の航海士から時折見せる海の狂気と、静かで穏やかな月夜に優しく響く歌声が聞こえる不思議な現象について聞いた。舶整備の現場で下働きをする少年と将来の夢の話をして、海洋博物館の研究員から誰も解明できていない深海の神秘を聞かされた。そして夢の中、世界中の海を見て回って、気が付くと故郷の港にいた。そこには幼いころの私がいて、春の柔らかな日差しのもと両親と祖父母に連れられ、兄弟たちと楽しそうにはしゃぎながら遊覧船乗り場に向かって歩いていく。連日、夢の中に海が出てきて、海が恋しくなった。その国にも海はあったけれど、どこか暖かい場所の海が見たくなって、ポルトガルまで飛んだ。

ユーラシア大陸の一番西を見るっていう行為が何か意味のあることに思えたんだ。単に観光のために、ロカ岬を目指すためだけに飛んだ。よく澄んだ大西洋が広がっていて、それが日本から眺める海と何か特別な違いがあったかと言われると疑問だけれど、気分がよかった。東アジアの端っこからユーラシア大陸を丸ごとまたいで西の端に出たというだけで当時の私は大いに満足した。ポルトガルには一週間だけ滞在をして、それからまたまた水切りの石のようにいくつかの国々を巡る。

短期労働ビザを取得できた国があって、その国の港町で四か月間だけ働くことにした。半島の外周にある小さな港町で、港から海風が昼間の熱をすべて洗い流すように常時吹いていて夏でも過ごしやすい場所だった。その町の夜、白く重なり合う石灰壁の家々が月明かりの下で青白く光っていたその風景が今でも印象に残っていて、今でも時々思い出す。

町に住む人々は岬や海には神様がいるのだと信じていた。移民が多かったし、個人的な考えは多様だったけれど、それでも私の周りにいた人物はみんなが根底では同じような考えを持っていたのが面白かったな飲みの席でその話をすると皆、神様がそこにいると言って、口々に自分の意見を述べていた。彼らは夢の中で出会った人々と同じように港での仕事を愛していた。私は季節労働者としてフォークリフトを運転して魚の運搬をしたり、サーモンの解体ラインでの作業や、時に漁船に乗り込んで沿岸漁の手伝いをしたりだとか、曜日や月によって色んなポジションの仕事をし、カジュアルワーカーとしては悪くない額の金銭をもらいながら生活をしていた。日本の農場で出会った青年が語ってくれたような心地の良い疲れっていうものがそこにはあったし、楽しかった。毎日少しずつずれて沈む夕日を見ながら暦のことを思い、港でもらえる市場価値の低いハズレの魚を日本風の調理で食べ、週末には国籍も年齢も英語のアクセントも全てが不揃いの同僚たちと連れ立って酒を飲んだ。そこでの生活は美しくも楽しく、活力に満ちていた。中学生の頃、将来のことなどまったく考えず必死に部活動にのめりこみ、仲間と戯れ、笑っているだけでよかった日々の様な心地のよさがそこにはあった。

そこに来てようやく心の余裕が戻ってきたと言おうか、自分自身が前に進まなくてはならない。そのために何かをしなくてはと思うようになった。逃げていたところでどうにもならない。大学に戻ろう。と、ようやく逃げることをやめる決心をした。

無駄な遠回りして、勝手に回復をして、私は無為に旅を続ける必要がなくなっていた。


「そして最後に観光のために宗教的にも文化的にも歴史のある地へ向かった。港町を出て東へ。私の元居た場所から国境線を超えて数百キロ、飛行機とバスで3時間半の位置にその町はあった。旅の中で触れ合った人たちが大切に信じている文化の、その一端に触れてみたくなった。この先もう一度迷うようなことがあったとしても、旅の記憶とともに街灯でもともすように助けてくれるような気がした。不確かでもいいから最後に信じることのできる何か。神様という存在について自分なりの考えが持てればいいとそんなことを思った。海沿いにありながら地形は元いた場所とは異なり、起伏が激しく小高い丘やそれに伴っていくつもの坂道がうねりながら折り重なっていた。

単に観光のつもりで、旅情に付け加える一つのおまけのつもりで訪れたその街で一つ古い記憶を思い出すこととなる、小学三年生のとき社会科見学の一つ、小学校の芸術鑑賞のプログラム、学年全員で見に行った地元の公演で一人の芸人を見たのだ。

当時、彼のことは知る由もなかったが、芸人という肩書から派手でわかりやすく面白いものがみられるのだと思っていた私たちは期待を裏切られた。暗く閉ざされた緞帳の向こうから現れた彼は、なんの派手さもなくホテルマンのような暑苦しく地味な厚手のジャケットをはおり、袖から現れる。コツコツと乾いた靴の音だけが観客の席の上から降ってきた。大人たちは息をのんでその挙動を見守る、その時点で子供たちは見限ってしまった。『ああ、これはきっとつまらないものだ』と、体育館で聞かされる、大人たちのありがたい講話と同系統であると、リビングルームで見る冗談にあふれた動画コンテンツとはかけ離れたものだと。早々に興味を失い私たちのいる一角の緊張の糸が切れたのがわかる。ごそごそと、自分の周りから衣擦れの音やささやき声が聞こえ始め、次第にそれが大きくなってゆく。

舞台の中央にたどり着いた彼は、一つ大きく息を吐くと深く頭を下げた。舞台には初めからパイプ椅子が一つ置かれていて、丹念に場所を確認するように背もたれを撫でたのち、そこに腰かけると一度うなだれたように頭を下げる。

『さて』と短くつぶやき射貫くように顔を上げ、正面を見た彼の視線にひょうきんさはかけらもなく、恐怖すら感じさせるもので、直接目を合わせなくても大人に対して余計な反抗心を持たない私にはその視線だけで居住まいをただすには十分だった。


それが私の初めて見た生の舞台芸術の記憶だ、演芸とはかけ離れた彼の冷たい視線とそこから、滔々と語られた彼自身の練り上げた講話のような話、それを見た九才児の脳みそにはそれはなんともつまらないものでしかなく。その時点で何だこんなものかと見限るうえで十分な、退屈を極める話であった。自身のことを語っていながらどこか説教臭いその男のことがどうしても好きになれなかったのである。

だがその話は確かに説教臭いのだが、ふと思い出す場面が来ることがある話でもあった。彼が語ったのは明確な彼自身の過去であり、故郷の話でそれが自身の体験と偶然にも重なることがあるたび、そのたびに薄れかけたその講話を鮮明なものとして思い出すのだ。


そして、またこの遠い異国の地でその彼の姿を見たのだ」。


「それが先生との出会いでした」青年はインタビュアーに説明を始める。


そんな昔話をしながら私は物語の中へと歩きだす。自身の記憶をたどりながら赤いレンガ造りの街を歩く、路上にはたくさんの花が生けられていて、今でも時々馬が街道を歩いてゆく、港町が近くにあり山の上にある道路を見上げると、いつでもベンツのトラックが走っていた。正面から海を見ると左手、南西には魔女の鼻のように大きく曲線を描きながらに突き出た崖と、その上に建つ教会が町の象徴だというように海岸線のどこからでも見ることが出来た。夜には驚くほど静かになりずっと波の音が聞こえ、私たちの故郷と同じように海を主体としていながら、そのかかわり方は全く異なる、美しい街であった。



(歌の話をしてくれた老人のことを思い出した。故郷の海岸線に立ち、海を出たまま二度と帰らなかった友人たちについて、彼の人生の中で二度と巡り合うことのできなかった、たった一度だけの夜明けについて語ってくれた一度だけ酒を酌み交わした老人のことを私は思い出した。彼のいう歌を一度でいいから聞いてみたい)。

 


・6

老人は渋谷のスタジオに来ていた。時おり入るナレーションの仕事で、その日は旅番組だったか散歩番組だったか、いくつかの映像に合わせ決められた尺で決められた言葉を録っていくだけの老人にとっては慣れた特別でもなんでもないものだったのだが、防音室の中、黒いマイクロフォンが立っているその向こう、壁に埋め込まれたモニターのなかに映る自身の故郷の風景を見てから、少しばかり勝手が違った。

置かれたマイクの正面に立って、渡された台本にいま一度目を通した老人は『甲子園の試合中に流れる高校紹介みたいだな』と思って、そこからは仕事とは関係ないことばかりをばかりを考えていた。そういえば故郷の同じ有名な漫画家が先日亡くなってしまったらしいだとか、この商店街のアーケードはずっと変わらないなとか、この道は高校の帰りに毎日通ったなとか。事前に故郷が取り上げられることを老人は知っていたし、幾度となく帰省や旅行で訪れているのに、その日に限ってどうしようもなく懐かしく思う。

『次の休みにでも帰ってみるか』

収録自体は滞りなく終わり一度外に出ようとしたのだが、それからはどんな話の流れだったかその場でネットに投稿する用の動画の撮影をしようという話になって、短く故郷の思い出でも語ってくれと老人はブースの中に押し戻された。スタッフの何人かも同時に入ってきて、先ほどまで流れていた故郷の映像が消えて簡単な映像撮影用の設備が整えられる。照明やカメラの設置がされ、中央に椅子が置かれ、先ほどとは別のマイクが床の上にコードを伸ばしてつながっている。

老人は自分が話をするための場所が出来上がっていくのをぼんやりと眺めながら、頭の中で先ほど目の前に流れていた故郷の風景をもう一度だけ思い出した。


「ある日の原風景の一つとして、最終学歴を迎える故郷の高等学校からの景色を見ることがあるんですが、ただ、僕の高校時代になにか取り立てて語るような面白いエピソードがあるってのとは違うんです。印象に残った出来事を思い出すといいうのとは……そんなものがあったら、ただその瞬間のことが強く残っているだけで原風景なんて呼べやしないじゃないですか。当たり前のようになんでもなくそこにあったからこそ、ふとした時に思い出して、似たようなものをどこかで見て『懐かしい』と改めてそう思う。そうした風景の一つにあるのが、僕は今でも残る母校の旧校舎、古くなった四階建て鉄骨造りの一番上の階の端にあった中屋上の空気をよく思い出すんですよ、当時はそこにあるテラスに腰かけて、部活をさぼるのを日課にしておりましてね、どれくらいの時間かというのは練習のメニューなんかで変わってくるんですが、10分や20分、日によっては2時間以上、文庫本片手に活字を目で追いかけて、夏の暑さが夕日の傾くのを見届けた後に海風にさらわれるように消えてゆくのを感じて。僕がまだ十代をなくす前、終わることなんてないだろうと思っていた、十代の僕の人生のほとんどだった学生時代のおわりが一歩一歩と近づいているということについてぼんやりと考えていた時期のことで。映画館にてひどく心を打たれる映画を見た後、流れるエンドロールをみながら、あとどれくらいで館内が明るくなるんだろうと思う時に喪失感と覚えるのにどこか似ていて。どれだけ今が楽しかろうともずっと同じ場所にとどまっていることはできやしないのだと。いずれはそこからは出ていかなければならない、座り心地の良いシートに座ったまま、ずっとスクリーンに映る世界に浸っていたいと思っても決して許されないのだと知るように。エンドロールの十分が終われば、薄暗いオレンジの灯だけだった館内が明るくなったのなら、此処から出ていかなければならないのだなと改めてそれに気が付いたみたいに、どうしようもない物なんだな、と。

映画館を出た後は、トイレに行って、簡単な昼食をとって、とそんなことを考えるのと何ら変わらないように……学生時代が終われば、自分の行き先は自分で決めて旅に出ていかなければならないとかそんなことをその場所でよく考えていたせいか、似たような心情になる度その場所から見た景色というものを思い出すんですよ。

