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短編小説(異世界恋愛)

壁の花は意外と麗しい

作者: 三羽高明

「皆様、ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 さる貴族家が主催するパーティーの会場。壁際にいたジュリアは、にこやかに談笑する人たちを遠くから眺めていた。


(私も、思い切って誰かに話しかけたほうがいいのかしら?)


 ジュリアはスカートの中でつま先をモジモジと動かした。だが、どうにも気が進まない。ジュリアは近くにいる同年代の令嬢たちをこっそりと観察した。


(皆とても綺麗。それに比べて私は……)


 ジュリアは自分の顔に手袋をはめた手で触れた。丸い輪郭に重たげな一重まぶた。特別に美人でもないし、かといって強烈なインパクトを与えるほどの不器量でもない。要するに、平凡極まりない見た目だ。


 それだけでも気後れを覚えるには充分だが、ジュリアは家柄も中くらいだし、性格も引っ込み思案。加えて、こういう場には不慣れときている。


 実は、今日は彼女の社交界デビューの日だったのだ。


(この歳まで社交界に未進出だったってことをネタにすれば、少しは場を盛り上げられるかしら……?)


 ジュリアはもうすぐ二十歳だった。本来なら社交の場に出るという一大イベントはとっくに済ませている年齢である。


 だが、ジュリアは幼い頃からなぜかパーティーの日になると決まって熱を出したりお腹が痛くなったりして、宴の場に出ることが叶わなかったのだ。


 もうこうなったら、一生社交界デビューなどしなくてもいいのではないか。


 内気なジュリアは内心そんな展開を期待していたのだが、両親が許してくれなかった。


 ――これ以上デビューが遅くなると、取り返しがつかなくなる。


 そんなふうに何年間もお説教をされ続け、ついにジュリアは根負けしてしまった。そして、頭痛薬をしこたま飲んで、こうして渋々パーティーに出席することになったのである。


 だが、両親はただ宴に出ることだけを娘に望んだわけではない。ジュリアは両親からのアドバイスを思い出していた。


 ――壁の花にだけは甘んじるんじゃないぞ。


 壁の花というのは、パーティーで誰からもダンスに誘われず、壁際でポツンと立っている令嬢を指す言葉だ。分かりやすく言えば、今のジュリアのことである。


 両親はなにもジュリアが憎くてこんなところへ送り込んだわけではない。そのことは彼女も理解していた。二人は娘の内向的な性格を死ぬほど心配しているだけなのだ。


 そうと分かっているから、ジュリアも何とかして二人の期待に応えたいと思っていた。


(喉を潤したら、頑張ってその辺の人に話しかけてみましょう。もしかしたら、その流れでダンスとかに誘われるかもしれないし。……大丈夫。知らない人と踊るなんて考えただけで緊張するけど、ダンス自体は得意だもの)


 ジュリアは思いきって壁際から移動し、テーブルから飲み物を取り上げた。


 その時、談笑しながら歩いてくる集団がジュリアの後方を通過する。その内の一人がジュリアにぶつかった。


 その弾みでジュリアはグラスを傾けてしまう。あっと思った時には遅かった。ジュリアは飲み物を近くにいた人に思い切りぶちまけていた。


「す、すみません!」


 ジュリアは慌てふためいた。ハンカチを取り出し、無作法を働いてしまった人の服を綺麗にしようとする。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい! なんとお詫びしたらいいか……!」


 パニックになりながらジュリアは顔を上げた。


 その時初めて、ジュリアは飲み物をかけた相手がどんな人かを知った。


 黒髪と黒い目の青年だ。年はジュリアと同じくらいに見えるが、恐らく性格はまるで違うだろう。どことなく傲岸不遜な雰囲気が漂っていた。


 青年は、初めはジュリアのことをポカンとした様子で見つめていたが、段々と表情が歪んでいく。その形相の恐ろしいこと。心臓が凍りついたジュリアは、あっという間に竦み上がってしまった。


「も、申し訳ありませんでした!」


 それだけ言って、ジュリアは会場から全力疾走で逃げ出した。


 こうして、ジュリアの社交界デビューは目も当てられない結果に終わったのだった。



 ****



「はあ……」


 その日から一週間後、ジュリアは今度は別の貴族が主催する宴に参加していた。


 とはいえ、来たくて来たわけではない。あの最悪のデビューをジュリアはまだ引きずっていた。だが、「たった一度の失敗で諦めるとは何事か」と両親に叱られ、仕方なく会場に足を運んだのだ。


(だけど、二度目のパーティーも一度目と同じになるに決まってるわ。私は壁の花になるしかない。……まあ、今回は誰にも飲み物をかけないようにだけは気をつけるけれど)


 そんなことを考えながら、壁際で一人で苦笑していると、「おい」と話しかけてくる人がいる。


(え……?)


