スーパーマーケット
第24回新風舎出版賞、3次審査落選作品(笑)
歩みを進めていく内に、前方にスーパーマーケットが見えてきた。そこのスーパーは、自分が最もよく行くスーパーで、家から一番近いスーパーでもあった。私は傘からカゴへと持ち替えると、店内へと入って行った―
“一人暮らし”という位なので、なんでも一人でやらなければならないのだが、その中でも大変なのが、食事面だ。毎日外食のいうのが一番楽でいいのだが、気持ち的に許せないものがあるし、何よりそんな贅沢をする程のお金の余裕もない。なので、結果、自炊がメインになっている訳で、食糧を買いにスーパーにはよく行く。自分の中では、コンビニ禁止令発令中である。料理を作るといっても、そんな凝ったものを作る訳でもなく、第一、そんな技術もなく、買ってきた食材を焼くだけといった程度で、はたして料理と呼んでいいのかさえ疑問だが、食材選びだけは一丁前にうるさい。といっても、魚の目利きが出来たり、これは外国牛を国産牛と偽って販売しているといった専門知識がある訳ではなく、いかに安く買うかといった、ただそれだけの限り無く小規模なものだ。例えば、肉を買う時は、ほぼ、半額のシールが貼ってある物しか買わない。いや、買えない。自分にとって、半額シールが貼っていない物は商品価値はなく、むしろ半額商品の物が正規の値段で、半額商品ではない物は2倍増しだという発送をもっている。なので、半額商品が無かった時は、肉が買いたくても買わないという事がよくある。しかし、この半額商品を買うにあったって、乗り越えなければならない大きな壁がある。それは、レジの時の会計の際に、「半額になります」と思いっきり言われるのを耐える事だ。あれは、かなり恥ずかしい瞬間だ。後ろに人が大勢並んでいる時にそれを言われたら最悪だ。そして、自分は声を大にして言いたいのだが、あの行為をどうにか改善してくれないだろうか。スーパー側のそれを言わなければいけないという方針もなんとなく分かるような気もする。おそらく、“ちゃんと半額値をつけている”という確認なのだろう。それは、しっかり半額値をつけて打っているかを鋭い眼差しで見つめるババア対応のマニュアルでもあるのだろう。しかし、ほとんどの人の場合、「間違っても構わないから“半額になります”とは言わず、極秘で半額値を打ってくれ」と思っていると思うし、自分だけか?仮に半額になっていなかったとしても「半額になっていませんよ」とは言えないと思うし、自分の場合、一回家に帰ってレシートを見たら半額になっていなかった事があって、それをわざわざスーパーに乗り込み戻って、店員に「これー、半額になってないから半額にしてくれませーん?本当にこういう事されると困っちゃうのよねー」と言いに行ける訳もなく、レシートに担当者名が載っていたので「あの鈴木(仮)のヤロー!」と、ちょっとした殺意を抱きつつも、たった何百円の額で、布団に泣き寝入りした。なので、もっと違う、誰にも傷付けない、それでいてみんながハッピーになれるような、良い方法はないのだろうか。例えば、「半額になります」と言うのを小さい声で言う。しかし、それだと何か気を使われているみたいで、なんか半額商品を買うのがとても悪い事のようなのでパス。「半額になります」というのを咳払いに変えてみる。やっぱりそれもなんかいやらしいのでパス。スーパーの関係者の方が何かいいアイデアを考案してくれるのを待とう。そんな事をいいつつ、買った商品全て半額という事がある自分だが、その「半額になります」と言われるのが恥ずかしくなくなった時、自分自身終わりだとも思っている。
更に自分は、スーパーの閉店時間ギリギリを狙ってよく行く。それは、半額商品が多く出る時間帯だからだ。蛍の光が流れる中、あれはもう直ぐ半額シールが貼られるなと、その時を待って、無意味に近くをウロウロしたりしている。そして、半額シール貼りのおっさんが来たのを見計らって、自分が狙っていた物に半額シールが貼られたと同時に「ヨイショー」と取る。主婦冥利につきる瞬間でもあり、嫌な瞬間でもある。しかし、同じスーパーには連続しては行かない。それは、「またあの人、閉店ギリギリに来てるわ」と噂されないようにだ。万引き常習犯のブラックリストならぬ、閉店ギリギリ常習犯のブラックリストがあるならば、載りたくない為でもある。もしかすると、店員に“蛍の光”というシャレたニックネームや“閉店ギリ男”、もしくは、“半額君”といったふざけた愛称を付けられている可能性がないとは言えない。「あ、蛍の光また来た」とか、「閉店ギリ男がやってきた」とか、もしかしたら、朝のミーティングかなんかで、「今日は、半額君の来店を半額シールを貼る時間にしましょう」とか言われてるのかも知れない。
あとよくあるのが、「これからタイムサービスになります」といった店内アナウンス。それを聴いた直後にそこの場所に急ぐのも何か必死みたいで嫌なので、さり気なく、むしろ、「そんな安物買うつもりはサラサラないね」位の勢いでゆっくりと向かう。本当はめちゃくちゃ買いたくて、今直ぐにでもそこに猛ダッシュして、主婦達を押し退けてでも行きたいにも関わらず、冷静を装ったりしたりする。
やはり安いにこした事はなく、新聞をとていればスーパーのチラシが入っていて、今日はどこで何が安いという情報が得られるのだが、自分は新聞をとっておらず、その手段がとれないのが残念だ。しかし、こう色々なスーパーを廻っていると、どこが一番安いかなどが分かってくる。物によってそれは異なり、肉ならあそこ、野菜ならあそこと把握はしてはいるが、わざわざスーパーのはしごをする主婦の鏡的行動を起こす気力もないのでやってはいないが、1円でも安い物を買う為に、隣町まで自転車で行くというのが本当の主婦の鏡なのだろう。
スーパーでいつも苦戦するのが、スーパーのビニール袋を開ける行為だ。いつも一発では開けられない。どこのスーパーのサッカー台には、袋を開けやすくする液体を染み込ませたスポンジがかならずあって、それを使えば簡単に開けられるのだろうが、自分には、それを使ったら負けみたいな変なこだわりがあって、いつも袋を開けるのに悪戦苦闘している。自分が苦戦している際にも、主婦達はあっさり商品を詰め終わり、スーパーを出て行く。レジの会計の際、自分の後ろに並んでいた人達も次々と自分を抜いて行く。あまりにも開かないので、チラっと無意識にそのスポンジを見てしまい、「使っちゃおうかな」という衝動に駆られたりするが、何とか頑張り、ようやく開けられるというのがよくあり、困っている。
自分には、スーパーでなるべく買いたくない商品がいくつかある。それは、長ねぎ・フランスパン・オレンジの3つだ。なぜなら、長ねぎとフランスパンは、どうしても袋から飛び出してしまい、ドラマかマンガの買い物のよくあるシーンみたいで自分自身、おかしくてしょうがないからだ。それとオレンジも、坂道でこけてオレンジを転がしてしまうという、ドラマでは有りがちな、現実では、バナナを踏んですべる人くらい有り得ないシーンを再現してしまうのを恐れているからだ。カゴに入っている時点で想像してしまい、笑けてくる。「スーパーでこんな事を想像している奴は自分だけだな」と思い、更に笑けてきて、それを押し殺して必死に耐えている。そんな変な事を思いながら、カゴを持って、スーパーをグルグル廻る日々である。
続く...