マーマレードみたいな色の空をみながら夜が近づくにつれてなぜだか濃くなる緑のにおいを吸い込んで、校門の往来へと目をやる。

文化部や委員会を終えた生徒が帰宅をするのが、僕のサボタージュのタイミングと同じくらいで校舎から校門までの空間はいつも賑やかだったんだ。自転車に乗って帰宅する生徒もいれば部活の備品を集団で運んでいる者たちもいるし、往来に目を向けずに楽器を吹き続けるパート練習中の吹奏楽部員も、外周を走り終わった後のテニス部員が楽しそうにはしゃぎまわってもいる。

ついこの間。同郷の漫画家の先生がなくなったという話を聞いてね、そこで見ていた景色を思い出したんですよ。記憶の中での景色は少しも変わらないのに、実際の僕の故郷の景色は変わっていく、僕が学生時代の最後を過ごした母校は合併でなくなってしまって、跡地には大きなホームセンターが建っている。変わっていく故郷をみてワクワクしながら同じ時代なんて二度と来ない。過ぎ去った時間と同じ風景が目の前に現れることなんてありはしないのだから、常に変化の中に身を置いて止まることもできないのだからたまにそういうなんでもない景色を思い出して、自分の心をいやすくらいはしてもいいだろう。と。そう思ったんですがね、改めて思い出すとそう癒されるものでもないんですよねやっぱりこの歳になっていると酒を飲んでなかったことにしてしまったような思い出もたくさんあって、時間と共にしっかりと忘れていたんだと改めて知ることになりましたよ。


私の隣には様々な人が訪ねてまいりました……。


(早々に大会に敗れて受験勉強に専念するテニス部の女子であったり、ちょうどテラスの真下が図書館でしたから、そこから図書委員の男子生徒が帰りがてら涼みに来ることもありました。他にも仕事に疲れた教育指導の教諭であるとか、画を描きに来た美術部の生徒、愛を告白し告白されに来た男女なんてのも居りましたよ。まだ少年だった私は、夏の夕暮れが残るその時間の中、さまざまな形態をした人たちからそれぞれの持つ話を聞いたのです。

その中に一人、僕にとって親友ともいえる男が居ました。陳腐な映画を撮る映画監督だったのですが、名前を言えば知っている人もいるかもしれません、そうですね、彼とそこで話したことが思い返せばすべての始まりだったのかもしれません)」。


「ジェス、君はよくあの場所にいたな。

あの場所に君がいるのを知ってか知らずかいろんな人が現れた。階下の図書室から上がってくる人間や、三年生の教室から出て帰りに寄っていく人間、自習室から抜け出して息抜きに来る人間、帰り道でもなんでもないのに不思議と人が集まる魅力のある場所だった。その全員と君は言葉を交わしていて、僕もその中の一人だった」

「お前が来る次の日は決まって天気が悪かった」

「そんなことはいちいち覚えていないな、それどころか君と話した内容すらたしかじゃないんだ。それなのに不思議なことに君と話をしたから俺の人生が変わったってことだけは覚えている。なんでもない会話だった。三年生に上がってすぐの五月の事だった春らしい暖かな空気が焼きたてのパンの香りみたいにそこら中に漂っていて、頭がぼんやり日の夕方だった」

「そういえばタカに初めて会った時にその話をしたな」

「この時には話さなかったの?」

「面白い話じゃないし、お前の話はしたくなかったんだ。重たいんだよ」

「君の人生における比重の話かい?」

「いや、それは出会った全ての人間に対して平等だ、ここで言いたいのはトラックに挟まれて死んでしまった高校の同級生の話をあまりぺらぺらとは話したくなかったってことだ。ただ、お前との会話で僕の人生観が変わったなんてことは全くと言っていいほどなかったよ」

「それは何とも寂しいことだね」

「そりゃ、切り取った会話を書き留めた一葉には価値なんてない。でも、出会いは別だ」

「そうか」。


・7

「なあ、ジェス。君のそういうところというか、仲いいがゆえに遠慮なく物を言ってくれるってのは時にうれしく、時に煩わしい。それは俺の気分で変わる問題だからいいんだけれども、いい大人としてさ親しい中にも礼儀ありってやつだぞ、ジェス」

「僕もこういう小言をいう相手が必要なんだよ。それにしても親しき仲か、 いいじゃねえか親しい親しくないじゃなくてお前は俺の一部みたいなものなんだし。言えなかった五十年弱分。その文句ぐらい言わせてくれ」

「そういわれると弱いな。君が今日に限ってそんなにひねくれているのも俺の一瞬の不運のせいってことかね。しかし、なんだ、君の一部とは、 それはぶち抜けて好意的な物言いだね、ジェス」

「違うのか? それ以外の理由でお前の姿が見えるっていうこの状況に説明がつかないだろ、もうそろそろ限界が近いんだろうとは思うが、なかなか」

「そうだと言って思い出話に移れるなら楽だけれど。君は俺の幻影を見ているのだと勘違いしているようだからさ。自分の中に人間を、人との思い出からくる幻影をいくつも飼っていてその中の一つを眺めているだけだと勘違いをしているからさ。だからこうして君の話をしているっていう点を加味するならだよ、ジェス」

「僕の思い出の中のお前はたまにそういう回りくどい物言いをするんだよ」

ジェスはひどく優しい目を俺に向けてくる。しわがれた顔で、祖父がよくそうして見つめてくれたみたいに、優しい顔をして俺のことを見る。

「君は俺に理想を求めているのかなんなのか、あくまでここでこうしている部分は君自身の一部だと? ジェス、こうしてせっかく君と話しているってのに夢幻と思われるってのは互いにとって良くない」

「いいだろ、別に。いくら虚しくても他にお前に会う方法がなかったんだ」

「どこの頭のネジを飛ばしたらこんな方法を思いつくんだよジェス。妄信的に自分の信じたい神を崇める狂信者だってここまではしないぞ」

「それは良いんだ、もう先は長くなかったから、そうだな神を見るってのと同じことだと思うんだ。臨死体験をした人が自分の想像の範囲を超えるものを目にすることがあるように、修験者が自分の体を痛めつけてまで悟りをひらこうとするように、極限まで自分を絞って何かを表現しようとしたときお前らにもう一度会える気がしたんだ」

「そこまでして会いたいと思ってもらえるのは嬉しいけどな、実際にこうして会えたってのに妄想だと思われるのもねえ」

「いいんだ、僕は満足だ、お前とこうして他愛のない話をしているだけで」

「君がそういうやつだから俺は君の噺をしなければならないんだ。何をおいてもまず初めに」

「走馬灯の代りだろ?」

「いいや、これは走馬灯なんかじゃないよジェス。俺は約束したんだ。ジェス、とある女の子に、君をちゃんと引き会わせてあげるって」

「女の子ね、そんな約束をお前とした覚えはないけれど、僕とお前は何か約束をしたのだったか?」

「その質問の答えとはまた別だな。約束は沢山したよ。俺らはいくつかの約束をしてそのどれもが叶わなかった。それは俺のせいだよジェス。君とじゃない。俺は女の子とそう約束をしたんだ」

「女の子? 昔、僕が口説いた誰かか?」

「そういうんじゃない。大人になることさえできなかった女の子だ。君が、僕がトラックに挟まって死んだあの年の夏に巡り合った海沿いの町に住む君の友人」

「リサか? 懐かしいな、僕は会いたいのかな? お前が絶対に出会ったはずのないその名前を出すぐらいだから、きっと心の中にずっと引っかかっていたんだよな」

「そうじゃないと俺が困る。ここで君がその一切を忘れていたのなら何のためにこんなことをしているのか目的を見失うところだ」

またジェスは一人で舞台や映像の中で語っているように、見えない客に語るように居住まいを正す。

「そうだな、お前に対してと同じように何にもできなかった。あの出会いに関してはねふとした時に思い出す。なんの意味があったんだろうなって、お前のこともそうだけどさ覆せないほどの大きな流れとか、足りない時間とか突発的に起きる出来事に対して僕は無力で、そういうものに対してあきらめたくはなくても目をそらすってことを覚えてしまったんだ。ふとした時に何度も思い出すのに『どうすればよかったんだろうな』ってそんなことを考えることもやめてしまったし、悲しむとか無力な自分に怒るなんてことも年を重ねるうちなくなっていった」

部隊の上にいる俺だけじゃなく、まるで劇場にいる客にいきわたらせるような声の出し方で彼はそう言った。

「君の後悔とかくだらない思い違いをただ否定するだけでよかったのなら楽なのになあ。君は変なところがずれているから困るぞ。

君は知るべきなんだ。色々な感情を、生きて人と関わることの素晴らしさを思い出すのと同時に、君が僕らに何を与えてくれたのかを、君が廻った今生の旅が一体何だったのかをそういったものを君に聞かせるために、それとその女の子と俺がもう一度君と話をするためっていう極めて個人的な理由のために俺は君の噺をするんだ。じゃあ続けるか、また、タカの話だ」

「タカの話が多いな」

「何かと便利なんだ。というか君を除いた場合に……いや、下手したら、ジェス。君より君についての多くを語っているのがタカなんだよ」



・8

「よく晴れた濃い青色の冬の空の下、少女は一人、雪原の中で両手を広げる。風になびく彼女のその髪は標高千八百メートルで枯れたススキのような黄金色をしていて、見るたびになぜだか旅に出たくなってしまう。いい子だった。人を愛し、人から愛され、子供らしい無邪気なわがままを言うくせに、妙に人の心の機微に敏感で、悲しんでいる相手にどうしたらよいのかわかる程の経験も持たないくせに不器用にでも寄り添おうとする優しい子だった。

生まれて初めての雪原の中、子犬のようにはしゃぎながら、飛び跳ねながら立ち並ぶ樹氷の間を抜け、新雪の上、何もさえぎる物がない白い世界の中で心の底から笑っていた」。

陽光に照らされた雪原の中、何も恐れることなく進んでゆく。さながらわたしはボイジャーワンだ『でも、この先に墜落と破滅があるならパリオットと呼んでくれてもかまわんよ?』と若かりし頃にラジオでふざける上田晋也の真似をしながら、一歩ずつを踏み噛みしめた。生まれて初めてだから、雪に触れるのも雪原に足を踏み入れるのも。冬の山は命の一つもないのに賑わっていて、ただ、私が足を踏むたび、風が吹くたび、舞った雪がプリズムのようにはじいた光がそこら中に生まれては消えてゆく。一度だけ銀色に瞬いて、夜明けの星屑みたいに、何もなかったかのように消えてゆく。樹氷となった枯れ木こそが山の賑わいで、白く雪に覆われたそれは山岳のサンゴ、もしくは月夜に光る鍾乳石のように満点の青空に両手をのばす。生まれては消えてゆく銀色の光も、両手を挙げて喜ぶ雪原の枯れ木も、自分が今どれだけ美しいのかを知っているように見えて、だからこそそれを好きにならずにはいられない。

 なんだか天国なんてないものだとあきらめかけていたけれど。きっとここがそうだろう。この白い大地の続く何もない場所こそ、私にとってずっと探していた場所だろう。だが、皮肉なことに、目指した場所を見つけたところでは母国には帰れない。いくらこの発見を、初めて見た雪原の景色をどんなにうれしく、どんなに美しく思っても、生まれた場所に帰ってそれを伝える術をもっていない、ボイジャー一号、あるいはパトリオットミサイルみたいに。

 

