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明後日の空模様 陽国編  作者: こく
第七話 歓待の宴
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 歓待の宴は、王城の屋上で催された。

 順に案内され、城内の階段を上がり切ったとき、まず真っ先に目に入ったのは城の西側に広がる海である。

 夕陽の名残りを孕んだ黄金の風が、波間を渡って顔に吹いてくる。首を伸ばして崖下を見晴らすと、抉れた内陸に海水が流れ込んだ地形になっていた。そこから一筋流れ出した水が金属めいた光を反射し、喪に服するような背格好の樹木を従えながら王都の街並みまで繋がっている。遠目にゆっくり浮かぶ船が、それがサンティパー港から俺たちを運んだ運河の終であることを教えてくれた。

 広々とした屋上を横切って、一同は席へと通される。そこは小ぢんまりとした庭園になっていた。植えられた植物は、どれもこれも涼省で取引される高直な香木や花木、薬草ばかりである。

 通り雨の面影が残る緑陰に入ると、ふっと目に見えない異国の精霊の息遣いが顔を掠めたような気がした。俺が反射的に顔を背けるのと、湿った気配が樹々の奥へ散っていくのは同時だった。


「ふむ……こうした場に形無きものが宿るのは我らが大陸と同じ、と」


「うわっ、急に話しかけないで下さい」


 耳元の低い声に驚いて、俺はびくりと肩を跳ねさせる。「ほら、あれを見給え」と宇梅は呑気に指を差した。

 俺たちは中央の舞台を囲う天幕のひとつに入れられる。天幕の骨組みの天辺は尖り、中には賓客が寝そべって飲食をするための絨毯や房付きの枕が敷かれていた。

 宇梅が差したのは、天幕に使われている凝った文様の織物である。象、蓮華、海老、獅子、孔雀、蛸──染め方も織り方もひとつひとつ、天幕ごとに異なっていた。内側から見やると、夕陽の光を透かして縦糸と横糸の重なりが美しく映えた。

 宇梅が喉の奥で唸る。


「陽国の織物は見事だねぇ。何かひとつ持って帰りたいものだが」


 こうした宴で席順は厳しく決められている。俺は他の翰林院の者たちと同じ天幕で、早くも隣席の楽士のうっかりした独り言が陽人の気分を害しやしないかはらはらした。

 偶然にも、こちらの天幕の裾には鱗模様が精巧に織られた蛇がいる。縁起物なのだろうか。顔を強張らせるのを堪え、俺はさり気なく、懐に仕込んできた水蛇を肘で押す。宴は夜更けまで続くと聞いたので仕方なく連れて来たが、こちらも心配の種である。


「……」


 俺はちょっと助けを求める気持ちで後方を振り返った。

 学生というかなり地位の低い翔が、丁度後方の天幕に配されたのは幸運か、白狐さんの配慮か。落ち着かなそうにきょろきょろとしている翔と目が合って、互いにため息をついた。こういう場にはてんで縁がなく、迷子になったよう途方に暮れてしまう。

 ぼちぼち皇国側と陽国側の出席者が揃い始めた辺りで、褐色の肌の女たちが硝子の水瓶を持ち、賓客の手に薔薇水を振り掛けて回り始めた。その後から床に撒かれた花びらも相俟って、空間は柔らかく蕩ける。


 土の香り、緑の香り──薔薇の甘さが交じり合い、宴の始まりを優雅で、しかし堅苦しくない雰囲気に変えた。ざわめきが波のように引いてゆき、陽国の言葉で女王の登場が告げられる。

 お付きの女たちに傅かれながら現れたシリポーン女王は、昼間の純白の衣装とは打って変わって植物の種子を加工した、縞模様と艶のある珠のドレスを纏っていた。

 女王が一歩一歩と足を進める度、編み込まれた幾千もの珠が射干玉色の煌めきを放ち、裾に垂れる珠同士がぶつかり合って軽い音を立てる。代々受け継がれてきたのだろうと容易に想像できる、年季の入った古さと手入れの丁寧さが女王の立ち居振る舞いによく馴染んでいた。

 その後に続いて現れた王族の中でも、プリーテャ王女は明らかに注目を集めていた。その瞳は相も変わらずどこを見るでもなく翳っていたが、金細工の髪飾りと首飾りが無造作な美しさを強引なくらい引き立てている。

 女王たちの天幕は、皇国使節団の万和たちの天幕の真横に並び、他にも陽国の有力者と思しき天幕が各賓客の傍に配されていた。彼らの間を取り持つよう、眼鏡を掛けた沐が近くで控えている。

