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明後日の空模様 陽国編  作者: こく
第三話 元宵節
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 新年は粛々とやってきた。


 どこもしんと静まり返った齋舎には、俺たちの他にもちらほらと人が残っている。一部の地域が雪のため交通が止まり、そこの地方出身者は里帰りし損ねるというちょっとした異例の事態で、味気ない年末年始に自棄を起こしたそんな数名の同舎生とともに俺と翔は怠惰な年明けを迎えていた。

 普段は閉鎖される食堂を特例で使わせて貰い、それぞれ酒を持ち寄り、有り合わせのもので作った料理をつまみに日付が変わるまで駄弁って飲んで麻雀をして、とっくに昇った初日の出を浴びながら床で目覚めるという堕落ぶりで、俺は頬に真っ直ぐと残った床の跡を撫でながら新しい年に思いを馳せていた。

 新年の都は賑やかだから遊びに行こうぜと言ったものの、この調子では全員起きるのは昼過ぎだろう。折り重なるように寝ている学生と、そこから少し外れて毛布を被っている翔を見て、俺は少し複雑だった。

 翔は昨日酔っている内に普段話さない同舎生とも幾らか打ち解けたようだが、例の襲撃事件以降に付き纏っていた自信喪失の影はずっと顔に貼りついていた。自分はここにいていいのだろうか、という戸惑いにも似た疑問に、俺が指摘するまでもなく辿り着いたらしい。

 賭け麻雀で一人負けし、「もう二度とやらん」と拗ねた後、結局再び牌を掻き混ぜている翔の姿に、昨夜の俺は希望的観測を見出そうとしていた。酔いが醒めた今になってみれば、楽観視し過ぎることは翔の負担に繋がるかもしれないとも思う。

 そうして俺は二度寝した。それが一月一日の明朝である。


 七日後。俺と翔は影家の正邸に呼び出されていた。白木の邸の客間、日除けの垂れ幕が光を透かして薄い刺繍を浮き上がらせている。昼間なのに仄暗い、琥珀色の光が満ちた一室。ぽつんと奥に飾られた弦楽器と古典的な山河の水墨画を除けば、装飾らしいものは何もない。

 堅苦しい場ではないと事前に言われた通り、新年の挨拶もそこそこに、格式ばらない細々した料理が運ばれてくる。酒に漬けた貝柱のあんかけだとか、白木耳と棗を甘く煮たのだとか、焼いた鯛の出汁を土鍋に入れた汁物だとか、言うまでもなく齋舎の食堂では到底口に出来ない食材がふんだんに使われ、俺と翔はせっせと食い溜めする。

 翔に関しては、好物のたくあんを出して貰い、それを一本丸齧りするという世捨て人時代によくやっていた日常風景を見せ、後ろに控える司旦の眉を顰めさせていた。

 無礼講にも限度があるのでは。


「それで、太學はどうですか? 友達は出来ましたか?」


 久し振りに対面する影家の現当主、“白狐さん”は花模様の色絵が描かれた杯を片手に微笑む。幾分伸びた白髪が、彼の失くした右目の痕を隠していた。髪や肌と同じ、真っ白な着物は彼の据わる姿勢に合わせて床に広がり、それが地面に落ちた百合の花のようだった。


「友達は、あんまりいないですけど」


 翔はたくあんを手にしたまま答えに行き詰る。


「あ、でも、良くしてくれる先輩はいます」


「聞きましたよ。研究会のひとつに入ったとか」


「やはり耳に入っていましたか」


 俺は小さく顔を顰めた。酒は断っていたので、代わりに熱い茶を飲む。白狐さんと同じペースで飲んでいたら先に潰れるのが目に見えた。


「何でも、物騒な事件もあったんでしょう? 災難でしたね」


「ええ、全く」


 言ってしまった後でさすがに分を弁えない返答だったかと思い直したが、影家の地位に復帰しようとも白狐さんにとって俺たちとの距離感はほとんど変わらないらしい。さすがに忙しいのか、以前よりも疲れた声と表情をしていたものの、俺たちの前では寛いだ仕草を見せている。

