世話焼き姉さまにも春よ来い
「お姉さま、私の付添人になってください」
「コリン、付添人は叔母さまにお願いしなさい」
15歳になった私は近くデビュタントに出席する。そこへは社交界に不慣れな若者を先導してくれる付添人を伴うのが通例。
それをお姉さまにお願いしたんだけど……
やっぱり拒絶されちゃった。
お姉さまはいつもそうなの。
「嫌よ、お姉さまが良い!」
「社交場の作法に詳しくない私には無理よ」
「そう言ってお姉さま絶対に夜会へ出席しないじゃない!」
我がアスマン家は領地持ちの子爵よ。私は成人前で貴族の世界に詳しくはないけど、我が家はそれなりに裕福だし、たぶん貴族の中では中流と言ったところじゃないかな?
だから、ドレスを仕立てる財力はちゃんとあるんだけど、お姉さまはデビュタント以来どの夜会にも出席してないの。
「そんなんじゃ何時まで経ってもお姉さま結婚できないわ」
「結婚って……私は25歳の行き遅れよ」
「お姉さまは誰よりも美人なんだから絶対に相手は見つかるわ」
私のお姉さま――シェリル・アスマンはさらりと流れる金の髪に、優しい光の灯った青い瞳の美しい女性よ。
穏やかな声音、整った白皙の面貌、この落ち着いた雰囲気を醸し出す美女を男性が放っておくはずないわ。
そんなお姉さまが、どうして結婚できずにいるのか。別にお姉さまに瑕疵があるわけでも、アスマン家に問題があるわけでもないのよ。
「私はいいの。可愛いコリンが結婚して旦那様とアスマン家を継いでくれればそれで……」
「そんなのおかしい。長女のお姉さまが結婚して継ぐべきだわ」
「お願いコリン、聞き分けて」
お姉さまに寂しそうな微笑みを向けられると、私の胸に締めつけられるような痛みが走った。
「どうしてお姉さまが結婚を諦めないといけないの?」
だから、ダメだと頭で理解していても叫んでしまう。
「お姉さまは誰よりも綺麗で、誰よりも賢くて、誰よりも優しいのに!」
それは、お姉さまを悲しませると分かっていても止められない。
「お姉さまは何も悪い事はしてないのに幸せを諦めないといけないの?」
「コリン……結婚が幸福の全てではないわ」
涙が溢れそうな私の顔をお姉さまが両手で優しく包み込んでくれた。
ああ、温かい……
この優しい手が私を育ててくれた。
「私はあなたが幸せになった姿を見られれば幸せになれるのよ」
「そんなの嫌よ。私のお姉さまは世界で一番素敵な女性なのに」
子供みたいにイヤイヤする私を温かく胸に抱き止めてくれた。
ああ、安らぐ……
この柔らかな胸は昔から私にいっぱい愛情を注いでくれたんだ。
「私は本当に幸せ者ね。可愛い妹がこんなに優しい娘に育ってくれたんだもの」
「だけど……だけど、私のせいでお姉さまは……」
もうダメだ。
私の涙腺は崩壊した。
「大好きよコリン。あなたの幸せを何よりも願っているわ」
「お姉さま、お姉さま、お姉さま……」
お姉さまの胸の中で私は嗚咽を漏らしながら泣き続けた。
こんなにも優しいお姉さまが結婚できないなんて……
理由は分かってるの。
ぜんぶ私が悪いんだ。
アスマン家を構成している家族はお父さまとお姉さまと私コリン・アスマンの3人だけ。お母さまは私が5歳の時に病気で儚くなりました。
それから、10歳上のお姉さまはデビュタントが済むと亡き母に代わり女主人として家を支えてくれたの。
しかも、官職を与えられていたお父さまは頻繁に王都へと出向かねばならず、まだ年若いお姉さまが領地を治める手伝いまでされていた。
それでも私さえいなければ、お姉さまはもっと自由だったはず。きっと社交界へも参加して、今頃は素敵な旦那様と幸せな家庭を築いていたはずよ。
だけど幼い私がいて、小さな私は喪った母の愛をお姉さまに求めてしまったの。
お姉さまが僅かでも傍にいないと泣きながら屋敷中を探し回ったり、寝付くまでぐずって添い寝してもらったり、とにかく私はお姉さまにべったり引っ付いて離れなかったの。