 重苦しかったジュリアの気分は一気に晴れ渡っていった。


(もしかして、ダンスのお誘い!?)


 ジュリアは「はい!」と元気に振り向いた。


 だが、すぐにその軽率な行動を後悔する。


「探したぞ。やっと見つけた」


 そこにいたのは前回のパーティーでジュリアが飲み物をぶちまけてしまった青年だった。相も変わらずのしかめ面に、ジュリアは血の気が引くのを感じる。


「あ、あの、私……」


 ジュリアはおずおずと後ずさりする。しかし、そんなジュリアの腕を青年はがっしりと掴んだ。


「今日は逃がさないぞ」


 青年は不敵な笑みを浮かべる。ジュリアはもう少しで悲鳴を上げそうになった。


「ここは人が多すぎるな。場所を移すぞ」


 ジュリアは青年に腕を掴まれたまま、控えの間まで引っ張っていかれた。あまりの恐ろしさに抵抗もできない。


(どうしよう、どうしよう……! 「あの時はよくも!」って言われて、ひどいことされるかも……)


 控えの間で青年と向かい合ったジュリアは、息苦しさを感じ始めていた。寒くもないのに体がガタガタと震えてくる。


「武者震いか?」


 青年はふんと鼻を鳴らす。


「今日俺がお前をここへ呼びつけたのはほかでもない。決闘を申し込むためだ」

「け、決闘!?」


 ジュリアは素っ頓狂な声を出した。


「む、無理です、無理です! 私、戦いなんてできません! 汚してしまったお洋服は弁償しますから、どうか許して……!」


 まさかの展開にジュリアは狼狽えたが、青年は黒い目を酷薄に細めた。


「戦えないだと? 嘘を吐くな。お前は俺の傍に気配を消して忍び寄り、こちらに気取られることなく懐に飛び込んできた。あそこが戦場なら、俺は首を取られて死んでいただろう」


「戦場……」


 そういえば、彼は軍服を着ている。もしかして軍人なのだろうか。


「あんなことができるのは腕の立つ百戦錬磨の戦士以外にない。隠しても無駄だ。俺はお前の正体をとっくに見破っている!」


 青年は高らかに宣言したが、ジュリアは呆気にとられてしまう。


(この人……とてつもない勘違いをしているわ……)


 ジュリアはその辺にいるごく普通の令嬢だ。百戦錬磨どころか、戦場に出たことすらない。大体、彼に飲み物をかけてしまったのだって、まったくの偶然である。


「俺の名前はエルビス。お前の名も教えろ」

「ジュリア……ですけど……」


 ジュリアはモゴモゴと返事した。


(どうしよう……本当に決闘なんかするの?)


 ジュリアは胃がしくしくと痛み始めるのを感じた。


(無理よ! 絶対に無理!)


 ここは勇気を出すべきだ、とジュリアは思った。いくら自己主張が苦手といっても、このままだと大変なことになってしまう。


「あの、エルビスさん。あなたは色々間違っていると思います」

「そんなわけあるか」


 ジュリアの必死の訴えを、エルビスは一瞬ではねつけた。


「俺はジュリアを一目見た時から分かっていたんだ。お前は俺の手によって何が何でも倒さなければならない存在! 運命の相手だと!」


(……それをいうなら「宿命の敵」では?)


 先ほどの反論ですっかり気力を出し切ってしまったジュリアは、声に出すこともできずに心の中でそうツッコんだ。


 だが、当の本人は自分が言い間違いをしたとは気づいていないらしい。「お前も俺のことを運命の相手だと思うだろう?」と聞いてくる。


(ひょっとしてこの人、あんまり頭がよくないんじゃ……)


「さて、決闘を始めるぞ!」


 ジュリアの返事を待たず、エルビスが意気揚々と言った。


「どこからでもかかってこい!」


 エルビスは鷹揚な仕草で両手をいっぱいに広げた。戦うというよりは、これからハグすると表現したほうがよさそうな雰囲気だ。


(どうしたらいいの……?)