 なるほど確かに、彼の振る舞いは、朝廷では不自然なほど鷹揚で清らかに見えた。清心、という言葉を思い出し、俺はふと話題を変える。


「そういえば、スラギダ王国から使節団が来たという話はどうなったんですか? 太學にも噂が広まったまま、結局宙ぶらりんになっていたんですが」


 襲撃事件の裏にあった同盟云々のその後を俺たちは何も聞いていなかった。ああ、と言った白狐さんの声は明るくない。


「まだ何も決まっていないのに、一体どこから漏れたんでしょうね」


「決まっていないんですね」


 翔が口の中のものを飲み込んでから言う。白狐さんは小さく肩を竦めた。


「ここでは多くの人が対立し合っているので、秘密を秘密のままにしておくのはとても難しいのです」


 新しい料理が運ばれてきて、何となく会話が途切れる。付き添っていた毒見役が退室すると、室に残った近習は司旦一人のみとなった。

 影家の正邸では多くの人が抱えられているはずなのに、不思議と人の気配がしなかった。足音も、息遣いも、雪と静寂の中に吸い込まれていくようだった。

 白狐さんは、詰めていた息をそっと吐き出す。


「イダニ連合国絡みの話なので、皓輝くんの耳にも入れておいた方がいいかもしれませんね」


 ということは、やはり軍事援助を目的とした同盟というのはあながち的外れな憶測でもなかったんですね、と先回りしそうになった俺は口を噤む。

 直立不動の司旦が縄張りを守る野生動物のように睨んでいたというのもあるし、確かにこの白木造りの正邸で俺たちは相応の振る舞いを身に着けなければならないと思った。

 しかし、肝心の話の内容は想定外だった。


「実は、陽国から皓輝くんの身柄を渡すよう迫られまして」


「は?」


 頓狂な声が出る。「ど、どうしてですか?」


「同じだから、です」


「同じ?」


「顔が」


 そこで俺はようやく合点が行く。それは嫌な感触のある納得だった。


「コウキと俺の顔が同じだから、ですか」


 その名を出すと、室内の空気の流れがふと止まったように思えた。緊張感。発音の上で区別できないとはいえ、それが俺ではなく、もう一人の俺を指していると全員が理解している。

 コウキは、かつての俺の主人だった男である。俺の記憶にはない大昔、俺はコウキに使役されるスコノスだった。コウキは俺を棄て、代わりに不老不死を手に入れた──そう聞いている。

 そして現在、コウキは西大陸のイダニ連合国で“救世主”と持て囃され、大きな政治的権力を有している──らしい。俺は自分があの男と敵対しているのか未だに分かっていなかった。だが、孑宸皇国及び影家にとって、コウキは苦々しい存在であることは間違いない。白狐さんは六十年も前に、父親と妹を殺されている。


「なるほど、陽国は俺とあいつに何らかの繋がりがあると考えたんですね」


「そういうことです」


 一体どうやって俺の存在が向こうに伝わったのか分からないが、陽国の推測は実際的を射ている。コウキと俺はかつて主従関係で、奴にとって俺は触れて欲しくない過去の傷跡のようなものだ。

 俺がコウキと同じ名を名乗り、同じ容貌をしているのは、スコノスである本来の姿を隠し、人間に擬態するべく最も身近な人間を模倣したためだ。少なくとも、俺はそう考えている。そうでなければ気味悪いほど顔の形が似ている理由の説明がつかない。

 無意識に、己の頬に触れる。全てはとうに過ぎ去った時代の話で、この姿に至るまでの記憶は残っていない。俺は一瞬、空白のことを思い出した。夢の中で何度も繰り返し覗き込んだ暗闇の穴。一体誰が、俺の過去を盗んだのだろう。