こんな状態では社交界へ顔を出せるはずもなく、かと言って優しいお姉さまが私を見捨てて夜会へ行かれるはずもなかった。
私はお姉さまの献身と愛情に育まれ幸せにぬくぬくと過ごし、逆にお姉さまは幼い私の手を取って社交界から遠ざかり犠牲を強いられてしまった。
だから、私のデビュタントを理由にお姉さまを社交の場へ引きずり出そうと画策したの。
「もういい加減シェリルの結婚は諦めなさい」
「だけど叔母さま」
「この10年、私たちが手をこまねいていたと思うの?」
デビュタントは王城の敷地内にある白春宮で毎年開催されてる。その場に付添人として隣にいるのは、お姉さまではなくアマレッタ叔母さまよ。
お父さまの妹である叔母さまは法衣貴族のタリス子爵に嫁いでいるから、今は王都で暮らしているの。
お父さまとの兄妹仲は良好で交流があるし、親戚の中では一番王都に明るいからと私の付添人を買って出てくれた。
「シェリルはあれだけの器量良し。気立も良いし社交界にさえ出られれば引く手数多だったはずなのよ」
「それは私のせいで……」
「コリン、あなたを責めているんじゃないの。あれは仕方がなかったのよ」
しゅんと項垂れる私の肩を抱き寄せ慰めてくれる叔母さまも世話好きで優しい人だ。
「それに、責められるべきは私や兄さんの方よ」
お父さまはお母さまを亡くしたショックで暫く家庭を省みる余裕がなく、王都での仕事に没頭してしまった。立ち直った時には家はお姉さまを中心に動いていて、放置してしまった負い目もあるお父さまは何も口出しできなかったそう。
叔母さまは結婚相手を探し回ってくれたそうだけれど、お姉さまと釣り合いの取れる男性で良い相手が見つからなかったみたい。
「私の伝手では中々ね……それに当時はごたごたして結婚相手を探すのが大変な時期でもあったし」
「何かあったの?」
「今から10年ちょっと前にデビュタントで一目惚れした相手と結ばれようと婚約破棄しちゃった事件があったのよ」
何それ!?
デビュタントで初めて会った2人は目が合った瞬間に恋に落ちてしまったそうなの。互いに惹かれ合うように近づき、その場で愛の言葉を交わしたのだとか。
これだけを聞けば素敵なラブロマンスなんだけど話には続きがあって、この2人にはそれぞれ別に婚約者がいたらしいの。
この時、2人は誰もが想像できない左斜め上の行動に出てしまった――それが婚約破棄。
デビュタント会場は騒然。
だって、婚約破棄した男性は王子様で、女性は侯爵家のご令嬢と互いにやんごとなき方々だったから。
この醜聞は国中に広まったんだって。
叔母さまの話では、このデビュタント以降からしっかりした家ほど婚約の条件が厳しくなってしまって、社交界に顔を出していないお姉さまを相手にしてくれるところがなかったらしいの。
私からすれば世界で一番のお姉さまでも、相手からすれば釣り書のみで顔の見えない女性を選択するのはハードルが高い。
だから、婚約どころかお見合いの場にさえ話を持って行くのも難しかったみたい。
「この事件の影響で男性のデビュタントの年齢が15歳から18歳に引き上げになったほどよ」
「なんで男女で年齢が違うのかと思ったらそんな理由なんだ」
少しは大人になれば迂闊な真似はしないだろうとの考えらしい。ちなみに女性は遅くすると婚活に支障が出るから引き上げなかったのだそうだ。
「馬鹿らしい。年齢をちょっと上げたくらいじゃ問題の解決にはならないのに」
「自分達はきちんと対策をしているっていうスタンスが必要なのよ」
「どうせ改善するなら付添人の方じゃない?」
付添人の役割は夜会慣れしていない若者に礼儀作法を教導するもの。それは言葉通りの意味もあるけど、初めての社交界に浮ついてハメを外し過ぎないよう監視する役目も担っているの。