そう、思えばずいぶん遠くにきてしまったものだ。と、ありもしない感傷を生み出そうとしてもそうはならない、わたしに自傷癖などないのだから、それならばここは一体どこなのだろう、きっと地図にすら載らない最果ての場所に違いない、あるいは本当に自分でも気が付かない間に夢遊病患者のように歩き続ける間に、どこぞのものとも知れない山を登るという世界中の診療所に遺る夢遊病患者のカルテの記録にも勝るような事態に陥ったのかもしれない「なんて見事なジャーニー」そう呟かずにはいられない。目の前で繰り広げられる体操競技のマットでの跳躍を目に一瞬何が起きたのかも信じられず、目を奪われ、ぴたりと止まる着地を見た後で全く自身の予想の範疇を超えた演技を人間がしたのだとわかった時、我に返る前に漏らすため息のように、そう呟かずにはいられない。

 安い製作費で作られたサスペンスホラーの脚本に従ったように、この場所でいきなり覚醒した。もしかしたら夢かもしれない。もし夢ならばこの稀有な体験を大いに楽しもう。明晰夢なんて見なくなって久しい。

「この旅は一体誰からのプレゼントだろう?」両手を広げて体を慣らす。聞こえる音は風の音だけでコォーコォーと子ギツネが母親でも呼んでいるみたいに寂しげで遠くまで響いた。この肺も凍ってしまいそうな雪だけで作られた湖の上、わたしはなぜだか昔好んできた紺色のワンピース一枚で歩いてゆく。(太ももの半ばくらいに二本の黒いラインが入っていて、その下には長方形を中途半端な位置で二つに区切ったような白い縦長の台形があった。それ以外に私を不思議な気分にさせたのが右肩の少し下にあしらわれた18という小さな数字だったけれど。その数字について、このワンピースを送ってくれた人の弁を借りれば「エースナンバーだ」とのことだったが、なんのことなのかは未だにわからない)寒くないのが不思議で、寒くないからこそ、ここがどこか遠く、宇宙の果てだとか、行ったこともない国の(例えば北欧のスウェーデンだったり、北アメリカのアラスカだったり)夏のような気がしてきて。夏の夜、遠浅の海岸で踊った時のことを思い出して踊る、製鉄所で踏鞴を踏むときと同じくゆっくり足が沈んで、思わず転びそうになりながら。

 急に傾いた体を止めるようにして後ろを振り返ると、そこには雪原にはっきりとわたしの足跡がのこっていた。波に消されることなくそこにあるその足跡はまるで息災の記憶のようだった。それを見た時、自分自身泣きそうになってしまう。大げさに言って自分が初めて世界に会いあれたように感じてしまう。


以前こんなことがあった。私の生まれ故郷で、私はまだ世間の何も知らないティーンエイジャーだったころ。突然現れた男が私に旅路をくれた。


その時の私はどこにでもいる幼さと自己の確立と周囲の変化の間に悩む普通の少女だった。

 あれは、何年前の出来事だったのだろうか、もうそれすらわからない。時間の計り方を忘れてしまったから。というのも時々にこうして眠りから覚めたかと思うと、また長い間眠ってしまうから、次に起きた時に、わたしは知らない時間の知らない場所にいきなり居る。そんな生活をしている間に時間の感覚をなくしてしまった。

エドガワランポという人に言わせれば「現世は夢、夜の夢こそまこと」なのだという。全くその通りだ。


 若いのに年老いていた。そういう矛盾を孕んだ男だった。それは単なる内面と外見の矛盾ではなく、時にひどく若くありながら、年齢からは来ないだろうというような哲学を口にする。すべてを諦めたような、ひどく疲れ果てたような。

 私の母はそのころ街のベーカリーを友人と共同経営していた。家庭で作られるような温かみのあるパンと母の自慢のパイ、サイフォンで入れられるジャズミュージックのようなコーヒー。黄色を基調とした明るい店内に二十席ほどのカフェスペースがある街の中では比較的大きな店で老若男女問わず町の人達の集まる店だった。   

彼は三日に一度その店へときて、バゲットを一本だけ買っていくのだという。母親は「もっと他に拘ったパンだってあるのになんでかしらね、だから私は毎回のようにおまけをしてあげるのよ。一個ずついろんな種類を、甘いものが苦手だといけないからジェンナに頼んでコーヒーを入れてもらうことだってあるのに。あの男は一向にお気に入りを見つけてくれないの」母親は楽しそうに、その時のことを話してくれた。ただ店にきて一度も気まぐれを起こさず習慣のようにパンを買っていくのが不思議なのだという「しかも何も話さないの、本当にひどくシャイなのよ。いつもありがとうっていうとコチラコソってそれ位でね、気立てはいいんだけどね。いつかあの人がもし私たちのカフェのオレンジの椅子に座ってコーヒーを飲むことがあったら、ケーキをホールで出して祝って、コーヒーで溺れさせるまで帰らせないでも構わない、ってジェンナと私はいつも話をしているのよ」と、母親は楽し気に言っていた。「それにしても、日本の老人はみんなあんなに若々しいのかしら」セクシーだと、母はその容姿をほめていた。その言葉を聞いたときに私はなんだか笑ってしまった。母が自分とほとんど年の変わらない男に対して、まぎれもなく年上だと信じているのもおかしかったが、時に近所の子供よりも理解不能な言動を飛ばす彼がセクシーだというその言葉がおかしかった。そんなことを考えているとは知らず、にこやかに笑う私を見ながら母は幸せそうだった。


初めて出会った時の彼は、葬式を眺めていた。大きく弧を描くような扇型の丘が海に向かって突き出していた。海抜でいうと二十メートルくらいで、その上には広く均された公園があり、海側には教会があり広い萌葱色の芝生が生える土地を挟んで反対側、町と山脈が見えるところには町の気象台がある。その気象台の小さな白い建物で中では、おじいさんが一人とそのお孫さんが一人、記録をつけて、機械を管理して、どこか遠くの街との交信をしていた。

その日の私はその気象台で働くおじいさんに本を返すために気象台へと来ていた。来る途中坂を挟むように建てられた家々の前には白い花が並べられ、その横には火のついていないランタンが置かれている。道に迷わないようにと願いを込めて。その風景を見て私は初めて今日が誰かのお葬式なのだと知った。そのころの私は全く外に出ないという生活と、毎日外に出るということを数週間ごとに切り替えるというタイムリープのような生活を送っていたので外のことを前にもまして知らない。

「ああ、フィルの娘さ」おじいさんに、誰のためのお葬式なのかと聞くとそう答えてくれる「3年前から家族で街の方へ移っていたから、お前はよくしらないかもな」名前は知っているけれど町の人にしては珍しく交流のない人だった「まだ23歳だったんだ」おじいさんが寂しそうにそう呟くころ。突然鐘の音が響いた。その時初めて気が付いた。その頃の気象台では誰かから預かったっていう外国のCDをいつもかけていたのだけれど、その日の室内は静かだった。「始まったな」そう言いながら、おじいさんもその孫の少年も教会のほうに手を合わせた。おじいさんの手は強く握られていて、何かに怯えるようにずっと震えている。自身ではどうしようもないものごとに必死で助けを求めるように。


鐘は何度も打たれた。繰り返し、何度も、何度も。鐘の音は天高く響いた。遠くの山に反射して音の波は輪を作るように響きあう。やがてあちこちを跳ね返っていた鐘の音の残響が共鳴したかのように一つのまっすぐな音となって町を覆った。その音に近づくようにして、白い服を着た一団は坂を上って棺に入った少女の亡骸を教会へと運ぶため丘を登ってくる。町の人たちは祈るように手を合わせて、その一団が通り過ぎるのを見送っていた。その光景をよく眺めようと気象台から外へ出る勢いよく開けたドアの先から飛び込んでくる夏の風を全身に浴びながら私は飛び出した。

教会と気象台の間にある緑地の中、結晶質石灰岩のように柔らかい乳白色をした、置かれたばかりのベンチがある。緑地をかける蛇のような石畳の道に対し垂直に立ち。切りそろえられた新緑の芝生の上にあるそのベンチはいくつもの古ぼけた石群の中、新しく建てられた墓石のように場違いな存在感をもってそこに置かれていた。

そこに腰かけていたのは最近この町に越してきたばかりの外国人で、彼は次々と坂を上がってくる一団をぼんやりと眺めていた。


やがて弔いが終わる頃には一番日の高い時間を過ぎて、暑さは徐々に和らいでゆく。海から吹く風はずっと向こうの国から夜を連れてくるみたいに急に冷たく乾いたものへと変わってしまった。ひどく静かだと思って耳を澄ませると、いままで意識していなかった波の音が耳へと届くようになる。いつの間にか街を取り囲んでいた鐘の音も消えていたのだと気が付いた。

人がまばらに散ってゆく中でも、その男は一歩も動くことなくベンチに腰かけたままだった。大人たちは口々に挨拶をかわし、一人、また一人とその場から離れていった。子供は何もわからずに無邪気に広場の中を駆け回る。海沿いの丘には彼女のために新しく建てられた墓碑にここからでもわかる程、色とりどりの花が置かれている。


その景色を彼は微動だにせず眺めていた。それが当時の私はどうしても気になって、理由が聞きたかった。それが私の人生における旅の始まりだった。




(老人の放った声で雪原に一陣の風が吹いた。ニュージーランドで鳴いた羊の声が遠く海を渡ってシベリアの永久凍土を震わせるみたいに、遠く海を渡って響くように)。


・9

海沿いの町だった。名前をもう覚えていないんだ。大まかな場所だけは覚えているからネットで地図を開きさえすれば思い出せるのだろうけれど今はもう名前が変わっている。後ろにそり発つ山の裾野を削ったようにしてぽつんと存在する小さな町で、神様が最後に休むために作られたという伝説を町民全員が大切に抱えている優しい町だった。有名なビーチがあるわけでも有名な建造物があるわけでもないのにそれなりの数の観光客は来るのだろう、昔ながらの景観を風化させることなく保たれた港とレンガ造りの倉庫があり、そこから海に沿って広がる市場とさらにその市場を囲むように商店街が網目状に広がっていた。商店街の目抜き通りには老舗ばかりが並んでいて、街並みを眺めているだけでもどこかワクワクしたのを覚えている。港から西側に進んでいくと大きなビーチがあって、そのあたりまで来るとホテルとそれに併設されたカフェやレストランがあるばかりで市場で絶えず聞こえていた喧騒が嘘かのように、人の放つ賑わいより波音の方が大きく聞こえる。僕の滞在していたホテルはその町から一番近いビーチの西端、突き出した陸地の終わりにあって、部屋の窓から海を眺めているとホテルを囲むように敷かれた道路の上、輸送用のトラックや旅行客のものだろう高級車がハンドルを目いっぱいに切ってカーブを曲がっているのが見えた。

 ビーチは十二分の二か月を除けばいつでも泳げるくらいに海水の温いせいで人々が『夏だから海にでも行くか』と思うことがないのか、ホリデーシーズンの半ばであってもいるのは中高生くらいの若者の集団と家族連れがまばらにいるくらいで、前方を気にせずに散歩するにはうってつけだったので、仕事をする必要のない日の頭に浮かばない何も食べたくない夕暮れ時が来る度、僕は波打ち際を彷徨っていた。