「皓輝くん?」


「あ、いえ。すみません」我に返って背筋を伸ばす。「それで、どうなったんですか」


「よく似た別人だという説明で押し通しました」


「通ったんですか?」


「さあ……」


 白狐さんは困ったように苦笑いしている。それから後ろに控える司旦が何か言いたげにしているのを、彼は一瞥して促した。司旦は腕を後ろに回したまま口を開く。


「そもそも朝廷の一部でも、影家の神明裁判以降、イダニのコウキとお前がそっくりすぎることに疑問を持っている人がいたんだ。双子なんじゃないか、みたいな噂もあったし」


 唯一救いだったのは、この国でコウキの顔がそれほど広く知られていなかったということだった。加えて言えば、朧家の当主である千伽が介入したことで、神明裁判の際に居合わせた七十二吏たちは事件の詳細を上手く思い出せなくなっていた。

 そうして有耶無耶になっていた俺とコウキの関係だが、さすがに陽国を相手に誤魔化すのは難しかったのかもしれない。白狐さんは少し顔を真面目に戻す。


「陽国側はあまり納得しなかったと思いますが、変に言葉を並べて誤魔化すよりも毅然とした態度で開き直っていた方が案外怪しまれないものです。皓輝くんを政治の交渉材料にするのは避けたいですから」


「俺は、構わないですけれど」


 視線が集まるので、俺は手持ち無沙汰に持ったままの箸を置いた。


「陽国が何を求めて皇国に来たのかはともかく、イダニ連合国やコウキと接触する機会があるなら俺はどんな船でも乗る心積もりですよ」


 皓輝くん、と白狐さんの美しい額に皺が寄る。母親が子どもを咎めるように。


「滅多なことは口に出すものではありません。あなたが目的のためなら己を顧みない性格であることはよく知っていますが、朝廷を生きていくのにその自己犠牲は都合よく利用できる隙と映ります。何でもやる、なんて簡単に言ってはいけないのですよ」


「そうですか……」


 肩を落とし、翔に宥められる。太學で求められる学力や在学期間の見通しのなさに俺は焦っているのかもしれない。仕方なく皿に残った豚肉の煮込み料理を口に運び、翔が話題を引き継ぐのを聞く。


「で、七十二吏の中で、陽国の今後の関係はどういう方向に行っているんですか?」


 一介の学生が訊くにはあまりに不躾な訊き方だが、白狐さんはそんな翔に慣れているようだった。


「まだまとまっていない、としか言えませんね。そもそも陽国側も決してこちらに強い要望を見せた訳ではないのです」


 そうなんですか? という俺たちの視線に、白狐さんは酒器の底を覗き込むようゆっくりと答える。


「この朝廷が非常に複雑であるのと同じように、陽国も決して一枚岩ではありません。長らく保ってきた中立の基盤が崩れつつある今、彼らの国内でも外交に関して意見が割れ、かなり揉めているようです。まだ陽国はイダニ連合国に侵攻された訳ではないですし、親イダニ派も一定数いると聞きました」


 俺はその言葉のひとつひとつを噛み締めた。国という規模の大きさを目の当たりにすると、簡単に政治に介入できる訳ではないということを思い知らされる。


「では、うちに来たのは様子見といったところですか?」


 白狐さんは答えを明示したくないよう、曖昧に頷いた。それ以上訊ねるのは分不相応だと悟る。司旦の表情がいよいよ険しくなっていたというのもあるし、光を遮る日除けの向こうに招かれざる人影が蠢いたためでもある。

 不自然な風が吹いて、ゆらりと素肌のままの足首が覗いた。

 それはまるで、煙の中から現れたようだった。一月の澄んだ光の中に浮かぶ、丈の長い着物の長身の影。今日は三人でささやかに新年を祝おうという席だった上に、それがどう見ても窓の方角だったので俺と翔はぎょっと身構えた。いち早く動いた司旦が、途中でぴたりと動きを止める。



「酒の席で政の話とは、世捨て人どもは野暮なことをする」


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