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明後日の空模様 陽国編  作者: こく
第六話 西大陸上陸
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「ここが王宮……」


 沐に連れられた正面の平坦な前庭で、使節団の代表たちと合流し、その末席で俺は呟く。

 目の前に聳える白亜の宮殿は、外壁の特殊な石材のため真昼の雪のよう光り輝いている。皇城に比べれば上品な規模の建物だが、黄金色のドーム屋根が左右対称に据えられ、窓のひとつひとつに設けられた曲面の装飾の比率に数学的な美しさがあった。

 少し近づいてみて、ただの白い壁だと思った外装に恐ろしいほど精巧な象嵌細工が施されていることに気付く。透明な宝石や白や銀の貴石が嵌め込まれ、楽園のような植物や鳥、動物の模様を描き出し、白亜の輝きを増して見せていた。


「そう畏まることはありません」


 衛兵が立つ門の前で、俺の心を見透かしたよう万和が話しかけてくる。頭上では色鮮やかな文様が織られた旗が生温い風にはためいていた。


「我々は皇国を背負った使節団です。今回に限っては事実上軍事面での協定を向こうが打診した形ですので、招かれた立場でもあります。言っている意味は分かりますね」


 俺が頷くのと、万和が音もなく離れるのは同時だった。使節団はその代表第三位までが集結し、護衛などを除けば俺がここに混ざっているのは如何にも異質である。

 司旦の差す赤い日傘の下にいる白狐さんは思ったよりも元気そうで、俺と目が合うと小鳥のように微笑ん見せた。陽国の気候に合わせたのか、白い着物は薄地で袖が風に透けている。俺は小さく頷いて、使節団の最後尾について門を潜った。

 正面玄関前の広場では、噴水の飛沫が水晶のように煌めく芝生の上を、孔雀が歩いている。鱗模様にも似た深い翠の羽が涼しい水辺の空気に泥んでいた。きょろきょろとしそうになるのを、先を行く万和にじろりと睨みつけられ背筋を正す。

 王宮の内部もやはり真っ白な石造りで、雪花石膏の円柱が光を透過しながら立ち並んでいた。柱の間を埋めるよう、槍を手に整列する逞しい衛兵たちの肌と黄金色の装備がよりくっきりと映る。

 召使と思しき女性たちが遠巻きにこちらを眺めている。屋内であっても強い花の香りがどこかから漂っている。高い位置に大きく取られた窓々から光が降り注ぎ、開放的な雰囲気に見えてそこに不自然な角度が付けられているのを見逃さない。

 外から見れば中が覗きにくく、中から見れば敵が見えやすい窓の構造。思えば異様にがらんとした前庭は侵入者を発見し易いだろうし、凹凸の胸壁に囲われた噴水の広場は敵を誘い込んで四方から討つ建築構造である。

 意外なほどすぐ辿り着く女王の謁見の間も、奥に設けられているであろう居住空間の広さを想定してみれば謂わば見せかけの玉座に見えた。外観の印象と内部に入った今では、何となく規模の感覚に齟齬がある。

 異国の者たちを王宮に招くということは、防衛の手札を多少晒すということなのだと俺は勝手に感心した。遠近感を狂わせるほどの敷地を割いた皇国の皇城とはまた違う、小ぢんまりした城特有の工夫だ。


 入城を告げる異国の言葉とともに扉が開かれ、謁見の間に入ると使節団の面々から声のない息が漏れた。通ってきた場所の明るさに比べ、そこは昼間だというのに薄暗い。最後尾で入った俺も、目が慣れるまで少しかかる。鏡のように磨き上げられた大理石の床に俺たちの足音が厳かに響く。

 高くなった中央の舞台に玉座が据えられ、大きな花瓶から奇妙な形の花が溢れるほど垂れ下がっていた。翡翠色の花弁は海月のようで、金色の花粉が反り返った表面にこびり付いていた。

 部屋の奥から緩やかな風が吹いて、温い空気を掻き混ぜている。

 頭上を見上げれば、青く煌めく無数のサファイアとエメラルドが円形の天井に隙間なく埋め込まれ、そのひとつひとつが些細な動作の度視界の端で瞬いた。石の中で屈折した青色の光と影が床に、俺たちの体の上に零れ落ちる。