「コリンは正しいわ。でもね、侯爵令嬢の付添人は王后様の姪御様だったのよ」
社交界でも影響力のある夫人だったようで、付添人の問題を追求すれば自ずとそのお方の責任が浮上してしまう。
「だから参加年齢を上げてお茶を濁したってわけ?」
「それが大人の世界ってものよ」
呆れちゃうわね。
大人の世界って。
「そんな事よりコリンの結婚相手を探す方が重要よ」
「えええ!」
「デビュタントは女にとって良い伴侶を探す場なんだから当然でしょ」
付添人のもう一つの重大な役目は家にとってより良い相手を紹介する事。
だから、社交界を知らず他家と繋がりのないお姉さまは無理だと仰ったの。
「それに、コリンまで婚期を逃したらミューズ義姉さんに申し訳が立たないわよ」
「私はお姉さまみたいに美人じゃないから期待しないでね」
ミューズというのは私のお母さま。そのお母さま譲りの金髪碧眼の絵に描いたような美人のお姉さまと違って、私はありきたりな茶色の髪にありふれた茶色の瞳の凡人よ。
「何を言ってるの。今年のデビュタントじゃあコリンが一番の注目株よ」
「まさか」
周囲を見れば同い歳の令嬢が同じ純白のドレスで着飾っている。なんだか皆んな私より美人に見えるんですけど。
「あなた何も分かっていないのね。婚約破棄事件以来デビュタントには男も女も婚約者のいる者はあまり参加したがらないの」
なるほど、この場にいる令息の殆どは後継ぎではない次男や庶子ばかりで、婿入り先を探しているのね。
「そこにきてアスマン家は手堅い領地経営で今や有数の子爵家なのよ」
「それってお姉さまの功績じゃない!」
好景気なアスマン家の当主になれる私との結婚は狙い目なわけね。通りで会場に入った瞬間、男の人達が私に血走った目を向けてくるわけだ。
はぁ……私はどこまでもお姉さまにおんぶに抱っこなのね。
「勘違いしているようだけど、入場の時に注目されたのはコリンがこの会場で一番可愛いからよ」
「それこそまさかよ」
周りは色とりどりの美人揃いなのよ。平凡な色合いの私が目立つとは思えない。どう考えても家の条件以外で私に注目する理由がないわ。
「叔母さんはあなたが心配よ」
「何でそんな残念な子を見る目をするの!?」
呆れのため息を吐き出す叔母さま。
私、そんなに変な事を言ったかな?
「あのね、確かにコリンはシェリルみたいな美人ではないけど、ミューズ義姉さんの血を引くあなたの顔立ちはとても整っているの」
「でも、髪や瞳の色はありきたりよ?」
「馬鹿ね逆よ」
でも、周りはきらめく金髪やしっとりした黒髪の美人ばかりよ?
「美人顔のコリンは明るい茶系の色合いで愛らしいのよ。男は近寄りがたい美人よりも可愛い子が好きなのよ」
「信じられないんだけど」
キラキラした綺麗な人達に囲まれてたら説得力がないわ。
「とにかく人気の無い所には1人で行かないのよ。あなた会場中の男どもに狙われているんだから」
「はいはい」
まあ、叔母さまの身内贔屓はともかく不埒な男は多いらしいから忠告は肝に銘じておきましょう。
「あっちにいる青の短髪がスティア子爵の次男で……いま来場して来たのはコカレロ伯爵の三男……」
叔母さまは目ぼしい令息の説明を始めたのだけれど私と歳の近い若い男の子ばかりね。
考えてみたらデビュタントは若い男性ばかりで、お姉さまを連れて来ても釣り合いの取れた相手は少なかったわ。いても保護者だから既婚者が殆どよね。
その事に気づいたら何だか力が抜けちゃって、初めての夜会を楽しむ気持ちになれなくなってしまったわ。
「見て、ジェット様よ」
「あの方が……とても凛々しいわ」
「一緒にいる白銀の素敵な男性はどなたかしら?」
「ご存じないの?」
「あの方はカラン侯爵様よ」
「あの方が……」
「ジェット様の後見人になられているのなら、あの噂は本当のようですわね」
急に会場が騒がしくなったけど何かしら?