 もちろん、ジュリアは戦いなどできない。決闘なんか申し込まれても困るのだ。どうしてこの人はそれを理解してくれないのか。


 だが、この前のように逃げることはできないだろう。ジュリアは一度逃亡に失敗しているし、今だってエルビスは扉の前に立っている。ここから出るには、どうにかして彼をやり過ごさなければならない。


(でも、まさかエルビスさんの屍をまたいでいくわけにもいかないし……)


 ここは形だけでも戦っておいて、さっさと彼に勝ちを譲ったほうがいいかもしれない。


 そうすれば、エルビスだってジュリアが戦闘能力などない平凡な令嬢だとすぐに分かるだろう。それに、いくら彼が無茶苦茶な人だとはいっても、一応騎士なのだし、か弱い女性の命までは取ろうとしないはずだ。


 そんな儚い望みに賭けて、ジュリアは震える足で一歩踏み出す。そして、エルビスの頬をペチンと軽く叩いた。


 恐ろしく弱い打撃。こんなもの、彼は蚊に刺されたほどの痛みも感じないに違いない。


 ジュリアはそう思ったのだが、予想に反してエルビスは頬を押さえて固まってしまった。


「目潰しだと!? そういう手も使えるんだな!」


(あ、あれ?)


「さすがは俺の運命の相手だ! くそっ! 今日のところは負けを認めてやる! だが、次はないぞ! 首を洗って待っていろ!」


 捨て台詞を残し、エルビスは控えの間から去っていった。ジュリアは自分の手のひらを呆然と見つめる。


(私……勝っちゃったの?)


 どうやらエルビスの察しの悪さは想定以上だったらしい。同時にジュリアは、これからも彼と鉢合わせる度に、決闘を申し込まれる羽目になるだろうという嫌な予感を覚えたのだった。



 ****



「今日も出会ってしまったな、ジュリア」


 それから数日後の別の宴の席にて、壁際にいたジュリアはまたしても好戦的な笑顔のエルビスに声をかけられていた。


「目と目が合ったからには始めるぞ! 血で血を洗う壮絶な戦いを!」


 有無を言わせぬ態度でエルビスはジュリアを人気のない空き部屋に引っ張り込んだ。ジュリアは気が遠くなる。


(やっぱりこうなるのね……)


 不幸にも自分はおかしな人に目をつけられてしまったらしいと悟ったジュリアは、もう社交の場に出るのは嫌だと両親に駄々をこねた。


 だが、二人は取り合おうとしなかった。それどころか、「ジュリアを気に入ってくださる男性がいるなんて、ありがたいことじゃないか」と言われてしまう。一体どこをどう見れば、これが「気に入られた」となるのやら。


 主張の通らなかったジュリアは今日もこうしてパーティーに出席するしかなかった。その結果、予想どおりにエルビスと「決闘」をすることになったというわけだ。


「俺はいつでも構わんぞ! 今日こそはお前に打ち勝ってみせる!」

「は、はあ……」


 言葉で説得することなど、ジュリアはとっくに諦めていた。彼は少々思い込みが激しいようだ。ジュリアがエルビスから解放される方法はただ一つ。どうにかして彼を決闘で勝たせて満足してもらうのである。


(って言っても、普通に戦ったら、私が負けることはそう難しくはないはずなのだけど……)


 ジュリアは困り果てながらもエルビスの元へ駆け寄った。


 その拍子にドレスの裾を踏んでしまった。体がガクンと傾く。


「きゃ……!」


 ジュリアは前のめりになって床に転がった。エルビスが「何をしているんだ」と不審そうな声を出す。


「何もないところで転ぶなんて、歴戦の勇士も意外と抜けているんだな。ほら、俺の手に掴まれ」


「ううっ……。すみません……」


 思ってもみなかったエルビスの優しさに戸惑いつつも、ジュリアは慌てて起き上がろうとした。


 だが、予想外のことが起きる。エルビスが思ったよりも近くにいたせいで、ジュリアの頭が彼の顎の下に直撃したのだ。


「う゛っ……!」


 今度はエルビスが床に尻もちをつく番だった。ジュリアは真っ青になる。


「ご……ごめんなさい!」

「……しまったな」


 エルビスは顎を押さえて涙目になっていた。


「すっかり忘れていた。ジュリアは搦め手の天才だということを。俺を油断させておいて必殺の一撃を食らわせるとは……!」


(違います!)