 文徳殿の天井で星座を模していた宝石に対し、陽国の王宮のこれは湖の中か、洞窟の奥を思わせた。窓の乏しい謁見の間は、壮麗だがひっそりと閉鎖的な雰囲気がある。

 すっと長身の陽国の女王が立ち上がり、宝石からの翳りが斜めに差す。彼女が前に立つ、真っ白な雪花石膏の玉座が、その耳朶に付いた涙滴の形の白真珠と純白の衣装が薄っすら光を帯びていた。

 陽国を治めるクダヤー王家の頂点、シリポーン女王──妙齢という地点を過ぎ、坂道の傾斜を感じさせながら、全盛期の美しさを色濃く残した強気な顔立ち。僅かに張りを失った体躯、しなやかな褐色の髪を結い、植物を模した黄金の冠が体の一部のよう似合っていた。


「……」


 女王は無言で、使節団の顔を順番に見つめた。眉間の皺は癖のようなものらしかった。最後にばち、と俺と目が合い、電撃に打たれたようになる。熔かした黄金のような瞳に映った感情が、敵意なのかそうじゃないのか判断がつかない。

 何故、俺をこの場に呼んだんだ。


「孑宸皇国の皆さま、遠路はるばるようこそスラギダの地まで。大地と水の神イェル・スーの代理として、歓迎いたします」


 舐めるよう瞬きをしたシリポーン女王は流暢に孑宸語を話した。同時にその抑揚を欠いた物言いは、彼女が孑宸語を学んだのは決して好意的な理由でないと察するには充分だった。

 景暮の口上に始まった形式的な謁見は恙なく終わった。万和の言った通り、対等を誇示するため互いに畏まることはなかったが、その分空気は和やかとは程遠いものとなった。口から胃の底にかけて重たいものを流し込まれたようだった。

 軍事協定を結ぶという事前の情報通りなら、女王頑なな態度はこちらに足元を見られまいとする国主の矜持なのかもしれない。そういうことを考える余裕があるほど、末席についた俺に水が向けられることはなかった。


「我が国を守護する雨の神、豊隆に見初められた靈臺待招」


 俺の紹介などその程度のもので、女王との話題の中に豊隆の名は一度も上がらなかったので万和たちも拍子抜けしたかもしれない。陽国が直面しているイダニ連合国とのいざこざも、この段階では触れられることはなかった。

 夕刻から歓迎の宴を開くという旨が改めて告げられ、解散となると俺は最後に謁見の間を出ることになる。


「……」


 ちらりと後ろを見たとき、それを待ち構えたような女王の据わった目が合った。奇妙な思考の一致。言葉にも態度にもひとつも表われていなかったが、女王は確かに俺に一定の関心を割いている。

 あれでいて豊隆の存在を気にしているのか、或いは──イダニ連合国にいるもう一人のコウキと俺を重ねているのか。後者は特に、今更ながら大いに懸念すべき事柄だった。俺は十八歳になっていて、最後に会ったときから幾らか背格好も見た目も変化したが、顔立ちが似ているという理由で睨まれた可能性はある。

 もし言及されたら何と言い訳しようか。明るい場所に出ると、仄暗い謁見の間に何かを忘れてきたような落ち着きのなさがあった。

 円柱を横目に出口へと向かっていると、ふと柱の陰に四つ足で歩く白い生き物を見かける。使節団の面々の背が離れる中、俺は戸惑ってその場で足踏みした。


「大丈夫です、爪と牙がありませんので」


 付き従っていた沐がにこやかに耳打ちする。

 遠目から足を止め、薄い水色の双眸でじっとこちらを凝視しているのは、一頭の虎だった。剥製ではない、生きた本物の虎。白い毛並みに筆で上下になぞったような模様があって、虎が僅かに後ろ脚を動かす度に波打っている。


「……」


 爪と牙を抜いているからといって、虎を放し飼いにするとはさすがにスケールが違う。ふと視線を持ち上げたとき、虎に付き添っていた少女に気が付いた。沐が声を低める。


「プリーテャ王女。シリポーン女王の姪孫で、次期女王にあたる方です」


「……ほお」


 王女は女王とはあまり似ていなかったが、それは年季の違いのように思われた。他人の前に立ち、他人の目に晒されることに慣れた女王の奇妙な落ち着きに対し、プリーテャ王女はぼうっとしていて、自身の美貌にも誰かの視線にも頓着していないようだった。