その原因らしき方へ目を向けると黒髪の美少年と銀髪の美青年が並んで会場に入って来るのが見えた。
そして、あっという間に令嬢達に取り囲まれてしまったわ。
「さすがに大人気ね」
「叔母さまのご存じの方々なの?」
「有名人ですもの」
ふーん、と気のない返事を返すと叔母さまが苦笑いされた。
「興味が無さそうね。まあ、競争率が高すぎるからアプローチしようとしても止めたけど」
「さっきは会場で一番って言ったくせに」
「敵は作りたくないでしょ」
まあ確かに、あれだけ飢えた獣のような令嬢達を押し除けて参戦する勇気は無いけど。
「銀髪の男性はエドガー・カラン侯爵。さっき話した事件の被害者よ」
「横恋慕され王子に婚約者の侯爵令嬢を奪われた?」
へえ、侯爵令嬢さんはあんな美術品みたいな綺麗な男性を振っちゃったんだ。
「事件以降カラン侯爵は未婚を貫いていらっしゃるわ」
「まあ、公の場で婚約破棄なんてされたら女性不信になっちゃうのも無理ないわよね」
みんなの前で駄目な男宣告され、とんでもない大恥をかかされたんだもの。
「今でも言い寄る女性は多いけれどね」
「あれだけ好条件だもんね」
侯爵の若き当主でもの凄い美形だもの。
周囲の女性は放って置くはずもないか。
「お隣りの黒髪の子は初顔だけどおそらくジェット子爵の次男ニコルだと思うわ……噂は本当だったのね」
「噂?」
「ジェット子爵はカラン侯爵の従兄でニコルは従甥に当たるのだけど、結婚せず子供のいない侯爵は彼を養子にしようとしているらしいの」
なるほど……ニコル様は将来カラン侯爵の後継になるのね。
黒髪に黒目のちょっと野生味のある美少年で将来は侯爵なのだから、令嬢達が群がるのも納得ね。
「それじゃコリンの婚約相手を探すわよ」
「はーい」
乗り気にはなれなかったけど、叔母さまに連行されて婿探しの挨拶回り。
だけど、会場を歩き回って疲れてしまったし、会場の熱気にあてられ耐えられなくなった私は叔母さまが知り合いに捕まったのを良い事に一人テラスへと逃げ出した。
「うーん、気持ちいい!」
テラスに出れば涼しい風が火照った身体を冷ましてくれた。伸びをしながら息を思いっきり吸い込めば、夜気で肺が満たされて吐き出す息と共に室内で溜まった澱みが抜けていくのを感じる。
そのまま欄干に寄りかかって頬杖をつき、ぼんやり庭を眺めた。
「今頃お姉さまはどうしているかしら?」
どうしたってお姉さまの事が頭をよぎってしまう。
「私さえいなければ……」
どうしたって自分の存在を疎ましく思ってしまう。
「きっと、お姉さまは素敵な旦那様と可愛い子供に囲まれて幸せに暮らしていたはずよね」
どうしたって元凶である自分自身を呪ってしまう。
「私がお姉さまの幸せを奪ったのに自分だけ結婚なんて……」
どうしたって私だけ幸せを望むなんてできっこない。
「私さえいなければ……」
「おいおい、ハレの日にこんな所で自殺とか止めてくれよ」
背後からかけられた男性の声に驚いて振り向けば、夜の闇に溶けそうな黒い少年が私を見ていた。
確かジェット子爵の子息……
「失礼ね。別に自殺なんてしないわよ!」
「そんな思い詰めた顔で『私さえいなければ』なんて呟いていたら自殺するつもりなんじゃないかって勘違いされるだろ?」
うっ……言い返せない。
「ニコルだ」
「え?」
黒髪の美少年は私の隣まで来ると欄干に背をもたれた。
「俺はニコル・ジェットだ」
「あっ、えっと、アスマン子爵の次女コリンです」
名乗りだと気がつき慌ててカーテシーで挨拶をするとニコル様はくすりと笑う。私とたいして歳は変わらないのに、ニコル様はなんかずっと歳上みたいに見えるわ。
黒い髪、黒い瞳、黒い正装のニコル様はそのまま夜の闇に溶け込みそうな、まるで夜の妖精みたいに神秘的……
「気持ちがいいな……人の多い室内は空気が澱んでいるから夜の空気は身体を内から浄化してくれるみたいだ」
「そうね…ですわね」
さっき私がしたように深呼吸をしたニコル様から漏れ出た言葉が私と同じような感想で、親近感からかつい相槌を打ちながら素の喋り方が出ちゃった。
無理して訂正したのがおかしかったのかニコル様にくすって笑われちゃったわ。
「普通に話してくれて構わない」
「うん、そう言ってくれて助かるわ」
小さな頃から身についた粗野な言葉遣いは簡単には矯正できないのよね。
ヒュゥッ!
