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明後日の空模様 陽国編  作者: こく
第六話 西大陸上陸
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 太陽が目に見えて高くなってきた頃、昼食が饗されることになり、俺たちは一階に呼ばれた。正式な会食ではないが、わざわざ料理が鍋ごと海老茶の旧王家の邸宅に運ばれ、食堂で広げられる様はちょっと贅沢な眺めだった。

 食堂には、巨木からそのまま切り出したような一枚板の天板があり、濃い木目の美しさが見たことのないスラギダ料理で埋められてゆく。


「何これ」


「うま」


 俺たちは自由に手を伸ばし、目に付く料理を皿に取る。食堂の広さも食べ物の量も、昨夜この邸宅に入れられた面子には十分な量である。お偉方があの湖の畔の迎賓館にいるため、誰も彼もが気軽な雰囲気だった。


「待って、これ辛い!」


 銀製の匙で何かを掬って食べた翔が、手をひらひらさせている。主食として出されたのは、ココナッツミルクとターメリックが入った濃い黄色の煮込み料理だった。要はカレーのようなものである。そのとろりとした色合いや様々な種類の香辛料に馴染みのない皇国の面子は皆目を白黒とさせている。

 他には、青パパイヤとライムと干蟹の和え物、ぱらぱらとした細い米、甘辛いたれが掛かった豚肉の串焼き、それからココナッツミルクに小さな白玉の団子を沈めた甘い汁物などが並んでいる。


「辛いのか甘いのか分からん……」


 ココナッツカレーの味の感想はおおよそそんな感じで、口当たりは甘くて優しいのに後から辛みがやってくるから油断ならない。とはいえ皇国には赤唐辛子を使ったもっと辛い料理もあるのに、食べ慣れない西大陸の香辛料には舌が敏感に反応するのか不思議な光景だった。


「お食事中に失礼致します」


 賑やかな場に、ほんのりと訛りのある孑宸語が混じった。他の人たちの動きに釣られて顔を上げると、人数のため手狭になった食堂の入り口に一人の男が人の良さそうな笑顔を浮かべて立っている。その姿を見て、俺と翔は思わず箸を持ったまま同時に呟いた。


異民族(フアン)だ……」


「眼鏡だ……」


 果たして声が届いたかは分からないが、男はにこりと微笑んで見せた。翔が口にした通り、一目でそれと判別できる東大陸の異民族(フアン)特有の明るい目と髪をしている。浅黒く灼けた黄色っぽい肌の色は、翔のそれに近かった。

 俺が驚いたのは、男が眼鏡のような透明なものを顔に付けていたためである。婉曲されたレンズが男の目を不自然に拡大していた。孑宸皇国では顔に装着して視力を補う道具は存在しないので、その文明の気配に懐かしさすらあった。他の面子には奇妙に映ったことだろう。

 更に驚いたことに、眼鏡の男は俺の方へと真っ直ぐ歩み寄ってきた。


「貴殿が靈臺待招殿ですね。ワタシは(モク)と申します。スラギダ王国で外交にまつわる通訳の仕事をしています」


 俺が慌てて箸を置いた音、立ち上がって後ろに退けられた椅子の音が大袈裟に響く。「よろしくお願いします」

 沐は姿勢を低くして、拱手した。


「よろしくするのはこちらの方です。これからシリポーン女王陛下との謁見が執り行われますが、靈臺待招殿を必ずお連れするように口酸っぱく言われまして、先んじてご挨拶に参りました。こんな時間にすみません」


 何とも言えず訛った不思議な言葉遣いに、とりあえず頷く。色々と訊きたいことはあったが、この食事の場では何もかもが相応しくなかった。


「ふむ」同じ卓についていた宇梅の一言で、沐や他の者たちの視線が動く。「せっかくだからひとつ食事をしていったらどうかね? 通訳殿」


 沐は顎を撫でた。それなりに若いようだったが、後退しかかった生え際や不格好な眼鏡のため必要以上に老けて見えた。


「ワタシは本来皆さんと同席できる立場にないのですが……」


「まあそう言わずに。たくさんありますし、少し召し上がっていきませんか」


 言い淀んだ沐に被せるよう俺は空いている席を手で差す。初対面のこの男に食事を勧めたのは、好感を持ったからではなく、自分の立ち位置を弁えることに慣れた沐の振る舞いが少し嫌だったからだ。