 陽国側の顔ぶれを見て、俺は何となく眉を顰めた。

 恐らくは陽国を分割支配している諸侯たちなのだろうが、煌めく銀の硬貨や鎖飾りを無数に頭に連ねた者もいれば、小さな子安貝をびっしりと首元に飾り、鮫の歯のように見せている者もいる。身分に応じて比較的衣服を揃えている皇国側に対し、彼らの頭に巻いた布、帯、着物の形や文様、装飾が、ひとつとして同じものがないのが印象的だった。


 女王が立ち上がり、遅くもなく、早くもない足取りで舞台に上がった。女王が背にした海の向こうでは、時間が止まっていると錯覚するほど冗長な夕焼けがあって、重なり合った煤色の雲は龍が太陽に向けて飛んでいるようだった。


「海の向こうから遥々お越しくださった皆様、この度は私たちの王国へのご訪問を賜り、心より歓迎申し上げます。この佳き日に、私たちは和平を祝し、東の友として皆様をお迎えすることを誇りに思います。今宵の宴は、異なる文化を持つ者たちが一堂に会し、互いの理解を深める素晴らしい機会となるでしょう。今日この日が、新たな友情の芽生えをもたらし、世界がより平和で繁栄する未来への一歩となりますように」


 そう言って、女王は手にしていた銀の脚付きの盃を掲げた。朴訥とした孑宸語の発音はともかくとして、文面だけならばかなり態度を軟化させている印象があった。或いは、宴の緩やかな雰囲気がそうさせただけなのかもしれない。

 次に立ち上がったのは、景暮だった。既に女王との謁見は済ませたためか、返礼の挨拶は簡易なものだった。


「神秘なるスラギダ王国の方々、この特別な日に西の地へお招きいただき、心から御礼を申し上げます。文化の対話を通じて新たな友情を育むこの機会が、互いにとって実りある時間になることを祈っています」


 沐がひそりと立ち上がり、景暮の言葉を訳している。俺は天幕のひとつひとつを眺めて、再び眉を顰めた。

 女王の弟、サクチャイの姿が見えない。

 そういう慣習なのか、天幕の前方に並んでいるのは女が多かった。というより、男の姿がほとんど見当たらなかった。首を動かして見回している内に、酒と料理が運ばれてくる。乾杯の音頭は陽国の言葉で取られた。


 天幕ごとに運ばれてきた大皿料理は、隣り合った異国同士の緊張感をあまり和らげなかった。

 孑宸皇国で政治の場に女がいることはないせいか、使節団の面々は女王や諸侯の堂々とした歓待に居心地の悪さを隠せていなかった。特に万和は、自身の感情の機微の一切を顔に出さない特技のお陰で却ってその場で浮いていた。

 宦官は本来後宮に出入りする仕事であるから、かつて万和は後宮の女たちにこき使われて女嫌いになったのかもしれない、と俺は勝手に考えてみたが、意味のない想像だった。

 末席であるのをいいことに、俺は順に取り分けられた料理を摘まみつつ周囲に幾らか意識を配る。贅沢極まりない様々な酒を尻目に、乾杯の一口以外で酒は口にしなかった。

 見慣れない香草と白玉団子が入った豆乳のスープ、酸味とスパイスが効いた貝のスープに始まり、生春巻きが大きな花のように並べられた豪華な皿が続き、色とりどりの生の果物、蜂蜜の入った飲み物が絶え間なく足され、主菜に味の付いた米と、魚料理がやって来た。白身魚の骨を丸ごと取り除き、中に刻んだ茹で卵や青菜、茸と香草を詰めた代物で、切り分けられても随分大きかった。

 海産物をふんだんに使った陽国料理を口に運び、遠目に沐が文戴や林言といった文官と諸侯の間を行き交い、両国の間を取り持っているのを眺める。やや離れた位置に座る翰林院にお鉢が回ってくることは今のところなさそうである。


「何これ? どうやって食べんの?」


 お陰で後方の翔と小声で話す余裕すらあった。恐る恐る生春巻きを取った翔が、まろやかな飴色のピーナツソースを付けて一口齧り、「甘い……」と絶望したような声を出しているのに俺は必死で笑いを堪える。

 人が集まっているせいか、少し蒸し暑い。柔らかな潮風が天幕をはためかせ、文様が光に透けて意味ありげなシンボルのよう時折輝いた。

 塩気の効いた白身魚を翔と分け合っていたところで、突如落雷かと紛う太鼓の音が響き渡り、全員の関心が向く。海の方からだった。

 夕べの静けさに叩きつけるような太鼓の轟きが、菫色に染まりつつある空にまで届いた。懐で大人しくしていた水蛇が蠢くので、俺は無意識に肘で押さえる。

 女王がおもむろに席を立ったので、首の位置を戻す。


「これよりスラギダ王国海軍による模擬戦をご覧に入れます。指揮官は海軍大将、サクチャイ。左手側の海にご注目ください」


 ほう、と天幕のあちらこちらで息が吐かれた。女王が手で差し示した眼下の海に、いつの間にか数えきれないほどの木造の軍船が整然と並び、各々が大きく帆を広げ、式典用の華やかな旗を幾つも飾っていた。船ごとに明かりが灯され、暮れかけた波の上で燦然と輝いている。