 ただその中で僕は好きになったのは観光地らしく形骸化されたエリアではなくて地元の人間が生活している町そのものだった楽しかろうと悲しかろうと家に帰るために行き来をして、顔を見知った相手と道を挟んですれ違って、決められた時間に学校や仕事へ行くために通り過ぎて、夜には静かに眠ることのできる町。子供たちが示し合わせずとも集まることのできる公園があって、ネットで調べなくても営業時間を把握しているスーパーがあって、誰とも共有したことはなくても自分の好きな景色がいくつもあるような、住んでいる人間にとってはなんでもない町の景色こそが僕にとっては新鮮で、そこに潜んでいる自国との小さな違いやいくつもの共通点について考えることがどうしようもなく楽しかった。自国ではあまり見ることのないよう様式の建物や街路脇に生えている植物を眺めることや石畳の道が随所に残っている様子が新鮮で、余暇を見つけては様々な場所を見て回った。町中のいたるところにバラやピンク色のボンボンだったりオレンジ色の花弁がいくつも折り重なったような花だったり名前の知らないような花のたくさん咲いている時期で『大丈夫だ、きっと何の問題もなくいい仕事ができる』と、進むべき方向に花の咲いているのを見るたび、そんなことを自分に言い聞かせていたのを覚えている。

 その少女に、リサに、初めて出会ったのはいつの日だったか、いつも通りに町を散策している途中の出来事で高台に公園を見つけて休んでいる時で海の見える高台の公園のベンチで休んでいた僕に道を尋ねるような気軽さでもって話しかけてきた。町の中央にある広場から港とは反対方向へと坂道を登っていくと大きくカーブを描くようにして海に面した高台に出る。一堂の教会とそれに面した霊園、緑であふれた公園と用途のわからないいくつかの建物がある場所だった。


・10

 先生を知っているという人物にあった。急にぽっかりとスケジュールに空きが出来たその暇で旅行に来た鳥羽でのことだった。夜に仕事がキャンセルになると連絡を受けて、休日の過ごし方を考えている時のこと、なぜだか急に伊勢神宮に一度も行ったことのないことがとても奇妙なことに思えた。自分の過去を思えばやってしかるべきことなのになぜか避けてきたというような、好きな映画監督の作品の中で一番有名で評価の高い作品を「いつでも観られるのだから」と大した理由もなく避けているような、新作が出るたびに買うビデオゲームのシリーズの中、過去に出た一つだけ「時間がないから」とプレイしていなかったような、そんな感覚に見舞われて伊勢神宮を目指すことにした。

朝にはスーツケースを持って家を出た。

静岡駅から新幹線で名古屋、名古屋から快速列車で鳥羽へと、三時間もかからずにたどり着く。伊勢参りの前に鳥羽と志摩を観光することにして、夜には、前日深く考えもせずに選んだ石鏡という土地にあるホテルに泊まることにした。

 伊勢湾と三河湾、反対に太平洋を見渡すことのできる見晴らしのいい高台にあるホテルで値段も手ごろないい宿だった。

志摩駅から送迎のバスで一時間ほど揺られ、たどりつきチェックインをする。部屋へと案内される途中、着物を着込んだ仲居の女性が渡り廊下のバルコニーの前で簡単に窓の外に見える景色の説明をしてくれた。眼下に広がる海と静かな漁村が見えて、晴れた空にはトンビが私のことを敵か仲間か見定めるようにその上空を旋回していた。飾り気のない、自然のまま、ありのままの海岸線を見ているだけでここが伊勢に程近い、日本の、神道の土地だということを実感できるような景色が窓の外に広がる。海の上、空は広いのに、遠くに続いているというよりはこの土地と湾を包んでいるといった方がしっくりときて、それがどこか奇妙に思えた。

館内は19世紀の洋館のような様相で廊下には赤い絨毯が敷かれていて、畳張りの客室からも同じように海が見えた。浴場へと向かいがてら一通り館内を散策し、夕食の時間にはプランについていた刺身の船盛と懐石料理を食べ、数年前の伊勢志摩サミットで提供されたという日本酒を飲んだ。腹ごなしが済むと急な眠気が襲ってきて、そのまま夜の九時ごろまで眠りこけてしまう。普段、忙しく働いていることなど全く忘れてしまいそうな、その日の全部が幻と言われたのなら信じてしまうほどに穏やかな休日だった。

昼寝から目を覚ますと、夜は異常に静かで車通りの多い道が近くにあるわけでもないからか、部屋の中は波と風の音以外に何も聞こえない。半端な時間に寝てしまったものだと思いながら体の節を伸ばして体を起こした。あたりを見渡すと、障子を開け放った広縁の先に見える海は完全に闇に包まれていて、船場をぼんやりと照らすオレンジ色の光だけが深い黒の中に灯っていた。見下ろした先にその明かりだけが見えて、夢とも現実ともつかないような闇の中、意識が徐々に戻ってくる。暖房をつけたまま寝ていたせいだろうか、それとも酒のせいだろうか、ひどくのどが渇いた。部屋の電気をつけ、備え付けの水を休むことなく三杯飲んだ。

また布団の上に横になり十分ほどぼんやりと天井を見上げていると不意にビールが飲みたくなった。のどの渇きは引いたものの中途半端に酒が体の中に残っているのもあってか、代用品として売られている発泡酒と何ら変わらない風味の国産ビールの味が恋しくなる。

売店脇の自動販売機に売っていたはずだと思い出して、部屋を抜けだす。

廊下のスピーカーからは控えめにドビュッシーの『二つのアラベスク 第二番ト長調』が流れていた。曲からおこるイメージを頭の中で映像にしながら歩いた。

どこまで行こうとも暗い夜の中、断崖の海が追いかけてくるそのホテル内を、小さな女の子が音楽とともに跳ね回ってゆく、かくれんぼでもしながら軽やかに進むように跳ねては立ち止まり、私と一緒に歩き回る。楽しそうに笑い、姿を消して、私の腕をとりながらくるくると周る彼女は私をいたずらに振り回したと思ったら一瞬姿を消してしまう。しばらくあたりを見回していると、くすくすという笑い声がきこえて私を安心させる。女の子はひどく陽気にダンスを踊る。笑顔で跳ねて水面に浮かぶかのように軽やかに、ときに激しくターンをし、ときに上体を大きくのけ反らせる。

唐突に彼女が走り出したので私は突き放されないようにと彼女を追いかけてゆくと、さっきまで聞こえていた足音は廊下の曲がり角でドアのノックのように小さな音を三回だけ残して消えてしまった。曲が終わった先の曲がり角には扉があり、異様な存在感を放っていた。ゆっくりと近づき開くと、その先にあるのは黄金のススキ野原だった。黄金の薄の上を風が走る。曲が切れてしまったホテルには一瞬の静寂の間を縫うように波の音が響く。その二つの音が重なって私の意識がとても深いところまで落ちていこうとする。

私が一度こちらを振り返って、扉の先へと踏み出そうとして、映像は終わる。

フロントフロアにつくと、ラウンジバーにまだ明かりがついていた。看板を見るとどうやら十一時までは開いているようで『ここで飲んでいくのも悪くないな』と中へ入ることにした。

ぐるりと中を見渡す、カウンターの奥には壁掛けのテレビがあって、白黒の特撮映画の映像が流れている。カウンターの反対側はガラス張りになっていて、やはり海が見えた。暗い闇の中に漏れるホテルの灯りが高台から海へと延びるスキーのジャンプ台のよう長く急な斜面を照らしている。

ガラス窓の脇には美術館にあるような説明書きのパネルが壁に貼られていて、暗い宵闇のその坂の先にある海岸線が、その昔ゴジラが初めて日本に上陸した土地だと写真付きで紹介されていた。端にあるブックラックには当日付のローカル紙と数冊の雑誌に絵本、三島由紀夫の『潮騒』と『金閣寺』があった。コーヒーと緑茶のサーバーが中央に置かれていて、席には数組の客が浴衣姿のまま新聞を読んだり携帯をいじったりしている。カウンターにはホテルの制服だろう小豆色のジャケットを羽織った老齢の男性が一人でいて、ようやく一日が終わるという安堵なのか、それとも他に良いことでもあったのか、どこか嬉しそうな表情でゆっくりとグラスを磨いていた。

「まだ平気ですか?」

カウンターにいる老人にできうる限り愛想よくそう告げる。

「ええどうぞ、何か飲んでいかれますか? 部屋に持ち帰ることもできますよ」

男性は笑顔でそう言って縦置きのスタンドに挟まったメニューをさした。

しかしゴジラという生き物は容赦がない、戦争期間中のアメリカでさえ京都へ爆弾を落とすことをためらったのに、いやそれを知っていたからこそ伊勢神宮を有しており日本においては重要な拠点ではないという点で警戒の薄そうな三重から侵入を試みたのかもしれないがだがそんな策を練っていたとしても彼は隠密には不向きだった。放射能事故のせいで生まれたときから見張られていたのだから。

「じゃあ、黒ビールをジョッキでお願いします」

「今日はご旅行で?」

「ええ、気楽に一人旅ですよ。伊勢神宮に参拝でもと思いまして」

「いかがでしたか、大神宮さんは?」

そういってサーバーから注がれたばかりのビールを私の目の前に置く。

「いえ今日は行っていないんですよ。明日に取っておこうと思いまして、今まで行ったことがないもので楽しみですね」

「歩くのにも楽しいところですよ。やはり境内でしか味わえないような空気のようなものもありますし、おかげ横丁もいつ行っても活気があって、どちらも違う方向ではありますが元気をもらえます」

「いいですね、久しぶりの一人旅ですしのんびりしてきますよ。何かおすすめの土産物はありますか」

「そうですね」そう言って老人はカウンターの端に置かれたパンフレットの中から老舗の和菓子屋や珍しいものを買える酒屋、宅配もしてくれる観光客に都合のいい海鮮問屋のことを教えてくれた。


「本当は誰かとこられればよかったんですがね、家族も友人も平日で急な誘いになるということもあって、久しぶりの一人旅にしました。気楽でいいですがね、一人であんまりのんびりとしているといろいろ考えちまいます。次は家族も連れてきますよ」

「気に入ってくださったのなら是非」

「そういえば、さっきひどく懐かしい顔を見かけたんですよ。でも、みかけたと思ったら追いかける暇もなく消えてしまいました。飲みにでも誘えばよかった」

いい気分になって妄想の中のことまでも語って、三杯目のジョッキをした。

「縁さえあればまた会えますよ」

「縁はきっとないでしょうね、先生の思い出の中にしかいない誰かです。私自身が会ったことがあるわけはないので」

「そうですか」老人は穏やかな声で言った「わたし、以前あなたのお師匠さんに会ったことがあるんですよ」

「先生に?」

「ええ、懇意にしていただきました」古く懐かしい、日々を浮かべる老人の瞳に嘘がないことは明らかで、望む、望まないに関わらずに聞かなければならない。どうにもその場から逃げ出すことは日本人として生まれた私には不義理なことに思えて仕方がなかった。

「懇意にというと、何かそういう関連のお仕事してらしたんですか?」

「いいえ、まだ私が今のあなたほどの若さをもっていたころ。遠い外国に小さなレストランを持っていたんですよ。海のきれいな街でね。今ぐらいの時分になると赤茶けたレンガが陽光を忘れることができず足掻くかのように鈍く、白く光る。不思議な町でした。あの方は何やら創作のためにその町を訪れていて、週に一度か二度、夕刻になると私の店に立ち寄ってくださいました。ほとんどの場合一人でしたが、そのうち何度かは娘さんくらいの年の女の子を連れて私の店に食事に来てくださいました」

老人が懐かしそうにそういうのを聞くと、急に今いる場所が現実ではないような気がしてきてしまう。

「それはおかしな話ですね、先生には子供はいないのに」

「娘さんではないのでしょうね、友人だったのでしょう。彼らのことはなぜだか地元の人間たちは皆知っていました。私自身何度か町中で見かけたことがあります。小さな町の人間にとってはそういう、少しばかり自分たちの日常から外れた出来事自体が娯楽のようなものですから、それぞれが勝手な感想なんかを言いながらあの二人の話をしていました。