 なんということだろう。またしてもエルビスに勘違いされてしまった。前回「目潰し」した時のことを思い出す。どうして彼はこんなにも想像力がたくましいのだろうか。


「お前はとてつもない強敵だな。だからこそ倒す価値があるというものだ。やはりジュリアは俺の運命の相手だ!」


 しかも、負けたのになぜか喜んでいるではないか。エルビスの思考回路の意味不明さに、ジュリアは困惑するしかない。


「あの……ええと……エルビスさん」


 ジュリアは頭を抱えながら口を開いた。


「勝負なら、あなたの得手とする内容でしましょうよ。そのほうが、お互いのためにとってもいいと思うんですが……」


 どうにかして負けたくてジュリアがそう言うと、エルビスは「大した余裕だな」と感心したように言った。


「どんな分野においても、自分は負けなしと言いたいわけか? だが、ハンデをつけてもらうなど俺の性に合わん。どうせなら、お前の得意なことで戦って勝ってやる。さて、何で勝負する? 剣術か? 組み手か? 何でもこい!」


「そ、そういうのはちょっと……」


 ジュリアは狼狽えた。


「私の得意なことといえば……ダンス……ですかね」

「ダンスか」


 剣術や組み手と比べればかなり平和的な勝負内容だが、エルビスは動じたふうもない。こちらに向けて手を差し出してきた。


「この部屋にいても会場で演奏されている曲は聞こえるからちょうどいい。踊るぞ」


「え……ここで、ですか?」


「当たり前だ。決闘は神聖なもの。命のやり取りを人前で見せびらかすわけにはいかんだろう」


(命のやり取りなんてした覚えはないのだけれど……)


 心の中でツッコんでいると、エルビスに引き寄せられた。腰に手を回される。


「エ、エルビスさん!?」

「さあ、いくぞ」


 エルビスはそのままステップを踏み始めた。ジュリアも慌てて彼の動きに合わせる。


(何でこんなことに……?)


 エルビスと踊りながら、ジュリアの頭の中は疑問符でいっぱいになっていた。


(パーティーで誰かにダンスを申し込まれるのは、私の目標の一つだったけれど……)


 まさかその相手がエルビスとは。意外な展開だ。


 というか、今回だけではない。ここに至るまでの全てが予想外の出来事の連続だった。


(私は目立たない壁の花だった。それなのに、気がつけば訳の分からない人に因縁をつけられて勝負を挑まれ……。……本当に、どうしてこうなっちゃったのかしら?)


 ジュリアが困惑していると「どうした?」とエルビスが言った。


「俺の踊りが上手すぎて声も出ないか? この勝負、もらったな」


 確かにエルビスのダンスは上手だった。技量自体は並み程度なのだが、一つ一つの動きが堂に入っているのだ。所作を間違ったとしても、周囲にそれと気づかせないだけの自信に溢れている。まったくもって彼らしいことだ。


「だが、油断するつもりはないぞ。自己申告するだけあって、お前の腕前も中々のものだ。これは相当鍛練を積んだと見える」


「別に鍛錬だなんて大げさなものは……。ダンスは好きだから、自然と練習する回数も多くなったというだけです」


 ジュリアは緩くかぶりを振った。


 内向的なジュリアは基本的には室内でじっとしていることを好むのだが、ダンスだけは別だった。大して運動が好きなわけでもないのに、踊っていると自然と心が和むのだ。


「踊りは自分を表現する手段だからな」


 少々抜けているところのある彼にしては珍しく、エルビスは意味深長なことを言った。


「声の大小、仕草、身につけているもの。そういったところに人となりは出る。自然と心が丸裸になっているんだ」


「……なるほど」


 ジュリアは頷くしかない。


(消極的で控えめな私には地味な容姿。彼の言っていることは正しいわ)