 指揮官の乗った船には特に目立った大旗が掲げられ、船列の先頭にいた。乗っている人影は豆粒ほどだが、昼間に見た男の特徴と一致させるのは容易かった。

 伝達船の破裂じみた太鼓の一音一音に合わせ、全ての船が進み出す。舳先を同じ方向に向け、行進する。舵を切って、内海を整然と回り出す。激しい渦波が船体を揺らすが、隊列は左程崩れない。よく見れば軍船は大小様々であり、建造技術の高さが窺える。

 見せつけるような行進を二周ほどした後、再び船列は整えられ、対岸からやってきた模擬船を迎え撃つ格好になる。張りぼての船だが、同じ海軍の兵士が操縦し、暗がりの海ではほとんど普通の軍船と大差ないように見えた。


「海戦ってどうやるんだ」


 俺と翔の囁き合う素朴な疑問は、存外平凡な回答が出された。角笛の音が聞こえるや否や、最前列の軍船が帆を操りながら波間に踊り出し、兵士たちが一斉と弓矢を構えた。それぞれに火が灯され、イルミネーションのように明るい色が帆に映される。

 模擬船側も同様に向かい合い、火のない弓矢を構えた。遠目からでは判別できないが、恐らくは拵え物であろう。俺が口を開く間もなく、太鼓の鋭い響きが開戦を合図し、両者の矢が放たれる。

 藍色の水面を焼く光が、一斉に弧を描く。弓の弦を弾く音がここまで届く。風や海流に合わせて船は操作され、最前の船列が素早く離脱してゆく。二列目からの軍船は幾らか小回りの利く構造で、模擬矢の下を掻い潜って敵戦へと接近した。

 それから綱を帆柱に括って目にも留まらぬ速さで兵士が行き交い、敵船へと乗り込んでゆく接近戦はなかなか見応えがあった。船舶同士がぶつからないよう絶妙に舵を操り、鬨の声なのか合図の叫びが飛び、敵と味方がもつれて海に落ちたところを下で待機する小舟が迅速に回収する。

 あまり馴染みのない演習の光景に使節団の面々は釘付けだった。同時に誰もが思って口にしなかったことがあった。


 スコノスを使っていない。模擬戦だからだろうか?


 大将自ら敵の船に乗り込み、体ひとつで圧倒するサクチャイを眺めながら、小さな疑問が棘のように刺さる。まるで人間同士の戦いのようだ。俺の目には、それが何だかとても、奇妙でちぐはぐなものに映った。

 敵と入り乱れた海上は一見混沌としていたが、サクチャイの手ぶりや声を交えた指揮のお陰で攻め方には協調性があった。その統制ぶりは訓練であることを差し引いても、使節団に海戦技術を誇示するには充分な一幕であろう。誰もスコノスを使っていないのは、それが目的だったのかもしれない。

 宵に染まる波の上、明るく燃え落ちる模擬船の隊がゆっくりと沈んでゆく。再び整えられた船列から勝利を示す煙が挙げられ、男たちの勝鬨が空気をびりびりと震わせた。

 陽国側の天幕から拍手が起こり、使節団もそれに倣う。複数鳴り響く角笛が、夜の孤独な動物の遠吠えのように木霊していた。


 海軍の演習が終わり、宴の賑やかな雰囲気を盛り立てるかのよう船に乗っていた男衆が屋上に到着した。なるほど、国政の大部分が女たちによって担われているのに対し、軍事は男たちが掌握しているという訳だ。

 陽人の海軍たちはいずれも屈強な肉体を持ち、威圧感があったが、それでも使節団の幾らかは安堵したに違いない。

 初めからそういう段取りだったのか、恐らく軍の中でも上位の階級であろう男たちは使節団のそれを含めたそれぞれの天幕に配置される。サクチャイは、万和や白狐さんたちの方へ、翰林院には別の男がにこやかに加わった。

 しかし通訳がいなければ挨拶もままならない。俺たちは席を空け、相手の笑みにぎこちなく笑みで返す。その間に給仕の者たちが小ぶりな松明を手に、天幕の骨組みに吊り下がった照明具に火を入れて回った。真鍮製の意匠が付いた照明具には、王家の家紋と思しき文様が描かれている。

 再び拍手が起こったのは、舞台の上に仮面をつけた人々が上ったためだった。炎の明かりが揺らめく陰の下、陽国の音楽と奇妙な仮面劇が始まった。




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