 彼はそんなこと一言も言っていないが、異民族(フアン)だから一段低い位置に立つのが当然だと、服従を受け入れた態度を見ていたくなかった。


「そこまで言われては断るのも失礼ですね。頂きましょう」


 一礼して勧められた席に着いた沐を、翔はどちらかというと熱心な眼差しで見つめていた。穴が開くほどじっと見つめるので、俺は気まずくて自分から話題を切り出さねばならないほどだった。


「陽国に住んでおられるんですか?」


「ハイ、もう随分長く」


 沐はへらりと笑い、自分のことは沐とお呼びくださいと遜った。


「父は皇国に仕えていた外交官でして……いずれ国交のために必要になるからと西大陸の言語を叩き込まれました。その甲斐あってか、今はこうして王宮に出入りし、通訳を行っています」


「ほお、それはすごい」宇梅は本心から感心したのだろうが、どこか馬鹿にした響きに聞こえないか俺は内心ではらはらとした。沐は気にした素振りもなかった。


「いえ、実のところ現在のクダヤー王家の方々は孑宸語を嗜んでおりますから、通訳者はそれほど重用されている訳ではないのです。専ら最近では、交易に関わる諸侯の方々に使われることが多いですね」


 意外だった。俺はもう少しでそれを口に出すところだった。女王の中立的な態度は皇国では、ほとんど悪評に近い伝わり方をしていて、自ら言語を嗜むほど皇国に関心があるなんて一度も聞いたことがなかった。

 この場にいる多くの者が同じ疑問を浮かべたはずだが、声に出さない分別はあったため沈黙は何となく気まずいものとなった。翔が不意に口を開く。


「異国の地で生きるというのはどういう気持ちなんですか?」


 さすがに意表を突かれたよう、沐は分厚いレンズの下で瞬きをした。翔のことは一目で異民族(フアン)だと分かったのだろう。すぐに愛想のいい笑いに切り替えた。


「新鮮な体験が多いですよ。スラギダ王国の文化は面白いです。皆様方にも気に入っていただけたら良いと思っています」


「……」


 翔は自分で訊いた癖に、黙り込んでしまった。その青い目を銀の匙の中身に向け、冷めるに任せている。宇梅が幾つか質問を重ね、その場の空気感はなかったことになった。

 食事を終え、二階の客間へ戻ると、いつの間にやら部屋の中は整えられ、公の場に出るための衣装が支給されていた。

 俺は、沐に急かされるまま邸宅内の浴場で湯浴みを済ませる。久し振りに自分の身体から石鹸の香りがするのはいいものだった。


「見慣れないな」


 俺の身支度を見守っていた翔が短く呟く。用意された衣装は真新しかった。

 想定よりも上質な着物に袖を通してみて、皇国の公服に簡易版と言うべきか、ゆとりのあるつくりに熱帯らしさを感じる。絣を肩から斜めに掛け、帯に留めて余った部分を裾に流すと、丁度懐の辺りにすっぽりと何かが入りそうな空洞が生まれた。


「……」


 呼んだか? と寝台の下から水蛇が顔を出した。俺は翔を振り向く。


「翔、こいつ見ていてくれるか?」


「連れて行かなくていいのか?」


「王宮がどんな場所か分からないからな」


 翔は肩を竦めて了承した。水蛇が心得たように陰の下に引っ込んだのを一瞥し、俺は絣の皺を整える。固い詰襟の隙間に指を入れて、軽く引っ張ったところで沐が下から俺を呼ぶ気さくな声がした。


「じゃあ、行ってくる」


 ちらりと翔と目を合わせる。「ああ」と五月の空のような青い瞳は確かに俺を見ていたが、その眼差しは地に足がついていなかった。翔が何に気取られているのか思考に猶予を割く暇もなく、もう一度沐に間延びした声で呼ばれ、俺は黙って階段を下りる。



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