 ジュリアはやれやれと肩を竦めたものの、エルビスは「だからこそ、お前は興味深い存在だ」と続けた。


「ジュリアの外見からは何一つ手練れと分かる点がない。一見したところ、お前は大人しくかわいらしい令嬢だ。だが、その実は……」


「か、かわいらしい!?」


 ジュリアはステップを踏み間違えて、危うくエルビスの足を蹴飛ばしそうになった。


「わ、私、かわいくなんてないですよ!」

「何を言っているんだ。ジュリアはかわいいだろう」


 エルビスはケロッとした顔をしている。どうやらジュリアをからかおうとしているわけではないらしい。


「……そんなこと、初めて言われました」


 ジュリアは頭から湯気が出そうになりながら下を向いた。「そうなのか?」とエルビスは意外そうな声を出す。


「おかしなこともあったものだな。……まあいい。周りの評価なんか気にするな。俺がかわいいと言えばかわいいんだ。運命の相手の言うことは信じるべきだぞ、ジュリア」


「はあ……」


 ジュリアはドギマギと返事した。エルビスと密着してダンスを踊っているのが、急に恥ずかしくなってくる。


 パーティー会場から流れてくる音楽が終わり、二人はダンスを終了した。けれど、ジュリアはまだエルビスの顔をまともに見られない。


「俺のダンスが一級品なのはいつものこととして、お前もやるじゃないか」


 エルビスは満足そうに言った。


「今回の勝負は引き分けにしておいてやろう。決着は次回に持ち越しだ」


 そう言って、エルビスは控えの間を去っていく。その後ろ姿を見つめながら、ジュリアは彼と決闘をすることになってよかったかもしれないと初めて感じていた。



 ****



 数日後。ジュリアは自宅の姿見の前をウロウロしていた。


(この服……少し地味かしら?)


 ジュリアが体に宛がっていたのは、今日出席する予定の夜会に着ていくドレスだった。


 色は茶色で装飾品も少ない。落ち着いた、といえば聞こえはいいが、要するにぱっとしない服だった。


(エルビスさんは「勝負は次回に持ち越し」と言っていた。きっと今日の夜会にも彼は来るに違いないわ。それで、私に決闘を……というより、ダンスを申し込む)


 ジュリアは低い声で唸る。


(エルビスさんはダンスに誘った相手がこんなに地味な装いをしていたら、どう思うかしら?)


 彼に「かわいらしい」と言われたことを思い出し、ジュリアは頬が熱くなるのを感じた。


(この茶色のドレスは全然かわいくないわ。こんなのを着ていっても、彼はまだ私を「かわいい」と言ってくれるの?)


 誰かにかわいいなどと褒められたのは、あれが初めてだったのだ。


 ジュリアも年頃の乙女である。男性からそんな評価をされれば、自然と浮かれてしまう。それと同時に、その評判が一日でも長く続きますようにと願わずにはいられなかった。


(そのためには、こんなドレスを着ていくわけにはいかないわね)


 意を決したジュリアは別の服を用意することにした。使用人を呼び寄せ、新しいドレスを持ってこさせる。


 そうしてジュリアが手にしたのは、コットンキャンディーのような優しいピンク色をした服だった。


 いつもなら、「こんなの、私には似合わない」として選ばないような色だ。だが、今日のジュリアは違った。思い切ってこれに袖を通すことにしたのである。


 その後足を運んだ夜会の会場で、ジュリアは案の定エルビスに声をかけられた。


「どうした、今日はいつもと雰囲気が違うな」


 普段は開口一番に決闘を申し込むエルビスだが、今日の彼は壁際のジュリアを見るなり、その服装に真っ先に目を留めたようだった。


「俺との決闘に合わせてめかし込んできたというわけか。いい覚悟だ。だが、騙されんぞ。かわいいジュリアがかわいい格好をして余計にかわいくなったところで、手心を加えると思ったら大間違いだ」


 この短い間に三回も「かわいい」と言われ、ジュリアは赤くなった。着てくるドレスを変えて本当に良かった。


 エルビスに手を引かれ、空き部屋に連れて行かれる。だが、今日はそこに先客がいた。部屋を掃除中の使用人だ。


「邪魔だ。失せろ」


 エルビスは邪険に言い放った。


「俺は今からここで運命の相手と神聖な一時を過ごすつもりだ。二人だけにさせろ。覗き見などしたら承知せんぞ」


 少々誤解を招きそうな言い方である。使用人はエルビスの迫力に圧倒され、早々に退散していった。


「よし、踊るぞ」


 エルビスがジュリアの手を取った。


「やっぱり今日もダンス勝負なんですね」

「当然だ。勝敗がつくまで勝負内容を変えるつもりはない」


(だけど、その「勝敗」というのはあなたのさじ加減でしょう?)