店は買いたいというもの好きに売ってしまいましたが、時折、海沿いに起きる懐かしい季節のにおいを嗅ぐとあの町のことを思い出して、そうするとなぜだかあなたの師匠のことを思い出して、あの人の撮った映画やら、最近の話をしている映像なんかを見るんです」

あの町は私と先生の思い出と、先生のくみ上げた創作の、虚構の中にだけある場所で、誰も知らないのだと思っていたのでこれには少し驚いた。

「そうですか、そうやって自分なりの思いをもって見てもらえるなら、先生も喜ぶでしょう。あの人は時間というものを切り取るのがうまいんです。人をノスタルジックな気分にさせるとかそういったのが」

廊下の向こうを一人の老人が通り過ぎるのを視界の隅にとらえた。

「そうですね、わたしもあの時分に町にいて、私の見ていた風景も映画の隅に映りこんでいたんです。そうですね、もう、あの時の町はどこにも、ないから余計に。思い出と創作の中にしかないから懐かしくなるたびに見てしまうのかもしれません」私はその男の話に耳を傾けながら、少し気の抜けてしまったビールを飲んだ。焦がしたような味の黒ビールを舌の上で転がし、遠い異国の地で創作勤しんでいた先生がアパートの中ソファーの上、ひどく疲れた顔で眠りこけていた時のことを思いだした。

「寂しい映画でした」

呟くようにそう言うと、目の前の老人は、静かに一度だけ頷いた。


 先生は三度だけ映画を撮った。その最後の映画が海外で賞を取って、業界に認められ、今後も仕事として作品を作る権利を手にした。しかし、先生はそれ以降もう映画を撮らなかった。

 日本で公開されたその映画は海外の映画祭で賞を得たという理由でたちまちウィークリーランキングで四位になったがロードショーが終わると(いくつかの批評家が語ることはあっても)人々からは忘れ去られた。使い捨てるようにたくさんの映画がつくられた時代だった。

・11


映画館の中では、いつかの少年がポップコーンをつまみながらスクリーンに見入っていた。彼の手元に置かれたポップコーンはキャラメルとバターのミックスで、ひじ掛けのカップにはジンジャーエールが入っているのだろう。完璧な組み合わせだ。


久しぶりに訪れた故郷の映画館はいつの間にか商業施設ごと閉鎖されていたようで、僕は長い間そのことを知らなかった。薄闇のなか電気の止まった商業施設の中を、夕方になって傾きかけた陽の光だけを頼りに歩いていく。停止したエスカレーターを登りながら、僕はずっと昔のことを思い出していた。

 初めて映画を見たこと、学生時代の恋人と港を一緒に歩いたこと、幼時に両親と一緒に遊覧船に乗ったこと、高校三年生の初夏に同級生の友人と二人で映画を観に来たこと。


灯りの消えた商業施設を四階まで上がり荒廃し廃墟と化したかつての映画館を進む。解体中なのか半端に崩された天井から覗く空の下、瓦礫と埃をかぶって汚れた布張りの椅子が並んでいた。夕闇の中、むき出しになったスクリーンは劇場が機能していた当時と同じ上映前のオレンジの灯りに照らされていた。すっかりと様変わりしてしまっているのに確かな懐かしさがそこにはあって「電灯に比べたらこの陽光は君には暖かすぎるだろう? 長い年月の本来の仕事を終えて初めて君はぬくもりの感覚を得たのかい? だとしたら私を含めた殆どの老人たちよりも君は幸せだ」夕焼けはだんだんと夜に向かっていく。赤、オレンジ、赤紫と空の色は10分もせずに暗くなっていった。

「一日で一番いい時間だ」

マジックアワーだと薄明の空の下、映画のセットみたいな町で老人は役者に教える。

そんな、かつて観た映画のワンシーンを思い出した。

「もし君が仕事にこだわる一人の老人なら。もう一度だけ僕に映画を見せてくれないか? ほら、だんだんと日も暮れてきた。そうやって暗くなる映画館の中、僕の胸はロードショーへの期待感でいっぱいだ。

君はどうだい? 一つ思うのだけれど、この星明りは私には消えてゆく電球か非常口にしか見えないけれど。君にとっては出会った人々に見えるのかもな。なんせ暗闇で光る君を。何百万、何千万の人間が見に来ていたのだから。上映中、その目の一つ一つに反射した光が輝くのを君はずっと見ていたのだろう」

僕の問いかけに応えるようにブザーの音が鳴った。彼の復帰を祝うように港町のタンカー船の汽笛がそれを追いかける。嬉しそうに、気恥ずかしそうに画面が少し乱れた後で。その映画は流れ出した。

「一つ残念なのは商業的意味を失った映画館ではコマーシャルが流れなかったことだな。僕はあの前時代的に踊る映画泥棒を存外にも好んでいたから」。


・12

 なぜか故郷の映画館で教授と話をしていた。私は教授の座る席の後ろ中央通路に立ったまま手すりに体を預けていて、スクリーンには古い映画のトレーラーが流れていた。これはいつの事だっただろうか、現実だったのかどうかもはっきりとしない、もしかしたら夢だったのかもしれない。

トレーラーが終わり、教授が若かりし頃に撮ったという映像が流れる。教授はひどく陳腐な設定にまみれた派手でわかりやすい映画を多く撮っていたけれど、その映画だけは違っていた。ありふれた、どこかの道端にいくらもにあったようなヒューマンドラマだった。

「ただのホームムービーだったんだ」と私の前に座った彼は笑いながら話す。

「この映画を子供のころから何度も来たこの映画館で流すことが観ることができたら、それだけで俺にとってこの仕事をずっとしてきたことに意味があったような気がすると思ったけれど全国配給はされなかった」キャリアのためでなく、本当の意味で自分のために作った映画を故郷の映画館で観ることが出来たなら自分の足跡を振り返るうえで意味のあることだったのに、その当時には叶わなかったと語る。

「そうか、叶ってよかったね」私がそう言うと、子供のように無邪気に笑う。

何も言わず、少し考え込んだように映画の冒頭に流れるクレジットを眺めながら、たった今思い出したばかりだけれど、と彼は言った。

「これは、たぶんジェスの、お前の師匠の話からきているんだ。内容をトレースしたというんじゃなくて、俺が昔のジェスの話を聞いた時に思ったことを頭の中に浮かべながら最初のプロットを組んだ」

「先生の話? じゃあ、私も知っているものかな」

「確かジェスの公演を見に行く前に、君から内容を聞いたんだじゃなかったかな。ずいぶん昔に演じていた話だ。そうだ、タカが俺におしえてくれたんだ。小学生の時の社会科勉強プログラムで行った芸術鑑賞の時にやっていたとか何とかで話をしてくれて、興味を持って、それがきっかけで観に行ったんだ。あくまでプロットの、下地の部分だけだし、記憶の片隅にある当時の自分の感情から作ったから形状がオリジナルとは違うかもしれないけれど……あんまり先に語りすぎるものじゃないな。サリンジャーも言っていた。注釈というものはいくらか読者をしらけさせてしまう。それに、これでお前につまらないと思われたら目も当てられない」彼はスクリーンへと視線を戻す。

「その先生の話なら覚えているよ」小学三年生の時、社会科見学と銘打たれてかつての級友たちと文化ホールのようなところに連れていかれ、鑑賞させられた初めての舞台作品だった。どこか心に引っかかりを残したもので、忘れそうになるたびにふと思い出す春の桜の風景のような、季節ごとに吹く風のにおいのような作品だった「でもなんで先生だったんだろう? 県営の劇団もあるわけだし、もっとおあつらえ向きなものが他にいくらもあったろうに」。

「さあ? 県内出身者で舞台に立ちながら生計を立てている若者なんてそうそういなかったから、ジェスが選ばれたんだろうけど。そういえば何か言っていたような気がするな。なんで呼ばれたかわからないし、そこまで集客力があるわけではないことも自分でわかっていたけれど、チケットは文化事業として近隣の学校に配られるって言うから恥をかくわけでもなし、なんにせよ金をもらえるのだからいいかと思って受けたとか何とか。

ジェスはテレビタレントにはなれなかったから、舞台で細々と活動をしていた。今みたいに個人で動画コンテンツを作って発表するためのプラットフォームが充実していたわけではなかったし、まだ駆け出しで役者やナレーターの仕事も貰うことがなかったから、全部個人で活動していた。

何になりたいのかって質問にもぼんやりとしか答えてくれなかったな。趣味でやっているだけで二、三年したら就職するって言っていたけれど結局そのままだ。

確固たるビジョンなんてジェス自身にもなかったのだろうけど。俺はあいつの作る話が好きだったし、東京で再会した時にはそれなりにファンもいて、ジェス自身も自分の話を誰かに聞いてもらいたかったんだろうから楽しそうだったよ。分類としては芸人だったけど彼自身、自分が何をしているのかよくわかってなかった。宗教に近かったのかもな」

「宗教か」初めて観た先生の舞台。それを思い出すのは決まって人生における転機の訪れた時だった。中学校に上がるとき、恋人ができた時、部活動から引退するときなど、高校へ上がり、この町を去るまで私の人生が小さな節目を迎えた時に無意識のなか思い出されては何度も繰り返しリフレインをする。昔みた映画のセリフやアニメ、漫画の名言なんかを忘れないのと同じように「本当は全部あの話につながっているんだって思うんだ」その舞台に座る芸人の姿が記憶の中で蘇るたび、そんなことを考える。

「え?」教授は聞き返した。

「後にしよう。始まる。スピーカーはちゃんとつながったかな?」不意に向けられたその表情が子供の突飛もない言動を意味のあるものだと必死に理解しようと思考を巡らせる、まだ映画監督にも大学教授にもなる前の、ただの近所のお兄さんだったころと何も変わっておらず思わず笑いそうになる「不思議だよな、同じ校外学習でも浄水場の微生物の話は全部わすれたのに、先生があの舞台で言った言葉はずっと覚えていたんだ」

 映画監督は私の言葉の意味をしばらくそのまま考え込んでいたが、結局答えは出なかったようで、スクリーンを見つめた。

平生を装いながら、スクリーンを眺めるその横顔はかつての友の姿を本人にしか見えないない空間の中で探す老人のように遠くを見つめていた。

さびれた港に降り注ぐ月の光がひどく明るい夜のことであった。

だがその夜は私の人生の中、本当にあったのだろうか?

一体いつ、彼とこんな話をしたのだろう?