その時、私達を冷たい風が嬲り、私は咄嗟に両肩を抱く。
さすがにちょっと冷えてきたかな。
「そんな肩を出すイブニングドレスだと冷えるだろ」
「あっ!」
ニコル様は自分の上着をサッと私の肩にかけてくれた。少し粗暴な印象があったけど意外と紳士ね。
「ありがとうニコル様」
「いや、君ともう少しお喋りをしたかっただけさ」
もう少しここに居てくれって言う意思表示ってわけね。
「君はお姉さんに何か引け目を感じているのかい?」
「聞いていたの!?」
「すまない、聞こえてしまったんだ」
「……まあいいわ。私が迂闊だったんだし」
「これも何かの縁だ。良ければ話くらい聞くぞ」
「プライベートを興味本位で尋ねるのは感心しないわよ」
「興味本位ではなく、コリンに対する興味さ」
「ぷっ、何それ」
その物言いがおかしかったからか、ニコル様に邪気を感じないせいか警戒心が完全に薄れてしまい、私は自分のせいで結婚を諦めたお姉さまについて語った。
もしかしたら私は誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。
「……だから、さっきは私さえいなければって呟いちゃったの」
懺悔のような私の話をニコル様は最後まで真剣に黙って耳を傾けてくれた。
「コリンのお姉さんはとても立派で素晴らしい女性なんだね」
「そうよ、私のお姉さまは世界一素敵な女性なんだから!」
「コリンを見てたら良く分かるさ」
「私なんかじゃお姉さまの凄さは伝わらないわ」
「分かるさ」
ニコル様に優しい微笑みを向けられて、私の心臓はドキンと跳ねた。
「コリンのお姉さんを好きって気持ちから、お姉さんがどれだけ深い愛情をもってコリンを育ててくれたか……」
「うん……」
「コリンのお姉さんが素敵なところはね、君と同じ境遇でありながら……歳若く母を亡くし、女主人として家を切り盛りし、お父さんを助けて領地を治めている事じゃないんだ……そんな大変な時期であってもコリンへの愛情を忘れなかった……」
「あっ、うん……うん……」
「コリンのお姉さんへの想いの強さが、お姉さんのコリンへの愛の深さを教えてくれるんだ」
堪えきれず涙が溢れる。
今、分かった。
きっと私は理解して欲しかったんだ。
お姉さまを、ただお姉さまの事を……
ニコル様は私が語った拙い話からそれを察してくれた。
だから、ポロポロと流れる涙を止められない。だって、それは長い間ずっと私の中に溜め込んだ想いの雫だから。だって、それは尽きる事のないお姉さまへの想いだから。
「コリン」
「ごめんなさい……悲しかったの……でも嬉しくて……」
「うん……」
ニコル様は泣き止まない私をそっと抱き寄せ私は彼の胸の中で溜め込んだ想いを吐き出した。
「そのままでいいから今度は俺の話を聞いてくれるか?」
「えっ、でも……私なんかで良いの?」
「コリンが良いんだ」
見上げればニコル様の視線が真っ直ぐぶつかった。
真剣な光が灯る黒い瞳に私は吸い込まれてしまう。
「俺は叔従父さんに救われたんだ」
「カラン侯爵の事?」
「知ってるのか?」
「さっき叔母さまから教えてもらったわ」
「そっか……俺はジェット子爵の次男だけど妾の子でさ」
ニコル様は自分の生い立ちと境遇を私に教えてくれた。
ジェット家には正妻のディタ様が産んだ長男と長女がいるんだけど、ディタ様はニコル様のお母さまを心良く思っていなかったんだって。
ニコル様のお母さまは虐げられ、その母親の影響を受けた長男と長女にニコル様は迫害され続けたらしい。
屋敷の中は女主人である正妻の発言力が強く実父のジェット子爵は見て見ぬふり。ニコル様とお母さまは辛く苦しい暮らしを強いられたそう。
「ディタ様って酷い方ね!」
「俺も最初はあの人を恨んだよ」
私の憤りにニコル様は寂しそうな笑みで返した。
「正妻はただ自分を守ろうとしていただけ。一番悪いのは知らぬ顔をしていた父さんだ」
「お父さまが?」
「ああ、それを叔従父さんから助けられた時に教えられたよ」
ニコル様が10歳の時にお母さまと暮らしていた屋敷の離れが火事で全焼してしまった。長男が脅すつもりでやった火が想像以上に燃え広がってしまったらしい。
ニコル様もお母さまも火傷を負って生死の境を彷徨った。その時の傷跡を見せてもらったけれど、とても痛々しかったわ。
「あのままだったら俺も母さんも死んでいた」
