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明後日の空模様 陽国編  作者: こく
第八話 弓比べと内談
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 先導する沐の痩せた背が、朧げな石の明かりに浮かび上がっていた。

 湿った黒土を踏む二人分の足音だけが反響する。音が遠くから返ってくる、長い通路だった。俺はその表情を背後から窺うように、問うてみる。


「あの、沐様」


「何でしょう」


「サクチャイ王弟殿下は、沐様から見てどのような方ですか」


 歩みが止まる。が、すぐ再開される。訊き方が直接的すぎる気もしたが、どうせ壁越しに一連の話は聞いていただろう。ちらりと振り向いた沐の表情は、薄ぼんやりした明かりで不明瞭だった。


「……ワタシのような一介の通訳が、王家の方々を語るなど恐れ多いことです。しかし、強いて言うのであれば……」


 眼鏡の中で拡大された目の動きは、薄暗がりにあっても分かり易い。俺はそこに、曖昧な余所余所しさを感じ取る。


「サクチャイ王弟殿下は、不思議な方です。あの方の周りには自然と人が集まります。そういう人の心を惹きつける何かを持っているという点で、肉体の逞しさや聡明さ以上に、これまでの伝統的な立場に留まるご自身を良しとしなかったのかもしれません」


「スラギダ王国の女王はカムという巫術師なのですよね。素朴な疑問なんですが、男性では駄目なのですか」


 さあ、と沐は困ったように笑った。「神の代弁者は女性が務めるものとして昔から決まっているということしかワタシも存じ上げません」


 男である俺たちには立ち入りにくい話題である。それに、男が政治の場から締め出されているこの陽国に対し、女が政治の場から締め出されているのが皇国だ。性差が格差の理由になり得る事例など幾らでも転がっている。

 ただ、イダニ連合国と物理的に距離が近しい陽国で、全ての民を平等に扱う救世主の思想はより眩く映っただろう。感化されるのも当然で、健全であるとも言える。俺が引っ掻き回すのは、少し気が引けた。

 沐は目を細める。


「これはワタシの考えですが、暴力による革命は、暴力によって贖わなければなりません。何かを変えようと力を奮うことは、相応の痛みを伴います」


 ざらついた質感のある言葉だった。俺は少し考えた後、訊ねる。


「もしや沐様も、サクチャイ王弟殿下から反女王派へ入る誘いを受けたことが……?」


 じっと向けられる沐の目線を、俺は肯定として受け取った。そこには悲しみのようなものが込められていた。


「ワタシも、若い頃は色々なことを考えました。不寛容な決まりごとや、伝統ばかりが継続され、本当に必要なものが行き届かない現実に憤ったり、失望したり……色々です。今でも、そういうのがない訳ではないです。しかし……」


 沐の目は、暗闇の向こうへと投じられた。手の中で朧げな光を帯びた石が、掌を柔らかく照らしている。


「何を理想に掲げようと、ワタシの手は届く範囲にしか及ばぬのです。それに、争いによって生まれた新たな争いは、誰の手にも負えないと思うので、やはりどうあっても賛同し難いのです」


 俺は、陽国と同盟に噂が立ち始めた去年の年末を思い出す。あのとき浮足立った思想史研究会の面々は、戦争を他人事だと思っていなかったか。暴力に伴う責任は、俺にとっても馴染みはない。

 沐の言葉には一理ある。しかし、それを俺が借りるのも動機が動機なだけに烏滸がましいかもしれない。


「ここだけの話ですが、スラギダ王国から孑宸皇国へ使者を送った際、靈臺待招殿の身柄を一番要求していたのはサクチャイ王弟殿下なのです」


「え?」


 寝耳に水を入れられたようで、俺は聞き返す。


「王弟殿下は、貴殿がイダニの救世主と同じ顔、名前であることを知って、かなり関心を持たれています。どちらかというと、好意ではない意味合いで」


 言われてみれば当然の話ではある。コウキの思想に感化された者ならば、俺の存在は気になって仕方がないだろう。

 沐は歩きながら続ける。


「ええ、しかし女王陛下がそれを強く咎めたのです。靈臺待招殿に危害が及ばぬよう取り計らい、国内の安全を徹底的に確保しました。実際、貴殿の前でイダニの救世主の話をする者はこれまでいなかったですよね?」