 ちらりと目が合った気がして、咄嗟に伏せる。熔けた黄金のような色の瞳。痛々しくなるほど幼気な眼差しに、寒気すら覚えた。


「……参りましょう」


 沐に急かされ、俺は遅れて使節団の代表たちに追い付く。背中に感じる視線が、王女からのものなのか虎のものなのか分からなかった。




 ***




「沐様、ひとつお訊ねしたいのですが」


 迎賓館へ戻る一行と別れ、沐と二人で歩きながらおずおず切り出すと、沐は「はい」と答えた。誰かに使われることに慣れた、行儀の良い笑み。その顔についた大きな眼鏡を見て、つい質問の内容を変えそうになるのを堪えて俺は口を開く。


「シリポーン女王に、豊隆のことはどのように伝わっているのでしょうか?」


「どのように、と言いますと?」


「その……陽国にも信仰される神がいるんですよね。確かイェル・スーとか聞こえた気がしましたが、もしかして東大陸の神を持ち込んだことをあまり良く思ってはいないのでは?」


 立ち止まった沐はにこやかに笑った。


「女王陛下はそのようなことを気にする方ではありません。先程の謁見でのことでお気を悪くしないでください。女王陛下が靈臺待招殿を連れてくるようワタシに命じたのは、勿論特別な関心があってのことです」


「特別な関心?」


「ハイ、スラギダ王国は代々女性が統治する習わしがあります。女王は王族であると同時に神聖なる大地と水の神イェル・スーの声を聞くカムでもあります。カム、すなわち巫術師──神の代弁者です。貴殿と同様に」


 沐からの眼差しに、俺は言わんとすることを悟って少し慌てた。使節団の中で豊隆を盾に発言力を持つだけならいざ知らず、外部から買い被られると少し、いや大いに困る。


「それに、イェル・スーというのは個の神格ではなく、大自然に遍く神秘の象徴とされています。皇国民が森や水の中に自然霊を視るのと同様に、スラギダ王国民も目に見えにくい神や精霊を信じます。豊隆を船に乗せて来たことは女王のみならず、王国全土で様々な関心が寄せられていますよ。信仰がぶつかり合うことはないかと」


「それなら良かったですが……」


 本当に良いのだろうか。自分で言いながら俺は心配になるが、通訳相手に口に出せる話でもない。土の路を歩き出しながら、俺はカム、という言葉を噛み締める。


「カムというのはスラギダ語ですよね」


「ハイ、この国の公用語です。スラギダ王国でよく耳にする言語は二つ、スラギダ語と平原語。元は同じ系統の言語だったそうですが、この南の地に定住したスラギダ王国民と、北方の砂漠を生きる遊牧民とで大昔に分岐したと言われています」


 湿った足音の後、沐は俺の目を見て心得たように頷いた。「そうです、遊牧民とは主にイダニ連合国に属する様々な部族です」


「遊牧民──」


 馬を駆り平野を駆ける人の姿が脳裏に映し出される。宮中図書館で見た拙い陽国の地図の、見切れた北の大地。沐の口から発音された「平原語」という響きには、起伏の多い陽国から見た平野地帯への憧れが込められているように聞こえた。


「そして」沐が小さく咳払いをするので、俺は我に返る。「土地に根付く習慣を持たず、部族間で争い合っていた平原の民をひとつに纏め上げ、イダニ連合国を建国したのが、救世主と呼ばれたあの男なのです」


 一瞬息が詰まったようだった。こちらを真っ直ぐ見据える沐の目はもう笑っていなかった。背中が痺れ、思わず立ち止まると沐は再びにこやかな表情に戻った。


「──それでは、私はここで。夕方になりましたら皆様をお迎えに上がりますので」


「はい……」


 丁寧に拱手して去っていく彼を見送り、バレてる、と俺は心の中で呟く。思ったよりもバレバレである。当然、女王もそれを意識して俺を見ているという訳だ。

 沐と少し話しただけで、自身の手札の少なさを見透かされているようで、旧王家の大庭園へと戻る歩調は自ずと速くなる。俺はイダニ連合国が遊牧民の国だったことさえ知らなかった。思えば、連合国という名称の意味を深く考えたことがなかったのだ。

 この外交、どう転んでも俺には分が悪いのでは。豊隆、白狐さん、順番に顔を思い浮かべてみて、どうにも頼みの綱とするには心許ない。最後に、ここにはいない、救世主気取りのもう一人の自分のことを考えて俺は小さく舌打ちしてやった。


 何が救世主だ。




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