「そこをカラン侯爵に救われたの?」
こくりと頷いたニコル様は話を続けた。
死にかけていたニコル様とお母さまを保護すると、手厚い治療を施してくれて二人は一命を取り留めた。
その後、ディタ様と長男は失火の責任を取らされ重い罰を受けそうになったけど、そこにカラン侯爵がやって来て自分の従兄であるジェット子爵を一喝なさったのだそう。
「お前が妻や子供達にきちんと向き合い責任を取っていればこんな事にはならなかったってね」
無責任に妾を持ち子供まで作っておきながら放置されれば、ディタ様も自分の子供達の未来が脅かされると不安になって当たり前……確かに貴族の後継には骨肉の争いがつきものだもんね。
ディタ様も長男も軽い罪で済み、ニコル様とお母さまはカラン侯爵の庇護下に入った。
だけど意外ね。
さっき見たカラン侯爵はとても怜悧な切れ者のようだったから、どちらかと言うと非情な人柄かと思ったのに。
「とても情の厚い方なのね」
「ああ、仕事人間なところもあるし、冷ややかな態度が多いから誤解されがちだけどな」
「ふふふ、私も最初はそう思ったわ」
そう見えるよなとニコル様は苦笑いした。
「ニコル様はどうして私にその話を?」
「コリンと同じさ。俺も叔従父さんの事を知って欲しかった」
「そっか……似た者同士なんだね、私達……」
何となく私とニコル様は並んで欄干に寄り掛かり空を見上げた。丸い月が明るく夜空を彩り、ただ一つだけ存在し美しく輝いている。
本当に綺麗……
この月を見て私はお姉さまが頭に浮かぶ。きっとニコル様もカラン侯爵を……
「叔従父さんの婚約の話は聞いた?」
沈黙を破ったのはニコル様が先だった。
「さっき叔母さまからデビュタントで破棄されたとだけ」
「叔従父さんは信じていた婚約者に裏切られ深く傷ついたんだ。それ以来、仕事に没頭し、夜会でも令嬢達を近づけようとしない」
「ご結婚される意思がないのね」
「ああ、俺を養子にするつもりみたいだ」
「だけどニコル様はそれが嫌なのね……カラン侯爵に幸せになって欲しいから」
「分かるか?」
ニコル様は自分がカラン家の当主となって栄達するより、自分の敬愛するカラン侯爵の幸せを願っているのね。
「ええ、私もお姉さまに幸せになって欲しいもの」
「やっぱり俺達は似た者同士だ」
私達は寂しく笑い合う。
「なあ、それと同じように似ていると思わないか?」
誰がとは聞かない。だって月を見て私も思ったから。
「コリンの話を聞いて思ったんだ。君のお姉さんと俺の叔従父さんはお似合いだと思うんだ」
「そうかも……しれないわね」
それも思った。
だけど……
「だけどどうやって?」
「直接二人を会わせられれば、きっと上手くいくと思うんだが」
「お姉さまは夜会に出ないし、結婚する気のないカラン侯爵は釣り書じゃ動かないでしょ?」
「ああ、そこで一計があるんだが――」
ニコル様から企てを聞かされたんだけど……
「確かにそれなら二人を引き合わせられると思うけど……それで思惑通りに事が運ぶかしら?」
「大丈夫、俺はコリンと話して運命を感じた。きっと二人は出会えば惹かれ合うと確信している」
そうね、このまま何もしなければ可能性なんてゼロのまま。例え失敗しても、これがきっかけで何か変わるかもしれない。
「コリンの名誉は傷つけないようにする」
「それは良いの。お姉さまの為なら私の名誉なんて……むしろニコル様の方は大丈夫なの?」
「それこそ問題ない」
「ごめんなさい愚問だったわ」
私もニコル様も願うのは身内の幸せ。
「それじゃあ詳細は追って連絡する」
「ええ、これからよろしく」
「ああ、次に会う日が楽しみだ」
再会を約束した私達は握手を交わし夜会を後にしたのだった。
そして、デビュタントから一ヶ月後――
「エドガー・カランです。本日は従甥ニコルの後見として参りました」
「ジェット子爵の次男ニコルです」
計画通りニコル様とカラン侯爵がアスマン家にやって来ました。
「本日は当家までお越しいただきありがとうございます。私はコリンの姉シェリル・アスマンと申します」
「アスマン子爵の次女コリンでございます」
お姉さまとカラン侯爵を会わせる事に成功よ。
どうやって二人を引き合わせたのかと言うと……
「この度は当方の申し入れに応えて頂き感謝する」
「いえ、当家といたしましても良き縁談ですので」
そう、縁談を組んだのよ。