私が先生の弟子になった時には教授はすでに亡くなってしまっていたのに。

「タカ、俺は、あの年のゴールデンウィークまでにこういう映画を作りたかったんだ。こういう、ずっと撮りたかったものでその年の勝負をしてみたかったんだ」

独白のようにゆっくりと話す彼の姿を私は現実のものとして確かに覚えている。

「確かに俺の撮った映画の何本かは興行的には成功したけど、ジェスは、アイツは毎度馬鹿にしてくるんだよ。最初の自分で脚本書いている間は面白かったくせにつまらない仕事するようになりやがって、とか、会うたびにそんなことを言われた。だからどうにか目にもの見せてやろうと思ったんだけどな、死んじまった」。

そう言って笑う教授の笑顔はどこか寂しそうで、その表情のせいだろうか、私が知る姿に比べて随分とやせ細ってしまったような印象を受ける。



・13

黄金色に焼けたすすきだけが山の上、風に揺れている。

昔、仙石原や稲取細野高原の近くの温泉旅館で働いていたことがあるが映像の中に広がるすすき野原はそのどちらよりも広かった。針葉樹も広葉樹もなく見渡せる限り周囲に広がる稜線にはすすきだけが揺れていた。何度も噴火しては固まったのであろう穴ぼこだらけのゴツゴツした岩のあちこちに覗く山の中腹にその場所はあった。すすきの黄金色と空の色、その間を抜けるように山道がずっと遠くまで延びており、切り立った崖の先に至るまで広がるすすきがまるで海の様に風に吹かれ、波を打つ。根本に少しだけある雑草としか呼び方を知らないような草花と赤や黒の火成岩。その中を一人の少女が音楽とともに歩いていく。

カメラが揺れるすすきの波を追っていったその先を追うようにカメラが動いて、山道を歩く少女の姿をとらえた。明るい髪の色をしていた。夏草の中を駆けるキツネのように艶のある柔らかそうな毛並がすすきより一頭分高い位置で風に揺れている。


私が子供の頃にはそういう髪を自然に持つ人間はあまり多くなかった。国籍を得るために血統がどうしても必要だったが原因の一つだっただろう。と、そんなことを考える。彼女はずっと山の奥を目指して進んでいく、そこにいる誰かに会いに行くためにそうしていて、そこに先生がいることを私は知っていた。


年のころは十をいくつか過ぎたくらいだろう。歩いている彼女の映像とともに、少女はぎこちなさとは無縁な語り口で堂々とあらすじを語る。彼女の顔は昔観た映画のラストシーンにサブミナル的に挿入された少女の写真に似ていた。先生が三番目に撮った映画で、私と先生が出会ったあの町が舞台だった。その写真に写っていたのはいつまでも記憶の中に遺り続けるような……進む帆船が遠くに浮かぶ夏の海の風景をそのまま切り取ったような少女の笑顔だった。


・SE(人の声、群衆が小声で喋る声)


 高く晴れ渡る空の元、遠くには山間の町に建つ高いマンションや商業ビルが澄み渡る初秋の冷涼な空気のむこう、ジオラマの様に広がっている。距離感を見失うほど遠いその町がこの山と同じ次元の中に空間とつながっていることを少し不思議に思う。

遠くで狼煙を焚くかのように白い煙が上がっていて、それを見た少女が大声を出すために息を吸う。すすきはその小さな呼吸に吸い寄せられるように、少女の方へつらつらと揺れた。

休日の午後に観る子供たちの野外演劇は、日曜日の茶の間に流れる視聴者参加型のテレビの番組ように間延びした時間の中に在った。観光客からも父兄からも優しく受け入れらていて「完璧さを求められることもなく、誰もその内容について真剣に考えたりはしない。

なんとなしにこれが、在るべき大衆演劇の姿なのかもしれないと、劇を観ながらそんなことを思っていた」


男は何にも追われることのない自由な時間を確かめるために空を見上げた。

「九月でもここは年末の空だ」と、浮かぶ雲の一つもない空を見て思った。どこまでも晴れ渡っていて、上に行くほどに青は濃くなっていく、遠くむこうを航空機が過ぎて行くその機体の形状がはっきりと見えて、何一つ無い空にひこうき雲の白い筋だけが消えずに残った。

山の中腹にある広場の中、ただ空間を区切られただけの舞台の上で様々な年代の子供たちが混ざって劇をつくりあげていた。その舞台を囲むのはほとんどが、彼らの家族や同級生たちだ。彼らは自分の家の子供達の姿を嬉しそうに見つめている。婦人や老人達は時折、舞台を指差し、手を振り、楽しそうにしている。連れてこられただろう兄弟たちの反応はまちまちで、自分達の話を続ける中学生くらいのカップルの姿もあれば、父親の肩の上で物珍しそうに舞台に食いついている幼児や、レジャーシートの上で携帯ゲームに夢中になっている子もいる。ちなみに多くの父親たちはいまいち感情の読めない顔で静かに子供の姿を目やカメラで追っていた。


先ほど山道を歩いていた金髪の少女が舞台の上に登場する。

 舞台の上でも同じように彼女はモノローグを話していた。どのようにしてこの話がここまで至ったのか、彼女自身の旅路の話と、彼女が出会った旅人の話、青年が彼女に話してくれたススキの話。場面ごとに現れては今、舞台の上に建っている少年少女の現在地が一体どこにあるのか、その全てを彼女が説明してくれた。

 それを聞いて、男はなぜか郷愁を覚えた。ずっと昔に旅立ったはずの故郷と、一人の老人のことを思い出す。ずっと昔に出会って救うことのできなかった老人「春になったら迎えに来てくれ、そして僕を必ず故郷にかえしておくれ」そう言った老人の言葉が頭の中でよみがえった。幻聴は現実と何ら変わりなく聞こえた。客席内の誰かがそう発したように聞こえて、男はたまらず振り返る。それでもそこに彼の見知った老人はいなかった。背の高い彼は見物客の一番後ろに立っていて「なぜ、あの男の人は後ろを振り返ったのだろうか?」と、少女はそのことをとても不思議に思った。頂上に向かって伸びる丘陵のずっと先を見上げ、胸の前で祈るように手を組んだ男の姿が舞台上にいる少女の目にはとても不可解に映った。

男を見る少女の横で、劇は止まることなく続いている。

「そう思うとすすきの群れも花火が消えずに残っているみたいで綺麗じゃないか?

夜空で散ったものが、ちりばめた絵の具みたいに固まって、黄金色。ずっと見上げられながらさ、毎年の秋がわる頃に祭りの喧騒と一緒にたくさんの人がみにきてさ。龍勢みたいに、空に浮かぶのよ。白い煙が降りてきて、また一人、また一人って、見上げると、夜空に打ちあがった落下傘と一緒になって願い事が降ってきて、昔いなくなってしまった誰かがその願いを聞き届けたみたいに風がすすきの上を走り抜けて、落下傘がずっと遠くに飛んでいくんだ。それを見ながら過ごすのは悪くないだろ? なんなら本当に神様みたいじゃないか?」

そんなセリフを舞台の上で話す少年の動きはどこか必要以上に大げさだった。群衆を相手に話す政治家の様に、無理にも着飾ってパーティー会場に集う日本人のように、彼は隣にいる女の子の役を笑わせようとしていたのだろう。

少年の隣にいるのは弱弱しい、絹のような女の子だった。美しくありながらも扱いを間違えたならすぐに破れてしまうような雰囲気を持っていて、何かを諦めきれずに物事を受け入れて抗わないその出で立ちが、聡くもあり、美しくもありながら、何かを諦めきれないという幼さなさを持つ女の子だった。


女  「こんなところいやだよ、寂しすぎるもの、やっぱり御影石がよかったな、目を瞑ってあの光る灰色を思いだすたびに、夏の暑さが、開いたドアと一緒に間の前に

冷えたスイカの味と、おばあちゃんと一緒になって笑うたくさんの子供の声に、汗だくになって遊んだ後の夕暮れのさむさと寂しさを思うの。素敵でしょ?ずっと思い出と一緒なんだよ。お盆のたびに帰ってきて、いつまでも家族と一緒にそんな子供時代のことを思いながら静かに石の中で私は眠るの」


少年 「そうかね、俺はこの方がいいけどなぁ何にも無いぜ、高いぜ、風の音しかしなくて静かで遠くのほうに街が見えてさ。誰にけがされることもない。ずっと気高くいられる。それに寂しくなったら会える。俺がせっせと登ってきてやるよ」


女  「独占欲?」


少年 「多分ちがうな、独占なんて……自由でいてくれないと意味が無い。お前が自由だってそう信じたいんだ。でも、俺はこの山に来てお前のことを思い出す。そうしてほかの人と同じようにお前に向かって祈るから、そしたら、思い出している間だけ、気まぐれでもなんでもいいから一緒にいられたらそれで満足だ」


女  「同じことだよ。御影石でも、このススキ野原でも、もう君のほかの人の中に私の思い出なんてきっと無いんだから、お寺の方が君も楽だろうしそれでいいよ」


少年 「死んだと思ったらいきなりそんなことを言うものじゃない。寂しいだろ。

でも、お前を思い出すたびに、お前が俺の思い出の中から綺麗に消えてくれたなら、そっちの方がずっと楽なんだろうとは思うよ。望んでいるんじゃ無いけれどね、時々そんなことを思う」


女  「思っていいよ、君は想っていてくれていい。でも、思ってもそんなことは言わないでよ。それこそ寂しいじゃないの」


・太鼓の音。やかましいばかりの祭囃子。舞台上の二人は驚いてそちらを振り返る。 


・金色の髪の少女と舞台の上の二人の視線がすれ違う。


・落語家は一礼して舞台の上に上がる(彼は新東名でトラックとの衝突事故を起こし、すでに死亡してしまっているようで、客席の奥から主婦たちの噂話のように少しだけそんな声が聞こえた)。


落語家 

「ジェス、いつだったか君に死後の世界というものについて聞いた時、君はそれがどこまでも広がるススキ野原だと言っていた。その中をひたすら歩くのだと、自分の人生について考えながら、どこまでものんびりと歩いていくのだと。それも悪くはないのかもしれないが、やはり旅というものは帰るべき場所にたどり着かないと終わらないんだ。生きてきた人生のその全てを抱えて、もう一度だけ少年時代を過ごした故郷に帰るんだ。それでやっと玄冬の終わりだと言えるんだ。それはある意味で許しなんだよ。いつでも帰ることが出来たはずなのにそれでもずっと帰らなかったのはきっと君が自分自身のことを認められなかったからなんだろ?」。



・14


「本当に何もなかったの?」

その夜、宿に帰ると妻は不思議そうにしながらそう尋ねてきた。

「何もなかったよ。映画館の入っている商業施設は3年前につぶれてしまったようで中には入れなかった」

私は妻と視線を合わせないように窓の向こうに広がる遠州灘を見続けた。

「そう。もういいわ」

私に真実を語る気がないのを悟ったのだろう。それ以上は何も聞かなかった。

「ひどく懐かしい顔に会ったよ」

気が付いた時には教授はもうそこには居なかった。私がスクリーンに夢中になっているその光景を見られたことに満足したように、無言でその場を後にした。彼のいた椅子の上には、古いアニメ映画のパンフレットが置き去りにされていた。



・15

故郷にある海岸線から見える風景が富士山と共に世界遺産に登録された。2010年代のことで、まだ平成は終わっていなかった。決してキレイとは言えないような灰色の砂浜と、いつまでも終わることのない土木工事が行われている場所だった。私とっては二十年分の思い出がそこにつまっていたけれど、文化的、歴史的観点から見てなにか価値がある場所とはどうしても思えず、当時に朝のニュースでその海岸と松原を含めて世界遺産として登録すると聞いてもどうにもピンとこなかったのを覚えている。

 市内に住む私たちにとってはなじみのある場所で故郷に帰るたび気晴らしに立ち寄る場所ではあった。思い出がいくつも残っている。夏になるとそばにある商業プールによく遊びに連れてきてもらったことだとか(そこはもう閉鎖されていたが水の張られていないプールだけがずっと残っていた)、部活動やスポーツ少年団の試合や練習で近くの球場や体育館に訪れたことだとか、新年が明ける日に初日の出を見るため寒い中友人と自転車をこいだことだとか、私にとっては郷愁や原体験と共に思い出す風景の一つではあったが、観光客などほとんど見ない故郷の一部が世界遺産になるなどと言われても実感が持てず。ニュースに映る写真を見て「最近、帰っていないな」と、それだけを思った。

 その海岸での思い出はいくつかあるが、その中に、一度だけ会った老人の話の中にしかない歌というものがある。

大学時代、帰郷した私は地元の私立大学に進んだ高校時代の友人を誘って焚火をした。焚火に必要な物は友達がホームセンターで用意してくれるというので、私は干物や缶詰、練り物や魚の切り身を河岸の市で購入し海岸へと向かった。