「それは……確かに」


 では、俺が海を渡る前から女王は俺のことを認識していた訳だ。いつから? 誰に問うでもなく考える。情報源はある程度絞れるはずだ。そもそも光のことを他に知っているのは、翔、白狐さん、コウキ、そしてイダニ連合国のもう一人の執政官、綺羅、この辺りである。

 先程の話しぶりからして、光と直接接触して話したという線は薄いだろう。光はスラギダ王国の言語を話せない。

 或いは──これが最も脈絡がなくて困るのだが──神の声を聴くカムとしての女王の超自然的な力で手に入れた情報か。


「カムというのは、具体的にどのようなことが出来るのですか?」


 俺の問いに、沐は力なく首を振った。地下通路の突き当りに、鉄製の扉が微かに見える。


「カムに関する儀式は完全に秘匿されていて、王家の方々でも一部でしか伝えられていません。秘儀の担い手は勿論、女性たちです。大地と水の神イェル・スーの声を聴き、政に役立てるとだけ聞いています」


「そうですか……」


 俺は沐の間の取り方に、意味ありげなものを感じ取る。神の声を聴くことに関しては、靈臺待招の方に見識があるのでは。俺は何も言わない。

 沐は、鉄製の扉に手を掛けた。誰かに聞かれることを憚っているかのように、ふとした独り言のように囁く。


「しかし、靈臺待招殿。神とは一体何なのでしょうか」


 旧王家の大庭園には、豊隆がいる。雷の神か、第三天子か。答えを持たない俺は、黙るほかない。

 二人で外へ出る。饐えるような土の匂いを、風が吹き飛ばす。太陽が昇り切った朝の空は、窒息しそうなほど青い。




 ***




「おお、皓輝殿。どこへ行っていたんだ」


 沐と別れ、海老茶色の邸宅に戻るなり血相を変えた宇梅に迎えられた。寝起きらしい髪の乱れもさることながら、着崩れた衣服は曲がりなりにも翰林院に属する者のそれとは思えない。


「如何しましたか、宇梅様」


「如何も何も大変なのだよ、私の笛が何者かによって盗まれたんだ!」


 大声で捲し立てられ、俺はつんのめるように聞き返す。高い天井際の窓から差し込む光の中で、塵が舞っている。


「笛が? 盗まれたのですか?」


「そう、そうだよ。ああ、一体誰がこんなことを……」


 後半の嘆く言葉は抑揚が入り乱れてほとんど聞き取れない。俺は玄関から邸宅内を見回した。ここに滞在している他の雑多な召し使いたちが、何となく落ち着かない様子で俺の方を見た。


「君も翔くんも朝から姿が見えないし……」


 先程の女王との腹を探り合うような会話の余韻が消え、俺の精神は地に足が付く。「落ち着いてください」と宥める自分の声は、芝居がかって冷静だ。


「その、盗まれたという確証はあるのですか? どこかで失くしたとか。そもそも、いつから無くなっていたのですか?」


 宇梅は神経質な仕草でしきりに腕をさすっている。生々しく白い剥き出しの腕に、筋のような赤い痕が付く。


「昨日までは確かにあったんだ……昼間に、食事に招いてくれた諸侯に見せた記憶がある。それから、弓比べの後ここに帰ってきて……部屋の寝台に腰を下ろしたとき、懐から出して脇の木卓に置いた……多分。そこからは記憶していないな」


「左様ですか……」


 俺は何とも曖昧に頷いた。よくそれで盗まれたと断言出来たものだ、という言葉は寸前で思い留まった。一応これでも翰林院の中で彼の立場は俺よりも遥かに上なのである。

 周囲を見回すと、薄っすらと同情するような空気があって、宇梅のこの騒ぎは皆から遠巻きにされていたのだろうと分かる。翔はまだ戻ってきていないらしい。

 俺は小さく咳払いをして、宇梅の頼りなさげな、傷ついた子どものような視線をやり過ごした。


「まあ……まずは部屋を探しましょうか」




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