「本来ならニコルの父のジェット子爵が参らねばならなかったのですが……」
「事情はお伺いしております。それに、当方も姉の私が親代わりに参席しておりますので」
私とニコル様の。
筋書きはデビュタントでニコル様が私に一目惚れした。だから婚約の申し込みで顔合わせをできないかと打診してもらったの。
ニコル様の後見人であるカラン侯爵が参席するのは必然だし、我が家も時期的にお父さまは王都へ出仕しているのでお姉さまが同席する流れが自然と出来あがったってわけ。
もちろん偶然なんかじゃなく、ニコル様と示し合わせたのよ。
「事情は聞き及んでおります。早逝されたご母堂の代わりにシェリル殿が家を守り、領地を治め、コリン嬢をここまで立派に育て上げられたとか……その話を伺いとても感服致しました」
「そんな大層な者ではございません」
お姉さまはゆっくり頭を振った。
「誰にでも真似が出来る献身ではないと思いますが?」
「侯爵様、私はただ無我夢中だっただけなのです」
「無我夢中……ですか」
「はい」
カラン侯爵は探りを入れるようにジッとお姉さまを見つめられました。その強い視線を受けても、お姉さまはたじろぎもせず優しい静かな瞳で真っ直ぐに見返しました。
「私とて当時は15の小娘。母を亡くし悲しくないわけがありません、辛くないわけがありません。だから仕事に逃げたのです」
「ふむ、なるほど……ですが、それなら良き伴侶を探そうとは思わなかったのですか?」
「それは私がいけなかったのです」
割って入るのはマナー違反だけど、私は耐えられず口を挟んだ。
「私がお姉さまに甘えてたから……だから結婚を諦めて……」
膝の上に揃えた手をぎゅっと握り締めていないと俯いた顔から涙が溢れそう。
「ううん、結婚だけじゃない。おしゃれだって、社交だって、それに恋愛も……お姉さまは私の為に全て諦めて……」
「それは違うわ」
そんな私の肩を抱き寄せてくれる優しいお姉さま。
「私はね、コリンに救われたのよ」
「お姉さま?」
「お母さまが儚くなって、お父さまは仕事に逃げ王都から帰ってはくれなかった……だから私は屋敷の管理と領の統治で気持ちをまぎらわしていた」
でもね、とお姉さまは私の頭を優しく撫でて話を続けた。
「それでもやっぱり寂しくて、悲しくて、寝る時はいつも胸が締め付けられるように辛くて苦しくて……何度も押し潰されそうになったわ。そんな私の苦痛を解放してくれたのがコリン、あなたなのよ」
そんなはずない。
だって私は何もしてない。
「あなたが私を頼ってくれたのが嬉しかった。あなたがちっちゃな手で必死に私のスカートを握ってくれたのが愛おしかった。添い寝をすればコリンはとても温かくて胸に空いた穴を埋めてくれた……コリンがね、お姉さま、お姉さまと呼んでくれて私はとっても幸せだったのよ」
耐えていた涙がいつの間にか頬を伝って次から次へと流れ落ちる。こんなの無理よ、止められるわけないじゃない。
「コリンが私の傍にいてくれて良かった。コリンはね、私の何ものにも代えられない宝ものよ」
お姉さまは私の涙をそっと拭ってくれた。
「愛しているわ。誰よりもコリンを愛してる。だから、あなたの幸せが私の幸せなのよ」
「お姉さま、お姉さま、お姉さま……」
私はもう言葉を紡げなくなっていた。そんな私をお姉さまは温かく包み込んでくれた。
「侯爵様、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「いや、却ってあなた方を知る機会を得られた」
「お恥ずかしい限りです」
「恥じるところは何も無いでしょう。あなたは立派にコリン嬢を育てられた」
お姉さまを見詰めるカラン侯爵の瞳がとても優しい。
ああ、ニコル様が予想した通りになっているのね。
「シェリル殿は家も領地も治め、その上とても家族への愛が深い慈母のようだ」
「えっ、あの……ありがとうございます」
意表を突いた褒め言葉にお姉さまは珍しく狼狽しています。
「シェリル殿はもっと自分を誇って良いと思う。あなたは清らかで美しい女性だ」
「私へのお世辞は……」
「世辞ではない。夜会でもあなた以上に美しい女性はいなかった」
「こ、侯爵様、も、もうその辺りでお許しください」
慣れない男性の、しかもカラン侯爵の様な美青年からの賛辞にお姉さまは真っ赤になった顔を両手で覆って恥ずかしがっているわ。
お姉さま可愛い……この様子だと少しは脈ありかな?