そのころの松原は夜になると人は警官も不良学生も含めほとんど誰も来ないようなところで、砂浜で焚火をしたところで誰も咎める人などいなかった。砂の上で燃える薪がパキパキと壊れる音を聞きながら色々な話をした。夏の終わりと大晦日、年に二回、中退するまで四回、中退してから一回。私はその故郷の海岸で友人と焚火をした。


初日の出を待っていると、老齢の男性が通りがけに挨拶をしてきた。幾らか当たり障りのない話をして「それにしても寒いね」というので火に当たることを勧めると、すんなり私たちの対面に収まった。彼としても話し相手が欲しかったのだろう。酒を飲んでいたし随分と昔のことで細部もあいまいだけれど、空が少し白んできた頃だったのを覚えている。毎年ここで日の出を待っているのだと彼は言っていた。彼の顔ももうはっきりとは覚えていないけれど、何を話したかだけは未だに忘れない。

「一杯どうですか?」と友人が湯呑に注いだ熱燗を彼に渡した。

「焚火ってのは懐かしいな。昔はここらに住んでいる仲間と寄り合って、よく騒いだよ。ドラム缶をあっちの広くなってるとこにいくつか持ってきて、酒やら料理やら釣った魚やら各家庭から持ち寄って年の瀬にみんなで飲んだ」知らない男は昔を懐かしむようにそうつぶやいた「俺が若い時だから、もう40年以上も前か」

「聞いているだけでも楽しそうですね。羨ましいです。男二人だけの年越しってのはどうにも寂しい」食材の世話をしながら彼の話を聞いていた。松原で拾った松ぼっくりを炭と一緒にペンキの空き缶に移し網を敷いたその上で食材を焼く。焼きあがりに松の葉を火の中に投げ入れ、香りづけすれば干物や塩焼きは味がよくなる。

「毎年ここに日の出見に来るんですか?」友人がそう尋ねると男は静かに頷いた。

「毎年ではないけれど、何も用事がなくて日の出が見られそうな天気の年にはきとるよ」

砂浜を眺めていた。昼間あんなにも美しさとは程遠い砂浜が、朝焼けの影の中で輝いて見えた「供養みたいなものでよ、俺ァ親やら友人やらたくさんこの町で見送ってきたんだ。初詣行く前にここでそういう人らのこと思い出すんだ」

反応するように顔を向けると、ちょうど登り出した太陽が老人の顔の後ろに見えた。ほんの少しだけ顔を出した太陽の光がまっすぐ目に入ってくる。老人も明るくなったことに気が付いたのか、私の見ている先を振り返った。遠くを見るようなその顔はどこか満足そうだった。

「昔はこの辺りにもたくさん人がいたんだ。男も女も、みんなでここ酒やって歌を歌ってた。船乗りの歌だ。船の上での安全を願って男を豪のままに保たせる歌だ。いまはもう歌わねえ。一人で歌っても仕方がないからだ。それでは迎えに来てくれと言っているみたいら? そんなん情けなくていかん」老人はそう言いながら酒を飲み続けた「誰も帰ってこなくちゃもう歌えやしない」

そう老人が話すとのを聞いた私はそれがどんな歌なのかを聞きたくて仕方がなくなってしまった。曲名を聞いておけばよかったのにそれをせず、一度も聞いたことのないその歌がどのようなものか、どのような場面で歌われていたのか、そのことを考えながら老人に当時の様子を聞いていた。

赤く染まった空の下、砂浜の上、灰になった木材が死んで干からびた貝のように散らばっていた。それをみているといくら思いを馳せようとも聞こえてくることのない実態を持たないその歌が急に美しいものに思えてくる。

酔っ払いだった二十の私は一人で歌うことの出来なくなってしまったという老人の代わりに、歌を歌おうと思いつく、モヤのかかったような状態のまま立ち上がって波打ち際へと向かった。話を続ける友人と老人を置いて千鳥足、遠州灘を挟んだ伊豆半島から太陽が昇るのがはっきりと見えた。



沖から

この夏

一番の

高い波

輝く

少年の目

黄色の

ロングボード


私は冬の灰色の海を見ながら鵠沼サーフ(ASIAN KUNG-FU GENERATIONの楽曲)を歌った。酔っ払いらしくご機嫌に、恥も外聞も持たず。もうすっかり日の揚がった空の下に佇む海は出産を終えた母親のように静かで、慈愛に満ちた顔で私を見つめているよな気がした。

後ろから友人と老人が腰を上げ私の後をついてくるのが見えた。たった三人私の故郷は新年をむかえた。


 その大晦日に聞いた話の中にだけあるはずの歌。それは一体どんな歌だったのだろうか? と、ニュース番組を観ていた私は改めてそのことを考えていた。





・16

先生の物語の登場人物には一部を除いて名前がない。それはどんな形式をとっていても同じことだった。先生は新しい話をまとめるときには必ず何かの形で文字に起こしこんでいる。形式は気にしていないのだろう多くの場合それはノートの切れ端であったり、ホテルの電話脇のメモ用紙だったり、どこかのレストランの紙ナプキンであったりにいかにも思い付きであるといった風に書き留められていた。自分で語ることを目的としているので他人に読ませるものではないのだから添削など行われずそのままの形で自室に保管されている。彼本人以外の目に触れることの無いはずのその文章を、私は先生の自室を掃除しながら時折読みふけっていた。

 先生は必ず会話の頭に誰が話したかはわかるように名詞を書くのだが、大体は滅茶苦茶に振り分けられた暫定的な呼び名である。「警察」など職業であったり、「白髪」など身体的特徴であったり、推理物の犯人には徹頭徹尾「犯人」と書く(しかし探偵は探偵とは書かれておらず、視点がはげしく入れ替わり矢継ぎ早に事件が起きるその雑文の中、探偵役が誰であるのかを探すほうが難解だった)その場限りの呼び方でしかないのだが、明らかに何度も登場する職業があった「落語家」と書かれた名称である。初めの間は気が付かなかったが先生の編んだ何百編もある話のほとんどに、この人物は登場する。そして、その全てで大したことはせず、つじつま合わせのような尺を埋めるだけのような意味の分からない話をして去ってゆくのだ。だが、先生は便宜上、というか私に内容を話すとき「このじいさん、じじい」だとか「ホームレス」とか「こいつは八王子で通りかかった親切なおっさんだった」とか適当で乱暴な呼称を口にする。しかし、紙を意識してみるとはそれらに対しても落語家と呼称をつけていた。トランプのジョーカーのような存在なのだろうと当時の私は思っていた。ゲームに様々な形をとってその場に存在できる唯一のカードの様に便利に使っている呼称なのだと。

同じ人間が書いた習作の、賑やかしのような人物なのだからそこまで不思議なことではない。だが、落語家だけが特異な点がある。物語の主要でない人物に対して呼称がダブることがないのだ。いくつかの物語の中に通行人として登場する人物やキャラクターには彼はその時々で別の呼称をつける。明らかに思い付きでしかないといったように、職業ですらない暫定的な呼び名「ボルボ」とか「クレー射撃」とか「滑落」であるとか、ひどいところでは「カニ」「モノクローム」「女子トイレ」「巨悪」「元気な男」と節操も一貫性もない。あまりに適当で「ああ、この人物は今後一切出てくることはないんだ」と、すぐにわかりそうな名をつけるのだが何故か「落語家」だけは別だった。

同じ口調、同じ癖をもって複数の話に登場する。それがたとえほかの端役と同じように一言、二言だけであったとしてもなぜか先生はその特定の人物の呼称を「落語家」と定める。

そこに何か特別な意味があるのではないか? と勘繰りたくなってしまうよう。

誰かしら、特定の人物を連想した時にそうつけているのではないか? と。




・17


夜、バイクで箱根山を越えるところだった。その日は新月で暗く、それでいて山中は浅くはあるものの霧がかかっており視界が悪かった。国道一号線に沿って三島からずうっと続く七曲りの道の中でいつも以上に気を付けながら運転していた。暗闇と霧だけが続く、両手両足でバイクの操作を続けながら、いつもならば意識すらしない小田原までの距離を頭の中で常に思い描いており、意識するせいか町の明かりを果てしなく遠くに感じていた。

22歳の私が移動に使っていたのは兄が生まれた1992年に作られたホンダのCB400で思い出すたびにガソリンの残量を心配している間に(1992年製のCB400にはガソリンメーターが付いていなかったため、私はトリップメーターが210キロを過ぎたあたりで給油をするようにしていた)なぜだか芦ノ湖の脇にあるコンビニのことを思い出し、そこで少し休憩していこうかと箱根新道へ入らず芦ノ湖へと向かった。芦ノ湖につく頃になると霧もすっかり晴れていて、湖畔から星空を見上げることが出来た。駐車場の端にバイクを止め、コンビニエンスストアでカップのホットコーヒーを買う。

観光地と言っても夜になると明かりも人の気配もほとんどなく、時折車のエンジン音が遠くから聞こえる以外に音はほとんどなかった。

私だけがこの山の中に取り残されてしまったような気がして、孤独だ。と、そんなことを思っていると私が休憩するのを狙いすましたかのように先生から電話がかかってくる。

「どうした? 随分と遅いじゃないかタカ、もうたどり着いている頃だと思っていたのに、また立ち止まっているのか?」

「ええ、芦ノ湖から見える天球がきれいなんですよ」

「それがこじゃれた言い訳だと思っているなら、お前ただのさむい奴だよ。戻ってくるというから待っているのに。しかも芦ノ湖ということはまた下道を使っているな、たどり着く気はあるのか?」

「もちろん、朝までには必ずたどり着きますよ国道一号線が好きなんですよ。本当は歩きたいくらいなんですけれどね、あんまり急いでもいいことがないってわかっているので、先生がいつも急ぎすぎなんですよ」

「僕は公共の交通機関を使っているだけだから急いでいるつもりはないがな。そうは言ってもいや、モーターサイクル・ダイアリーズのバイクがすぐ壊れるのには本当に驚いたね」

「なんの話をしてらっしゃるのですか?」

「さっきまで見ていた映画さチェ・ゲバラの若いころの話、てっきりタイトルの通りに自動二輪で旅をする話なのかと思ったらわりに早い段階でバイクが壊れてな、それでお前のことを思い出したから、電話をしていることにしたんだ。康則は元気かい」

「バイクを私の兄の名前で呼ぶことをやめてください。でも箱根とか標高の高いところに来るとやっぱりキャブレーターの調子が悪いのかエンジンが安定しないんですよね、オイルとか冷却水とか最後に入れたのがいつだったのか覚えてないから、多分そのどちらかが原因で不調です。まあ、バイクは走るので問題はありませんが、星がなかなかきれいなのでもう少しここにいようと思います」

「そうか、星が……野郎にそんなロマンチックなことを言われると怖気震っちまうな。ま、確かその辺に星の王子さまミュージアムだかがあったし、サン=テグジュペリの小説のパイロットの気分でも考えながら、キャンプするなり野宿するなりしてくればいい、明日の仕事も昼過ぎからだし、墜落した場所で大切なものでも見つけてこい。帰ってこられなくなったら迎えに行くから電話しろ」

「どうかな? 彼らの視界の中にセブンイレブンがあってことなら喜んでそうしますが、そうでないなら今夜中には横浜に戻りますよ」

「星の王子様にはあったよ。人間の土地にはどうだったかな、夜間飛行ではイトーヨーカドーだね、夜には閉まっていた」

「というか、ミュージアムなんてあるんですよね、知りませんでした。ちょっと興味あります」

「感動するようなものは一切ないけれど、時間があるなら行ってみるとそれなりに暇はつぶせるぞ。なんかそのあたりの小説のことを思い出そうとすると、去年のこと思い出すんだよな、僕が乗っていたのはボーイングだし、操縦桿を握ったのは僕にまったく関わりなんてないどこかの誰かで、座っていたのはそれなりに快適なビジネスクラスだった。それに、もちろん墜落もしなかったのにな」