 ジュリアには彼がどういう基準で勝ち負けを決めているのか分からなかった。


 ただ、今までの勝負と比べれば随分と穏やかだし、ジュリアもダンスは好きだったので、決着がつくのはもう少し後でも構わないかなと思ってしまう。


「お前が笑ったところ、初めて見たな」


 ふと、感慨深そうな声が聞こえてくる。顔を上げると、エルビスの黒い瞳と目が合った。


 どうやらニヤけていたらしいとジュリアは初めて気づいた。固まっていると、エルビスが目を細める。


「言っておくが、そんなかわいい顔をしても俺は攻撃の手を緩めるつもりはないぞ」


(また「かわいい」って言った……!)


 どうしてこの人はこんなに地味な容姿を褒めまくるのだろう。これでは、「私って実はかわいいの?」と錯覚しそうになるではないか。


「だが、お前のそういう顔はいいものだな。ぱあっと可憐な花が咲いたようだ」


 エルビスはあまり利発とも思えないのに、たまにこういう聞き捨てならないセリフを吐く。ジュリアは高鳴り始めた心臓の音を聞きながらうつむいた。


「どうした、上を向け」


 その途端に腰に回っていたエルビスの手が伸びてきて、ジュリアの顎をすくう。


 強制的に顔を上げさせられたジュリアは、エルビスと至近距離で向き合うことになった。


「それでは、花は花でも落花だぞ。俺は堂々と咲き誇る名花のほうが好きだ。だからお前も真っ直ぐ前を……いや、俺だけを見ていろ」


(また無茶苦茶なことを言って……)


 けれど、その有無を言わせぬ迫力にジュリアは抗えなかった。逆らえばひどいことをされると怯えたからではない。ただ、純粋に彼から目が離せなくなっていたのだ。


 それはエルビスも同じだったのかもしれない。彼もまた、魅入られたようにジュリアを見つめていた。


 結局、今日も勝負がつかなかった。二人はまた次回も踊ることを……というより、エルビスが一方的に決闘(ダンス)の申し込みをして別れることになった。



 ****



 ピンク色のドレスを着た日から、ジュリアは少しずつ変わっていった。今までオシャレなんかほとんどしてこなかったのに、お化粧をしたり、髪を念入りにお手入れしたりするようになったのだ。


 そんな変化にエルビスは敏感に気づく。そして、毎回「そんなに愛らしい装いをしたって俺はほだされんぞ」「大輪の花だろうが容赦なく手折ってやろう」等のコメントを寄越してくる。


 そんなことが続き、ジュリアは次第に見た目だけではなく心まで生き生きとしてくるようになった。まるで萎れた花に水が与えられてみずみずしい姿を取り戻したように、表情が明るくなり、存在感を放ち始めるようになったのだ。


 こうなってくると、いつまでも壁の花でいられるわけもない。あるパーティーで、ジュリアは見知らぬ男性に声をかけられた。


「お一人ですか?」


 感じのよさそうな青年だった。こういうことに慣れていないのか、顔を赤くしてモジモジしており、その様子がなんともうぶで微笑ましい。


「僕たち、何度かパーティーで会っているんですけど、覚えていませんよね。僕、前からあなたのことが気になっていたんです。綺麗な方だなって。でも、なかなか話しかける勇気が出なくて……」


(前から私のことが気になっていた、ですって? それに……私が綺麗?)


 正直に言って、ジュリアは青年とどこかで会った記憶などなかったが、こんなことを言われれば悪い気はしない。ジュリアが目を丸くしていると、青年はさらに頬を赤く染めた。


「ですが、今日こそはと思って、こうしてお声をかけたんです。よろしければ、一曲お相手願えませんか?」


 ジュリアの口元が緩んでいく。男性から話しかけられただけではなく、ダンスにまで誘われるとは。


 周囲を見回せば、気のせいかもしれないが、こちらをチラチラ見ている男性がほかにも何人かいるようだった。


 ひょっとしたら彼らもジュリアとダンスをしたいのかもしれない。うぬぼれだろうか。しかし、ジュリアにはそうとは思えなかった。


 ジュリアは背後の壁にはめ込まれている巨大な鏡に自分の姿を映してみた。


 艶やかに化粧をし、明るい色のドレスに身を包み、背筋をしゃなりと伸ばした令嬢。それが今のジュリアだ。この姿なら、一緒にダンスをしたいと思う人がいてもおかしくはないだろう。


(私はもう、壁際だけに咲く花じゃないのね)