「ゴホン、叔従父さん、今日は俺のお見合いのはずだけど口説くなら後にしてくれる?」
「あっ!?」
今になってお姉さまが消え入りそうなほど恥ずかしがっているのに気がつき、カラン侯爵も顔を赤くした。
「それじゃあ定番だから、俺とコリンは庭の方で話してくるよ」
「そうね、お邪魔しちゃ悪いから行きましょうニコル様」
「なんだか誰のお見合いか分かんなくなったな」
私達の揶揄いの言葉に思わずちらっと視線を合わせた二人は茹で蛸状態になっちゃった。
「言った通り上手く行きそうだろ?」
「ええ、ここまですんなり事が運ぶとは思わなかったわ」
部屋を出た私達は笑い合った。
そのまま二人で並んで庭へ出れば、花壇には可愛いピンク色の薔薇が咲き誇っていた。
その薄桃色を眺めながら私の胸は幸福の予兆で満たされる。
きっともう大丈夫……
そして、お見合いから一年――
カラーン、カラーン、カラーン……
カラーン、カラーン、カラーン……
教会のカンパネラが二人の新しい門出を祝福してくれる。
今日はお姉さまとカラン侯爵の結婚式なの。
ああもうカラン侯爵じゃなくお義兄さまね。
「お姉さま……すっごく綺麗」
純白のウェディングドレスに身を包んだお姉さまは本当に幸せそうな笑顔で、それはとってもきらきらと輝いて見えたの。
「そうだな」
私の漏らした呟きを拾ってニコル様が頷く。
やっぱり、お姉さまが世界で一番綺麗よね。
「お義兄さまも幸せそう」
「ああ、これで安心だな」
「ごめんね、お姉さまが最初なかなか素直になってくれなくて」
「逆に叔従父さんの方が予想以上に積極的だったから釣り合いは取れたさ」
お見合いの後のお義兄さまの猛アタックにはびっくりしたわ。女性不信で令嬢達を冷たくあしらっていた人と同一人物とは思えなかったもの。
「ただ、やり過ぎて引かれやしないか冷や冷やだったけどな」
「そこは大丈夫よ。お姉さまったら、お義兄さまが訪ねて来る日はいつもソワソワしてたんだから」
まだ来る時間でもないのに朝から玄関の辺りでうろうろしてるの何度も目撃したわ。本人は気の無いふりをしているつもりみたいだったけど、お義兄さまへの恋心が周りのみんなにバレバレよね。
お義兄さまの告白にぐずぐずとしていたけど、最初からお姉さまはしっかり意識していたのは間違いないわ。
「これで肩の荷が下りたよ」
「ニコル様はそれで良かったの?」
だって、お姉さまが子供を産んだらカラン侯爵の当主になれなくなっちゃう。
「問題ないさ。もう自分の身の振り方は考えてるから」
「ふーん」
さすがニコル様ね。
私なんてお姉さまが嫁いだ先の事まで考えてなかったわ。
これからは私がアスマン家の女主人としてやっていかなきゃ。領地経営はさすがに私じゃ無理だからお父さまに戻ってもらわないとだけど。
「さて、あの二人が結ばれたから今度は俺たちの番だな」
「え?」
番って何のかしら?って疑問に首を傾げてたら、急にニコル様が私の手を握ってきたの。
「俺達は婚約者だろ?」
「で、でもそれはお姉さまとお義兄さまをくっつける為の演技じゃ――きゃっ!」
ニコル様が手を引き私を強引に抱き寄せてきたんですけど!
「俺はコリンを逃がすつもりはないから」
「えええええ!」
「やっぱりコリンは俺をぜんぜん意識してなかったんだな」
「――ッ!?」
しかも、ニコル様ったらいきなり私の額にチュッて!?
う〜、たぶん今の私の顔って真っ赤っ赤に違いないわ。
顔の温度が一気に上がったのが自分でも分かるもの。
「だがな、これから全力で俺を意識させてやるから覚悟しておけ」
私を解放したニコル様がにやっと意地悪く笑った。
ううっ、その顔は反則よ。
どうしよう……ニコル様で頭がいっぱいになっちゃった。
私の中でニコル様の存在が急速に大きくなって……今この瞬間、私は理解したの。
私はとっくにニコル様に捕まっていたんだって。
ああ、お姉さまをにぶいにぶいって笑ってたけど、私もたいがい他人の事は言えなかったみたい。
ふわっと、春を報せる暖かい風が優しくみんなを包み込む。
ふと、お姉さまが放ったブーケが宙を舞って、すとんと私の胸の中へと訪れた。
ブーケを彩る白く小さな花は愛らしいのに、どことなく気品を感じさせました。
だからかな?
それはお姉さまを思わせるので目についたの。
その花はまだ時期的に早いはずの白いアガパンサスでした……
本作品を最後までお読みいただきありがとうございます。
本作品がお気に召しましたら、画面下の評価(☆☆☆☆☆)やブックマークなどで応援していただけると大変うれしいです。
また、これからも色々と作品を鋭意制作してまいりますので、作者のお気に入り登録をしていただけると新作の通知がマイページ上に表示されて便利です。