「へぇ。その話はまだ聞いたことがないですね、なんか変なことでもあったんですか?」

「いや……特に変わったことはなかったな、ただ海外旅行をだけか、ああ、そういえばお前にそこで出会ったのか、そのことを忘れていた。ただ海外に出たのが珍しかっただけだな、あと、お前を拾った」

「なんだ、あの国のことですか、私にとっては結構な人生の転換期でしたよ」

「お前は才気ある少年で済ませるくらいが調度よかったようなきもするんだよな。それで放っておけば、こんな夜中にお前がどこを走っているのか気にすることもなかったと思うのにな」

「いま、どうやって国道16号線に乗ろうか、そのルートを頭の中で模索しているところですから、少し待ってください。なんにせよ向かっている途中なんで、そんなに心配しなくても平気ですよ。事故には気を付けますし、まだ眠くもありません」

「ならいいか、それにしても16号線って、何だって無駄に遠回りをしたがるんだ? そのまま1号線でくればいいだろう。それなら何度も来たことのあるはずの道をわざわざ改まって探す必要もない」

「まあ、それに関しては趣味ですね、頭を適度につかいながら、ちょうどいい塩梅で遠回りをしつつ帰るのが楽しいんですよ。どうせ朝になるのはまだまだ先のことなんで」

「そうか、まあお前がそれで楽しいっていうなら他人がとやかく言うことじゃないな、ツーリング楽しんで来い。なんにせよ事故にだけは気を付けて戻ってこいよ。気のすむまで走ってこい」

電話が切れた後は決まって短い喪失があり、電話で誰かと話すよりも以前の強い孤独を感じる。

「さて」と気持ちを切り替えるために短くつぶやき、握りつぶしたコーヒーカップをゴミ箱に投げ入れた。

バイクにまたがりセルボタンを押しながら、徐々にエンジンの回転数を上げてゆく。音の波は徐々に湖畔へと広がり湖の闇を威嚇する。箱根山の夜霧はいつも私の姿を隠すように広がっていた。月の灯りのない暗い道だった。

先生は何年もかけて自分の遺した話を私に聞かせた。そして自分でそれを作ることができるように、五年間もの間、私の面倒を見てくれた。そこに対する感謝をいつも忘れたことは無い。




先生を思いとどまらせることが私にはできたはずだ。でも理不尽に人が死んでしまうことを辛いことだとそう思っていたのに、自ら死にたがっている先生のことを止める理由なんて何もないように思えてしまった。立派に十分な年月を生きた彼の願いを聞きとどけることが正しいことだったのかどうか私にはわからない。最後まで悩んだんだ。雪山で「ここまででいい」とそういった先生の手を引いて山を下りるべきだったのかどうか、本当はどうするべきだったのか、そこに正解があるのかさえ私にはわからない。

「こういうことだったのかもな」と一人つぶやく、先生も同じように過去に正しいのかどうかもわからないような選択をして、答えをくれる誰かにもう一度会いたくなってしまっただけなのかもしれない。



少しずつ先生は衰弱していった。

加齢とは別の要因があるように見えた。肉体的な問題ではなく精神のような。それに気が付いた時にはもう先生は心を決めてしまっていた。仕事の空き時間に何の気なしに先生がネットに投稿した動画を観ていると先生の様子にどこか違和感を覚えた。うまく形容できないが普段の先生の様子とは違う、全てをあきらめた後の人間のような、または肩の重荷をすべておろしたかのような、妙なすがすがしさがあって打てば今にも折れてしまいそうな弱さが見えて、今まで感じたことのない妙な不安が心の中に湧いてくるようで、一体何があったのかと思わずにはいられなかった。

本当の原因がどこにあるのかは私にはわからないが様々な要因が絡みあっているかのように見えた。原因がわからないからこそ、ストレスという言葉で片づけることが出来てしまいそうですらあって、実際、はたから見た先生はきっと正常だったのだろう。会いに行く前に数人に最近の彼の様子やら、何か変わったことなどないかと尋ねたのだが、知り合いのスタッフたちは金銭的な困窮とは無縁で、仕事場での様子もいつも通り、常に周囲に気を配っていたし、最近も数名の仕事仲間と旅行に行ったがとても楽しそうだった、と、はたから見ている分には普段と何も変わらないと言っていた。数人に電話をしたが帰ってくるのはそんな答えばかりで、どうにも納得がいかず妻に相談してみたものの、彼女も「活力にあふれていて相変わらず元気そうにしか見えない」と言うので、それ以上は他人に聞くのをやめた。全員が口をそろえて言うのが「仕事での疲れやら生活やらでいろいろとストレスがあるのだろう」とそればかりで結局のところ本人に直接聞いてみるしかないだろうと、おとなしく先生にいつならあるるかと電話で酒を飲む約束を取り付けた。


それから一月後、先生の家で酒を飲むことになり仕事先で買った珍味と地酒を何本か携えて彼の家を訪ねた。酒を注ぎテーブルに着いたところで彼は口を開く「過去を思い出すことが増えちまった」私が何を聞くよりも先に彼は自らそう言った「こういうのは時間と共に薄れていくものだと思っていたんだがな、どうしても語りたくてね。最近はそんな話ばかり作っちしまう。語る場なんてないし、誰に知られたくもないし、面白いものでもないっていうのにペンを持てば書き続けてしまうし、一人になれば頭の中で常に話を組み立てている。まいっちまうよ」先生は笑いながらそう言った。

「もう長くない。体は元気なんだがな、これ以上は持たない。表舞台から姿を消すことにした。体調不良なりなんなりって理由をつけて動画の投稿も、そのほかの仕事も今受けている分で終えることにした。

うつ病と言ってしまえばそれまでだが、なんだろうな。過去につかまってしまった。忘れたくない思い出と、思い出したくない失敗がセットになっているのがよくない。そうだ、僕がぶちまけたいのはあくまで僕自身の問題で、何を思っても変えることのできない過去のことだ。なんだろうな、これは。寂しさでもないし、後悔ってことでもないと思うんだ。だってこれまであの二人にリサと烏丸に報いるために生きてきたし、それがただの自己満足だったとして原動力になっていたのは確かなんだ。やり切ったってことはないのかもしれないが、誇ってもいいようなある程度の生き方はしてきたと思うんだ。

それが、今になって、あっけなく散っていったあの二人に対して色んなことを思ってしまって、あまつさえ会いたいとすら思ってくる。ボケちまっているんだろうな。無理だってことは頭の中でわかってはいるんだが、これ以上、続けるってことに耐えきれないんだよ。もう十分なんだ」



「もう十分ですか。先生、まだ私にできることはありますか?」

私がそう聞くと、それを待っていたというように、彼は含みのある笑みを浮かべ「タカ、さっきも言ったように僕はもう長くない。悪いんだけれど僕の最後の仕事を手伝ってくれないか?」心底楽しそうな声色でそんなことを聞いてくる。

「もちろんです何だろうと手伝いますよ」と言う他になかった。

「そうか、よかった。もう少しでまとまりそうなんだ。自分の昔のことをまとめるだけだからすぐに終わるだろうと思ったのだが、無駄に長く生きちまったな」

「先生が昔のことを語るなんて珍しいですね」

「誰かに話すことも、話そうと考えることもしてこなかった。そんな機会もなかったし、分かち合う相手はもういないし、誇れるような栄光もなかったから」

「どうしましょうか? 大橋さんに頼んでどこか劇場おさえてもらいましょうか?」

「いや、そうじゃない。この話だけはそうじゃない。いいか、僕はこの冬に遭難する。一人で雪山に入ったことにしてそこでこの話をする。誰も来ないような冬の山に入って語るのにちょうどいい場所を見つけてそこで話をしてくる。修行僧のように。タカ、お前に僕が無事にその場所までたどり着けるように手伝ってほしい。誰も分け入ってこないような雪山を選ぶつもりだ。そして春になってら失踪届を出してくれ、お前が探すか探さないかそれはお前に任せるよ、帰れそうなら自分一人で帰る。でも、どんな結末になっても僕を故郷の海まで帰しておくれ」。



・18


『見るなと言ったところでお前は僕がいなくなったあとで勝手に見だろうから、止める術はないな』先生はあの夜、私にそう言ったけれど、私はまだ彼の最後の話にたどり着けていない。


先生が書斎に使っていた部屋のウォークインクローゼットの中には、彼が今まで書き留めてきたものが様々な形で保管されていた。丁寧にファイリングされたものもあれば、ホッチキスで止められただけのメモ用紙の束だったり、日焼けなのかシミなのか紙の外側だけが黄色く変色してしまったノートブックだったり、第三者の手でしっかりと清書、印刷、調本されたものまで、全てが整然と意図を持ってしまい込まれていた。

 過去に教えられたもの、先生が舞台の上で演じていたもの、ついぞ表に出ることのなかったもの、一つ一つの紙の束を手に取ってめくっていくたびに先生に言われた言葉や過ごした日々が話の内容と重なって、めくるたび先生の姿を思い出す。

初めて会った異国の港で煙草の煙に包まれた姿が、雪国の終わらない冬のように寂しげだった。仕事で寄った数年ぶりだという伊豆への旅で年甲斐もなくはしゃぎ回る姿がうっとうしかった。二人で深酒をするたび、互いに意味の分からないことを言いながら心底笑いあった。人前で話すのなんて慣れているはずなのに、私の結婚式でスピーチをするとき目に見えて緊張していたのがおかしかった。揉めると必ず飯に連れていかれて、気が付けば仲直りをしていた。私の娘をとても大事にしてくれて、生まれた報告をしたときには両親よりも早く病院に来て「よかったな、よかったなあ」と何度も言いながら力強く私の肩を抱いていてくれた。私の身長が自分よりも高いのが不満なようでよく文句を言った。自家製のしめ鯖を冷蔵庫に常に入れていてなくなりそうになるたび、どこかへ鯖を買いに出かける。突発的に二日か三日誰にも何も言わずに行方をくらませてはどこか遠くを旅してくる。旅から帰ると酒を飲もうと私を呼び出して、旅の途中で見たものを無邪気に語っては、疲れたと子供のように眠ってしまう。そうして舞台の上、うわ言のように昔の思い出を語り始め、夜ごと過去へと帰ってゆく。

「老人は過去にいきるものさ」と、あきらめたように笑って。雪原の吹雪の中、強く握った手のぬくもりを最後に、私に未来を託して枯れる。

一枚一枚めくっていくたび先生の過去に会うことができた。


何百枚もの紙の束、その中を自由気ままにタイムトリップするかのように現れる先生の面影が懐かしくて、移動中の暇つぶしのために買ったはずのゴシップ誌を夢中になって読み切ってしまうかのように、気が付けば随分と時間がたってしまっていた。


クローゼットから外に出て書斎の窓を開けるとミミズクの鳴く声が聞こえた。会話をするかのように数羽が交互に鳴いている声が森の奥から段々と近づいてくるようだった。振り子時計が時を刻むように一定の間隔で届くその鳴き声を集中して聞こうとすればするほど本当の距離がわからなくなる。


私は夕闇の迫る薄暮の向こうに広がる森を見つめた。


ぼんやりと広がる夕闇の中の森の中で私は芦ノ湖のほとりに立っていた。先生からの電話はなく、いっこうに明けることのない夜の中にいるその私は、目の前に広がる満点の星空を眺めながら、一人きり、来るはずのない白夜を待っていた。


先生は、もう遠くへ行ってしまったのだろうか?

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