 ジュリアは感動に近い驚きを覚える。いつの間に自分はこれまでとはまったく違う女性に変身していたのだろう。一体何がきっかけでこんなふうになったというのか。


「あの、ジュリアさん?」


 ジュリアが物思いにふけっていると、近くから声がした。ジュリアははっとなる。自分の変貌に見とれていて、人と会話している最中だということをすっかり忘れていた。


「それで……僕のお相手はしてくださるのでしょうか?」

「お前、何をしているんだ」


 ジュリアたちの会話に不機嫌極まりない声で横やりが入る。やって来たのはエルビスだった。怖い顔で青年を睨みつけている。


「ジュリアは俺の運命の相手だぞ。こいつに決闘(ダンス)を申し込んでいいのは俺だけだ」


「え、ええと……?」


「ジュリアを倒すのはこの俺だと言っているんだ。お前には髪の毛一本くれてやらん。分かったらどこへなりとも行ってしまえ!」


 エルビスに恫喝され、青年はすっかり竦み上がってしまった。かわいそうに、何を言われたのかもさっぱり分からないまま、尻尾を巻いて逃げ帰ってしまう。


「臆病者め」


 エルビスは蔑むように言った。そしてジュリアの手をぐいと引っ張り、会場を抜け出す。いつものように空き部屋へ行くのだろう。


 その道中、彼は不満たらたらだった。


「今後、ああいうのが出てきたらすぐに撃退してやれ」


 エルビスの声は険しかった。


「お前の腕なら楽勝だろう。それとも、あいつと踊りたかったのか?」

「それは……」


 どうなのだろう、とジュリアは首を傾げた。


(確かにダンスに誘われたのは嬉しかったけど……あの人と踊っている私なんて、上手く想像できないわ)


 社交界にデビューして以来、ジュリアのダンスの相手はずっとエルビスだったのだ。ほかの男性の手を取る姿など、思い描くのも難しかった。


 そんなふうに考えるジュリアの沈黙をどう受け取ったのか、空き部屋に着いてもエルビスは機嫌が悪いままだった。


「お前、運命の相手を乗り換えるつもりか? ……裏切り者め」


 どこか拗ねたような声色だ。


(もしかして、嫉妬してる?)


 エルビスの反応はそうとしか捉えようのないものだった。そのことに気づいたジュリアは「ダンスのお誘いは断るつもりでしたよ」と言った。


 それはとっさに出た言葉だったが、真実だった。彼の申し出を受けようかと迷うまでもなく、心は決まっていたのである。


「だって、先約があると分かっていましたから。私は今日もエルビスさんとだけ踊るつもりでした」


「……当然だ」


 険しかったエルビスの顔が見る見る内に穏やかになっていく。彼はジュリアの手を取った。


「気をつけろよ、ジュリア。花は自分に群がってくる虫を選ぶことはできないんだ。だから用のない相手はトゲで突き刺して追い返してやらないといけない」


「私のトゲというのは、エルビスさんのことですか?」


「そういう解釈もあるだろうな」


 エルビスはジュリアをリードしながら頷いた。


「お前は俺との勝負に専念していればいいんだ。俺の傍にいろ。ほかの奴には構うな。いいな?」


「あなたっていう人は本当に……」


「何だ?」


「……あなたは私のトゲであり、太陽であり、土であり、肥料だった。そういうことですね」


 ジュリアは自分の変貌に想いを馳せ、それがエルビスのお陰だと理解した。彼に見てもらいたい一心で美しく装うようになったのだ。エルビスがジュリアという花をここまで育て上げ、定位置だった壁際から引っこ抜いたのである。


 そして、エルビスは引き抜いたその花を、今度は自分専用の温室に囲おうとしている。彼はジュリアに自分だけのものになってほしいと思っているのだ。


 だが、その思いは一方通行ではない。ほかならぬジュリアも、そうなりたいと感じているのだから。


「あなたはまさしく、私の運命の相手です」

「なんだ、今さら」


 エルビスはきょとんとしていた。


 ジュリアはクスリと笑う。


(あなたが抱いている感情には、「敵愾心(てきがいしん)」ではなく「恋」という名前をつけるのが相応しいのではありませんか?)


 もしそう言ったら、エルビスはどんな反応をするのだろうか。


 そう考えると、ジュリアはおかしくてたまらなくなってくるのだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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武士のようにかっちょいいエルビスさんが、面白すぎてずっと笑ってしまいました。 ジュリアさんのほっぺたペチンが、可愛すぎて悶絶です。 それでも、終盤になるにつれて恋愛らしいドキドキとなっていったのがまた…
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